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2005/09/01

功利あっても合理なし

今週は、一昨日の日記に書いた年寄りの「特定疾患」の手続きですぎている。動きまわり、必要な書類は揃ってきた。明日、病院で医者の書類をもらい、田舎の役所へ行って提出すればオワリ。朝から一日シゴトになるだろう。月曜日から、バスが一日に4本ぐらいのド田舎から、その中核地方都市、そしてココ埼玉の都心を行ったり来たりしていたことになる。

日本はバブルの1990年前後に俗に「改正農基法」といわれる、「食糧・農業・農村基本法」を議論し制定する。もっとも、どれぐらいの人たちが覚えているか知らんが。この法律は、当時政府ご用達NHKが盛んにキャンペーンをはっていたし、東京のバブルに浮かれるバカ都民どもは、そのセンで浮かれていたが、ようするに、農業=地方への補助金を削減し「意欲のある、やる気のある農家の育成」ということだった。それは、一極集中化した東京を、「シンガポールと並ぶアジアの国際金融都市」にする政策と表裏の関係にあった。日本の農業や食糧自給体制より、国際金融市場でのゼニ儲け。それがバブルの最中に日本の路線になった。

その法案をめぐって、日本の農業や食糧自給体制が問題になったとき、国際政治学者と称する、のちに国会議員になった御用学者が、食糧なんか100パーセントの輸入でも成り立っている国があるのだ、と、シンガポールの例をあげたのが、それを象徴していた。一方、自民党は、先細りの地方を捨て、弱かった東京での支持基盤を強化するべく、都市納税者の税金がムダに地方で使われている、もっと東京をよくするために使われるべきだというキャンペーンをはった。この段階で、地方や田舎なんか、食糧自給なんか、どうでもよくなっていた。

そもそも、あのバブルで、日本のバカ金融機関が「投資」というカッコイイ博打に使い尽くした金の財源は、どう調達されていたのか。農協組織を通じて農林中金に集められた金である。地方へ「補助」された税金は、農協を通じ都市銀行の手に還流するという仕組みである。また、土建屋利権などを通じ、東京のゼネコンかた金融機関に回収された。とにかく最終的に金は、東京の機関投資家に集まっていたのだ。そのように、「公金」は賭博師たちの「私金」になった。そして、そのバブルに浮かれているアタマで「食糧・農業・農村基本法」を制定した。食糧なんか国際金融賭博で儲けた金で調達できるサ。いまでもそうだが、国際金融市場で、日本の労働者から搾取収奪した金で賭博をはる、ウサンクサイ賭博師たちが、カッコイイ先端の人物であるかのようなイメージがつくられた。

しかし。1990年ごろ、おれはある地方で、バブルの金を数十億円つかう計画のプロジェクトのしごとに関わっていたが、そのときすでに、地方の農協の金庫はカラッポだったのだ。つまり、農協を通じて都市銀行に集められたカネは、能無しどもの手に渡り不良債権を生んだ、それだけで、利益を還流することはなかったのだ。それがバブル崩壊であり、しかも、その能無しどもは、国税の投入を受け、ぬくぬく生き延び、そして農協没落のあと最後に地方に残った唯一の賭博財源である郵政数百兆円に手をつけて博打をやろうとしている。この博打の結果は目に見えている。目に見えているが、東京のバカ都民は、博打で食べるダラシナイ生活から抜け出せない。ようするに自分では何も生み出せないものたちが、地方の財産を食いつぶしながら、東京で生きる。田舎じゃバカは食っていけないが、東京は口先三寸で食っていける、首相にもなれる。

前にも書いたが、小泉は、「改革」を言うが、この小泉4年間に6百兆の国の借金は7百数十兆へ膨らんだ。なぜ、イマ郵政民営化なのか、これまでの「民活導入」のプラスマイナスは、どうだったのか。そのことを問うことは、マスコミは、やらない。バカ都民も知らん顔だ。とにかく一度博打でいい思いをしたドラバカ息子が親の財産に手をつけたい。この博打で稼げば、家の借金も返せるからサア。それを「政策」といえるのか。

食糧自給問題は、郵政民営化と深い関係にある。農業だけの話をすれば、農業に使われる金は、かりに「赤字」をつくりながらであったとしても、食糧自給体制に可能性を残すし、そこに生産があるかぎり、「財政再建」の可能性がある。賭博ですった金はゼッタイにもどってこない。田舎は、すでに荒野である、東京も同じように荒野へ向かうだろう。

財界とマスコミに支持された自公体制は、このまま維持され郵政民営化は決まるだろうが、それは最終荒野の始まりにすぎない。

食育推進論者やスローフード論者は、「守旧派」でなければ、スジが通らない。しかし、なにしろイマの日本は「功利あっても合理なし」だからなあ。

とかね、廃墟と化した農協ビルを見たり、クソがこびりついたままの役場の便所でクソしたり、のどかな荒地がふえた田園風景のなかをトコトコ走る電車やバスで、考えたり屁をしたりして過ごしたのだった。

ご参考、この例によって玉虫色の法律に隠された、日本荒野政策、「食糧・農業・農村基本法」
http://www.maff.go.jp/soshiki/kambou/kikaku/NewBLaw/newkihon.html

この荒野を、汁かけめし食べながら、力強く生きよう。

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