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2006/07/05

食事は自宅で食べるもの、だった?

食文化的には、大衆食堂というのは家庭の延長という考えの上に成り立っていた。

『大衆食堂の研究』では、昭和二四年一〇月の『外食券食堂事業の調査』から引用している(クリック地獄)。
「食堂側が良心的たらんとするならば、食生活に内食者が味わう家庭の感覚に欠けた外食者のために、その食堂を家庭の延長となすような努力を払うべきだという結論に到達するであろう」

食事の基点は家庭にあった。

しかし、おれが上京した1962年ごろの東京は、自炊設備つまりガス水道は部屋にはなく共同で利用するアパートが圧倒的に多く、ガス水道付の部屋はアコガレだった。ま、社会低層ほど、自炊が困難だったといえるだろう。しかも、コンビニや弁当屋などなく、食堂を利用する機会が多くならざるを得なかった。

家庭科センセイたちのご指導もあって、家庭での食事がアタリマエという風潮が支配的であったにも関わらず、そのための設備の普及は低劣だったのだ。自炊の習慣は育ちにくい環境がけっこうあった。

そして、高度経済成長以後、現在ではガス水道設備のある個室がアタリマエであるのに、それを利用しないで、外食や中食を利用する人たちが多いという。

どこかで、大きくねじれているね。

家庭での自炊を原則や理念にするかどうかは、ガス水道設備などの社会的条件によって決まるはずだろうと思うが、そうではなく「道徳的」に、しかも「女」の義務として、家庭で料理をつくることをタテマエにしてきたことが、ガス水道設備が個室にまで普及したいまでも、それを利用しない習慣が残った一因ではないかともいえるわけだ。

そしていま、これだけガス水道設備が普及しながら、外食や中食が基本になる生活は、どこかで社会合理性が大きく損なわれているんじゃないだろうか。もっとも、いまの日本じゃ、「社会合理性」など、言うだけムダだけどね。

でも、家庭で料理をつくって食べる楽しみが育つ条件は、ここ数十年のあいだに十分といってよいほど整ったのだ。

おれは上京した最初の下宿は、水道が共同であるだけ、部屋で電気コンロを使っていた。それで、ガス水道付の部屋に住みたくて、運がよいのか悪いのか親の倒産で就職することになり、給料もらうようになって、やっとガス水道付の部屋に入ることができた。一日中ひがあたらない3畳の部屋で、半間の押入れの隣の半間のスペースに半間の半分の流しとガス台があった。ガス台にはコンロ一つしか置けない。もちろん冷蔵庫などない。それでもうれしかった。おれは高校山岳部のときから使っていた、1~2人用のコッフェルを持っていて、これで山で料理をするのと同じようにやっていた。包丁も登山ナイフ。回数としては外食の方が多かったと思うが、それが自分の生活の基点だと思っていた。でも、そのあと大阪に一年間長期出張になり、会社が用意したのは間借だったから100%外食だった。

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コメント

初めまして、コメントどうもありがとうございます。「当時」というのは、この場合、私が体験した、上京して数年1960年代中ごろまでのアパート暮らしですが、炊事設備がある場合は、ガスが普通だったと記憶しています。

それで、賃貸の場合、炊事設備ナシか共同利用の間借と賄い付きの下宿が主流だったと思います。
井戸の利用はあるていどありましたが、当時東京では水不足が大問題になったことがありますから、それぐらいは水道に頼るようになっていたといえるのではないでしょうか。

電気炊飯器は、私の田舎の実家にもあったぐらいですから、かなり普及はしていたと思いますが、一人暮しでの利用は少なかったでしょう。

いずれもデータを調べればわかるとは思いますが、ここでは私の体験から考えているので。ま、自炊や手作りをいわれても、なかなか困難だったということです。

好きか嫌いで選択できるようになったのは、比較的新しいことで、経済的条件から外食か自炊が選ばれていた時代があったような気がします。この件は、外国の外食の例も含めて、これからも書きますので、ご覧いただけたら幸いです。

投稿: エンテツ | 2006/07/07 16:40

こんちは、初めまして。
お言葉ですが、当時は練炭、七輪が当たり前だったのでは?井戸も結構掘ってたし。炊飯器なんて存在してないし、冷蔵庫はテレビのルーシーショー見て、溜め息ついてた。外食できる人はむしろ金回りが良い方だったのでは?
そもそも外食するかしないかは、料理を「作る」のが好きか嫌いかでは?嫌いな人は何時の世でも外食、中食、出前、弁当、インスタントに流れます。好きな人は設備、器具、材料、素材とこれまたエンドレスです。

投稿: | 2006/07/07 15:53

東京の下層の民は共同炊事場育ちですね。
そういえば、共同便所の掃除当番があってなあ、
サボルと大家がやって、あとでカネをとられた。

自炊といっても、あんたの場合はカアチャンが
作ってくれたのだろうに。
おれなんかガキのころは外食というと
お祭りのときぐらいだった。

寿司の土産にまるめこまれる母子かな

投稿: エンテツ | 2006/07/05 12:36

糞ニチハ!

おいらがガキの頃に住んでたのはやはり共同便所、共同炊事場のボロアパートで、長屋の群れの外れにあったんすけど、長屋の方が炊事場も付いてるし、一軒家みたいなもんなんでアパートよりよほど贅沢なもんでした。

んで、うちの場合は自炊がほとんどで、時々の外食するか出前とるんすけど、その比率は半々くらいでしたな。

後は、普段家に帰ってこない親父がたまに帰ってきた時のお土産の寿司とか。ふはは!

投稿: 吸う | 2006/07/05 05:30

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