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2007/02/28

バカの霍乱なので明日の『紙ー1グランプリ』告知

きのうから発熱。カゼか?知恵熱?恋熱?ぐふふふ。ま、とにかくバカの霍乱。おれだって熱が出るのだ、わかったか。熱が出ると歯が痛む。きょうはだいぶよくなったが、寝ていることにする。

【幻堂砂地獄5】に、『紙ー1グランプリ』告知があったので転載。よろしくね。おれは行けるかどうかわからないが、見なくても森元暢之さんに一票。森元さんは、そのむかし10年ぐらい前?朝日新聞大阪版の取材で、竹屋食堂における大衆食の会に来られたのだ。そのあと数年前、おれは幻堂のイベントで神戸へ行き紙芝居を楽しませてもらった。


関東方面の方はぜひご参加ください!
先着50名様に幻堂特製森元・山井スペシャル缶バッジプレゼント予定。

『紙ー1グランプリ』

様々なジャンルの出場者が、自由な発想で紙芝居を上演し、
お客さんの投票(組織票OK!)によって優勝者を決定する“紙芝居No,1決定戦!!”

【出場者】
元気いいぞう、
セーラーチェンソー、
ドイツ三本、
塔島ひろみ、
花くまゆうさく、
堀道広、
森元暢之(音楽 たらすな)、
山井逆太郎、
和倉義樹
※出場者が若干変更になる場合があります。

3月1日 (木)/新宿ロフトプラスワン

Open18:30/Start19:30
¥1000(飲食別)

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2007/02/27

ひさしぶりのアナログカメラ

Kameraデジカメの調子が悪いので、きのうからアナログカメラをつかっている。ニコマートEL。

おれは1980年ごろ以前から持っているものというと、このカメラと、当ブログにも書いたことがあるピッケル、そしてついに、このシーズンには使えなくなったので捨てたダウンパーカーの三つしかない。

簡単にいってしまえば、最初の離婚のとき家からもって出たのはこれだけだ。写真の一枚にいたるまでない。もともと10歳のころと20歳のころ二度家をなくし、かなりのものを失っているので、モノに対する執着心が、あまりないようだ。

ダウンパーカーは、中国のチョモランマ登山隊がつかい有名になった「天山」ブランド。これは、たしか1970年代後半に買ったのだが、当時としては5万円ぐらいした「高級品」だった。しかし、良質のダウンがふんだんに入っていて保温性能はよかった。登山のとき以外もこれを着つづけ、かなり乱暴につかったが丈夫で長持ちした。

ニコマートELは1970年代前半かなかごろに買った。

おれが、初めてカメラを手にして写真を撮ったのは、小学校4年の春の遠足ときだ。オヤジが戦前からつかっていた、折りたたみ式の蛇腹のカメラ。レンズはドイツ製の名前を忘れた。レンズを回転させる、いわゆる前玉回転で、被写体との距離を目測ではかりピントを決める、露出も「目測」だ。

ということは、小学校4年の春の遠足のときは、まだオヤジとオフクロは離婚してなかったことになるな。そのあとオヤジが家を出て行き、小学5年生の遠足のときは、カメラを持っていった記憶がなく、6年生の修学旅行のときは持って行ったから、その間が「離婚別居母子家庭状態」だったことになるか。

中学のとき、リコーの二眼レフを買ってもらった。そして、現像と焼付け引き伸ばしも自分でやるようになった。高校卒業するまで、すべて自分でやった。

高校に入り山岳部をやりだすと、二眼レフはボディが大きく持ち歩きに不便だった。そのころちょうど、35ミリカメラが全盛になった。コニカⅡB-mを買ってもらった。このカメラは、よかった。硬めというかコントラストが強めのレンズのクセも好きだった。気に入って、このあと1970年前後にキャノンの一眼レフを買うのだが、それでも山へ行くときは、これをつかった。山の遠景や、山肌の明暗をとらえるのによかったし、小型で携帯に便利だった。つかいつぶすまでつかった。

キャノンは、型番を忘れたが露出計内臓だったのではないかとおもう。ニコンの権威に抵抗してキャノンにしたのだが、あまり好きになれなかった。そのせいもあるのか、どこの山だったかな、谷川岳の土合側の沢だったとおもうが、とにかく沢登りの休憩の最中に、ちょいと足元において何かをした瞬間に足でカメラをけってしまい、キャノンはそのまま岩肌をすべりナメ滝にのまれてしまった。

で、このニコマートになった。ELは、フィルムの巻上げはもちろん、ほとんどマニュアル操作なのだが、いわゆる焦点測光式の露出計内臓で、シャッター速度優先と絞り優先をつかいわけできるのが特徴でよい。

これはシゴトでも活躍した。交換レンズも43-86ズームと105望遠をもっていたが、家を出るときは置いてきて標準だけ。

10年ぐらい前に、中のフェルトやスポンジの部分がいたんだので、オーバーホールに出した。すっかり美しく生まれ変わった。ザ大衆食のサイトをはじめたころは、このカメラで撮影し、DPEサービスに出し、紙焼をスキャナで読み込んで制作していた。

