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2005/10/22

選別格付け

おれは文章の書き方については、なにも知らないにおなじで、ああだこうだいえない。しかも、一時30歳のころシゴトの関係で、名高い編集者と評判をとったことがあるらしい人たちが直近上司になったおかげで、文章を書かされたことがあって、ことごとくおれの書く文章はダメをだされ、あいつはダメなやつという扱いをうけたことがある。

そのとき初めて編集者という人種は、どういう価値観を持ったニンゲンかというのを思い知ったのだが、ようするに彼らにとっては対象の本質なんかどうでもよいのだ。グニャグニャした対象の本質にわけいっていくより、気分がよくなる、わかりやすい文章であるならばよいのだ。ま、本質なんていうメンドウなことはいわないでさ、表面うまくやってカネもらえればいいじゃないの、だ。そのくせ「編集職人魂」みたいなのにこだわり、そのコダワリで、たとえ一字でも言葉の使い方におれはおれのイノチをかけて魂をぶちこんでいるんだゾ、妥協は許されないのだゾ、そういうのが編集者なんだゾ、なーんてかっこうつける。どうも始末におえない連中だと思った。

もちろん、こういう編集者は、おれがたまたま一緒にシゴトをするハメになった、そういう人たちだけだろう。おなじ会社には、現在の「雑誌『談』編集長によるBlog」の佐藤さんのように、モノゴトの本質を追及する編集者もいた。いや、あ、そうか、おれはその会社で経営の実権を握ったとき、まずそのおれにダメだしをした編集者で役員をやっていた2人をクビにし、その配下だったカッコイイ編集者たちも冷酷にあつかい、んで、佐藤さんのような優秀な若い編集者を採用したのだった。

本質を考えていないと、いくら表現技巧がうまくても、本質を考えていない無様さがでる、それに気づくかどうかもあるし、それをみっともないと思うか思わないかのちがいもある。日本人は、見た目を気にする人種だとよくいわれるが、ほかの人種だって見た目を気にする、タテマエとホンネのつかいわけだって日本人だけじゃない。ただ、見た目といっても、色も艶もカタチもあるわけで、タテマエとホンネといってもTPOがあるだろう。

ああ、なんの話だ? そうだそうだ、色艶は本質に深く関係する場合があるが、カタチは本質とはほとんど関係ないことが多い。って、野菜のことだけどね。でも、日本人は見た目のなかでもカタチにこだわる。これでずいぶん無駄というかロスが出て、それは結果的に、そういう選択をする消費者の負担にかえるのだけど。最近の生産現場を知らないから、どのようなシステムで野菜の格付け選別が行われているかわからない。かつては、そのコストだけでも、生産のばかにならない部分を占めていた。とにかく、「選別格付け」だか「格付け選別」が、行われる。

この「選別格付け」という考え方というか方法は、さかのぼると、第一次世界大戦に確立したらしい。もちろん欧米での話。ちょいと何に書いてあったか探したけどわからないから記憶だけで書く。もとは軍事用語なのだ。負傷者を負傷のていどによってグループにわけて、助かる見込みのない重傷者として「格付け」られたひとは放置された。

その戦場で勝つため負けないために考え出された方法が、平和時のマネジメントにも使われ、見た目の悪い疵物の野菜は重傷者あつかいで畑に放置される。野菜だからよいだろうということかも知れないが、モンダイは、見た目を気にするあまり、こういうことに平気になり麻痺し、日常あらゆる場面で行われるようになったことだ。平時が戦時であるかのような錯覚をおこさせる、「経済戦争」だの「異常事態」だのといった言葉がふりまかれることもある。いつのまにか戦時の論理が平時の論理になる。生身の人間を格付けし、簡単にダメだしをする。見た目だけ気にして本質を考えないクセがつくと、そういう現状麻痺に陥る。

もっとも、いま日本はイラクと戦時の状態にあるけど、それについてはあまり自覚されていないようだ。

ま、どうでもよいことだけどね。

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