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2006/10/31

ザ大衆食とエンテツ礼賛のこと

去る10月19日読者様からメールをいただいた。じつは、いろいろメールがたまっていて、とくにサイトに公開しているYahooのアドレスにいただいたメールは、どさどさ諸広告メール混ざりの中から発見しながら見ているので、まだ返事をしてない方がいます、すみません。酒を飲まずに返事を書けとおっしゃるかも知れませんが、酒を飲まないと死んでしまうので、仕方ないのです、すみません、すみません。

ま、とにかく、その読者の方からいただいたメールを紹介させていただきます。

もともと読者の方のメールはザ大衆食「大衆食者の食卓」に掲載していたのだけど、このブログになってからは、ブログにコメントをいただくことが多くなったので、いただいたメールもとりあえずこちらに掲載し、あちらからリンクをはるようにしている。

なお、メールをいただきながら、まだ紹介してないのが、もしかするとあるかも知れない。なにしろ、日にちがたつと記憶に埋もれてしまうことが多いもので、けっして差別待遇をしているわけではないのであります。それより、いただいたメールに返事をしてないなんてことがあると、大変だなあ。必ず返事はするようにしているのだけど、なにしろ夜中に一度酔って読んでしまうと、覚えていないのにメールの方は開封処理になる、そして翌日たくさんメールがあったりすると、未開封から見てしまい、そのままになることもある。ま、いい訳グダグダ書いているが、とにかく、このおれが、単に酔って忘れてしまうというだけなのだが。

●それでは、もんくしーるさんからのメール、一部伏字。

遠藤様、

いつも楽しくHPザ・大衆食拝見しております。

埼玉県●●市在住なので大宮の「いづみや」の情報を探していたらこちらに辿りつきました。そして、意を決して10月8日に友人と本店に行ってきました。
懐かしいテイスト溢れる内部とオバちゃん。そして名代モツ煮込み160円!にめくるめくメニューの数々。凄く良かったです。

そして、昨日なんですが、上野の聚楽台に行ってきました。ビアステーションは残念ながら閉店してしまっていたのですが、レストラン聚楽台は健在。
桟敷の座敷などやはりここもなんというかしっくりくる空間でたまりませんでした。
友人が西郷丼、私は懐かしプレートというオムライス、エビフライ、ナポリタン、ハンバーグが銀のお皿に乗っているものを食べました。
子供時代に家族と食べたデパートのお好み食堂という感じの味ですね。

『ぶっかけめしの悦楽』と『大衆食堂の研究』
こちら、読ませていただきました。
遠藤さんの本で食事を「メシ」と力強く書かれるのがとても好きです。

それでは これからも素敵な力メシを紹介してください。

●もんくしーるさんは、「monksiiruの日記」をやっておられて、この聚楽台についてもレポートされている。
http://d.hatena.ne.jp/monksiiru/20061021

●おれの返信の一部は、こんなアンバイでしたね。

あのコキタナイいづみやを気に入っていただき、うれしいです。
あそこの味わいには、あの婆さんたちが醸し出す雰囲気が欠かせないと思うのですが。
でも、このあいだ、あそこの常連さんとその話しをしたら、
「いや、やっぱり若い女のほうがいいよ、でも、若い女のために酒代が高くなるのはいやだけどな」
と言っていました。こういう客も、また楽しい。

●さて、それで、ついでに。
このブログに臆面もなく「遠藤哲夫を礼賛しよう」を書いたのは、去る9月2日だった。あれからおれは誕生日をむかえ63歳になってしまったぞ。どうしてくれるのだ、まだ、礼賛が足りないような気がする。このままでは、「食文化立国日本」を掲げて総理になろうというおれの野望は、泥酔酒場に朽ちてしまうのか。

もっともっとエンテツ礼賛を!とヤフーのブログ検索をしていたら、おおっ、またもや、関心空間にあったぞ。関心空間は、よい人たちが集まっているようだね。

「milesの空間」
キーワード「遠藤哲夫 さん」
http://www.kanshin.com/keyword/1032840

エンテツさん。「ザ大衆食」というウエブサイト主宰。現在はフリーライターらしいが、いちばんわかりやすいプロフィールは、「『大衆食堂の研究』『ぶっかけめしの悦楽』の著者にして大衆食の会代表」ということになろう。

私は大衆食堂を愛している。それは何故か、自分でも定かではない。しかし、昨今の食文化のなかにおける「大衆食堂」を冷静に見つめることは、何か人生を考えることのように、本質的ななにかを見つめることのような気がするのだ。

とにかく、この人の発言は深いよ。分かっている人だ。

「気どるな、力強くめしをくえ。」だと。 御意である。

………………………

いやあ、うれしいねえ、これでまた「食文化立国日本」の総理への夢はつながり、おれは気持よく酔うことができる。

こんなおれを総理にする夢をもって、
気どらず、力強くめしをくい、力強く生きようではないか、のう、みなのしゅう。

あははははは、ま、とにかく気持ちよくめしをくえればいいってこと。

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2006/10/30

北区王子、柳小路の福助

最近たびたびここに登場する福助だが、ザ大衆食のサイトに写真も含め掲載した。こんなアンバイのところです、ご覧ください。……クリック地獄

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2006/10/29

赤羽、王子で横丁路地街談義

きのう、ひさしぶりで、「ヤミ市横丁研究所」のイノケンさんに会った。会って話をしていて、やっと気がついたのだが、イノケンさんは東京をひきはらっていたのだ。今年の春に大学を卒業し、実家の関係があって故郷の新潟にもどって仕事についているのだった。

つまりは、週末の休みを利用して上京しては、もともとのベースだった吉祥寺のハモニカ横丁や、ヤミ市の調べ研究を続けている。いやあ、若いから、いや、若いのに、よくやっています。

とにかく、まずは赤羽駅で6時に待ち合わせ、一番街とOK横丁へ。ぐるぐると歩き裏側までまわり、この通りは、もったいないなあ、こうするとああするとハモニカ横丁のように活性化できるかもね、とか、「論評」を加えたり。以前に日刊ゲンダイで紹介した食堂の「じんじん」はシャッターが下りていたけど、休みなのか、それとも? 入ろうと思っていた「まるます」は、行列ができていた、例によって中高年群れがズラリ並んで。

で、まあ、ここはあまり好みじゃないのだが、OK横丁の「八起」へ。いまや「八起」は、OK横丁で3店舗ぐらいの勢力に成長、こうなると廃業や資金繰りなどで立ち行かなくなった店を吸収して、どんどん大きくなるだろう。一軒は、まだ以前の名前の暖簾のまま、入口に「この店は八起の支店です」というような貼り紙がしてあった。横丁で、ひとつの勢力だけが大きくなりすぎると、再開発の話がすすみやすく横丁の危機になることがあるが、ここはどうなるかねえ~などと話ながら、ま、ご無沙汰でしたとカンパイ。

おれがパネラーで参加した春の下北沢シンポジウムや、最近イノケンさんが参加した諏訪の路地シンポ?のことなど、あれこれ横丁路地街についてオシャベリ。

んじゃ、ついでだから、福助もリーベも休みだし、ほかも休みが多いけど、ついでに王子の柳小路とさくら新道を見ますかと王子へ。ぐるぐるとまわって、えーと名前おぼえないのだが、前から何度か入ったことがある、山田屋の近くの赤ちょうちんへ。よく煮込まれたおでんなどをつっつきながら、酎ハイ。これからのこともアレコレ。下北沢シンポ以来、ひさしぶりに横丁路地街について楽しく語り合い、忘れていたことなども思い出す。大阪へ行かなくてはならないのだったなあ。

ま、とにかく、そのように夜はふけ、ほろ酔い加減で王子駅のホームでイノケンさんと、またね~と別れたのだった。

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2006/10/27

プロもアマも

ここにときどき登場する新潟県の「味乃家 魚野川」の主人にして料理人の覚張(がくはり)徹さんのブログ「おれはここで生きている」に、このあいだオモシロイ話があったのだ。

10月19日の「半日の休暇」なんだけど、「中角」という民宿で宴会に参加したこと。その民宿は、「今回の地方再生プロジェクトのグルメ部会の責任者の家でもある。部長は30代の女性で凄く美人できっとやり手の方だと思う」ってことで、その料理について、このように批評している。……