きのうひさしぶりつかってみたら、自分で焦点をあわせなくてはいけないからキンチョウする。それにデジカメのようにちゃんと写っているかどうか確認できないから不安がのこる。しかし、ファインダーから見る光景、シャッターを切るときの指にかかる圧力、フォーカルプレーンシャッターが切れるときの「パシャッ」という音が、なんとも快感だ。

そんなわけで、きのう撮影した大衆食堂の写真は、しばらくできあがらないのだ。そして、ひさしぶりに重いカメラをぶらさげて歩いたせいか、肩がこっている。

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入谷千束ウロウロのち渡辺勝に酔いしれる

もう25時だからきのうのことになるが、入谷千束をけっこうくまなく歩いた。もともとは、気になる入谷の「大衆食堂 清月」へ行くつもりだったが、ついでにあのへんの入ったことがある大衆食堂は無事だろうかとか、ウロウロしてみたくなり早めに出かける。

鶯谷から歩き、言問通りと金美館通りのあいだを、谷中市場あたりから千束に向かって、路地をひろいながら国際通りへ、ついでに竜泉の路地もウロウロ、もどって歩きつかれて「大衆食堂 清月」へ。

3階建ての建物の上に大きく「大衆食堂 清月」の看板があるのだが、チトわいざつな大衆食堂のイメージをもっていると型破りであり、やや高めの値段設定だが、なかなかよかった。4人がけ5台に2人がけ1台。ま、詳しくは、そのうちにザ大衆食のサイトに掲載する。

うまいぐあいに「なってるハウス」は、渡辺勝(vo,p,g)× 川下直広(sax) の日なのだ。7時40分ごろ着くと、客は、おれ1ひとり、まさかこのまま……と思っていると、開始の8時までに、あと4人。でも、計5人の客だ。高円寺あたりでのライブだと、イッパイになるのに。

ずいぶんひさしぶりだ。んでまあ、やっぱり、ほんと素晴しかったねえ。渡辺さんは、いきなり怒涛奔流のごとくピアノをたたきうたいあげる、川下さんのサックスが負けじと鳴る。例によって、始まったら1時間半ノンストップ。腹ごしらえしてから行ってよかった、でないと聴くほうが負けちゃうからね。もう酔いました、堪能でした。これでまたしばらくはCDを聴いてすごすとしよう。

渡辺勝さんのブログ「refuge]…クリック地獄

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2007/02/25

ふつかよい 追記完了

きのうの二軒目は、まったく、どこかも、記憶にのこっていない。

24日土曜日は、給料日あるいは給料日あとなので、どこも混雑だった。
ま、タップリ飲んだからいいけど。

あとで、肉体が正常化したら、書くかもしれない。

すこしよくなったから書いておくか。

「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」だから、まずは古書往来座に寄って敬意をあらわしとおもい、はやめに家を出たつもりが、池袋駅に着いたら5時20分。大急ぎで歩き往来座へ。しかし、ゆっくり見ている時間がない。立石書店のイチローくんがいたのでアイサツ。飲み会に参加のタノウエさんを見つけ、一緒に飲み会場へ。

参加者、おれを含め8名。女3人、男5人。いまでも元ABCカリスマ店長といわれるヤナセさん、前回の大宮いづみやに夫が参加した妻キムラさん、前回の大宮いづみやに参加で古本セドリが趣味の?シノキさん、大宮いづみやで一緒に飲んだことがあるタノウエさん、そして初対面は川崎からオオクマさん、オッタチトウフのシバタさん、タノウエさんの知り合いのえーと名前オオイさんだったかな? 最低年齢31歳、最高(おれをのぞき)41歳。

最初予定していた会場は、大混雑、8名すわれる席があるのにすわらせてもらえない。さては情報がもれてジャマがはいったかとおもったが、とにかく混雑でカンベンというかんじなので、近くの支店へ。こちらは広い道路一本わたるだけなのに空いている。3階に席を確保し、ソリャ、と飲み始める。

寒い、ビールを飲んでいる身体が冷える。例の1合150円ぐらいの燗酒を大徳利でたのみ、とにかくガンガン飲む。

はて、なんの話をしていたのか、いつものように雑多であった。速記のシゴトのかたがいて、速記の自筆文字を書いてくれたのを初めてみたことだけは、よーく覚えている。

かくして、大雑把な飲み会はニギヤカに楽しく過ぎて、では、もう一軒と、ちと趣きを変えて「OLDNEW」へ。なんと、ここが一杯ですわれない。で、どこか別の飲み屋へ行ったとおもうのだが、思い出せない、どうやって帰ってきたかもわからない。気がついたら朝だった。

