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2005/11/30

この細木数子の発言はジケンではないのか

共同通信社 細木さん発言に抗議 鶏卵「薬でつくられる」

 人気占い師細木数子さんが、フジテレビのバラエティー番組「幸せって何だっけ」で発言した内容をめぐり、「現実と違う内容で、鶏卵への不信感を生んだ」として、日本養鶏協会など11生産者団体がフジテレビに抗議していたことが、30日までに分かった。
 番組は11日に放送され、細木さんは鶏卵について「24時間明かりをつけて、1羽あたり1日2、3個産ませている」「ほとんどが薬でつくられている」と述べた。
 日本養鶏協会によると、放送後、養鶏業者から同協会へ「卵の売れ行きが落ちた」「誤解をただしてほしい」などの声が殺到したという。
 このため、団体側は(1)鶏を眠らせていないわけではなく、24時間という表現はおかしい(2)1日あたりの1羽の産卵数は1個で、3個も産卵することはない(3)飼料は薬事法で定められた基準を守っている-として、回答を求める抗議文を28日に提出した。

asahi.com 細木数子さんの発言、養鶏協会が抗議 フジテレビに
2005年11月30日09時28分

 フジテレビのバラエティー番組「幸せって何だっけ」での占師細木数子さんの発言をめぐり、日本養鶏協会などが「鶏卵生産の現実と背離した科学技術論的にもあり得ない内容で、鶏卵への不信を誘発した」として、11養鶏関係団体の連名でフジテレビに抗議していたことがわかった。
 問題の番組は11月11日に放映され、細木さんは鶏卵の価格について安すぎると批判。それを可能にしている大量生産の陰に(1)養鶏場では24時間明かりをつけて夜もない状態にして、1羽の鶏に1日あたり2~3個もの卵を産ませている(2)鶏卵をはじめ食料のほとんどが薬でつくられている――といった状況があるとの持論を展開した。
 しかし、日本養鶏協会によると、照明の点灯時間は14時間前後で、1日あたりの産卵数も通常は1個。3個産卵する鶏は存在せず、抗生物質などの薬物は薬事法で定められた使用基準を守ることによって、鶏卵の安全性が確保されている。
 同協会の島田英幸・専務理事は「食の安全・安心への関心が高まる中、消費者を惑わし、鳥インフルエンザの発生などで生産者が抱える不安を増幅させた点は看過できない」と指摘。細木さんの発言を放送した理由を尋ね、今後の具体的な対応について回答を求める書面を28日、フジテレビに提出した。
 フジテレビ広報部は「抗議は真摯(しんし)に受け止めており、一部の関係者にご迷惑をおかけしたことはおわびしたい。抗議への対応は現在、協議している」、細木数子さんの事務所は「対応はフジテレビに任せている」としている。

引用、以上。産経新聞のWebにも、朝日とほぼ同じ内容の記事がある。

生産者や製造者や販売者のウソ、つまり不正や偽装や不正確な発言に、マスコミは大騒ぎをする。この細木数子さんの発言は、日本養鶏協会の主張が事実とすれば、生産者や製造者や販売者のウソと同様に扱われなくてはならない。食に関する情報をゆがめるジケンとして、まったく同じではないか。

もし細木数子さんが事実を把握してないまま、このような発言をしていたとしたら、その影響力からみて、そして実際に被害が出たようであるが、社会不安を掻き立てる「騒乱罪」に匹敵する、とんでもない行為として糾弾されなくてはならない。マスコミは、弱小の浅田農産を自殺倒産に追い込んだような「正義」をここでも発揮し、真相を追究すべきだ。視聴率を稼げる有名タレントだからといって、手をぬくんじゃねえぞ、有名人のいうことだからジケンなのだ。細木数子さんの発言は、いったい、どこでどういう事実を把握したうえでのことなのか。

社団法人日本養鶏協会の抗議文
http://www.jpa.or.jp/news/item/2005/11/28/besshi01.html

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渋谷 韓国料理 道玄坂清香園

そうそう、まだ李さんのことを書いてなかった。いや、一度書いているが、初めてお会いした方なので、名前をのせてよいかどうかわからないし、ふせたままだった。

7月16日「新宿で始発電車」と19日「新宿で始発電車 その後」に登場している方だ。おれの本を読んで、メチャ感激いただいている方で、まさにこの日は感動の出会いだったね。ジジイ二人で、いつまでも手を握り合って。

のちにわかったのだが、この方は「渋谷 韓国料理 道玄坂清香園」という有名店のオーナーで李さん。ここで紹介させてもらっても差し支えなさそうなので、本日ただいま登場「李康則の独り言」。昨日の「合い言葉は李さん大好き=なんのこっちゃ」を見ると、李さん、この年末はブログ読者に大サービスをするらしい。
http://leemadan.exblog.jp/2025772/

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2005/11/29

世界のホットドリンク

11月24日「ああ、「食品商業」で連載、こわ~」で書いたように、12月15日発売の月刊「食品商業」(商業界)1月号から連載が始まる。編集部からいただいた初回のテーマは、「「食の豊かさ」ってなんですか」。きのう校正を終えた。400字6枚、B5見開き2ページ、まるごとおれの持論。ってえことで、見てちょうだい。次回2月号は年末進行で、この1月号発売日が原稿の締切日だ。テーマは、おれは反対だったが成立この夏から施行された、食育基本法に関することだ。書くぞっ。

「「食の豊かさ」ってなんですか」には、朝の一杯のお茶について、チョイと書いている。お茶は、ガキのころから日常のホットドリンクだ。いまでも、お茶を毎日飲む。めったにやらないが、めしの前は煎茶、めしのあとはほうじ茶というのが、なんともゼイタク。

昨夜は中野で、ひさしぶりにYADOYAのスタッフとホットドリンクをやったが、おれの日常のホットドリンクというと、お茶のほかは、燗酒と焼酎の湯割りだね。

おれはそんなアンバイだが、世界中のひとが日々ホットドリンクを楽しんでいる。それが毎日の生活のリズムなのだ。そしてそこに、お国柄というか風土や文化があらわれる。

そういう楽しい世界のホットドリンクをまとめた本が、プチグラパブリッシングから刊行された。タイトルは『世界のホットドリンク』で、編集は高野麻結子さん。先日、彼女から、この本をいただいた。編集にあたって、日本にいる外国人に取材して、それぞれのホットドリンクについて聞きたいということで、外国人にネットワークのあるYADOYAが協力したのだ。奥付の編集協力には、YADOYAのスタッフの名前ものっている。本文には、このブログにも何回か書いた、オーストラリア人も登場している。彼の母国はアルゼンチンなのだが、そこのマテ茶「マテ・コシード」について語っている。

じつに、いろいろなホットドリンクがある。ホットウイスキーもあるぞ、アルコールをつかうというと、アイリッシュコーヒーもある。まえは、ときどき知人がやっている喫茶店でアイリッシュコーヒーを飲ませてもらった。知人に、いつも「あんたのはウィスキー濃い目ね」といわれながら。うまかったね~。

ルーマニア人が語る子供のころのホットドリンクの思い出は、卵と砂糖入りのホットミルク。それが日常だけど特別だったのは、配給だったからだ。といった話もある。

いまや日本人は、日本のお茶だけではなく、世界中のホットドリンクを飲んでいるようだ。日本人から見ると、外国のものは、おしゃれ~、かっこいい~、ということになるかも知れないが、彼らにとっては日常である。

ま、とにかく、『世界のホットドリンク』を、ご覧あれ。いつも本づくりに全力投入の高野さんらしい編集で、見ているだけで楽しい。もちろん、レシピつきだから、つくって飲めるよ。

プチグラパブリッシング『世界のホットドリンク』
http://www.petit.org/editor/064/
YADOYA ゲストハウス
http://www.cheap-accommodation-tokyo.com/

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2005/11/28

「日刊?ごはん主義のすすめ」を見よう

ザ大衆食のサイトの「ヨッ大衆食堂」からリンクをはってある、米屋のくりや㈱さんの「大衆食堂へ行こう」がある。
http://www.kuriya.jp/syokudo/

最近まで気がつかなかったが、「日刊?ごはん主義のすすめ」というブログもやっている。これが、くりやさんの営業の方々が書いていて、オモシロイ。出張先で入った大衆食堂なども、のっている。当ブログにリンクもいただいている、ありがとうございます。「日刊?ごはん主義のすすめ」を見て、力強く、コメのめしを食べよう!
http://blog.livedoor.jp/okomekuriya/

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おれはトシなんだからさあ

あのね、酒を飲もうっていう誘いは、うれしいよ。
でもさ、おれはね60過ぎているの、62、かな?3? ま、そういう状態なので、そこんとこを忘れないでね。

最近は、自分の子供か、それ以下の連中と仕事したり飲んだりすることが多いわけで、今日も、というかもう昨日か、お誘いがあって、でも、ホント、この年末はタイヘンなんだよ、日程調整すらうまくいかないんだよと言っても、「大丈夫でしょう、飲んじゃえばなんとかなりますよ」って、そりゃオメェ、前にこっちがいったセリフじゃないか、それはトシとったもんが若い元気なものに言うことであって、年寄りは、なんとかならねえんだよ。このキーを打つスピードだって、あんたらのようにはいかないし、へらずぐち叩くのもあんたのようにいかないし、ああ、えーと、ほら書こうと思ったことはすぐ忘れるし、目は見えなくなるし、って、きのうそういえば飲んでるときに、「めくらめっぽう」という言葉つかえないという話があったな、「ホリエモン」は何をほるんだ、じゃあ片方に「ホラレモン」がいるんだな、とかさ。

そういうわけで、どーか、おれがトシだってこと、シルバーシートの権利がある人間だってことを、お忘れなく。

でも、こう書いたからといって、誘うのやめないでね。誘うだけさそってね。約束ができないってこと。そこんとこ、ひとつ、よろしく~

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2005/11/27

東京に働く人々

昨夜はBOOKMANの会だった。バカンスに関する歴史やアレコレ、なかなかオモシロイ発表だった。BOOKMANの会は、ほとんどが本づくりや販売に関わっている本好きの人たちで、こういう人たちは、なんでもよく知っているし、それぞれ自分のシマを確立している。だから、集まりも2,3年になってくると、タイクツや不満で、出席するのもメンドウになって、なにか新しいことをやろうとなる。いまがその時期のようだ。ま、おれの場合はライターとして本に関わる以外は特別な思い入れはないし、あまり本を読まないバカだし、ズボラでノンビリだから、なんでもどうなろうとオモシロイ。

その話しはともかく。

『東京に働く人々』(監修・松島静雄、編者・石川晃弘・川喜多喬・田所豊策、法政大学出版局、05年11月18日発行)を図書館から借りて読んでいる。

東京神田神保町の書肆アクセスで、「東京者(とうきょうもん)」というブックフェアを12月3日までやっている。これは、青柳隆雄さん、南陀楼綾繁さん、堀切直人さんの3人が選んだ「東京本」をそろえて販売するというものだ。そのカタログを先日、書肆アクセスの店長畠中さんにいただいた。

これは、トウゼン、その3人の好みの選択であるから、それはそれでよいのだが、「東京本」「東京人」という言葉が踊るとき、そのワクからいつも抜け落ちている東京をかんじる。今回も、また、なのだが、ま、文学的虚構の東京も、コンニチの東京の一面なのかも知れない。

