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2005/11/20

「粘膜」の再発見

きのう書いた「POLYCENT(ポリセント)」は本文24ページほどの冊子だが、江原恵「カレーライスの可能性について」のほかに、柄元治「さか立ちしたディチャーチン」、小田切来人「節分の夜、鬼はどこへ逃げていくのか」、紙谷正嗣「麻薬と資本」、佐藤邦夫「カラー・アソート研究序説」、玉城素「「粘膜」の再発見」、永畑恭典「空海の経済的基盤は水銀鉱」、久住昌之「またたき手帳」の寄稿があって、どれもオモシロイ。

なかでも、玉城素さんの「「粘膜」の再発見」は、直接「水」に関係し、玉城さんはふれてないが、粘膜は「味覚」にも関係するのでオモシロイ。玉城さんが、このようなことを書いていたのを、すっかり忘れていた。

まず「1、水の意味」で、水と生命の関係について述べたのち、「ここ数千年来の近来の文明は、火を重視し、火(ひいては太陽エネルギーや地表燃料)を利用して、硬質な道具を発達させることに精力を傾けてきたのであるが、今後は水を重視しなければならなくなってきたようである。火から水への重点移行が、来るべき文明の転換を告げる合図となる」と書いている。

最近でこそ、さかんに水の危機とあわせ、これからの戦争はエネルギーをめぐる戦争から水をめぐる戦争になるだろうといわれたりしているが、これは、81年の話である。そして、玉城さんは戦争ではなく「2、粘膜の性質と役割」へむかい、人体のうちの「粘膜部について、再考察を加える余地が残されている」という。

人体は硬い角質化した表皮部とちがう「内外の水分に柔軟に連動し、反応する粘膜部がある」と。ま、ようするに人体は、ぶよんぶよんした水の塊で、表面部分は硬く角質化し皮膚になったり爪になったりしたが爪の裏や、口腔や外陰部、耳の奥、鼻腔、肛門、ま、ようするに人体の外と内をむすぶアナとか、内臓諸器官や脳神経系、これらは軟らかい粘膜部であり「水と水のあいだの媒介機能を持つといってもよく、生体における水原理の面を掌っているといえよう」

で、ここで、玉城さんの考察は、思わぬところへジャンプする。「私はかねがね、人間行動の基底に「粘膜愛」と「粘膜恐怖」という基本要因が横たわっているのではないかと考え、身近な人びとに話しつづけてきた」とな。ああ、そういえば思い出した、酔っ払うと、そのテの話をよく聞かされたなあ。

おれが玉城さんと初めて会ったのは、これは覚えやすいのでよく覚えている。1973年夏の東京都議会選挙のときだ。おれが所属していた企画会社が自民党のキャンペーンを請け負い、その機関紙「自由新報」の選挙用号外を編集する部屋で、かれは原稿を書きまくっていた。それからまあ、よく一緒に飲んだ。朝まで酒を何度一緒にやったやら。んで、飲んで酔うと、よく粘膜の話が出た。

「粘膜愛」については、オトナには説明いらないだろう。で、しかし、「粘膜は硬質のものに弱い」ここを攻撃されるのは恐怖である。爪の裏に針なんていう拷問、痛そう~。「他人を脅かし、征服し、支配させるためには、相対的に硬質の用具でやわらかい粘膜に打撃・攻撃を加えるのがもっとも効果的である」。「さらに、食物・水・大気等は内臓諸器官の粘膜を通じて摂取され、生体を維持するものであるから、その良否に関して人間は絶えず一喜一憂せざるをえない。これを「粘膜欲望」といってもよい」

モンダイは大脳という粘膜部だ。ここは、その愛も恐怖も欲望もささえるところだ。そして、ここに硬質な打撃を加えると生命が失われたり精神に異常をきたしたりする。元も子もなくなる。そこでヤンワリと、「無意味とわかる労働を連続してやらせる」「家族に対する危害を暗示する」などの方法で打撃を与える。「ヒロシマ・ナガサキモデルをつきつけて、核兵器による脅迫を行なうことが、国際政治の基本構造となっている。このような手法も、やはり大脳という粘膜部を脅かす原形に発しているといえよう」

さて、結の「4、粘膜再発見の課題」では。「以上に、見てきたように、粘膜が人間の生活史上に占める役割は、きわめて重く致命的である。その再発見は、冒頭にのべた水の再認識の問題ともからんで、人類的な課題となりつつあるように思う」「私のわずかに通じている社会・政治理論の範囲でいえば、人間の諸集団(家族・共同体・企業・組合・民族・国家等)が、内と外をわけるためにはりめぐらしている「目に見えない皮膜」なども、このへんのところをきびしくほり下げない限り、人間社会の真の変革など望めそうにもない。近世日本の劇作家、近松門左衛門は、これを「虚実皮膜の間」などということばで表現している」

うーむ、なるほどねえ、ようするにワレワレは「虚実皮膜の間」で生きているということなのだろう。当時すでに朝鮮モンダイの専門家として名を成していた玉城さんのいうことだから、味わい深い。そうそう、かれは酒を飲んで酔うほどに、鼻水が出るたちで、もう鼻水デレデレ流しながらベロンベロンに酔うわけだな。かれが粘膜に興味を持ったのは、そういう体質も関係しているかもね。ま、とにかく胃や脳の粘膜がドロドロになるほど、よく飲みました。

味覚も粘膜を通してかんじるわけだけど、これもまた「虚実皮膜の間」のことかも知れない。

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