財布をみたら、あまり減っていないから、安く泥酔したのだなあ。
どうもみなさんごくろうさまでした。またやりましょう。3月は大宮いづみやでやる予定。

ああ、しかし、イマイチ調子がでない。

さらに追記。いま19時40数分といったところ。
けっきょく、きょうは、死に体だった。
ビールを一杯のみたいがビールがない。
清酒と焼酎ならあるが、どちらも飲む気がしない。

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2007/02/24

喜びや快楽をつくり出すことについての経験

『食の文化史』ジャック・バロー著、山内昶訳。からの引用……

ソクラテス いまぼくにこう訊ねてみてくれ。料理法はどんな技術であるとぼくには思われるか、と。
ポロス では訊ねましょう。料理法はどんな技術ですか。
ソクラテス 技術なんかではないよ、ポロス。
ポロス それならいったい、何ですか。言ってください。
ソクラテス では言おう、一種の経験だよ。
ポロス 何についての経験ですか、言ってください。
ソクラテス では言おう、喜びや快楽をつくり出すことについての経験だよ、ポロス。
ポロス そうすると、料理法と弁論術とは、同じものなのですか。

プラトン『ゴルギアス』(如来彰俊訳)

……引用おわり。プラトン『ゴルギアス』(如来彰俊訳)は、岩波文庫版を持っているのだが、どこにあるか見つからない。とりあえず、この引用で。

けっきょく、たとえば退潮にあるといわれる「ラーメンブーム」、そしてすでに去った「カレーブーム」まもなく去るだろう「立ち飲みブーム」や「居酒屋ブーム」、 べつの言い方をすれば「B級グルメ」というブームは、何を残してきたのだろうか。ま、何も残さないハヤリを、ブームというのだが。

見方によっては、A級グルメのほうが、食べることの喜びや快楽の追求については熱心だったし、いまでも熱心のようにみえる。しかし、じつは、「A級」だの「B級」だのはマーケティング的な「差異化主義」が生み出したもので、「くう」「くっていく」ことの喜びや快楽には、A級もB級もない。

B級のココロザシが低いだけなのだ。ようするに日々「くう」「くっていく」ことの喜びや快楽を「つくりだす」ココロザシがなければ、その体験は愚化のために役立つにすぎない。B級グルメ騒動が、ハヤリを追いかけるだけのオリコウぶったバカにみえるのは、そのせいかも知れない。と、また、余計なことを書いてしまった。どうもね、指が勝手にキーを叩いてしまうんですよ。

ついでに、引用の最後のほうにある「弁論術」は「会話術」「対話術」というふうに置きかえてもよいだろう。

と、これから「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」へ行くので、哲学的に書いてみた。関係ないか。

Akabane_tokiwa今日の画像は、赤羽駅西口すぐの「ときわ食堂」。新しい再開発ビルのなかで、このように営業している。まわりとセンスがビミョーにちがう看板の色や文字に、がんばっているぜ、というかんじがする。

巣鴨庚申塚のときわ食堂のチェーン店と、どこかできいたことがあるような気がする。たしかめてない。看板には「赤羽店」とあるからチューン店にはちがいない。このあたりは専門学校生らしきを、たくさん見かけるところで、このときわ食堂も、それらしきで混雑していることがある。

撮影している位置から後方へ数十メートルで「竹山食堂」、左端前方の信号をわたると、赤羽や十条あたりにチェーン店がある「三忠食堂」があって、めずらしく土着的な大衆食堂がおおい地域だ。

赤羽には、よい大衆酒場もおおい。記憶にあるデータでは、赤羽駅周辺商圏は、都内の他の大きな商圏と比較して、工場労働者や職人労働者など「肉体系労働者」の住人の比重が高いはずだ。そのことが関係しているかどうかは、わからないが。

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2007/02/23

「くっていく」って、いいことばだ

ものがあふれ食べ物が簡単に手に入るようになって、食が乱れた。食を大切にするココロが失われたからだ。とゆーよーなことが、「食育」をめぐってもそうだが、さんざんいわれている。

これはチトおかしい、ということは、前から何度も書いた。ものが豊かになってココロが失われたなら、そのていどのココロしかなかったということであり、それがどういうものだったかを、よく考えることのほうが大事なのだ。

だけど、自分だけは、よいココロを持ち続けているかのようなことをいってすましている。つまり、そのていどのココロが問題なのだ。

ま、今日は、そのことではない。そのことじゃないが、関係あることだ。

拙著『大衆食堂の研究』では、「安楽の日本のようだが、無事に生存しつづけることはやさしくない。食堂のおじさんもそのことを知っている」と書いた。つまり「くっていく」のは容易じゃない。いくらものがあっても、くっていくことは容易じゃないのだ。

ものがあふれていても、まず経済的時間的余裕は、どうだろうか。あふれるほどのものから、よいものを選んで手に入れる余裕、キチンとした時間にゆっくり料理して楽しく食べる余裕、そういうものがどれぐらいあるだろうか。くっていくために、どれだけ肉体や精神を痛めつけているだろうか。

