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2005/09/19

悩ましい「情報」と「表現」と「姿勢」のあいだ

あとでフト気がついたのだが。きのうの荻昌弘さんの引用に「魯文というジャーナリスティックな風俗戯作者、そしてこの本の姿勢そのものなのだ」という一文だ。

ちかごろの権威ある大メディアのたぐいで、そのジャーナリズムで、作家や作品の「姿勢」が話題になることは、あまりないような気がする。ま、新聞テレビと縁のない生活だから、目に触れる範囲のことでだが。いちばん手っ取り早くは、Webの世界のことである。

そして、そういえば、むかしは、やたら「姿勢」がモンダイになったなあと思った。この現象のナゼは、おいといて。

ようするに近頃は、「情報」や「表現」が、それなりに豊富で細かく、美しく、お上品、とかね、あるいはブンガク的権威による常識がよろこぶ表現であれば、とかね、そういうことであれば、作者や作品の「姿勢」は問われないのだな。手っ取り早くは、情報や表現が、ジャーナリスティックであるほど、よろしいというかんじで流れ流されていく。ああ、そして、今年の夏も過ぎていった。

いま、上の文章で、「「情報」や「表現」が、それなりに豊富で細かく」と書いて、「正確」とか「正しく」という表現を、わざとはぶいた。というのも、豊富で細かいことが、正確で正しいと評価される傾向もあるからだ。「実態」や「真実」かどうかなんて、まったく価値をもたない。あくまでも時流を追いかけての、興味本位のバカ騒ぎ、その満足なのだ。安物グルメから国政選挙まで。

たまたまスーパーに生わかめがなかったとき、乾燥のカットわかめを買って来ておいた。リケンの、そのまま味噌汁に投げ込めるやつじゃなくて、5分ほど水でもどすやつだ。それを使おうと思って、初めてなので、どれくらいの分量を用いたらよいのか、袋の印刷を見た。

するとそこに、「使用量の目安(1人分)」という項目があって、味噌汁のばあい、「1g」とあるのだ。おれは、それを見て、はて「1g」って、どのぐらいの量か、そのために計量しろというのか、細かければよいってものじゃないぜ、大雑把に「一つまみ」「一掴み」という単位もあるのだぜ、と思った。

とにかく細かい単位で表示しておけば無難である。あとは客側の「自己責任」だ、「一つまみ」「一掴み」の表示じゃ問い合わせがきて対応コストがかかることになるかも知れんしな。といった、なんでも消費者に責任を押し付けていこうという、会社の責任逃れの「姿勢」をかんじ、ま、いまの世の中、こんなもんだな、と思ったのだった。

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