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2005/11/05

ゆで卵のかたさ

ときどきポストに入っているフリーペーパーの投稿欄に「ゆで卵」の話があった。投稿者は女性で、「先日、ゆで卵を食べながら、ふと苦い経験を思い出しました」

「20代前半に勤めていた職場で大量に卵の差し入れがあり、大きな鍋でゆでて出したところ、「この卵、完全に火が通ってるわ! 半熟がおいしいのに」と年輩の女性に怒られました。わが家はかたゆで卵でしたので、それが普通だと思っていました。自分の頭の中に当然のことと、こびりついているものがほかにも無数にあるのではないかと不安になったあのときの気持ち……。」

たかがゆで卵のことだが、このような話は、よくある。蕎麦を食べるとき、汁にどっぷりつけると、「蕎麦の食べ方を知らんやつ」といわれたり。この女性のばあいも、年輩の女性の決めつけたような言い方で怒られ、軽いトラウマ状態になったようだ。

およそ、食べること、とりわけ味覚のことで、ひとがうまいと思っているものにケチをつけ、こうじゃなくてはいけないナンテいうことほどバカなことはない。食とりわけ味覚は、個に属するものだ。もっとも神聖にして犯すべからず、である。あと排泄とかセックスとかもね。自分とちがっていたら、まず理解することが先だろう。

しかし、かつて食通の文士とか、近年のグルメには、このごく基本を理解しないで、「食味評論」や「うまい店ガイド」をやってのける連中が少なくない。また、それをありがたがりよろこぶ風潮もあいかわらずだ。

この投稿の女性は、「たかがゆで卵ですが、このことを通して世の中には色々な考えの人がいることを痛感」する。が、たぶん、その年輩の女性のほうは、自分こそが正しい味を知っているという思い上がりがあるだろうから、たかがゆで卵のことで、なにかを感じることはなかったであろう。でも、たいがい、こういうタイプがえらそうにし、幅をきかせることになる。

いっぽう投稿の女性は「今は半熟も、固めも好きです。何でも決めつけないで、”柔らかい頭””柔らかい心”で生きていけたらと思います」という。いいねえ。

おれは、じつは固めが好きで、この女性ほどイヤな思いをしたことがないが、あるいは鈍感で何を言われても感じないのかも知れないが、ため息の出る思いは何度もした。ま、たとえば、最近のラーメン屋で煮タマゴの類だが、アレ、おれは固めの黄身をほぐしながらスープと一緒に食べるのが好きなのだが、ちかごろは半熟の店が多いのだ。しかし、さすがにおでんだけは、半熟じゃないから助かる。

あの固くゆでた卵の黄身のホクホクが、好きなのだな。オムレツもニラタマも、卵がドロドロより、火が通ったほうが好きだ。しかし、同居人は、まったく逆なのだ。では、どうするか。簡単だ。おれが料理すれば、おれが好きなようにつくれる。というわけだ。わははははははは~。

ちょうど、雑誌『談』編集長によるブログでも11月1日「ジンギスカン・キャラメルはいやだけど嫌羊権なんて主張しませんから」という、似たような話があって、大いに共感したので、酔ってコメントを書いてしまった。シラフで編集長の返信コメントを見たら「食と排せつこそ個そのものです。ってこれえんてつさんから教えてもらったことです」とあった。そういえば、前から、そんなことをいっていたような気がするが、こういう個の主張は、なぜかヘソマガリ異端と思われてしまう日本のフシギは健在のようだ。

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