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2006/01/26

地産地消の「地」とは、なにさ

報道によると、猪口少子化相が「食育担当」であるとのことだ。で、「関係閣僚と有識者による「食育推進基本計画検討会」は19日、国や地方自治体、地域などが一体となって食生活の大切さを伝えるための「食育推進基本計画」案をまとめた。」のだそうだ。

そのなかの一つは。「学校給食を使い、子どもが食事や農業などへの理解を深めることも重要だとした。そのため、現在は全国平均で21%にとどまっている学校給食への地場産物の使用割合を、10年度までに30%以上とする目標を掲げた。」

つまり、これが食育の「地産地消」というものなのだ。当ブログ1月13日に「「食品商業 2月号」 必然か おせっかいか 食育基本法」を紹介したが、この「食品商業」2月号でおれは「市場競争では輸入品と太刀打ちできないから、とりあえず「地産地消」を錦の御旗に学校給食で国産品の消化を図ろうという姿も見える」と書いた。それが、国の旗振りで行なわれようとしてる。

かつて、アメリカに押し付けられ、ありあまる小麦粉を学校給食に押し付けた。こんどは市場競争力のない国産品を学校給食に押し付け、消化を図ろうという。これが「食育」などと誇れることだろうか。大人のご都合主義にすぎないではないか。

ま、今日は、そのことじゃない。ここで気になるのは、この「地産地消」や「地場産物」とかいう場合の「地」なのだ。これは「地域」という概念だと思うが、その地域が、いかにも幕藩体制時代の「殿様地域」しか頭に無いのではないかと思われることだ。それ以外の地域は見えてこない。

しかし実体は、地域の概念は、どんどん変わっている。交通網通信網の発達で、地球全体が一つの地域になりつつある。その動きと「殿様地域」を地域としか考えない「地産地消」のあいだには、えらいギャップがあるわけだ。そのことなんだよな、モンダイは。

ということで、ここにオモシロイ、「地域的ヒーロー 地産地消を超えて」という記事がある。このあいだから気になっているのだが。とりあえず、ここに紹介。こういうぐあいに言葉の持つ自明性を超えて、政策を構想する力が必要なんだよなあ。

それなのに、あいかわらず「殿様地域」の発想で、どうするの。だいたいね、これまでだって、「有識者」による政策なんか、ろくなもんじゃかったから、おかしくなったのじゃないか。ひっこめ、有識者。

とにかく、偉そうな有識者より、若い藤井さんの方が、エライ! 当ブログにもリンクいただいている、「ほっと一息、藤井です」ブログ。の「地域的ヒーロー 地産地消を超えて」
http://d.hatena.ne.jp/yoshiyuki1ban/20060120#p1

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コメント

藤井さん、どーも、コメントありがとうございます。とても参考になります。もっと、こんな風に意見交換をできる場所があるといいのですが。

食育基本法、動き出してみれば、やはり上意下達の官僚的な動きと、栄養士や食関係の一儲け組の動きばかり目立ち。

しかし、どうせ決まった法律ですし、どうやらこの四月からは、かなりウルサクなりそうですし、これからは当ブログでも「食育を超える」視点で発言したいと思っています。

またご意見きかせてください。

投稿: エンテツ | 2006/01/27 11:26

エンテツ様

 トラックバックありがとうございます。いつも読ませていただいているプロの方のBLOGに取り上げていただけるとは、まさか夢にも思っていませんでした。
 「ザ・大衆食」の汚点にならないことを祈るばかりです。
 エンテツ様が仰られたとおり、食育自体は批判とするところではなく、
・「なぜ地域独自の特殊な食を、わざわざ上から画一的に決められねばならないのか」
・「食育、地のものを食するなんてとうの昔からわかりきっていることを敢えて今更声高に叫ぶ国の意図は果たして何なのか」
という点に、同じく不快感を覚えるのです。
 輸出を拡大したい国々からは抽象的だとして非難を受け続けているものの、政府は「農業の多面的機能」をしてなんとか農地耕作者主義、食料主権をWTOの交渉の場で守ろうとしている。米以外のものを犠牲にした現実もありますが。
 一方で、国内では農業の民営化を一番推し進めているのも政府であったりします。「食育」に求められる産品は実は非常に手間がかかり、高価なものです。
 裏を返せば、「高付加価値」なものです。流行でいうなら「ブランド」でしょうか?農業に民間企業が参入する中で、従来は農地の担保的価値を求めていた民間企業が、本格的に農業で利益を得ようとしている。後継者が減る続けている現実ですもの、農業を担う人間は農家でなくなりつつあるかもしれない。
 「食育」とはもしかしたら「野菜は高いものだ」というイメージを植えつける格好の政策であるかもしれません(推論で申し訳ありません)。
 安い中国さんや農薬のたっぷりかかった野菜は、お金のない人間が食べればいい。「食育」という当たり前のことを国家政策で行うことは、もしかしたら食差別の実態を明らかにしたのかもしれない。
 もっとも危険なのは、ここで目標を一方的に決めたことですよね。有難い「食育」ですが、その目標は未だに上から決められている。
 政府の考える地産の「地」とは、地域ではなく、中央と対比された「地方」とも読み取れる。江戸時代の幕藩体制では封建制度であれ、藩の自立性が多分に認められていました。現在の「地域」は、権限も財源もない「殿様地域」よりも酷いものかもしれませんね。末端扱いの「地域」で果たして目指すべき地産地消となるのでしょうか。
 エンテツ様の記事を読ませていただき、もしかしたら「食育」という美辞麗句には、このような陰の面もあるかもしれないぞ、という示唆をいただきました(誤解がありましたらお許しください)。


 僕は地域的差異を認める立場です。農家が専門契約をホテルとむすんで発展しても構わないと考えます。地域的差異こそが個性であり、面白いものを生み出す源泉と考えています。ただし、地域間で必ず対立が起きるでしょう。富める地域もあれば、売れなくて発展しない地域もありましょう。
 それをどこまで許容するか、最低限の基準はいったい何なのか。地域が独自に、現場から出した目標を調停する場として国家の役割はあると間が考えます(国があって地方があるのではなく、地域の集合体としての国)。
 産業として農業を捉えるのなら、このままでよいのですが、農業は土地と切り離せない、環境財としての側面も持ち合わせております。皮肉な話ですが、人が開墾して作った棚田が死ねば、山自体も死んでしまうのです。産業だけでは捕らえきれない、非経済的価値をも持ち合わせたものが農業であります。
 食育推進会議では、食と栄養、農村の活性化、環境をも合わせた複合的な内容となっております。
 複雑な内容であり、それを行う場が地域とわかっていながら、現場である自治体の項目がなぜ末尾に、しかも補足的な扱いをされるのでしょう。
 「地産地消」、「食育」という概念だけではくくれない、地域の人間の生き方自体が問われているからこそ、僕はネイがーに関しても「地域的」つけさせて頂いた次第です。
 長文、失礼いたしました。一方的な文章で、不快な思いをさせてしまったことをお詫びいたします。
 これからも楽しみに読ませていただきたいと思います。トラックバック、本当にありがとうございました。

yoshiyuki1ban

投稿: ほっと一息、藤井です。 | 2006/01/26 16:07

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» 食育と地産地消と食育基本法 其の1 [ジャストコミュニティファーム - Foresight of Trend : 2005年 10]
 『食育』の歴史は古く、1898年に石塚左玄が、「通俗食物養生法」の中で「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき。」と記し、1903年には報知新聞の編集長であった村井弦斎が、連載して... [続きを読む]

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