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2005/12/08

地球という地域で暮すことになったら

モノゴトは、いろいろな見方があるもので、カナダ・アメリカ産牛肉の輸入再開にあたっての世論調査だ、朝日新聞は「米国産牛肉輸入再開に「反対」67% 本社世論調査」と報じた。反対が67パーセントもいるぞ、ということだろう。

おれは、それより、その記事で21パーセントも賛成がいて、輸入されたら「食べたい」が23パーセントもいたことにおどろいた。ま、けっこう健全な日本人がいるね、と思った。

毎日新聞のばあいは、「回答者の54%が再開に反対し、購入については約3分の2が「買いたくない」か「あまり買いたくない」と否定的または慎重な意見だった」という表現である。この「あまり買いたくない」というような、「どちらかといえば」式の中間的な回答項目を用意し、その結果を報道側が都合のよいようにまとめて記事にするという手口は、よくあるのだが、それにしても3分の1が肯定的ということは、おれにとっては、おどろきである。心強く思った。

もちろん、おれも食べるよ。でも、これまでだってそうだが、おれが一年に食べる牛肉の量はたいしたことないし、いつも輸入牛とはかぎらない。とにかく小さな家計のやりくりでは、少しでも選択肢が多いほうがよい。

しかし、「反対」67%、あるいは否定・慎重をあわせて「約3分の2」と報ずるやり方は、あとの3分の1は「少数派」として遇し、その食べたいという希望は無視してもよいかのような報道ぶりだし、また一貫して「食べたい」という主張は報道において無視され、「100万署名」などは冷笑を持って迎えられた。

もっとも、この新聞報道は、あるいは、よくマスコミがやる手口で、流れとして輸入に向って動き出したとき、その通過儀礼として国民の意思を問うかたちをとって、政府の政策は容認するが世論はこうであると、イチオウ書いておこうというものにすぎないのかも知れない。そもそも、いつまでも輸入禁止を続けることができない現実を、マスコミの関係者なら承知していたはずだ。

このモンダイの政府対応のマズさは、まさに日本政府の能力の低さを露呈したものだった。マスコミも同様だね。日本人は「地球という地域で暮すことになった」という、近年の大きな環境変化の現実のなかで考えられ対処されなくてはいけなかったのに、そのことについてはなんの進展もなかったといってよいだろう。

だけど、現実は現実的にしか、進まない。現実的にしか進まない現実を判断して、手を打っていくことが、「リスク管理」であるはずなのに、「科学的」知見にリスクの判断をゆだねてしまった。「科学的」知見は、また今回、それが万能ではないことを露呈し隘路にはまった。まだ何度かアヤマチを繰り返すことになるか。

「地球という地域で暮すことになった」という現実は、宇宙から地球を見るほどロマンチックではない。大多数の平民にとっては、生きていくための厳しい選択が続くのだ。不安があるひとは、買わないか、安心のために高いカネを払う。これまでだってそうだったし、これからは地球規模で、そういうことなのだ。

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