料理ははっきり覚えていなかったがすごく安く手を掛けているのがよく分かった。
ただ1俵13万もする天空米を使ってもその特質を生かしきれていないし、別の素材にお金を掛けて料金はもっと高くてもいいと思う。
僕と同じでこれからの経営に危機感を持っていると前回はなされていたのを覚えている。
僕も多くの店の中から選ばれるにはと毎日考えているが、今までスキー場という好立地の商売が身についていてそれから抜け出せないように思われる。
やはり美味しい食べ物と石打で中角でなければと言う感動が無ければ先に進めないと思う。

……引用オワリ。

覚さんは、「なぜこんな余計なことを書くかというと、彼女が美人であるからです」と書いているから、美人の気をひくために書いたのかもしない。たぶん、彼女は、料理店経営と民宿経営ではちがうのですよ、と反論でもしてくれて、それでさらに料理を通じてあやしく関係が深まればよい、なーんてことかも知れないなあ、うふふふ。

こんどこの民宿に泊まって、美人の女将に会ってみたいものだと思うが、それはともかく、この話は、とてもオモシロイと思った。

プロだろうアマだろうと、つまり飲食店だろうと家庭だろうと、どこにどういうカネのかけかたをし、どういう満足を得るかということは、予算が少なければ少ないなりに、多くても多いなりに考える。ま、あまり考えないひともいるのだが……。

たとえばアマでも、9月14日の「ダシと貧乏と絶望」に書いたように、ザ大衆食のサイトからのリンク先である藤原素子さんの「貧すれど鈍せず」から話を借用している。「昆布など手が出ない時代が続いた。かつおぶしは毎朝ひとつかみずつ使えば積もり積もって結構な出費だ。それならば、ダシの素を使ってでも他の食材を買いたかった」というぐあいだ。

そこにも書いたが、実際に、たまにの休みの趣味ではなく、日常の料理をつくっているかどうかで、この感覚や考えは、かなりちがってくると思う。

出版物はもちろん、ブログでも、食べ飲み歩いたり料理をつくったりのことを書いている方は、たくさんいる。チョイとハッキリ云えば、それを読むと、このへんの感覚や考えは、どういうものか、大雑把の見当がつく。であるから、自分のお粗末がバレないように、おれはそういうことについては、なるべく書かないようにしているわけだ。

だからといって、食べ飲み歩きのことを書く人は、すべからく自分で料理をつくらなくてはいけないと主張したいのではない。飲食店の料理、とくに素材や調理法については、知らないことを知ったかぶりしないほうがよいということを云いたいだけなのだ。

そもそも8月28日の「安くておいしい」と「おいしく食べる」のあいだでも書いたように、「おいしく食べる」文化が、食べることや味わいにも大いに関係する。「客」としては、そちらの探求こそ大切だろう。

食べ飲み歩きにおいては、味覚批評以前に、自らの、飲食そのものや飲食店との付き合い方、酒や料理との付き合い方が、もっと探求されてよいと思う。たとえば、やはりザ大衆食のサイトからリンクの、『酒場百選』(ちくま文庫)の著者、浜田信郎さんの有名ブログ「居酒屋礼賛」などは、味覚批評はあっても極めて大雑把で、むしろ付き合い方の楽しみの探求が魅力だろうと思う。

ま、もちろん、これにはいろいろな傾向があって、当ブログのご常連の吸うさんの「駄目ブログ」もそうだし、ほかにもありますが。

だが、そうではない、ブームを追いかけ何を意図しているかわからないものも、けっこうある。食べ飲み歩いた飲食店の数を誇りたいのか、味覚を大げさに表現し味覚の王者になりたいのか、ペダンチックな知識をひけらかしたいのか、ただただ昭和だ下町だ懐かしいコリャサッサてな騒ぎをしたいのか、なにか書くことで文筆家や文化人を気どりたいのか、はたまたようするに売れればよいのか……。

そういう方向へいくのは、自らの在り方を考える必要がなく安直にできるからなんだろうし、ブームというのは安直じゃなきゃ大勢さんが参加するブームにならないからな。

れれれれれ、また、テーマと話がちがって、余計なことを書いてしまったか。ま、でも、いろいろな飲食に関する書きものを、この書き手は、なにを考えて書いているのかと興味を持つと、なかなかオモシロイ。料理も、そうだなあ。料理人の意図がハッキリしているものもあれば、そうでないものもあるし……。そうだ、とにかく、覚さんは、やはりたいしたものだ。それを云いたかったのだ。

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2006/10/26

いいかげんにしろよ、と云いたくなるなあ

たしかに、よい趣味や見識をもって、食べたり飲んだりのおとなも少なからずいる。

しかし、ちかごろよく見かける、団塊の世代ぐらいのイイとしこいた男たちが、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲み屋を連れ立ってツアーしてまわり、「昭和」や「下町」を懐かしがる、とくに、そうしたブームに乗り遅れまいとジタバタしているような連中、あれは、どうも感心できない。

そういう連中をみかけると、とたんに食べているものも酒もまずくなり、男子が食べ物のうまいまずいを云うなと教えられた「昭和」が、ほんとに懐かしくなる。おれがガキのころの戦後の昭和にも、この教えはまだ残っていたからな。昭和の男ってのはな、たとえば昭和18年生まれのおれだが、ガイドブックのようなものを見て順番に食べ飲み歩くようなことはしなかったぞ。そりゃ、遊びや所用で出かけた先で、さてどこで食べるか飲むかの参考にガイドブックを用いたひともいたようだが、おれのばあいは、そういうこともなかった、出かけた先でテキトウにやる。でたとこ勝負を楽しむのだ。それがフツウだっただろう。

たいがい日常的には、もっと、自分の居場所を大事に飲み食いしたものだ。それが、どうだ、いまは、あっちに安いうまい店がある、こっちに安いうまい店がある、わざわざ出かけて行き、それもツアーなどと称し連れ立って転々とする、なおかつそういう店を知っているぐらいのことを自慢そうにハデハデしくニギニギしくする。ここは右や左の大衆がくつろぐところだ、おめえの縄張りでもなんでもないゾといいたくなることもある。

50過ぎのイイおとながだぞ。ずぶずぶ、そんな昭和だ下町だ安いうまいに溺れて、どうだというのだ。その自分の姿、ほんとに自慢できる姿かい。おれは、どうもみっともないことだ、イイとしの男が誇れる姿じゃないと思う。こういうおれは、よほど昭和な時代遅れのオカシイ男なのだろうか。ま、それならそれでよい。

しかし、なぜ、「昭和」や「下町」が懐かしいという連中が、そのようなことになるのだ。懐かしがるくらいなら、もっと「昭和」や「下町」の男らしく、意地でもハヤリには背をむけるぐらいの気迫をみせてみろってんだ。少なくとも、ちったあ恥じらいをもってやったらどうだ。

ああ、また、云ってしまった。

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大衆食堂の呼称と歴史

拙著『大衆食堂の研究』では、「大衆食堂」という用語を、かなり限定して使っている。つまり、その最初の書き出しが、こうだ……。

 食堂、といっても大衆食堂のことである。
 こうまでことわらなくても、いまでは、「食堂」といえばほとんどが、「大衆的な食堂」という意味での、大衆食堂である。そこで、あえて、東京の大衆食堂については、こういわなくてはならない。
 昭和三〇年代にして一九六〇年代の「たたずまい」をとどめている大衆食堂のことである、と。
 なぜこういう言い方をするのか、しなくてはならないかということは、これからなんとなくわかってくるはずだ。

……引用オワリ。

ワガ体験的「大衆食堂」を書くために、このように限定した。60年代の後半から国民の「中流意識」が盛り上がり、70年代には「市民意識」へ発展もしくは転化する、そのもとの根っこにあった東京の労働者の日常食における食堂を意識していたからで、読んでいただいた方にはわかるだろう。実際、当時の大衆食堂とは、そういうものだったと思っている。東京は、いまでは想像しにくいほど、「京浜工業地帯」という言葉がピッタリな工業社会日本の中心にあって、汗臭い労働者の町だったのだ。

