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2006/06/29

見よ!「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」のすごさ

やややや、これは、すごいところからリンクをいただいた。ときどき見ていた「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」様だ。こういうメールがあった。


立石に行ってみたいと思っていてたどり着きました。
あまりの面白さにじっくり見せていただき、中に書かれている大衆食堂に
ぜひ行ってみたいと思います。いいですね大衆食堂。

あまりに面白いので勝手にリンクさせていただきました。

掲示板に書き込もうとしたら文字化けしてしまったので、メールにて。

ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/


どうもありがとうございます。お行儀の悪いザ大衆食ですが、どうか、よろしくお願い申し上げます。後日、ザ大衆食のリンクの花園からもリンクさせてもらいます。

と、メールをしておかなくてはいけないな。

ま、とにかく、みなさん、「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」、ぜひご覧なってくださいましよ。


ついでに、ザ大衆食の立石関係。
「産直?おでん屋 葛飾区立石」……クリック地獄
「ゑびす屋食堂 葛飾区立石」……クリック地獄
これだけだったかな? 古本の岡島書店と立石書店も、よろしく~。岡島書店は、食文化系が多いよ。

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暑いと悪態つきたくなる

2日のパネルセッションに使いたい写真を撮りに出かけた。出てから気がついたが午後1時過ぎで暑い最中(こう書くと「もなか」と読むやつがいるそうだが、難しい読み方をするもんだ、ただ「さいちゅう」と読めばよいんだよ)。夕方にすればよかったなと舌打ち。おまけにグウダラが昼間からビールをグダグダ飲めそうな酒場がない。コキタナイ大衆食堂をつぶして再開発されると、お行儀のよい店ばかりだ。お行儀のよい町というのは、工夫することを知らないバカの溜まり場のように見える。

お行儀よくしちゃった町というのは、しちゃったわざとらしさだけで、お行儀わるくなっちゃったかんじがない。つまんねえよなあ。

そうそう久住昌之さんが何かで言っていたよな。「町を見ていて面白いのは、なっちゃってる感じね。したんじゃなくて、なっちゃった物件。みんなちょっと困っていて、不便なんだけど……」その不自由さをどう使うかの工夫が面白い。仕方なく工夫するから、そこに意外さが出てくる、ワクワクする。

ま、それでチョイと本屋に入って涼んだのだが、棚に居酒屋本がズラリ、単行本、ムック、文庫本といろいろあるのでビックリ。こんなにあって、どうするのだ。これがみな、再開発された町みたいにお行儀のよいものばかりだ。

んで、有名無名のライターさん、みな偉いんだよなあ、これが。私が、よい酒、よい酒場、よい飲み方を「啓蒙」してあげます、私は啓蒙の神様教祖様よ、という感じで。そりゃもう、お行儀がよい。はあ、おどろいた。みな、そんなにお行儀よくやりたいのか。

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2006/06/28

ありがとね

大衆食というのは庶民の生活食・日常食だ。つまり生活というのは日々のくりかえしであり、そのなかにある食なのだな。

で、駅の立ち食いそばなのだが、これは文句なく大衆食であるね。しかし、単純に、そうも思えないこともある。それは、たとえば、JR東日本の子会社が経営する「あじさい茶屋」など、その食べものとしてのそばは大衆食だが、そこで提供されるサービスとしての立ち食いそばは、大衆食とはちがう、「企業食」「市場食」「産業食」であるような気がしてならない。実際、あの空間には生活臭というものがなく、管理された工場のようだ。

そのことを強く感じさせるのが、そこで飛び交う言葉、なかでも挨拶だ。

大宮駅で、おれがよく利用するのは、京浜東北線のホームにある立ち食いそばで、これは「あじさい茶屋」とはちがう。なかでもちがうのが、挨拶で、「いらっしゃいませ、こんちには」「ありがとうございます」という判で押したような野糞でもコンニチハ式の挨拶がないことだ。ま、時間によって従業員はちがうから、その人それぞれなのだな。

で、おれがいちばん好きなのは「ありがとね」という挨拶なのだ。「ありがとね」というオバサン従業員がときどきいる。そして、そのオバサンがいないときは、若い学生アルバイトらしい男や女であり、こちらは「ありがとね」にくらべると無愛想だが、眼で挨拶する。おれも、つい、眼で挨拶してしまうのだが、はたして通じているのかどうかと思うが、機械的に判で押したような利益管理された言葉を投げつけられるより、気分は悪くない。

あっ、なんの話だろうか。つまり大衆食は経済や値段だけではないということだ。日々のくりかえしのなかの食だから、それを機械的にやられては、いかにもおれの生活を機械的に扱っているナという感じがして気分がよくない。そこへいくと、「ありがとね」は、とてもいい。「ありがとね」のオバサンがいる店での、無言の眼の挨拶もとてもいい。はて、今日は、どんな挨拶が飛び交うかと思いながら入るだけでも気分がちがう。

このあいだは、どこかのジジイが、「ありがとね」オバサンに話しかけていた。「あんたは昼間いるのかい」、オバサンは「そうかね、ありがとね」。ジジイはいう、「そうじゃなくて、あんたは昼間いるのかと聞いているんだよ、おれがこのあいだ夕方来たらいなかったから」、オバサンは「そうね、夕方ね、ありがとね」。オバサンは洗いなどをしながらで忙しいのだ。ジジイは「じゃ、またくらあ」と出て行った。その背に向ってオバサンは「ありがとね」。

JR東日本の子会社には真似のできない人間関係だろう。が、大衆というのは、ほっておけば、そういう人間関係をつくるのではないかと思う。ただ、誰に対しても同じようにはいかないだろう。そして、そこがオモシロイのだな。

客が「ごちそうさま」といって出ていく割合は、「あじさい茶屋」より、「ありがとね」オバサンがいる立ち食いのほうが圧倒的に多いような気がする。

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2006/06/27

揚羽屋主人・田村秀樹さんの命日に赤羽で

きのう6月26日は小諸の揚羽屋の主人、田村秀樹さん(昭和19・1944年生)が亡くなって一年目の命日だ。ちょうどアユの背ごしが食べられる時期だからと、前々からそれを食べに行きたいと言っていた野糞でもコンニチハの駄目吸う野郎と、あれこれ日程調整の結果26日にしようと決めたのはだいぶ前のことだった。そのあとおれは2006/06/05「「四月と十月」古墳部in諏訪のち一人小諸揚羽屋泥酔紀行」に書いたように、揚羽屋に寄る機会があって聞いたら、26日は営業しているが今年は水温の関係でアユの背ごしを食べられるのは7月になってからと知った。

それならと、揚羽屋行きは延ばし、せっかく調整のとれた26日だから、赤羽の駅前の、ときどき入る大衆酒場まるよしの隣にある気になる鰻屋へ行こうということにした。

んで、きのう、午後6時赤羽駅で待ち合わせ。かばやきと白焼でビールをグビグビッ、たはっ明るいうちから鰻で飲むなんていいねえ、しかし鰻より突き出しの漬物のほうがうめえぞ。のち、隣のまるよしへ、のち、東十条のみとめへ。なんとなくデレッと飲んだ夏の夜、というかんじだった。

田村秀樹さんの追悼を掲載しようと思いながら、書けないまま一年たってしまったなあ。揚羽屋のページの更新も、去年と今年先日の分が写真もたまっているが、とまったまま。……クリック地獄

黙祷

駄目吸うさんのブログに、きのうの様子あり……クリック地獄

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2006/06/26

カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢 続きの続き『都市/CITYを紡ぐ』

司会の五十嵐さんは、23日に打ち合わせのために東京に来ていた大阪市立大の原口さんと大阪へ向っているらしい。さきほどメールが入って、五十嵐さんが司会の「闇市と戦後の記憶 大衆の痕跡」と、木村さんが司会の「「若者の街」の形成とその変容」のセッションをまとめて、単に「下北沢セッション」と呼んでいたが、その全体のタイトルを『都市/CITYを紡ぐ』にしようと思っているとのこと。これは速報だね。

「新橋、大阪、裏原宿に紡がれた生活と文化の営みに耳を傾け、都市を生きる身体が発した言葉を持ち寄る。そして再び、道路計画に揺れる下北沢の地層へと分け入ろう――闇市に始まった、生活の活気溢れる商店街。そしてカウンター・カルチャーと若者文化の拠点に。いまこの下北沢で、世代を超えた対話の幕が開く。都市に生活し、憩う人々が、出会い、語らう居場所を築きあげる術を取り戻すために」というのが説明文の原案だとか。

ま、とにかく、都市にせよふるさとにせよ、人びとが紡ぎだすものなのだよなあ。人間は社会がなくては今晩の酒も飲めないしめしもくえない動物だから、たえず社会を紡ぎ出さなくてはならない。それが買い物をしたり、食堂でめしをくったり、飲み屋で飲んだり、ということでもあるはずなのだけど。

でも、近年の商業主義というか「消費文化的な社会」というのは売買関係だけで、カネだせばいいんだろ、カネだせばイイコトしてアゲル、ってな関係だけで、紡ぎだすこと、つまりお互いにいい関係をつくりあげていくことを忘れさせるね。

ところで、きのうはおれの報告要旨だけを紹介したが、ほかのみなさんは、こんなふうにおっしゃっている。

初田香成さんは「ヤミ市における都市計画、都市計画におけるヤミ市 ―戦後東京の事例研究―」というタイトルでの報告だが、「戦後東京のヤミ市がどのように形成され撤去されたか、もしくは高度成長期を経てもしぶとく残っていたかといった実態を報告するつもり。ケーススタディとして1960年代の新橋西口の再開発を調べましたので、それに関しても話すかもしれません」と。

