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2006/07/08

今福龍太さんの憂い 舌の上のフットボールそして中田

このあいだ「雑誌「談」編集長によるBlog」7月5日に「中田引退の謎と今福龍太さんの慧眼」を見たけど、フン中田の引退には興味ないわいと思って、その先、Webマガジン「en」を見ないまま忙しくしていた。そして先程見たのだが、「リングア・フランカへの旅―〈自由な舌〉を求めて」の 「第4回 舌の上のフットボール」でこんなことを述べているのだ。

ひるがえって、庶民の食の崩壊を私はいまの日本に痛感して、暗澹となる。グルメ文化がかろうじてつなぎ止めている、美食的なレストランの林立とそこで供される気取った料理は、ここでのわたしの思考の対象ではない。私が憂えるのは、日常の食とその延長にある庶民食を供する場が、劣悪な味覚と皮相な合理主義によって支配されてしまったことである。味の豊かな個性を維持していた家族経営の良心的な食堂を、効率優先の市場原理の末端までの浸透によって、私たちは見事に喪失した。

ま、全文をご一読ください。

でも、ま、あきらめるのは、まだ早いでしょう。「しかし、大衆というのは猥雑でしたたかでありますから、そうは簡単にひっこみません」と、おれはこのあいだの下北沢のシンポジウムで述べた。再開発できれいになった、その外側へ、「美食的なレストランの林立」する、その外側へ、「劣悪な味覚と皮相な合理主義に」抗うように、自分たちがやりたいようにやれる飲食店をつくるのだ。けっきょく、そういうことなの。

ただ、いまキケンなのは、「味の豊かな個性を」理解しようとはしないで、なにやら味覚や飲食店などについて精通しているらしい方々が食べ歩いては、尊大な態度で評価しふるいにかけ「厳選」し「名店」とやらを選んで発表する行為によって、この分野に残っていた個性が失われていくことだろう。

前から何度も述べているが、高級専門店に対する評価の仕方と似たようなことを、ただ低価格帯で繰り返すことは、市場の均一化と拡散をもたらし、大きな問題を残す。「味の豊かな個性」や営業の仕方は、とくに家族経営の生業店においては、その地域での長年の蓄積によって決まってきたことで、それを何度か寄ったぐらいで、もしかすると一度よったぐらいで、ダメだし「厳選」する行為は、地理的蓄積を破壊する再開発者の行為にも等しい。

ま、でも、けっきょく偉そうな「採点者」やそれを参考にして来る客より、地元の人たちによって支えられて続くところは続くのだけどね。けっきょく、そういうことなの。だから、どうせなら余計なオセッカイなどやかずに、もっと「味の豊かな個性を」理解するようにしたほうがよいんじゃないかと思うわけだ。だいいち、大衆食などをしかめっ面して評価しても陰気だし、楽しくないだろう。それぞれの個性を楽しんだほうが、どんなによいか。

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