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2006/10/17

「カネとバツ」では何も残らない

先月発売の号で、すでに連載は終っているが、『食品商業』11月号が届いた。編集後記に、連載の担当編集者だった近藤さんが広告部門へ異動するあいさつがあった。連載におれを登場させてバツをくらったと書いてある……いやははは、もちろんウソ。異動は、ほんと。

とくに業界誌は、広告営業の体験がものをいう。小さい会社だと編集と広告の業務を一緒にやらなくてはならないが、少し大きくなると部門が別になり、異動がつきまとう。ま、上手な編集者は、広告営業も上手だから、異動しながら、肩書に「長」のつく位置へ昇っていくのだな。

それはともかく、山本恭広編集長の巻頭メッセージを読んで思い出したことがある。山本編集長は、宮城のウジエスーパー氏家良典社長の言葉を引用している。「経営陣はもちろん、店のスタッフもいずれはいなくなる。ただし、店は残る。そこでのびのび働く人材(または育つ環境)を残すのが仕事」「売上げ、利益を上げることが目的となってしまうと、その売上げは脆弱なものになる。完全な基本動作をもとにしたプロセスによりつくられた売上げは磐石なものになる」

このあいだ、シンクタンク系の研究社員で流通業を対象にしている人と会う機会があった。そのとき話題になったのは、トウゼン、なかなか再建がうまくすすまない某巨大スーパーのことだ。「あれだけ店舗をつくって、売上げをあげても、カネ以外の企業文化が育ってなかったからなあ」「けっきょくね、ダメになって建て直そうというときにハッキリするのだけど、企業は人材なんだよね。人間を育てる企業文化がなかったところは、難しいよ、経営陣に誰が入っても苦労するよ」「あそこは、一円でも安く仕入れて一円でも高く売ればよいという、わかりやすい計算を苛烈にやれる人間しか残っていないでしょう」「系列のコンビニでは、一円やゼロ円で納入させるなんていうジケンもあったし。まっとうな人は逃げ出したでしょう」「ま、なかにはね、個々人はいいひとでも、組織文化がね、ないというか、カネだけだったというか」「どう売上げ、どう利益をだすかの、「どう」の文化がなくてカネの計算だけだった」「人間をカネでしかみてこなかったということですよ、それじゃあ、マンパワーは発揮されませんよ」

かつて、この某巨大スーパーの鼻息が荒く、手当たりしだいといってよいほど地方出店をやっていたころ、おれは、その進出を迎え撃つローカルスーパー側の仕事をしていて、当時のやり口はよく知っていた。

山本編集長は、「どのような競争環境にあっても、人の働きぶりが小売業の成果を左右する」と述べているが、確かにそうで、大きな資本力のあるところが勝つとは限らず、実際おれが仕事をしたローカルスーパーは生き残り、進出したほうは撤退した。

しかし、山本編集長によれば、「1524社で233億円。先に厚生労働省が発表した2005年度のサービス残業割増支払い企業数と金額だ。金額では「製造業」がトップだが、企業数では「商業」が上回る」

この数字は、実際は、もっと巨額だろう。最近では、「偽装請負」が問題になった。「小泉丸投げ」政治の成果だ。ようするに、この10数年というもの、人間の育成はもとより、企業文化の育成や、「のびのび働く人材(または育つ環境)を残す」ことにカネもアタマもつかってこなかったところが、たくさんあるのだ。不法脱法反則あらゆるテをつかって(そういうとことにだけはアタマをつかい)、払われるべき正当な労賃も払われずに、ミスがあればクビ。

10月8日の「「文化」と「経済」」にも書いたが、「「カネとバツ」でなんとかなる」という、国全体が、すでに崩壊した某巨大スーパーのような体制を追ってきた。こういう体制下で、食品は生産され流通してきた。

