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2006/03/31

野菜炒め最後の登り、『談別冊 shikohin world 酒』詳細

野菜炒めは、イチオウ今日が締め切り。もう何十枚書いたのか、とにかく、ほぼ足りそうだから、これで仕上げてしまおう。と、ガシガシやっているところへ、『談別冊 shikohin world 酒』が宅急便で届く。ぎゃははは、浅生ハルミンさんのイラストが金箔押しの表紙だ。イイ雰囲気。

とりあえず、最後ドタバタで校正を片付けているから、マチガイがないかザッと見る。ま、大きなマチガイはないようだ。小さなマチガイは気づいていない。気づかない方がシアワセ。ということで、大急ぎで、写真と内容紹介をザ大衆食のサイトに掲載した。あとで、ゆっくり書き足すことになると思うけど。

おもしろいよ~……クリック地獄

さて、とにかく、野菜炒めだ。酒が切れているから買いに行きたいのだが……酒、酒、酒、野菜炒め……

気になるな、正味量、ガス、生保と肥満。

ニフティは自分の販促だけ優先熱心で、客のことを考えていない。前からだが。ほかのプロバイダーも同じなのだろうか?

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2006/03/29

『談別冊 shikohin world 酒』発売です

雑誌『談』編集長によるBlog 3月26日に告知されている。『談別冊 shikohin world 酒』が発売だ。

おれは、二本、それぞれ400字換算約20枚書いている。

一つは、でゃははははは、なんじゃこのタイトルは、そのとおりだぞのエッセイ「浴びるほど飲む人はどこにでもいる  ……酔いたい、酔うために飲む飲兵衛の存在」
もう一つは、酒蔵ルポ「風土と市場そして宿命と技術  ……高千代酒造を訪ねて」

ま、どちらも、中学生のころから酒を飲んできた飲兵衛の地で書いたものだ。
最後、校正から印刷まで時間がなく、間違いがないか、現物を見るまでチョイと不安が残る。

編集・発行 たばこ総合研究センター[TASC]
制作・販売代行 アルシーブ社

地方小出版流通センターでも扱います。神保町の書肆アクセスでも販売されるでしょう。
詳細は、本が届いてから案内いたします。

A版正方形、こった装丁とデザイン。232ページ。1500円。
茂木健一郎、鷲田清一、玉村豊男、堀口俊英、山崎正和、小泉武夫、伏木亨……なんじゃ、そこにおれもいて、どういう顔ぶれなのか……「一クセも二クセもある19人の酒飲みが現代の「酒」について語り尽くし、執筆しました」だとさ。

こちらに書店さん用につくった広告があります。拡大して見てください……クリック地獄

よろしく~

はあ、酒飲みてえ、でも、まだまだ佳境の野菜炒めだもんね。

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2006/03/28

頭の中は、腰痛快癒 庖丁文化論と庖丁人味平

はて、あの腰痛の原因は、いったいなんだったのか。同居のツマは浮気を疑うが、うふふふふふ。やってみたいねえ。

メモ。

●1974 年の『庖丁文化論』(講談社)で、著者の江原恵さんは、こう書いている。『庖丁文化論』は、その前年1973年に、エナジー叢書が募集の懸賞作品に入選した。

「日本料理は敗北した。外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している。」

「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド形の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして、根本的に作り変えることである。山名のような名人料理人の、皮相的な芸術趣味の自己満足で、日本文化を代表させるような在り方を反省することである。料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう。」

「日本料理の粋は、料亭の酒肴料理にしかないのである。料理学校や短大でさえも、そいう粋を指向する庖丁を手本にしているのだ。こういう事態は、すこし異常で、非合理的な生活文化であるとはいえまいか。」

「赤坂や祇園の料亭料理を、われわれ日常の食膳にのせるまでにはいたり得ないだろう。……第一そういう仮定からしてばかげている。ばかげてはいるけれども、全体的方向としてそれを指向しているのが、わが日本料理文化の理念であり、現状である。」

「試みに、書店にぎっしりと並んでいる料理の本を二、三冊めくってみよう、すると、わたしたちは観念的には、いつでもそういう伝統的な醇日本料理を食卓に並べることができる、というしくみになっている。しかし現実の毎日の食事は、魚肉ソーセージであり、カレーであり、すき焼きであり、漬物であり、味噌汁である。」

●『庖丁人味平 1』(作・牛 次郎、画・ビッグ錠、集英社文庫1995年)には、こんな場面がある。この初出は、週刊ジャンプ1973年だ。つまり『庖丁文化論」が書かれた年と同じころの話だ。

味平がコックになることを決意した日、築地で一番腕が立つと評判の板前、味平の父塩見松造は、味平を殴り、「日本料理以外はへみてえなもんだ」と自分の庖丁さばきを見せる。そして「どうだコックなんぞに こういう 庖丁さばきができるかってんだ」と見得を切る。

それを「アッハッハハハハ!!」と笑いとばした味平は言う。

「こんな曲芸みたいな庖丁さばきと料理となんの関係があるんだい」「そりゃあ とうちゃんたちの 日本料理の世界じゃ こんな芸当がハバをきかすかも しれないけどネ」

そういう日本料理を食べられるのは「高いお金をだせる会社の重役だとか裕福な人だけ」「値段がべらぼうに高いんだヨ」

松造は「あったりめえヨ 日本料理は高級なんだ そのへんの食堂とおなじにされてたまるけえ」

味兵は言い返す「でもね とうちゃん 料理はみんなのものだろ」「おいしい料理が安い値段でたべられる! これが料理じゃないかい」「日本料理ってのは お金のある人だけのものなのかい……? オレたちみたいな ふつうの人には たべられないのかい?」「とうちゃんは たしかに日本一の板前だ」「でも、その腕が一般の人から日本料理を遠ざけているんだヨ」

「一般の人たちがたのしめる料理! おいしくて 安い そんな料理をつくる料理人になりたい」と味平は言い残して家を出る。

●おなじころに、ある種の帝国(つまり日本料理業界が君臨する日本料理)の崩壊を見た人たちがいた。帝国がなくなる未来を想像したのだ。ただ、味平は、プロの「大衆料理」の世界へむかい、江原さんは家庭料理へむかった。

最近は、古い帝国を懐かしがるばかりで、未来を想像する力は失せたのか。大量隠居の団塊の世代に引きずられるのか。ただ古を良しとし懐かしむばかり。隠居社会到来、時代は黄昏。未来を想像しない温故知新。帝国の逆襲なるか。

ようするに、帝国がなくなる未来を想像しないかぎり、なにをしても言っても自由である。

■思い出した、きのうの補足。
江原恵さんは、たしか70年代なかば、どこかのテレビ局の番組か雑誌かで池波正太郎さんと座談かなにかあって、そのとき、別れぎわに池波さんから「遊びにおいで」といわれる。江原さんは、そのころ、そのことをしばらく、「会いに行くべきかどうか」考えていた。おれと酒飲みながらも、「どうしたもんかねえ」と言っていた。そして、結果、行かなかった。群れない群れることを怪しむ「一匹狼」は伊達じゃないし生き難かった。

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2006/03/27

メディアのなかで自分を見失う料理

江原恵さんの著書に『辰巳浜子 家庭料理を究める』がある。リブロポート、シリーズ民間日本学者の28、1990年刊行。江原さんは、辰巳浜子の娘さんの芳子さんにも取材して、これを書いている。辰巳浜子さんは、かつて1960年前後からNHKの「きょうの料理」などで活躍した人だが、当時は料理学校やプロの料理人が「料理の先生」であったなかで、めずらしく主婦から「料理研究家」になった人だ。

この本の脇のおもしろさは、ただの一人の主婦がメディアに登場し本を出版するようになるにしたがい、変わっていくところだ。

辰巳浜子さんの出版デビュー作である1960年『手しおにかけた私の料理』と、それから10年以上過ぎた1973年『料理歳時記』を、江原さんらしく詳細に比較検討している。そして「しかし料理家として名を上げ、マスコミに知られてくると、時代の風潮にしだいに引きこまれて行く傾向が出てきた」と。

それは江原さん自身が体験し、そして引きこまれないようにしていただけに、なかなか克明にとらえている。

正確にいえば「時代の風潮」というより、取り巻きとなったメディアの人たちやファンに引きこまれて行くのだ。これは、ある一面、じつに気分のよいものであり、自分が、ただのそこらの主婦や大衆の一人ではなくなった錯覚を持つ。

自分の周囲には、自分を好み、自分も憎からず思う人たちが集まり、そのなかでおだてあったり褒めあったり冗談を言ったり、しているうちに、そこでの気分やコトバに自分が支配されるようになる。だけど、気分がいい。しかも有名なメディアという権力でもあり権威でもある人たちと交わっているうちに、自分もその仲間であると思う。それもまた気分のいいことだ。その仲間で通用する気分やコトバも覚える。そして、それが表現にあらわれる。

そういうものを江原さんは見逃さず指摘する。残念な気持をこめて。

このことを思い出したのは、きのう、いま佳境の野菜炒めの原稿の調べで図書館へ行き、娘の辰巳芳子さんの『手からこころへ』(海竜社、2004年)を借りてきて、パラパラ見ていたからだ。

その本を借りたのは、野菜炒めとは関係なく、「汁かけ飯」の項があったからで、まあタイトルからして、台所仕事は手仕事だと思うのだが、『手からこころへ』とは、時代の風潮が手に汗して働くより、心地よいこころの話のほうがよい具合になっているからだろうかと思いながら借りてきた。

辰巳芳子さんは1924年生まれだから、浜子さんが1960年56歳の『手しおにかけた私の料理』のときには、36歳ということになる。そのころから、浜子さんの周囲の有名メディアな空気を吸いながら生きてきたのだな。

日本人のなかでも自分は上質な人間であるというコトバに満ち満ちている。ま、上質の人間であろうことは認めるのにやぶさかではないが。「手から こころへ」に始まり、「伝える喜び」「心を耕す」「私のむだなし考」「心を奏でる」「春の恵」「愛あればこそ」……こういう類の本の常套句に満ち満ちている。それでいて、自分は地を這って「底の方を拾って」生きているようなことを言う。これも、常套だ。

「汁かけ飯」については、「表現さまざま」というタイトルで、このように書き出す。

”汁かけ飯”を作っていたら、簡単と簡素の違いがなんとなし気になってきた。 簡素の中にはやはり美があり、思索の裏づけ、または思い入れの跡が認められる。簡単は、どうも、それから先は無いもののようだ。

そして彼女は、「戦後、この食べ方はすっかり忘れていたが、この頃さんざん美食をなさった方のもてなしに窮し、はたと思い出した。しかし今の世にこの思惑を成功させるためには、質素が簡単ではなく、簡素に達するよう、ささやかな美意識でやりくりすることとなった」と書く。

なんとまあ、私は汁かけ飯をすすめるが、私が付き合っている方々は「さんざん美食をなさった方」たちで、つまり私は、そういう人のお仲間なのね、で、私は簡素な美意識を持った女なのですよ、ということをもったいつけて言っているだけなのだ。

かりに、心を耕す思索の裏づけのある簡素な美学の持主だということを認めてあげてもよいが、それなら、こういう類型的な表現はイッタイどこから出てきたのかと思う。

「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」

なんとまあ、陳腐な、ブッ、「世界に冠たる響き」? おれは思わず吹きだしたが、きっといい気分で書いているのでしょうなあ。こういう表現が、続々とある。

しかしそれが、彼女が生きてきた、そして生きている、有名メディアな環境の空気なのだろう。それはまた読者まで含めた、売れる有名になれるメディアの現実の姿なのだろう。

ま、おれは「簡単」な野菜炒めが、もうおもしろくてねえ、50枚ぐらいは書いてしまったかなあ。末日までに、100枚書けるか。がおおおおおお~

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2006/03/26

桜開花腰痛鈍 家庭料理をおいしくしたい

腰痛は愚痴をこぼさなくてすむぐらい鈍化しアパートの前の公園の桜が咲き始めた。夕方都内の場末に行き下層労働者たちと飲む某大衆食堂閉店のウワサを聞く。無理せず早退。

「ザ大衆食」のサイトに、江原恵さんの「家庭料理をおいしくしたい」のもくじだけを、とりあえず掲載した。食育やるなら、この本を読んでから。……クリック地獄

野菜炒め佳境に入る。でも野菜炒めだけで、400字換算100枚は書けないよなあ。

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2006/03/25

頭の中は、潰し合い

物さびしく思うに、崩れ行く国家というのは、こんなものだとは思うが、庶民同士がいがみあい潰しあうのである。対立を煽って、悠々と得している連中は誰か。庶民は、その連中の代理戦争をやりながら、いがみ合い潰しあい草臥れ傷つき……そうやって、酒を飲みたくなるだろうが、そういう酒は、あまりいいことないよ。酒は、陽気に飲みましょう。