で、『大衆食堂の研究』では、そのセンでの歴史についても少しふれているが、これは「外食文化史」というものからは、ほど遠い。こんど大衆食堂について書く機会があれば、もっと昭和外食文化史のような視点で書いてみたいものだと思っている。

最近ときどき、大衆食堂の歴史について質問されることがあって、上野の聚楽を「元祖」とする説についてであることが多い。ワガ体験的「大衆食堂」からすれば、『大衆食堂の研究』にも書きザ大衆食のサイトにも引用しているが(ザ大衆食「上野駅前上野百貨店の聚楽台と西郷丼」)、それを「元祖」とする考えはない。

まだ、自分でも、外食文化史における大衆食堂の歴史を、どう考えたらよいか確信できる方法もないのだが、ハッキリしていることは、何度も述べているように「大衆食堂」というのは、単なる風俗的な呼称なのだ。だから、かりに、その言葉の始まりという意味での「元祖」はあるかも知れないが、実態としては風俗的な呼称にすぎない。

その呼称の系譜を追っても、遠藤という苗字の元祖はわかっても、遠藤とはどういう人間であるかは明らかにならないように、大衆食堂の「像」は明らかにならない。そして、聚楽は、大衆食堂の呼称の「元祖」でもないし、その前身の須田町食堂は名前が記録に残り有名ではあるが、それをもって当時の大衆食堂を代表あるいは包括させられるだけの内容や勢力を持っていたわけではない。明治期の創業のヤマニバーなど、須田町食堂以外にも、似たような商売の方法をとるところがあって競っていた。それは外食産業史的に見たら、今日のチェーン方式の経営あるいはファミレス的業態の萌芽や先駆とみることはできるかもしれないが、大衆食堂の「元祖」とするには、無理があるように思う。

いまの時点から「大衆食堂」はこういうものだと決め付けてふりかえれば、聚楽や他のどこかの食堂を大衆食堂の「元祖」とできるだろうが、その決め付けの根拠が必要だし、それでも実際には「大衆食堂」は風俗的な呼称にすぎないという事実は消えない。

おれは、いまのところ、当時、その「大衆食堂」という呼称が生まれる時代の人たちが、どういうふうにその実態をみていたかを知ることが、大衆食堂の「像」を明らかにするために必要ではないかと思っている。ようするに、「元祖」を決めたいのか、「像」つまり実態を明らかにしたいかだろう。おれはムリヤリ元祖を決めることには興味がない。

それで、まず「大衆食堂」という呼称が生まれた時代だが、これは割とハッキリしている。「大衆」という言葉が流行する昭和の初め1925年前後から、昭和13年(1938)に東京府料理飲食業組合大衆食堂部がきるまでのあいだと見てよいだろう。(ザ大衆食「食堂の歴史あれこれ」)

ということで、まずは、またもや、きのうから持ち出している『東京食べある記』だが、ここに「「大衆的な食堂」という意味での、大衆食堂」のイメージに近い記述がある。

「簡便な安価な食堂」という見出しで、「東京の食味界で、大衆的に深く強く根を下して、安価第一で繁昌して居るのは、蕎麦屋やすし屋の他に、おでん屋の他に、「食堂」の存在を見のがしてはならなかった。」と書き出す。そして、このように述べる……

 ほんとの大衆的食堂では、東京市営の公衆食堂が市内に十数ヶ所あつて、勤人連の一部や労働者階級のために、無くてはならぬ有用な機関の一つとなつて居た。土橋に近い平民食堂、昌平橋の昌平橋食堂、上野駅に近い栄屋食堂、水道橋の水道橋食堂、牛込の飯田橋食堂、浅草のまこと食堂、深川の伊勢屋食堂、芝の玉川などでは、味噌汁、香の物、御飯で、朝食十銭から十二三銭かで、空腹を充たすことが出来た。この他浅草の田原町には、昔の一ぜん飯屋が進歩した三州屋があったし、四十何軒も同じ名のヤマニバー、本郷バーがあったし、須田町食堂など云ふのも、到る所に看板を見ることが出来た。本郷、ヤマニ、須田町の三食堂が、銀座のセンターにまで進出して、小料理物や洋食や和洋酒を、安価第一主義で提供して居るのも、当節柄としての現象らしかった。
 所謂食堂の食べ物の風味は、第二主義であっても、経済的には第一義的の使命があることを、合点せずには居られなかった。

……引用オワリ(漢字は変換の都合で新漢字にした)

「大衆的食堂」という表現で、著者は新聞記者なだけに、わりと実態を包括的にまとめていると思う。
「バー」とつくのは、かりに和洋中のメニューを扱っていても、いまでいう「洋食屋」の系譜と考えて間違いない。
市営食堂の系譜は、やがて東京府料理飲食業組合大衆食堂部に吸収され、戦時下の外食券食堂、戦後の民生食堂、東京都指定食堂へとつながることは、『大衆食堂の研究』に書いた。この東京都指定食堂は、一時は千数百店あって、戦後の大衆食堂の成り立ちの大きな潮流を担ったといえる。

長くなったので、とりあえず、こんなところで。

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常盤花壇 メモ追加

常盤花壇は上野にあったのだが、Web検索したら、このような記録がみつかった。

黒田清輝記念館サイトの「黒田清輝日記」

【1912.05.18】

 五月十八日 土 晴 風アリ 暑サ加ハル

 午後五時上野常盤花壇栗野 田付兩氏送迎會 午後二時青山北町四丁目高〓寺ニ於テ芳子殿葬儀執行 午前女學部授業

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1912年は明治45年で大正元年。明治天皇が無くなったのは、1912年7月30日だから、この日はまだ明治だ。

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2006/10/25

常盤花壇 メモ

むかし常盤花壇という有名な料亭があった。神戸が発祥というか、とにかく神戸で古くから有名だったようだ。関西の料亭とばかり思い込んでいたが、きょう、松崎天民さんの『東京食べある記』(誠文堂、昭和6年)を見ていたら、ナント、「上方料理」の東京進出に対する「東京料理」の料亭として常盤花壇が登場している。うーむ、チト、興奮。

11ページに「不味いから東京だと云ふのではないが、伊勢虎とか、末よしとか、萬安とか、いけすとか、開華楼とか、一直とか、草津とか、常盤花壇とか、何処かに一つや二つの東京料理としての美味さが、気を吐いてもよいのではあるまいか」と、やや東京の負け犬の風情だ。この常盤花壇は、関西のそれと、どういう関係だったのだろう。

ちなみに、松崎天民さんが『東京食べある記』の前年に同じ出版社から刊行した『京阪食べある記』には、常盤花壇は、このように登場する……

「神戸で第一流の割烹店は何処ですか」と私。
「さうですね。先ず常盤花壇、西の魚善、西常盤、音羽花壇の四軒でせう。中店と云はれる中常盤と吟松とは、前の四軒に次いでの大店ですが、神戸では先づこの六軒でせう」と船橋氏。

……引用オワリ。

都内各地にある「常盤(ときわ)食堂」というのは、いろいろな系譜があるようで、紋もちがったりするが、その一つは、もしかすると常盤花壇の「常盤」と関係あるのではないかと、なんの根拠もなく推測していたが、昭和6年に東京に「常盤花壇」という料亭があったということになると、その推測も現実味をおびるか。でも、単に権威の無断借用にすぎないこともあるからな。とにかく、戦前の昭和の東京に常盤花壇があったというのは、チト気になる。

ついでに、引用に登場の「伊勢虎」の若い末裔には、グウゼン会う機会があって、ザ大衆食のサイトに書いた。この広い東京で、そういうことがあるなんて。いまも元気にしているだろうか。

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ワタクシの泥酔帰宅の謎が解けた?