で、山本編集長は最後に、こう言う。「まず、従業員を大切にしよう。そうすれば、従業員はお客を大切にする。改めて強調したい」

人間を売上げや利益、カネでしか計算しないことを、もう10数年も続けてきた。人間関係を拡げるような交流会や懇親会、さまざまな文化的な活動は、販促的な人間関係をつくることに利用されるのがフツウになった。筋肉は一日でも使わないと弱るが、動脈硬化したカネ計算の一方に、10数年も使わないできた脳の筋肉が、ウジャウジャはびこっている。「食育」より、それをなんとかしなきゃあ、穴の開いたバケツで水を汲むようなものだ。

以前に、よく組んで仕事をしたコンサルタントが、クライアントの研修のたびにしていた話は、比喩がうまかったからいまでも覚えている。「売上げや利益は、重箱の隅なんですよ。重箱の隅はね、三つの面があわさってできるのですよ。その面のことを考えないで、隅ばかり気にして突っついても、うまくいきませんよ」その面とは、人間であり環境であり、とか、そういう話。

まず、人間を大切にする脳の筋肉を鍛えよう。そうすれば、人間は人間を大切にし、人間のイノチのもとである食べ物も大切にするようになる。改めて強調したい。……と、今日は、山本編集長から頂きでした。

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コメント

近藤さん、そのうち、その女性らと飲む機会とつくってくださいよ。
自分だけ楽しんでいるとバチがあたりますよ。
よろしくね。

山本編集長のメッセージは、
タイムリーにいいところを突いたと思います。

投稿: エンテツ | 2006/10/18 11:42

ボンさん、どーも。なんだかソウカツさせてしまって、すみません。
売上げ1兆円に達したあたりから、ちょっと変わったような印象があって、いま調べたら、1兆円達成は1980年でした。

ちょうど、日本経済が全体的にハツラツとした成長力を失い、本業努力より金融的利益をめざし、管理強化と閉塞へ向う時期だったといえるでしょうか。ま、外から見ているのと、なかの実際はだいぶ違うのでしょうが。

基本的には、まだ民主主義的な土壌が浅いですから、うまくいっても、難しくなっても、殿様-側近茶坊主システムがはびこり風どおしが悪くなる…いまの日本の中枢ですら、そのようだし。

でも、ナカウチさんは、晩年があんなふうで、その業績はキチンとソウカツされていないようだけど、近代的商人としての活躍は、もっと評価される必要があるような。

「去るも地獄、残るも地獄」って、60年前後あたりにハヤリましたね。私たちが田舎を出て上京するときも、そんな気分を話し合いました。オンナにはわからないオトコの心境。というと、オンナはいつも地獄よといわれるかも知れませんが。食べていくのは、なかなか難儀である。

投稿: エンテツ | 2006/10/18 11:33

 どうもです。あはは、私はそんなわけです。聞くところによると広報部署や広告代理店には、どうも魅力的な女性が多いようですね。困った、困った。
 山本の巻頭メッセージ、ご紹介ありがとうございます。
 ビジネス用語では、わざわざカタカナで「ヒト・モノ・カネ」と書きますが、それらをいかに記号化、指標化させないか…。いつも心掛けなければいけませんし、人と物を大事にする企業は、何業であっても魅力的だと思いますよ。

投稿: 近藤昌 | 2006/10/17 23:07

そうですねえ、思い返してソウカツめいたものをすれば、
おそらく80年代後半位から沈没への予兆がみられたような。
各店自由裁量が本部中央集権的に~何でもあるが買うものなし。
お客様の方を向いてたのが、内向きで上の顔色をうかがうように。
ハイパーだの業態論・欧米のスーパー理論など机上の空論ばかりに。
いやごと言う人間(ま、私なども)が遠ざけられ茶坊主が多くなり。
他にも多々ありますが、総じていえば、精神的な風通しが悪くなって
いわゆる本当の商売を知っている人が愛想を尽かしていなくなった、
そういうことだったんじゃないかと思っています。でもケツをまく
った時、昔の炭鉱の「去るも地獄、残るも地獄」が頭をよぎりでした。

投稿: ボン 大塚 | 2006/10/17 23:00

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