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2006/02/09

東京の街はスーパーマーケットか?

大衆食堂っていうと、昭和レトロな、アア、昔はよかったよなあ、あの食事こそが近年失われた日本の正しい食事、スローフードなのだよ、おふくろの味なのだよ、といった話になりやすい。そういうことを期待して、拙著『大衆食堂の研究』を読むと、とんでもなく裏切られる。

昔はよかったという話はないわけではないが、よかったかどうかの前に、何が失われたのか、それは屁なのかクソなのか立ちションなのか、というモンダイがある。つまり、捨てられ廃棄されたもの、それが何であるか、なのだ。だから、サブタイトルは「東京ジャンクライフ」なのだな。

それなら、おふくろの味が捨てられたのだろう、地産地消のスローフードが捨てられたのだろうという人がいるかも知れない。

そうかも知れないが、おれは大衆食堂と大衆の雑多性と情念、その大衆食堂があり大衆がいた東京の雑多性と情念が失われたと見ている。そして、それが、まだしも蓄積されているところが、大衆食堂だったのだ。そして、その雑多性と情念をもたらしていたのは、上京する田舎者たちだった。

ってわけで、本編の最後は「思えば…編*田舎者の道」であり、その最後の章「五、田舎者は食堂へ行け」で、「東京の食堂を継承することは、東京に田舎者の自立心と野性をつなげることなのだ」と書き出し、「東京の田舎者、食堂のめしをくえ」で終ったのだな。

東京の雑多性と情念は、たえず東京に流入し続けた「流民」であるところの、田舎者の自立心と野性によるものである。大衆食堂と大衆食堂のメニューを、ささえたのは、それなのだ。そして、それは、東京の街そのものだった。その体験を、『大衆食堂の研究  東京ジャンクライフ』にまとめた。

何度か書いたように、この本を山本容朗さんが週刊ポストで紹介評論したとき「この著作は、型破りの東京同化ストオリーだろう」と述べたのは、ま、そういうことだからだろう。おれは、東京に同化し切れなかった者であるが。

なぜ、いま、こんなことを書いているんだろうね。

なははははは、そうだ、きのうから、『音の力 ストリートをとりもどせ』(DeMusik Inter.編、インパクト出版会、2002年)を読んでいるからだ。イロイロな方の文章や座談会をまとめたものだが、最初は、酒井隆史さんの「都市再編と音楽」である。まだ、これだけしか読んでないのだが。

そこで酒井さんは、大阪の、とくに天王寺駅を中心とする地域に注目し話をすすめている。そこで、「思いがけない異質なものの「共存」の光景を生み出している」ことに驚いたのだ。そして、アレコレ考察の結果、「極端なまでに人の流れを管理し、セグメント化することで、同質化を高めている「帝都」東京に対して、大阪においては同質化の圧力のなかにも多様な歪みがそここに残されていくのだ」と言う。

で、2月6日の当ブログの「下北沢再開発に注目」だが、世田谷区の下北沢再開発計画で感じたのは、やはりそれは、「極端なまでに人の流れを管理し、セグメント化する」導線づくりとゾーンニング、セグメンテーション、あるいはカテゴライズやパターン化といった、従来どおりの手法であり、スーパーマーケットやファミレスなどの売場づくりと同じ思想であり方法なのだ。

とくに石原都政になってからの東京は、「衆」を自然発生的に群れさせないよう流動化させないよう、物理的にも文化的にも、「計画性秩序性」のある「帝都」づくりを推進しているようだ。喫煙が禁止されたがゆえに、たばこの吸殻一つ落ちていない街に、人びとは慣らされつつある。

街はスーパーマーケットのようになり、そういうキレイゴトのなかで、人びとは、ますます自立性や雑多性や情念を奪われ失い、同質化される。

もう書くのがメンドウになった、だからさ、大衆食堂なのだ。

『音の力 ストリートをとりもどせ』では、まだよくわからんが、音(楽)で、ストリートをとりもどせ、ということらしい。

とすると、おれは、大衆食堂のめしで、街をとりもどせ、ということなのかな? だははは。酒飲んでいるだけ。

Tokyo-Loizaida Organizers (管理人は東琢磨さんか)に『音の力 ストリートをとりもどせ』の詳しい紹介がある……クリック地獄

『大衆食堂の研究』もアマゾンで買えるようになったから、買って読もうね。と、センデン。

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コメント

でれすけさん、どうもありがとうございます。
本の流通というのはよくわからないところがあって、いったい、どこまで本をとりに行っているのだ、もしかすると海外に倉庫があって、船便で取り寄せているのじゃないかと思うことがありますね。

ま、よろしく。

投稿: エンテツ | 2006/02/12 09:53

「大衆食堂の研究」つられて私も注文しました。
でも、到着予定は3週間後です。
倉庫のえらい奥のほうにまぎれているのでしょうか。

投稿: でれすけ | 2006/02/11 21:10

ども、ヤマザキさん、お買い上げありがとうございます。一週間で到着とは、かなりはやくなっているような。しかし、10年前の新本が、いまになって買えるようになるとは。ミイラが生き返ったのか、浦島太郎か。

食堂は喋りますよ~。自虐的プライドか、開き直りのプライドか。みな意気地があるような顔をしている時代に、なかなかであります。いまや落語家がゲージュツ家を気どって偉そうにしているけど、場末の大衆食堂のオヤジの話のほうが、よほど落語でおもしろいです。

投稿: エンテツ | 2006/02/11 08:19

アマゾンに注文していた『大衆食堂の研究』、今日到着しました。注文してから一週間近くかかったようですが、労組が長年押さえていた倉庫から、引っ張り出してくるのだから、まあ仕方ないでしょう。送料のかからない1500円という定価も、10年前のものですが、大変ナイスです。これからじっくり拝読しますが、前書きの「ジャンクな食堂に、一人で入れるかい?」で、久しぶりに現われた、昔の常連客のおじさんに、食堂が(食堂が喋るのか?)「おひさしぶりです。ご出世なさって。うちなんか意気地がないから、あのころのまんまですよ」というのには笑いました。意気地がない? なるほど、落語みたいな呼吸ですが、これが食堂のプライドなのですね。

投稿: kuninori55 | 2006/02/11 01:09

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