って話じゃないんだが、食生活という分野でも、まあ、潰しあいですわ。とにかく、いまイチバン叩かれているのは、消費者でしょうなあ。とりわけ食育基本法以来、その傾向は、ますます強まっている。消費者つまり愚民は、すべての悪の根源なのです。この場合の消費者とは、なんの生産手段も持たない、権力からも縁遠い、都市型生活者ってことになるが。おれみたいなの、立場、弱いですなあ。

その背景を、チョイと極端に単純明快に考えてみよう。日本は縦割り行政で、地方の民まで、そのタテの支配下にある。

で、消費者は、行政的に、どの支配下であるかというと、経産省なのだ。流通もそうだし、ま、農林漁業以外は、経産省配下なのだ。消費者は経産省の民である。

農水省は農林漁業の民が配下だ。畜産も日本では農業の一環だったから、牛肉の輸出入もココ。農水省にとって消費者は、なんなのか? 憎らしい経産省の民だ。

食関係では、厚労省。栄養だの健康だの肥満、そういう震源地はココだ。厚労省にとっては、消費者は生理機能を持った動物にすぎない。そして、厚労省にとっても、消費者は経産省の民でしかない。

最近は文科省が食育でからんできた。ま、学校給食を抱えているし、学校を卒業して増え続ける栄養士たちをなんとかしなくては、学校経営の危機を招きかねないということもあるかな。文部省の配下の民というと、インテリや学生生徒児童。保育園児はちがうが幼稚園児は文部省の民だ。ま、とにかく、、文科省にとっても、消費者は経産省の民だ。

農水省、厚労省、文科省が消費者を叩き安い理由は、これで単純明快だろう。マスコミは、記者クラブなるもので、そことつるんでいる。その省庁とつるんだマスコミの周囲には、各種団体やインテリたちがいて、メディアを舞台に、それぞれの利益を、さもさも客観であるかのように演出するために活躍する。そして、民は、その代理戦争に巻き込まれる。

ところで、経産省の民である消費者は、経産省から経産省の民として厚遇とまではいかなくても、守られているかというと、そうではない。経産省にとって大事なのは産業であって、消費者は、まさに産業の消費者にすぎないのだ。守る対象ではない。それは最近のPSE法でも、わかるだろう。

かくて、消費者は野ざらしの叩かれ放題なのである。みな、消費者を悪者にして、自分の存在を維持したり存在感を高め、利得を得ようとしている。そういうところでは包括的な政策など成り立つすべもない。

食生活を基本にした包括的な政策が必要なのに、お互いに利得を争い、その利得をあからさまにしないために「正しさ」を主張し、相手の欠陥を突き、潰しあう。そして年月が過ぎる。

「和食」対「洋食」の争いも、そこに震源がある。そもそも、いまだに「和食」だの「洋食」だのとは、なんだろうか。なぜ「近代日本料理」「近代日本食」の認識を持ち得ないのか。前にも、チョイとふれたが、たとえば、農水省と厚労省の対立があったり。その背景に、栄養士団体や生産者団体の目先の利得が絡んでいたり。

政治家や役人たちの権力争いの代理戦争を、なぜ庶民がやらなくてはならないのか。食生活の現実から出発する発想を、なかなか持てないのである。

ところで、社団法人日本料理研究会なるものがある、この団体の所轄官庁が農水省だったとは知らなかった。これは、わかりやすくいえば「板前」の団体である。社団法人だが、どうやら、その代表者は、世襲なのか一族支配なのか、創立者の系譜のようで同じ苗字である。

なんとも歪んだ食の構造である。食育以前のモンダイだろう。食育以前といえば、農協や漁協は自ら招いた農業や漁業の衰退について、キチンと説明できるようにして、食育にのぞむべきだろう。栄養士にしても、少なからぬ混乱の原因をつくっているだけではなく、いまでも栄養士が栄養の専門家であることはよいとして、「食生活の専門家」を主張するのは欺瞞である。もし「栄養教諭」として学校教育に関わるのなら、その根拠を明快にして望むべきだろう。ひとを教育し生活に口をはさむ前に、自らの責任をキチンとする習慣が必要なのではないか。

とにかく、政治家や役人たちの権力争いの代理戦争はやめ、まずはお互いの食を、いまを生きる日本人の食として認め合いましょうね。それからですよ。

と、いちおう、むなしい発言をしておきます。ああ、快食、快食。

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2006/03/24

頭の中は、野菜炒め

今日は、頭の中が野菜炒めでイッパイだ。ぐわっと、腰痛も吹き飛ぶほど、野菜炒めでイッパイだ。

←左サイドバーにあるリンク、「大衆食と「普通にうまい」」に、こんなアンバイに書いてある、野菜炒めのことだ。

以下引用……

 食べ物の本はたくさんあって、いろいろな知識が得られる。しかし、イザ身近なところで、自分の親の代は何をどう食べていたのか、本を読んでも考えてみても、わからないことがたくさんある。祖父母の代にいたっては霧のなかの景色を見るようなものだ。そして、あらたまって考えてみると、自分のまわりでは何をどう食べているのか、よくわからないし、わかってみると驚くことがたくさんあったりする。

 どうもおかしい。たとえば、サバ味噌煮やとん汁や野菜炒めやマカロニサラダの歴史などは、話題にもならない。おそらく、この4品の歴史の重要性すら認識している人は少ないだろう。わが味噌汁の歴史ですら、かなりアイマイなものである。

……引用おわり

この野菜炒めについて、書き始めた。これは、まあ、やり始めたら、ホントおもしろい。と、おれがおもしろがるものは、たいがいの商業出版の編集者はおもしろがらないから書くチャンスはないし、商業出版ではないものに掲載するのだ。

うーむ、これは、しかし、調べれば調べるほどオモシロイが、もう締め切りまであまり日にちがないから、いま手元にある資料を読み砕くだけで精一杯かな。もっと、調べたくなってきたが、おれはイイカゲンな人間だから、ま、このへんでと、すぐケリをつけちゃうんだよね。いい性格している。

イイカゲンといえば、「よい加減」のことだけど、「よい加減」といえばマイナス点ではない、だけど「イイカゲン」というのはマイナス点の響きがあるな。

戦前の外食本を見ると、味覚の評価に「よい加減」というのことばを盛んにつかっている。最近は、あまり使われていないような気がする。みなの気分が、「よい加減」ではなく、「加」か「減」かというふうに短絡してきているのかも知れない。気分や考え方が、「タイト」なんだなあ、もっと気どらず気楽に「ルーズ」にイイカゲンにやりたいものだ。やっている。

があああああ、野菜炒めは、おもしろいいいいいいい

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2006/03/23

外食本の書き手たち

退屈男と本と街〒カワチ日手紙〒からの引用があり、そのなかに「帰りに、上司から褒められた。「こんなに組んだ人の意図のわかる予算は初めてだ」と。嬉しい。……」とあって、むかしを思い出した。

おれはかつて、20代後半の4年間ほど私立学校に勤め経理をやっていたのだが、そのとき、予算書ってのはブンガクなんだよな~と「開眼」した。それから、実務書あるいはビジネス書のたぐいを、ブンガクとしてよく読むようになったのだが。

予算書には、いろいろなひとのいろいろな思いが詰め込まれていて、とくに学校となると、教育に対する思いが詰め込まれている。まさに「内面のブンガク」なのだ。

当時は、1960年代後半だが、非営利法人の会計とくに予算編成と実行の技法として、「PPBS」というものが、ハヤリというか導入が盛んだった。カタカナで書くと「プランニング、プログラミング、アンド、バゼッティング、システム」の略なのだが、これは、「基本計画(政策)と実行計画(政策)にもとづく予算システム」というような意味で理解されていたと思う。

いわゆる「マクナマラ戦略」というものがあって、「PPBS」は、その戦略思想の一環であり、米国国防長官マクナマラが考案した、原子力潜水艦のポラリスの建造に関わる計画と予算の方法がもとになっている。原子力潜水艦の建造には、従来の艦船とは比較にならない量の部品が必要とされ、経験的な方法ではモンダイが多発したことから考え出されたとか。と、教わった記憶が、まだ残っている。最近のことは覚えられず、どうでもよい昔のことを覚えているな。

とにかく、その講習会などを、何回か受けた。本も、たくさん読まされた。それまでは、予算編成の方法というと、「経年実績方式」ともいうべき、つまり今年度と過去数年の実績の推移を検討しながら、次年度予算を決めるという「慣習」が圧倒的で、これはコンチニでも公共団体などでは続いているような気配があって、これだと予算を使い切らない科目は、次年度予算で減額されちゃうわけだ。

そういうやり方を改めようという意図もあって、「PPBS」の導入が強調されたのだが、確か、けっきょく、日本の体質に合わないという理由で、公共団体系では不評に終ったように思う。もちろん「日本の体質に合わない」のではなく、自己変革が嫌なだけだったのだが。

おれはというと、「PPBS」の知識があったおかげで、その後企画会社への転職も容易だったし、プランナー稼業と会社経営には、これがずいぶん役に立った。

ま、とにかく、数字も、こころ模様を表す。そして、日本の近代文学の主流は、そういうことに関する理解が決定的にヨワイ。まさか予算書に人間の内面が表現されているとは考えてもみない文学が圧倒的なのだ。韻文や散文のカタチが整っていなくては、文学ではないわけだからね。

感性は、文字や文学の以前にあるものだという、いとも単純なことを、見ないのか忘れているのか知らんが。役人たちの「経年実績方式」のような悪しき慣習が、いつまでも続くのは、そういう文学と深い関係があると思う。とにかく、予算書には、未来にのぞむ意図やこころが詰まっているのであり、決算書には、過去の意図やこころと行動が詰まっているというわけだな。

ま、そういうわけで、やっとタイトルの話になると。戦前の食べ歩き本というか、外食本の書き手というのは、二種類の人種になるようだ。一つは新聞記者、一つは、いわゆる食通道楽者。文士や文学者といわれる人種のものは、あまりない。戦後になって、文士、文学者が加わり、さらに「ライター」「フリーライター」という人たち。これは、チョイとオモシロイと思った。

でも、今日は、前置きが長すぎたから、これでオシマイ。いまだ腰痛おさまらず。

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2006/03/22

まだ腰痛、で、あづま丼

腰痛って、なんだろか。左足が冷えたかんじになったり、心臓の下あたりに突き上げるような痛みが走ったり。ああ、こうやって書いていると、誰かさんのような腰痛日記になりそう。ああ、かなしい……。

って、酒を飲んで、でへろれろれろ、不機嫌に寝転がったまま、古い資料を見ていた。昭和初期、「大衆食堂」という呼称が生まれたと思われるころの東京の食べ歩き。

「家庭人」という人種がいて、これが、大新聞の主な読者であったような時代。大新聞の記者には、「家庭人」以外の労働者階級の暮らしなどは、社会問題以外では眼中になかった時代。関東大震災で江戸の名残りが一掃される時代。それはまた東京に「関西風」進出した時代ともいえるか。