このブログで何度も書いている。都内からはしょっちゅうだが、故郷の新潟県六日町からも、泥酔状態で上越線に乗って、越後湯沢で新幹線に乗り換え、大宮で京浜東北線に乗り換え北浦和、翌朝目が覚めるまで、まったく記憶がない、ナーンテいう状態が、どうしてありうるのか。

それは、どうやら、こういうことらしい。

以下、Webニュースから。

泥酔無事帰宅の“能力”に脳の神経細胞が寄与

 道順を記憶している脳の神経細胞(ニューロン)があることを、日本大学大学院の泰羅(たいら)雅登教授、米ロチェスター大学の佐藤暢哉・研究員らのチームが突き止め、24日の米科学アカデミー紀要電子版で発表した。

 「酒を飲み過ぎて何も覚えていないが、ちゃんと自宅に帰っていた」などという“能力”も、この神経細胞のお陰らしい。

 泰羅教授らは、人が脳の頭頂葉内側部を損傷すると、知っている場所でも道順がわからなくなることに着目。レバーを操作して画面上の仮想空間を移動できるシステムを使い、ニホンザルに2階建てのビル内を目的の部屋まで移動する訓練を行った。

 道順を覚えた後、脳の働きを調べたところ、ビル内の特定の場所で曲がった時に活動したり、特定の行き先を目指している時だけに活動する神経細胞が、頭頂葉内側部にあることが見つかった。
(読売新聞) - 10月25日12時37分更新

と、書かれているのを読んでも、はあ、道順を記憶しているニューロンですか、ぐらいでよくわからんのだが。このニューロンは、アルコホルには、やられないのかねえ。いいニューロンだねえ。これからも、おれを無事に泥酔帰宅できるよう頼んだよ。


ついでに思い出したので書いておく。

ニューロンといえば、かつて東大教授の甘利俊一さんを、研究室に訪ねて話を聞いたことがあった。甘利さんは、そのスジでは「世界的権威」と聞いていたが、味噌汁が煮立つ様子を例にしての、その説明はとてもよくイメージがわきわかりやすかった。

甘利さんとは、何度かアソビの場面で会った。一度ぐらい酒も飲んだかな?そういうこともあって、気安く研究室を訪ねたのだったと思う。ま、とにかく碁なのだが、当時たしかアマチュア5段ぐらいということだったと記憶しているが、とくに布石がとても変わっていて、おれは初めて見るものだった。見慣れた星の周辺から打つ定石とちがって、安定が悪く頼りなさそうにみえる陣形が、まるでニューロンから出る枝のようにタチマチ繋がっていくので、この方は碁盤を脳細胞に見立てて打っているのだろうかと、おもしろかった。

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2006/10/24

「目上」と「目下」

Webで、このようなニュースを見た。このことについては、まったく不勉強なのだが、感じたことがあるので書いておく。

目上に「ご苦労さま」NG=敬語使用で初のQ&A指針案-文化審

 「目上の人をねぎらう時に『ご苦労さま』はふさわしくない。『お疲れさま』を使いましょう」。文化審議会の国語分科会(阿刀田高会長)は23日、敬語の使用法をQ&A方式で示した指針案をまとめた。一般からの意見も聞いた上、来年2月に文科相に答申する。文化庁は国民向けの初の具体的指針として広く活用を呼び掛ける。
 
(時事通信) - 10月23日20時1分更新

これは、大変オモシロイ問題だと思う。そもそも「目上」と「目下」の基準は、どうなのか、どういうものなのか。飲食店でも、席順をめぐって譲り合う光景は、なかなかオモシロイものがある。

だいたい「日本料理」の伝統は、その料理の内容や盛り付け皿数などには上下の序列があり、むしろ社会における上下の序列を知らしめるものとして、「日本料理」があったといえる。材料となる魚などにまで、それに従って上下の序列があった。

日本の国語における「正しい言葉遣い」は、そのように人間の序列を知らしめるためなのだろうか。これが、それぞれにアレコレ主張しながらの切磋琢磨的文化的成長ならよいが、またぞろ国の「指針」となると、そりゃ、オカシイと思う。「国語」で「言語」を統制するなんて、思考や感情の統制だ。

そういえば、伝統主義の「日本料理」が必ずしも日本の食生活や料理を包括しえていないように、日本の言語の伝統だという「国語」は、必ずしも日本の言語を包括しえていない。

実際の言語生活においては、たとえば、某大会社の下請けの会社の社長は、いつも酔うとおれに、その某大会社の部長と社長である自分とでは、どちらが「偉い」のかという質問をしたのだが、そのように気にする社長は、接待の場では部長を上席に座らせながら、わざと見下したような会話で対応するのだった。

それは、そもそも、「目下」と「目上」の「国語」がもたらす、「言語生活」=「言葉と会話の生活」の不便であり理不尽なのではないだろうか。すくなくとも、何度かそういう場面にいたおれは、そのように思った。

およそ、生活における礼儀と目上目下関係は、ちがう次元のものだと思う。礼儀があれば、目上目下などは、かえってわずらわしいだけだ。だが、目上目下関係をハッキリさせることが礼儀だと考える国語や文学が存在する。礼儀が失われるほど、そういう短絡した主張がはびこり、さらにまた礼儀を欠き、その場その場の上下関係だけを気にする悪循環に陥る。

大切なのは、お互いの人間としての礼儀ではないだろうか。そこに立ち返ることだ。目上目下の関係を基準にすることは、そこからまた遠ざかることになるだろう。

ようするに「国語」は、「日本料理」のように、生活を包括するものではない。それをこそ問題にすべきじゃないか。その「国語」における「文学」もまたそうで、たとえば多く読書し文学を鑑賞するものが、このことに、どのような反応をしているか、その反応、その無関心ていどでもわかる。そもそも、この国語分科会の会長は作家の阿刀田高さんだしな。

こういう議論になるのも、生活から遊離したというか観念の虜になった「国語」と「文学」の結果なのだろう。
食や食育基本法をめぐる議論と、どこか似ている。
国民の心身を統制しようという志向の強まりだろうか。

料理は、言語生活の表現でもあるという考えは、まだ一般的ではないが、実態としては、そうなのだ。

そういや、偉そうな板前と偉そうなグルメとでは、どっちが目上で目下なのだろうか。

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2006/10/23

一箱古本市、新宿古書展、言水制作室

きのう。谷中の「一箱古本市」で一箱売り子店主をやっているハズの「漫画屋」塩山芳明編集長を訪ね、「あんたもついに南陀楼綾繁猿回しのサルになって柄でもないことやっているな」と冷やかし、のち神田駿河台下の古書会館で開催中の「新宿古書展」に顔を出し「古書現世」のセドローくんこと向井透史さんに「どうせおれが買えるような安い古本は売ってないだろう」と悪態をつき、のち神保町の言水制作室へいって言水ヘリオさんとこころ安らかに酒を飲みながら同室で開催中の「加藤陽子「ただひとつ」展」を見よう、というイメージで家を出る。

日暮里駅をおりて、夕焼けだんだん谷中銀座のとおりに入ったころに空模様があやしくなる、まるふじ呉服店の前で汚い箱を前に乞食のようなものたち数人がしゃがんで、そのなかでイチバンくすんで貧乏くさい塩の字、なにやら真剣な顔で本を抱え込んではペンを動かしている、本が売れないものだから値下げ値段の書き込みをしているらしい、おれが近づいても気がつかない真剣そのもの、客の気配を察知し顔をあげ愛想笑いする余裕もなさそうだ、こいつは他のものたちが遊びでやっていることを本気になって一円でも多く儲けたいと思ってやる貧乏性なのだなあ、その姿を見ていたら哀れで考えていた冷やかしをいう気もなくなり、せっかくの日曜日に群馬の山奥から(前日に出て来て会社に泊まりこんで)猿回しのサルをやりにきた塩の字が可愛そうで、哀れ哀れツイ一冊買ってしまう。これが、とんだ災難だった。

ついでに、ほかの箱をみようかと、もらった地図を手に歩いたが、おれのアタマではなく地図の描き方が悪くてカンチガイ反対方向へ歩いているのに気づく、ひきかえしたが雨がポツリあたりだしメンドウなので、そのまま日暮里駅にむかってもどり、夕焼けだんだんのとこの酒屋にはいり言水さんと飲む酒を、種類が多いのでアレコレ迷ったすえ、飲んだことがない知らない「雪の松島」ひやおろし4合瓶を一本買う。