容易じゃないから、また食うことに情熱をそそぐ。そうあるべきだろう、とおれはおもう。しかし、2007/02/05「社会科のための 食物文化誌」に書いたように、「食物についてとやかく物をいい、心を労することは前から「いやしいこと」として禁忌されている。君子は厨房を遠ざく、という聖賢の言が、国民の生活倫理の根底理念となっていたのである」「武士は食わねど高楊枝」でやってきた。食べ物が不足しているときには、モノとしての食を大切にしたかもしれないが、食というコトや文化そのものを大事にしてきたわけじゃない。

だから、すこし経済的時間的余裕ができると、チマタの大衆食堂や大衆酒場などをウロウロして、なにかよいことにふれた気になる。「昔ながら」を称賛し「市場原理」とやらを批判し否定していれば、いっぱしのよいココロや趣味をもった「文化人」気どりだ。つまりは、自分のココロの問題は、わきにおき、カネで片付ける。コンビニやファーストフードを利用するのと、おなじ質の行為だ。そのていどのココロなのだ。

2007/02/20「24日の飲み会の参加方法」に、「うまい酒、うまいものを期待するのではなく、うまく飲み食いする」と書いた。そのために選ばれた安居酒屋は、うまい酒やうまいものがないみたいじゃないか、といわれてしまうと、たしかにそうだなとはおもうが、しかし、そこには、「くっていく」のは容易じゃないということをよく知る男たちが、たくさんいるようにおもう。その男たちが醸しだすもの、それを、「わいざつオヤジ文化度の濃さ」と書いた。

「くっていく」のは容易じゃないということをよく知るものは、また食べることを、よく味わう。安居酒屋や大衆酒場や大衆食堂では、むかしからよくみかけるシブミのある風景だ。おれは、そういう街の風景が好きだし大切にしたいのであって、「昔ながら」だの「懐古」だの「レトロ」だのなんて趣味もないし、どーでもよいのだ。

「 食べるという行為の背後には、生きとし生けるものの切なくも厳しい生存条件がある。  だからこそ、人間があるものを食べて「おいしい」と感じる時、そこには、単なる趣味や嗜好の問題にとどまらない、生きることの深み歓びが立ち現れるのである。」

これは、茂木健一郎さんが『食のクオリア』(青土社)に書いていることで、生物的な生存条件の話が比重をしめているが、日本の社会の生存条件は、いまに始まったことではないが「切なくも厳しい」。いまや肉体と精神を犠牲にし、食事の余裕すらマットウでない状態で、働きくっていかなくてはならない状態がマンエンしている。それを逆手にとったのが「食育」なのだ。

Motonoiと、「くっていく」ことの大変さをシミジミおもったのは、先月12日、故郷の六日町へ帰り、人手に渡ってしまった「実家」を見たこともある。画像の真ん中、雪が少し片屋根に残っている。一部増築し、外装や屋根も変わっているが、1960年前後に暮らした当時のままだ。なんとなく、接近して撮影するのは、はばかられる気分なので、少し離れて裏側から撮った。

小学4年10歳ぐらいまで住んでいた家は別で、そこは家業の倒産と親の離婚があり、人手に渡り跡形もない。そのあと、この画像の家の陰で見えないむこうがわで、4畳半一間の間借生活をし、たしか小学6年ぐらいに、この家を建てうつった。中学高校と、身長が150センチぐらいから170センチぐらいになるまで、この家で育った。5月5日の背くらべ、じゃないが、1階の柱には、そのキズあとが残っていた。

この家は、おれが20歳ぐらいのときに、競売にかけられて、現在の所有者のものになり、おれの両親は、東京の場末の飯場にころがりこんだのだった。オヤジの歳は、50歳なかばぐらいだっただろう。当時なら定年退職や隠居の年齢だ。それから住まいも職も転々とした。

「くっていく」って、「生きること」「くうこと」が一つになっていて、とてもよいことばのようにおもう。

ものは豊かになっても、くっていくことは容易ではない。だからまた、おれは飲食に情熱をそそぎ、刹那的に楽しみたい。のだな。

「刹那的」を「悪」とみるのは、風土のようになっている仏教思想におかされているからで、これがまた食を楽しむココロをうばっている。

うまい酒やうまいものがなくても、人生を快楽するココロがあれば、うまく飲み食いすることはできるし、生活は楽しい。そのうえに、うまい酒やうまいものがあれば、もっと快楽できるし、飲食というコトが好きになれるわけだ。くっていくことは容易じゃないからこそ、好きじゃなきゃ、やってらんない。

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出版、本屋のフシギ

きのう電車のなかで見て、気になって、どうも気になるから書いておく。

JRの中吊り広告に、名前は忘れたが、ある芥川賞作家の受賞第一作の広告があった。版元は河出書房新社だ。どういう広告かというと、ボディーコピーにあたる文章が、本屋の社員というのか店員というのか知らないが、その人たちが数人、店名と本人の名前入りで、その作品を褒め称える、というものだ。ひとつの「推奨広告」だな。

