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2006/03/28

頭の中は、腰痛快癒 庖丁文化論と庖丁人味平

はて、あの腰痛の原因は、いったいなんだったのか。同居のツマは浮気を疑うが、うふふふふふ。やってみたいねえ。

メモ。

●1974 年の『庖丁文化論』(講談社)で、著者の江原恵さんは、こう書いている。『庖丁文化論』は、その前年1973年に、エナジー叢書が募集の懸賞作品に入選した。

「日本料理は敗北した。外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している。」

「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド形の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして、根本的に作り変えることである。山名のような名人料理人の、皮相的な芸術趣味の自己満足で、日本文化を代表させるような在り方を反省することである。料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう。」

「日本料理の粋は、料亭の酒肴料理にしかないのである。料理学校や短大でさえも、そいう粋を指向する庖丁を手本にしているのだ。こういう事態は、すこし異常で、非合理的な生活文化であるとはいえまいか。」

「赤坂や祇園の料亭料理を、われわれ日常の食膳にのせるまでにはいたり得ないだろう。……第一そういう仮定からしてばかげている。ばかげてはいるけれども、全体的方向としてそれを指向しているのが、わが日本料理文化の理念であり、現状である。」

「試みに、書店にぎっしりと並んでいる料理の本を二、三冊めくってみよう、すると、わたしたちは観念的には、いつでもそういう伝統的な醇日本料理を食卓に並べることができる、というしくみになっている。しかし現実の毎日の食事は、魚肉ソーセージであり、カレーであり、すき焼きであり、漬物であり、味噌汁である。」

●『庖丁人味平 1』(作・牛 次郎、画・ビッグ錠、集英社文庫1995年)には、こんな場面がある。この初出は、週刊ジャンプ1973年だ。つまり『庖丁文化論」が書かれた年と同じころの話だ。

味平がコックになることを決意した日、築地で一番腕が立つと評判の板前、味平の父塩見松造は、味平を殴り、「日本料理以外はへみてえなもんだ」と自分の庖丁さばきを見せる。そして「どうだコックなんぞに こういう 庖丁さばきができるかってんだ」と見得を切る。

それを「アッハッハハハハ!!」と笑いとばした味平は言う。

「こんな曲芸みたいな庖丁さばきと料理となんの関係があるんだい」「そりゃあ とうちゃんたちの 日本料理の世界じゃ こんな芸当がハバをきかすかも しれないけどネ」

そういう日本料理を食べられるのは「高いお金をだせる会社の重役だとか裕福な人だけ」「値段がべらぼうに高いんだヨ」

松造は「あったりめえヨ 日本料理は高級なんだ そのへんの食堂とおなじにされてたまるけえ」

味兵は言い返す「でもね とうちゃん 料理はみんなのものだろ」「おいしい料理が安い値段でたべられる! これが料理じゃないかい」「日本料理ってのは お金のある人だけのものなのかい……? オレたちみたいな ふつうの人には たべられないのかい?」「とうちゃんは たしかに日本一の板前だ」「でも、その腕が一般の人から日本料理を遠ざけているんだヨ」

「一般の人たちがたのしめる料理! おいしくて 安い そんな料理をつくる料理人になりたい」と味平は言い残して家を出る。

●おなじころに、ある種の帝国(つまり日本料理業界が君臨する日本料理)の崩壊を見た人たちがいた。帝国がなくなる未来を想像したのだ。ただ、味平は、プロの「大衆料理」の世界へむかい、江原さんは家庭料理へむかった。

最近は、古い帝国を懐かしがるばかりで、未来を想像する力は失せたのか。大量隠居の団塊の世代に引きずられるのか。ただ古を良しとし懐かしむばかり。隠居社会到来、時代は黄昏。未来を想像しない温故知新。帝国の逆襲なるか。

ようするに、帝国がなくなる未来を想像しないかぎり、なにをしても言っても自由である。

■思い出した、きのうの補足。
江原恵さんは、たしか70年代なかば、どこかのテレビ局の番組か雑誌かで池波正太郎さんと座談かなにかあって、そのとき、別れぎわに池波さんから「遊びにおいで」といわれる。江原さんは、そのころ、そのことをしばらく、「会いに行くべきかどうか」考えていた。おれと酒飲みながらも、「どうしたもんかねえ」と言っていた。そして、結果、行かなかった。群れない群れることを怪しむ「一匹狼」は伊達じゃないし生き難かった。

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