その袋をぶらさげて、御茶ノ水駅から駿河台下へ下るうち腹が減ったので「富士そば」でコロッケ&温泉たまごそばをたべ、外へ出ると雨が少しイヤなかんじに降り出す、古書会館地下の新宿古書展会場、入口の荷物をあずけるところで作業中のセドローくんにごあいさつ、酒瓶をあずけながら「どうせおれが買えるような本はないとおもうけど」セドローくんは「またブログに悪口を書くんでしょう」……と、背中を丸めて作業中の男が振り向き声をかけてきたのは立石の立石書店の牛イチローくんこと岡島一郎さん、あれっ新宿古書展なのにどうして立石の牛イチローくんなのと思いながら、会場に入り棚を見はじめると欲しい本がある、どうせ高いのだろうと思って手にとってみると300円だ、えっそれじゃあと気になる本の値段を見ると、おれは高い本を選ぶクセがついてないのか、みなそれぐらい、なかには200円のものもあった、なーんだ安い本もあるのかと、安くたってカネはとられるのだが得した気になって数冊買ってしまう、荷物をあずけたところで酒瓶を受け取るときセドローくんに「けっこう買っていただいちゃって」といわれる、いやあははは商売人はやはり買いたくなるものを出せるカネの値段ぐらいで置いとくもんだな、そこへいくとあの「一箱古本市」では塩の字にご祝儀をやりすぎたかと思いながら外へ出るとドシャぶりだ。

濡れながら歩き、しょうがないビニール傘を売っているとこを見つけ買う、ほんとうは「書肆アクセス」にもチョイ顔だすつもりだったがやめ、言水制作室へ。

ここの建物は入口から木の階段で、いいかんじだねえ、おれが1960年代前半に短期アルバイトしていた御徒町の裏通りあたりにあった、木造アパートのような事務所と造りがおなじだ、ここに来るたびにあそこを思い出すよ、なにせ各部屋の出入り口は木の引き戸だし、おこんばんワ、先客の女性一名、言水さんに酒を差し出す、言水さんは飲むこと食べることが好きなのだ、さっそく封を開け、茶碗に注ぐ、女性と初対面のごあいさつ、広田美穂さんとおっしゃる美術家のかたで、言水さんもそうだが、おれの故郷(今日は中越地震2周年)のご近所の津南町で開催の「大地の美術展」だったかな?正確な名前を忘れたが、それにも関係しあのへんをご存知なので、話は一気に雪国の話題へ、それからアレコレ茶碗酒を飲みながら、もちろん狭い言水制作室の壁にかけられた加藤陽子さんの絵も鑑賞しつつ、これは以前にも見たことがある作家さんだ、そのあいだに2、3人入ってきて見て帰るひとあり、加藤さん一足お先にお帰り、やがて4合瓶も飲みつくしそれではまた飲み鑑賞にまいります。

そうそう、来月11月10日から12月2日、この言水制作室と、ご近所の「書肆アクセス」と「かげろう文庫」を会場に、利根川友理展があるのだ。作品が本に関係することもあって、言水制作室だけじゃなく、書店も会場にする新しい試みだそうで、なんだかまたおもしろい展開になりそう。

ああ、それで、だからきのうはそれほど遅くならずに酔わずに帰り着き、買った古本をだしてパラパラみたら、なんじゃあ、このオ、塩の字に500円も出して買った根本敬『因果鉄道の旅』、なんだコノヤロウ、ねずみが齧ったあとにションベンだらけだ、ほんとうにもう群馬の水呑百姓が気どった谷中文化人の仲間になって「一箱古本市」なんてのをやるとロクなことしない、しかし、おれも、あの塩の字から買うのだから、もっと注意すべきだったが、なにしろ老眼を細めて値段を書きかえている姿をみたら哀れをもよおしてしまってなあ、しまったことをした、やはりあいつは、どんなことがあっても気を許してはならない、というのが本日の教訓でした。

なんだね、近々ここに詳しく書きたいと思っているのだが、その漫画屋から、このあいだ鬼畜SMコミック「Mate」12月号がおくられてきて、例の南陀楼綾繁さんの「活字本でも読んでみっか?」だが、今回は、めったに「絶賛」という言葉をつかわないおれが絶賛したいぐらいよかった。ま、おれが絶賛するということは、世間のブンガクモノたちには評価されないという関係もあるようだが、おれは気に入ったのだ、まさにこれが南陀楼綾繁を蹴れば出てくる泉の力だね、取りあげている本は嵐山光三郎『昭和出版残侠伝』、この本は買って読む必要はないが、南陀楼ファンは漫画屋に「Mate」12月号を注文しごらんあれ、そんなやつはいねえだろうが。

漫画屋サイト……クリック地獄

古書現世セドローくんのブログ……クリック地獄

言水制作室サイト……クリック地獄

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2006/10/22

「現代用語の基礎知識2007」は11月2日発売

現代用語の基礎知識の綴じ込み付録「生活スタイル事典」で、「さまざまな食育カタログ」ってのを書いた。それが、11月2日発売だそうだ。

これは知り合いの季節労働者、柳瀬徹さんが編集を担当されているのだが、このブログで書きなぐっている、右サイドバー「カテゴリー」の「食育・健康・栄養グダグダ」にあるような「食育」に関するアレコレをご覧いただき、おもしろそう~と興味を持っていただいたのがキッカケだった。

すでに食育基本法は施行されているし、用語の解説をしながらなので、あたまから「食育はんた~い」というわけにもいかない。2ページにおさまる字数の制限のなかで、食育基本法や食育推進基本計画による「食育」がどういうものか、その歴史的背景までを知りうるという、欲張った前提で用語を選んで書く作業は、なかなかめんどうだったけどおもしろかった。

掲載の用語は、以下のとおり。

感謝の念
食育推進会議
食育推進基本計画
食育月間と食育の日
食育推進担当ホームページ
栄養教諭
食事バランスガイド
内臓脂肪症候群(メタボリックシンドローム)
食育推進の目標
食育推進の主体
食育マーケティング
モスの食育プログラム
食育学会
食の乱れ
「子供がキレるのは食生活が原因」
食糧自給率
日本型食生活
フライパン運動
食に関する指導
村井弦斎「食道楽」
食育の背景と経緯―「食育基本法案」に関連して
砂田登志子
江原恵

以上。

うふふふ、最後を江原恵で締めるところが、おれの「芸」ですね。
時間がなくて、しかもおれはザル目なのに、最後は直しが多いなか責了になってしまったので単純ミスがないかシンパイ。

でも、まあ、ごらんください。きっと、おもしろく役に立ちまする。よろしく~。

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こういう展開って、おもしろいね

ま、退屈男さんのとこでも「ブログの醍醐味」ってのを書いていて、それぞれの「わくわく」があると思うけど。

さきほど検索で見つけたホヤホヤは、このブログにおれが書きなぐったことを引用するだけじゃなく、ご自分の関心というかフィールドで、さらに展開しアレコレ思考されている。おもしろいねえ~。面白いのでコメントを残してきてしまった。

「ぽかぁんとしてしまうこと-わくわくして聞く」…クリック地獄

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2006/10/21

よろよろと、きのうも王子で

午後4時半、近藤さんと王子駅で待ち合わせ。これは一月ぐらい前から決まっていたことで、たまたま前夜のなりゆきの王子があって、二夜連続ということになった。

王子駅の売店でソルマックを飲んで、準備をととのえる。コンドウさんあらわれ山田屋へ。腹がすいていたので用心のため、半熟たまごを先にやる。そばが入っているやつだ。ハムカツにポテトサラダ、二人で中生二杯ずつ飲んで、そして高千代辛口の四合瓶を一本とってしまう。ここは高千代があるから、うれしいねえ。

サバの干物をつつきながらの高千代、うめえ。新潟でイチバン古いのではないかという酒蔵が廃業したモンダイにつき、あれこれ、自棄酒マンさんのサイトで個性を発揮していた千葉の酒蔵につき、あれこれ、四合瓶1000円以下良酒マーケットにつき、あれこれ……あれこれあれこれ、あれあれ、高千代辛口の4号瓶が、あっという間に空いてしまう。

オヤジ、勘定してよ。おやじパチパチ算盤をはじいて、「はい3000円」「えっ、やすいなあ、まちがっていない?」おやじはテーブルの上を見渡して、あれっ一つ落ちていたかともう一度そろばんをはじくが、けっきょく3210円だ、ほんとやすいねえ。

