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2006/07/06

大衆のめしは持ちがいい

下北沢の続きだが、ま、覚え書きだ。コメンテーターの関根純一さんは、おれより数年あとの1949年に生まれ、50年に両親が下北沢北口の闇市に引っ越して商売を始めたので、そこで育つことになった。

闇市の屋根はトタンで覆われていて、その上は子ども達が遊ぶ「広場」でもあった。また闇市の通路は買い物客であふれていたが、そこをかきわけかきわけ遊んだ。そして、親たちは商売で忙しく、子ども達は子ども達だけで一緒に近くの食堂で食事をすることがあったという。

会場の外国人から発言があって、いま下北沢の子ども達は、どこで遊んでいるのか、子ども達の文化は考えなくてよいのか、という趣旨だった。

そういえば「若者の街シモキタ」には子どもの姿が見えない。子ども達は家にこもってゲームをするか塾なのかと思ったが、再開発を推進するほうも反対するほうも、子ども達にはあまり関心がないような気がした。

自分の商売の対象にならないかぎり、赤の他人。「街」とは、いまや商業集積地のことである。そこまで、街も社会も経済主義市場主義にのみこまれてしまったようだ。

そもそも「都市の再生」というが、その「再生」は経済であって人間や社会のことではない。いかに繁栄する、にぎやかな町にするかということなのだ。つまり経済用語なのだ。

しかし再生は人間や社会のためにある。

……雑多な人々が「労働し生活し憩う」基点だった大衆食堂は「遊びの町」のオモテからは消えていった。でも、無くならない、また新しいスタイルの大衆食堂も生まれている。そこに町の再生の道があるのではないか。……

この場合の「再生」は、もちろん人間であり社会のことで、大衆食堂は懐古の過去のものという印象が強いが、それは容れ物を見て人間をみないからなのだ。

「なんとまぁ東京の町は、容れ物よりも人間のほうが持ちがいいことか。再開発も狂乱物価もなにものぞ、生きかわり死にかわりして住む町ぞと、から元気が湧いたりするのです。」と小沢信男さんは、『東京百景』に書いている。その持ちがいい大衆のめしは、また持ちがいいのですね。生きかわり死にかわりして、続くのです。

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