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2006/11/23

「わたしの食べ物」について……考える

Oden_061123『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』と『わたしの文房具』を、後者はあとから読み始めたのだが、ほぼ同時に読み終えた。

21日に書いたように、『わたしの文房具』は、どういう文房具がよいかということではなく、文房具との関わりや関係性のコダワリを書いている。と、おれは読んだ。『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』もまた、昭和の流行歌やうたとの関わり関係性のコダワリの話なのだ。それは、自分が、何に、なぜ、コダワルかの「発見」の話でもある。なにかのコトやモノを選ぶというのは、そういうことなのだよなあ、とあらためて思った。

小沢昭一さんは、藤山一郎さんの歌が好きだけど、藤山一郎の歌ならよいというわけじゃない、古賀政男作曲の藤山一郎の歌であればよい、というわけでもない。ま、つまりは、ブランドとか有名とか人気とかではないのだ。『わたしの文房具』の話も、そういうことだ。『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』は、一つ一つに、「柳青める日 藤山一郎について……考える」というぐあいに見出しがついているが、じつは歌手とうたのことを考えながら、小沢昭一さんは自分のことを考えている。『わたしの文房具』の木村衣有子さんも、またそうだ。

何かを選ぶには、ワタシはこうだから、こう思うから、これを選ぶ。これを選ぶワタシは、こういう人間なのだ。という自覚は、なにをやるにも必要なことだろう。コトやモノとの関係や関係性のコダワリは、ひとの数ほどあるし、あってよい。「あってよい」ということは、なるべくその一つ一つを理解していきたいということも含めてだが。(実際そんなことは一生かかっても無理かも知れないが、それをやるのが人生かも知れない)。とにかく、どこの偉いひとがなんといおうと、ワタシには「わたしの食べ物」がある。

こうやって書くと、そんなことアタリマエじゃないかと思うひとがけっこういると思う。しかし、実際は、有名ブランドや○○国産ならよいなどを筆頭に、有名な誰それさんがほめていたからとか、お店のオススメだから、昭和のむかしの生活はよかった、戦前の食文化はよかった、など、さまざまな短絡的教条によって、モノゴトが選択される例は少なくない。最近では、「食育基本法」なるものも施行されて、アレを食べるべきだコレを食べるべきだという「干渉」も、じつにニギヤカだし。

この二冊の本を読み終えて、今朝、めしにおでんを汁ごとかけて、それをツマミに酒を呑みながら、いろいろ考えているときに、フイに、ずいぶん前に制作に関わったテレビ番組を思い出した。フジTV『ザ・ノンフィクション』の「東京下町人情食堂物語」や、そのあと何本かだったが、あれは、コンニチ的視聴者のコンニチ的低俗テレビ的興味や関心で「視聴率」を確保しながらも、演出の松村さんは、竹屋食堂や他の大衆食堂の常連たちがナゼそこへ行くかを、ちゃんと描いていたなあ、と思い出した。あの番組について、フリーの編集者の堀内さんは、「竹屋食堂に来る人たちが、なぜそこに来るのかよくわかりました。よかったです」と言っていたが、はたして、どれぐらいの人が、そのように見てくれたか。いいねえ~下町の大衆食堂には人情がある昭和がある…、といったステレオタイプなアマタでは、そこんとこは理解できないだろう。

そういうわけで、クリック地獄で拡大の画像は、今朝のおでんぶっかけめし、なのだ。

今夜もまた、このおでんにダシを足し、タネもぶちこんで煮る。きのうより今日、今日より明日とうまくなる。飲食店のおでんは、日によってあまり味をかえることはできないが、自分のおでん鍋は、思いつくままにダシを足して、毎日の味の変化を大きくつけて楽しむこともできるのだ。おでん、オレ流こそ、おでん鍋のタノシミ。

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