今回のカテゴリーは、「浅草」「まち」「ひと」「時代」という分類であるが、リストアップされている本を見ると、やはり、たとえば東京南部に関わる本や作家は、ほとんどない。蒲田生まれ育ちの、だが浅草イメージの小沢昭一さんが、関係あるといえばあるぐらいだろうか。

かつての浅草の繁栄から現在の東京の繁栄を支えた「東京に働く人々」が、どうやら「庶民文化」という観念を通してはみえるようだが、かなり希薄な存在になっているのではないかと思われるのだ。あるいは、「南部労働者」や「葛飾労働者」を、「アカ」とみる偏見の伝統が、まだ根深くあるのだろうか。

しかし、浅草を語るとき、そこに憧れ慰めを求めた南部労働者や葛飾労働者、また荒川をこえた埼玉になるが川口周辺の労働者をヌキに語られること自体、おれとしてはフシギだ。とても偏った「東京観」をかんじるし、「東京に働く人々」への無関心をかんじる。

ってえ、ことで、小関智弘さんの『春は鉄までが匂った』(ちくま文庫)を、おれは「東京者」の本として、加えたい。帯に「町工場に生きる心意気」とある。

いきなり話がそれてしまった。この『東京に働く人々』を、借りてきたのは、新刊コーナーにあったそれをパラパラ見たとき、つぎのような文章が目にとまり、オモシロイと思ったからだ。これは、「営業職の労働時間問題」でサービス残業が多い実態を分析してのもの。

「正邪の判断を別とすれば、営業職の「サービス残業」の実態はある程度似通った状態になっているのである。これは基準法の精神からみれば問題だが、サービス残業は大企業などでも常態化しているとの指摘もあるのだから、一種の日本的な「文化」を形成してしまっているともいえる。あるいはそれなりに公平感だけは実現しているので、いわば「社会的」安定を保っているともいえるかもしれない、などと皮肉も言いたくなる結果ではあった。」

この本は、「労働現場調査20年の成果から」と副題にあるが、東京労働研究所が創立の1978年4月から廃止の2001年3月まで23年間の調査研究活動をまとめた。ようするに、東京の暮らしの根っこのところが、みえるのだな。

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2005/11/26

小泉武夫『ぶっかけ飯の快感』

南陀楼綾繁さんの「ナンダロウアヤシゲな日々」11月24日に、こんなことが書いてあった。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20051124

9時起き。10時半に出て、銀座へ。〈旭屋書店〉に寄ったら、小泉武夫『ぶっかけ飯の快感』(ビジネス社)という本が目に付く。このタイトルはエンテツさんの『ぶっかけめしの悦楽』とものすごーく、よーく似ている。パクリに近いと云ってもいいほどだ。タイトルのバリエーションは限られているとはいえ、もう少し、なんとかアレンジできなかったものか。

ホホウ、ま、名前だけで売れる有名人は、やりたい放題書きたい放題だからねえ。名前だけで買う人が多いからなあ。もしかすると、この本が売れて、おれの本もひきずられて売れないか? なーんて、アマイことを考えたりして。うふふ、この本が売れて、おれの『汁かけめし快食學』は絶版になるかもね。シクシクシク。『ぶっかけめしの悦楽』の出版社は倒産してしまったし。シクシクシク。出版社にとっては疫病神のおれ。


ビジネス社のホームページを見たら、こんな案内が。
http://www.business-sha.co.jp/

■小泉武夫の最新刊■

ぶっかけ飯の快感

A級保存版のBCD級グルメ

A級グルメばかりが氾濫する世の中ですが、安くて旨くて実益のあるB級からD級の世界は、とにかく楽しいものです。「ぶっかけ飯の快感」を味わった人は人生に新たな楽しみが増えるでしょう。本書を台所の脇に置き、楽しく実益のある食事をしてください。

【本書の内容】
 はじめに
 第一章 ぶっかけ飯・丼の快楽 
 第二章 ご飯もの(炊き込みご飯・寿司・茶漬け)の快味
 第三章 前人“味倒”の鍋物
 第四章 絶品の麺類・汁物
 第五章 “廉味求唇”の納豆・豆腐
 第六章 佳品の魚料理
 第七章 佳味の肉料理
 第八章 秘技ア・ラ・カルト 


以上。ま、こういうことです。やれやれ、はあ、ふう、「下流社会」マーケティングだろうか、なんだか切ないねえ。

おれはおれの山に登る。
あっ、おれはおれの道を転がり落ちるの間違えだ。

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2005/11/25

オーシャンウィスキーは、どうなったの?

0412hakone_osyan
やははは、こんな写真が出てきたぞ。画像をクリックして見てくれよ、オーシャンバーだぜ。むかしはな、トリスバーだけじゃなかったんだぞ、ニッカバーもオーシャンバーもあったのさ。

しかし、オーシャンウィスキーは、どうなったの。10年ぐらいまえは、とにかく安いんで、飲んでいた記憶があるけど、最近は酒売場で見かけないなあ。

このオーシャンバーは、去年の12月、まもなく一年になる、箱根湯本の路地裏を歩いていて見つけた。路地裏歩けば、レアモノにあたるってわけで、アタリだったねえ。

昼間なので、営業しているのかどうか、わからなかったけど。とにかく、オーシャンウィスキーの看板のバーなんて、レアものじゃないかい?

はて、都内でオーシャンバーというと、どこに入ったことがあったかなあ、思い出せない。

おおっ、検索したら、銀座に「オーシャンバー クライスラー」ってのがあるぞ。安物ウィスキーのバーにしては、なんてレトロかつ重厚な雰囲気。どうやらオーシャンウイスキーのスペシャル オールドが400 円で飲めるらしい。
http://www.ginzanoyoru.com/shopinfo/35717098/35717098.html

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埼玉県毛呂山町 美晴食堂

ひさしぶり、今月に入って初めて「ザ大衆食」を更新し、埼玉県毛呂山町の美晴食堂を掲載した。ここは、この夏から、年寄りの病気で何度か行くことになった、埼玉医大病院の前にあるのだ。ま、このガツンな姿をごらんなってくださいまし。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/moro_miharu.htm

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2005/11/24

ああ、「食品商業」で連載、こわ~

ホント、ただでさえアレコレある年末なのに、とくに年末である必要のない、「池林房27周年元気!大パーティー」の案内状が届いた。27年なんていうハンパなそれを12月の日曜日にやるとは、なんていうことだ。しかし、先日、トクサンこと太田篤哉さんに会ったとき「来てね」といわれ、気軽に「ああ行くよ」と言ってしまった。だけど、あのときは、12月だとは言ってなかったぞ。

ま、とにかくトクサンとは、池林房以前からの、トクサンが池林房近くの明治通りにぞいにあった(いまでもあるか?)「もっさん」という居酒屋で雇われマスターをしていたときからのツキアイだからなあ。ツキアイといっても、こっちはカネとられるだけなのだが。ながいなあ。池林房のオープンが1978年10月だそうだから。トクサンのおかげで、どれぐらいのカネをつかってしまったか、ああ、もったいない。ま、でも、お互いにトシだから、行ってあげるか。ほかにも、いろいろイベントの案内があるけど、行けないのがたくさんある。すみません。

それで、12月15日発売の月刊「食品商業」06年1月号から、連載がはじまる。これは、チョイとオモシロイ企画。というのも、毎号編集部のほうでテーマを決め、それについて、おれを含め3人が書くという仕組みなのだ。食品流通業の方、生産の方、そしておれ。いまのところ、生産の方が決まらなくて、1月号は、とりあえず流通の方とおれが登場する。

その流通の方とは、清水信次さん。㈱ライフコーポレーションの創業者(現:会長兼社長)で、日本スーパーマーケット協会を立ち上げ、会長を務めておられる。スーパーマーケット最大手のトップなのだ。そういう方と一緒になんて、こわ~。

初回、なんとか書いたが、どうもスタンスの取り方が難しい。なにしろ食品流通の現場というのは、かなり厳しい世界だからなあ。気楽には書けないが、気楽に書いてしまった。ま、やっていくうちに、ゴシゴシギリギリ鍛えられるだろう。

そういうわけで、みなさま、これは読む価値があります。おれとしては、食品流通業のひとも働き食べる人ということで、フツウに働き生活しているひとを意識して書いている。業界外のひとにも、たくさん読んでもらいたいぐらいだ。

今回のテーマは、「食の豊かさ」です。よろしく~。

「食品商業」の出版社、商業界のホームページ
http://www.shogyokai.co.jp/

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2005/11/23

タマネギフライまたはタマネギ天ぷら

とつぜんよくよく考えると、タマネギ天ぷらは、ガキのころから家でやっていたので食べていたし、大衆食堂のメニューにもあったと思うが、タマネギフライというのは、あまりきかなかったなあ。

「東京裏路地<懐>食紀行 まぼろし闇市をゆく」(藤木TDC・ブラボー川上、ミリオン出版2002年)には、北区JR赤羽駅東口の「大衆酒場 まるよし」のタマネギフライがのっていて、あれは何度か食べたことがあるが。

オニオンリングというのは、あれは、どうなんだ。リングだから輪切りをばらしてリング状で揚げるのだろうが、あれはパン粉をつけたフライなのか? それとも天ぷらなようなものなのか?

ま、どうでもよいことだが、今夜はタマネギをたくさん食べて、酔って考えたけど、わからない。というわけなのさ。

ハムとタマネギを一緒にフライにすると、うまそうだなあ。ハムタマフライ。

ああ、11月も20日をすぎた。まずいなあ。

おれが撮影した赤羽の「まるよし」の写真。
http://www.geocities.jp/ed_meshi/sanpo_akabane_maruyosi.htm

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2005/11/22

大決心がいる常夜鍋

ウチではまだ常夜鍋をやったことがない。うまいから何度かやろうと思うのだが、どうもその、大量の清酒をつかうもので、貧乏で酒に意地汚いおれは、その酒がもったいなくてやれない。一升瓶から、ドバドバドバと鍋にあけるなんて、とんでもない! 自分の胃の中にいれたくなってしまう。というわけで、常夜鍋は、いつも招待してくれた知人の家でだけしか食べたことがない。

そういえば、チーズフォンデュ用の鍋もあって、ときどきやっていたのだが、どうしてもそれにつかうワインがもったいなくて、最近ではやってないなあ。どんなにマズイ酒でも、料理に使いたくない。

その常夜鍋、知人は「じょうやなべ」と教えてくれたが、検索すると「とこよなべ」との説もあるね。知人は、土鍋に清酒をドバドバドバといれ(もうそれを見ていると泣けてくる)、豚肉とハクサイをシャブシャブの要領で煮ながら食べるだけだったが、それもいろいろあるようだ。

ということで、うまくてやりたいが、きっとこの冬もやらないだろう、常夜鍋リンク。

日本の鍋料理 常夜鍋(とこよなべ)レシピ ←これは酒をつかわないぞ。
http://www.shufu2.jp/season/nabe/012.html

tarosite.net  常夜鍋
http://www.tarosite.net/2005/11/post_530.html

簡単鍋料理教室 常夜鍋
http://matagi.fr.a.u-tokyo.ac.jp/~nagata/jouya.html

Yumi Blog 常夜鍋
http://blog.goo.ne.jp/yi2004/e/1d65622fe0a003d3a4a602aa7bb88e03

ご飯がまってる 超簡単!白菜と豚の常夜鍋
http://mitsuka.jugem.jp/?eid=107

常夜鍋 キューピー  ←これは酒をつかわないぞ。
http://www.kewpie.co.jp/recipe/dres_recipe/recipe_031.html

