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2005/09/09

「奥様」といふ専業主婦が華々しく

郵政とエロのトラックバック嵐のなか、まだまだ続く、大正末期昭和初期1920年代あたり。

『東京名物食べある記』は、「『時事新報』の紙上に連載したのが、たちまち世間の評判の読物になった」「執筆の動機は云うまでもなく震災後の食堂繁盛、飲食店の続出に刺激されたもので、家庭人を呑吐することの特に多いこれらの食堂が、果して真に家庭人の享楽にあたいするかどうか、又どう改めたらよいか、家庭記者の立場からそうした店を検討する意味ではじめたのが食堂めぐりである。従って家庭人のことごとくが利用すると云ってもよい百貨店食堂を真っ先に廻ったもので」連載は昭和2年3年ごろ。

ここでいう「家庭人」も「家庭」も、近代日本の比較的新しい言葉であり概念。成長しつつあった中産階級のサラリーマン家庭をさしている。それは、「奥様」という専業主婦がいる台所を装置とした家であり制度としてのイエである。その台所は、新しい和洋折衷スタイルの立ち働き式台所で、その台所が機能するために不可欠な存在として、専業主婦は装置化し制度化したのだった。

そもそも女には選挙権もなかったのだが、サラリーマン家庭において、より制度的装置的に組み込まれることになった。それを喜びあこがれた女が少なくなかったのは、それまでが奴隷的でひどかったのと、共同井戸の長屋暮らしより専用台所のある暮らしはうらやましかったし、より低い立場のものたちから「奥様」と呼ばれチヤホヤされる快感もあったから、らしい。

「初めて試みられた台所道具論」と腰巻にある『台所道具の歴史』(柴田書店、1976年)で、著者の栄久庵憲司さんは述べる。「大名、旗本などの夫人の呼称であった「奥様」は明治になると急増する。官員や会社員の夫人がいっせいに「奥様」と呼ばれはじめたからである。この夫人達は生業にたずさわる必要がなく、夫を送り出したあとは家事をいそしんでいればよかった。」

この「奥様」たちが「夫を送り出したあとは家事をいそしんで」いるだけじゃなく、「今日は帝劇、明日は三越」と、街頭の風俗になった。そのガキたちが、モボモガ(モダンボーイ、モダンガール)だね。それが『東京名物食べある記』の背景だ。

『近代庶民生活誌 ⑦生業』に収録の『大東京物語』(倉繁義信著、1930年)によれば、昭和元(1925)年の東京市統計では、有産階級25,982人約3%、中産階級53,686人約6%、無産階級783,962人約91%。くりかえしになるが、中産階級はサラリーマン家庭、無産階級は生業の労働者たち。無産階級労働者には、永久雇用も年功序列もなかった。永久雇用や年功序列が特徴といわれる「日本型経営」は、戦後数十年のことにすぎない。この時代の無権利状態にもどすことを、コンニチ「競争原理」「実力主義」「受益者負担」というが、この極端な無権利状態こそ「日本型経営」が得意とする伝統芸なのだ。であるから、林芙美子さんもけっこうお世話になった「口入や」が繁昌していたが、いまでいえば派遣業者か。

生業の人びとのあいだでは、比率のちがいはあっても、男も水を汲みめしを炊いたし、女も賃労働をした。しかし、この時代の、サラリーマン家庭の奥様と和洋折衷の台所でつくられる料理が、近代日本食として成長していく。と、いうことになるかな。しかし、無産階級の貧乏人にも「食通」はあったのだ。魚谷常吉さんは書いている、こちら

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