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2005/11/04

あらためて「日本料理」の抗争を考える

日本の中央政治のオフィシャルな舞台で、「政策」が課題になったのは、ほんの最近のことで、政策担当秘書官のようなものをおくことが義務づけられ、選挙になるとマニファクチャ?だのマニフェスト?だの、わけのわからんカタカナ英語で政策が語られるようになった。

では、と考えてみよう。では、政策を中心に争ってこなかった政党政治とは、議会制民主主義とは、なんだったのか。いったい、では、なにで争って勝負が決まって、政権が成り立っていたのか? 

そりゃ簡単な話で、誰につくと得するか、誰につくと大中小微小の利権が転がり込んでくるか、という選択だったのだ。それは、相手の欠点弱点をみつけては、なかったらデッチあげてでも、罵声をあびせあい、突っつき叩きひきずりおろすという姑息で感情的で陰湿な「闘い」と一緒だった。

その現状は、「政策」が課題になってからでも、まだ大きな変化はない。たとえば、朝日につくか、読売につくか、はたまた産経か毎日かといった、エリートたちがつくる大新聞の選択にいたるまで、平民までがエリートばかどものドジを突っつきあって、そんなことで溜飲を下げ。いま難しい局面になっている進行中の自由貿易協定の多国間交渉あるいは二国間交渉で、日本はどういう政策をとっているか、どういう政策で利得を得るのか、なーんてまったくアタマにない。そうやっていられるのは、アメリカについていれば悪いようにはならないというアンシン意識があるからだろう。誰か頼りであれば、自分が食うための政策など真剣に考える必要はない、面子だけ気にして怒ったり溜飲下げたりしていればよい、まさに武家政治の伝統なのだ。

ややっ、そういうことはどうでもよいのだ。どうぞ勝手に誰かを頼ってください。モンダイは、その「誰につくと得するか」「誰につくと大中小微小の利権が転がり込んでくるか」という政治は、むかしは、アタリマエだったし、それがどうも日本料理の歴史や食文化史と関係あるということだな。

そうそう、思い出した、たとえば、ほんの一例だが。戦後のバナナ市場だ、輸入が再開される。このバナナの輸入流通ルートには、じつにワケノワカラン商社というか人がからんでいた。つまり利権というやつ。これを手に入れるには、誰かについていなくてはならない。これが国政選挙にまで関係する。そういうことは、土建業界だけじゃない、食糧の輸入流通にからんでも、いろいろあった。ま、むかしはそれがフツウだった。それが近代からコンニチ続いているのがオカシイだけなのだが、日本人の政治意識というのは、そういうものだと納得するよりしょうがない。

で、汁かけめしなのだな。『汁かけめし快食學』にも書いたように、汁かけめしは中世に武家の礼法になる。正式の儀礼のときの食事は、汁かけめしで食べるべしとなる。それが武家の政権が安定した江戸期を通じ、いつのまにかアイマイになり、ついには礼法どころか「下品」になる。それについては、『汁かけめし快食學』は、成り上がりの武家文化が、上層の伝統ある貴族文化にのみこまれたように書いた。書いたし、そういう面はあるけど、どうもスッキリしないことがある。というのは、むかしの宗教や礼法というのは、誰につくと得するかの関係を反映していたからだ。

ま、それで、アレコレ考えていたのだが、10月30日のちくま文庫の坂口安吾全集のうち「安吾新日本地理」を収録した18巻を読みなおしているうちに、ヒラメクものがあった。そうだ、そうだ、あのジケンだよ。以前、発作なメシゴト日記でも書いた。そのジケンについて書いた最初を、まずここに再録しておこう。


2003年3月31日 (月)  高橋氏と安曇氏の対立抗争

ま、とにかく古い話だよ。奈良時代その前の飛鳥時代もそうだったと思われるが、天皇家の飲食を担当する職掌「内膳司(ないぜんつかさ)」があった。それは役所の部署みたいなものだから長官や副長官がいるね。ついでに、内膳司は「天皇家」の飲食担当で、「朝廷」つまり大和の国の役所のほうには別に「大膳司(だいぜんつかさ)」があって飲食を所轄し、朝廷につめる人たちの昼飯をつくったり朝廷主催の儀式宴会を担当した。余談だけど、そのころの朝廷の昼飯は給食で、ハシとスプーンでめしをくっていたらしい。

ところが、その「内膳司の構成は、長官である奉膳(ぶぜん)が二人、判官である典膳が六人となっていて、律令制下の官司構成のなかではまったく異例」だったんだな。それは律令制前から天皇の飲食担当を高橋氏と安曇氏の両者がやってきたのを、そのまま組み入れたからだと推測されているが、とにかくそれで、律令制になってからも両家のあいだに対立抗争が絶えなかったのだね。で、ついに対立抗争が頂点に達したと思われる、792年(延暦11年、桓武天皇の時代、平安遷都の直前ごろ)ついに安曇氏が失脚し、内膳司の長官は高橋氏が独占することになった。そのジケンで、イワカムツカリノミコトが「料理人の祖神」になることが決定的になったんだね、なぜかというと……。

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