神楽坂は「山の手銀座」といわれた。百貨店の食堂が「家庭人」の奥様お嬢様で賑わい興隆を極め、地方や労働者階級の貧困飢餓は、まるでウソのような東京の「家庭人」の暮らしがあった。らしい。この時代を、見極めるのは、なかなか難しいのだが、だからまたオモシロイ。

「あづま丼」なるもの、いまでも、あるのだろうか? おれは知らない。知っている人いたら、教えてください。「東ずし」というのがあって、これは鉄火のことだから、その前後の資料から推察すると、「あづま丼」は「鉄火丼」のことではないかと思われる。

関西風の呼び方が、東京の飲食店で通用する。「まぐろにぎり」は、「東にぎり」とはいわず「まぐろにぎり」だから、「鉄火」が、いかにも東京あるいは江戸風だったということになるか。

Kさんから電話があり長話、稚内へ転勤だそうだ。稚内というのは、いまやサハリンまで守備範囲、市内にロシア人も多いとか。サハリン、行ってみたいなあ。とりあえず、Kさんが稚内にいるうちに、稚内へ行こう。

きのう北浦和のチェーン居酒屋で飲んでいたら、キャッキャうるさい女が、「彼がアルバイトしろというから、やろうと思うんだけど、私がアルバイトするなら、六本木か麻布しかないでしょ」だってさ。六本木や麻布とは、そういうとこなのだな。

イテテテテテ、以上、今日の腰痛日記でした。

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2006/03/21

不愉快な日々

おれは、めったに不愉快にならない。と、思っている。怒って腹を立てることはあっても、不愉快にはならない。腹を立てたら、このバカヤロウと爆発させてオシマイだな。

はっきり不愉快になるのは、腹が減ったときだ。

やはり不愉快というのは、体調が原因である。その体調も、めったに悪くならないのだが、ここ数日は腰痛が厳しい。辛い。なんなのだ、この腰痛は。最初は、ギックリ腰のような感じだったが、そうでもない。主に、左背腹のケツに近い位置が、とくに痛むね。だから、肝臓は関係ないだろうな。登山がもとで、坐骨神経痛が出ることがあるのだが、それとも違う。

パソコンにむかっているのも、辛い。でも、ちゃんとシゴトをしている。エライ。でも、こういうとき書いたものは、不愉快丸出しになるのだろうか。この数日の日記、不愉快丸出しになっていないか、腰痛が文章にあらわれるとどうなるか、見たけどわからない。なんかでも、文章に、ネバリがないかな。思考が大雑把になるからな。もともと大雑把のうえに、さらに。

この状態で、明日締め切りの原稿を書いている。ウンウン言いながら書いている。アタマがウンウンではなく、腰がウンウンだが、不愉快でアマタがどうでもよくなる。もともとテキトウなうえに、さらに。

うんうん、テキトウ、てきとう。で、原稿は完成する。ま、JR駅構内に出店のJR子会社の立食いよりは、マシなできあがりだろう。JRブランドよりマシなんて、スゴイではないか。そういうマンゾクの仕方もある。

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2006/03/20

高田馬場つげ義春研究会、で、大衆食堂福住

高田馬場つげ義春研究会というところから、おれがテキトウにやっているサイト「大衆食堂的!」に掲載の「富浦」にリンクしたという挨拶をいただいた。

そのページを見た。……クリック地獄
地名の富浦のそばに「外」の字があるが、そこからリンクがはってある。

もちろん、リンクは、どのページにでもOKだが、富浦には、つげ義春さんが泊まったことがある、そしておれも泊まった民宿があって、チョイと詳しく書いたのだ。それでだね。

つげ義春さんと富浦、はて、どんな関係でありましょうか。おれがそこに泊まったイキサツは、そして泊まって、なにがあったか?なかったか? まだご覧になってない方は、どーぞ。……富浦へ、クリック地獄

そして、さらに、そうそう、そういえば、前に江東区平井にあった大衆食堂「福住」が閉店退去のあと、そこをつかって、つげ義春原作・石井輝男監督の「ねじ式」の撮影があったのだと思い出し、福住のページに書き加えた。……クリック地獄

以上。

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煮干しと醤油とダイコン

きのう、遅い夕食の仕度にかかって、味噌汁をつくろうとしたら、ダシがなくなっているのに気づいた。いつも、味噌汁のダシには、混合雑節をつかう。たまに煮干し。以前は、煮干しが多かったが、ちかごろ煮干しは高いような気がして、なんとなく混合雑節へ傾斜を強めている。

だから、ダシの買い置きは、混合雑節と煮干し、粉末のかつおだしとこんぶだしがあるのがふつうの状態だ。あと、めったに使わない昆布。ほかに、小袋入りのかつお削り節の缶に入った貰い物が、なぜかいつもある。粉末のものは、ちょっと味の素がわりという使い方で、味噌汁のダシに使うことはない。

で、昨夜は、煮干しもなくなっていた。煮干しは切れたまま、買ってなかったのだ。たぶん、高い印象が、ついで買いの買い置きを躊躇させているのではないかと思う。心理的な買い控えってやつでしょうな。仕方がないので、小袋のかつお削り節で、味噌汁をつくった。

小袋のかつお削り節というのは、使いみちがない。コクも風味もイマイチというか。やはり、いろいろに使えるのは、煮干しかと思った。

かつお節は、ガキのころから特別のものだった。あれをカンナで削るなんてのは、一年に何度もなく、その何度もない削りの手伝いをさせられたが、大きなかつお節が親指ほどの大きさになるまで、ずいぶんかかった。大事にだいじに使っていた感じで、それで、いったい何の料理に使っていたのか、まったく覚えがない。かつお節は、あの削る行為に、なにやら有り難い価値がある印象は残っているが、ダシとしては、それほど記憶に残っていないのだね。

とにかく、味噌汁は、記憶にあるかぎり煮干しだった。煮物にも、煮干しだった。味噌汁のなかや煮物のなかにある煮干しを、よく食べた。つまり、ダシをとって、煮干しをさらうということは、やっていなかったのだ。

ま、そういうことを思い出しながら、そういえば、と、江原恵さんの名言があったのを思い出した。

「煮干しと醤油だけでダイコンをどれだけ美味しく煮られるか、自分だけの工夫でやってみることですね」

これは、『実践講座 台所の美味学』(朝日新聞社、1983年)に書いてある。江原さんが、取材にきた、料理教室を持っていて主婦や若い女性に料理を教えることもしているという女性記者に、皮肉まじりに言ったコトバだ。料理は暮らしの工夫だ、プロの料理を真似するより、それぐらいやっておけということだ。

煮干しのダシは、料理の仕方で、ずいぶん味が変わる。なかなか、オモシロイ。ダシは醤油で味をつけ、ダイコンに煮含めて食べる。ダシと醤油の分量で、また味が変わる。原理的には、そういうことになるか。でも、おれは、江原さんのように皮肉を言えるほどじゃないのは、アタリマエ。

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2006/03/19

ザ大衆食を更新 山の手新興ジャンク地帯

どうも、ちかごろ、風向きがオカシイかんじがする。大衆食堂や大衆食といえば、このキレイゴトな世間では、クセのある嫌われモノであるはずだ。ジャンクなアウトローであるはずだ。それが、スローフード、食育とか、関係するのだろうか。大衆食堂や大衆食というのは、むかしながらのよい正しい食事があるところ、というカンチガイが広がっているようで、またそれに便乗してかどうか、なんだかやけに正しく威張った感じになりつつある気配があるのだ。

それに、やけにこぎれいなところだけ取り上げて、コキタナイ、ダラシナイ、大衆食堂や大衆食は無視される、つまり排除される気配もあるのだ。

クセのある文章はイケナイといわれるように、クセのある大衆食堂や大衆食はイケナイとされる気配がある。文学評論家や経営コンサルタントのような基準で、みな裁かれるのだ。そして残ったものは、毒にも薬にもならない、クセのないのっぺらぼうになる。いまや立ち飲み屋が、そうなった。あのクセのある雰囲気は、どこへいったのだ。なんだか、オカシイ。

とにかく、10年前のクセのある文章の『大衆食堂の研究』のころは、もっとハッキリ大衆食堂は見捨てられていた。よい大衆食堂も悪い大衆食堂もなかった、ただ大衆食堂であるだけで、クセのある存在価値があったのだ。

って、ことは関係ないが、またまた古い写真が出てきたので、以前に渋谷区幡ヶ谷の「都民食堂」を写真だけ掲載しておいたが大改訂、「山の手新興ジャンク地帯」として掲載した。

忘れることが多くなった。ここに掲載する「あじろ食堂」すっかり忘れていたが、写真で思い出した。……「山の手新興ジャンク地帯 あじろ食堂と都民食堂」クリック地獄

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2006/03/18

貧乏には、どっちが得か?

外食と自炊、どちらが安上がりかというと、いまの日本では自炊のような気がする。だから、貧乏人が増えれば、自炊が増える、はずだ。

というリクツは、成り立つだろうか?

ま、微妙だね。

でも、料理は楽しいね。けっこう、疲れていても、やっちゃうぞ。気分転換にもなるしな。
で、貧乏人は、わあ、こんなに安く、こんなにうまいのを、こんなに食べられる、とよろこぶのだ。
これで、貧乏でも、気分よくなれる。
外食の多い週とそうでない週、財布の減り具合は、かなり違うと実感できる。

でも、ま、微妙だね。

一人暮らしだと、ちょうどの分量で食材を買えることは、ほとんどない。たとえば、一食100円分のオカズ材料という売り方はない。かりに外食で500円の定食の満足を得ようとする場合、自分でつくる場合は、水道光熱費以外は原価がないとして、全部材料費に使えるにせよ、買えるものは、かなり限られる。それをこえる場合は、まとめ買いと同じことになる。まとめ買いは、ムダが出る確率が高い。

宅配のセットは、かなり安上がりだし、予算管理もしやすいが、使ったことはない。これも、まとめ買いと同じで、ムダが出る確率が高い。

でも、マメにやれば、やはり自炊が、いいのだなあ。
2人分以上になれば、ゼッタイ自炊だろう。
はたして?

ただ、所得減イコール食費減ではないんだよな。ローンやクレジット利用の関係があるから。ウチの場合は、ローンやクレジットないから、所得減イコール食費減に直結しやすいが。インターネットやめれば、食費を増やせる。そうすべきか?

