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2005/09/16

トリスキから「愚民」といふこと

昨夜は、トリ(鶏)のスキヤキをしたね。ほんとうは皮をつかいたかったが、なかったので皮のついたモモ肉をつかった。それにきざみキャベツをタップリ。というのが好きなのだ。もちろん豆腐やコンニャクもつかう。モヤシもだね。トリのばあいは、ちょいと濃い目の味付がよいように思う。

その残りを今朝、同居ツマがめしにかけて食べ、「うまい」といって出かけた。そのあと、一仕事片付けてから、おなじように食べた。ちょいと違うのは、ぐふふふ、清酒を飲みながらというところだな。

『汁かけめし快食學』にも書いたが、日本でぶっかけめしが「下品」とされ「いけない」とされたのには、単なる神秘的信仰的な「タブー」とは異にする思想的支配的歴史的ウンコ的背景があった。と、トリスキぶっかけめしを食べ、盃をかたむけながら、また考えた。

「読売新聞 1999年11月21日 記者が選ぶ」では、『ぶっかけめしの悦楽』について、こう書いていた。……「海苔(のり)をモンゴルで食べて「黒い紙なんか食うな。山羊(やぎ)じゃないんだ」と諭された。ドミニカでカップラーメンを食ったら「スプーンを使わないのは下品」と、たしなめられた。"カルチャー食(ショック)"は、しかし国内でも体験する。新婚時代、みそ汁を飯にかけたら蔑(さげす)みの視線に遭い、深く傷ついたものだ。<ニッポン人なら、忘れるな! 深く食べろ!>という帯の惹句(じゃっく)に、積年の恨みを晴らせそうだと直感した。<熱く、かけめしを思いおこそう>で始まる奇書のテーマは、<インドを御本家とする疑惑にみちたカレーライス伝来説>を根底から覆すことにある。成否は読者の評価に俟(ま)つとして「うまいものは、うまい」という、今どきのグルメが持たないまっとうな「思想」がある。飯に汁をかけて食う行為が、異なる者に対する「排除」や「差別」と対極にあることにまで思い至った。留飲が下がったので今回はチト褒めすぎたか。(酊)……引用オワリ

そうなのだ、そうなのだね。と、盃をかたむける。昼から何杯のむんじゃ。あるだけ。先日のタモリ倶楽部でも、ねこまんまのタブーが話題になって、「出演者のひとりが、こどものころに母親から、みそ汁をぶっかけると「結婚式に雨が降るよ」と言われた」と言っていたそうだが(http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/08/post_7788.html)。

ちかごろかどうか? よく「愚民」という言葉をきく。そういうものを見ると、おれはアタマにくるから、おれは愚民である。そして、「愚民」と言って蔑んでいるのはトウゼン、選民賢民ということらしい。しかし、愚民というのは、そもそも支配者や、その御用をつとめる選民賢民がつくったもので、天然のものではない。「だまされた方が悪い」「だまされる方も悪い」というリクツは、おかしい。すくなくとも、支配者と、その御用をつとめるものたちの責任を免除している。しかし、やはり、ちかごろの日本人は世界でもマレな高学歴らしいのに、そういう感じがないのも事実だな。これがイイ大学を出たレンチュウかあ、とかね、思うことあるね。

あっ、と、それとぶっかけめしの話が、どう関係するのだ。どこかで関係するように思って書き出したのだが、忘れた。酔ったのかな? もっと飲んでみるか。ま、とにかく、食は、政治や思想と深い関係にあるのだな。自分では政治や思想なんか語っているつもりはなくても、食べ物や食べ歩きの話には、それがあらわれるのだな。もっともよくあらわれるといってもいいかもしれない。

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コメント

おおっ、なーんと示唆にとんだコメント。アルコール漬けふにゃふにゃ脳みその霧がパーッと晴れた思いです。
「アイデンティティーの確保」とは、なるほど!一挙に深いところに入ったような。やはり島国性が関係するのでしょうか。
日本は近代になってから、箸の文化を日本人の優越性として意識しようとしたところもあるし。
匙の利用は、王家や高級貴族の正式だったこともあるようですが、長屋王の事件、つまり藤原家が実権を握ったあたりから、急速に形跡がなくなっていくし。
むむむっ、これは、なかなかオモシロイ。どうもありがとうございます。

投稿: エンテツ | 2005/09/16 23:20

「下品」とされ「いけない」とされた >

恐れ多くも新聞さんに便乗して書かせて頂きます。ぶっかけに近い例は、汁気は少なくても中国の米の食べ方だと思うのですが、私も他者を区別する為に故意に出来た作法と考えます。朝鮮の銀の匙の利用もそうですね。禅のかゆはまた面白いです。

何れにせよアイデンティティーを確保する為の作法と思っています。両国の文化が遥かに島国より高いというコンプレックスの強かった時代に発達した意識だと想像します。

欧州では、大陸の中ではこのような差異は殆んど存在しないと思うのですが、大陸と島の間ではなにやら似たような現象が幾つか見付かります。

投稿: pfaelzerwein | 2005/09/16 18:40

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