それじゃあ、つぎへ、柳小路の福助だよ。今日は妹の愛ちゃん婆も出勤の日だから、のれんが出ている。おこんばんワ、また来ちゃいましたよ。あ~ら、いらっしゃい、ってなことで、ほかに客はなく、85歳アグリ婆も含め4人で、ぎゃあぎゃあわあわ盛り上がり、じゃあ、またね~。

ということで、つぎは、さくら新道のリーベと決まってらあ。コンドウさんは8月に鼻腔の狭いところを拡げる手術をしたのだが、その入院前に、これでもしかするとお別れになるかも知れないと王子で飲んだとき、やはり山田屋→福助とまわり、リーベにたどりついた。そのときリーベのマスターも若いときおなじ手術をしたとのことで、「はやく手術をしたほうが、人生かわったようにスッキリするからいいよ」といわれたのだった。それでまあ、術後の報告もあって、といっても、そんなことなくたって行くのだが、おこばんワ。おや、いらっしゃい。

やはりまた、ハイボールをもらおう。じゃあ、一本入れたほうが得だよ、きのう入れたほうがよかったけど言い忘れてしまって、とマスター。そういえば、きのうは、ハイボールをたくさん飲んだ。ここはたしか、角ボトルが一本5000円無期限キープだったはずだから、飲兵衛は一本入れてしまったほうがお得なのだ。それじゃあ、一本お願いね。途中でコンドウさんは吸うさんに電話するが出ない。コンドウさんは入院断酒で、酔いやすくなったという。しだいに宵も酔いも深まり、おれはきのうに続きだから、もうよれよれ、もう一軒という元気もなく、二人でもうろうと王子の駅で別れる。たぶん、そうだったと思う。

古書上々堂さんのブログに「王子・さくら新道」(05年6月28日)があって、最後にこう述べている「荷風ファンや、滝田ゆうファンには必見の場所だ。ただ、入り口の戸が擦りガラスになっている店が多い為、入るのには相当度胸がいる。 」

最近は沖縄料理の「あんでぃら」など、外から中が見える店もあって、混雑している。リーベのママさんは、大正最後生まれの80歳で、この通り最古参の現役ママさんだから、ここで話を聞くと、だいたいほかの店の様子もわかる。ただし、近年ハヤリの、うまいものよいもの食べ歩き飲み歩きの感覚で行くところではない。では、なぜ?なんのために? いやいや、イチイチ、なぜ?なんのために?と目的性や生産性で評価するクセを捨てにいくところなのですね。柳小路の福助もおなじ。

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2006/10/20

赤羽・竹山食堂のち王子・福助とリーベのち東十条・みとめ

きのうのこと。かつてのシゴト仲間ゴロが80年前後に通った食堂へ行こうというので、赤羽で待ち合わせ。「竹山食堂」というところ。詳しくは後日、ザ大衆食のサイトに掲載する。

ゴロと会うのは数年ぶりなので、ゆっくりタップリ飲む予定だったが、ビールを2本あけたあたりで「おれ、用ができた、すまん」と去って行く。むかしから腰の落ち着かないやつだったが、あいかわらずだ。これからイクというところで放りだれたかんじ。

もの足りない気分で、たぶん近所で飲んでいるんじゃないかと思い、吸うさんに電話。まだ赤坂で仕事中だが、8時には終るという。

ならばそれまで、と、王子は柳小路の「福助」へ。とにかく、王子に着いたら、アグリ婆さんがちゃんと生きているかどうかチェックしなくてはならない。のれんは出てなかったが、婆さんが腰がまがってのれんをかけられないだけで、妹の愛ちゃん婆が来る日はのれんが下がっている。婆さんは戸を少し開け、一人ポツンとカウンターにすわってテレビを見ていた。

行くたびにトシを確認するが85歳。行くたびに、好きなビールを飲めるうちは死にはしないと、おなじセリフをはき、ビールをさしつさされつ。男性客が一人入ってきたところで、ちょうど時間となりました。王子駅で吸うさんに電話すると、8時半ごろに着くという。じゃあ、さくら新道のリーベで、とお決まりのコースだ。

マスターとオシャベリしながらハイボールを飲んでいると、80歳婆のママが出て来て、昨今の王子事情を猛烈な勢いでシャベる。またぞろ役人どもが悪事をたくらんでいるようだ。しかし、元気だなあ、ほんとうに80かいと、いつものセリフをはく。吸うさんあらわれて、よそへ行こうとするが、離してくれない。と、ななんと、ミウラさんあらわれる。やあやあ、ひさしぶりです。

ミウラさんは、10年前ぐらいに、おれが「散歩の達人」の取材の下見と申し込みのために、初めてリーベに入ったときにいたご常連だ。それから何度か一緒に飲んで終電で帰った。

ま、それこれアレコレ、話の区切りをつけ、吸うさんと出て、東十条の「みとめ」へ。ホッピーのあと、みとめのおばさんが「長野の篠ノ井の酒だよ、篠ノ井は水がよいからね」とオススメの清酒「信濃光」を燗で飲んで、いい気分に。泥酔一歩手前で帰宅。

吸うさんのブログ10月19日に、写真あり……クリック地獄

前回の福助とリーベ……クリック地獄

その前、「王子、柳小路とさくら新道」……クリック地獄

隣接して飛鳥山公園や都電荒川線もあるし、さくら新道を「昭和飲み横遺跡公園」にでもして残しましょうね。昼も茶店や駄菓子屋のような営業もするようにしたりとかさ。

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2006/10/19

茶漬と汁かけめし、そして即席飯

『旅ゆけば 小沢昭一的こころ』(小沢昭一・宮腰太郎、新潮文庫)を読んでいたら、「信州信濃、お湯にひかれて善光寺詣り」に、善光寺門前の院坊の一つ「兄部坊(このこんぼう)」で、「茶漬」を食べる場面があった。

十数品の料理がでて、「さて最後は、白いゴハンに、大根おろし、刻みゼリ、ユズ、白ゴマ、カヤの実をのせ、椎茸と昆布と大豆のダシをかけたという、ま、精進料理のお茶漬けが出てまいりまして、まこと、微妙な味わい。」というぐあいで、「うまいんですねェ、もう動けないぐらいうまいんでありまして、こんなゼイタクしてよろしいんでしょうか。」と。

『汁かけめし快食學』にも、辻嘉一大先生御大家のオコトバなども引用しながら、茶漬と汁かけめしのちがいについて書いたが、小沢さんが食べたのは「茶漬」ではなくて「汁かけめし」だ。たぶん、この寺の精進料理でも、「茶漬」とよんでいるのだろう。

数日前、ウチのテーブルのうえに、永谷園のカップ食品が転がっているので、見たら「とんこつ茶づけ」という商品名だ。めしもついているやつ。しかし、これも原理的には、お茶をかけるのではなく、湯をかけるのだけども、とんこつダシの粉末をかけて湯をかける、つまりダシ汁をかけたのとおなじだから、手づくりするなら汁かけめしの調理法になる。

で、ふと考えたのだが、『汁かけめし快食學』では、茶漬と汁かけめしのちがいを整理はしたのだが、これは「伝来」したといわれるカレーライスと「国民食」といわれるほど普及したカレーライスの調理のちがいを解明するほうにネライがあったので、ナゼこうも汁かけめしが茶漬とよばれるようになったのかについて、あまり考えてこなかったなあと思った。

ま、そういうこと。

テーブルのうえに転がっていた、永谷園「とんこつ茶づけ」は同居ツマが買ってきたもので、そういうものを黙ってたべると、激しく怒られることがあるのだが、とくに明星チャルメラなどは激しい奪いあいになったりするのだが、というのも、こういうものが無闇にたべたくなることがあるのだ。しかし、今回のこれはもしかすると、かようなものが売られているぞ、たべて勉強せよという意味かと思ってたべてみた。ま、ようするに、永谷園のインスタント食品の味だった。これは、汁かけめしでも茶漬でもなく、それ風の新しい即席飯なのだ。

そりゃそうと、「椎茸と昆布と大豆のダシ」というのは、珍しいね。そういえば、むかし、大豆を炒ってダシをとることをしていたように思い出したが、炒ったあとどうしたか見た覚えがない。