これが、いろいろな人が推奨するなかに本屋の人が登場するというものではなく、本屋の人たちだけ、つまりどう見ても本屋さんが、河出書房新社のこの本をオススメしています、というかんじなのだ。内容的にも、おしつけがましい文章があったが、それはまあいいだろう。

おれはヒジョーにヘンにおもったのは、とうぜんながら出版社はメーカーであり、本屋は流通つまり、いろいろなメーカーのものを取り揃えて客に提供するのがショーバイのはずだ。一つのメーカーの「下請け」ではないはずだ。

もちろん、本屋のひとが客にすすめたい本があるのはわかるけど、基本は、やはり客のニーズとメーカーの商品のあいだを取り持つことではないだろうか。

自分の店頭やブログなどでオススメをするのはトウゼンだろうが、電車の中吊りというのは「公共」であり、公共の一部を広告主がカネをだして利用している。そういう場で一メーカーが提供する広告に、こんなカタチで肩入れするってのは、どうも不自然のようにおもった。

しかも、「芥川賞」というバリューのある作家の広告で。売れればよい、よらば大樹というわけか、という印象をもった。

なんか、おかしい。気がする。「公私」のあいだのマナーも気になったし、本業界、おかしいんじゃないのと気になった。ので忘れないように書いておく。

ま、おれの本が出たときには、こういう広告をしてほしいものだとはおもうが。

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2007/02/22

板橋区大山 かどや食堂のカレーライスとみそ汁

Kadoya_cariきのうのナポリタンにみそ汁のコメント投稿に、吸うさんがカレーライスにみそ汁のことを書いていて思い出した。大山のかどや食堂で撮った、カレーライス、みそ汁つきの画像があるのだ。

2006/11/05「板橋区大山「かどや食堂」そして街と料理」の最後に、「かどや食堂のカレーライスは400円で、味噌汁付きだ」と書いたまま忘れていた。ボケたなあ。

このカレーライスみそ汁付400円は、ほんと安い。ジャガイモ一個と鶏肉がごろっと入って、ボリュームもあるが、オッこれは新宿中村屋に負けないぞ、と、一瞬おもわせる味。食べているうちにうれしくなるカレーライス。なかなかなのだ。

ナポリタンにみそ汁も、カレーライスにみそ汁も、大衆食堂ならではでないか。
そーいや、ヤキソバにみそ汁ってのも、あったような気がする。
うむ、みそ汁と大衆食堂。

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2007/02/21

24日の飲み会のこと、関係ないムサシヤのナポリタンのこと

Musasiyaえ~トツゼンですが。「24日の「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」」は、ホボよいぐあいの人数になりつつありますので、明日22日で参加の申し込みは締め切らせてもらいます。参加希望のかたは、02/20「24日の飲み会の参加方法」をごらんになり、明日中までに連絡ください。

今年は、大宮いづみやで隔月(つぎは来月3月)、そして別の隔月は都内で飲み会をやりますので、またそのときによろしくお願い致します。

ってことで、関係ないけど、ついでに、新橋駅前、ニュー新橋ビル1階の「ムサシヤ」のスパゲティナポリタンの画像。たしか、短冊メニューには「昔ながらの タマネギ、ベーコン、ピーマンが入った」というような文言があったとおもう。650円。

このおもしろさ。チト画像がボケているのだけど、このナポリタンについてくるのが、みそ汁なのだ。しかも、その器が中華のスープ用小鉢、そしてレンゲがついて。まさに「和洋中」混合というか、味覚からしても、これこそ現代日本料理の風景だなあ、とシミジミおもった。これも、これが、「日本」なのだ。

ムサシヤのメニューは650円がおおく、どれもボリュームタップリ。

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2007/02/20

大田区矢口渡商店街 大衆食堂いづみ

Izumiきのう、ちょっと書いた、大衆食堂いづみ。まっすぐいくと多摩川に出る、反対の撮影している背中の方へ向かうと数分で矢口渡駅。

入ると、4人がけテーブルをギシギシにつめて6台だったかな? クルマ関係の男たち6人ばかり、タクシーの運転手と整備関係のひとのようにおもわれたが、タクシー関係にしてはチトちがうかんじもあり。50歳代の一人暮らしとおもわれる女性二人。一人は脳梗塞か脳卒中の後遺症リハビリ中のかんじ。大衆食堂の常連に、最近は、熟年一人暮らし風の女が増えた。つぎつぎに、熟年?老人?風独身もの、クルマ関係者があらわれては、めしくって去っていく。