原口剛さんは「労働の記憶を語り継ぐ 大阪「築港」の社会史」というタイトルでの報告だが、「報告内容は、現在進めている大阪港の調査をベースにしたいと考えています。大阪港に築港という人工島がありまして、そこは戦後港湾労働のメッカだったのですが、コンテナ化によって労働力省力化が進むと同時に港湾運送の拠点が別の港に移り、現在は水族館や美術館、ショッピングモールなどが建ち並んでいる地域です。といっても、それは島の北半分の地域で、南半分は開発から取り残され衰退する一方です。私の調査は南半分で経営している立ち呑み屋さんに通っては話を聞く、というもので、そこで会話を録音したデータをもとに、報告しようと思っています。立ち呑み屋に集まる住人の会話や表情が、ほんとうにいきいきとしているのです。ここは少しおおげさに、「立ち呑み公共圏!」「歴史的記憶再生産装置・立ち呑み屋!」ぐらいのことは言ってしまおうかなあ、とも思っています」

つまり、「若者の街」が形成される前にあった汗臭い労働と生活の都市に、みなけっこう思い入れを持った報告になりそうなのだな。

そして続く、木村さんが司会の「「若者の街」の形成とその変容」は、その汗臭い労働と生活の都市が変容していく1980年代以後が中心になるというわけだ。こちらの報告者については、先日の打ち合わせで聞いているのだが、メモをとってこなかったので忘れてしまった。たしかファッション関係の方だったように思う、原宿あたりの話もあるとか、後日確認のうえ、紹介しよう。

司会の木村さんの所属は東京大学大学院教育学研究科修士課程で、25歳ぐらいという年齢的にもそうだが、下北沢の現在の若者文化の担い手の一人だ。下北と出会う雑誌『Misatikon ミスアティコ』の編集や「セイブ・ザ・下北沢」などで活躍。なんとか世代論的なギャップをこえようと意欲的であるようだ。

ま、おれなどは、下北沢の現在の若者文化が形成されていくにしたがい、下北から離れていった人間だから、あんたら「下北を守る」というけど、自身が壊した下北について知っているのかとか思ったりしながら、でも、その思いを断層に固定させるのではなく、話し合っていくことで都市というイロイロな断層の集まりのなかで、だからこそ断層を克服し、愛着のわく都市を紡ぎだそう、というぐらいの気持ちは持って参加しているわけだな。たぶん。

「カルチュラル・タイフーン2006in下北沢」のサイト……クリック地獄

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2006/06/25

カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢 続き

当シンポジウムは、初日の6月30日は北沢区民会館「北沢タウンホール」で3会場9セッション。7月1日と2日は下北沢成徳高等学校で、6会場44セッションが予定されている。一般の方は2000円払えば、そのどこにも参加できるというわけだ。

「闇市と戦後の記憶 大衆の痕跡」の会場は、150名ぐらいは収容可能らしい。

このシンポジウムは「都市」をテーマにしているとはいえ、「文化台風」だから、都市のハードとしての都市計画などより、ソフトとしての都市文化についての報告と討議が多いようだ。ま、ハコの空間にあるコトというか。

再開発でハコが変わることで中身まで変わってしまう場合が多いし、またハコは変わっても中身はあまり変わらないということもあるし、ハコは変わらないのに中身が「再開発」されちゃうということがある。

「闇市と戦後の記憶 大衆の痕跡」は、どういうパネルか、司会の五十嵐泰正さん(日本学術振興会/一橋大学)の言葉を借りながら、説明すると、こうなるかな。

70年代~80年代「若者の街シモキタ」の形成そのものが、既存の盛り場の大衆文化や近隣向け商店街を破壊しながら進行した側面、つまりハコは変わらないのに中身は「再開発」され「若者の街」になってしまった側面があるかも知れないという問題意識をふまえ、闇市、戦後の大衆文化、多層的なジェントリフィケーションをキーワードに、地理学・都市計画・大衆食文化研究・社会学といった幅広い視点から、20世紀後半以降の東京の商業地の存立を再考する。「現在台頭している戦後や昭和30年代的なものへのノスタルジーブームも、議論の俎上に載せられるだろう。またこうしたパネリストの報告に対し、実際に北口商店街で育った方に、コメンテーターとして応答いただく」

報告者は、報告の順番に、初田香成(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻) 報告タイトル「ヤミ市における都市計画、都市計画におけるヤミ市 ―戦後東京の事例研究―」 →遠藤哲夫(フリーライター/大衆食の会主宰) 報告タイトル「大衆食や大衆食堂から見た東京の町」 →原口剛(大阪市立大学) 報告タイトル「労働の記憶を語り継ぐ 大阪「築港」の社会史」

おれの報告は、再開発前の大衆食堂があった町と再開発後の様子などを写真でご覧いただきながら、要旨は、こんなことになりそう。

大衆食堂が町のアタリマエの景色だった時代は、東京のどの町も「労働し生活し憩う」ところだった。それはまた、どこの町にも魚屋や肉屋や八百屋や喫茶店などがあった時代で、それら各種の生業が通りの雑多な風景をつくっていた。そういう町が消費主義的な市場に変わっていくのが、1970年代なかごろからで、「若者文化」がもてはやされるようになる時代、その一つの象徴が下北沢の「イタリアントマト」……下北沢が「遊びの町」化する始まりだった。
それはまた飲食が町のレジャーやファッションの顔として、「仕掛け人」たちによりマーケティングされる時代の始まりだった。コンセプトとターゲットあるいはゾーニングなどによる町づくりのエレメントとして、飲食が「労働し生活し憩う」から分離され、「ライフスタイル」論によって分解され、レジャーやファッションとして扱われる。「多様」な飲食スタイルが市場として生まれた。それがオシャレな「若者文化」ってことで、「若者」は単に若いというだけではなく「遊んで過ごす」イメージではなかったか、これこそ消費主義の極地。実際に労働し生活していても、その感覚のない気持ち悪い文化がマンエンしていく……そして東京は「遊びの町」化する。「イタリアントマト」以後の下北沢も、そうした流れにあった。
雑多な人々が「労働し生活し憩う」基点だった大衆食堂は「遊びの町」のオモテからは消えていった。でも、無くならない、また新しいスタイルの大衆食堂も生まれている。そこに町の再生の道があるのではないか。


この件については、たぶん、また、明日書く、だろう。か。

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呑斎会に中村よう「トオリヌケ・キ」

一昨日、めずらしく清酒を一滴も飲まなかったのは、昨夜の「呑斎会」に備えてのことだった。前回に続き、日本酒好き写真家タケイさんと中野の「大将」で高瀬斉さん主宰の「呑斎会」へ、6時着。今回は秋田の酒、12酒蔵から18種。やや押さえ気味に飲んだので泥酔状態にはならず。9時半ごろ?終り、タケイさんほか数名と、45番街「松露」へ行ったが店は真っ暗。あたりは地上げがドンドンすすんでいるようだが、どうなるのか? もどってけっきょく「ブリック」に落ち着く。やどやのマリリンを呼んで、ワラジを渡す。11時過ぎ終電に遅れないよう、お先に失礼。

はあ、飲み疲れでグッタリ。昨日のカルチュラル・タイフーンの話の続きは、またあとで。

神戸の中村ようさんから「トオリヌケ・キ」06年7月号が届いていた。8月上旬、創元社から新刊が出るとのこと。仮題『肴(あて)のある旅』。「中村ようが愛する神戸の居酒屋、バー、酒、そして酒を取り巻くあれやこれやについて熱く語った」と。たのしみ。ちくま文庫から発刊のいいざわたつや著『カップ酒スタイル』や浜田信郎著『酒場百選』の紹介もある。

ま、とりあえず、そういうことで。

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2006/06/24

カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢の顔合わせ

昨夜は、生ビール、焼酎、バーボンでしのぎ、めずらしく清酒を一滴も飲まなかった。

6時下北沢駅北口集合は、シンポジウム「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢」の「下北沢セッション」に参加する、司会の五十嵐泰正さん、パネラーの初田香成さん、原口剛さん、そしておれ。飲み屋へ。やや遅れて、運営メンバーの木村和穂さん、外国からの参加者が到着しはじめ受け入れなどで忙しくなっているなか加わる。

五十嵐さんだけが、みなを知っていて、お互いメールでの打ち合わせはしているが、顔を会わすのは初めて。というわけで、まずは自己紹介。みなさん東大卒で、そのまま大学院に残ったり、ほかの大学院に在学中だったりで、ようするに研究者を目指しているのだな。なので自己紹介も卒論や修士論文や博士論文あたりのことや、いまやっている研究など、それにそれじゃくえねえからアルバイトの話など、あれこれ、夫婦男女の危機なども……。そして、なぜどのように都市に興味を持ったか、そして再開発でゆれ動く下北沢について、あれこれ。

おれが参加する「下北沢セッション」は7月2日(日)12時半から16時45分まで長丁場。あれこれ話し合った結果、五十嵐さんが司会の「闇市と戦後の記憶 大衆の痕跡(仮題)」を前半に、木村さんが司会の「「若者の街」の形成とその変容(仮題)」を後半にすることに。前半のパネラーは、そのまま壇上に残り、後半の討論にも参加ということになった。タイトル通り、戦後の東京の記憶、大衆の痕跡、「若者の街」が生まれ変容していくさまが掘り起こされることになるだろう。

ま、とにかく、カルチュラル・タイフーンことは6月9日にも簡単に紹介しているが、少しは全貌が見えてきたから、もう少し詳しく紹介しよう。


まずは主催者の印刷物から……

「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢」 テーマは「都市」

カルチュラル・タイフーンの
今年の舞台は
下北沢という都市空間
国内、海外各地から集う研究者、文化表現者、運動家たちが
この街のさまざまな
表情と対話を通じて
<都市>を体感し
<都市>を語り
<都市>を創造していくことに
賭けてみたい