常夜鍋(じょうやなべ)レシピ
http://recipe.gnavi.co.jp/recipe/1459.html

サイボクぶた博物館「常夜鍋」
http://www.saiboku.co.jp/museum/restaurant/jouyanabe.html

ぐ~たらおさるの「書きたいときだけ書く日記」 常夜鍋
http://heinrich.main.jp/mt/blog/archives/000304.php

Le Bleu Du Ciel 常夜鍋
http://ciel.xrea.jp/sb/sb.cgi?eid=108

……ま、たくさんあって、それぞれ勝手にやっている。鍋は、勝手がいいね。

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2005/11/21

わが青春の水物語

なんだか、ちかごろのこのブログは、酒といい粘膜といい、水がらみだなあ。というわけで、水について、アレコレ思い出す。高校卒業するまで、いい水で育った。最初はウチの井戸水、のちには町の水道だが、地下水で、なかなかよい水だったし。

まあ、それで、日々の水の思い出というと、やはり、高校山岳部の部活で毎日校外の野山を長距離走りまくるわけだが、夕方学校に帰り着いて、部室の外の水道の蛇口を思い切り開いて、ガブガブ飲み、頭からかぶる、あのときの冷たい水だろうね。

そこで水をタップリ飲んで一息ついて、テニスコートの方を見れば、西山に沈もうとする夕日をバックに、真っ白なテニスウエアを着たテニス部の女子が、まるで小鹿のようにではなくクマかイノシシのようにバタバタとラケットをふりまわしているのが見える青春だったのだ。あの水は、毎日のことだけど、うまかった。

しかし、なぜか、忙しいな。やはり年末か。
それにしても、「ファンド」なんていうが、株ころがし不動産ころがしじゃないか、一昔前の地上げ屋じゃないか。マイクロソフトのゲイツやアップルのジョブスとは大ちがい。こんな連中を日本再生の起業家モデルにするなんて、どうかしているよ。もちろん、こういう連中がいるのは悪くないと思うが、持ち上げたりモデルにする対象じゃないだろ。

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2005/11/20

「粘膜」の再発見

きのう書いた「POLYCENT(ポリセント)」は本文24ページほどの冊子だが、江原恵「カレーライスの可能性について」のほかに、柄元治「さか立ちしたディチャーチン」、小田切来人「節分の夜、鬼はどこへ逃げていくのか」、紙谷正嗣「麻薬と資本」、佐藤邦夫「カラー・アソート研究序説」、玉城素「「粘膜」の再発見」、永畑恭典「空海の経済的基盤は水銀鉱」、久住昌之「またたき手帳」の寄稿があって、どれもオモシロイ。

なかでも、玉城素さんの「「粘膜」の再発見」は、直接「水」に関係し、玉城さんはふれてないが、粘膜は「味覚」にも関係するのでオモシロイ。玉城さんが、このようなことを書いていたのを、すっかり忘れていた。

まず「1、水の意味」で、水と生命の関係について述べたのち、「ここ数千年来の近来の文明は、火を重視し、火(ひいては太陽エネルギーや地表燃料)を利用して、硬質な道具を発達させることに精力を傾けてきたのであるが、今後は水を重視しなければならなくなってきたようである。火から水への重点移行が、来るべき文明の転換を告げる合図となる」と書いている。

最近でこそ、さかんに水の危機とあわせ、これからの戦争はエネルギーをめぐる戦争から水をめぐる戦争になるだろうといわれたりしているが、これは、81年の話である。そして、玉城さんは戦争ではなく「2、粘膜の性質と役割」へむかい、人体のうちの「粘膜部について、再考察を加える余地が残されている」という。

人体は硬い角質化した表皮部とちがう「内外の水分に柔軟に連動し、反応する粘膜部がある」と。ま、ようするに人体は、ぶよんぶよんした水の塊で、表面部分は硬く角質化し皮膚になったり爪になったりしたが爪の裏や、口腔や外陰部、耳の奥、鼻腔、肛門、ま、ようするに人体の外と内をむすぶアナとか、内臓諸器官や脳神経系、これらは軟らかい粘膜部であり「水と水のあいだの媒介機能を持つといってもよく、生体における水原理の面を掌っているといえよう」

で、ここで、玉城さんの考察は、思わぬところへジャンプする。「私はかねがね、人間行動の基底に「粘膜愛」と「粘膜恐怖」という基本要因が横たわっているのではないかと考え、身近な人びとに話しつづけてきた」とな。ああ、そういえば思い出した、酔っ払うと、そのテの話をよく聞かされたなあ。

おれが玉城さんと初めて会ったのは、これは覚えやすいのでよく覚えている。1973年夏の東京都議会選挙のときだ。おれが所属していた企画会社が自民党のキャンペーンを請け負い、その機関紙「自由新報」の選挙用号外を編集する部屋で、かれは原稿を書きまくっていた。それからまあ、よく一緒に飲んだ。朝まで酒を何度一緒にやったやら。んで、飲んで酔うと、よく粘膜の話が出た。

「粘膜愛」については、オトナには説明いらないだろう。で、しかし、「粘膜は硬質のものに弱い」ここを攻撃されるのは恐怖である。爪の裏に針なんていう拷問、痛そう~。「他人を脅かし、征服し、支配させるためには、相対的に硬質の用具でやわらかい粘膜に打撃・攻撃を加えるのがもっとも効果的である」。「さらに、食物・水・大気等は内臓諸器官の粘膜を通じて摂取され、生体を維持するものであるから、その良否に関して人間は絶えず一喜一憂せざるをえない。これを「粘膜欲望」といってもよい」

モンダイは大脳という粘膜部だ。ここは、その愛も恐怖も欲望もささえるところだ。そして、ここに硬質な打撃を加えると生命が失われたり精神に異常をきたしたりする。元も子もなくなる。そこでヤンワリと、「無意味とわかる労働を連続してやらせる」「家族に対する危害を暗示する」などの方法で打撃を与える。「ヒロシマ・ナガサキモデルをつきつけて、核兵器による脅迫を行なうことが、国際政治の基本構造となっている。このような手法も、やはり大脳という粘膜部を脅かす原形に発しているといえよう」

さて、結の「4、粘膜再発見の課題」では。「以上に、見てきたように、粘膜が人間の生活史上に占める役割は、きわめて重く致命的である。その再発見は、冒頭にのべた水の再認識の問題ともからんで、人類的な課題となりつつあるように思う」「私のわずかに通じている社会・政治理論の範囲でいえば、人間の諸集団(家族・共同体・企業・組合・民族・国家等)が、内と外をわけるためにはりめぐらしている「目に見えない皮膜」なども、このへんのところをきびしくほり下げない限り、人間社会の真の変革など望めそうにもない。近世日本の劇作家、近松門左衛門は、これを「虚実皮膜の間」などということばで表現している」

うーむ、なるほどねえ、ようするにワレワレは「虚実皮膜の間」で生きているということなのだろう。当時すでに朝鮮モンダイの専門家として名を成していた玉城さんのいうことだから、味わい深い。そうそう、かれは酒を飲んで酔うほどに、鼻水が出るたちで、もう鼻水デレデレ流しながらベロンベロンに酔うわけだな。かれが粘膜に興味を持ったのは、そういう体質も関係しているかもね。ま、とにかく胃や脳の粘膜がドロドロになるほど、よく飲みました。

味覚も粘膜を通してかんじるわけだけど、これもまた「虚実皮膜の間」のことかも知れない。

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2005/11/19

日本料理の未来史に向って新しい試み

おとといアルシーブ社で、むかしワレワレが発行していた「POLYCENT(ポリセント)」1981年4月の創刊1号を見せてもらい、コピーしてもらった。20年ぶりの「再会」で、さすがに懐かしい。ポリセントについては、6月13日「思えば70年代後半の会社クーデター」に書いた。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/06/70_917b.html

パラパラ見ると、おれが書いた文章もあって、その一つ表3の「日本料理の未来史に向って新しい試み」は、江原恵さんと生活料理研究所を開設したり、渋谷に実験店舗「しる一」を開店したりのことが書かれていて、その時期など記憶がアイマイだったところがハッキリした。これを見ると、研究所の開設と「しる一」の開店は、ほとんど同時にすすんでいたことになる。「しる一」の方は一年遅れぐらいだと思っていたのだが。

81年春というと、おれは37歳か。ま、しかし、あきっぽく転々としたおれだが、この件に関してだけは、しつこくグダグダやっているのだなあ。
ってことで、ここに転載しておこう。


 江原恵が『庖丁文化論』を著わし、日本料理の敗北を宣告したのは約七年前のことである。その時、彼は、「特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド形の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして、根本的に作り変えることである。(略)料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう。」と指摘した。
 以後、江原恵は各地を転々としながら、その持論の研究と実践に取り組んできた。最近では、愛知県刈谷市のはずれで開業した"しる一"の実験があり、マスコミなどでも紹介され、記憶に新しい。
 その彼が、東京に腰をすえ、去る二月に"江原生活料理学研究所"を開設、三月には渋谷に"しる一"を開店した。『庖丁文化論』後七年、彼の持論をかかげた本格的な活動がはじまったとみていいだろう。
 渋谷の。"しる一"では、江原恵の指導のもとで、従来の料理屋料理人ではない、見方によってはズブの素人が、料理をつくっている。街の店、スーパーなどで簡単に手に入る素材を、どうおいしい料理にするかということがテーマで、それがメニューに盛り込まれている。必要以上の「見た目の美しさ」にこだわらず、だし、スープをきちんととり、おいしさを探究することに力を注ごうというのである。また見た目には、洋風のポタージュスープなのだが、塩味には味噌を使用するなど、彼の意欲がうかがえるものが多い。
 とかく、見た目だけ豪華で美しい活造りなどに高い金を払ってしまいがちな、食べる側も考えなくてはならないことがあるはずである。"しる一"へ行って、そんな自分を発見しながら、おいしいものはおいしい、まずいものはまずいと、多くの方から批評してもらいたい。「料理にリクツはいらない、おいしければいいのである」と江原恵は言っている。
 メニューは、九品コース(五〇〇〇円)、七品コース(三〇〇〇円)、五品セット(一五〇〇円)、しる一定食(一二〇〇円)など各種。

しる一
渋谷東急本店前渋谷ジョンクルビル(黄色いビル)二階

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酒漬け

おととい、渋谷のアルシーブ社へ、雑誌『談』編集長と酒の原稿うちあわせ。流れで、酒蔵のルポなどもやるハメに。ただでさえ飲酒の年末なのに、いずれも年内作業だから、こりゃまあどうなるか。えと、40枚ぐらい書くことになるのか?うへー。ま、なんとかなるだろう。それじゃあまずは飲みに行くかと、井の頭線そばの「うな鐵」へ。アチラのブログにも書いてあるが。やばい右や左のダンナさまそれよりやばい中のひとの話をツマミに、ひさしぶりに男山をガブガブ。やっぱりヨーロッパはオトナか、酒もオトナだしねえ。清酒もオトナにならなくてはなあ。ま、とにかく酒漬け。

そしてきのうは、田舎者の結婚式。シマヘビとってふりまわした、150キロのイノシシを撃ちそんじただの、ワイルドな話をつまみに、シャンパン、ビール、ウイスキー水割、白ワイン、赤ワインをがぶがぶがぶ。しまいにはウエイターが残りそうな酒をおれのところに持ってくるので、とんでもなく飲むハメに。酒飲むのも疲れる~