ここは都心を遠く南にはなれた東京の辺境の「都内」。北東の辺境「矢切渡」は、寅さんのおかげで「下町」のイメージだが。

中華が中心。定食は夜のみ。カツ丼600円、ビール(大)600円を注文。カツ丼についてくる、漬物がはんぱな量じゃない。ダイコンとハクサイとキュウリがたっぷり。しかもウマイ。

詳しくは、そのうちザ大衆食のサイトに掲載する。

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24日の飲み会の参加方法

注=22日で、参加の申し込みは締め切らせてもらいます。

先日2月17日に告知した「24日の「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」」ですが、場所をここに告知すると書きました。しかし、チト諸般の事情により、先にメールで参加希望をいただき、そのかたにだけ場所を連絡することに変更させてもらいます。

ごめんどうでも、参加希望のかたは、ed_meshi@■yahoo.co.jpに(■は削除して)、件名に「24日」と記入し、メールをください。なお、すでにメールをいただいているかたには、今日明日中に返信で連絡いたします。

24日(土)の6時から9時ぐらいまでの予定。

飲み会は、ただ飲み食いして楽しむだけ、正確には、「お互いに楽しむことを楽しむだけ」です。うまい酒、うまいものを期待するのではなく、うまく飲み食いする。そのことだけシッカリ守っていただけば、どなたでも参加できます。

場所は、池袋駅東口から3分ぐらいのところ。大戸屋発祥の地の近く。なんの情緒もない「名店」といわれる心配のない安居酒屋。池袋のチェーン店の居酒屋のなかでは、わいざつオヤジ文化度の濃さ、なかなかよいな~と、おれは気にいっていて、ときどき利用している。

ようするに大雑把にだらしなく飲むには、よい会場なのだ。そして、おれは、かなり大雑把な人間なので、キッチリした運営などする気は、はなからない。予約もしてない。なりゆきまかせ。

とくにオフ会というわけでもなく、ナントナクだらしなく集まってだらしなく飲んで9時ごろでオシマイ、というかんじでやる。注文も各自勝手で、清算も各自。話しに加わってもよし、話したくなければ、ジッと黙って飲むだけでもよし。自分の好みを押し付けてはいけない。だらしなく、だらしなく、大雑把に、なりゆきまかせ。

大衆食の会の希望 「楽しい力強い食事と料理」
大衆食の会の三大運営方針 「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」
に準じておこないますのです。

ってことで、よろしく~

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2007/02/19

いいねえ、大衆食堂

Syowa_2きのう18日、夜。新宿駅東南口前の長野屋食堂。新宿下層労働者スズキと。のち、一人で池袋飲み徘徊。ああ、池袋の夜は忘却の彼方?

きょう。新橋、ニュー新橋ビル、1階「ムサシヤ」でスパゲティナポリタンを食べ、地下「大衆食堂 たつみ屋」を脳写。写真も撮ったが、どうもデジカメの電気回路がおかしい、ストロボというかスイッチが勝手に入ったり切れたりしているようだ。

京浜東北線で蒲田、多摩川線に乗り換え矢口渡駅へ行く、つもりが、まちがえて池上線に乗ってしまう。ひとつ目、蓮沼駅で気がつき下車。蒲田までもどるのはめんどう、テキトウに矢口渡方面へ見当をつけ歩く。20年前ぐらいか?入ったことがある、矢口渡駅前商店街の大衆食堂が、まだあるかと求めて。

で、どこだかわからなくなりウロウロしていると、なんと、トツゼン目の前に「昭和食堂」って。すンばらしいたたずまい。この画像。正面からだと店名は、わからない。

はて、ここでたべるか、それとも商店街のほうの大衆食堂を、まず見つけてからにするか。通りかかったオバサンに、「アノここから矢口渡の駅は近いんでしょうか」「それは、ほら、あそこ右へまがって、まっすぐよ」ってんで、まずはそちらへ。

なんとなく全体的に大きな建物がないあたりは以前とおなじ、むかしの商店街だが、新しい建物がおおくキレイなかんじになっている、はたしてあの大衆食堂はあるか?

おっ、あったあった、以前のままだ。いいねえ、そうか名前は「いづみ」だった。「大衆食堂」の看板が、チトかしがっているが、なかはほぼ満席だ。新橋のスパゲティナポリタン、まだ腹に残っているが、ビールとカツ丼。くわしくは、そのうち掲載。

ああ、しかし、くたびれた。
しかも、写真、半分ぐらいダメ。クソばかデジカメ。

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2007/02/18

なぜか?

ある男がいった……「溺愛」したにも拘らず、子ども達は、ちがう道をどんどん歩んでいる、それは世界どこでも変わらないのである。なぜか?

べつの男がいった……「溺愛」しているにも拘らず、女は逃げていく。なぜか?

べつの男がいった……カネが好きなのに、カネは逃げていく。なぜか?

べつの男がいった……平和を望んでいるのに、平和は逃げていく。なぜか?

べつの男がいった……酒を望んでいるのに、こんな雨の朝にかぎって、酒は切れている。なぜか?