カルチュラル・タイフーンとは…
カルチュラル・タイフーン(文化台風)は、文化研究や文化理論、現代の文化シーンに興味のあるひとびとの国内外のネットワークです。このネットワークは、研究者学生にとどまらず、多様な表現活動を行なっているひとびと、地域や文化産業の現場で社会的なムーブメントを実践しているひとびとの出会いと対話を求めて、2003年から1年に1度のシンポジウムを東京、沖縄、京都で開催してきました。今回のカルチュラル・タイフーン2006 in 下北沢は4回目になりました。

……ということで

6月30日(金)から3日間、下北沢成徳高等学校を会場に行なわれる。全3日の参加費、2千円(大学研究機関の有識者 5千円)。おれが参加するセッションだけに参加する場合でも、おなじ参加費が必要です。

なお、30日 6時半から 北沢ホールでオープニングシンポジウム「都市を構想する 下北沢から考える都市の公共性」があります。これは無料。

今日はこれぐらいで、明日から、おれや他のパネリストの報告概要などを紹介したいと思います。

「カルチュラル・タイフーン2006in下北沢」のサイト……クリック地獄

先行して行なわれ「カルチュラル・タイフーン2006in下北沢」に成果が報告される「アーバン・タイフーン ワークショップ下北沢」……クリック地獄

そして、木村さんは忙しく消えたあと、われわれは場所を移し、下北沢北口に残る闇市跡の一角の、いかにもそれふうの風情の飲み屋で、11時過ぎまで飲んだのだった。みな30前だから、よく飲むし、タフだなあ。それに、燃えてるなあ。ま、当日も、このように飲みながらやるような雰囲気になるだろう。

そうそう、われわれのセッションには、戦後北口闇市跡に生まれ高校卒業までそこで暮した方に、コメンテーターとして参加いただけることにもなった。

あと、木村さんの、「ひとはなぜ歌うか」の研究の話、おもしろかったな。

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2006/06/22

「自然と健康」のゼニ腹黒さ

大宮駅で弁当を買って、ついてきた弁当会社の箸袋を見たら、「「自然」と「健康」をお届けします」と印刷されてあった。その弁当の原材料名を見たら、グリシン、クレハロース、ph調整剤、調味料(アミノ酸等)、凝固剤、クエン酸、酸化防止剤、酸味料、膨張剤、乳化剤、酢酸Na、増粘剤、着色料……といった文字がズラズラズラと並んでいる。これが「自然と健康」の実態だ。

この会社の名前は、JR東日本の子会社、日本レストランエンタープライズだ。そう、あの駅そば「あじさい茶屋」も経営している。

ま、しかし、いまどき、これぐらいのことは平気でやっている。そのほうがゼニ儲けになるからだ。食育だって「ビジネスチャンス」と公言してはばからない。すべては金銭感覚のうちにマヒしている。

だいたい日銀総裁からして。儲けを寄付すれば片がつくと思っている、あいつは、まだ何が問題なのか、わかっていないらしい。

日本人は、かつて「エコノミックアニマル」といわれた。「マネーウォーズ」にして「ゼニゲバ」。いまだって「現実主義」と「経済主義」を、わざとかも知れないが、とっちがえて「現実」といえば「経済」しかない。

かつて「エコノミックアニマル」といわれる方法で生産し輸出し、いまおなじ方法の輸入食品に頼らなくてはならない。身から出たサビというやつで、自分たちだけ正しいことをしてきたかのような素振りで、独善に陥った国内はだませても、相手国はよく知っている。日本が「成功」した方法を真似しているのだ。

「相手の国の社会、文化、生活習慣にどんな影響を及ぼすかということを考えないで、売れるからいくらでも売るという姿勢そのものがアニマルだということに気がつかない。そういう大きな欠落が、我々日本人にはある。これはなにも、産業界のリーダーだけの問題ではなくて、ここ30~40年の日本人の欠点かもしれない。その論理でいきますと、農業がそんなにコスト高ならやめてしまえばいいじゃないかというような暴論まで生まれるわけです。そこではやはり文化という概念がいつの間にか脱落してしまっている」と、1989年当時の西武セゾングループ代表の堤清二さんは発言していたが……。

てなことを、本日締め切りの『食品商業』8月号の「食のこころ こころの食」に書いた。お題は「食料自給率40%は危機か」だが。

自然だの健康だのという前に、なんでもゼニ勘定だけで片付ける自らの欠点を正すのが先だ。そうすれば自ずと、自然も健康も近づいてくるだろう。それまで自然だの健康だのを口にしない覚悟を、まず固めよう。

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2006/06/21

旅人文化ブログ

2006/05/25「大衆食堂的旅といえるかな、「旅人文化」アンド「やどや」」で紹介した「旅人文化」だが、「ホームページの更新はあまり頻繁にできないので、ブログを作ってみました」ということだ。ほんと、アレコレ忙しいなかで大変だから、ブログなんかやると余計たいへんかも知れないが、「燃える」っていいことじゃないか。あはん、ま、ひとつよろしく~。

http://blog.tabibito-bunka.com/

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『ナニワ金融道』青木雄二さんのオコトバですが

青木雄二『ナニワ金融道』(講談社)の8巻、カバーの折り返しに、作者のこんなオコトバがある。

僕が生まれた頃、日本は貧しい国でした。父は月給取りで農地を持たず、米を手に入れるのに苦労したそうです。偉そうにふんぞり返る農家の人に何度も頭を下げながら、衣料品をほんのわずかの米と交換したそうです。平均すると現在、農家はサラリーマン世帯に比べ、所得は3割以上も 高く、貯蓄額は約1000万円も多いのですが、しかも国際的な米相場の数倍もの値段でサラリーマンに米を押しつけ、一説によれば農家は納税額の数十倍もの補助金を得ています。あなたも農家になりたいですか? ところが新たに農業を始めるには約千㎡以上の農地がなければダメで、しかし農地は農民でなければ買えません。法律を変える?しかし農民一人がサラリーマン3人分の投票権を持つ国会で、いったい何ができるでしょう。あろうことか裁判所はこれぞ平等と言っています。青木雄二

本書は93年7月第一刷の98年3月第十九刷版だ。記憶だが、90年代前半、このような論調がとくに「流行」したように思う。それは新農業基本法の制定を背景にした、政府やマスコミのご都合主義の「ヤル気のある農家だけ育成」のキャンペーンにも関係するだろう。

そんなに的外れな内容ではないと思うが、一つ大きなモンダイが欠落している。大雑把な書き方をすれば、その農家の貯蓄や、農業や農家に対する補助金は、けっきょく東京に本社をおく大企業の支配下にあったことだ。そもそも農林中金自体が、そのかき集め役をしていた。その金は銀行に渡りバブルや金融支配の資金源にもなった。また都税の半分を占めるといわれていた法人税の資金源にもなった。ようするに大部分は、巧みなカラクリで中央である東京に回収あるいは利用されていた。そのカラクリを一票の地域格差で有利の立場にある農民票が変えようとしなかったのは確かかも知れない。

とにかく、農業の衰退、食糧自給率の低下は、消費者の農家や農業に対する「感謝」が足りないからではない。そして「感謝」の気持ちが湧かない事態も少なからずあったということになるか。ようするにあらゆる資源政策が、国家の呈をなしていないほど場当たり的で、その結果、国民のあいだに、しわよせと感情的なもつれが広がった。それをまた政治が利用する。これって、悪循環だね。

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2006/06/20

大宮で講演そして「いづみや」と新たな出会い

いろいろあるが、きのうは大宮間税会のみなさんの前で「居酒屋と大衆食堂」という講演をしてしまった。ここ浦和も大宮も、いまやおなじさいたま市なので「地元」ってことだね。

大宮間税会は、全国間接税会総連合会というのがあって、その大宮税務署管轄内の組織らしい。そういう組織があることすら知らなかったが、ようするに正しく消費税を払い、消費税の使いみちについても監視していこう、ということなのかな? とにかく正しい自営業のみなさまの集まりで、大宮税務署長以下、地元資産家有力者のみなさん、など約60名ぐらい。まあ、そういう場で、この下世話なワタクシが、なにがなんでも大衆食と大衆食堂という話しをする、これまた愉快なり。

1時間の予定だったので、よくシナリオを考えていったのだが、約10分ずれこんで余裕のない始まりになり、サテどうつじつまを合わせるか考えながらシナリオは途中で放棄、やや話が粗雑になりかけたところで写真を見せる。トウゼン、大宮となると、駅前の「いづみや」だ。で、いづみやの話しになったとたん、会場の雰囲気が変わった。トツゼン質問が出たり、反応がよい。これで、一気に最後まで、いろいろ大衆食堂や居酒屋の写真を見せながら。

で、最後に会長さんの挨拶になってわかったのだが、……あまり詳しく書かないでくれというので書かないが、つまり会場には「いづみや」の社長さんがいらしたのだ。いやあ、予想外におどろき、うれし感激。「いづみや」の社長さん、おれより若く、とても愉快なひと。講演のあとの宴会、さらに二次会にまで付き合わせてもらって、楽しくすごした。

話してみると、地元の有力者だ資産家だといっても、中学高校生のころから多万里食堂の中華そばを食べている人がいたり、全国間接税会のエライ方も、浦和にあった「いづみや」を利用していたりで、けっこう話がはずんだ。

ま、もとはといえば、みな大衆なのだ。それに税制の根幹は大衆がいて成り立っているのだから、税務署は大衆食や大衆食堂や居酒屋に、もっと関心を持ってトウゼンなのであーる。

会場では『汁かけめし快食學』も売っていただき、ほとんどの方に買っていただいた。ありがたや。二次会では飲みながらサインもし、そしてついに飲んで気分よくなるとやる踊りをやってしまった。やれやれ。

6月11日「地元でタップリ飲んだ翌日は」に書いたように、10日にいづみやで飲んだばかりだが、「いづみや」についてはザ大衆食のサイトで特集を組んでいる……クリック地獄

