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2006/07/24

「学び」嫌い「教育」「説教」大好き人間

飲食店を食べ歩きし評価を下し書きつらね、ナニモノかになったつもりでいる人には、「学び」嫌い「教育」「説教」大好き人間が多いようだ。その人たちのために、東京の片隅でコツコツ生きている暮らしが抹殺される。

今日はアレコレ忙しくしていると、知人から電話があって長話になってしまった。竹屋食堂は居酒屋化していて、大衆食堂とはいえないと言っているやつがいると、そいつは言うのだ。知らなかったが、居酒屋化している大衆食堂は大衆食堂とは言えないというリクツ?がはびこっているらしい。そりゃおかしいだろう。ということで、口角酒臭い泡を受話器にひっかけながら。

けっきょく、思うのだが、とにかく大衆食堂には、まだまだ「学ぶ」ことが多いと思う。大衆食堂が注目され出したのは近年のことだろう。しかし、何軒だか知らないが、たくさん食べ歩いたぐらいで、これを例によって「厳選」し、正義の大衆食堂の旗手として教えを説こうというのか。半世紀もの歴史の大衆食堂も、アワレ、「居酒屋化」していると簡単に片づけられる。なんという風潮だろう。

ま、それはその人のモノサシだからよいにしても。だけど、ほかのモノサシを学ぶココロぐらい持てないのか。そもそも大衆というのは大衆食堂も、それぞれ違うのではないか。十人十色というのは、まさに大衆食堂の世界でもあるだろう。それをセンセイ様が自分のモノサシで、一律横並びに採点し、教えをたれる。これは学校教育で身についた悪しき習慣か。もっと、大衆食堂では、不揃いを不揃いのまま楽しむことを学ぶべきではないのか。

だいたいね、竹屋食堂は朝食からの営業で、朝昼晩と、まったく様子が変わるのだよ。おれの『大衆食堂の研究』には朝昼晩かよって、その様子が書いてある。もちろん午前の昼近くでもタクシー運転手で「居酒屋化」することもあった。しかし、タクシー運転手にとっては、そこが夜勤明けのめしくって、疲れた身体に酒を入れ憩うところなのだ。ほかにも夜勤明けのビル掃除人とかね。そういう大衆食堂だったのだよ、竹屋食堂は。大衆食堂は、そこを必要とする人たちによって成り立ってきたのであり、その事実に対してもっと謙虚になるべきじゃないかと思う。もし自分の好みではなかったら行かなければよいのであって、大衆食堂ではないと決めつける必要はないだろう。

ま、いいや、いまは昭和レトロだのスローフードだのなんだので、ブームとなれば陳腐なものがはびこるのだ。そういうものが売れる活字になるのである。そして、ラーメンブームがそうであるように、自分なりの生業に励んできた小さな店が、評価されることなく消えていくのだ。あとには、ブームにたかってはテキトウなことを言うセンセイたちが、メディアの周辺でエラソウにしているのだ。そういう国なのだ、日本は。おれは深い深い絶望と怒りと野糞のうちに、ザ大衆食の竹屋食堂に追記をしたのである。けつ喰らえ!……クリック地獄

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コメント

mooさん、どーも。

2度と行きたくないと思った食堂、あるかなあと考えたけど思い出せない。

縮れた毛! もしかして熱で縮れたというこはないのかな。でも、そうでないほうが、楽しそう。それをつまんでティッシュペーパーにはさんで持って帰り、「蒐集」の中に加えます。

それはともかく、やはり大衆食堂ってのは、アメーバーのような「生きもの」のような気がします。

投稿: エンテツ | 2006/07/26 07:32

エンテツさんこんにちは。

おもわず「うんうん」とうなずいてしまいました。
大衆食堂の定義って、語った瞬間に陳腐になる気がしますね。
高尚な「教育」や「説教」も似合いませんよね。
酔っ払ったオヤジが絡んで説教する風景はよく見ますが(笑)

個人的にその店が嫌になったら行かなければいいのであって、それを一般化して「大衆食堂ではない」というのは違うなという気がします。

ちょっと話がずれますが、僕も行かなくなった中華屋があるんです。
やきそばに縮れた毛が入ってたことがあって。
しかも4本。
縮れてなければ行き続けてたかもしれないけど(笑)
どこの毛だったのか考えると気持ち悪くなるので今でも考えないようにしてます(笑)

投稿: moo00 | 2006/07/25 17:23

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