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2006/06/19

魚尻と魚尻線

「魚尻」あるいは「魚尻線」という言葉がある。でも、Webで検索すると、別の意味のそれはヒットするが、この場合のそれは見つからない。

『貝塚の考古学』( 鈴木公雄、東京大学出版会、1989)には、「魚尻」について、こう説明している。「魚尻という語は、塩尻という語から転用されたものである。塩尻とは、江戸時代に、塩の商圏の最奥部につけられた名称である。たとえば長野県岡谷市の近くにある塩尻峠は、木曽路を通って運ばれる「南塩」の商圏の北端に位置しており、それより以北の地、たとえば松本などの都市は日本海を経由して糸魚川から南下する「北塩」の商圏に属していた」

ということで、「鉄道開通以前に海岸でとれた鮮魚を運んで販売できた限界」が魚尻で、それをつなぐと魚尻線ができ、魚尻線に囲まれたなかは、塩干物の魚か川魚を食べていた。

おれが生まれ育った新潟県魚沼地方は、スッポリこの魚尻線のなかだ。鉄道は開通していても、魚は塩干物が主だった。日本人は「魚食民族」といわれるが、その実態は単純ではない。うわっつらで四方を海に囲まれた「魚食民族」と決めつける前に、知らなくてはならないことがたくさんあるってことだな。

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