はてさて、とにかく、忙しいので、これまで。

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2006/06/19

魚尻と魚尻線

「魚尻」あるいは「魚尻線」という言葉がある。でも、Webで検索すると、別の意味のそれはヒットするが、この場合のそれは見つからない。

『貝塚の考古学』( 鈴木公雄、東京大学出版会、1989)には、「魚尻」について、こう説明している。「魚尻という語は、塩尻という語から転用されたものである。塩尻とは、江戸時代に、塩の商圏の最奥部につけられた名称である。たとえば長野県岡谷市の近くにある塩尻峠は、木曽路を通って運ばれる「南塩」の商圏の北端に位置しており、それより以北の地、たとえば松本などの都市は日本海を経由して糸魚川から南下する「北塩」の商圏に属していた」

ということで、「鉄道開通以前に海岸でとれた鮮魚を運んで販売できた限界」が魚尻で、それをつなぐと魚尻線ができ、魚尻線に囲まれたなかは、塩干物の魚か川魚を食べていた。

おれが生まれ育った新潟県魚沼地方は、スッポリこの魚尻線のなかだ。鉄道は開通していても、魚は塩干物が主だった。日本人は「魚食民族」といわれるが、その実態は単純ではない。うわっつらで四方を海に囲まれた「魚食民族」と決めつける前に、知らなくてはならないことがたくさんあるってことだな。

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収集と蓄積

講演のためのシナリオをつくるんで、資料をひっくりかえして見た。テーマが「大衆食堂と居酒屋」ってなかんじだから、ザ大衆食のサイトにも、けっこうたまってはいるけど。

で、思ったが、「収集」と「蓄積」とはちがうってことだな。集めて貯めておけば蓄積になるかというと、そうじゃない。

じゃあセレクトをすればよいのか。常識的には、そうだろう。「選び抜いた」ものだけ集めておけば蓄積になりそうだ。しかし、「選び抜く」基準というか眼が、蓄積に値していなければ、何年たっても蓄積にならないのだなあ。つまり、自分が蓄積に値する人間であるかどうかだ。

ヒトやモノやコトをセレクトしたり評価することが得意であったとしても(文章を書く行為には自ずとそれがつきまとうが)、自分が蓄積に値する人間でなければ、収集は蓄積につながらない。選び抜いた収集がクズであることは珍しくない。ま、無理して選び抜く必要はないし、それ以上に大事なことがあるということだ。

むふふふふ、今日は朝から、チト思索的じゃなあ。さて、今日は何を食べるかな、ま、キチンと酒を飲むことはまちがいないが。キチンと酒を飲むことは蓄積に値するか? 値するとも。今日も、マジメな生活。

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2006/06/18

健在だった大蟻食

そうそう、きのう触れた4月11日の日記の最後に「しかし、佐藤亜紀さん、どうしているのでしょうか。こういう人にこそ、「評論」書いてほしいよ」と書いているが、先日、カワバタさんからメールで、「新大蟻食の生活と意見」を教えてもらった。…クリック地獄

以前は、「大蟻食の生活と意見」というタイトルでやっていたのだが、たしか新潮社のジケンがあったころ、なくなってしまった。ところが、「新」をつけ、ちゃんとブログまでやっている。

日記5月29日に、「我々はここで生きている、文句あるか、という姿勢だけが、町を美しくするのである」と書いている。これは、ちかごろ「自然」だ「健康」だ「食育」だと騒ぐ食にもあてはまりそうだ。ナニゴトも、こういう開き直りの姿勢がなくては偽善で終るんだよな。

「鋭意、次の長編も書いて」いるそうだし、がんがんやってほしいね、大蟻食。

さて今日もオランダ産のショッパイあじの開きなどを食べながら、キチンと酒を飲み、マジメに生活しよう。

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2006/06/17

うすバカ活字プレイ好きたちと『出版業界最底辺日記』

きのう書いたように、漫画屋から『comic Mate』が届いている。「鬼畜SM コミック」だってさ。

同じ漫画屋が制作のエロ漫画『レモンクラブ』に連載していた、「南陀楼綾繁の活字本でも読んでみっか?」が、なにしろエロ漫画は衰退の一途のため、『レモンクラブ』ではもはや活字プレイは困難になり、しかし性懲りもなく明日をも知れぬ『comic Mate』に場所をかえて、かつ通し番号をつかって第91回から始まることになったのだ。

それがなんとまあ、南陀楼さんが取り上げた本は、『古本屋残酷物語』(志賀浩二著、平安工房)で、その本を評する南陀楼さんも、おなじコップの中のうすバカ活字プレイ好きなだけというシロモノなのだ。これでもう、『comic Mate』の将来はない。

南陀楼さんは、本というのはフシギなもので、「暗く不幸で、読めば将来に不安を感じる本のほうが、はるかにオモシロかったりする」なーんて書いている。ナンダロウね、それは、本というものは、そのようにフシギなのではなく、そういうものをオモシロイと思うあんたがフシギなだけだろうと言いたくなるね。だけど、ヒョーロン家というのは、そういうまやかしのロジックを使うから気をつけなくてはいけない。

とにかくタイトルには「残酷」という文字がついているが、「残酷」な目にあっているのは、「すげえ怠け者」の著者のまわりの人たちじゃないかと思う。南陀楼さんは、その著者を「バカなやつだなあと笑いつつも、周囲から愛されている著者のことがうらやましくなった」と書く。ああ、もう、どっちも救いようがないうすバカではないか。

しかーし、この『comic Mate』のうすバカさ加減は、それだけじゃない。サイコーなうすバカは、塩山芳明編集長その人だね。なぜかというと、『出版業界最底辺日記 エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』(塩山芳明・ちくま文庫・定価950円)は7月10日発売、という文字が、落選必死の候補者のセツナイ連呼のように誌面にいくつも登場するのだ。いくつ登場するか、かぞえ始めたがメンドウなのでやめた。

『古本屋残酷物語』にせよ『出版業界最底辺日記』にせよ、しょせん出版読書界の活字プレイ好きたちの本にすぎない。「古本ブーム」「本屋ブーム」なんていうが、しょせん自分たちで煽りあっているだけで、同じコップの中でお互いのクソをくいあってイノチをつないでいる、コキタナイ状態だ。出版業界の断末魔が見えるようだ。

そりゃそうと、その『出版業界最底辺日記』の解説だが、やはり、おれの予想がアタリだった。おれは、4月11日の当ブログ「書評のメルマガとドラム缶の風呂」で、福田和也さんを予想し、「当たったら、泥酔するほど飲ませてね」と書いている。

それで当たったから飲ませてもらうツモリだが、どうせなら、近頃漫画屋に入ったらしい、「日本酒グビグビ」のアンナちゃんと泥酔したいね。アンナちゃんに飲み代渡して、おれんとこへよこしてもらえばいいや。塩の字は、「超有名評論家」の福田さんの写真を股にはさんでシコシコやっていなさい。

ああ、ホント、うすバカ活字プレイ好きたちだけが騒いでいる出版読書界は、頽廃のきわみなり。

「まず、未曾有の危機にある政治、経済、社会に対する破壊力のある批判が欲しい。一過性の話題や情報の提供ではなく、さりとて客観を装う教養主義、静寂主義の陥穽に陥ることのない呼吸、独自のフットワークを取り戻して欲しい」との紀田順一郎さんのお言葉が、暗雲が押し寄せる空の彼方へ消えてゆくようだ。

『出版業界最底辺日記』は、さらに一層ちくま文庫の不良性感度を飛躍的にアップすることになるだろう。ああ、これじゃ、筑摩もオシマイか。こんな本より、いま発売中の『カップ酒スタイル』を買おうね。

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マジメな生活が可愛そう

「ブリア・サヴァランは『美味礼賛』のなかで、一九世紀フランス貴族のエピュキリズムを通して、料理と食べものに対する文明批評をおこなった。日本でそれに匹敵するのは、山本健吉氏によれば木下謙次郎の『美味求真』である」と、江原恵さんは『家庭料理をおいしくしたい』で、ブリア・サヴァランと木下謙次郎、あるいは『美味礼賛』と『美味求真』を比べる。
 

 ブリア・サヴァランは、美食の快楽や、グルマンおよびグルマンディーズ(美食家・うまいもの好き・食道楽)についても思索している。木下謙次郎はひたすら料理とその素材の真に迫ろうとする。かれの求める美味の「真」は、自然界にだけ存在していて、人間の側には存在しないかのようである。
 したがって、木下謙次郎が真理として追求する美味は、絶対客観的な存在である。そして人間は、それを一方的に追い求める存在であるという構図になる。

この構図は、食通プレイに特徴的なばかりか、プロを崇拝してやまない「家庭料理」の場にも存在する。

「ある日、江原恵さんは料理講習会でしゃべった。平日の昼下がりのカルチャー・スクールというやつだ。会場には一〇〇名ぐらいの女性がいた。講演のあと質疑応答になった。会場からの質問は、ほとんど、ナントカのコレコレについて「コツをおしえてほしい」というようなことだった。いかにも手作りを大切にしましょうね式の本にあるような知識を披露しつつ、そのとおりにやってみたのだが、どうもうまくいかない。「コツをおしえてほしい」。これがカルチャーなのだ。江原さんは、怒った。」と、そのときの様子を書いたのち。

って、おれが『ぶっかけめしの悦楽』に書いたのね、だけどここのところは『汁かけめし快食學』では、話しを広げすぎることになるので、カットしたのだが。
 

料理のコツをきくことは《私の生活》のコツを、べつのたとえをすれば、私がイチバン快楽するセックスのコツを、他人にきくのと同じことなのだということに気がつかなくなっている。
 クリトリスの一ミリ下の三ミリ右を、日光戦場が原の美しい自然にはぐくまれたススキを初霜がおりた朝とって二五時間三〇秒のあいだ三度の温度と四五度の湿度の八〇リットルの冷蔵庫にほっておいたのでコチョコチョやると、癌の予防ができ雅な快楽が得られると本にあったのでやってみたのですが、ちっとも快楽がえられない、コツを教えてください、と先生であるソープランドのプロ嬢に質問する。
 こういうことが、料理をめぐって、本やテレビやカルチャー・スクールを舞台に白昼堂々とやられている。