とかく、この世は、ままならないものならば、愛しもせず、好きにもならず、望みもせず……生きていればよいものを。しかし、めしだけはくわなくてはな。そして、めしをくうことから、すべては始まってしまうのだ。

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2007/02/17

24日の「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」

ちかごろ「わめぞ」なる奇怪なことばがブログを徘徊している。なんだかアヤシイことばとおもったら、これは「早稲田」と「目白」と「雑司が谷」の頭のひらがなだそうだ。

「わめぞblog」によれば「早稲田・目白・雑司が谷で主に本を扱う店の集まり」とか。雑貨やギャラリーといったモノゴトも関係しているらしい。

おれの知っているひとをあげると、早稲田古本屋街の「古書現世」のセドローくんこと向井透史さん、古巣の立石から早稲田古本屋街に移転した「立石書店」のイチローくんこと岡島一郎さんもメンバーだ。

ま、そんなことはいいや、おれが、チョイとこれに肩入れしたいなとおもったのは、雑司が谷が好きなのと、そこを含んで目白、早稲田とつながる地域を、ひとつの「街」としてとらえ、なにかやっていこうという、チャレンジな心意気が気に入ったからだ。

はっきりいって、たとえば谷中と千駄木と根津をあわせた「谷根千」のような知名度も集客ネットワークも確立している地域とくらべてみればわかるだろう。

なるほど、早稲田には早稲田大学というブランドがあるが、土日にフラッと散歩したくなるようなブランドな情緒がない。「谷根千」のような、「下町情緒」「江戸情緒」「ハイカラ」「レトロ」といったシブミのイメージがない、ガサツな早稲田というかんじだ。

目白は、ま、多少ハイソな山の手のかんじではあるが、散歩でフラフラな街というイメージはない。ゆったりした気分の散歩には、シブミにかけるイメージだ。雑司が谷、ここは、ほんとうはもっと注目されてよい地域だとおもうが、歴史が古いわりには、やはり「下町情緒」や「江戸情緒」に欠け、田舎くさいイメージだ。

ようするに、チト気どって散歩したくなるようなゲージュツ的文化的イメージからは遠く、ガサツわいざつな単なる庶民の街で、「谷根千」のように歩いてみたとろこで「こころの糧」になるようなイメージがない。

いや、「谷根千」だってそうなのだが、文豪様やらなにやら有難そうなひとたちがいたことがあり、それになんといっても古くからの庶民の権威である寺がおおく、江戸風なシブミも残っていて、なにかフラフラすると「こころの糧」になりそうなゲージュツ的文化的イメージな権威にこと欠かないところが、ちがう。

で、ま、「わめぞ」なんか散歩しても、やっぱりワタシって単なる庶民だったのね、ということを自覚するぐらいがせいぜいの地域だ。早稲田大学が、「都の西北」とつっぱってみたところで、「都の西北」は都じゃなかったという歴史を語っているにすぎない。「都の西北」ゲージュツ文化果てるところ。もともと江戸の町の外で、しかも下町とは地続きではなかった田舎にできた、ある意味では新しい近代勤労庶民の街なのだ。そこで、なにかやろうという。

たしかに、そういうところだからなにかやる意義はあるが、なにごとにつけても計算高いコンニチ、意義ぐらいでは、そんな大変なことはしないのがフツウだ。計算高いプロのイベント屋なら、そんな場所は避けるだろう。それをやろうというのだから、たいした心意気だ。若い者はこうであってほしいとおもう。

かりに、なかなかうまくいかなくても、成功しやすい土地で成功するよりも得がたいものが取り組んだものには残り、その積み重ねが街の文化になるのだ。そこに生きるものは、そうして生きて、街を継続していく以外にないはずだ。

ま、おれのような流民は、ただ流れるだけで、そんなことはしないが、その意義と大変さぐらいは理解できる。応援したくなる。

「わめぞ」にカンドーして、能書き、長すぎた。でだね、2月24日の土曜日には、「わめぞ」の池袋駅に近いところにある「古書往来座」で、外市ってのをやるそうだ。

くわしくは、こちらに案内が。セドローくんの「週刊現世」……クリック地獄

で、ですね、この日の、6時から、池袋で飲み会をやろうと思います。ま、「わめぞに勝手に協賛飲み会」ですね。場所は、単なる、なんの情緒もない「名店」といわれる心配のない、「わめぞ」のような居酒屋に決めてあるのだが、チト確認したいことがあるので、数日中に、ここに告知します。

とりあえず24日(土)6時から9時ぐらいまでやるとおもいますが、参加希望のかたは、ed_meshi@■yahoo.co.jpに(■は削除して)、件名に「24日」と記入し、メールをください。

