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2007/01/16

形而上と形而下をふらふら

きのは、ひさしぶりに東京さ行って、ひさしぶりに映画を見た。1月4日「『こほろぎ嬢』お正月公開でも見に行くか」に紹介した『こほろぎ嬢』。これが想像していた以上によかった。尾崎翠の原作そして山崎邦紀さんの脚本とあれば、形而上の観念の世界にちがいない。それに山崎さんのブログからは、モノローグつまり朗読と映像で見せるものだと想像ついた。こういうたぐいは、おれのような形而下的人間には、だいたい制作者の詩的な自己陶酔が鼻につくだけで退屈きわまりないのが多い。そう思いながら臨んだ。

しかし、考えてみれば、監督はエロ映画を300本撮ったという浜野佐知さん、そして自らエロ&薔薇監督をやりながら、浜野組の脚本を担当してきた山崎さんのコンビだ。安い制作費で客をイカせるコツはよく心得ているのだ。それが全編、鳥取ロケによる制作ということだろう。

映像があきない。美しい海の風景山の風景、それは風と空気の風景でもあるが、そして舞台になる建造物は文化財も含め明治期のもの、よくこれだけ揃えたというかんじ。あとで山崎さんに聞いたら、ロケより、その前のロケハンのほうが時間がかかったという。そうだろう。そして、そのような風土的抒情的映像のあいだに、滑稽あるいはグロな、あるいはエロチシズムを感じさせる映像がテキトウに入る。

見ながら朗読のような会話、あるいは会話のような朗読に身をゆだねる。脚本の言葉の選び方もつながりもいい。「おもかげをわすれかねつつ こころかなしきときは ひとりあゆみて おもひを 野に捨てよ」「心たのしくて苦き詩を求め 心が苦しければたのしき夢を追う」「地上が苦しければ地下にたのしき夢を追う」そして「人間の肉眼といふものは 宇宙の中に数かぎりなく在るいろんな眼のうちの わずか一つの眼にすぎないぢゃないか」「豚の眼になってみたらどうだ」。このあたりがテーマ的なことではないかと鑑賞した。上映時間の1時間半は、退屈などころか、あっという間にすぎてしまった。

おわって、監督と山崎さんに感想をのべる。映画のほめかたなど知らないから、「私は形而下にしか興味がないような男だけど、退屈しないで寝ないですんだ」というと監督と山崎さんは「そういう言い方があるか」ギャハハハと3人で笑い、山崎さんとおれはチョイと一杯へ。3時半からの回を見て、映画館を出たのは5時半ちかくだった。

おれは、このあと中野で6時半待ち合わせ。しかし山崎さんとの飲みながらの話はおもしろく、もう遅刻覚悟で興にのる。映画のなかの一場面に柿を食うところがあるのだが、そのことから食べることとエロチシズムのことへ話がはずみ、「けっきょく、孤独を肯定するか否定するかなのだよね」とおれがいい山崎さんが「そうなんだよ」ってあたりで、もうこれ以上遅れられないから中野へ。

中野はやどやゲストハウスの新年会のようなものだが、経営する会社WGの役員体制が変わったというか実態に即して整ったし、難しい問題もあって飲みかつ複雑な話が重なる。あいだに、見てきたばかりの映画の話もはさみながら。というのも、当面難問の相手は、金融屋、不動産屋、地上げ屋、チンピラ、貪欲家主やその代理人、表面仲良し影では裏切り……といった形而下のカタマリのような連中なのだ。しかし、ひとはみな違う肉眼ちがう心を持ち孤独だから、カネに頼ったり、仲間をつくりそして裏切ったりする、ビジネスというのは形而下のことのようだが、じつは孤独という形而上の観念が相手だ。もともと、貨幣そのものが、国家的幻想を背景に成り立つものだし。

そしてだから、ビジネスに有用でない孤独は、「役に立たない」と切り捨てられる。ところが十人十色の人間には、魂レベルのコミュニケーションはできても、リアルなビジネスレベルのコミュニケーションなどできないひとは、いくらでもいる。それがオチコボレやヒキコモリというふうに、あるいは精神病者や性格欠陥者のように見られる。しかし人間はみな精神病者であり性格欠陥者なのだ。

そうそう映画の最後のほうで、こほろぎ嬢がネジリパンを食べる、棒状のネジリパンを女の口が咥えるのだ、そして彼女は、役に立つことは何もしていないできないけどパンは食べなくてはならない、というようなことを思う。その場面は、孤独と食欲と性欲を思わせる。

とかとか、とりとめないが、時間がなくなったので、ここでトツゼン中断。
あとで、書き足す、かもしれない。

この「孤独」については、2007/01/12「飲食の楽しさの格別な意味」にも関係すると思うのだが。孤独というとマイナスイメージあるいはネガティブにみられる傾向があるが、そんなことはない、自然な姿のような気がする。

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コメント

こちらこそ、ほんとうに楽しかったです。しかも山崎さんにごちそうになってしまうなんて。ありがとうございました。

しかし、あの映画館の前では、2人とも「想定外」の格好で、顔を見合わせても気がつかなかったのだから、ほんと愉快です。

そういえば花田さんの「庖丁文化論」評は、以前に、山崎さんが、こちらのコメントか、ご自分のブログに書かれていましたよね、検索してみます。なにせ、江原さんは、オモシロイ男でした。

またこんどゆっくり飲みたいですね。
塩さんのトークは、日にちを間違えていて、まだ行けるかどうかわからないのですが、行くとしても悪態トークショーなんてカネ払って聞くようなものじゃないから、あとの飲み会に間に合うようにと思っています。

そのトークショーで庶務係をやらせられる退屈男さんも映画を見て、よかった、帰りに、ちくま文庫の原作を買ってしまったとブログに書いていますよ。
下北沢で映画。
http://taikutujin.exblog.jp/5000298/

投稿: エンテツ | 2007/01/19 13:38

先日は下北沢までご足労頂き、有り難うございました。お約束があるのに、引き止めて申し訳ありませんでした。短い時間でしたが、飲みながらお話できて楽しかったです。なかでも江原恵氏のエピソードには心惹かれるものが多く、実に興味深い方だと思いました。なお、最晩年の花田清輝がシンパシーを感じたと書いているのは、江原恵著『包丁文化論』(エナジー叢書)でした。
『こほろぎ嬢』の楽しい感想、有り難うございます。拝読し、お礼をさっそく書き込もうとしたのですが、メンテナンス中だとかでハネラレました。それで今日になってしまいました。
しかし、映画館の前で顔をあわせながら、エンテツさんは「何で田舎の消防団がこんなところにいるんだ?」と思い(わたしが母親の婦人消防団のハッピを着ていたので)、わたしはわたしで「どうして工事現場の監督みたいなオッツァンが『こほろぎ嬢』観に来るんだ?」と思い、お互いに映画館の中に入るまで気づかなかったというのが笑えます。どれだけ人が着ているものを通して相手を見ているかという格好の例証のようです。
シオヤマのトークには来られますか? またお会いできる機会を楽しみにしています。

投稿: kuninori55 | 2007/01/19 10:38

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