いや、やるのは勝手なのだが、「テレビタレントていどの「専門家」の、とるにたらない知識を身につけることが、生活であり教養であり文化になった」ということを問題にしたのだ。

うまいもの好きも食通プレイもけっこうだが、それが、「わたしは、こんなよい生活しているのよ」「こんな、よい情報を知っているのよ」「おいしいものを知っているわたしって、教養と文化のカタマリなのよ」ってなかんじになることがオカシイ。そうではなく、東陽漫画の「うすバカ風俗伝」のように、「うすバカ食通プレイなのよ」と開き直ってやることじゃないかと思うのだ。

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2006/06/16

なんとかなんとか

きのうはまあ、出だしは順調だった。水天宮へ。交番のところで、大人の母娘らしいのが、おまわりに「たまひで」へ行く道をきいている。「行列していますかね」、そんなことおまわりに聞いてどうするんだと思ったが、おまわりは「いまごろだとかなり並んでいると思いますよ」とこたえている。

1時半、農協流通研究所で、8月の研修セミナーの講演の件で打ち合わせ。店長の上の経営者クラスが対象とのこと。打ち合わせしているうちに、話の大筋はできてしまった。レジュメの作成が必要。水天宮や人形町あたりはお高くとまった底の浅い下町であるという結論。外は雨。だんだん激しくなる。

夜、ひさしぶりに北沢八幡の談四楼独演会へ。遅れたので、キウイのへたさ加減を聞けなかった。談四楼も、イマイチ×2だった。どうも週刊誌や雑誌とつきあうようになると、そういうスジから仕込んだらしい天下国家国際情勢評論家みたいな受け売りが多くなってイケナイ。そういうので時間をくって、カンジンな噺が手抜きになる。稽古不足か身体の調子が悪いのか、声が出てない。のち、太田尻家一団と下北で飲む。新宿へ着いたら、電車がない。どうするか考えたけど酔いで頭がまわらない。とりあえず始発電車が動くまでやっている池林房へ。1人で飲み始める、だんだん記憶がなくなる、運よくというか知ったやつに会って、いま南浦和に住んでいるという。じゃあ一緒にタクシーでってことになって、はてなあ、3時過ぎだろうか帰ってきた。

めずらしく頭痛がひどい。なにを飲んだのか? やっと起き出てきたら、もう2時じゃないか。身体だるく何もする気がしない。

と、日記風に書いてみた。

そうそう、漫画屋から、「レモンクラブ」の方は悪態芸は上手だが売れないエロ漫画をつくる漫画屋のおかげで連載打ち切りになった、「南陀楼綾繁の活字本でも読んでみっか?」の新たな連載先「Mate」が送られてきた。塩山編集長も優しいねえ気をつかうねえ。まだ活字を見る気がしないので読んでない。

15日発売の「食品商業」7月号も届いた。今回のお題は、「「健康ブーム」はゆきすぎか」だ。まだ活字を見る気がしないので読んでない。

いじょ。

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2006/06/14

生活の美味と食事のしたく

飲み疲れの日々の昼、1人で酒を飲みながら飲み疲れの頭で考えた。今日のおれは何を食べたいのだろう。そして「チリ産のサケだ! これでめしを食べよう」と思いついた。チリ産のサケでなくてもよいのだが、おれがいつも食べる、安いサケの切り身のことを、おれは「チリ産のサケ」という。今日のおれは、これが食べたいのだ。

それから数時間ほどして近所のボックスストア「ビッグA」へ買い物に行った。ここにはチリ産のサケが必ず売っている。オランダ産のアジの開きも売っている。この日、チリ産のサケは二切れパックで160数円だった。一切れ100円にも満たない。うれしい。

その夕食は予定どおりチリ産のサケを焼き、味噌汁、そのほかに確か二品ばかりおかずをつくった。そして、チリ産のサケでめしを食べたときのうまかったこと。これだよなあシアワセって、チリ産のサケでもシアワセな気分になれるのだよなあ、と思ったのだった。

「粗食のススメ」をしたいのではない。今日は何を食べようか、今日のおれは何を食べたいのかと考えることは食事のしたくであり、そのようにしたくして食べた食事はうまく食べられるし、それは生活の美味の条件なのではないかと思うのだ。

男は、「生活」を知らないままだったし、女も仕事をするようになると、「生活」を失いやすい。飲み疲れの日々のある夜、一緒に飲んだおれより3歳ばかり上で大会社経営引退のち優雅な年金生活の男が言った。「最近はさー、家にいて昼頃になると女房と今日の夕飯、なににしょうか、なに食べたいという話をするんだよな、それでしたくを始めるんだよ、それで思ったのだが、生活ってのは食事のしたくなんだよ。そういえばさ、むかしのおふくろは一日中食事のしたくをしていたよな」

おれは言った「なんだ、いまごろ気がついたのか、男子厨房に入るべからずで、生活のことも知らないでえらそうな顔して男は生きているんだよなあ。頭の中は仕事のことだけ」

彼は言った「そうだよなあ、仕事と生活ってのがリンクしてないんだよ、仕事は食事のしたくという考えはないからなあ。食事のしたくぶん以上に儲けようってのが仕事だからさ」

おれは言った「いまは仕事の合間に食事をするという感じだな」

みんながみんなそうというわけじゃないだろう。たとえば、むかしの知り合いの男に、会社で昼休みになると、自分で電話するか女房から電話があって、夕飯を何にするか相談するやつがいた。

「われわれは、食べながら生活している。というよりも、食べることを日々の主要な営みとして生活してる。こんなことはわかり切ったことだ。ところがわが国には昔から、男子厨房に入るべからずという伝統があった。それがいまだに根強く影をひいている」と、江原恵さんは『家庭料理をおいしくしたい』(草思社、1988年)で述べた。その男子が、外食となると、「食べ物」を気にする。トツゼン食通になるのだ。そこには生活はなく「食べ物」があるだけだ。生活や「人間の感覚器官である味覚」に関心があるわけではなく、「ひたすら料理とその素材の真に迫ろうとする」つまり「うまいもの話」で得意になる。仕事の合間の「食通プレイ」とでも言うべきか。

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2006/06/13

サービス精神は燃えているか

『うすバカ風俗伝』を読み終えた。けっこうなボリュームだし、吹きだしのセリフより、なんていうのかなト書きのような文章が多くて、まさに「読み終えた」というかんじだ。

きのうの話の続きになるが、東陽さんは、自ら書いているが、けっこうサービス精神が旺盛なほうらしい。

なんにつけサービス精神が旺盛というのは、悪くはないと思うが、他人様のサービス精神が自分にむけられるならよいが他人に向けられていると、「なれあい」だのと悪態つくやつもいる。しかも、なれあっているサービス精神旺盛なやつを槍玉にあげるなら、まだわかるが、そうではないところに矛先がむいて終るなんて、チトおかしいな。いいトシの男が嫉妬しているのか、ボケがまわったかと思いたくなる。ま、それも嫌われ罵詈雑言芸のうちなのかも知れない。でも、とかく、「辛口批評」を自称するものには、そういうトンチンカンが多いが、本人は、マットウなことを言っているつもりなのだな。だけど、ようするに、自分が気に入らないだけなのさ。

ひとの弱みをみつけて、辛口こいて悪態こいても、的をはずしたら、お笑いだ。セコイだけ。そこへいくとサービス精神、いいねえ。雰囲気を、おおらかにする。なれあいといわれようが、サービス精神旺盛にいこう。かあちゃんととうちゃんがサービス精神旺盛でなれあわないと家庭の食卓はうまくいかないよ。食事は「義務」じゃないのだからさ。

お東陽さんの場合、ホテトル嬢を相手に、「ワタシはたまらずペロペロと、Nさんをナメ始めてしまいました。考えてみっとこれは、客がラーメンを作って店員に食わしているようなもんであります」なーんて、股をペロペロペロ。

そういえば東陽さんはラーメン屋的比喩が得意だな。鶯谷の80分1万8千円ホテトルについて、「それにしてもこの料金ですと、おそらく女の子の取り分は、駅前ソープの人たちと大差ないと思われます。つまり低料金で回転させる事により、利益を上げているのでしょう。そういや先程電話をした時、奥で何度もコール音が鳴って忙しそうでした」「まるで、安さと飽きないギリギリの味でチェーン展開する、ラーメン屋さんみたいなホテトル店であります」と。中華食堂チェーンの来来軒を思い出してしまった。

最後の掌編「ご近所おフーゾクは貯金減らしの元凶だった。のまき」では、「よく行く近所のラーメン屋で、チャーハン・ギョーザを食ってるところ」から始まる。テーブルにも壁にもゴキブリが。チャーハンほうばってニコニコの東陽さんのコマ「とりたててウマい訳でもないのに、ナゼか来ちゃうんだもんね」「ま、チャーハンとギョーザなんて、どこで食っても同じだよな」の次のコマで東陽さんは平身低頭「なんつーと、全国の食通の人が文句を言いに来そうなので、気の弱いワタシは先に謝ってしまいます」「へへ~、すいませんス、すいませんス」

と、だが、次のコマでは頭から火山噴火の怒りの東陽さん「たかがチャーハンとギョーザごときで、わざわざ遠くへ食いに行けるか、ベーロー!!」「と彼らが帰ったあと、ひとり毒づくのでした」「特にクソまずくない限り、腹が減ったなら近所のラーメン屋で充分なのです。専門店やチェーン店の勢力に押されて、町のラーメン屋が泣いてる今日この頃であります」と。たしかに、けっきょくラーメンブームがもたらしたのは、平均化された味のラーメンチェーンがはびこり、街角の大衆食堂的ラーメン屋が衰退する構造だった。