年内原稿はないだろうと思っていた連載が新年号から始まることになり来週中に書く、ま、なんとかなるだろう。テーマは酒とは関係ないが、編集者は酒好きの大酒飲みだからね、すごいことになるぞ、って。

まあ、なにかと酒漬けの年末ですなあ。思い出したのだが、毎年一回新年会をやって飲むオオタクンとの新年会、今年はできないうちに年を越しそうだ。そうなったらスマン。来年早々最優先に2、3年分まとめてやりましょう。

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2005/11/17

マザーウォーター 酒と水の話

きのう書いた、『マザーウォーター 酒と水の話』(酒文化研究所編、紀伊国屋書店)は、2003年発行1200円。それを、おととい西日暮里へ行ったついでに、古書ほうろうで630円で買った。手軽なブックレットのようなつくりで簡単に読める。んで、ごく基本的な、なるほどナの話がつまっている。

ワインをのぞくたいがいの酒は、それを得るために、かなりの量の水を必要とする。貴重な「命の水で」ワザワザ酒をつくって飲んでいるわけだ。そこで、株式会社酒文化研究所の山田聡昭(としあき)さんは、「水を飲む文化と酒」というタイトルで書く。

以下引用……

このように、いま、酒と水について語ることには、生きるために必要な水の確保が危うくなりつつあるという前提がある。ただ、振り返ってみれば水資源が潤沢で容易に利用できた時代や地域はごく限られ、それでも人は酒を飲み続けてきた。なぜ、生命維持に欠かせない貴重な水で酒をつくってきたのかを考えることは、人はどんな幸福を求めたのかを考えることでもあろう。

人が一日に必要な水分は二~三リットルという。これを水をそのまま飲んだり、他の飲みものや食事のかたちで補給する。きちんと調べたわけではないが、水をそのまま飲む文化をもつ日本ですら、現在は水分の大半を水以外の飲みものから得ているように思う。
水そのものよりも渇きを癒す飲みものがあるという視点、水以外の飲みものによる水分補給のほうが多いという視点を得ると、文化的な渇きとそれを癒す飲みものがきわめて大きな役割をはたしていることにたどり着く。文化的な渇きとは、たとえば喉が渇いていなくとも「お茶でも飲もうか」とか「ちょっと一杯やっていくか」と言うときの感覚だ。このとき飲むのは酒や茶であって水そのものではない。水ではどうにも具合が悪いのだ。とすれば「お茶でも飲まない」という時に、癒したいのは生理的な渇きではない。それは文化的な渇きとでも言えるものであろう。

……引用オワリ
というぐあいに、山田さんは、ふたつの「渇き」について考察している。

カネだって生理的な生命維持に欠かせないし、生命維持のための十分なカネもないのに、毎夜酒に溺れるニンゲンがいる。いやあ、その酒すら節約し、本を積んで活字読んで生きているニンゲンもいる。

つまり、ニンゲンは文化的な生命体である。文化的な渇きを癒すことをしなくては、生きていけないのだ。なのに、生理的な維持だけのために汲々とし、あるいは嬉々として、タバコはダメ、酒に溺れるヤツはバカ、あの食品は脳がいかれるからダメこの食品は長生きできるからヨイ、と干渉したりするのは、動物的な生理的な低レベルなニンゲンの小さな親切大きなお節介、なのでしょうな。

文化的なニンゲンとして、ないカネで、楽しく飲み食いしましょうね。
今夜も、飲むぞ~。
なんせ、おれは高度に文化的なニンゲンなものでね。がははははは

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2005/11/16

「メッシュ」な文化

「メッシュ統計」とよばれるものを、マーケティングの現場で広く活用するようになったのは、80年ごろからという記憶がある。いまではさまざまなプランニングの分野で、かなり広範囲につかわれているし、自分でつかっている意識はなくても、メッシュな見方や考え方は、どんどんフツウになっているような気がする。たとえばピンポイント天気予報などは、メッシュな見方を極端に小さな点に近づけたものだろう。

しかしなんでも、何かを選ぶことは何かを捨てる関係が生じやすい。「メッシュ統計」というのは、地球や国土の表面を緯度と経度のマス目で切ってみるわけだけど、そのメッシュの一つ一つにデータがつまっている。モンダイは、何が気になるかというと、メッシュな見方というのは、ある種のテーマの対象になっているメッシュだけを使うわけだ。たとえば、何か新しいモノを売ろうとする場合、まず大雑把なメッシュ統計で、対象にならない地域ははずされてしまう。それは経済的に、あるいはマーケティング的にそういうことになる。しかし、実際の生活は、空はつながっているし、川もつながっている。道路も鉄道もつながっている。東京などは、東京を包括するメッシュをはるかにこえて、日々の水や食糧などが調達される。

が、ものごとの仕組みは、だんだん自分のメッシュのなかを見ていればよいようになっている。しかも、そのメッシュは、どんどん小さくなり、プランする側も対象の家の中での過ごし方や嗜好まで把握するようになり、そこに心地よいモノや情報をあたえると、対象はより小さいメッシュのなかで、きわめて高い満足を得て、他のメッシュのことなど、まったく考えないし理解する必要はない、交渉などもつ必要がないほどになる。たとえば、自分がいるところ行くところのピンポイント天気予報だけ見て、全体の天気図など理解する必要はない。

ひとの多いメッシュほど、そのような政治や経済やマーケティングのプランの対象になる。また近頃のプランは遠くにばらついているひとまで、テーマによってある地域のメッシュに集中させる方法がとられている。悪い言葉でいえば、プランする側の都合のよいメッシュに、人びとは運び込まれ押し込まれ効率よく処理される。学校・予備校や病院・医院など、あるいは大規模小売施設とか。

そのとき、捨てられたメッシュは、いらないかというと、そうではない。やはり全体として成り立っている生活が、かなりあるのだ。それは水のモンダイを考えると、イチバンわかりやすいと思う。しかし、とくに大都会の人びとは、自分のメッシュのなかでの健康や安全しか見ないし考えないし、またそうであるからマスコミなどの情報のあたえかたも、それに即したものになる。ある特定なコトやモノについて、ものすごく細かく知り気にする一方で、基本的な大きなことに無関心である、大きなメッシュを考えられない、というような状態が生まれる。そして、あるとき食べ物に対する小さな細かい不安が、一気にエコロジーというアイマイな正しそうな主張に飛躍する。そこでは、なかなかリーズナブルな見方や政策が生まれない。不安や感情だけが、もつれていく。

そういうわけで、タイトな考え方や方法がフツウになり、いっぽうで捨てられ排除されるものがふえる。不寛容なメッシュが、どんどん増殖する。

ま、どうでもよいことだけど、なんとなく、そんなことを思ったのです。

『マザーウォーター 酒と水の話』(酒文化研究所編、紀伊国屋書店)に、石川次郎さんと近藤サトさんの対談があって、近藤サトさんが、こんなことを言っている。「今の時代は、酒に溺れるとカッコ良くないどころか信用を失うと思うんです。それくらい社会はスマートじゃないものにたいして不寛容になってきていると思う。」

総務省統計局 地域メッシュ統計
http://www.stat.go.jp/data/mesh/

メッシュ天気予報
http://weather.cafesta.com/

基準地域メッシュ
http://www.biodic.go.jp/kiso/col_mesh.html

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2005/11/15

連夜の岡山酒、「池田候」のち「竹林」

昨夜は西日暮里の「竹林」で、食品小売専門誌の編集者コンドウさんとタップリ飲んだ。いちおうシゴトの話で会ったのだが、コンドウさんはおれよりずっと若い30代、そしておれと同郷の新潟県の出身で「酒が好きです」というだけあって、ぐいぐい飲む。いい飲みっぷりで気持がいい。

2人で新潟の話などをしながら、のむ酒は店の名前でもある岡山の「竹林」。前夜、太田尻家で岡山の「池田候」をたらふく飲んだのに続いて連夜の岡山酒だ。いやあ、ずいぶん飲んだぞ。生ビールを数杯のんでから、正二合入った徳利を何本あけたか、最後は、あと一合とかいって、一合徳利にして、そして〆にまた生ビールだ。まったく、新潟県人は、よく飲む。アレコレ食品小売モンダイやBSEモンダイや貧乏労働者モンダイなどをツマミにしながら。覚えている話というと、コンドウさんが、オウムのおかげで都内に安く家を持てたという愉快な話ぐらい。

ま、いいか。

先週の土曜日だが、漫画屋から「レモンクラブ」が届いた。ありがとね~。

「物好き南陀楼綾繁の活字本でも読んでみっか?」は「ヤケクソパワー炸裂平凡新書」の見出しで礫川全次著『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎』。「三角という人物は相当にトンデモだ」と南陀楼さん。ほんと、オモシロイ男だよなあ。おれなんか、三角の『サンカの研究』読んで信じて、五ヶ瀬川の上流、蘇陽町の蘇陽渓谷のあたりになるが、そこにサンカが岩をくりぬいて水をため火で熱した石を投げ込んで風呂を沸かしたあとがあると書いてあったから、蘇陽町でシゴトをしていたころ、そのへんを探してしまったぜ。しかし、三角寛は、サンカで儲けて池袋人生座、文芸座を残したのだからなあ、エライ。

あと「エロ映画監督山崎邦紀の初老男のボッキ時」は「デブフェチピンクの完成間近!?」の見出しで、2800円出して買った本『でぶ大全』に不満ぶちまけながら、「家みたいに太った女! わたしのピンク映画に出演してくれる、そんな女はいないものか?」だってさ。

はあ、イマイチ調子がでないから、このへんで。

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2005/11/14

「酒とつまみ」と古本と太田尻家

きのうは「酒とつまみ」に南陀楼綾繁さんが連載の「古本屋発、居酒屋行き」の取材に付き合うため経堂へ。朝食にパンと酒だけだったので、腹がすき経堂駅前のケンタッキーで1ピースとポテトフライ、駅売店で缶ビールを買って、改札口の前に立って飲み食いしていると、今回のメンバーが揃った。ゲストは荻原魚雷さん。それに来京中の大阪の「貸本喫茶ちょうちょぼっこ」の次田さんと、友人の田中さん、という顔ぶれ。酒つまの大竹編集長は、居酒屋タイムにあわせて来るようだ。

おれも酒飲み要員なのだが、いかに古本に関心ない男がいるかを綾繁さんが書けるように、毎回古本屋からつきあっている。しかし、今回は、チョイと探している本があったので、けっこうマジメに書棚を見ていた。

まずは経堂駅南側の農大通り遠藤書店の支店と、その近くの大河堂?書店、そして駅北側すずらん通りの遠藤書店本店。

おれが探している本といっても、タイトルや著者がはっきりしているものではなく、酒というか「飲酒」についての原稿を書く宿題が出されていて、アタマのなかでチカチカしているものをまとめたいのだが言葉にならない、という状態において探している本なのだ。そして、やはり、そういう本は、あまりないらしいのを確認できた。それはオモシロイことだが、困ったことである、自分でイロイロ考えなくてはならない。しかし、「食うこと」に関する本はたくさんあるのに、「飲むこと」に関する本はガイド本のほかは意外にすくない。酒飲みは、本じゃ酔えないからなあ。

