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2005/12/06

「不安」という文化

戦後の食の不安というと「食糧が手に入らない」ということだったのだろう。おれの体験としては、そういう不安はなかったが、おれの周辺に、ごくフツウにあった不安は、死に至る病気への不安で、それが食と関係していた。

生ものを食べたり生水を飲んだりすると病気になりヘタすると赤痢や疫痢から肺炎を併発して死ぬ。これは、ペニシリンが普及するまで、ごくフツウの日常的な不安だった。おれの兄と弟は、実際それで死んでいる。だから親たちは、それにおびえ、アイスキャンデーなどには、とても神経質だったが、でも、みな生水をガブガブ飲み、アイスキャンデーを食べた。法律で、それを禁止しようという動きなどなかったと思う。

中学のとき、すでにペニシリンは普及していたので死者はでなかったと思うが、町では生水が原因で集団赤痢が発生した。町民全員が、直接検便の対象になった。

またおれの母親もそうだったが、肺病は、死ぬ確率が高く、それは医療や薬のモンダイもあったが、食べ物のモンダイが大きかった。ようするに、伝統的な「日本型」食事では、肺病になりやすく、またいったん罹ると回復困難で死に至る可能性が高かった。母親の姉は、それで死んでいる。

古きよき時代といわれる昭和30年代は、人生50年といわれ、とくに男の場合は、おれの周辺でも40歳代の死亡が多かった。おれのオヤジも、40歳代になると、占い師に見てもらい、「どうやら48までらしい」と言っていた。実際は84まで生きたが。

ようするに「不安な状況」は、絶えずあった。しかし、大騒ぎパニックになることはなく、みな「寿命」という観念のなかで、懸命に生きていた。ように思う。

あのころといまと比べると、イチバン大きな違いは、不安を煽る情報は過剰な状態になり、一方で不安を環境として生きるカクゴは不足している。というかんじかな? 人生70になろうが80になろうが、いつかは死ぬ。いくつまで生きるかは結果である。というカクゴ。昭和30年代にノスタルジーするなら、モノより、そのカクゴに、ノスタルジーしたほうがよいのではないか。

しょせん科学技術は万能ではない。もともと、それは特別なものでなく、庖丁やハサミのように使いこなすものだった。それが、その万能ではない科学技術が進んで、以前は見えなかった細部まで見えるようになって、不安に陥る、パニックする。これは科学技術のモンダイではなく、「不安」という文化のモンダイだろう。

世界全体を見れば、いくら科学技術が進歩したといっても、殺し合いや飢餓死は絶えたわけでなく、人間は、つねに0(ゼロ)以下の選択、つまりマイナスのなかで選択しているのだ。少々の科学技術の進歩や経済成長に有頂天になり、0以上の安心や安全が存在するかのような錯覚に陥った結果の「不安」こそモンダイだ。

不合理不条理が存在するから、科学技術を庖丁やハサミのように使うのだ。それ以上の期待は、科学技術に必要ない。日本人のDNAからすると、伝統食が正しい食生活、なんていう「科学的」な栄養学など、いらんよ。

もっと、しっかり日常的な死をみつめ、力強くめしをくい、生きなくては、な。

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コメント

ここのところ酔眼で「食育」と「酒」の資料に向かい合っている日々ですが、どうやら「嫌煙」につづいて「嫌酒」のようです。

酒臭いひとは街を歩いてはいけない、電車に乗ってはいけない。とか、なったら、どうしよう。役人天国ニッポンでは、公共の場のゲロを片付けると手当がつくようです。その手当を削減するためには、酔っぱらいを歩かせなければよいわけで。それに飲酒が原因の医療費負担も減らせるというわけでね。役人の考えることはオソロシイ。でも、イチバン悪い飲み方をしているのは、役人のように見えますが。

たたかうカクゴをかためなくては。たたかうといっても呑むだけですがね。

投稿: エンテツ | 2005/12/07 17:44

「モノより、そのカクゴに、ノスタルジー」と、酔眼醒めることなしに言ってみたいです。生きざま、食いざま、飲みざまでしょうか。

ワインの買い足しに行って参ります。

投稿: pfaelzerwein | 2005/12/07 14:42

ヤマザキさん、どーも、ワタシの嫌いな「mixi」で、おもしろいことを書いているのですね。「mixi」に入ろうかな~なんちゃって。

この江原さんは、書かれている通りです。ワタシの本に登場する、ま、仕事仲間、大先輩、単なる飲み友達だったような人です。

ついでに、江原さんの『庖丁文化論』のこの部分は、この書の核心部分で、オモシロイので、引用を掲載しました。

投稿: エンテツ | 2005/12/07 10:51

記事とまったく関係ない書き込みで、申し訳ありません。エンテツさんの嫌いな「mixi」で、花田清輝の文章を毎日引用するという、ヒマな試みをしているのですが、先ほど以下のようなことを書きました。もし間違っていたら、ご教示ください。

初歩的なミスの訂正をします。「8」で、花田が亡くなったのが、1973年9月のように書きましたが、1974年9月の誤りでした。ですから、引用箇所は「死の直前の言葉」でもなんでもありません。花田なら、「メロドラマ調」の見方をするから、そんな間違いをするのだと、シンラツに笑うことでしょう。
 ちなみに、日付だけで、最後の文章を探すと、東京新聞の匿名コラム「傑作とは何か」のようです。このエッセイは、次のように始まっています。

「いままで一つも傑作を書かなかったというのが小生の自慢である。傑作とは何か。アレクサンドル・デュマいわく、傑作とは、消化不良の食物のようなものであって、あとあとまで記憶に残るようなシロモノだ、と。しかし、はたしてそうか。『モンテクリスト』も、『三銃士』も、『黒いチューリップ』も、小生はちゃんと覚えている。」

 また、次のように終わっています。

「先日、江原恵の『包丁文化論』(エナジー叢書)のなかで、当時の一流の料理人だった坪内石斎のつくったご馳走を、マズイといって一言のもとにしりぞけた織田信長の正直さをほめあげているくだりを読み、大いに親近感をおぼえた。信長は、一流の料理人のウデをふるった〝傑作〟を、いささかもみとめなかったのである。むろん、信長は、味のわからない田舎者として軽蔑された。このエピソードをとりあげて、「ここらあたりに、包丁文化に流れきたった、日本特有の観念主義のみなもとがあるのではないか、とわたしは考える。」と著者はいう。ちなみに、戦後文学の傑作に、血となり肉となったものが、はたしてあったか。」

~「傑作とは何か」1974年5月13日東京新聞夕刊。匿名ネーム「「包丁人」。『箱の話』1974年潮出版社刊所収。

 ちなみに、ここで登場する「江原恵」氏とは、「大衆食堂の詩人」遠藤哲夫さん(『汁かけめし快食學』著者)の回想によく出てくる、仕事仲間というか、先輩のような人ではないだろうか。

投稿: ヤマザキ・クニノリ | 2005/12/07 06:31

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