ココは、さいたま市は浦和区、おれが利用する最寄り駅はJR京浜東北線北浦和駅。京浜東北線で都内へ向うときは、電車が荒川を渡り都内に入っての最初の駅が赤羽。この赤羽は、「下町」と「山の手」の分岐点の駅だ。
つまり、赤羽からそのまま京浜東北線に乗って行くと、電車は関東台地の崖下を、途中、田端からは山の手線と平行して、品川まで走り抜ける。赤羽で埼京線に乗り換えると、電車は池袋、新宿、渋谷、目黒と、関東台地の上、山の手を突き抜ける。
だから、どうした。いや、やっぱり、崖下と上とでは違うということが、この埼玉県側から見ると、あらためてかんじる今日この頃なのだ。まずは、とにかく、赤羽で、どちらへ行くかの選択になる。それを意識しようと思うとできるから、意識してみる。すると、やっぱり違いを感じる。誰かと会うとき、さて、どちらで会うかは異文化の選択になる。というと大げさか。
話しはちがうが、関係ないこともない。本やブログは、自分が好きなものだけを選んで見ることができるから、自分が気分がよくなるもの好きなものだけを選ぶ傾向に流れやすい。あるいは自分にとって役にたちそうな基準が、ものをいう。反対の異質のものもチャント見ておきましょうね、というオトナもいるだろうけど、とはいえ、自分で選択できる余地が100%あるわけだ。
だけど、街は、そうはいかない。たしかに街ごとの個性があるにしても、街は基本的に雑多な人たちで成り立っている。好きな人がいる街はあっても、好きな人だけがいる街なんてのはない。ある店に入れば、好みじゃない人間と一緒になる可能性が、おおいにある。あいつのブログなんてゼッタイ見たくない、なんてやつと隣り合わせになるかも知れない。
で、そこからなんだな、モンダイは。「下町」のばあいは、狭いところに雑多な人間が暮してきた、しかも職住一緒か近接がふつうだった歴史が長い。そこに、誰かの言葉だったと思うが「雑多の倫理」つまり、たとえば、口も聞きたくないやつとでも、なんとか折り合いつけながら暮らす倫理というのかな、そういうものが育ったわけだ。ま、酒場でのマナーなどに、じつによく表れている。
山の手は、どうか。そこなんだな、モンダイは。山の手も、戦後「家屋密集地帯」がなくはなかった。きのう書いた、小沢信男さんが住んでいた、東池袋5丁目、もとは巣鴨といった池袋と巣鴨の中間や、あるいは池袋と大塚の中間、池袋と目白の中間にはドヤもあった。
だけど、「家屋密集地帯」を、小沢さんの言葉を使わせてもらえば「”文化的”」でないとみなし、「”文化的”」恩恵をほどこそうとする再開発の進行で、駅周辺から破壊され再開発ビルができ「”文化的”」にされてしまい、その「”文化的”」お節介が、どんどん広がった。
と、ここで、モンダイでクセモノなのは、「”文化的”」ということなんだなあ。というのも、山の手に見られる現象は、たとえばこれまでの下北沢などそうだが、必ずしも駅周辺に再開発ビルができなくても、文化の香りのする「”文化的”」な人びとが進出して、そこから元の住民は次第に退き、街が変質してしまうということが進んだ。
そういうところでは、ある種、文化的なセグメンテーションが進行し、見た目の街の様子は雑多だが、その中の通りごと、あるいは1店1店ごとに「”文化的”」な差違があって、違うものは入り込めないという排他性を持つ。「”文化的”」に共通の好みのものたちが集まる、かといって元からの無名の住民の文化ではない。それは街や店の「個性」であると肯定された。
あとから進出してきた「”文化的”」な人たちは、そこにどんな無名の住民たちの文化があったかも知らない。自分たちが、どんな文化を破壊して、そこにいるようになったかも知らない。自分たちが街の個性である「”文化的”」な存在であるがゆえに「善」であるという、捨てたものを顧みない無思考が存在する。音楽や文学や演劇、ある種の「芸術」に関わっていれば文化であるような……。ま、そうなのかも知れないが、はたしてそれが文化といえるものなのかという気もする。
あたかも、ある種の文体を採用することが、ある種の人たちを読者から排除する文学と、とても似たことが、街で、行なわれてきたわけだ。
山の手の文化は有名性の文化であり、下町の文化は無名性の文化、とでもいえるか。
ま、今日の思いつきを忘れないうちに書きました。とさ。
望月照彦さんの『マチノロジー 街の文化学』から「下町――混在の思想」を読んでの雑感。
狭いテーブルに相席がアタリマエの大衆食堂では、下町と山の手の、こういう文化的な差違は、あまりないように思う。大衆食堂は、どこにあっても本質的に「混在の思想」であることで、大衆食堂なのだ。