もっとも東陽さんの話は、それからがちがう、つまり「これは、そのままおフーゾクにも当てはまりまして、チンポが立ったなら、出来れバ近所で済ませたいつー気持ちが、誰しもあると思います」という展開になるのだ。

しかし、このへんにきのう書いたように、オイシイ「食い物」「セックスプレイ」の話とは違う、東陽的「食事」「性事」の世界があるように思うのだが。

あ、それで、なんの話を書こうとしたか忘れたので、これまで。

東陽片岡ファンページ「鼻ミサイル」ブログ版……クリック地獄

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2006/06/12

気になる東陽片岡の漫画の食事と食べ物

東陽片岡さんの『うすバカ風俗伝』(青林工藝舎、06年1月)を読んでいる。漫画の場合は、見ている、というのか? どっちでもいいや。

『うすバカ二輪伝』に続く東陽さんの「うすバカシリーズ第二弾」だ。「貯金を減らしながらもひたすらひつこく美人熟女を求めてホテトル・ソープを渡り歩く」「ワタシの頭ん中は、もはやおセックス以外思考不能状態…。」「つまり、イイ気持ちがシアワセなのであります。」「チンポ原理主義者 お東陽片岡 うすバカシリーズ第二弾はお風俗の巻!!」といったアンバイのフレーズが本の腰巻をかざる。

雑誌に掲載した、お東陽さんの風俗店ルポをまとめて一冊にした。少々の性感マッサージが含まれるが大部分はホテトルが舞台。つまり女性をカタログや広告で選び、どんな女性があらわれるかホテルの一室で期待と不安で待ち、「スケベチャイム」や「スケベノック」であらわれた女性に喜怒哀楽、一緒に風呂を楽しみベッドへ、というぐあいの一連の同じ流れの話が、80数編もある。しかし、話の流れは同じとはいえ、舞台や女性は全部ちがうし、ま、味わいもちがうのだな。

これは、酒場や飲食店ルポと、なんらかわるところがない。ホテルや店の詳しいガイド情報がないだけだ。そして、話の最初と最後には、東陽さんお得意の飲食場面があったりする。たとえば「おいちいチャーシューメンはシアワセの予感だったのまき」では、東陽さんは、四谷三丁目のラーメン屋でチャーシューメンを食べている。「この店は、マスコミは一切(たぶん)取り上げられない知る人ぞ知る、知らない人は知らない名店であります」「ズルズルズル」「ああ、なんてウマいんだ」てなぐあいにラーメンの鑑賞と賞味で始まり、渋谷のホテルへ。んで、そのあとは注文の女性を鑑賞し賞味し、「ほどよくイイ気持ち状態を堪能した後、ゆっくしと発射させていただきます。本日はチャーシューメンといい佐伯さん(相手の女性)といい、すこぶるシアワセ度の高い一日でした。たまらん」「つー訳で、90分3万円+ホテル代の極楽浄土の巻でした」と終る。

酒場や飲食店ルポと変わらないのだが、客である東陽さんも相手に「サービス」をするところが違う。いや、ちがうように見える。あるいは、自分はご主人様ぜんとして相手にサービスさせるだけの人もいるかも知れないが、そのへんは、ほかの人のことは知らないから、なんともいえない。

とにかく、飲食店のばあいも、店と客が「サービス」しあうということはある。「サービス」という言葉が適切かどうかはぬきにして。そのことでお互いがイイ気持ちになり、シアワセになるのだ。そこには「食べ物」をこえる「食事」の関係があるように思う。これは、自分はご主人様ぜんとして店にサービスさせ評価を下している関係とは、かなり違うのではないかと思う。

ま、あれこれ、お東陽さんの漫画で、考えてしまった。そもそも、東陽さんの漫画の飲食は、食べ物の話だけではなく、「食事」がある。おセックスにしても、オンナや性交の話だけではなく、「性事」なのだな。ふーむ。ま、もっと考えてみよう。

ご参考、岩井の本棚「マンガにでてくる食べ物」 第41回「玉子丼とやる気のない店」は、東陽漫画に登場する「やる気のない店」だ……クリック地獄

ザ大衆食のサイトでは途中だけど、「されどワタシの人生」……クリック地獄

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2006/06/11

地元でタップリ飲んだ翌日は

きのうはきのうで、またタップリ飲んだ。大宮の「いづみや本店」で、6時ごろから、タノウエさんと。若いタノウエさん、編集の仕事をしている。メールで連絡をとりあっているとき、いづみやに詳しいので、こちらのほうの人かと思っていたが、新小岩の人だった。わざわざ来ていただいてしまったが、先週土曜日から動き続けの飲み続けのおれとしては、大助かりで、帰るのが簡単だからこころおきなく飲めた。いづみやのあとは、おれの地元北浦和の「志げる」にまでお付き合いいただいてしまった。

とにかく、もう夕方、一日中、二日酔いとはちがうが、何もする気がおきず、クタクタノタノタで過ぎてしまった。

マブタを開いているのも、キーを打つのもめんどう……といいながら、ザ大衆食のサイトに読者様おすすめの明星大学の正門近くの食堂を掲載した。ま、ご覧ください。……クリック地獄

ま、そういうことで。

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2006/06/10

おったち豆腐

サイトの読者さんたちから、いろいろメールをいただいている。どうもありがとうございます。

そのなかの一つ。東京は阿佐ヶ谷にお住まいの方から。「阿佐ケ谷の「戎」という、今はなきやきとん屋ではオッタチドーフ(表記失念、略称おったち)というつまみがありました。「豆腐4分の1丁、鶏卵の黄身、納豆、おろししょうが、ネギ」に小さいスプーンがついてきます」

これは、つまりザ大衆食のサイトに紹介の、「ゲロ飯」や「スタミナ奴」のたぐいだ。

オッタチドーフ通称「おったち」って名前は、「ゲロ」や「スタミナ」や、あるいは新宿の思い出横丁の「朝起ち(あさだち)」より、なかなか芸があって詩的でよいじゃないかと思うね。

しかし、このメールをくださったのは女性だ。なので、このように言う。
「よく食べましたが、注文するのがちょっと恥ずかしい。とはいえ、この名前はとても迫力があると思うのです。そんなわけで御紹介させていただきました」

残念ながら「ここは老夫婦がやっていたお店で今は引退され」たそうだ。

「戎」という店名は、もしかして、西荻の「戎」と関係でもあったのかと思い、おりかえしメールでたずねたら、「西荻の戎ののれん分けと言われていましたが、きちんと確認はしておりません。阿佐ヶ谷では『ホルモン』で通っていました」と。

念のためグーグルで「おったち豆腐」を検索してみたら、1件だけ「SWIM IT! 奥野景介のコーチング・ブログ」の「スタミナ!スタミナ!スタミナ!」 がヒットした。

「スタミナ系といえば、昔東伏見の駅前に「ホルモン」という居酒屋があったのですが、そこの「おったち豆腐」というのが絶品でした。豆腐、納豆、うずらの卵、そして削り節がミックス」とな。

いやあ、おもしろいなあ。おもしろい。

「おったち」は、地方によっては、「おれたち」のことでもあるらしい。
おったち、おったちが好き!
さあ、じめじめした梅雨をのりきり暑い夏を迎え撃つためにも、「おったちぶっかけめし」をやろう。

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よく動きよく飲み、クリック地獄三打

昨夜は6時半北千住で落ち合いワザワザ東武伊勢崎線梅島まで行き駅そばの「銚子港」でガンガン飲む。11時過ぎまで。駅で便所へ行った二人を置き去りにして電車に乗り上野、うまいぐあいに11時40数分発の高崎行き最終に間に合う。これで帰れると楽でよいんだよね。詳しくは駄目ブログに……クリック地獄

書き忘れていたが、おととい8日、ザ大衆食のサイトに江戸川区小岩のときわ食堂を掲載……クリック地獄

きのう「食の本つまみぐい」連載中の書評メルマガvol.267が発行。今回は、鯖田豊之『肉食文化と米食文化』中公文庫、1988年。……クリック地獄

と、今日はクリック地獄三打でおしまい。
先週土曜日から、よく動き、よく飲んでいるなあ。

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2006/06/09

中野でポルトガル送り、カルチュラル・タイフーンのこと

きのう中野で、やどやプロジェクトメンバーの一番ワルの1人がポルトガル移住するので歓送飲み会。大将のちブリック。飲み疲れ。100万おいていくの、忘れんなよ。

忘れかけていた「カルチュラル・タイフーン2006in下北沢」が、あと1か月弱にせまり、準備が急になった。おれが出席するパネルセッションは、「下北沢セッション」の2「闇市と戦後の記憶、大衆の痕跡(仮題)」ってやつで、約20分の報告かな。司会は五十嵐泰正さん。ぼちぼち何を発言するかアルコールな頭で考えなくてはならない。ま、「大衆食や大衆食堂から見た東京の街と下北沢」という感じの報告になるのかな?

