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2006/06/22

「自然と健康」のゼニ腹黒さ

大宮駅で弁当を買って、ついてきた弁当会社の箸袋を見たら、「「自然」と「健康」をお届けします」と印刷されてあった。その弁当の原材料名を見たら、グリシン、クレハロース、ph調整剤、調味料(アミノ酸等)、凝固剤、クエン酸、酸化防止剤、酸味料、膨張剤、乳化剤、酢酸Na、増粘剤、着色料……といった文字がズラズラズラと並んでいる。これが「自然と健康」の実態だ。

この会社の名前は、JR東日本の子会社、日本レストランエンタープライズだ。そう、あの駅そば「あじさい茶屋」も経営している。

ま、しかし、いまどき、これぐらいのことは平気でやっている。そのほうがゼニ儲けになるからだ。食育だって「ビジネスチャンス」と公言してはばからない。すべては金銭感覚のうちにマヒしている。

だいたい日銀総裁からして。儲けを寄付すれば片がつくと思っている、あいつは、まだ何が問題なのか、わかっていないらしい。

日本人は、かつて「エコノミックアニマル」といわれた。「マネーウォーズ」にして「ゼニゲバ」。いまだって「現実主義」と「経済主義」を、わざとかも知れないが、とっちがえて「現実」といえば「経済」しかない。

かつて「エコノミックアニマル」といわれる方法で生産し輸出し、いまおなじ方法の輸入食品に頼らなくてはならない。身から出たサビというやつで、自分たちだけ正しいことをしてきたかのような素振りで、独善に陥った国内はだませても、相手国はよく知っている。日本が「成功」した方法を真似しているのだ。

「相手の国の社会、文化、生活習慣にどんな影響を及ぼすかということを考えないで、売れるからいくらでも売るという姿勢そのものがアニマルだということに気がつかない。そういう大きな欠落が、我々日本人にはある。これはなにも、産業界のリーダーだけの問題ではなくて、ここ30~40年の日本人の欠点かもしれない。その論理でいきますと、農業がそんなにコスト高ならやめてしまえばいいじゃないかというような暴論まで生まれるわけです。そこではやはり文化という概念がいつの間にか脱落してしまっている」と、1989年当時の西武セゾングループ代表の堤清二さんは発言していたが……。

てなことを、本日締め切りの『食品商業』8月号の「食のこころ こころの食」に書いた。お題は「食料自給率40%は危機か」だが。

自然だの健康だのという前に、なんでもゼニ勘定だけで片付ける自らの欠点を正すのが先だ。そうすれば自ずと、自然も健康も近づいてくるだろう。それまで自然だの健康だのを口にしない覚悟を、まず固めよう。

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コメント

どーも、近藤さん、それはオドロキですね。でも、とくに1960年代ごろからこっちの産業は「家庭」や「生活」が成り立ちにくい状況をつくりながら「成長」したわけで。われわれ国民も朝食もくわずに1時間以上かけて通勤することにスッカリなれっこになってしまったし。

投稿: エンテツ | 2006/06/25 13:17

 どうも、『食品商業』近藤です。いつも、ご紹介ありがとうございます。
 「食育」「食育」と誌面に並べながら。ふと自分のことを振り返ったら、幼少の頃、家族全員でメシを食った記憶が、正月くらいしかないので驚きました。
 さっき、昼風呂入って、のどが渇いたので昼ビール、物足りなくなって昼冷酒したので、晩酌に備えて昼寝します。では。

投稿: 近藤昌 | 2006/06/24 15:10

誰だったかな、おれの愛人で、
愛人たくさんいるから、
誰だか忘れたが、
乳児食だの離乳食なしで育てたやつがいるぞ。
母心ではなく怠け心のような気がするが、
まったく問題なかったそうだ。

なんか消費者が神経質すぎて、余計添加物が増えるという関係もありそうだな。なにしろ賞味期限前のものをドンドン捨てるのが、「新鮮」なものを売る店として評価されたりするのだから。母心でなんとかしてちょうだいよ。

投稿: エンテツ | 2006/06/24 10:03

うはは、健康飲料なんかもそうですよねえ。
市販の乳児食はどうなんだろう。
調べてみよう母心。

先日北欧輸入食材をあれこれ買ったのですが
瓶詰めニシンにしろ、クラッカーにしろ、
原材料は実に素朴な、台所にあるような食材だけ。
それで海をドンブラコ渡れるのに、
新潟土産の瓶詰め青海苔には
黄3号と青1号とソルビン酸漬け……。
不可思議でございます。

投稿: あっこ | 2006/06/23 11:29

これはどうも。そちらでは味の素よりサッカーが、より自然なトトカルな楽しみになっているようで。しかし、あれこれの「評論家」のタワゴトより、トトカルの方が、ストレートに大衆の評価と期待を反映しているのかも。

「ゼニゲバ」は、いつごろ流行したか思い出せないのですが、たぶん70年代後半のような気がします。「ゲバゲバ・ゲバ棒の暴力」から来ていると思います。ゲバ棒の暴力のようにコワイ、借金の暴力的取立て、ゼニの猛威とかでしょうか。

そもそも国際捕鯨委員会なるもの、わけのわからんものです。細々でもあれ大々的でもあれ、捕鯨があることによって利権が生じる国際関係があるような。大金の動くところに人は群がるという真理によれば。

日本においては「文化」とは「タテマエ」と同義ですから、この言葉が多用されるようになったら実態はないに同じと理解しておくのがよいように思います。

マズイ給食を経験してない私は、「捕鯨文化」の存続より、ああアノうまくて安い鯨の刺身を思う存分たべたいと思うのであります。

やい毛唐ども、どうせ鯨食はマイナーな存在なのだからツベコベ干渉するな、と、鯨飲しながら言いたいのですが。

しかし、とにかく、何がモンダイなのかよくわからない捕鯨モンダイであります。マルハなどは、どうなんでしょう、たぶん捕鯨は儲からないと思うのだけど、平民には見えないロビーな利権が動いているのかも。ここまで来ると、食のテーマではありませんね。

投稿: エンテツ | 2006/06/23 00:57

「美味しい味の素を永年の技と巧みと経験で、安全に調合致しました。」とか何とか言えないのですかね。

「ゼニゲバ」って例のゲバゲバ・ゲバ棒の暴力ゲヴァルトの新語ですか?

ゲリラ的にもう一言。商業捕鯨の解放ですが、なにか実情が分からない。捕鯨文化を継続されるのは重要ですが、何かおかしい感じがあります。昨日も話していましたら、ドイツでも戦後は鯨を不味いと思って食べていたらしいです。私も給食の不味い煮物で、「食育」された御蔭で欲しいとは思わず、未だにそれらしい鯨食文化を知りません。

言えば元来少数派の食文化であったなのに、七つの海を渡る船団がなぜ長く必要だったのか理解出来ずに居ります。今や食用以外の需要は限られているでしょう。マルハなどが未だに廃業せずに政治力を持っているのか、どうなのか?

投稿: pfaelzerwein | 2006/06/22 17:49

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