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2006/06/17

マジメな生活が可愛そう

「ブリア・サヴァランは『美味礼賛』のなかで、一九世紀フランス貴族のエピュキリズムを通して、料理と食べものに対する文明批評をおこなった。日本でそれに匹敵するのは、山本健吉氏によれば木下謙次郎の『美味求真』である」と、江原恵さんは『家庭料理をおいしくしたい』で、ブリア・サヴァランと木下謙次郎、あるいは『美味礼賛』と『美味求真』を比べる。
 

 ブリア・サヴァランは、美食の快楽や、グルマンおよびグルマンディーズ(美食家・うまいもの好き・食道楽)についても思索している。木下謙次郎はひたすら料理とその素材の真に迫ろうとする。かれの求める美味の「真」は、自然界にだけ存在していて、人間の側には存在しないかのようである。
 したがって、木下謙次郎が真理として追求する美味は、絶対客観的な存在である。そして人間は、それを一方的に追い求める存在であるという構図になる。

この構図は、食通プレイに特徴的なばかりか、プロを崇拝してやまない「家庭料理」の場にも存在する。

「ある日、江原恵さんは料理講習会でしゃべった。平日の昼下がりのカルチャー・スクールというやつだ。会場には一〇〇名ぐらいの女性がいた。講演のあと質疑応答になった。会場からの質問は、ほとんど、ナントカのコレコレについて「コツをおしえてほしい」というようなことだった。いかにも手作りを大切にしましょうね式の本にあるような知識を披露しつつ、そのとおりにやってみたのだが、どうもうまくいかない。「コツをおしえてほしい」。これがカルチャーなのだ。江原さんは、怒った。」と、そのときの様子を書いたのち。

って、おれが『ぶっかけめしの悦楽』に書いたのね、だけどここのところは『汁かけめし快食學』では、話しを広げすぎることになるので、カットしたのだが。
 

料理のコツをきくことは《私の生活》のコツを、べつのたとえをすれば、私がイチバン快楽するセックスのコツを、他人にきくのと同じことなのだということに気がつかなくなっている。
 クリトリスの一ミリ下の三ミリ右を、日光戦場が原の美しい自然にはぐくまれたススキを初霜がおりた朝とって二五時間三〇秒のあいだ三度の温度と四五度の湿度の八〇リットルの冷蔵庫にほっておいたのでコチョコチョやると、癌の予防ができ雅な快楽が得られると本にあったのでやってみたのですが、ちっとも快楽がえられない、コツを教えてください、と先生であるソープランドのプロ嬢に質問する。
 こういうことが、料理をめぐって、本やテレビやカルチャー・スクールを舞台に白昼堂々とやられている。

いや、やるのは勝手なのだが、「テレビタレントていどの「専門家」の、とるにたらない知識を身につけることが、生活であり教養であり文化になった」ということを問題にしたのだ。

うまいもの好きも食通プレイもけっこうだが、それが、「わたしは、こんなよい生活しているのよ」「こんな、よい情報を知っているのよ」「おいしいものを知っているわたしって、教養と文化のカタマリなのよ」ってなかんじになることがオカシイ。そうではなく、東陽漫画の「うすバカ風俗伝」のように、「うすバカ食通プレイなのよ」と開き直ってやることじゃないかと思うのだ。

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