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2006/10/18

司馬遼太郎と池波正太郎の違い

気になることがあって、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 9』(朝日文芸文庫)に収録の「潟のみち」を読んだ。

「農業というのは、日本のある地方にとっては死物狂いの仕事であったように思える。」で、はじまるやつだ。新潟県の、いまでは新潟市か周辺の市にのみこまれたしまった亀田郷と、その上流奥地を旅している。

気になっていたことは、かなりわかったが、別に気になることができてしまった。司馬さんは、食料としての食べ物に関心を示しているだけで、味覚としての食べ物には、あまり関心を示していない。

もちろん、テーマが味覚とは関係ないのだが、それにしても、日本有数の穀倉地帯で、「越の寒梅」の蔵元がある地方で、海のものも畑のものも山のものも、新鮮なものが豊富な地域を旅しているのだ。

約100ページの文章のうち、わずかに、ここだけ味覚としての食べ物にふれている。……「いろりのある部屋に招じられ、お茶がわりだということで、野菜のみそ煮のふるまいをうけた。やがてたくあんの鉢もまわってきたし、握り飯を盛った大鉢もまわってきた。」……それを「お口に合いますかどうか」といってだされ食べたら……「お口に合うどころではなかった。ひさしぶりにうまいものを食った感じで、汁などは何度もおかわりした。たくあんもうまかった。」

おれが、あの地帯をイメージし過剰な期待をして読むのがいけないのかも知れないが、その汁の具はなんだったのだっ、どんな味だったのだっ、ほかにも道中なにか食わなかったのかっ、酒は飲まなかったのかっ、といいたくなるぐらい書かれてない。んで、ふと、池波正太郎さんなら、もっとちがっただろうなと思った。

これは単に「芸風」のちがいなのか? 司馬遼太郎さんも池波正太郎さんも、おなじ1923年生まれ。おなじように軍国の時代を生き、男子厨房に入るべからず、男子が食べ物のうまいまずいを口にするものじゃない、という時代を生きている。どこから、こういうふうにちがっちゃったのか。

でも、それだけに、司馬さんの「ひさしぶりにうまいものを食った感じで、汁などは何度もおかわりした。たくあんもうまかった。」というウンチクぬきの表現は、じつにうまそうだし、「おいしい」とか「いただいた」という言葉をつかわずに、ズバリなかんじで、これはこれで、これらの料理にもふさわしいかんじがした。

こういう文章を読むと、池波正太郎さんは、チト東京者の通ぶった饒舌が過多かという気がしないでもない。ま、でも、それが読者サービスなのかも。

しかし、両極端だよなあ。

ともあれ、この掌編で司馬遼太郎さんがえぐりだした、日本の土地農業問題を、「食育」バンザイ推進論者に、ゼヒ読んでほしいものだ。それに、東京の再開発問題の根幹にもかかわるな。強大な中央集権下で、東京=中央のノホホン繁栄のために地方や農業が犠牲になる困難は、まあしばらくは続くわけだ。

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2006/10/17

「カネとバツ」では何も残らない

先月発売の号で、すでに連載は終っているが、『食品商業』11月号が届いた。編集後記に、連載の担当編集者だった近藤さんが広告部門へ異動するあいさつがあった。連載におれを登場させてバツをくらったと書いてある……いやははは、もちろんウソ。異動は、ほんと。

とくに業界誌は、広告営業の体験がものをいう。小さい会社だと編集と広告の業務を一緒にやらなくてはならないが、少し大きくなると部門が別になり、異動がつきまとう。ま、上手な編集者は、広告営業も上手だから、異動しながら、肩書に「長」のつく位置へ昇っていくのだな。

それはともかく、山本恭広編集長の巻頭メッセージを読んで思い出したことがある。山本編集長は、宮城のウジエスーパー氏家良典社長の言葉を引用している。「経営陣はもちろん、店のスタッフもいずれはいなくなる。ただし、店は残る。そこでのびのび働く人材(または育つ環境)を残すのが仕事」「売上げ、利益を上げることが目的となってしまうと、その売上げは脆弱なものになる。完全な基本動作をもとにしたプロセスによりつくられた売上げは磐石なものになる」

このあいだ、シンクタンク系の研究社員で流通業を対象にしている人と会う機会があった。そのとき話題になったのは、トウゼン、なかなか再建がうまくすすまない某巨大スーパーのことだ。「あれだけ店舗をつくって、売上げをあげても、カネ以外の企業文化が育ってなかったからなあ」「けっきょくね、ダメになって建て直そうというときにハッキリするのだけど、企業は人材なんだよね。人間を育てる企業文化がなかったところは、難しいよ、経営陣に誰が入っても苦労するよ」「あそこは、一円でも安く仕入れて一円でも高く売ればよいという、わかりやすい計算を苛烈にやれる人間しか残っていないでしょう」「系列のコンビニでは、一円やゼロ円で納入させるなんていうジケンもあったし。まっとうな人は逃げ出したでしょう」「ま、なかにはね、個々人はいいひとでも、組織文化がね、ないというか、カネだけだったというか」「どう売上げ、どう利益をだすかの、「どう」の文化がなくてカネの計算だけだった」「人間をカネでしかみてこなかったということですよ、それじゃあ、マンパワーは発揮されませんよ」

かつて、この某巨大スーパーの鼻息が荒く、手当たりしだいといってよいほど地方出店をやっていたころ、おれは、その進出を迎え撃つローカルスーパー側の仕事をしていて、当時のやり口はよく知っていた。

山本編集長は、「どのような競争環境にあっても、人の働きぶりが小売業の成果を左右する」と述べているが、確かにそうで、大きな資本力のあるところが勝つとは限らず、実際おれが仕事をしたローカルスーパーは生き残り、進出したほうは撤退した。

しかし、山本編集長によれば、「1524社で233億円。先に厚生労働省が発表した2005年度のサービス残業割増支払い企業数と金額だ。金額では「製造業」がトップだが、企業数では「商業」が上回る」

この数字は、実際は、もっと巨額だろう。最近では、「偽装請負」が問題になった。「小泉丸投げ」政治の成果だ。ようするに、この10数年というもの、人間の育成はもとより、企業文化の育成や、「のびのび働く人材(または育つ環境)を残す」ことにカネもアタマもつかってこなかったところが、たくさんあるのだ。不法脱法反則あらゆるテをつかって(そういうとことにだけはアタマをつかい)、払われるべき正当な労賃も払われずに、ミスがあればクビ。

10月8日の「「文化」と「経済」」にも書いたが、「「カネとバツ」でなんとかなる」という、国全体が、すでに崩壊した某巨大スーパーのような体制を追ってきた。こういう体制下で、食品は生産され流通してきた。

で、山本編集長は最後に、こう言う。「まず、従業員を大切にしよう。そうすれば、従業員はお客を大切にする。改めて強調したい」

人間を売上げや利益、カネでしか計算しないことを、もう10数年も続けてきた。人間関係を拡げるような交流会や懇親会、さまざまな文化的な活動は、販促的な人間関係をつくることに利用されるのがフツウになった。筋肉は一日でも使わないと弱るが、動脈硬化したカネ計算の一方に、10数年も使わないできた脳の筋肉が、ウジャウジャはびこっている。「食育」より、それをなんとかしなきゃあ、穴の開いたバケツで水を汲むようなものだ。

以前に、よく組んで仕事をしたコンサルタントが、クライアントの研修のたびにしていた話は、比喩がうまかったからいまでも覚えている。「売上げや利益は、重箱の隅なんですよ。重箱の隅はね、三つの面があわさってできるのですよ。その面のことを考えないで、隅ばかり気にして突っついても、うまくいきませんよ」その面とは、人間であり環境であり、とか、そういう話。

まず、人間を大切にする脳の筋肉を鍛えよう。そうすれば、人間は人間を大切にし、人間のイノチのもとである食べ物も大切にするようになる。改めて強調したい。……と、今日は、山本編集長から頂きでした。

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2006/10/16

菊の酢の物

Sunomono_kiku12日の万盛庵では、菊の酢の物をドカッと食べた。いまが盛り。数年前に六日町の西の山のほうを散歩していて撮影した畑の画像もあるはずだが、みつからない。