とにかく、ガス、水道、電気があるなら、なるべく自分でつくろう。ってことだね。

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2006/03/17

誤解 自然農法と有機栽培

以前に自然農法に取り組むひとの家に、しばらく寄宿していたことがある。そのとき初めて、有機栽培は自然ではないと知った。

自然農法にもイロイロ「流派」があって、ま、それはおいといて、その家の主人は、おれと同じトシで、当時、自然農法で有名な奈良県桜井市の川口由一さんの方法を学び実践していた。

彼に聞いた話では、「耕さず」「肥料は与えず」「除草せず」が自然農法だということで、有機農法は仮に無農薬でやっても、耕しているし有機肥料を与えているし除草をするから自然ではない。

そして、そもそも耕したり肥料を与えたり除草したりするところから、自然破壊が始まったのだし、近代文明の化学農法へとつながってしまった。だから、耕したり肥料を与えたり除草したりが、近代文明諸悪の根源であるということになるのだな。

そもそも農薬を使わないというのは、どういうことなのか。というと、自然の虫や微生物は、草に棲息し草が枯れて出来る土壌に棲息する、その虫や微生物の生存というか生活を利用して作物を育てるのだということだ。だから農薬を使わないが、除草するというのは、矛盾しているオカシイ。ということになる。

その虫や微生物が、どのように作物の生育と関係あるかは、ここで書くのメンドウなので省略するが、とにかく施肥はモチロン耕したり除草したりは、激しく自然破壊だし、それでは自然のオイシイものがつくれない、というのが、彼の話だったと理解している。

でも、有機栽培は自然だという話を、よく見かける。有機栽培は自然だからイイ、おいしい。それは、まあ、誤解というものだろう。とにかく、世の中には、「おれがイチバン正しい」「おれがつくるものが、イチバン正しく、イチバンうまい」というひとが、たくさんいるわけだ。それぞれ聞くと、ごもっともな話であり、話もなにも、本人は、そのように現につくっているのだから、ほかのひとが文句をいう筋合いはない。

ただ、それが、全国民的に正しい、日本全国いたるところで、そのようにやるべきだ、そのように自然な生活を営むべきだ、そうでないから世の中狂っているのだ、いまの消費者はイイものを知らない愚劣のバカの最低の人間だ、ということになると、話しはちがってくる。だいたい、その彼にしたって、田んぼへ往復するのにクルマだし、鉄道などない町だから、クルマがなくてはどこへも行けない。

いや、本当は、むかしの人なら、歩いて行ったであろうが、現代の自然農法は歩くことはしない。料理にガスも使用する。では、いったい、そのクルマや燃料やガスは、どういうことなのか。それを利用するシクミは許されて、自然農法以外の農業や近代文明は悪ということになると、これはモンダイではないか。と、考えたくなる。

ま、とにかく、自然農法と有機栽培は、まったく異質なものなのだ。少なくとも、異質なものだという主張を知ることで、ちかごろの「農と食」に関する混乱の一端か本質が見えてくるのではないかと思う。食育など主張しながら、じつにイイカゲンな認識しかないこともわかるだろう。それから、「ここの食堂は、無農薬有機栽培だからうまい」「産直だから、うまい」なんていう表現の、イイカゲンもわかるだろう。「むかしはよかった」「おふくろの味が正しい」式の言い方の、イイカゲンも、わかるだろう。

いや、イイカゲンというのは、なかなかよいことだと思うが、自分は正しい人間である間違っているのはおまえらだ風の主張なんてのは、そんなに意味あることじゃない。

ってことで。自然農法家として有名な川口由一さんや、福岡正信さんのリンクなど探してみた。ま、おれが知っている自然農法家の彼も、そうだったが、やや宗教がかっているというか、おれのような凡人からみると、そういうことなのだが。
とりあえず、これか、……クリック地獄
こういうひともいるな……クリック地獄

そろそろ山菜のシーズンだなあ。山菜も、いまや農園栽培で、自然食ではないものが増えたが、山菜採りの名人といわれる万盛庵のトウチャンが採って来る山菜は、自然食だろう。それは、やはり、六日町まで行って、万盛庵で食べるのがいいのだなあ。ああ、山菜料理と酒……うまいねえ。

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2006/03/16

たまには東京へ行って、いい収穫はナカバンさんの作品

午前中でかけるまで校正作業。午後1時に渋谷の雑誌「談」編集長のアルシーブ社に着く予定で出たが、途中2回も、JRがナニヤラ緊急事態とやらで電車が遅れ、1時半ごろ到着。さらに校正の続き。なんとか予定どおり、5時終了。はあ、やれやれ。

地下鉄半蔵門線に乗り、神田は神保町。神保町は「じんぼちょう」なのか「じんぼうちょう」なのか。江戸っ子気質なら、「じんぼちょう」だろう、そうでなくてはオカシイ、だが……そんなことは、どうでもよいが、近頃は作品や発言に論理矛盾があるのに感動する傾向がある、つまり「ご都合主義」の作品あるいは発言なのに感動する、そういう傾向が気なる。読書好きだ、たくさん本を読んでいる、という人にも、そういう傾向が見られる。フト思った。そのようなことを、何かの雑誌で指摘した人もいたように思うが思い出せないと、思い出そうとしながら神保町の交差点に出る。ようするに、近頃は、論理なんかどうでもよいのだ、感動的な言葉があれば、今日はナゼかそんなことが気になるね、校正などしたせいか、そうかもなあ、雨が降ってきた、スーパーの酒売場へ。

チッ、たまには高いイイ清酒を、と思ったがロクなものがない。売場管理も悪い。神保町の交差点界隈は、ま、千代田区のなかでも北東、つまり下町寄りだからなあ、上等なものがないんだよ。だがね、思い切って、750mlに千円以上出そうという気持はあるのだから、もうちっとそのなんだね、と、ブツブツ思いながら、おれも知らない新潟の酒を1本選び、ぶらさげて、言水さんの事務所へ。

言水制作室、ここで川崎美智代さんの個展をやっている。といっても、川崎さんのことは知らない。いつものことだが、ここの美術展は、言水さんの雑然とした6畳ほどの仕事部屋に作品を展示してあるのだ。そこで言水さんと酒を飲んでオシャベリする、それが楽しい。じつは、そのとき、酒を飲んでオシャベリするワレワレは、鑑賞者であると同時に作品でもある。美術というのは、かしこまった特別の場所にあるのではなく、そういう普段の環境であるというか……なーんてメンドウなことは考えない。とにかく、そこで、茶碗で酒を酌み交わしながらオシャベリ。言水さんは飲み食いが好きだから、いつもその方面の話になる。

とはいえ、狭い部屋の作品群は目に入る。陳列販売の作品に、小さな小さなミニ本があるのを発見。「これ、手製本ですかね」「ちがいますけど、それ、ナカバンさんの作品ですよ」

おおっ、これがナカバンさんの作品か、初めて見る。そして買う。寝床の中で見ると、本の中に吸い込まれそうになる感じがする本だ。

ナカバンさん、1月に一緒に千葉の古墳めぐりした。当ブログ1月16日「内房線金谷駅前「味はな」だけの「海藻とろろ野菜ラー飯」」の写真に手が登場している。つまり「海藻とろろ野菜ラー飯」食べたひとだね。

はあ、やれやれ。たまに東京さ行ってシゴトすると、くたびれるべ。
表紙に「MY SONG  nakaban」と手書きの本に、吸い込まれながら寝るとしよう。

と、今日は、日記風でした。とさ。

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2006/03/15

埃だらけで誇りがない男が「食品商業」4月号でココロザシ

食品商業は、毎月15日発売です。つまり4月号は本日発売。「食のこころ こころの食」のお題は、「食を支える仕事の誇り」というテーマ。

困った。
私は、仕事の誇りは、あまり必要ないし、持たない方がよいのではないかという考えなのだ。しかし、与えられたお題は、「食を支える仕事の誇り」である。
いやあ、まいった。

というのが、おれの書き出し。で、おれは何の話をしたかというと「志」つまりココロザシだ。誇りはイランが、ココロザシはイラク、じゃねえ、ココロザシがあると食はオモシロイよ、ってこと。はて、どんなココロザシを書いたのだろうか。「気どるな、力強くめしをくえ!」ってか。いつもそればっかじゃねえよ。

しかし、この連載エッセイ、これで4回目だが、なかなかオモシロイね。なんていうのかな、著者3人合わせて、なんとか一人前の「食生活評論」という感じで。それは「食生活評論」というのは、何か外食してテキトウなことを書いていればよいのと違って、難しいからで。「食生活評論」ってのが、可能としたら、これは何かよいヒントになりそうだと思った。という話をしても、読んでない人が圧倒的に多いだろうからなあ。

それにしても、著者の一人、清水信次さん(1926年生まれ)は、戦後のスーパーマーケットと共に歩んできて、いまその業界のトップに立つ人だし、もう一人の渡辺征治さん(1965年生まれ)はフリーライター兼米農家で、それぞれ軸足をしっかり持った人たちだ。ついでにいえば、2人とも、ま、「個性派」ってことでしてね。わかるでしょ「個性派」、そう、一筋縄じゃいかないってことで、おれなんかイチバンおとなしいおだやかなものだ。ま、おれみたいにイイカゲンな男がいないと、世界中戦争になっちまうからね、ちょうどいいのさ。

本当は、内容をもっと詳しく紹介しようと思ったが、なにせ今日はタンマリ小さい文字の校正で疲れた。明日の分の準備もしなくてはならないし。だから、これで、オシマイ。

本屋で、食品商業を見つけてよ~がらがらがらがら

しかし、アメリカのブッシュは、ガセネタをもとにイラクに戦争を仕掛けたわけで、そのガセネタを日本のマスコミも小泉も利用したわけだが……

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ザ大衆食を更新 さいたま新都心に消えた懐かしの「泉や」 

資料を探していたら、むかしの写真の紙焼が出てきた。すでに「消滅録」として掲載の、さいたま新都心に消えた懐かしの「泉や」の写真だ。そこで、このページを大幅に改訂した。写真も大きく、点数も増やし。文章も大追加。……クリック地獄

先週あたり、鼻水がドボドボでる状態が続き、これは、もしかするとついに花粉症かと思った。しかし、よく考えてみると、花粉症の初期症状というのは、どんなアンバイなのか、わからない。あるいは、単なる風邪なのかと思ったが、かれこれ7年ぐらい医者の玄関に踏み込んでないほど、マットウな風邪をひいてないので、風邪の症状とはどんなアンバイだったか忘れてしまった。チト、関節などが痛くなったような気がしたから、熱でも出るのか、やはり風邪かな、と思ったが、熱は出なかった。とにかく、そのまま、ふだんどうり酒を飲んで過ごしていたら、熱も出ないし、鼻水は出なくなった。ま、どうでもいいことですね。

今日明日は、酒の本の校正に追われてすごすことになりそうだ。けっこう、あるなあ。

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2006/03/14

貧乏も格差も、ブームというわけで

格差「広がっている」81%…読売世論調査[読売新聞社:2006年03月13日 23時56分]なーんていう見出し。マスコミあたりで食べている連中は気楽なもんだ。日本発の恐慌を引き起こさないために銀行に税金を投入すべきだ、税金で銀行を救い、小泉竹中改革をやれば、またもや、みんなで楽しく浮かれる景気のよい日が来るかのような幻想をふりまいたのは、誰だろうか。

ちかごろは、「貧乏」や「格差」や「下流」をネタに稼ごうという動きが、メディアを舞台にあからさまだ。それは、ネタにして稼ぐだけで、貧乏の本質を追及したり、先の展望を探るココロザシなどマッタクない。自分たちは、無関係というか、ま、貧乏より上の中流か?もっと上あたりからの視線で、それをネタにして稼ぐのだな。

そもそも、あのバブルのころでも、マル金派マル貧(ビ)派とか、貧乏や人様の生活をネタにものを書いて稼ぐ連中はいたのである。風俗は、いつの時代でも、かっこうのネタなのであるが。でも、チト、ちかごろは、あからさますぎやしないかという感じはある。ハイエナが群がるように、貧乏に群がる。

メディアを舞台に食べている連中も過当競争時代だから、恥も外聞もなく、いち早く流行のネタをとりこまなくてはならない。それにマーケティング的には、成長時の稼ぎ方があるように、縮小時の稼ぎ方もある。縮小日本のマーケティングとしては、貧乏は、確かによいネタだ。

『貧民の食卓』なーんていうタイトルの漫画も、あるんだなあ。一巻だけ持っている。これは、2001年の初出で、もうチト古いが。作者のおおつぼマキさんは、「不況や不況やと世の中は騒いでいますが仕事をする気のない人にとってはハナから関係ありません」「この物語の主人公は仕事もせず一日中プラプラしていますが実は僕の理想だったりするわけで…」と述べている。

そういう視点で、『貧民の食卓』を描いているので、貧民よりは経済的に余裕のある人間が貧乏を理想のネタにしているのだ。そういう意味では、登場する一生懸命に働く勤労者サラリーマンに対しても、またその反対の主人公に対しても、理解も愛情もない。で、作者が登場しては、アレコレ能書きをたれる。アシスタントや料理の先生や家族まで登場する。

チト、それなら、その主人公は、なんなのよ、作者の仕事場物語として描けばよいじゃないか、といいたくなるほど。でも、それには、作者の仕事場は貧民の生活とは遠く離れている。アシスタントを置いてやっているぐらい仕事もあるのだし。ようするに自分は、フツウの勤労者サラリーマンでもなければ、貧民ニートでもない。高いところから、貧乏をネタにする。自分の体験しないことを対象にするのは、それは職業として、よくあることだろうが、研究やストーリーづくりが貧弱で、作者が登場し能書きをたれると、どうしても、作者が偉そうにみえる。ま、自ら「自分には超甘くて他人にはビシバシのおおつぼだ~~~」とか、がなっている。超甘いのだ。

