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2005/11/02

高麗(コマ)と浅草

10月30日「坂口安吾「高麗神社の祭の巻」」のつづき。高麗は天智天皇のころ新羅に滅ぼされた高句麗のことだ。高句麗は扶余(フヨ)族で、満州を南下して朝鮮にいたり高句麗(コウクリ)と百済(クダラ)をおこした。高麗人参の高麗(コウライ)とはちがう。コマ、なのだ。扶余族は発祥地が不明で満州の前は、大陸をどこからか移動してきたものと思われている。だから、坂口安吾さんが高麗神社の祭の笛の音に「モウイイカイ、マアダダヨ」のメロディをかんじ、さらに奥野健男さんが「はるかなるユーラシア大陸の音」をかんじたのだろう。

高麗は新羅に滅ぼされたのだが、それ以前に「この民族の一部はすでに安住の地をもとめて海を越え、日本の諸方に住みついていたと考えられます」そして、続日本記、元正天皇霊亀二年(716)五月、「駿河と甲斐と相模と上総と下総と常陸と下野の七ヶ国」、いまの静岡と山梨と神奈川と千葉と茨城と群馬のあたりにいた高麗人を、武蔵の国にうつし高麗郡をおいた。これが、入間郡高麗村の発祥だ。

現在の西武池袋線高麗駅の近くに「きんちゃく田」という、いまでは観光名所になった田地があって、ここはその高麗人が開発した古い田であると伝えられている。高麗人は農耕技術をもって、海岸線より奥地の、大昔は川の氾濫と原生林で農耕に適さなかった平野部を避け、山麓に田地をひらいて住みついたらしい。関東各地には、高麗人だけではなく、埼玉県新座のように、渡来人が拓いた耕地が散在しているようだ。

きんちゃく田を囲む高麗川は、「(入間川に注ぎ、入間川が荒川にそそいで)昔の隅田川で申しますと浅草で海にそそいでおった。その海にそそぐところが今の浅草観音様のところ、そこが当時の海岸で海はそこから上野不忍池まで入海になっていたものの由です。もっともそれは江戸開府ごろの話ではなくて、浅草の観音様ができた当時、千何百年むかしの話です。本郷の弥生ケ丘や芝山内がまだ海岸だった頃のことだ。」

浅草は浅草寺が有名だが、このあたりでもっとも古い縁起伝説を持つのは、待乳山の聖天サマだ。聖天サマは関東のアチコチにあって、高麗神社のすぐそばにもある。ココは高麗人の親分格だった、若光王の墓があるところ。若光王は、「続日本記大宝三年(703)四月」に「従五位下高麗若光に王姓を与えた」と記されている人物。高麗神社の神主は、その90何代?かの末裔らしい。

とにかく、高麗神社のそばの若光王の墓があるところも聖天院とよばれる聖天サマだ。そして、浅草の聖天サマから隅田川のすぐ上に白鬚橋があって、その墨田区側には白鬚神社がある。白鬚神社も関東各地にあって、縁起は古い。「白髯神社は武蔵野に多く散在しているが、一番有名なのは向島の白髯サマであろう。しかし白髯明神の総本家はコマ神社と云われている」と坂口安吾は書く。白鬚神社の総本家は、滋賀県のほうの説もあるが、これは仏教が全国支配を確立した後世に生まれた伝説だろう。安吾は高麗神社を訪問したときに、ご神体を見せてもらっている。「一尺ぐらいの木ぼりの坐像だが、およそ素人づくりのソマツな細工で、アゴに白髯のゴフンが多少のこっている」

大むかしの隅田川河口の地と、さかのぼった高麗川沿いにできた高麗村の地との浅からぬインネンをかんじる。そしてそれは、関東の農耕の興隆との少なからぬインネンもかんじさせる。神社や寺とて永遠ではなく、その盛衰は純粋の信仰や信条より、人びとの実質実利に関係するのだ。

江戸期、荒川沿いの川越の河岸と隅田川沿いの千住の河岸を結ぶ川舟は食糧供給の幹線になる。川越で集荷、舟で千住の河岸に着き、そこで品目ごとに小分けして、さらに小舟で江戸市中へ、あるいは荷車などで陸路浅草を通って市内へと運ばれた。高麗の産物も、そのなかにあったであろう。

ま、とにかく、高麗神社そばの聖天院にも雷門があって、浅草寺ほど大きくはないが例の堤燈が下がっている。じつに素朴だね。
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/shouten.html

浅草の聖天サマについては、こちらのブログがオモシロイ「寄雛庵菓子日記(きすうあんかしにっき)~気軽においしく楽しく~」
http://ameblo.jp/kangidan/entry-10002987398.html

巾着田の公式ホームページなんてのがあるんだなあ。
http://www.kinchakuda.com/

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コメント

おさかなさん、どーも。
「寄雛庵菓子日記(きすうあんかしにっき)」
は、ほんとうに「気軽においしく楽しく」で、
気に入ってしまいました。

1月7日の大根祭、ゼヒ行って見たいので、
いまから予定に入れておきます。

これからもよろしく~

投稿: エンテツ | 2005/11/04 08:38

どうも♪
「寄雛庵菓子日記(きすうあんかしにっき)」
のおさかなです。
好意的にトラバ、紹介してくれてありがとうです♪
あまり宗教色とかからめず、単に浅草名所として堅苦しくなくここを紹介したのが珍しいらしくて、結構見てる方が多いです。
来年の1/7に、大根祭り手伝いますからよろしければどうぞいらしてくださいませ♪
とりあえずご挨拶まで♪では♪

投稿: おさかな | 2005/11/03 23:59

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