これは、ガキのころ、納得できなかった味覚の一つだ。ガキのころには、どんぶり鉢いっぱいの菊の酢の物や味噌和えやゴマ和えが、よくおかずに出たが、どうも納得できない、ムリヤリ食わされたという印象しかなかった。

いまとなれば、これはガキがうまがるような味ではないように思う。かむほどにでる微妙な甘味と苦味、ショリショリ感、めしのおかずというより、酒のつまみだ。これで、やはり、清酒だね。

であるので、おれにとっては、これは「郷愁の味覚」というより、いまの「大人の味覚」なのだ。

あてにならないウィキペディア(Wikipedia)の「食用菊」…クリック地獄

「もってのほか」という名前なのか?…クリック地獄

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なにが「重要なこと」なのか

どうもね、先月63歳になってね、だからっていうわけなのか、以前は酔ってもパソコンにむかって、ブログなんていうクダラナイものを書いたりしたが、ちかごろは酔うと眠くなってパソコンに向う気もしない。

しか~し、今夜は、ちがうのだ。といっても、一日とばして今日になってしまったが、いつだって今日は今日だ。

ま、もうおれのトシになれば、ブログなんか重要なことじゃない、酔ったら寝る、これが重要なのだ。ああ、そうだなあ、12日の夜、万盛庵で飲んだ同期生の約10人ぐらいのうち、ブログなんかやっているやつは、一人もいな~い。インターネットをのぞいたりしているのが、やっと二人ぐらい、いたか。そして飲んで酔って、タブン、こんなとりとめのない話をしているのだった。

新潟県の最低賃金だと、時給は○百○十円じゃなきゃいけないが、あそこは幾らだ、だども一日三時間でもいいから仕事してカネもらえればありがたいこと、定年退職して家で邪魔者あつかいになっていても生きているだけでカネがかかるよ、ウンコだってタダじゃもっていってくれないぜ、だけどさヒマワリやコスモスは、ただ種をまけばよいんじゃないよ、土をな、こうしてこしらえなきゃだめなんだゾ、あの国道バイパス計画は馬鹿げている無駄づかいだ、税金つぎこんで買収して田んぼつぶして、交通量が予測ほどには伸びないからと、そんなことは誰だって知っていたことなのに、道路幅を縮小して工事をしているが、縮小して道路わきにあまった分を、いらなくなりましたからと元の持主に返すことはできない、それが道路のわきに細長く余ってしまっているんだよ、あんな計画より、いまの国道沿いの家を移動して拡張した方がズッと安くうまくできたのに、国の役人なんか何年かいて成績だけ上げてよそへ行ってしまうのだから後のことは知ったことじゃないのさ、そういう役人の言うことをありがたがっているおかしいやつもいる、もっと役人をこきつかうつもりじゃねえと、うまくいかんて、けっきょくさ、おれたちは狭い地域で、おなじ財布で生きているんだからさ、だから人の財布の中身もわかってああだこうだいうけど、おなじ財布で生きているんだからさ、まあ、こすく、だけど悪いことはしないようにやろうさ、だいたいね男衆はもう10年のうちにかなり死ぬよ、それを越えると80ぐらいまではいくようだが、まあ、たいがい平均あと10年だ、おもしろく生きて死ねそうだという見通しがたったかな……

とかね、地元の言葉でワイワイやっていたなあ。おれを除いて、みな故郷の田舎町で生きてきた連中だが、かつても、いまはもっと、東京との格差が激しい田舎町で生き抜くのは、なかなか大変なことだ。とりとめのない仔細な話も、その暮らしにとっては重要なことばかりのような気がした。

「重要なことは省き、仔細なことを残す」だったかな? 南陀楼綾繁さんの『路上派遊書日記』の最後のほうに、南陀楼さんよりは有名だと思われる作家の引用があったけど、その作家は「重要なこと」と「仔細なこと」の区別を、どうつけているのかなあ。と、その騒々しい酔いのなかで思った気がする……。

酔ったが、忘れないうちに書いておく。ああ、もう、眠い~よ~ぐへへへへへ

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2006/10/14

新宿・万盛庵・魚野川連日連夜の泥酔ふわふわ

0610muikamachi111日の夜、タカスさんが馬肉の燻製「さいぼし」をくださるというので新宿で待ち合わせ。ひさしぶりに南口の「串元」、中央口の「キャット」、歌舞伎町の「フロイデ」をはしご。いずれも70年代はじめごろからよく通っていた店で、内装もあのころのまま。翌日は故郷の六日町へ行って飲む予定なので、控え目にしておこうと思いながら、懐かしさも手伝って、どんどん飲んでしまう。泥酔帰宅。

12日朝起きると身体に酒が残っている。中学の同級生のクボシュンこと久保田俊介さんに電話すると、「おい、声に張りがないぞ」「あははは、わかるか。じつは二日酔い。いまからそっちへ行くよ」。ホテル宮又にも電話し予約。大宮から上越新幹線「たにがわ」越後湯沢行きに乗る。六日町駅に着いてクボシュンさんに電話するとクルマで迎えに来てくれて、クボシュンさんの家で夕方までアレコレおしゃべり。

夜6時ごろから、万盛庵に六日町中学の同期生たち10名ばかりが集まり、ガンガン飲む。ナカジマモリオさん、トダトウイチさんとは、40年ぶり、いや50年ぶりぐらいか。万盛庵解散後、モリオにタクシーで拉致され、もう一軒。ドップリ飲んで、ふらふらで宮又にもどり、それでも温泉に入って寝た記憶あり。

翌朝13日、8時におこされ、二日酔いだがめしを二杯食べ、よれよれふわふわの身体をひきずって六日町駅にたどりつくと、バス停に八海山スキー場行きのバスが止まっている。なんとなくもうろうと乗ってしまう。終点でおりると、ロープウエイで4合目まで行けるという。じゃあ行ってみるかと、乗る。おお、なかなかよい景色ではないか、でも、頭も身体も重い。展望台のベンチで寝る。ウトウトして目が覚め、少し腹もすいてきた気分なので、またロープウエイに乗って下る。うまいぐあいに30分ほど待って、六日町行きのバスがある。

六日町駅に着いて、はてどこで何を食べるかと考えていたら、堀の内の覚張(がくはり)さんの店「魚野川」を思いつく。覚張さんとは、数年前に高千代酒造のファンの集いで出会い、毎年そこで会っている。というのも彼はそこで料理をつくり蕎麦を打つ料理人なのだ。今年の春も、その帰りに万盛庵で一緒に泥酔した。中越地震の断層の上に店も実家もあって、どちらも全壊から再建して間もない。おかげで、借金とウツを抱えたと、ご本人は申している。

ヨシッ、とにかくよい機会だ行ってみよう。しかし場所がうろおぼえだ。はて、どこの駅でおりたらよいのか、たしか電車から見えるはずだからと、上越線の下り長岡行きに乗る。北堀の内駅をすぎたあたりで17号線沿いに店が見えた。次の越後川口駅でおりて、タクシーでもどる。

覚さんに大歓迎していただいた。緑川の純米酒4号瓶をサービスしていただき、どうもありがとうございます。覚さんが採ってきたキノコの天ぷら、自慢の釜焼きピザ、珍しい川蟹……とにかく、まだ営業中は飲めないからと水でお相手の覚さんとアレコレ話しながら飲む。詳しくは、また後日に書く、ツモリ。

4時近く、北堀の内駅で上り電車に乗る。酔いでふわふわする頭でぼんやり外を見ていたら、気になることを思いつき、もう一度六日町でおりる。夕暮から、すっかり日が落ちて暗くなった町中をウロウロ、気になっていたことを確認する。駅前の大阪屋で、ラーメンとビール。もう一度、万盛庵にもどって飲むかと思ったが、どうも身体が、もうけっこうであるという。上越線に乗り越後湯沢で新幹線に乗り換え、帰宅。よれよれで、すぐ寝る。

画像クリック地獄は、南魚沼市六日町の八海山スキー場バス停から見た八海山と、万盛庵で食べた熊汁。

とりあえず、いじょ。

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