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2006/07/18

イカ天がどうした

ワケもなく突然イカの天ぷらを思い出した。それも上京したての1962年ごろ、新宿のション横の食堂でよく食べたイカの天ぷらだ。その姿カタチ、味まで思い出しそうだ。

あれは多分、モンゴウイカの天ぷらではないかと思う。大きな細長い肉厚なやつで、衣がデレッドロッとたっぷりついて、そしてたいがい揚げたてではなく、バットに山盛りになっているやつが出るのだった。

おかずは、そのイカ天だけで十分だった。気分によって、醤油かソースをかけたが、あれはソースが合ったように思う。

最初は、端のほうから一口、衣と身を一緒にアグッと食べる。すると、必ず、衣と身は離れるのだった。その離れたデレッドロッの衣を、どんぶりめしの上にのせ、食べる。天丼の味である。ようするに天丼なんてのは、衣とソースとめしなのだ。と悟る。

そして、身だけになったイカに、また醤油かソースをかけ、めしの上にのせて食べる。衣を脱がしたあとの身の、ムチッムチップリンプリンとした感触がたまんない。一個でいろいろ楽しめるイカ天だった。それを、いま、とつぜん思い出したのだ。

あのころあのイカ天をよく食べたのは、それが、田舎で食べなれていたスルメイカより肉厚で、うまく思われたからにちがいないと思う。それにイカ天一個だけで満足の食事は安く上がった。ドブのニオイ、ションベンのニオイ、アブラのニオイ、ニンゲンのニオイ、いろいろなニオイが、すべておかずだった。

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コメント

1962年ごろの隅田川は、ドロンとしていたよ。

あのころときどき一緒に酒を飲んでいたやつが、勝鬨橋の向こうに住んでいて、あのときはどこで飲んだか忘れたが、とにかく酔っ払って歩いてそいつのアパートへ行くことになって、勝鬨橋にかかったら、そいつがトツゼン川に飛びこんで泳いでなあ。

あのころは川岸は今のようじゃなくて、簡単に上がれたけど、もう臭いのなんの、大変だったよ。そいつは、おれより一つ上だったが、一昨年ガンで死んでしまった。あのときの隅田川の水がいけなかったのか。

投稿: エンテツ | 2006/07/21 09:08

うちの母ちゃんの話じゃ、若い頃は隅田川沿いを歩くとメタンガスで髪がベトベトになったそうで。

んでも、親爺のガキの時分は水練が出来るほど隅田川は綺麗だったそうで。

投稿: 吸う | 2006/07/21 08:53

おれが初めて東京スタジアムのあたりをウロウロしたころは、風が吹くと埃と一緒に小便とウンコの粉末が鼻の中に入ってくる感じで、なかなかよかったぜ。

どの通りを歩いても、母親がガキを叱る声が聞こえていたわ。

でも、あのころ一番クサイ町は、渋谷だったと思う。渋谷駅周辺のドブのニオイは最高だった。クラクラとラリッてしまいそうだった。これが東京のニオイなんだなあと、田舎者のおれは感激して、深呼吸したものさ。

投稿: エンテツ | 2006/07/18 23:36

>ドブのニオイ、ションベンのニオイ、アブラのニオイ、ニンゲンのニオイ

あ〜おいらの育った土地はかつてそういうニオイに満ちていたなぁ...

そんなニオイが地ビタにもベットリ染み込んでいるような場末。お馴染みの月島や谷根千、浅草のような「下町(と言われるとこ)」と言われる上品な所とはちょっと違う。

万引きばかりしてる膝小僧が赤チンだらけのハナ垂らしの悪ガキ。そんなガキを人目も憚らず大声で叱りつけては思いっきりひっ叩くいつもヒステリックな母親。酔っ払って路上で寝てる手が油で真っ黒な労務者のオッサン。草むらで立ションする頭のおかしいババァ。銭湯で暴れて頭突きでガラス窓を叩き割るおいら。しかも二度も...わはは!

投稿: 吸う | 2006/07/18 20:11

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