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2006/07/20

そういえば清水義範「時代食堂の特別料理」

けつ喰らえパーソナルヒストリーで連想的に思い出したのは、清水義範さんの「時代食堂の特別料理」、そして「ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮」と「四畳半調理の拘泥(こだわり)」だ。いずれも「一億総グルメ」が流行語になった1980年代後半の発表。

時代食堂…とブガロンチョ…は、『国語入試問題必勝法』に収録され、1987年講談社から単行本、これに「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」をオリジナルとして加え90年に講談社文庫。四畳半…は『永遠のジャック&ベティ』に収録され1988年講談社から単行本、91年に講談社文庫。

表題作で話題になった「国語入試問題必勝法」と「永遠のジャック&ベティ」の陰になった感じで、あまり注目されてないようだが、これほど辛らつに、あるいは破壊的に、あるいは痛快に、グルメをからかい笑い飛ばし批判を加えた作品はない、と言ってもよいぐらいなものだ。グルメを揶揄嘲笑した作家は、ほかにもいるけど、これほどシッカリ笑い飛ばし批判した人はいないだろう。

3作とも、それぞれ特徴があるのだが、「時代食堂の特別料理」ばあいは、食事や味覚は個人のパーソナルヒストリーのものでありグルメは幻想にすぎないという視点あるいは主張で、根本のところから批判を加えた「力作」といえるね。拙著『汁かけめし快食學』では、「かけめしはこれからだ」の項で、そこから引用している。

「うらぶれた小さな商店街の、そのまた一つ裏街道に面して」ある「時代食堂」だが。昭和23年生まれの福永信行は、その食堂のどことなく秘密めいた、なんだか入るのがうしろめたいようなところを、比較的好んでいた。

そこでウエイターに言われるままに「特別料理」を頼んだ、信行は、忘れていた過去を思い出す不思議な体験をする。そしていつもその食事に満足するのだった。

見ていると、特別料理を食べるほかの客も、おはぎを食べながら突然立ち上がって敬礼をしたり、またあるときは立派な身なりの紳士がコッペパンを無我夢中でかじり涙を流す。そういうことがあって信行は、どうしてあの食堂があるのか、「何のためにあんな食堂があり、ああいう料理を客に出すのだろうか」疑問に思う。

ある日、そこへテレビなどで見知っている「最近、料理研究家として有名な人物」があらわれる。彼は「料理食べ歩きの本を何冊も出し、テレビのグルメ番組に出てむつかしい顔で解説をし、有名レストランへ行っては私の舌を満足させてくれる料理はひとつもなかったなどと断定している、そういう人物だった」「世の中の誰もかれもが、料理について一家言を持ち、うまいものを食べさせる店を紹介していればテレビ番組ができるという、そういう現代の風潮を代表しているような人間であった。」

ま、その料理研究家が何を食べどんな様子だったかは、本書を読んでのお楽しみ。おれは講談社のまわしものじゃないけど。

で、おれが『汁かけめし快食學』に引用した話になり、コックは信行にこう言う。「私がこの食堂をやっている理由は、」「食べるとは何だったのかを思い出してほしいだけなんです。もうおわかりでしょう。食べるということは、<生きる歓び>なのですよ。それを思い出してほしいというわけです。」

時代食堂は、グルメ騒動のなかで顕著になってきた「「希薄なパーソナルヒストリー」を埋める」作業をしていたのだ。

が、しかし、その1980年代後半から、「B級グルメ」騒動が広がったのだった。であるから、昨日引用したように、情報誌屋が情報誌を否定するようなことを口にしながら情報誌の使い方を述べなくてはならなくなったのかもしれない。

コンニチ的には「世の中の誰もかれもが、料理について一家言を持ち、うまいものを食べさせる店を紹介していればテレビ番組も本もブログもできるという、そういう現代の風潮」でもあるのだ。そういうことでは読書界にしても、有名評論家の評価がブログを通してタチマチ広がるというアンバイだからな。ま、そういう風潮もさることながら、「希薄なパーソナルヒストリー」の広がりの一方には、一本調子の共同幻想の拡大があるのであり、それが不気味だねえ。

「時代食堂の特別料理」は、清水さんの作品にしては、あまり笑えないが、「ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮」と「四畳半調理の拘泥(こだわり)」は、ゲラゲラ面白い。しかも、どちらも、じつに巧妙なパロディになっている。「ブガロンチョ…」は、どういう言葉や言葉の運び、あるいは文章や文体で、愚にもつかない変哲もない材料や料理が、特別な立派そうなおいしそうな料理になっていくかを書いて、まあ呆気にとられるほどだ。檀一雄さんの『檀流クッキング』などをネタにしたパロディのようだが、それを読んでいなくても、十分おもしろく理解できる。

「四畳半…」は、タイトルから想像できると思うが、「四畳半襖の下張り」のパロディだ。これは、もうじつに入り組んだ巧みなパロディになっているけど、名立たる料理人や料理研究家や評論家の文言らしいのが次々と俎上にのせられ刻まれ、もうグチャグチュにグルメは打ちのめされるうえ、出てくる料理器具や材料や調理などを、男と女あるいは男●器や女●器や愛撫のテクニックなどに置き換え想像するもスケベに楽し、という、いやはや清水義範さんの脳みそを酒漬けにして酒のつまみに食べてみたいと思う。

そういえば「拘泥」には「こだわり」とルビがふられているのだが、「拘泥」つまり「こうでい」だと否定的バカ的な感じであるのに、「こだわり」だと肯定的賞賛的な印象であるというのもおもしろい。そのようにタイトルから、巧緻な仕掛けがあるのだ。

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