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2006/03/04

「成功」の食と「幸福」の食

下町だの山の手だのという話になると、とかく、その先鋭的な特徴だけを比べやすい。ま、たしかに「格差」といえるような違いはある。だけど、ここ浦和から遠く離れて見れば、ただの混沌とした大都市にすぎない。下町と山の手のコトバの違いなど、あったにしてもどのみち「東京弁」であり、自分も東京弁に侵されている。

東京は流民の都市だ。他の地域から流れ込んだ流民一世や、両親の両方かどちらかがそうである二世、あるいは祖父母の誰かがそうである三世など、そういう人たちが大多数を占める。

下町は歴史があるように見えるが、戦前からの住民が、どれだけいるだろうか。江戸時代からとなると、さらに少ない。こういう歴史性のない東京は、前に書いたが『「東京」の侵略』(パルコ出版)で「漂流する東京」と呼ばれた。それは「不安定性という欠陥を抱えているがゆえに劇的な成長と変化をやめない都市」である。

日本は、その東京を成功のモデルとしてやってきた。モデルどころか、東京の成功があって日本の成功があると、他の歴史ある地域や産業の衰退を招いても東京に富を集中し博打を打ってきた。農漁業の疲弊、食料自給率の低下の根本は、それだ。

東京へ流れ込む流民たちが描く標準的な夢?希望?は、東京で成功し幸福をつかむ、ということだった。その頂点に山の手モデルがあった。とりわけ東京オリンピック(あれは山の手に偏って行なわれた)があった1960年代なかごろ以後は、それが顕著だった。

そこに二つの特徴があった。一つは、幸福は、成功についてやってくるものだということ、成功がなければ幸福はない、だから成功のためにがんばらなくてはならない。もう一つは、山の手が、成功する、あるいは成功した生活のモデルである。ある時期サザエさんの家族が、それをリードした。それは山の手の新興地、世田谷の暮らしをモデルにしていた。

義務教育課程において、展望する将来像の標準が、そこにあった。高校を卒業し上京するころ、ゴミゴミした下町で一生を終える構想など、よほどの変わり者でないかぎり描きようがなかったであろう。

NHKテレビを見ても、そうだった。テレビや新聞が描き続けた、成長する日本の成功する人たちの生活は、東京の東ではなく西にあった。たとえ地方で暮しても、生活のモデルの頂点には、東京の山の手があった。

とりあえず、ここで学校の「学力」だけを取り上げると、学力の頂点にエリートの山の手モデルがあって、そこにつながらない回答は正解ではない構図ができる。それは一方に、山の手モデルにつながらないオチコボレをつくる構図でもあった。

そういう学校の教育課程や社会環境では、成功の図式は与えられても、幸福は成功のあとについてくるものとして、考えられてこなかった。もちろん個人的に考えるひとはいて、個人的に追求されてはきたが。

成功か幸福か、という問答すら、学校教育ではされて来なかった。もし「食育」を本気にやるなら、そこから掘り起こさなくてはならないだろう。成功のために幸福が犠牲になってもトウゼンという考えのもとに、幸福の食は追求されなかったのだ。しかし、成功をめざすものからみたら小さな幸福を、大事にしている人たちは、けっこういる。

成功を追うモデルが、「食の乱れ」を、生産から家庭にまで及ぼしたのであって、このモンダイは「少子化」とも関係する。「少子化」は、成功したものでないと幸せな家庭は維持できないという強迫観念がもたらした一面があるからだ。そもそも食生活にせよ、子どもを生んで育てるにせよ、生命の継続に成功が条件であるというのが、はなからおかしいのだ。

しかし、食を栄養素でしか考えてこなかった栄養士たちが「食育教諭」になったところで、そこまで考えた「食育」ができるのか。いや、もともと、食育基本法は、破綻した「成功路線」を、その場しのぎで繕うものにすぎない。

「学力」とは何か、成功のためか、幸福のためか、幸福とは何か、そのことは「食」と深い関係がある。

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