「下北沢セッション」は、いま再開発問題で揺れ動いている下北沢を意識している。

7月2日(日)、会場は下北沢成徳高等学校で、午前中という話だが、プログラムを見ると昼からだなあ。

ちょっと全体像がわかりにくいけど、「カルチュラル・タイフーン2006in下北沢」のサイト……クリック地獄

これは、「アーバン・タイフーン ワークショップ下北沢」とも連動しているような。……クリック地獄

全体像も他のセッションについてもよくわからないのだけど、五十嵐さんから誘いがあり、おもしろそうだから参加することにしたのだ。 五十嵐泰正さんのブログ……クリック地獄

この夏は、ほかにも今月1回と8月1回、講演なるものがあるのだな。どちらも団体や企業のもので非公開。はて、何をどうしゃべるか、書くより難しい。

夕方までに酔いを醒まさなくては。

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2006/06/07

コーミソースのドボドボ宴会

4日の夜の宿は、八ヶ岳は天狗岳の中腹、標高1860mにある唐沢鉱泉。二食付11000円、朝食のみ8000円ということなので、もちろん朝食のみに。信濃境駅から向う途中、原村Aコープで宴会用買い物をして6時ごろ着。ただちに風呂に入るが、ほかの客は食事中なので、ワレワレ男子4人のみ。ああ、山の湯はいいねえ。

Koomi風呂からあがって、さあ宴会だ、まずは生ビールの3ℓをあけ、この日活躍したのは原村Aコープで見つけた名古屋の味覚コーミこいくちソース。メンチカツ、イカリングフライ、ポテトサラダにドボドボかけ、めしにのせてつまむ。缶詰のサバ水煮もめしにのせ、ドボドボとやってみると、これがなかなかよい。

「四月と十月」の牧野編集長は、ハイボールをつくるのがうまい。サントリーウィスキーPR誌のアートディレクションをしているからなのか。でも、好きじゃなきゃあ、好きなんだろうな。前夜もそうだったが、持ち込んだ角と氷とソーダで、じつに巧につくる。自前宴会でこんなにうまいハイボールを飲めるなんてうれしいね。

そして男30の曲がり角などを話のネタにグイグイ飲み夜もふけたのでした。尖石の縄文中期から5000年の夜。やがておれたちも地上から消え、角のビンぐらいは、のちに発掘されるか? 石油製品のほうが発掘される可能性が高いかな?

翌5日。宿の朝食、地ビール2本あける。牧野車で小渕沢駅まで送ってもらい、3人とわかれ、10時36分発の小海線に乗り、12時41分小諸着、揚羽屋へ行ったのだった。揚羽屋のことは、また後日に。

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2006/06/06

肉食文化と米食文化と古墳部の旅

昼すぎ、きのうが締め切りだった、書評のメルマガの原稿を仕上げて送った。今回は、『肉食文化と米食文化』(鯖田豊之、中公文庫、1988年)を取り上げた。タイトルを見ただけで、肉食=欧米、米食=日本、というイメージが常識だろう。

しかし、そういう常識が定着する中で捨てられた歴史があるような気がする。それは日本人の肉食の歴史と非米食の粒食と粉食の歴史だ。そして、縄文時代から古墳時代、つまり大和政府の時代の前の遺跡をみると、そのことが、ますます気になる。

今回の3日4日の「四月と十月」古墳部の第6回活動「八ヶ岳周辺・諏訪の古代をさぐる」では、とくに爆発的に気になった。

3日、10時7分に茅野駅に降り立った早朝組4人が、まず向ったところは、「神長官守矢史料館」だ。

P6030026この史料館は、藤森照信さんの設計で建築マニアのあいだでは有名、訪問するのは、もっぱらその系らしいのだが、その展示室に一歩ふみこんだワレワレは、ギャーッともワーッともつかぬ声をあげた。その壁にはシカやイノシシの頭がならび、その手前には、ウサギちゃんがケツの穴から頭のてっぺんまで串刺しで、耳をおったて手足をおっぴろげ……。イノシシの頭皮やシカの皮を焼いた料理、「脳和(のうあえ)」なるシカの肉と脳みそを和えた料理など。いずれも剥製もしくは複製が展示されている。

これらは、「神長守矢が司る諏訪大社上社の祭祀のうちもっとも大がかりでかつ神秘的な」御頭(おんとう)祭の人神饗宴の供え物を復元したもので、菅江真澄が天明4年(1784)に祭りを見物したときのスケッチをもとにしている。

おれが驚いたのは、展示の一つである「鹿食免(かじきめん)」だ。この御符はシカやイノシシはもとより、四足の肉を食べても罰があたらないとされ、諏訪明神の重要な収入源だった。参拝者だけではなく、諸国地方へ辻説法して広められたというシロモノで、明治中ごろまで発行されたということだ。

明治天皇が牛肉を食べたことを話題にする歴史や伝統は、それはまた米食の歴史と伝統でもあるが、どうも一方的で眉唾が多いような気がしてならない。

ま、とにかく今回の書評のメルマガは『肉食文化と米食文化』でいこうと思って、すでにチェックもすんで、どうも日本人は「肉」と「米」に過剰に反応しすぎじゃねえかなと思っていたもので、ますます興味深く見学した。

古墳部一行は「神長官守矢史料館」のあと、諏訪上社本宮に向うちに1人が加わり、本宮前の茶屋で蕎麦を食べていると、さらに1人が到着。本宮を見物、また茶屋に入りトコロテンを食べ、諏訪市博物館へ。学芸員に案内され付近の古墳などへ見学に出るところで、クルマ組の2人が到着、これで全参加者8名がそろった。古墳は登りが多いし、日中の強い日ざしにアエギアエギ歩き、5時過ぎ日程を予定どおり無事に消化、すぐにでも生ビール飲みたいのをガマン、下諏訪の宿、鉄鉱泉本館へ。

荷物を置き、生ビールがまん、近所の銭湯温泉「菅野温泉」へ。ここは前に入ったことがあるから2度目。出て、宴会用の買い物をし、宴会場の「すみれ洋装店」へ。松崎緑さんの「すみれ洋裁店」が、宴会場なのだった。うなぎうまかった、ワラビのおひたしうまかった。おやき、まんじゅう状のものではなく、溶いた粉をひいてアンをのせ、また溶いた粉をかぶせて、ひっくり返して焼いたもの、うまかった。そしてガンガン飲み語り、しだいに気持ちよく、途中から覚えていない。おれの踊りがおもしろかったそうだが覚えていない、宿に戻ってから風呂にも入ったそうだが覚えていない。

4日は、諏訪大社下社春宮、山田養蜂店、尖石(とがりいし)縄文考古館は2度目だ、茅野駅近くの更科で昼食、京都へ向う女1名離脱のち井戸尻考古館などをめぐり中央線信濃境駅で帰る女3名を送り、残った男4名、原村Aコープで宴会用の買い物をし、宿の唐沢鉱泉へ。

前回の古墳部in千葉はザ大衆食のサイトに……クリック地獄

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2006/06/05

「四月と十月」古墳部in諏訪のち一人小諸揚羽屋泥酔紀行

3日朝6時起き長野県茅野へ。「四月と十月」古墳部一行と諏訪地方古墳遺跡めぐり。下諏訪温泉で宴会泥酔記憶喪失。4日引き続き八ヶ岳山麓遺跡めぐり。北八の唐沢鉱泉で宴会泥酔。きょう5日、小淵沢から一人小海線に乗り小諸揚羽屋へ。アユは今年は水温が低く7月にならないと食べられないとのこと。例によって亀の海、ほろよい加減で帰宅。たくさん歩いて足が重いうえ、飲み続けでヨレヨレ。今日は、これぐらいで。

ってことで、メール、コメントいただいていますが、すみません、返事はしばらくお待ちを。

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2006/06/02

いいざわ・たつや『カップ酒スタイル』ちくま文庫

こんな偶然があるのか。一日のうちに、おなじ「たつや」さんだが、悲しいニュースのあとに嬉しいニュースが。たつ!さんも、よろこんでくれるだろうからと勝手に決めつけて掲載させてもらう。

さきほど筑摩書房から、いいざわたつやさん初の書き下ろし、『カップ酒スタイル』(ちくま文庫)が届いた。待ちに待った一冊だ。が、詳しく説明しているヒマがない。チトいろいろ激しくたてこんでいるもので。

こちら、著者のサイトに紹介があります。写真だけだけど。「自棄酒マン カップ酒マニア」…クリック地獄

6月8日発売。

著者の「あとがき」に「若輩者の私のために尽力くださった”大衆食堂の詩人”遠藤哲夫さんにはお礼の申しようもありません」とあるが、いいざわさんと酒を飲んだりした以外、たいしたことはしてない。小田原の酒場、よかったね。最初は藤沢の酒場だったか。

いいざわさんの存在をちくまの編集者に話したころは、こんなにカップ酒がブームになるとは思わなかった。

「自棄酒マン カップ酒マニア」は、ザ大衆食のサイトが生まれて比較的早い時期にリンクさせていただいた。リンクのページで、このように紹介している。「「酒好き」のサイトは数々あるが「生活の中の酒飲み」「わたしはただの酒好きよ」という感じがなく不満だった、自棄酒マンさんは、それを一気に解消してくれた。素晴らしい酒好きのウンチク。大衆食的で好きだ」

それなりに気に入ったワケはある。本書を、あわただしくざっと見たところでは、その、おれが気に入っているところは基本のキで、ちゃんと盛り込まれているようだ。

ま、詳しくは後日ってことで、まずは、書店で手にとって見てくださいよ。さまざまな、カップ酒のある風景の写真……

いま気がついたが、亡くなられた「たつや」さんと、こちらの「たつや」さんは一年ちがいの生まれだ。

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たつ!さんこと、坂本達哉さんが急逝

さきほど、メールがあって、ときどき当ブログにコメントをいただいている、たつ!さんこと坂本達哉さんが急逝されたとのこと。

このような内容……

突然、失礼致します。

当方、中野で、ブルースのライブハウスをやっている者です。
一度、【downhomeこと、坂本達哉くん】の演奏を見に、お仲間といらして頂いた事があるかと思います。

彼は、いつもストイックなまでにブルースを探究し、大衆食堂での皆様との触れ合いを、日々の楽しみとしておりました。

いつも、ウチの店でも、何かにつけ『エンテツ先生が・・・、エンテツ先生は・・・・。』と、話していました。

元より、身体が丈夫でなかった為、友人皆一同心配はしていたのですが、
それにしてもあまりにも突然に、彼との別れが来てしまいました。

たった3日間、顔を合わせない間に、アパートで 独り旅立ってしまいました。

……以下略

たつ!さんのブログ「TOKYO BREAKDOWN  ブルース呑み喰い徒然 」は、5月27日が最後になった。最後は、赤羽の大衆酒場「大久保」だ。赤羽といっても駅から大分あるく。あそこは、おれも好きな酒場だ。ああ、おれの本の宣伝までしていただいて……ありがとう。

たつ!さんと、たつ!さんの死を知らせてくれた中野のライブハウス「BrightBrown」で初めて会ったのは、去年の7月14日のことで、翌15日の当ブログ「たつ!ヨレヨレ」に、そのときの様子を書いている。たつ!さんのコメントもある。

月並みの言葉だけど、突然の若すぎる死におどろきながら、坂本達哉さんのご冥福をお祈り申し上げます。

もっと、たつ!さんの音楽を聞きたかったし、場末の大衆酒場で一緒に飲みたかったのだが……

でも、あのとき、会えるときに会っておいてよかった。あのときのたつ!さん、すばらしい音楽、よかったよ。たつ!さんの格好といい、大衆食堂っぽい、労働者っぽい、ブルースがよかったよ。にぎやかな中で大声で話し合ったな、楽しかったな。

友よ、友の死を悲しみながら、生きている日々を愛しみあい大切にすることを誓おう。乾杯!


