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2005/10/11

悩ましい嗜好品

9月30日の「酒税撤廃の主張」は冗談ではあるけど、しかしやっぱり本気でもある。考えれば考えるほど、酒やタバコを嗜好品として特別扱いにするのは、課税のためのインボウであるように思えてならない。ビールの税金30数パーセントなんか高すぎ。ビールがゼイタク品だった戦前の感覚じゃないのかあ。

そもそもナゼ、酒やタバコを嗜好品などというようになったのか。ということが、ここんとこ気になって、無関係に「徒然草」や「方丈記」「歎異抄」までさかのぼってしまった。そしてフトなんの関係もありそうでなさそうな「快食教」を思い立ったのだが、「嗜好品」なんていう言葉は、「趣味」と同じぐらいロクデモナイ言葉だと思い出している。

最近は禁煙が禁煙ファシズムといわれるぐらい干渉的でウルサイものになっている。喫煙者にしても非喫煙者にしても、賛成反対ガチャガチャやるのを機に、日本人にとって嗜好品とはナンなのさ、から問い直す必要があるように直感した。

で、googleで嗜好品を検索したら。「はてなダイアリー 嗜好品とは」があった。とりあえず見たら、そこには「栄養のためでなく、味わうことを目的にとる飲食物。酒・茶・コーヒー・タバコなど」とあるじゃないか。ぐへぇぇぇぇぇ・・・・・・・・。なにを根拠にと思ったら、リンクがあって「goo国語辞書「嗜好品」検索結果より」とある。これは比較的世間一般の嗜好品感覚だろうか。そして「栄養のためでなく」ということが、ヒジョーに、ひっかかる。

嗜好品でも栄養があるぞ、と言いたいのではない。人間というのは、栄養のために生きているのではないということが深く考えられることなく、栄養が大事ダイジという惰性的栄養万能主義、金銭万能主義にも似た栄養で健康万全人生シアワセという偏見を土壌にして、このような嗜好品に対する考えが広まったのではないかと感じるのだ。その精神貧困が、すごく気になるし、であるから、居丈高な禁煙の主張に、ファシズム独特の精神貧困を感じるのかと納得もした。

念のため、おれはタバコを吸わない。ああ、いまのように嫌煙ファシズムがはびこる前、1987年の9月で、高校生のころから吸い続けたタバコはやめた。でも、そばで吸っているひとがいても平気だね、どうぞどうぞだ。喫煙車両にも乗る。

まあ、そういうわけで、人生は快食ですよ。

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コメント

トラックバックありがとうございます。日本は「 ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける」なんてシャレたことをいう坊主を生まなかったわけでして。坊主あるいは世捨て人は、求道的禁欲的な話ばかり。そのことが、イロイロ後世に影響しているような気がします。

ちょいとイロイロ気になる飲食の現象をツレヅレなるままに考えてトツゼン思いついたことをソコハカとなく書き散らしているだけのブログですから、あまりホンキじゃないのですが。

現在でも「隠遁趣味」というのかな、ようするに世捨て人的に、あまり世事にはかかわらず趣味的に生きたい、というのかな。そういう意味で、「衣食住事足りて隠遁趣味に走る」というかんじ。コレは「貴族趣味」と裏返しの関係であるような。そういうワク組みのなかでの「飲食エッセイ」が多い。

ま、食文化というのは、デレデレと古い考えや好みが残っている分野だから、おまけに日本は、ほんのこのあいだまで、「貴族制度」の国だったわけで。

どうしてもブンガク的権威である、というかブンガク的権威によって権威になった、源氏物語や枕草子、徒然草、方丈記の影響はぬきに考えられない。

「嘆異抄」と字を誤って書き直しましたが「歎異抄」。これは、「徒然草」や「方丈記」を読んでいたら一緒に収録されていたので初めて読みました。グウゼンにも、この三者は世捨て人、しかも出自は貴族ではないが貴族社会である。そして、世捨て人になってからの社会との関わり方はズイブンちがう、そのちがいがその作品にもあらわれていてオモシロイ。

「徒然草」や「方丈記」の著者は、なにをどう食べていたかわからないけど、当時は動乱と飢饉のただなかなのに、食の苦しさは伝わってこない。当時としては、けっこうよいものを食べていたのじゃないか。「歎異抄」は禁欲的とはちがう、親鸞って妻子もいて食うのに苦労が多かったのだろうなと思わせる。

とまあこんなわけでして、これが酒税とどういう関係にあるんじゃ。ってあたりは、まだわからないのですが。なんか関係ありそうで。ボチボチ、当ブログで書いていきます。よろしく~

投稿: エンテツ | 2005/10/12 07:40

衣食住事足りて何とかと云うやつですね。

「栄養のためでなく、味わうことを目的にとる飲食物」-これも一寸現状とは違うような解釈。

「人間というのは、栄養のために生きている」-「夫婦は生殖活動の為にある」と同じですね。

「嗜好品でも栄養があるぞ」-と主張していて、「酒だけで栄養補給したお医者さんは直ぐに死んだ」と友人の外科医は話していました。近似・反例をTBして置きます。

すると、「徒然草」や「方丈記」「嘆異抄」での定義が現代まで生きているという事でしょうか?毎朝、お神酒でお祝いといきたいものですが、如何でしょう?

投稿: pfaelzerwein | 2005/10/11 22:29

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断食の40日間 −ビール {/note/} 2004 02/26 編集 中世カトリックの断食は、1491年に法王ユリウス三世によって緩やかなものになった。それ以前は、乳製品や卵も「流体の肉」として扱われていた。肉を絶つ事は、キリストの死を思い起こさせ、禁酒並びに禁欲と合わせ精神的な贖罪の日々を意味する。茶もコーヒーも無い時代、生水も衛生上飲料不可であった。修道所では、断食の期間も灰の水曜日と聖金曜日を除いて一日に一回の�... [続きを読む]

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