ま、いいかというかんじで、イヨイヨ居酒屋へ。経堂で居酒屋といえば、ザ大衆食のサイトに紹介の「太田尻家」だ。ここでは「酒とつまみ」も販売しているのだし。7時開店で、まだ開店準備中の5時チョイすぎに入れてもらう。まずはビールで乾杯し、みなが買った古本を見せ合いアレコレわいわい、綾繁さんは記事のためメモする。みなが、この三軒の古本屋はとてもよいという。おれはよくわからんから、はあそうかと思う。荻原魚雷さんの収穫物のなかに『囲碁の美学』があり興味がそそられた。囲碁は一時メチャクチャ好きになったことがある。それに、このタイトルにピンとくるものがあった。「喫煙の美学」もあるはずだし「飲酒の美学」もあるはずだよなあ。

あとは、とにかく、飲んだ、食べた。味も好評だった。太田尻家も満員盛況だった。そうそう大竹さんは、ちゃんと、太田尻家で飲み始めたころにあらわれた。でも、ちゃんと、遠藤書店で古本を買ってきた。飲み始めたころ、病み上がりだという荻原さんが、ウコンのクスリのようなキャンデーのようなものを取り出し、これを飲んでから飲むと悪酔いしないという、そこから話しは、悪酔いを防ぐになにが効くか、二日酔いにはなにが効くかということで盛り上がる。イチバン効くのはナントカだと、経験豊かな大竹さんがいう。やはり、かなり詳しい。しかし、そういうクスリもばかにならない値段だ。おれなら悪酔いしてもよいから、クスリに金をつかわずに酒代にするなあ。

しかし、そもそも、そんなに飲まなきゃいいのだが、やはり飲み出せば「浴びるほど飲む」ひとが多いのだ。だから、コンビニには、そのテのクスリがたくさん並んでいる。そうなのだ、そうなのだ、これだよコレダヨ、と、探していた本はみつからなかったが、ヒラメクものがあって、アタマのなかがチカチカしているうちに、どんどん酔いがまわり、なにも覚えていない状態に。

次田さんと田中さんは、そういう話でぐわーっと盛り上がっている最中に、次田さんが新幹線に乗って帰阪する時間であるとかでバタバタと帰り、そして、書肆アクセスの畠中さんが現れ、そのころには、もうとにかく岡山の酒、池田候のおかわりを重ねて、鼻中さんの顔のピントもあわない状態であった。

「酒とつまみ」の次号8号に、この記事はのるのだが、発行は年内校了で来年1月をめざしている、と、大竹編集長はいっていたが、誰も本気にしてないようだった。

ま、そういうことだったように思う。

「経堂系ドットコム」の遠藤書店
http://www.kyodo-kei.com/endo01.html

当サイトの太田尻家
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/ootajirike.htm

大田尻家のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/index.htm

酒とつまみホームページ
http://www.saketsuma.com/index.html

南陀楼綾繁さんのブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/

貸本喫茶ちょうちょぼっこ
http://www.nk.rim.or.jp/~apricot/chochobocko.html

「まちあそび・みみすまし」貸本喫茶ちょうちょぼっこ 次田史季さん
http://machiasobi.ameblo.jp/entry-029cefa43e4d410ec10fa2dfb1e86094.html

書肆アクセスのページ
http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/index.htm

荻原魚雷
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b2%ae%b8%b6%b5%fb%cd%eb

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2005/11/13

発作なメシゴト日記と「日本料理」の政争

当ブログを始めるまえは、niftyのnoteブックサービスを利用して「発作なメシゴト日記」を書いていたのだが、来年noteブックサービスがなくなる措置として、ココログへそっくり移動できる旨連絡があったので、そのように手続きをし、移動が完了した。

左サイドメニューの「バックナンバー」を選択し、なかの2004年4月から以前は、「発作なメシゴト日記」だ。あるいはカテゴリーの「発作なメシゴト日記」を選んでもよいが、2002年12月からのぶんがドドドドドドと出てしまう。

というわけで、「発作なメシゴト日記」時代に書いた記事にもリンクをはれるようになったので、チョイと原稿をまとめる必要から、日本料理の歴史の安曇氏と高橋氏の政争に関する記述をひろってリンクをはった。

ここに書いてあることは、当時の拙い知識であり、ま、いまでも知識は向上してないのだが、いまから見ると自分でもチョイと首をかしげるところがある。しかし、このモンダイは、なかなかオモシロイ。さらに調べることにする。

あらためて「日本料理」の抗争を考える 2005.11.04 ←これは、先日書いたもの
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/11/post_f940.html

うるさいうるさい日本料理の行方 2003.04.16
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_9eda.html

カツオの不思議 2003.04.15
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_e21a.html

グッ安曇氏と高橋氏 2003.04.14
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_d6e1.html

本日は 2003.04.13
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_6595.html

どろんどろん安曇氏と高橋氏 2003.04.10
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_f978.html

おぎゃおぎゃ安曇氏と高橋氏 2003.04.09
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_313c.html

なんでこうなるの安曇氏と高橋氏 2003.04.08
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_cc97.html

こりゃこりゃ安曇氏と高橋氏 2003.04.07
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_7edf.html

そもそも安曇氏と高橋氏 2003.04.06
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/04/post_6dd8.html

高橋氏と安曇氏の対立抗争 2003.03.31
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/03/post_a6ac.html

料理人の祖神の物語 2003.3.29
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2003/03/post_b44a.html

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2005/11/12

「天野祐吉のあんころじい」のモンダイ

きのうのコメントに、天野祐吉さんがブログを始めたと「天野祐吉のあんころじい」のセンデンというか紹介がある。
http://blog.so-net.ne.jp/amano/

この「つぶあん」か「こしあん」かのモンダイは、おれはガキのころから悩まされたモンダイで、じつにオモシロイ。

おれは、故郷の新聞「新潟日報」で「食べればしみじみ故郷」を連載していたときに、このモンダイを書いた。題して「田舎しるこ」。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai_8.htm
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43、田舎しるこ(03年1月6日)

  元日の朝は雑煮とあんこもちだった。そのあんこもちのあんに「つぶあん」と「こしあん」があって大問題になると知ったのは小さいころだ。その年の暮れから父と母は喧嘩をしたまま元日の朝を迎え、あんのことでもめ、それぞれ自分好みのあんを作った。
  幸か不幸か、わたしの父は当時の一家の主としては珍しく器用に、いろいろな料理ができた。そしてわたしは親子の義理から、その両方を食べる羽目になった。
  そのとき「つぶ」と「こし」を自覚した。しかし、そこに味のほかに深い意味があったと気づくのは、ずっと後のことである。とにかく、父は「つぶあん派」であり母は「こしあん派」だった。ついに両者は妥協することがなかった。
  上京して驚いた。雑煮やあんこもちが一年中食べられる店があるのだ。その「しるこ屋」に初めて入ってメニューを見てさらに驚いた。驚いたというより、わからない。
  「あんこもち」はなく「しるこ」と「田舎しるこ」がある。店員に聞いた。「しるこ」が「こし」で「田舎しるこ」が「つぶ」である。わたしは「つぶ」を「田舎しるこ」とよぶのを不思議に思った。ま、いまでも不思議なのだが。しるこ屋によってはわんまで違う。
  あるときひらめいた。父は六日町の農家の次男坊、都会の文化とは縁のない育ちだった。母は東京の大学を出た役人の家庭で、都会風の文化で育った。日常の礼儀作法から違った。そこに「つぶ」と「こし」の意地の張り合いの一因があったのは間違いない。
  わたしは両方を食べて育ったので、いいかげんでどうでもよいが好きな人間になった。しかし、しるこ屋には「あんこもち」の味はない。「しるこ」も「田舎しるこ」も、しょせんしるこ屋の味だ。
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というぐあいで、ここには詳しく書かなかったが、このモンダイは、わが家においては、じつに深刻だった。はやい話が、父は百姓のこせがれ根っからの田舎者だし、母は都会育ちのそれも慶應大学を出たインテリのむすめ。むかしのことだから、めったに結婚が成り立つはずはないのだが、流れ流れた東京でレンアイしちゃったのだ。恋はヒトを盲目にする。それに田舎者は、都会の上品にあこがれやすい。

簡単にいえば、父は下品な田舎風、母は上品な都会風。生活の作法ことごとくちがう。それがうまくいっているあいだはよいが、いったんこじれると、もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで、喧嘩がたえなかった。もっとも、憎むのは、だいたい上品なものが下品なものを嫌い憎むのであって、母は父を嫌い憎んでいた。その象徴的なモンダイが、コレなのだ。

しかし、まあ、であるから、おれが10歳のとき一度離婚し、しかし母は結核の身でおれを抱えて自立できず、一年ぐらいしてもとのさやにもどり。しかしまた、おれが20歳のころ、家出するが手術して片肺のみの身体では仕事がつとまらず戻ることになり。それからは死ぬまで一緒だったが。母は59歳で死に、そのあと父はホッとしたのか84歳まで生きた。もちろん、一人暮しになった父は、つぶあんのあんこもちを食べていた。

それはともかく、おれはその両方を食べ吸収しながら育ったので、じつに上品かつ下品な男になったのだ。

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2005/11/11

小さな親切大きなお世話

いまはどうか知らないが、プランナーのシゴトは、プロジェクトの規模あるいは業務の性質によって、「経営コンサルタント」と一緒にチームを組んだ。おれの場合、よく一緒に組んだコンサルタントで、ズブの素人だったおれに調査の設計や方法の実際を教えてくれたひとがいる。

おれはズブの素人なのに、天性のウソ上手なのか、まず企画会社に広告業務経験者とウソをいって入り、そしてすぐ担当した某大手食品メーカーの市場課とか宣伝課とかで十分な経験者のフリをして、ある新商品の市場開発丸ごと受注した。しかし、最初に手をつけるべき市場調査の方法すら知らなくて、腕のいい市場調査マンを探して出会った。おれが27,8歳、彼はおれより3つ4つ上だと思う。それがキッカケで、おれがコンサルタントを必要とするシゴトをする場合は彼に声をかけ、彼はプランナーを必要とするシゴトの場合おれに声をかけてくれるようになった。

東京もちろん、神奈川、仙台、北海道、四国などで一緒にシゴトをし現場を歩き回った。彼はよく言った。「おれたちのシゴトはさ、大手メーカーやスーパーにとっては必要なことだけど、自営業や消費者にとっては、小さな親切大きなお世話のことがおおいんさ」

ようするに、それぞれがそれぞれの生業や生き方でやっている実態を調べ上げ、あんたはこれでよいと思っているかも知れないが、あんたの経営や生活は、ランクにするとこんな位置で、これじゃあんたマズイよ、貧乏でしょう豊かさを享受してないでしょう不幸でしょう悩むでしょう悩んでいるはずだ、ほらほらココがおかしいでしょ、これはマイナスですよ、こんなことじゃ将来は暗いよ未来はないよ、だけどこうしてみなさい、ほらほらこんなアンバイによくなるのですよ、とか。あればイイかも知れないが、なければないでやりようがあるしやってきたところへ、新しいシステムやスタイルやモノを持ち込む。地域や消費者からお願いされたわけでもないのに、地域を調べ上げ消費者を調べ上げ、ああだこうだ「提案」あるいは「計画」する。これは、なんだかんだありながらも、なんとかやってきている家庭に、おたくにはもっとイイ夫が必要だイイ妻が必要だイイ教育が必要だというようなものだ。これが「小さな親切大きなお世話」だというのだ。