登場する料理は、ようするに安上がりのものだけを揃えたというだけで、それは単価換算にすれば安上がりだけど、実際の買い物は、バラで買えるものは少ない。つまり、貧乏食生活からすれば矛盾だらけなのだ。

でも、こういう漫画で安上がりの料理を覚えればよいという考えも成り立つのだろう。それはそれで納得できる。しかし、それなら、これは安上がりに「抜く」ことを目的にしたエロ漫画とかわりはない。そして、きのう書いたエロ漫画「レモンクラブ」の作品と比べたら、ストーリーやキャラクターづくりなど、レモンクラブの作者のほうが、よく考えている面もある。だがしかし、エロ漫画を描いている人は、あまり偉そうにできないのだな。

きのう書いた漫画屋の塩山編集長(この人はだいぶ偉そうにしているが)の日記「漫画屋無駄話」其の1894を見ると、「久々に『フロムA』に出稿しようとすると、成年漫画の編集は困ると拒否。まるで風俗産業扱い。『an』の学生援護会も同様。同業者の皆さん、どう対応してんの?暴力エロ小説&漫画の広告で儲けてる、書評雑誌まで出してるリクルートが、よくやるぜ」と。其の1900を見ても、状況は変わっていないようだ。つまり、NHKなどより順法精神のある会社が、求人誌で求人できない。こういう不当な職業差別がある。職業差別は貧乏の根源、固定化にほかならない。

食欲も性欲も、それぞれの満たし方があるだろう。おなじ出版にあって、『貧民の食卓』的食欲漫画が許されて、レモンクラブ的性欲漫画が許されないのは、まったくおかしい。偏見以外のなにものでもない。

ああ、また、タイトルと、かなりズレてしまった。
漫画屋に愛を。まだ求人中のようだから、誰か応募してね。
と、デタラメに終る、『貧民の食卓』考なのだった。

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2006/03/13

ぜいたくな、レモンクラブ

このコイソガシイときに、漫画屋からレモンクラブが送られてきて、おもわずエロ漫画も含めて、ほとんど見てしまった。エロ漫画のほうは、あいかわらずボッキしない。これでボッキするやつは、エロ漫画などなくてもボッキしているんじゃないかと思った。しかし、今回の活字コラムは全部ボッキのおもしろさだった。

前月号は、南陀楼綾繁さんの書評はおもしろくないと、当ブログ2月11日「レモンクラブ、三匹のアウトロー」に書いた。ま、せっかく送っていただいているのだし、どうせ読者の少ないコラムだから、こういうのをネタに遊ぶのもオモシロイと思って書いた。で、すぐ忘れてしまっていた。もともと何でも根に持つ方じゃないし、こだわらないほうだし、なんでもどうでもよいほうだし、思いつくまま口からでまかせで、書いたそばから忘れるクセというかボケである。

しばらくして用事の電話がナンダロウさんからあって、「あれ読みました」と言われ、一瞬なんのことかわからず、なんのことかと聞いた。そしたら、そのブログに書いたレモンクラブのことだと。うへへへへへ。ま、塩の字とヤマザキさんとナンダロさん3人で遊んでいるだけじゃなく、ここでこうやって、おれも一緒に遊ぶってこと。

ってわけだが、今回は、チト時間がないね。ま、簡単に。とにかく、今回の南陀楼さんの書評「活字本でも読んでみっか?」の本は、佐々木崇夫著『三流週刊誌編集部』(バジリコ)。サブタイトルに「アサヒ芸能と徳間康快の思い出」。著者は、1966年にアサヒ芸能出版社(徳間書店)に入社、「アサ芸」編集部に配属になる。が、この著者は、社長の徳間康快と上役に「反抗しまくり、最後は『アサ芸』を追い出されてアニメ部門の役員となり、最後にクビになっている」のだ。南陀楼さんの書評からも、アサ芸の生き方、徳間康快の生き方、そして著者の生きた道が想像される。

そして、最後に、国会図書館で『徳間康快追悼録』を見つけた南陀楼さんは、「宮崎駿、赤川次郎、五木ひろし、高倉健など各界のきらびやかな面々が追悼文を寄せていたが、『アサ芸』という低俗な雑誌など存在しなかったかのよう」だと、最後に、こう結ぶ、「「一将功成りて万骨枯る」とは、まさにこのコトだ。嗚呼、無情」

腰の据わったというか、視点の座った書評だ。やはりなんだね、どこでもいつでもアウトローである必要はないし、フラフラしてもいいのだけど、このレモンクラブに書くときは、アウトローの視点をつらぬくと、オモシロイかも知れんなあ。

ところで、この書評に、塩山編集長がつけた見出しは、「人は石垣エロはコヤシってか!?」だ。がははははは、ボケ老人めっ! んで、本の写真につけたキャプションが「康快、確か一時、池玲子も囲ってたとの噂だったが…。」って。あんたも社長なら、「一将功成りて万骨枯る」でいいから、若いオンナを囲ってみてよ。

それで「エロ映画監督 山崎邦紀の初老男のボッキ時」は、これがまたオモシロイ。東京湾の猿島、軍事遺跡ともいえる島だが、最近は観光客が増えているようだ。そこでエロゲイ映画のロケを敢行する話。いやあ、たしかに、「ピンク撮影隊のスタッフや役者は強い」。「ホモ軍団!」と、ほかの人たちに囁かれ見られても、「ひるむことがない」。

そして部屋の中で老眼鏡をかけて、性器画の修正をしている初老の男、塩山編集長は、スゴスゴと「小人数の自主的ホモ映画だとヨ」という見出しをつける以外になかった。写真のキャプションも「畑中純って、顔は帝国軍人風でゴツイけど、案外スノッブなんだネ」とヨワヨワしい。

そういうわけで、今号は、塩山編集長の一人エバリということにならなかった。

さらに、「30うるみ眼男 伊藤岳人の全老人家畜論」は、「シルバーを批判し、若者を応援するスタンスでお送りしているこのコラムの筆者としては、今度のホリエモン逮捕はとでも残念でならない」と。全若者、全シルバーに読んでほしいね。でも、マスコミは、こういう主張を紹介することはない。

そして、もう一人、「トッチャン坊や ムラムーの歌えばパラダイス」は、大問題の「電気用品安全法」について、「これが楽器関係者にとっては壊滅的にヤバい」を書いている。この法律のモンダイは、もっと騒がれていいはずだ。というのも、日本の法律がいかにその場しのぎの積み重ねでしかないか、そのためにドンドンおかしくなっていることがたくさんあるのだ。これはミギだのヒダリだのというモンダイではなく、なんか行政と立法の根本が、もうホント、おかしいのだよ。整合性がガタガタなんだなあ。こんなんじゃ教育基本法で「愛国心」を注入しようにも、国家自体が自己崩壊しちゃうね。

そういうことで、今回は、4本のコラム、じつに充実していた。塩山編集長の独り占めにしておくには、ゼイタクでモッタイナイ。これを読むためにだけでも、レモンクラブ350円を出してもよいと思った。が、おれの場合は、やはり酒を選ぶだろう。缶ビールが買えるもんな。

うへえ、もう時間だ。

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2006/03/12

大衆食の発見

産業新潮社の『産業新潮』という月刊誌の依頼で、大衆食堂アンド大衆食について書いた。100頁ほどの産業経済専門誌で、おれも初めて見る雑誌。「日本のよさ再発見」なるコーナー、見開き2ページ。送られてきた見本誌では、1月号は太田和彦さん、2月号は一龍斎貞花さんだ。

3月7日の「ネクラに生きたい」の自殺者の話は、この雑誌の2月号に載っていたものだ。「メンタルヘルスの視点から」ということで、心理相談員相談会、人材(財)開発研究所代表の木山良知さんが書いている。

「リストラが一段落しても景気が回復基調になっても自殺者が減らないのは、要、不要のメカニズムが社会構造にきっちり組み込まれたからで、こんな緊張感の高い社会は世界的にありません」「だが、「もういいではないか」と誰かが声を上げなければならない時です。自殺者三万人時代に幕を下ろすために、私は「思いやりの価値観」を大切にし信頼関係を育み、複雑に絡み合った社会システムを一つずつほぐしていく努力を続けることが重要だと思います」。

「思いやり」といえば昨今は米軍に対してだけだ。お互いに、欠点欠陥を見つけては、叩きあいの潰しあい。誰も、自殺者の出ない社会など夢見ていない。

ま、そういうなかで、おれは大らかに、「日本のよさ再発見」というより、「大衆食の発見」というかんじで、またもや、「なにがなんでも大衆食だ!」「これこそ日本のめしだ!」「気どるな、力強くめしをくえ!」の主張をしてしまったのだった。5月号に掲載だそうだが、多くのひとの目にとまることはないだろう。

古本屋で、清水桂一さんの『味の歳時記』(TBSブリタニカ、1976年)を見つけて買った。清水桂一さん、奥付には、こうある。「四条流家元石井泰次郎の料理故実を伝承する。現在、銀座クッキングスクールはじめ各所で家庭料理指導にあたる。神奈川県立栄養短期大学講師」

おれが、1970年代のはじめ、クライアントの指定で初めて一緒にシゴトをしたのが、この清水桂一さんの料理学校であり、本人と会うことはなかったが、清水桂一さん署名の原稿まで書く助手(弟子)の方とアレコレやった。ま、伝統主義日本料理と栄養学のイイカゲンに、ここで初めて出会ったのだな。

そして、江原恵さんが、当時『庖丁文化論』などで、厳しい辛らつな批判を加えていたのが、こういう料理学校であり、こういう料理の先生であり、四条流であり、石井泰次郎や清水桂一の『日本料理法大全』なのだ。

しかし、この『味の歳時記』をパラパラ見ただけだが、この本から30年たっても、有名大学を出た編集者の手で、この本と同じような内容が繰り返し出版され、それがまた同じように売れるのだな。昔は旬があった、旬がなくなったのは消費者が愚かだからだ、旬を知らない愚かな消費者どもよ、ってやつね。依然として、こういう栄養学や料理のセンセイがのさばっている。江原さんが指摘した、その「権威主義の情報システム」は、何もかわっていない。メディアに巣食い、メディアを私物化している連中は、同じような連中なのだ。こういう連中ほど、とても自殺しそうにない。

江原恵さんと、最後に会ったころ、1996年ごろ? 江原さんは「けっきょくおれはさ、板前あがりというので、インテリたちにめずらしがられただけなんだよ」と寂しげに笑った。長年やったすえに、そう思わなくてはならないのは切ないことだと思ったが、実際そうだったようにも思う。

あと数年で、おれはあのころの江原さんと、おなじトシになるのだな。ふむ。

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2006/03/11

つめこむと 吐き出したくなる な

きのうは、チョイと締め切りに間に合わないのが一つ出るかなというヤバイ感じがあった。だいたい自分が書くスピードというのはわかっているから、所要時間の見当はついているのだが、今回はイロイロ重なっているうえに、変り種の原稿が一つあって、それが、30項目の注釈を書くというやつだ。1項目、2百数十字~5百数十字におさめる。

おれは原稿の書き方なんか我流だから、プランナー時代に企画書やプランを作成する要領でやる。つまり基礎資料を頭に入れ、個別資料を頭に入れ、アレコレこねくりまわして考えて、ドバッと吐き出すように書くわけだ。

で、30項目あると、一つ一つの文章の量はたいしたことないが、資料を頭に入れて考える作業は、100字だろうと4千字だろうと、たいして変わらない。プランや調査分析の場合は、たったA4で6ページぐらいにまとめるのに、数ヵ月かかって、膨大の資料を調べ考えることだってある。ま、7百時間かけて撮ったビデオを、7時間にまとめるひともいるし。