坂本達哉さん  去る5月30日 永眠  行年38
1967年東京・阿佐谷生れ
ただいま修業中のブルース・ギタリスト、ボーカリスト
シカゴ・ブルースと大衆酒場を愛する

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2006/06/01

浪曲師玉川美穂子「悲願千人斬の女」小沢信男原作

2006/04/08の「浪花節も料理も日本の味はコクだねえ」に書いた、小沢信男さん原作「悲願千人斬の女」(筑摩書房『悲願千人斬の女』に収録)を、浪曲師玉川美穂子が脚本かつ演ずる、これはオススメだよ。とくに女たち、女たちには「千人斬」という言葉は許されないのだ、「千人悲願」と言わねばならない。でも、いいじゃないか、千人だ。って、なにを言っているのだ、おれ。

その玉川美穂子さんの「悲願千人斬の女」の、その1が、また浅草は木馬亭で聴くことができる、観ることができる。オススメだよ。あさって、6月3日、土曜日。おれは他用があって行けないが、オススメだよ。500円だしね。

詳しくは「たまみほ日記」の6月の美穂子……クリック地獄

ちょうど今日、杉浦日向子『合葬』ちくま文庫を、読んだ。小沢信男さんの解説に、シビレ。

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和紙にとりつかれた2人の男の思い出

ロギール・アウテンボーガルトさん、その前に勝公彦さんのこと。

いやあ、なんというか、オドロキというか、懐かしいというか。むかしのノートが出てきたのでパラパラみていたら、「ロギール・アウテンボガート」というメモがあった。人名だ。ああ、懐かしいなあ、彼と会ったのは、何年のことか。どこでどうしているのだろうか。

あのころおれは、シゴトで高知へ毎月一度は行っていた。一年間ぐらい続いた。そのとき、和紙を漉きにきているガイジンがいると知って会いに行ったのだった。高知市内からバスに乗って、一度バスを乗り継いで、かなりの山奥の高所まで登り、さらにバスを降りてからクルマが通れない山道を歩いた。

和紙については、その前に、製紙会社のPRのシゴトで関係し、四国や出雲の和紙や、和紙の原料となるコウゾやミツマタなどの栽培について若干の知識があり興味があった。それに「和紙漉き」というだけで、ただならぬ興味を覚えることになったのは、出雲の手すき和紙の人間国宝・安部栄四郎さんの唯一人の内弟子だった勝公彦さんと会ったからだった。

勝さんは、途絶えていた沖縄の芭蕉紙の復元をやりとげたばかりだった。当時の那覇市首里儀保町に住んでいて、そこへ会いに行ったのだった。

勝さんと会ったときのことは後日、彼の死を新聞で知って書いたときのメモが残っているので、それをそのまま転載しよう。以下……

勝さんを首里のお宅に訪ねたのはインベーダーゲームが流行った年の2月だった。1979年のことのようだ。2日間、勝さんの自宅の芭蕉紙づくりの作業場で話をきいたり写真を撮ったりした。他の1日は本島北部の喜如嘉に住む人間国宝・平良敏子さん宅に案内していただくので一緒だった。この間、神奈川県湯河原の旅館の息子だった青春時代のことから、勝さんは語ってくれた。箱根の山で紙すきをやりながら一生を終えたいと言っていた。その勝さんは紙すきの旅の途中で亡くなった。

暴走族から一転、弟子をとらない安部栄四郎氏の家の前で一週間がんばった。勝さんの紙すき人生はそうしてはじまったのだが…。

勝さんが紙をすいているところからは谷底に1本の実のなる芭蕉の木が見えた。勝さんは、そこを指さして「ハブが出るから誰も近づかない」といった。江戸時代からの疎水、石垣があって、下に家が一軒。その下はハブがいるという荒地。そこが、江戸時代に芭蕉紙をすいていた現場であり、勝さんは、そこに住みついて、途絶えていた芭蕉紙を復活したのだった。

小さな谷間の勝さんのお宅は6畳ぐらいの一間きりだった。作業場と作業道具は全部自分で作ったということだった。

芭蕉紙は徳川時代を最後に消えた文化だ。それを再生するために、徳川時代に紙すきをやっていた跡で、残っていた疎水の側で、試行錯誤の苦闘を重ねたのだ。

芭蕉の繊維は硬い。これで紙ができるとはとても考えられない。

芭蕉紙は安部栄四郎氏が正倉院で発見したものだ。琉球の「和紙」だということはわかったのだが何を原料につかってどうつくったか、まったくわからなかったのだ。勝さんは、それとまったく同じものを復活させた。

平良敏子さん、人間国宝である。人間国宝ってどんな人だろうと思って訪ねたのだが。さとうきび畑の間のふつうの平屋から、お孫さんをおんぶしてあらわれた。戦前10歳ちょっとで諏訪の紡績工場の女工となった。戦後その経験をいかし、死に瀕していた芭蕉布を救った。

勝さんが紙の原料が何だかわからず、うまくいっていなかったとき、芭蕉布をつくるときに出る芭蕉の繊維のクズをつまみ、「これじゃない?」と言ったのが平良さんだったという。決定的な助言だった。

……以上、ここでメモは終っている。このときは那覇市内に一週間滞在して、一晩、勝さんと飲んだりもした。全部で4日間ぐらい一緒だったことになるか。まだメモに残してないことがある。

ちょっとだけ書き加える。芭蕉布を織るときの糸は、芭蕉の木の幹をくだいて煮て、その繊維を、割った竹ではさんで引いて細く軟らかくしてつくる。そのとき短い細かい繊維がたくさん出る。芭蕉布にとってはゴミクズだが、それが芭蕉紙の原料になるのだった。当初、勝さんは、芭蕉の幹をたたいてくだいては煮ることを重ねても、うまくいかないで苦労していた。平良さん助言は貴重だった。

とにかく、勝さんは、87年10月9日に亡くなった。それを伝える朝日新聞10月11日付の訃報。
勝公彦(かつ・ただひこ=芭蕉紙製造家)
九日午前零時五分、肺炎のため、沖縄本島中部・西原町の琉球大学医学部付属病院で死去、四十歳。(略)和紙づくりの人間国宝、故安部栄四郎氏のただ一人の内弟子。五十一年十二月から沖縄に住み、「幻の紙」といわれた芭蕉紙を復活させた。

勝さんは、紙を復元できても、それが使われなければ、また途絶えるという考えで、沖縄県内で芭蕉にかぎらず、紙すきに使える木を使って紙をすき、その用途まで開発するため飛び回っていた。知人から聞いたところによると、そのときも紙すきの指導で風邪をこじらせ、病院にかつぎこまれたときは手遅れだったとか。

「紙にとりつかれた男」といえば、いかにもカッコイイが、和紙すきは、その原料の栽培から刈り入れ、そして漉く作業自体、中腰で冷たい水に手をつけっぱなしなど、とても大変だ。しかも用途開発をしなくては、漉いても生活は成り立たない、生活が成り立たなくては紙も途絶える。そのための仕事もある。文化というのは、そういうものなんだなあ。

ま、とにかく、そういうことがあったあとだ。高知の四国山脈の山奥で、若いオランダ人が紙をすいているという。そこで会いに行ったわけだ。

ああ、もう長くなったから簡単にしよう。そのロギール・アウテンボーガルトさんは、たしか当時27歳だったと思う。まだ日本語は片言しか話せない。彼が、そのとんでもない山奥に住んで紙すきをやることになったのは、オランダでブックデザイナーをしていて、和紙で装丁された日本の本と出合ったからだ。彼は、それに惚れこみ、日本へ行って和紙をすいて、自分ですいた和紙で本をつくりたいと思う。それで貧乏旅行を重ね日本に来ちゃったのだな。

しかも、自分で木から育てるのだと、ついに、その高知の和紙すきの伝統があった伊野の山中、そこはただでさえ峻険な山奥なのに、クルマがやっと通る道からさらに歩いて登った先の古い廃屋を借りて住み着いていた。材料の木の栽培に、あと2、3年かかるとかで、穴倉に案内されて見せてもらったのは、彼がつくった生姜だった。生活は、とても苦しそうだったが、彼はときには神経質になりながらも陽気に、帰りは高知市内までオンボロ小型トラックで送ってくれながら、話に夢中になり両手をハンドルから離すことがたびたびだった。たった数時間の出会いだったが、忘れられない。メモを見て懐かしく思い検索してみた。

すると、なんと、やっているではないか。まだ、高知で、和紙をすいて……。かなり久しぶりに見た彼の写真は、ヒゲをのばしているが、あのころと変わらない。しかし、なんていう根性なんだろう。

ってことで、「とさは青空blog」……クリック地獄

こうやってメディアの上にこちょちょ書いてヒマつぶしの日々は、いかんなあ。と、酒を飲み。

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