なぜか、イマとつぜん思い出したので書いておく。彼とおれは、そのような話をしながら、トコトン「大きなお世話」なシゴトをしていた。

ちかごろは、ひとの生活をああでもないこうでもない「評論」する、ま、たとえば「下流社会」評論のたぐいも盛んだが、ようするにひとの生活をダシに、イラナイなくてもよいオシャベリをして稼ぐひとがふえているような気がする。「だからどうしたの?」という話が多い。ま、おれもそのように食べてきたのだが。どうでもよいことが過剰になっている。

「ああ、あんたたちはエライよ、でもおれには用がないよ」と、おれと彼はバン屋のオヤジだったかな?に言われたことがある。チマタのオヤジは、いいセリフをはくねえ。「ああ、あんたたちはエライよ、でもおれには用がないよ」

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2005/11/10

無関係、退院とニコゴリ

今日は、年寄りの退院だった。8月から始まった、入院手術騒動は、いろいろなことがあった。入院までの2ヵ月、入院後はバタバタと一週間で手術、術後10日で追い出されるように退院。病院の前の大衆食堂には、3回入った。チョイと離れた駅までの途中に、偶然うまい蕎麦屋をみつけ、2回入って、今日も、たぶんもうしばらくは来ないだろうから食べようと思っていたら、休みだった。

ま、その話しは、そのうちボチボチするかしないか、わからない。思い出したことがあって、忘れないうちに書いておく。

このあいだ「この鍋すてていいの」と同居のツマがいうから、ウッカリ「ああ」と言ってしまった。その鍋は、土鍋で、2日間にわたって、イロイロなおでんとも煮物ともいえるものをした。最後は残った煮汁でサツマアゲを煮てめしにぶっかけて食べて、その汁が底にニコゴリ状で残っていたのだ。トウゼン、それは酒のツマミになるべきものだったが、チョイと何かをやっている最中にきかれたので、うっかりしてしまった。そのことが、しばらく悔やまれた。これから、ニコゴリと燗酒ってのは、いい気分だね。

まあ、やれやれ、そういうことです。

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2005/11/09

「三丁目」を呑む

きのうの続き。といきたいのだが、チョイと昼酒赤ワインをやりすぎて、気分じゃない。

気分といえば先日、葬式の「お返し」についてきた清酒を飲んだら、これが糖類添加で、すごいマズイ。糖類添加でも、もっとうまくやれないのか、と言いたいぐらいマズイ。しかもラベルには「芳醇清酒」とある。「全国新酒鑑評会 多数回「金賞」受賞蔵」とある。これが地元埼玉の蔵で、地元のひとが葬式に使った酒だ。これじゃあ、埼玉の恥だし、清酒の恥だし、葬式の恥だ、と思いたいぐらいマズイ。しかし、これがだね、冷蔵庫でキッチリ冷すと、まあなんとか飲めるんだなあ。ま、最終的には、そのようにして飲み、満足してしまう、低レベルなワタクシなのです。

近代日本食のスタンダードなんて書くと、えらそうだが、ようするに近代日本食のフツウってことだね。フツウを語ることは、難しい、恥ずかしい。特別なもの、特別なこと、特別なひと、そうでないとね。ホラ、男どもを例にすると、美人やブスあるいは才女やバカ女は簡単に話題にできても、フツウの女は話題にするのが難しいわけですよ。

ドコドコのダレダレがつくったものといったぐあいに、ドコドコのダレダレが特別でありアリガタイ存在なら、簡単に語ることができる。恥ずかしさはない。しかし、そうでないものは、たとえば自分の手製の料理などは、「つまらんものですがどうぞ」とかいって差し出す、すると片や腹の中で「つまらんものならだすな」と思ったりする。つまらん話だ。つまらん文章ですみません。そうして、フツウは埋没するのだった。

それは、そもそもの根源は日本語や日本文学の成り立ちにまで関係すると思うが、ともかく、近代日本のジャーナリズムは事大主義権威主義の権化である。「ジケンは、あるもんじゃなく、つくるもんだ!」てな精神が、記者が放火する根底にあるかもなあ。自分のガンを「報道」するジャーナリストもいるし。なにせ「演出」というヤラセに麻痺している業界だからなあ。事大を追いかけていたこともあって、フツウを語ることは、ますます難しくなった。汁かけめしナンテ、あんなもの、ってわけですよ。よく本になったなあ。それは、いつでもそこにありながら、「発見されなければならなかった。つまり、ことばに出されるまで見えなかったのである。」

そのように、3丁目はフツウの庶民の日常の食事でもある。というのが、きのうの「三丁目漂流記」の話だな。もちろん、我田引水の解釈によるとだが。

続いて、海野さんのお言葉の断片拾ってみよう。

以下引用……

《3丁目》は、《界隈》という、境界をはっきり引くことはできないが、お互いにあのあたりとわかるあいまいな地区に属している。ここで、なぜ1丁目、2丁目ではなく3丁目なのかを考えてみよう。1と2は対立関係にある。3はその対立とは別のものあるとともに、2者の対立を仲介する《第3者》である。《1丁目》は街の中心であり、お役所がここにある。《2丁目》は新宿2丁目のように、特に悪所であったりする。《3丁目》は堅苦しくもなく、悪所でもなく、いちばん庶民的で親しまれる界隈なのである。

……引用オワリ
どうも昼酒はだるい。調子が出ないから、海野さんのお言葉の断片を、さらに羅列して、本日はおわり。

「だが、古びた、あやしげな横丁にこそ、発見されるべき、都市の新しい魅力がひそんでいるのだ。」

「《50年代》《昭和30年代》への関心は、荒廃し、汚れて、猥雑な、失われた街への記憶を呼びもどし、現代都市への新しい見方を呼び出した。沈んでいた《3丁目》が浮上したのである。」

この最後のところは、チョイと???だけどね。
ついでに。海野弘さんも東京生まれなのだが。いまハヤリの《50年代》《昭和30年代》への関心は、主に東京生れの人たちによる東京の記憶の掘り起こしであるところが、イマイチだと思う。明治の、上京者の手による『東京学』ほどのおもしろさがない。と思うのは、自分が上京組だからだろうか。謙虚。

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2005/11/08

海野弘「三丁目漂流記」

11月3日「「究極のふつう町」としての千住」に紹介した『三丁目の角』に、海野弘さんがチョイと長めの巻頭エッセイというかんじで、「三丁目漂流記」を書いている。なかなか刺激的な内容だ。

そもそも海野弘さんといえば、デビュー作の『アール・ヌーボーの世界』からして刺激的だった。いまおれの手元にあるのは、1987年初版88年4版の中公文庫版。何度読んでも、イロイロ新しい発見や手がかりがある、リソースフルな一冊だ。なにせ海野さんの文章は、芸術を語るものたち独特の、うすっぺら知識大股広げ観念的陶酔的大口上大上段大台詞がなく、おれのようなバカにもわかりやすいのがいい。これで、ハハア、いま生きている現代ってのはそういうものなのかと、目からウロコがポロリポロリですよ。

なんという偶然。先日6日病院へむかう駅売店で東京新聞を買ったら、読書欄の「私のデビュー時代」に海野さんが登場していた。もちろん書は『アール・ヌーボーの世界』だ。その最初の単行本は、海野さんが20代の1968年だったのだなあ。文庫入りするまで20年ちかくすぎている。で、海野さんは最後に「私はこの本にもどり、埋もれたもの、失われたものの復活という出発点から現代をたどりたい」と言っている。いいなあ。

ああ、それで、『三丁目の角』に海野さんの「三丁目漂流記」がなかったら、しょもない昭和ガラクタ懐古本だったであろうが、やはり海野さんだよなあ。

「《3丁目》というとなにが浮かぶ?」と友人に聞くところから、それは始まる。相手は「そうね、三ノ輪商店街かな。東京の下町、山谷や吉原に近いところ。私はそこで育ったの」……と答える。

以下、引用……

《3丁目》について語ることはむずかしく、恥ずかしい。だから語られず、忘れられてきた。語らなくてもわかるもの、語る必要のないもの、価値がないものであった。《3丁目》は、下町(ダウンタウン)、路地、横丁、オールドタウンなどに関連している。これらのものは、不思議に聞こえるかもしれないが、発見されなければならなかった。つまり、ことばに出されるまで、見えなかったのである。

《3丁目はどのように発見されたのか。その歴史を少したどってみたい。それには2つの山があったのではないか、と私は考えている。1つの山は1920、30年代で、もう1つは、50、60年代である。そして、3つめの山が今、来つつあるのかもしれない。

……引用、オワリ

こ、これは、では、大衆食も、3丁目ではないか。

そして、この2つの山は、大衆食と大衆食堂の歴史に関係する。つまり最初の山は、「大衆」が流行語になり「大衆食堂」の呼称が生まれる時代であり、そして次のもう1つの山は大衆食堂が急成長する時代だ。別の見方をすると、前者は、日本の食生活がモダンに変化しトンカツやコロッケやカレーライスなどの「洋食」が普及する時代であり、後者は、その変化が定着する時代、ともみえるか。

とにかく、イマ大衆食や大衆食堂を考えること語ることは、ノスタルジーもよいだろう、B級グルメもよいだろう、だけどそれだけじゃないはずだ。おれの場合は、すでに何度も言っているように、近代日本食のスタンダードが発見されなければならない、と、思っているのだが。

では、そもそも「3丁目」とは、なんなのか。海野さんは語っている。
長くなったので、今日はここまで。忘れなかったら、明日につづく。

映画「3丁目の夕日」が公開中だってね。「1丁目」でも「2丁目」でもない、「3丁目」とは、なんなのか。

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2005/11/07

せんじがら、いりかす、あぶらかす、みやさん食堂etc.

そうそう、先日サイト読者のタカスさんからメールがあったのでした。タカスさんからは、ときどきメールいただいています。今回は、約、こんな内容。

10/28「油揚を食べる話」遅ればせながら読みました。
3~4週間前、広島の知人から「せんじがら」を購入。
食べた事ありますか?

