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2005/11/17

マザーウォーター 酒と水の話

きのう書いた、『マザーウォーター 酒と水の話』(酒文化研究所編、紀伊国屋書店)は、2003年発行1200円。それを、おととい西日暮里へ行ったついでに、古書ほうろうで630円で買った。手軽なブックレットのようなつくりで簡単に読める。んで、ごく基本的な、なるほどナの話がつまっている。

ワインをのぞくたいがいの酒は、それを得るために、かなりの量の水を必要とする。貴重な「命の水で」ワザワザ酒をつくって飲んでいるわけだ。そこで、株式会社酒文化研究所の山田聡昭(としあき)さんは、「水を飲む文化と酒」というタイトルで書く。

以下引用……

このように、いま、酒と水について語ることには、生きるために必要な水の確保が危うくなりつつあるという前提がある。ただ、振り返ってみれば水資源が潤沢で容易に利用できた時代や地域はごく限られ、それでも人は酒を飲み続けてきた。なぜ、生命維持に欠かせない貴重な水で酒をつくってきたのかを考えることは、人はどんな幸福を求めたのかを考えることでもあろう。

人が一日に必要な水分は二~三リットルという。これを水をそのまま飲んだり、他の飲みものや食事のかたちで補給する。きちんと調べたわけではないが、水をそのまま飲む文化をもつ日本ですら、現在は水分の大半を水以外の飲みものから得ているように思う。
水そのものよりも渇きを癒す飲みものがあるという視点、水以外の飲みものによる水分補給のほうが多いという視点を得ると、文化的な渇きとそれを癒す飲みものがきわめて大きな役割をはたしていることにたどり着く。文化的な渇きとは、たとえば喉が渇いていなくとも「お茶でも飲もうか」とか「ちょっと一杯やっていくか」と言うときの感覚だ。このとき飲むのは酒や茶であって水そのものではない。水ではどうにも具合が悪いのだ。とすれば「お茶でも飲まない」という時に、癒したいのは生理的な渇きではない。それは文化的な渇きとでも言えるものであろう。

……引用オワリ
というぐあいに、山田さんは、ふたつの「渇き」について考察している。

カネだって生理的な生命維持に欠かせないし、生命維持のための十分なカネもないのに、毎夜酒に溺れるニンゲンがいる。いやあ、その酒すら節約し、本を積んで活字読んで生きているニンゲンもいる。

つまり、ニンゲンは文化的な生命体である。文化的な渇きを癒すことをしなくては、生きていけないのだ。なのに、生理的な維持だけのために汲々とし、あるいは嬉々として、タバコはダメ、酒に溺れるヤツはバカ、あの食品は脳がいかれるからダメこの食品は長生きできるからヨイ、と干渉したりするのは、動物的な生理的な低レベルなニンゲンの小さな親切大きなお節介、なのでしょうな。

文化的なニンゲンとして、ないカネで、楽しく飲み食いしましょうね。
今夜も、飲むぞ~。
なんせ、おれは高度に文化的なニンゲンなものでね。がははははは

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コメント

どーも、高度な文化人のみなさま。

大らかに飲み吸い食べしましょう。

きのうは田舎者の結婚式でしたが、みんなばかすかタバコを吸い、べろんべろん飲んでいました。しかも70過ぎの年寄りども、元気ですよ。

投稿: エンテツ | 2005/11/19 08:05

親切なお節介...

この頃は殊にタバコに対して(自分は吸いませんけど)憎悪を込めて、禁煙者を中毒者呼ばわりしたり、猛烈批判する人(団体)が多いですね。過剰反応しすぎと思ってます。

さぁ、オレも呑むぞ~!!(笑)

投稿: たつ! | 2005/11/18 12:46

なにか気分がよくなる
なるほどなの視点ですね

投稿: mizuki | 2005/11/18 10:20

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