そういえば、テレビ番組制作で何度か一緒にシゴトをしたフリーの演出家Mさんは、ドキュメンタリーのベテランだけど、やはり、実際使用する10倍位の量のビデオを撮る。撮るって自分でじゃなく、カメラマンに指示する、ソコを撮って、コレここからね、とか、彼が撮影中に発する言葉は少ない。だけどその前の調査から打ち合わせは時間をかける。たいがいリサーチャーにまかせるようなことでも、自分で現場へ出かけて行く。

人が登場するときでも、ほとんど何もいわない、相手はいつものように、自分が考えるように動きしゃべる。それをカメラマンはひたすら追いかける。彼は、ときどき登場人物に話しかけたりするが、ボッとした顔で眺めていることが多い。そして編集のときに、イノチをかけたように真剣になる。ま、そういう仕事のやり方が許されない局や番組もあるのだが。予算とプロデューサー次第か。

あっ、ま、それで、モンダイは、おれの場合、やはりトシをとっているんだなあ。頭に入れて考えていたことを、ドバーッと吐き出しているうちに、30項目もあると忘れてしまうところがあって、アレッこの項目はどう書こうと思っていたかなと、つっかえたりするわけだ。すると、そこで、うーむ、となって、余計な時間とエネルギーを消費する。で、くたびれて、休んだり酒飲んだりしていると、時間が足りなくなってくる。

わかっているよ、考えながらメモをとっておけばよいのだ。でも、そういうクセがなかったものでなあ。しかし、いろいろなことを頭につめこんだので、しばらくこのブログのネタは苦労しないぞ。って、このブログのネタで苦労したことなんかないな。

アクセスを上げるためには、何百字以内がよいなんていう話があるようだけど、あざといね。食いつきやすいエサで釣る魚釣りじゃないんだからさ。そんなのおれは関係なーい。ドバーッと吐き出すのだ。ゲロゲロッ。

しかし、あのヤマザキクニノリさんの長い文章は、まいるな。文体のせいもあって、たいがい一度に読めないというか、理解できないから、二回ぐらいにわけて読む。更新が少ないからいいが。おれは、ほぼ毎日だからなあ。ちゃんと全部読んでいるひとは、きっと、いないだろうなあ。ま、いいさ。

読まれないものは書いた意味がない、なんていうひともいるけど、でもさ、たくさんの記事や情報や資料を提供して、気になるところや、必要なところだけ読んでもらうという考えもあっていいと思うね。検索も利用できるのだしさ。

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2006/03/10

食べ歩き 市場原理と社会原理

当ブログは、きのうからのニフティが行なうメンテナンスが、トラブルを誘発し、またメンテナンスという状態で、なんとか開通したのが16時過ぎ。これだけ交通機関がストップしたら大事件という事態だが。しかもカネをとっておいてだ。しかし、もうおれはニフティのトラブルには慣れて、腹も立たない。よくないことだが、いわゆるソフト系産業やメディアというのは、悪い品質、失態トラブルがあっても、雪印のようなことにはならないから、また同じことが繰り返される。骨の髄まで腐って、生きているんだな。マスコミなど、その象徴だね。

ま、どうでもいいや、どうせ、いろいろ予定がくるって忙しすぎて更新などしていられなかった。とかいいながら、気分転換に書いていたことを、掲載しよ。どうでもいいことだけどね。

ナンダロウアヤシゲさんから筑摩書房のPR誌、「ちくま」が送られてきた。はてナンデダロウとパラパラ見たら、南陀楼綾繁さんが「街の歴史が見えてくる、裏路地の「食」ガイド」というタイトルで、ちくま文庫の『東京<懐>食紀行』(ブラボー川上/藤木TDC著)の紹介をしているのだ。それで、そうそうそんなことがあったな、と思い出したのだった。これを書くために、三河島の「豚太郎」へ一緒に行こうと誘われて、行ったのだった。あれは、いつのことか、調べたら1月16日のことだった。そのことは、1月17日の日記に書いた。

それはともかく、赤瀬川原平さんが「バイキングと勝負する」を書いている。バイキング式料理を初めて食べた若者時代をふりかえりながら、バイキングについて、あれこれ書いているのだ。その最後に、こう述べている。

以下引用……

いまは自由経済の時代だから、世の中全体がバイキング形式みたいなところがある。食べ残しても、売り残しても、造り残しても、それは自由ということで法には触れない。でもその場合は体裁を気にする働きがないと、環境への自制心が生まれてこない。いまの自由経済というのは、戦後の空腹時代の欲望の習慣が残留したままだ。それを何とかしないと、話しは前へ進まない。

……引用オワリ

ま、昨今の「市場原理」「新自由主義経済」に対する批判含みということになるか。

前にも書いたが、おれは市場と社会が区別つかなくなった認識の混乱があると思う。社会を市場に解消し、生活を消費に解消し、生活や社会について誤解を深めているということだな。もっとも極端には、市場原理で社会原理を否定する、つまり「小泉―竹中改革」だが、これは格差を拡大しながら利益を稼ぎまくろうという財界の意向でもあるだろう。もともと日本の財界は、企業の社会性や社会的責任など社会原理について鈍感である。経団連参加企業のジケン続きに、それはあらわれている。

「体裁を気にする働きがないと、環境への自制心が生まれてこない」というのは、社会原理の自覚ということになるだろう。これは市場原理の否定とはちがう。もともと、市場原理と社会原理は対立項ではない。市場原理をもって社会原理を否定するなんてことは、日本以外ほとんど見られないと思う。あのアメリカですら。

そして日本の、社会原理を否定する市場原理では、じつは市場原理そのものがゆがんでいる。市場原理といいながら、利権や税金やメディアの私物化で特権が維持される構造だ。その姿は、独裁下の統制に近い状態になっている。実際に、喫煙や飲酒などの嗜好への干渉、食育のように健康や飲食への「公」の干渉、青少年に対する「健全」の干渉などは、戦時下の倫理統制つまり「こころの統制」に近い。

ってことは、まあ、ここであまり深追いはしないにしよう。たとえば「食べ歩き」だ。

それはラーメンや下町酒場や立ち飲みなど、さまざまなブームとなっているし、なかには「生活を楽しむ」という趣向のひとも見受けられるが、ほとんどは市場原理のなかの消費で、競ってバイキングに群がるようなものである。かつて、よく特売に群がる主婦の醜さが揶揄嘲笑の対象になったことがあるが、それをはるかにこえている。みんなでやれば醜くないということか、「体裁」もへったくれもない。

欲望のままに「競い合って」買い物消費行動に走る姿は、社会原理を否定した末の市場原理の姿だろう。「あそこの店、知ってます? 行きました?」「あそこのアレ食べました?」「はやくあそこへ行って、アレを食べなきゃ、買わなけりゃ」、そういう競い合いの市場原理からだけでは、よりよい生活や社会の夢は描けない。実際、ラーメンがブームになろうと、下町酒場がブームになろうと、立ち飲みがブームになろうと、よりよい未来は描けていない。むしろ、その場に存在した社会原理が、それをわきまえない、早い者勝ち!の市場原理におかされ、荒野が広がっている。

しかし、そういう市場原理状態を「戦後の空腹時代の欲望の習慣が残留したままだ」というのは、いかにも戦後の記憶が濃い人らしい発言だ。ブログや他のメディアを見ると、いまの欲望は「不足」の飢餓からきているより、煽りあい情報から生まれる「欲望」のような気がする。

煽りあいながら市場原理に雪崩れ込んでいるのだ。そして、そういうことが、「私はソレが好きなんだもーん」ということで正当化され激化する。「好き」が免罪符になり、好きならなんでも許されると思っているらしいが、こうなるともう「趣味」からも遠く離れた、目の前につるされたエサを追い回す、まさに自制のきかない動物である。

そして「体裁」で自制しようというのも、気をつけないと倫理統制の強化につながるようで、あまりいい感じがしない。ってことで、おれとしては「生活原理」を追求したいわけだな。市場原理優先ではなく、いくつもの原理が並び立つことで、相互に抑制のきいた社会になる、そういうセンを理想にしたいのだな。

そういえば、下町の酒場で見られる、お一人様3杯まで、なんていう安い酒の飲ませ方などは、あとから来た客にも助かるし、社会原理的といえようか。どこもかしこもそうなっては「配給」みたいでツマランが。

ザ大衆食のトップに掲げているオコトバ。
「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」
これだね。

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2006/03/08

小沢昭一的こころ ヘタの味わい

まもなく一年になるが、2005年3月23日に「好きなんだなあ小沢昭一的こころ」を書いている。そして、また最近読んでいる本で、やはり「好きなんだなあ小沢昭一的こころ」と思ってしまった。

それは、このあいだから時々書いている『音の力 ストリートをとりもどせ』(インパクト出版会)に収録されている、大熊ワタルさんと東琢磨さんが市川捷護さんにインタビューの「芸能の血脈を遡る旅」を読んでだ。

市川捷護さんは、「ビクター時代にあの『日本の放浪芸』シリーズ(1971~77年)をプロデュースした」ひとだが、『日本の放浪芸』のもとは小沢昭一さんのプロデュースであり作品だ。この一連のシリーズは、何か熱気に満ち満ちている。

それはともかく、そのインタビューで、市川さんが「編集の作業というのは、いいものを残すのではなくて、いかに捨てるか、なんですね」「たとえば最初の「放浪芸」は七〇〇時間撮って、結局完成品は七時間。あれをやったとき、分かりましたね」と。

すると大熊さんが、こう突っ込む。「小沢さんとの仕事のことで書かれていたなかで(『回想日本の放浪芸』2000年、平凡社新書)、弘前の桜まつりで技術的には下手くそな浪花節のおじいちゃんのエピソードがありましたね。でも結局それはノーカットで収められているんですよね」

市川さん「あれはね、五〇分もあるんだけど、延々退屈なんです(笑)。すごいのは、四五分くらいまで聞いていると、なんかこのおじいちゃんすごいなあ、って思うようになるんだよね。下手さがいいなあっていうか、よくこれでやってるなあとか。そういうところが、小沢さんだからこそ感じたんじゃないかな」「小沢さんは昔、芸能を、うまくやるということの価値、それに疑問を感じ始めた人なんです」「じょんがらとかうまい人もたくさんいたんだけど、そういうのは小沢さんは五分くらい聞いて「ありがとう」って。そこでしょうね」

名作でも逸品でもない大衆食などは、こういう味わいなんだな。とくにうまいわけじゃないが長く続いている大衆食堂などもだが。そういうところは何度か通わないと、そこがナゼ続いているのかわからない。濃いエグイかんじが、妙な魅力になったりということもある。文学も同じだな。ま、料理も文学も芸能なんだから。でも、たいがい商業メディアで話題になる、よいウマイと選ばれる飲食店や文学というのは、そうじゃない。

小沢さんのオコトバ。「育ちの悪い人間というのはどこかクセがある。そのクセがなんとも言えず、良い場合がある。そのクセが人間を面白くさせている。今の繁栄社会のブヨブヨ人間が面白くないのと同じで、そういう社会の中から出て来た食い物も、なんとなくブヨブヨしているような気がする」

育ちが悪いといえば、おれも農家の次男坊の家系で、と、書いても、いまじゃ、それがどんなに育ちが悪いか想像つく人が少なくなっているだろうが、ま、育ちの悪いやつはたくさんいるんだな。で、それを着飾ろうと、着飾って品よくうまくやって、品よくうまくやる人たちの仲間になろうとする人と、そうできずに悪いままやっているおれのような人間がいる。

それで何か芸があればよいのだが、酒を飲む以外なにも芸がないと、どうなるか? おれだ、こうなるのだ。だははははは。ヘタでも続けよう。飲み続けよう。きのうの夜は、王子の山田屋、おとなしく一軒だけ。でも、あそこへ行くと、故郷の八海山の陰で不遇をかこっている高千代が飲めるのだ。