牛/豚/馬それぞれの脂を取った後、または食用から外されたモノに
味付けし軽く揚げたような状態。
食感は、ビーフジャーキーのようでモツ臭さは少ないです。
おでんにぶっこんでおいても出汁が出そうですし山口県の東側の方では
大根とこれ(この地では いりかすと言うらしい)を醤油などで味付けし
食べるということもやってるよう。

旨味調味料もしっかり使われ後々咽が乾きますがやめられませんが(笑)

御参考まで
http://www.sempuku.co.jp/sagaseru/shop/shop_hiroshi/nishiku/nishiku_6.htm


このご参考までをクッリクすると、みやこ食堂だった。うーむ、そそられる佇まいだねえ。
返事を書いた。ときどき見ているサイト「はる書房」のブログ「神田の空」の9月12日に「「あぶらかす」と食育」があって気になっていたので、この「あぶらかす」は、タカスさんの「あぶらかす」と同じものだろうか、それから、みやこ食堂には行かれたのか、という内容。
タカスさんから返事があった。
「あぶらかす」については、こんな話をいただいた。


牛なら牛、馬なら馬、豚なら豚となっており混ざってはないようです。

広島には「ホルモンの天ぷら」なるものもあり各自がテーブルにおかれてる
庖丁とまな板を使いカットし食べる、というモノ/スタイルもあるようです。
鷺宮の広島風お好み焼き屋で食べられるらしいのですが広島でもこちらでも
まだ未食、気になっております。
春よこい
http://www.seibu-group.co.jp/kawara/tabi/tabi18.html

新宿の有名なラーメン屋さん「武蔵」でも使うようになり
また、大阪を始めとする関西出身のお好み焼き屋さんが東京にも増え
「あぶらかす」を使うところが増えてるようです。
大阪では天かすのように「あぶらかす」をうどんに入れる「かすうどん」と
いうのもあります。
やや油っこいですが旨味が増しなかなか良かったです。


「みやさん食堂」については、こういうことである。

いえ、広島で商売(飲み屋さんかな)をやってる知人に以前食べさせて
もらったのが美味しいと言ったところこのお店だと言われました。
ネットで検索したらとても魅力的な佇まい、行きたいっす^^;


いやあ、オモシロイ話だなあ。天カス、揚カス、いろいろな「カス料理」がありそうだ。こういう料理は、あれだよね、「神田の空」にも書いてあるような、差別だの被差別だのイロイロあって、なかなか歴史の表舞台には出てこない。ま、汁かけめしも日陰者だったのだけど。

タカスさん、どうもありがとうございます。けっきょくメールの内容、ほとんどそのまま使わせてもらっちゃいました。これからもよろしく~

はる書房「神保町の空」 9月12日「あぶらかす」と食育
http://saryo.org/harushobo/archives/002314.html#more

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2005/11/06

毎日、朝食はパンの病院

病院へ行ってきた。

数日前の日記に書いたが、10月31日は手術のため、朝7時までに病室に着くように行った。そのとき、チョイと買物のため、病院の前のコンビニに入った。朝の6時45分ごろだ。すると、病院のパジャマを着たオヤジが、ニギリメシや弁当などを買っているのだ。それも一人前の量ではない。ハテおかしいなあ、まもなく朝食だろうに、とフシギに思って見た。

そのナゼが、わかった。病院の朝食は、毎朝パンなのだ。それも、パンが、「工場から直送でアンシンです」といわんばかり、透明のビニール?あるいはビニールっぽい包装に入ったまま、トレーにのって出てくる。ウチの75歳の年寄りも、これには、まいっているらしい。

病院の食事は、トーゼン、栄養士や調理士のみなさんが責任あるシゴトをしているハズだ。そしてその栄養士や調理士を育て指導しているのは、日本人の大多数が知っているだろう、日本料理界の指導的立場にあって、「食育」の提唱者としても有名なひとだ。伝統ある日本料理の旧家のオボッチャマで、医学博士で、栄養専門学校校長で、政府の食関係のシゴトもどっさりやって、本もたくさん書きテレビタレントな活躍もしているような方である。

ま、世の中、こんなもんですな。日本の食文化は、そういうものだと納得するよりしょうがないだろう。こんなブログ書いていても、しみじみ、ムナシイ。

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2005/11/05

ゆで卵のかたさ

ときどきポストに入っているフリーペーパーの投稿欄に「ゆで卵」の話があった。投稿者は女性で、「先日、ゆで卵を食べながら、ふと苦い経験を思い出しました」

「20代前半に勤めていた職場で大量に卵の差し入れがあり、大きな鍋でゆでて出したところ、「この卵、完全に火が通ってるわ! 半熟がおいしいのに」と年輩の女性に怒られました。わが家はかたゆで卵でしたので、それが普通だと思っていました。自分の頭の中に当然のことと、こびりついているものがほかにも無数にあるのではないかと不安になったあのときの気持ち……。」

たかがゆで卵のことだが、このような話は、よくある。蕎麦を食べるとき、汁にどっぷりつけると、「蕎麦の食べ方を知らんやつ」といわれたり。この女性のばあいも、年輩の女性の決めつけたような言い方で怒られ、軽いトラウマ状態になったようだ。

およそ、食べること、とりわけ味覚のことで、ひとがうまいと思っているものにケチをつけ、こうじゃなくてはいけないナンテいうことほどバカなことはない。食とりわけ味覚は、個に属するものだ。もっとも神聖にして犯すべからず、である。あと排泄とかセックスとかもね。自分とちがっていたら、まず理解することが先だろう。

しかし、かつて食通の文士とか、近年のグルメには、このごく基本を理解しないで、「食味評論」や「うまい店ガイド」をやってのける連中が少なくない。また、それをありがたがりよろこぶ風潮もあいかわらずだ。

この投稿の女性は、「たかがゆで卵ですが、このことを通して世の中には色々な考えの人がいることを痛感」する。が、たぶん、その年輩の女性のほうは、自分こそが正しい味を知っているという思い上がりがあるだろうから、たかがゆで卵のことで、なにかを感じることはなかったであろう。でも、たいがい、こういうタイプがえらそうにし、幅をきかせることになる。

いっぽう投稿の女性は「今は半熟も、固めも好きです。何でも決めつけないで、”柔らかい頭””柔らかい心”で生きていけたらと思います」という。いいねえ。

おれは、じつは固めが好きで、この女性ほどイヤな思いをしたことがないが、あるいは鈍感で何を言われても感じないのかも知れないが、ため息の出る思いは何度もした。ま、たとえば、最近のラーメン屋で煮タマゴの類だが、アレ、おれは固めの黄身をほぐしながらスープと一緒に食べるのが好きなのだが、ちかごろは半熟の店が多いのだ。しかし、さすがにおでんだけは、半熟じゃないから助かる。

あの固くゆでた卵の黄身のホクホクが、好きなのだな。オムレツもニラタマも、卵がドロドロより、火が通ったほうが好きだ。しかし、同居人は、まったく逆なのだ。では、どうするか。簡単だ。おれが料理すれば、おれが好きなようにつくれる。というわけだ。わははははははは~。

ちょうど、雑誌『談』編集長によるブログでも11月1日「ジンギスカン・キャラメルはいやだけど嫌羊権なんて主張しませんから」という、似たような話があって、大いに共感したので、酔ってコメントを書いてしまった。シラフで編集長の返信コメントを見たら「食と排せつこそ個そのものです。ってこれえんてつさんから教えてもらったことです」とあった。そういえば、前から、そんなことをいっていたような気がするが、こういう個の主張は、なぜかヘソマガリ異端と思われてしまう日本のフシギは健在のようだ。

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2005/11/04

あらためて「日本料理」の抗争を考える

日本の中央政治のオフィシャルな舞台で、「政策」が課題になったのは、ほんの最近のことで、政策担当秘書官のようなものをおくことが義務づけられ、選挙になるとマニファクチャ?だのマニフェスト?だの、わけのわからんカタカナ英語で政策が語られるようになった。

では、と考えてみよう。では、政策を中心に争ってこなかった政党政治とは、議会制民主主義とは、なんだったのか。いったい、では、なにで争って勝負が決まって、政権が成り立っていたのか? 

そりゃ簡単な話で、誰につくと得するか、誰につくと大中小微小の利権が転がり込んでくるか、という選択だったのだ。それは、相手の欠点弱点をみつけては、なかったらデッチあげてでも、罵声をあびせあい、突っつき叩きひきずりおろすという姑息で感情的で陰湿な「闘い」と一緒だった。

その現状は、「政策」が課題になってからでも、まだ大きな変化はない。たとえば、朝日につくか、読売につくか、はたまた産経か毎日かといった、エリートたちがつくる大新聞の選択にいたるまで、平民までがエリートばかどものドジを突っつきあって、そんなことで溜飲を下げ。いま難しい局面になっている進行中の自由貿易協定の多国間交渉あるいは二国間交渉で、日本はどういう政策をとっているか、どういう政策で利得を得るのか、なーんてまったくアタマにない。そうやっていられるのは、アメリカについていれば悪いようにはならないというアンシン意識があるからだろう。誰か頼りであれば、自分が食うための政策など真剣に考える必要はない、面子だけ気にして怒ったり溜飲下げたりしていればよい、まさに武家政治の伝統なのだ。

ややっ、そういうことはどうでもよいのだ。どうぞ勝手に誰かを頼ってください。モンダイは、その「誰につくと得するか」「誰につくと大中小微小の利権が転がり込んでくるか」という政治は、むかしは、アタリマエだったし、それがどうも日本料理の歴史や食文化史と関係あるということだな。

そうそう、思い出した、たとえば、ほんの一例だが。戦後のバナナ市場だ、輸入が再開される。このバナナの輸入流通ルートには、じつにワケノワカラン商社というか人がからんでいた。つまり利権というやつ。これを手に入れるには、誰かについていなくてはならない。これが国政選挙にまで関係する。そういうことは、土建業界だけじゃない、食糧の輸入流通にからんでも、いろいろあった。ま、むかしはそれがフツウだった。それが近代からコンニチ続いているのがオカシイだけなのだが、日本人の政治意識というのは、そういうものだと納得するよりしょうがない。

で、汁かけめしなのだな。『汁かけめし快食學』にも書いたように、汁かけめしは中世に武家の礼法になる。正式の儀礼のときの食事は、汁かけめしで食べるべしとなる。それが武家の政権が安定した江戸期を通じ、いつのまにかアイマイになり、ついには礼法どころか「下品」になる。それについては、『汁かけめし快食學』は、成り上がりの武家文化が、上層の伝統ある貴族文化にのみこまれたように書いた。書いたし、そういう面はあるけど、どうもスッキリしないことがある。というのは、むかしの宗教や礼法というのは、誰につくと得するかの関係を反映していたからだ。

ま、それで、アレコレ考えていたのだが、10月30日のちくま文庫の坂口安吾全集のうち「安吾新日本地理」を収録した18巻を読みなおしているうちに、ヒラメクものがあった。そうだ、そうだ、あのジケンだよ。以前、発作なメシゴト日記でも書いた。そのジケンについて書いた最初を、まずここに再録しておこう。


2003年3月31日 (月)  高橋氏と安曇氏の対立抗争

ま、とにかく古い話だよ。奈良時代その前の飛鳥時代もそうだったと思われるが、天皇家の飲食を担当する職掌「内膳司(ないぜんつかさ)」があった。それは役所の部署みたいなものだから長官や副長官がいるね。ついでに、内膳司は「天皇家」の飲食担当で、「朝廷」つまり大和の国の役所のほうには別に「大膳司(だいぜんつかさ)」があって飲食を所轄し、朝廷につめる人たちの昼飯をつくったり朝廷主催の儀式宴会を担当した。余談だけど、そのころの朝廷の昼飯は給食で、ハシとスプーンでめしをくっていたらしい。

ところが、その「内膳司の構成は、長官である奉膳(ぶぜん)が二人、判官である典膳が六人となっていて、律令制下の官司構成のなかではまったく異例」だったんだな。それは律令制前から天皇の飲食担当を高橋氏と安曇氏の両者がやってきたのを、そのまま組み入れたからだと推測されているが、とにかくそれで、律令制になってからも両家のあいだに対立抗争が絶えなかったのだね。で、ついに対立抗争が頂点に達したと思われる、792年(延暦11年、桓武天皇の時代、平安遷都の直前ごろ)ついに安曇氏が失脚し、内膳司の長官は高橋氏が独占することになった。そのジケンで、イワカムツカリノミコトが「料理人の祖神」になることが決定的になったんだね、なぜかというと……。

