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2007/01/15

女暴君的好食記

惜しくも2004年に71歳意で逝去された種村季弘(たねむら・すえひろ)さんは、その著書『食物漫遊記』(ちくま文庫)で、武田百合子さんの映画随想を「女暴君的好食記」と呼んでいる。

以下引用……

 彼女の映画随想を一読して見給え。人は彼女の映画鑑賞の度毎に映画館に持ち込まれる、肉マン、アイスクリーム、サキイカの類の物量的厖大さにただただ圧倒されるであろう。そして見よ、ローマの闘技場の特等席の女貴族もさながらに、彼女が肉マンを一かぶり頬張る間に、豪華絢爛オールカラーのスクリーンの上では毎度一ダースもの人間が全身蜂の巣となり血まみれになって、さっさとあの世へ送られてゆくのである。
 こんな女暴君的好食記の前に引き出されれば、大抵の美食エッセイはたちまちのうちに顔色を失う。

……引用おわり。

種村さんは「好食」について書いているわけではないが、ここから種村さんがイメージしていたであろう好食を感じられる。そしてこの本の全般を通じて、たくみなレトリックの背後に、この武田百合子的好食が種村さんの好みであったのではないかと読みとれなくはないのだ。

いまの引用は、最初の「序章 嘘ばっかり」にあるのだが、冒頭こういう書き出しだ。「よだれが出るほどうまそうな物をチラつかせながら、あれがうまかった、これはこたえられない、と能書きを並べた食通随筆を読まされていると、正直のところ、あんまりいい気持はしない。」

そしてこんなことも言っている。「相手方に美意識なり教養なりがみっしり詰っていて、こちらが空っけつでは、一方的に相手側の言辞がこちらの真空に流れ込んできてしまう。これはお説教。もしもあちらさんの内容(なかみ)が悪質だったらどうします。」と。種村さんのように美学と教養がみっしり詰まったような人に書かれると、痛烈だねえ。

2章「一品盛りの味」では、「ちなみに食通随筆で妙に利いた風なのに鼻白むのは、食べることにつきまとうこの原始感覚を避けて通る傾向があるからである。細部に凝るのはいいとして、あまりにも味覚のニュアンスに沈溺して、食うというまるごとの欲望から離れてしまうので、頽廃のにおいが醸されてくる。」

グルメとくに「ラーメン」とか「蕎麦」とかナントカ料理といった特定の料理に傾斜したグルメに、こうした傾向は強いように思うが、「食うというまるごとの欲望」このあたりに、好食の一つの気持がありはしないかと思うのだね。

いま急いで書いているので、こんなところで。あとで書き加えるなど、あるかも知れない。

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