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2006/03/07

「食と農の新たな出会いを求めて」なんだけどね

調べをしていたら「食品産業と農業の連携推進会議に関する意見の概要」というのがあった。「食と農の新たな出会いを求めて」というサブタイトルがついている。なんじゃ「食と農の新たな出会い」とは、再縁話のようなかんじだが、そこんとこに何かマズイことでもあるんかいと思ってしまう。ま、いろいろマズイことはあるんだな。

そこで農政局が音頭をとって、「新たな出会い」をすすめようというわけだが、食育よりは、こういうことをキチンと重ねたほうが、地産地消は促進され食料自給率の上昇につながるとは思う。しかし、一方、こういうのを見ると、それはそれは前途多難で、だからまあ食育あたりで子どもや親に説教くらわしてお茶をにごそうというのか、という感じでもある。

それは、ともかく、この調査報告にある香川県の(株)加ト吉の「農業に対する意見」は率直で、みな「野菜離れ」を嘆き、加工食品を非難しているだけでなく、この現実をよく考える必要があるのではないかと思った。

……以下引用

冷凍食品に生鮮食品が対抗するためには、新鮮で美味しい物を安く供給するという条件が課せられている。現在の流通形態では、消費者の所に野菜が届くのは、収穫してから3~4日経った物が多い。そうなると、ほうれん草などは栄養価も減るし、鮮度が劣化してくる。野菜離れはこの辺りにも原因があるのではないか。本当は美味しい野菜を美味しいまま届けることが出来ていない。流通機構・形態を大規模に変えなければ、加工食品に太刀打ちできないのではないか。

引用オワリ……

正直いうと、もう最近は、あまりBSEや、もろもろ食料モンダイについては、何かいう気がしない。もの言えばクチビル寒し燗酒飲んでいたほうがマシ、という気分だね。だいたい「不安」をもとに考えて、何か展望がひらけるのだろうか。

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ネクラに生きたい

原稿のOKが出てから誌名を書くが、いま締め切りが迫っている、ある経済産業系の地味な雑誌の原稿を書いている。見本誌をパラパラ見ていると、自殺の記事がある。図1は最近の自殺者数の推移、図2は自殺者の国際比較。

自殺者数が90年代の2万人台から2000年代の3万人台へ、一万人近く上昇したまま推移していることは知っていたが、国際比較でみると、日本は10位で、日本より多いのは、みな旧ソ連邦や東欧だということは知らなかった。WHOの調べで、調査年次に少しばらつきがあるが、日本は00年の数字10万人あたり24.1%の自殺率。フランスは99年の数字の17.5%で19位、韓国は01年の14.5%で24位、中国は99年の13.9%で27位、アメリカは00年の10.4%で46位、イギリスは99年の7.5%で57位、イタリアは00年の7.1%で59位。

イラクにおけるアメリカ兵の戦死者は、2000人強。日本では、自殺するやつはバカであるぐらいにしか考えられていないのではないか。「自己責任」というわけか。交通事故死より多いのに交通事故死ほど問題にならない。電車に飛び込んでも、それで電車が何分遅れて何人の迷惑が出たかのほうがニュースなのだ。

ま、言葉は無意味である。この荒野を、力強くめしくってネクラに孤独に生きよう。荒野は、まだまだこれからだ。

はて、こういう記事を見たあとは、どんな原稿ができるかな。
どうかみなさん、カネもコネも地位もない、会社もない店もない本も売れない、オンナもいない、なにもない、それなのに腹は空きクソは出るワタクシが自殺しないですむよう、シゴトをください。

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2006/03/06

またまた ザ大衆食を更新 葛飾区立石のおでん屋

頭のなかをイロイロなことがかけめぐる。一昨日の「「成功」の食と「幸福」の食は」、そもそも、北浦和駅で母子の会話を耳にしたのがキッカケだった。

それで、そういえば、葛飾区立石のおでん屋の写真があるのだったと思い出した。そして、「学力とは何か」も気になった、町についても気になった。アレコレ気になることを合わせて、落語の三題噺をこしらえるように考えると、思考が飛躍してオモシロイ。

ま、そういうわけで、葛飾区立石のおでん屋の写真、あらためて見ると、ええなあ。ってことで、クリック地獄

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2006/03/05

春れろのめ ザ大衆食を更新 週刊朝日猫飯特集

ひさしぶりに「ザ大衆食」を更新。
「ゲロッ、週刊朝日、表紙は紀子さま。
猫めし特集に、おれとゲロめしが、卵かけごはんや猫ひろし&小泉武夫と揃い踏み。」
という長いタイトルで、このあいだの週刊朝日の記事を写真で紹介……クリック地獄

夏をのりきる「卵かけごはん」リンク特集を掲載したのは、昨年の7月10日だが、まだ「卵かけごはん」がブームというかなんというか、専門醤油の「おたまはん」は生産が追いつかない状態らしい。

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2006/03/04

「成功」の食と「幸福」の食

下町だの山の手だのという話になると、とかく、その先鋭的な特徴だけを比べやすい。ま、たしかに「格差」といえるような違いはある。だけど、ここ浦和から遠く離れて見れば、ただの混沌とした大都市にすぎない。下町と山の手のコトバの違いなど、あったにしてもどのみち「東京弁」であり、自分も東京弁に侵されている。

東京は流民の都市だ。他の地域から流れ込んだ流民一世や、両親の両方かどちらかがそうである二世、あるいは祖父母の誰かがそうである三世など、そういう人たちが大多数を占める。

下町は歴史があるように見えるが、戦前からの住民が、どれだけいるだろうか。江戸時代からとなると、さらに少ない。こういう歴史性のない東京は、前に書いたが『「東京」の侵略』(パルコ出版)で「漂流する東京」と呼ばれた。それは「不安定性という欠陥を抱えているがゆえに劇的な成長と変化をやめない都市」である。

日本は、その東京を成功のモデルとしてやってきた。モデルどころか、東京の成功があって日本の成功があると、他の歴史ある地域や産業の衰退を招いても東京に富を集中し博打を打ってきた。農漁業の疲弊、食料自給率の低下の根本は、それだ。

東京へ流れ込む流民たちが描く標準的な夢?希望?は、東京で成功し幸福をつかむ、ということだった。その頂点に山の手モデルがあった。とりわけ東京オリンピック(あれは山の手に偏って行なわれた)があった1960年代なかごろ以後は、それが顕著だった。

そこに二つの特徴があった。一つは、幸福は、成功についてやってくるものだということ、成功がなければ幸福はない、だから成功のためにがんばらなくてはならない。もう一つは、山の手が、成功する、あるいは成功した生活のモデルである。ある時期サザエさんの家族が、それをリードした。それは山の手の新興地、世田谷の暮らしをモデルにしていた。

義務教育課程において、展望する将来像の標準が、そこにあった。高校を卒業し上京するころ、ゴミゴミした下町で一生を終える構想など、よほどの変わり者でないかぎり描きようがなかったであろう。

NHKテレビを見ても、そうだった。テレビや新聞が描き続けた、成長する日本の成功する人たちの生活は、東京の東ではなく西にあった。たとえ地方で暮しても、生活のモデルの頂点には、東京の山の手があった。

とりあえず、ここで学校の「学力」だけを取り上げると、学力の頂点にエリートの山の手モデルがあって、そこにつながらない回答は正解ではない構図ができる。それは一方に、山の手モデルにつながらないオチコボレをつくる構図でもあった。

そういう学校の教育課程や社会環境では、成功の図式は与えられても、幸福は成功のあとについてくるものとして、考えられてこなかった。もちろん個人的に考えるひとはいて、個人的に追求されてはきたが。

成功か幸福か、という問答すら、学校教育ではされて来なかった。もし「食育」を本気にやるなら、そこから掘り起こさなくてはならないだろう。成功のために幸福が犠牲になってもトウゼンという考えのもとに、幸福の食は追求されなかったのだ。しかし、成功をめざすものからみたら小さな幸福を、大事にしている人たちは、けっこういる。

成功を追うモデルが、「食の乱れ」を、生産から家庭にまで及ぼしたのであって、このモンダイは「少子化」とも関係する。「少子化」は、成功したものでないと幸せな家庭は維持できないという強迫観念がもたらした一面があるからだ。そもそも食生活にせよ、子どもを生んで育てるにせよ、生命の継続に成功が条件であるというのが、はなからおかしいのだ。

しかし、食を栄養素でしか考えてこなかった栄養士たちが「食育教諭」になったところで、そこまで考えた「食育」ができるのか。いや、もともと、食育基本法は、破綻した「成功路線」を、その場しのぎで繕うものにすぎない。

「学力」とは何か、成功のためか、幸福のためか、幸福とは何か、そのことは「食」と深い関係がある。

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こんな時代だから 本を読もう

今日は、古本屋の野出書店の入口に、模造紙に「こんな時代だから 本を読もう」という手書きポスターが貼ってあるのを見て、おもわずおかしくなり、入って古本を買ってしまった。

いまおれが住んでいるところは、さいたま市浦和区、JR京浜東北線北浦和駅から、徒歩15分~20分のところだ。バスに乗れば、三つ目の停留所だが、9割以上は歩く。それも、なるべくルートを変えながら。

駅を出て、まず、まっすぐ行くか右に曲るかの選択になる。そこで右に曲れば、すぐ野出書店だ。駅ホームから見える線路沿いにある。

二階建て独立店舗。面積にすると6畳間ぐらいか、入口左が半間の煙草売場になっていて、その外側の腰のへんからすでに本が積まれている。半間の入口にも本が積まれ、身体だけ通る隙間から本の洞窟のような店内に入ると、煙草売場を背にオヤジが座っている。おれと同じぐらいのトシだと思う。そのすぐ前に全体の10分の1ていどをエロ本が占める。ほかは文庫、新書、文芸書が中心。実用書は、あまりない。棚の半分近くを隠すように、床から平積み。売る気のない倉庫のようだ。2階は美術本などの稀覯本らしいが上がったことはない。

この北浦和に引っ越して、たぶんまもなく7年だと思うから、上京以来おなじところに住んだ記録としては、二番目タイになるのではないかと思う。そして、どこでも近所に古本屋を利用してきたが、利用といっても見るだけが多く、しかし野出書店では比較的よく買っているほうだ。ま、一年に10冊もいかないが。近所で古本屋に入るのは生活であって、購買は二の次で、どうでもよい。

たしか今年になって、その野出書店の隣にあるビルの地下、そこはマルエツというスーパーがあって出て行ったあとなのだが、100坪ちょいぐらいの広さか、そこに名前は覚えていないが、ブックオフのような店ができたのである。野出書店にとっては、初めての脅威なのではないだろうか。「こんな時代だから」は、そういうことなのかも知れんなあと、手書きポスターを貼ったオヤジの胸中を思った。それに、いまの「古本ブーム」の底にある心理を突いているようにも思った。なかなか、いいコピーじゃないか。

しかし、古本がブームなんて、ろくな時代じゃないってことだ。さっさとこんな時代はなくなって欲しいが、古本ブームは、まだまだこれからのようだ。不吉だが、不吉な時代なのだ。

共感や称賛や同情というわけじゃないが、なんとなく、『夫婦茶碗』(町田康、新潮文庫)、『剣客商売 庖丁ごよみ』(池波正太郎、新潮文庫)を買ってしまった。400円。酒代に換算すると……

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2006/03/03

それでは 東京の下町 吉村昭

このブログを書くときは、まず思いついたタイトルを書いて、あとはどどどどどとキーを打つ指が動くままに書くことが多い。するとタイトルと中身が、まったく違ってしまうことがある。でも、またタイトルを考えるのはメンドウだから、そのままにしておく。すると、きのうのようなアンバイになる。これはこれでオモシロイ。と、自分でおもしろがっている。

ほんとうは、吉村昭さんの『東京の下町』(文春文庫)を読んでイロイロ考えていたのだが。たとえば、下町を書いても、市場は視野に入っても社会となるとイマイチな池波正太郎さん、社会が視野に入っている吉村さん、このちがいは……とかね。ということで、本日は、このタイトルで書き直し。