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2005/11/03

「究極のふつう町」としての千住

きのう千住が登場したついでに千住のこと。

千住のアベさんは、青森県金木町、太宰治の生家斜陽館の2軒隣、畳職人の家で昭和10年(1935)に生まれた。太宰のウワサをいろいろ聞きながら成長し、昭和32年上京。そのわずか4年後26歳の若さで千住に店をもった。小さなスナックである。彼女の容姿才覚もあったと思われるが、彼女自身も、千住という土地がなかったら、そうはやくは自分の店を持てなかっただろうと思っている。

「関東の地図を開くと、鉄道も道路も都心に集中している。しかし、よく見れば北関東・東関東からの流れは、隅田川と荒川放水路にはさまれた、わずか1キロ四方の千住の周辺に一旦は集中し分散しているのがわかる。」と、ワールドムック『三丁目の角』(ワールドフォトプレス、平成14年11月)の大特集「千住大研究」にある。

「千住大研究」は千住のタウン誌「町雑誌千住」編集室がまとめた、32ページの、まさに「大研究」であり、なかの見開き2ページが「人とものが動く町 千住ダイナミズム」という題のテキスト。千住のアベさんが、なぜ千住で店をもち、変転がありながらも、なぜいまでも千住で小料理屋をやっているかを取材しながら、千住のダイナミズムを解き明かしている。

ヒジョーにおもしろい。ヒジョーにうまく千住の特徴をとらえている。こんな上手なテキスト、誰が書いた? と見ると、アレレレレレ? ライターは遠藤哲夫、おれじゃないか。だははははは~。おれは、「町雑誌千住」編集室のスタッフではないが、千住でグダグダ飲んでいたせいか、声がかかって手伝っただけ。

「千住の発展のダイナミズムは、東京が隅田川を境に広大な関東と接する端にあって、1594年にできた隅田川最初の橋、千住大橋の外側のたもとに、千住が位置していることに大いに関係する。なにしろ、1603年の江戸開府より前の1576年に、すでに千住の市場は始まっているのだ。」

きのう書いたように、千住の河岸は、上流の川越の河岸と江戸東京の市場を結ぶ、食糧や物資の集散地として発展するのだが、その機能は江戸幕府が生まれる前からだったのだ。ってえことは、江戸幕府以前から、隅田川荒川上流の関東の物資を求める人たちがいたことになるな。ウナギやドゼウなどは、どうだったのだろうか? 千住は川魚問屋がもっとも多い地域だった。馬や馬肉も取引されていた可能性が高いなあ。でもやはり、穀物が中心だろうな。

ま、それはともかく、それでいて千住は江戸府内ではなく、東京都に編入されたのは明治になってから、足立区になったのは昭和初期、なおかつ最近でも都心から見たら上野や浅草のむこうということで、平成バブル景気の最中でも都心ほどの土地急騰の波をかぶらずにきた。そして、お城もなく、都心から西部のような、日のあたる坂の上の人種と、坂の下の太陽のない街の人種をつくる台地はなく、まっ平らに関東平野とつながっている。

身体ひとつ才覚ひとつで勝負できる環境だった。余所者が入りやすい暮しやすい条件が揃っていた。アベさんの店のただ一人の従業員は、アベさんが千住に店をもった昭和36年に中国東北地方で生まれた。ふたまわり以上トシのちがう、日本の東北地方出身の女と中国の東北地方出身の女が、千住で出会った。彼女に「「なぜ千住なの?」と訊くと明快な答えが返ってきた。「ここは個人で商売している人が多いでしょ。わたしたち外国人で学歴もないと都心の会社には就職できない」」

この「千住大研究」のイチバン最後の一行は、こうだ。大阪出身で千住に「流れ着いた」フナハシさんが書いた。名言だと思う。
「そう。千住は究極のふつう町。」
ふつうだからこその魅力にとりつかれた人は、おれのまわりにもたくさんいる。

ま、どうでもいいことですが、大雑把には、そういうことです。

町雑誌千住のホームページ
http://1010tankentai.fc2web.com/

三丁目の角
http://www.monomaga.net/wpp/shop/productdetail.aspx?sku=819583

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2005/11/02

高麗(コマ)と浅草

10月30日「坂口安吾「高麗神社の祭の巻」」のつづき。高麗は天智天皇のころ新羅に滅ぼされた高句麗のことだ。高句麗は扶余(フヨ)族で、満州を南下して朝鮮にいたり高句麗(コウクリ)と百済(クダラ)をおこした。高麗人参の高麗(コウライ)とはちがう。コマ、なのだ。扶余族は発祥地が不明で満州の前は、大陸をどこからか移動してきたものと思われている。だから、坂口安吾さんが高麗神社の祭の笛の音に「モウイイカイ、マアダダヨ」のメロディをかんじ、さらに奥野健男さんが「はるかなるユーラシア大陸の音」をかんじたのだろう。

高麗は新羅に滅ぼされたのだが、それ以前に「この民族の一部はすでに安住の地をもとめて海を越え、日本の諸方に住みついていたと考えられます」そして、続日本記、元正天皇霊亀二年(716)五月、「駿河と甲斐と相模と上総と下総と常陸と下野の七ヶ国」、いまの静岡と山梨と神奈川と千葉と茨城と群馬のあたりにいた高麗人を、武蔵の国にうつし高麗郡をおいた。これが、入間郡高麗村の発祥だ。

現在の西武池袋線高麗駅の近くに「きんちゃく田」という、いまでは観光名所になった田地があって、ここはその高麗人が開発した古い田であると伝えられている。高麗人は農耕技術をもって、海岸線より奥地の、大昔は川の氾濫と原生林で農耕に適さなかった平野部を避け、山麓に田地をひらいて住みついたらしい。関東各地には、高麗人だけではなく、埼玉県新座のように、渡来人が拓いた耕地が散在しているようだ。

きんちゃく田を囲む高麗川は、「(入間川に注ぎ、入間川が荒川にそそいで)昔の隅田川で申しますと浅草で海にそそいでおった。その海にそそぐところが今の浅草観音様のところ、そこが当時の海岸で海はそこから上野不忍池まで入海になっていたものの由です。もっともそれは江戸開府ごろの話ではなくて、浅草の観音様ができた当時、千何百年むかしの話です。本郷の弥生ケ丘や芝山内がまだ海岸だった頃のことだ。」

浅草は浅草寺が有名だが、このあたりでもっとも古い縁起伝説を持つのは、待乳山の聖天サマだ。聖天サマは関東のアチコチにあって、高麗神社のすぐそばにもある。ココは高麗人の親分格だった、若光王の墓があるところ。若光王は、「続日本記大宝三年(703)四月」に「従五位下高麗若光に王姓を与えた」と記されている人物。高麗神社の神主は、その90何代?かの末裔らしい。

とにかく、高麗神社のそばの若光王の墓があるところも聖天院とよばれる聖天サマだ。そして、浅草の聖天サマから隅田川のすぐ上に白鬚橋があって、その墨田区側には白鬚神社がある。白鬚神社も関東各地にあって、縁起は古い。「白髯神社は武蔵野に多く散在しているが、一番有名なのは向島の白髯サマであろう。しかし白髯明神の総本家はコマ神社と云われている」と坂口安吾は書く。白鬚神社の総本家は、滋賀県のほうの説もあるが、これは仏教が全国支配を確立した後世に生まれた伝説だろう。安吾は高麗神社を訪問したときに、ご神体を見せてもらっている。「一尺ぐらいの木ぼりの坐像だが、およそ素人づくりのソマツな細工で、アゴに白髯のゴフンが多少のこっている」

大むかしの隅田川河口の地と、さかのぼった高麗川沿いにできた高麗村の地との浅からぬインネンをかんじる。そしてそれは、関東の農耕の興隆との少なからぬインネンもかんじさせる。神社や寺とて永遠ではなく、その盛衰は純粋の信仰や信条より、人びとの実質実利に関係するのだ。

江戸期、荒川沿いの川越の河岸と隅田川沿いの千住の河岸を結ぶ川舟は食糧供給の幹線になる。川越で集荷、舟で千住の河岸に着き、そこで品目ごとに小分けして、さらに小舟で江戸市中へ、あるいは荷車などで陸路浅草を通って市内へと運ばれた。高麗の産物も、そのなかにあったであろう。

ま、とにかく、高麗神社そばの聖天院にも雷門があって、浅草寺ほど大きくはないが例の堤燈が下がっている。じつに素朴だね。
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/shouten.html

浅草の聖天サマについては、こちらのブログがオモシロイ「寄雛庵菓子日記(きすうあんかしにっき)~気軽においしく楽しく~」
http://ameblo.jp/kangidan/entry-10002987398.html

巾着田の公式ホームページなんてのがあるんだなあ。
http://www.kinchakuda.com/

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2005/11/01

脊髄、腰痛、そして卵かけめし

やははは、手術は無事にすんだ。しかし、きのうは、朝一の手術なのでゲホッ7時までに病院に来るようにいわれ、5時前に家をでた。まだ暗かったよ。だだだ、どどど。書くのめんどうだ。ようするに首のところの脊髄、上から1番2番3番4番の手術。とにかく無事にすんで、年寄りの片割れをウチに連れてきて泊め、今朝また連れて病院へ行き。アレコレそれこれ。病気が、いわゆる難病指定といわれる、役所用語じゃ「特定疾患」。その申請書を、まだ暑かった二か月前に、炎天下お役所病院めぐりして提出、やっと先月28日に「特定疾患医療受給者証」が届いた。それを昨日は間違えて病院に提出して、今日また提出しなおしたり。ま、アレコレそれこれ、入院から一週間怒涛のごとくすぎ。患者本人は、もう今日は麻酔もすっかりぬけ、で、気がついてみたら手術前の症状だった、手足のしびれや全身の倦怠感がとれているんで、よろこんで血色もいい。

しかし、まあ、腰痛患者の多いこと。同室の病人は、全部腰痛で、しかも脊髄に原因があって手術のひと。みなさん自分の病状を話したがるので聞いていると、聞いているだけでコッチまで腰が痛くなりそう。長年のシゴトでの無理や、シゴト中に転んだりが、もともとの原因であることが多いらしい。シゴトってよくないんだなあ。あつ太っているのも、よくないらしいよ。誰かさん、若いうちはいいけど、筋力が衰えてくると、ヤバイらしい。

おれはかつて、坐骨神経痛で苦しんだことがあった。痛いのなんの、痛さが激しくなると呼吸もできないぐらいな痛さ。これはシゴトが原因ではない。直接には4月の残雪期に重い荷物にスキーも担いで山に登ったところが、その日は真冬なみに気温が下がり腰が冷え、それで坐骨神経痛が発症したらしい。スポーツはなんでもそうだが、身体を鍛える、とかいって実はいらぬ無理をかけている場合が少なくなくて、30過ぎて老化がすすむと、なにかの拍子にトツゼン発症するものらしい。病院を転々としたが回復せず、知人が紹介してくれた鍼灸師のところで、やっと直った。その後、また一度なったが、ただちにその鍼灸師のところへ行き、それからは発症がない。

そうして今朝、病院へ出かけるまえに、当ブログをのぞくと、酔っぱらいのタワゴトはどうでもよいとして、腰痛の岡田Kさんのコメントがあるではないか。なんとまあ。急ぎ簡単にコメントを書いて、年寄りの片割れを連れてアタフタ病院へ。

岡田Kさんのコメントは、「卵かけご飯シンポ」に関する情報だった。そういえばバタバタしていて、すっかり忘れていた。岡田Kさん、どうもありがとうございます。

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