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2006/01/04

初仕事できず、「新・国際社会学」などを読んだりして

「年明けに」という原稿が一つあった。「年明け」とはいつか、たぶんみな自分の尺度でしか考えていないだろうから、テキの仕事始めのころをさすのだろう。しかし、テキの仕事始めはいつかわからん、聞いてなかった。が、来週月曜ぐらいだろう、ま、とにかく書いておこう。早くあげて損をすることはないし、迷惑をかけるわけじゃなし。と、始めようとして気がついた。何枚書くのか、わからない。調べるが、思い出そうとするが、わからない。どうやら、むこうも言わなかったし、こちらも聞かなかった、という関係だったようだ。これじゃ、書けない。なんだか、うれしい。

そこで、昨年末に届いた、五十嵐泰正さんから頂戴した「新・国際社会学」(梶田孝道編、名古屋大学出版会)と、関東社会学会「年報社会学論集」の別刷「都市における多様性をめぐるいくつかの断章」を、パラパラ見る。

「新・国際社会学」は、いかにも学術論文集というかんじの横組で、300数十ページもあるね。そのなかで、五十嵐泰正さんが書いているのは、「第Ⅱ部 国家を横断する主体と現実」の「第7章 グローバル化の諸力と都市空間の再編  グローバル都市・東京の「下町」から」で、これは、「年報社会学論集」の別刷と内容的に関係し重なっているところもある。

おれが五十嵐さんに初めて会ったときとイキサツについては、3月25日「横丁路地そして東京や「下町」を考える」に書いてある。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/03/post_35.html

「国際社会学」ってのは、「国際社会・学」と「国際・社会学」とから成る、らしい。帯には、「グローバリズムの逆説を理解するために」である。「国際化」あるいは、いまふうには「グローバリズム」というのか、それらの社会変動は、「商業化や近代化というよりは、リスク化社会であり、再帰的な近代化であり、第二の近代である」、それは「家族、労働、環境、福祉等の分野におけるこれまでの自明性が崩れ「流動化」(Z.バウマン)が支配的となった社会」であるという見方が、オモシロイ。

日本の食生活など、まあ、流動化もよいところだ。しかし、あいかわらずの直線的な頭で近代化を考えているひとも少なくない。昔はよかった昭和はよかったと言って、「スローライフ」や「スローフード」や「地産地消」はたまた「感謝」だのと、お題目をとなえていればコトは片づくかのような幻想が、けっこうたなびいている。これまでの自明性は崩れているがゆえに、崩れた自明性にすがる気持は、わからないわけじゃないが、いつまで寝ぼけたことを言っているんだい、と悪態つきたくなるのも事実。

流動的で複雑になっている現実を把握する、視点、立場、姿勢、論理など、そういうものがアイマイなまま、上っ面のコギレイな言葉や表現に流されているうちに、まあおかしなことになって、イイコトやっているつもりが負の方が肥大し、じつは何かを排除することにつながるといったこともある。

それは80年代なかごろから目立つようになったと思う。とくに文化的なイベントなどをきっかけに、街から猥雑なものを排除する流れが「自然」にできあがり、そして知的であるがゆえにオシャレ、上級な上質な上品な街ができ、地域の不動産価値があがる、あるいは下落に歯止めがかかる、不動産屋がよろこび儲ける、それを地域の個性づくり、「活性化」「街づくり」「地域おこし」とか言うわけだ。そのために「多様性」や「個性」を主張する文化人風な人たちのイベントが、どれだけ利用されてきたか。もちろん、文化人風の人たちも、地域「ニーズ」を利用し売名のチャンスにしたのだけど。

いまの「下町」ブームも、それの延長線ともいえるが、なにやら文化的なイメージが高くなるにつれ、本来そこに住み暮し地域の個性や文化と伝統を担ってきた下層労働者のイメージは排除され、ま、たとえばだが、池波正太郎といった、さまざまな文化人をもって地域が語られるようになる。これは小規模ながら、下町酒場のブームなどにも見られるのだが。そこにあるのは「個性」や「伝統」でも「文化」でもなく、ある種のつくられたテーマパークなのだと。そして実際、地域のイメージが上昇し不動産価値が上がると、もとから住んでいた下層労働者は住めなくなっていく。

ま、ついでにいえば、1980年代中ごろか後半、そういう「活性化」「街づくり」「地域おこし」ってのは、おかしいじゃないかと疑問をもった、暴走するプランナーおれとフクチャンは、新しいスタイルのイベントを開発しようと取り組んだのだが、やはりうまくいかなかったね。そのフクチャンは、もう40歳半ばか?毎年年賀状が来るが、今年は「ビジネスでがんばっています」とあった。そう、見た目のよい口先きれいごとの文化イベントなんかより、誠実で真摯なビジネスの方が、ずっと大事なのだと、おれたちはそのとき悟ったのだった。

ところで五十嵐さんは、そうした状況の背景を、東京、上海、シンガポールといった、国際都市間競争から掘り起こしていく。とくに、シンガポールのチャイナタウンと東京の上野・浅草を比べて論じているところがオモシロイ。「「多様性」から排除される<多様なもの>」、なかなかオモシロイ。

五十嵐泰正さんのブログ「まだまだこんな風に生きてみたい」は、よく生きているらしく、ちかごろあまり更新がない。
http://yas-igarashi.cocolog-nifty.com/

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