おなじ作家の作品を読んでいるうちに、この作家が「食」のことをどう書くか興味を持つことがある。吉村昭さんも、そういう1人だった。読んでみると、やはり、いかにも、流行やブームに流されないで書き続ける、吉村さんらしい。

「オール読物」昭和58年9月号~昭和60年2月号に連載を、昭和60年に文藝春秋から単行本、そして89年に文庫版。おれは、まったく知らなかったので、92年の2刷を95年ごろ古本屋で見つけた。いい本なので、もう何度かくりかえし読んでいる。

著名な作家はハヤリの食本や下町本を書いていたが、吉村さんは、「私が日暮里町で生まれ育ったことを知っている編集者から、少年時代の生活を書くように、と何度もすすめられた。が、私は、まだそんな年齢ではなく、それに下町の要素が強いとは言え、御郭外の日暮里を下町として書くのも気がひけて、そのたびに断ってきた」のだった。吉村さんが生まれたのは荒川区日暮里駅の東側を北へ行ったあたり。いまでも、「場末」の雰囲気が残る下町だ。

この「御郭外の日暮里を下町として書くのも気がひけて」というあたり、いかにも社会的視野を持って事実に忠実であろうとする吉村さんらしいし、昭和2年(1927)生まれの吉村さんには、「御郭外」つまり「城下町の外」という江戸の感覚が残っていたことを偲ばせる。それに「山の手線」なんていうコトバは使わずに、「環状線」である。下町に生まれ下町を書くひとが、下町も走る電車が「山の手線」では、たしかにオカシイ。ことごとくそのような調子で、「下町ブームとかで、すべてが良き時代の生活であったかのごとく言われているが、果たしてそうであったろうか。たしかに良きものがありはしたが、逆な面も多々あった」「そうしたことを、私は自分の眼で見、耳できいたまま書くことにつとめたつもりである」と。

食については、「其ノ五 物売り」「其ノ十 食物あれこれ」「其ノ十三 白いご飯」「其ノ十四 台所・風呂」にまとまっている。ついでに、「其ノ八」は「不衛生な町、そして清掃」だ。

吉村さんの著述は、抒情を抒情として述べることをしない。つまり、いかにもといったクサイ「文学的」な形容や装飾はしない。柱をたて、壁を塗り、ちゃぶ台を置き、外を豆腐屋の足音がすぎ、というぐあいに空間をつくりあげ、そこに人間がいて……それらが呼吸し動いている。

それでまあ、きのうは、「文学は、論理と、その対極といってもよい人情や抒情や情緒などを把握し表現する力がある。たとえば、まさに「場の空気」や、あるいはその空間を体験したものにしかわからないニュアンスを把握したり」と書いたわけだが、ものを書けば、こういう文学になるとは限らないのが近年の文学の多勢で、やたら抒情過多なのだ……と、それはまあいいか。

「其ノ十 食物あれこれ」には、こういう話がある。

「夏になると、家の食卓には、氷の入ったガラス容器に、丸ごと茹でられた茄子を冷したものが出された。茄子を箸で縦に裂き、ショウガ醤油につけて食べる。不思議に茄子が、ショウガ醤油と合う」「私は別にうまいなどとは思わなかったが、四番目の敬吾という兄が、なぜか大好物であった」

その敬吾兄は、徴兵され訓練が終えて戦地へおもむくことになる。その直前、家族は連隊のある地方都市へ面会に行く。「母は、なにか兄の好物を口にさせようとし、家から底の深いアルマイト製の大きな弁当箱を持っていった。そして、その都市にある親戚の家で、茄子を茹で、弁当箱に入れた氷の中に沈め、おかず入れにショウガ醤油をみたした」「伝染病予防のため隊内に家族が食物を持ち込むことは禁じられていたが、母は、着物の袂にそれをかくした」

母に命じられ、他の兵隊に見つからないように見張りに立った吉村さんは、見張りながら「兄が茄子をショウガ醤油につけて、あわただしく口に運んでいるのを見た」

「うまいよ、うまいよ、と嬉しそうに言う兄を、母は、弁当箱を手にしてみつめていた」

その夜、ちょうちん行列の混雑のなかを駅へむかう兵隊のなかに兄を見つけて、「私は、兄にしがみついて四、五メートルついていったが、人の体にさえぎられ、手をはなしてしまった。駅にむかう兄と出会うことができたのは、家族のなかで私だけであった」

「一年四ヵ月後、兄は、中国大陸で戦死した」「兄は二十三歳であった」
「戦後、何度か兄のことを思い出して茄子を茹でてショウガ醤油で食べてみた。が、数年前から辛い記憶がよみがえるのを避ける気持が強く、今では食べることをしない」

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2006/03/02

食と文学

とくに近年になって、生活は消費に解消され、社会は市場に解消されてきた。別の言い方をすれば、消費を生活とカンチガイし、市場を社会とカンチガイしてきた。生活感覚だと思っていたのは、じつは消費感覚にすぎなかったり、社会性と思っていたのは市場性にすぎなかったり。あるいは、その逆に、たとえばマーケティング分析にすぎないことを、社会分析であるとカンチガイしたり。そのように認識は、混乱している。

その結果ゆきついたところは、消費と市場が成り立てば、生活と社会は成り立つという認識?考え?だった。いわゆる「民間がやれることは民間へ」ということで「小さな政府」を旗印にした小泉改革というのは、その仕上げといえるだろう。

「民間がやれることは民間へ」「小さな政府」というのは、いかにも聞こえがよい。諸手をあげて賛成したくなる。だが、「小さな政府」は、減税とは無関係なのだ。そして、その金は、同じおれのフトコロから出るのだ。同じおれのフトコロから出るのだから、たとえ「大きな政府」であっても、おれがフトコロから出す金以上のことを、政府や役所にやらせればよいじゃないか、という政策が考えられてもいいはずである。だけど、その議論にはならない。

なぜなら、官僚や役人は、競争原理が機能しないぬるま湯のなかで腐っているからダメなのである、やつらはただの税金ドロボウだ。と、印象づけられている。しかし、そう言われながら、その「改革競争」で残ってきたのは、腐った政治家や官僚や役人どもなのだ。

小さな政府には、腐った池で生き残った、もっとも腐った部分、つまり社会的責任感と社会政策立案遂行能力に欠如した連中が残ることになる。それはそうだ、社会政策は「民間がやれることは民間へ」と丸投げしていればよいのである。あるいは「自己責任」に転嫁する。そして、民間の「事故」「不祥事」続きのお粗末といったらない。

とにかく、生命のための生活と社会については認識を失い、消費と市場で生命は維持されると認識してしまったか、しつつある。現在の食は、そこで危うく成り立っている。もともと日本では、社会政策としての食料政策は、お粗末だったのだが。

話は飛躍するが、生命と生活と社会の関係をシッカリ認識するうえで、文学は有効だと思う。その関係には、調査立案という過程、つまり数値や合理性や論理で把握し解決できないことが、たくさんあるからだ。たとえば「人情」といわれたりする、「抒情」「情緒」の存在である。生活空間や社会空間を考えるとき、それは欠かせないだろう。消費空間や市場空間でさえ、その演出は重視されている。

文学は、論理と、その対極といってもよい人情や抒情や情緒などを把握し表現する力がある。たとえば、まさに「場の空気」や、あるいはその空間を体験したものにしかわからないニュアンスを把握したり。「血が通った」という表現にあるような政策は、文学をぬきには考えられないだろう。と、おれは思っている。ま、そういう文学も、消費と市場のなかで自らを誤解し、衰退しつつあるようだが。

今日は、食と文学の関係で思いついたことがあったのだが、いろいろ考えることがあって、錯綜した内容になったな。酒が足りない。ま、いいか。

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2006/03/01

だがね 下町・山の手問答

しかし、だがね、と、一昨日きのうの続きなのだが。「過酷」といってよいほど過密な下町に「人間の生活」がある、倫理つまり人倫があるとしたら、それは「貧乏」の肯定になりやしないか、それが、ほんとに「人間の生活」なのかと考えてみるのも、悪くない。

たしか2000年以後に廃止された東京都労働研究所?という名前だったかな、そういうところで、東京の労働者の実態調査を重ねてきた。それが廃止されたのは、東京を支える労働者の実態など、どうでもよいと東京都が判断したのかも知れないが。それはともかく、ほかにもデータはあったと思うが、下町では労働者の疾病率や死亡率が高いという傾向がみられた。それは、住環境や労働環境の悪さからくるという分析もあったように思う。少なくとも、食生活や栄養の劣悪を原因とする分析はなかったと記憶する。

そういうところに、「人間の生活」はあるのか? 

疑問は、とうぜん起きるし、望月照彦さんの『マチノロジー』でも、そのことにふれている。そして下町ではないが、下町同様の東池袋5丁目のサンシャイン・シティ裏の家屋密集地に住んでいた小沢信男さんは、『いま・むかし 東京逍遥』の「池袋今昔物語」で、

「ところが、あちらには、おのずから別な見方があるようで、家屋密集地を見下ろすと取り払って再開発したくなるらしいのだ。往昔の西口マーケット街とほとんど同様に、嘆かわしい、遅れた地域と見えるのだろう」「そのうち池袋がもっと接近してきて、拙宅あたりも"文化的"にされてしまうのだろう。やれやれ」と書いている。「あちら」とは、再開発された池袋や、サンシャイン・シティなる「模擬都市」や、それを推進した人たちをさす。

さらに小沢さんは「東京逍遥篇」で、下町と同様の環境である大森在住の、旋盤工にして作家の小関智弘さんが書いた『大森界隈職人往来』(朝日新聞社)を紹介しながら、こう述べる。

以下引用…

  町にも工場にも、人間の営みの累積がある。言いかえれば根がある。その誇り、ふところの深さとは、このことだ。消費都市の間口の華やかさがなんだろう。生産する町であってこそ、人間くさい町であろうに。その思いを筆遣いにひそめて、著者はこの町の庶民群像を描く。生活の不如意は、町中を流れる呑川のメタンガスのように絶えずとも、彼らの姿には、いずれも威厳さえもがある。
  これが現代の東京の文学である。

……引用オワリ

小沢さんは自分が住んでいる家屋密集地を肯定し、それを脅かすサンシャイン・シティと、その文化その文学を批判する。つまり一方では、下町あるいは下町的なる家屋密集地、そこにある「生活の不如意は、町中を流れる呑川のメタンガスのように絶えずとも、彼らの姿には、いずれも威厳さえもがある」群像を生活の姿として肯定する。

山の手とは、消費文化の都市である。それは華やかで浅く薄っぺらな文化と文学が支持されるところでもある。そちらからみれば、下町は慰みものでありえても、文化でも文学でもない。「嘆かわしい、遅れた地域」なのだろう。いまでは、「浅草」を文化と文学の舞台としながら、小沢さんが「これが現代の東京の文学である」といったそれは眼中にない状況すら生まれている。つまり、下町をテーマにしながら、文化や文学の手をかり山の手の視線で見る、それによって「下町」は山の手の消費者用に商品化され消費される。

その源流をさかのぼれば、「文化住宅」の出現になるだろうか。それが、山の手に出現するのは、いわゆる教養主義と大正モダニズムの時代だ。「文化住宅」は、近代を象徴する耐久消費財であり、戦後の日本の消費モデルの頂点に立つものといえると思うが、そのころから文化や文学は、山の手で消費と手を組んだのかも知れない。それは、生活のなかの文化や文学というより、「ゆとりある生活」としての文化や文学だったといえるだろう。そこからみれば家屋密集地に、人間の生活や文化や文学があろうはずはない。

ちかごろ、広告コピーのようなエッセイや小説が、名文?名作?としてもてはやされるのは、そういう山の手文化の結果のように思われる。

ともあれ、いま「貧乏」とか「富裕」の基準になっているのは、消費の拡大を生活の充実と誤解してきた、山の手をモデルとする消費文化だろうと思う。

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