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2006/03/03

それでは 東京の下町 吉村昭

このブログを書くときは、まず思いついたタイトルを書いて、あとはどどどどどとキーを打つ指が動くままに書くことが多い。するとタイトルと中身が、まったく違ってしまうことがある。でも、またタイトルを考えるのはメンドウだから、そのままにしておく。すると、きのうのようなアンバイになる。これはこれでオモシロイ。と、自分でおもしろがっている。

ほんとうは、吉村昭さんの『東京の下町』(文春文庫)を読んでイロイロ考えていたのだが。たとえば、下町を書いても、市場は視野に入っても社会となるとイマイチな池波正太郎さん、社会が視野に入っている吉村さん、このちがいは……とかね。ということで、本日は、このタイトルで書き直し。

おなじ作家の作品を読んでいるうちに、この作家が「食」のことをどう書くか興味を持つことがある。吉村昭さんも、そういう1人だった。読んでみると、やはり、いかにも、流行やブームに流されないで書き続ける、吉村さんらしい。

「オール読物」昭和58年9月号~昭和60年2月号に連載を、昭和60年に文藝春秋から単行本、そして89年に文庫版。おれは、まったく知らなかったので、92年の2刷を95年ごろ古本屋で見つけた。いい本なので、もう何度かくりかえし読んでいる。

著名な作家はハヤリの食本や下町本を書いていたが、吉村さんは、「私が日暮里町で生まれ育ったことを知っている編集者から、少年時代の生活を書くように、と何度もすすめられた。が、私は、まだそんな年齢ではなく、それに下町の要素が強いとは言え、御郭外の日暮里を下町として書くのも気がひけて、そのたびに断ってきた」のだった。吉村さんが生まれたのは荒川区日暮里駅の東側を北へ行ったあたり。いまでも、「場末」の雰囲気が残る下町だ。

この「御郭外の日暮里を下町として書くのも気がひけて」というあたり、いかにも社会的視野を持って事実に忠実であろうとする吉村さんらしいし、昭和2年(1927)生まれの吉村さんには、「御郭外」つまり「城下町の外」という江戸の感覚が残っていたことを偲ばせる。それに「山の手線」なんていうコトバは使わずに、「環状線」である。下町に生まれ下町を書くひとが、下町も走る電車が「山の手線」では、たしかにオカシイ。ことごとくそのような調子で、「下町ブームとかで、すべてが良き時代の生活であったかのごとく言われているが、果たしてそうであったろうか。たしかに良きものがありはしたが、逆な面も多々あった」「そうしたことを、私は自分の眼で見、耳できいたまま書くことにつとめたつもりである」と。

食については、「其ノ五 物売り」「其ノ十 食物あれこれ」「其ノ十三 白いご飯」「其ノ十四 台所・風呂」にまとまっている。ついでに、「其ノ八」は「不衛生な町、そして清掃」だ。

吉村さんの著述は、抒情を抒情として述べることをしない。つまり、いかにもといったクサイ「文学的」な形容や装飾はしない。柱をたて、壁を塗り、ちゃぶ台を置き、外を豆腐屋の足音がすぎ、というぐあいに空間をつくりあげ、そこに人間がいて……それらが呼吸し動いている。

それでまあ、きのうは、「文学は、論理と、その対極といってもよい人情や抒情や情緒などを把握し表現する力がある。たとえば、まさに「場の空気」や、あるいはその空間を体験したものにしかわからないニュアンスを把握したり」と書いたわけだが、ものを書けば、こういう文学になるとは限らないのが近年の文学の多勢で、やたら抒情過多なのだ……と、それはまあいいか。

「其ノ十 食物あれこれ」には、こういう話がある。

「夏になると、家の食卓には、氷の入ったガラス容器に、丸ごと茹でられた茄子を冷したものが出された。茄子を箸で縦に裂き、ショウガ醤油につけて食べる。不思議に茄子が、ショウガ醤油と合う」「私は別にうまいなどとは思わなかったが、四番目の敬吾という兄が、なぜか大好物であった」

その敬吾兄は、徴兵され訓練が終えて戦地へおもむくことになる。その直前、家族は連隊のある地方都市へ面会に行く。「母は、なにか兄の好物を口にさせようとし、家から底の深いアルマイト製の大きな弁当箱を持っていった。そして、その都市にある親戚の家で、茄子を茹で、弁当箱に入れた氷の中に沈め、おかず入れにショウガ醤油をみたした」「伝染病予防のため隊内に家族が食物を持ち込むことは禁じられていたが、母は、着物の袂にそれをかくした」

母に命じられ、他の兵隊に見つからないように見張りに立った吉村さんは、見張りながら「兄が茄子をショウガ醤油につけて、あわただしく口に運んでいるのを見た」

「うまいよ、うまいよ、と嬉しそうに言う兄を、母は、弁当箱を手にしてみつめていた」

その夜、ちょうちん行列の混雑のなかを駅へむかう兵隊のなかに兄を見つけて、「私は、兄にしがみついて四、五メートルついていったが、人の体にさえぎられ、手をはなしてしまった。駅にむかう兄と出会うことができたのは、家族のなかで私だけであった」

「一年四ヵ月後、兄は、中国大陸で戦死した」「兄は二十三歳であった」
「戦後、何度か兄のことを思い出して茄子を茹でてショウガ醤油で食べてみた。が、数年前から辛い記憶がよみがえるのを避ける気持が強く、今では食べることをしない」

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コメント

なべじろうさん、どうもありがとうございます。
しかし「時効警察のロケ地を府中の川崎屋」の検索からここにとは、ネットのつながりは摩訶不思議であります。

これからも、よろしく~

投稿: エンテツ | 2006/03/05 00:22

時効警察のロケ地を府中の川崎屋を検索したらここにたどり着きました。私も吉村昭ファンです。これからの記事に期待しています。

投稿: なべじろう | 2006/03/04 15:34

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