古書往来座は池袋駅からなら10分ぐらいですが、早稲田から都電荒川線ぞいに歩いてくるのも、なかなかよいでしょう。とりたててブランドな情緒のない街を散歩してこそ、自分で発見するたのしみがあり、知性と感性は試されるのです。雑司が谷などは、生活のニオイがする狭い路地がクネクネクネとつながり、人生の迷路を遊ぶおもしろさもある。

当ブログ2006/11/07「池袋辺境徘徊のち西川口いづみや」には、池袋駅から古書往来座―鬼子母神―南池袋―東池袋―大塚といったコースを歩いた記事がのっている。……クリック地獄。けっこう歩くが、この逆をたどり古書往来座にむかうのもよい。

南池袋も東池袋も、もとはといえば雑司が谷だ。都電東池袋4丁目駅そばの古い商店街の画像ものせてあるが、このあたりの散歩もオススメしたい。前日の2006/11/06「再開発真っ只中、東池袋の朝日食堂」の画像は、いまこのあたりですすむ「再開発」のようすだ。ここをみると、再開発は戦争の爆撃で街を破壊する暴力とおなじだと、わかるだろう。

ま、いろいろ「わめぞ」を散歩して、飲み会へ。飲み会は、ただ飲み食いして楽しむだけ、正確には、「お互いに楽しむことを楽しむだけ」です。そのことだけシッカリ守っていただけば、どなたも参加できます。

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2007/02/16

『世界屠畜紀行』内澤旬子

昨夜は、戸越からアチコチ寄りながら、酒を飲みながら帰りながら、西日暮里でも下車し、「古書ほうろう」へ行き、やっと気になっていた内澤旬子さん著の『世界屠畜紀行』(解放出版社)を入手した。しかも、初版のサイン入り。

まだ本は、これから読むのだが。

内澤旬子さんは、←左サイドバーにある「アステア・エンテツ犬」を描いた方で、「イラストルポライター」の肩書を持つ。そして本書も、イラストと文章によるルポなのだ。

本書に収録されているのは、全部かどうか知らないが、たしか解放出版社の『部落解放』という雑誌に連載していた。その取材で内澤さんが韓国に行って来たあと、それは主に犬肉の取材だったと話を聞いて記憶しているが、三河島の韓国料理屋へ犬鍋(ポシンタン)を食べに行き、犬食や肉食のことなどアレコレ楽しく話をした。そのことは、ザ大衆食のサイト「犬鍋」に掲載してある。……クリック地獄。ここに、「アヤシゲさんのヨメ」とあるのが内澤さんのことで、アヤシゲさんとは←サイドバーにある「アステア・エンテツ犬」の名づけ親である「ムコ殿」つまり南陀楼綾繁さんのことだ。

「屠畜」ということばは、おれにとっては不自然なことばで、「屠殺」で育っている。おれが育った新潟県の現在の南魚沼市の六日町の北のはずれには「屠殺場」があった。小学校3、4年生ごろからよくそこへ近所のガキどもと遊びに行った。町なかのおれの家あたりからだと、子供の足で20分ぐらいかかったように思うが、自転車に乗れるようになってからは簡単だった。そして、ようするに屠殺するところを見物するのだ。解体作業は、腹をさき内臓がボコッと飛び出すあたりぐらいまでしか、見たことがない。

屠殺場は、当時の感覚だと小学校の教室を2つあわせたような広さで、床は全面コンクリート、その片方のはしの廊下の広さぶんぐらいが柵で仕切られていた。その柵に身体をのせたり、ヒジをかけたりして、屠殺をみる。

何回も行っているので、たいがいの屠殺は見たと思うのだが、曜日によって家畜が決まっていて、たしか牛は一週間に一回しかなかったから、そのせいか、あまり記憶にない。イチバン記憶にあるのが、豚と馬、そして山羊だ。ちなみに鶏は、飼っている家の庭先で、首を絞められたから、これも何度も見ている。ウサギやキジなど、野山のものは、さばく手伝いをさせられたこともある。

豚が印象に残ったのは、あれはなんという道具だったか、ツルハシのような、だが先は重そうな四角な鉄のカタマリで一方だけが尖った、それを豚の正面に立ったひとがふりおろし、一撃のもとに豚を昇天させる。たしか眉間のあたりを撃つのだが、屠殺場のおじさんが、それを上手にやって一撃で豚を楽に死なせてやらなくてはならない、というような説明をしてくれたことがあった。とにかく、その一撃で豚は倒れ、ドバッと血潮が噴出する。山羊もおなじ方法だったと思う。

馬は、強烈な印象が残っている。右と左の奥歯のあたりに電線をつけ、電気を入れる。馬がショックで横倒しになる。すかさず、やはり例の道具で、眉間のあたりを一撃する。血の吹き出る量と勢いが、豚の非ではない。

屠殺場の床には、絶えず水がながれ、清潔な印象があった。

ま、そういうことなど思い出しながら、これからゆっくり読むのだ。日本の肉食の歴史については、汁かけめしの歴史とおなじように偏見に満ちていて、おれはまったく信用してない。たしか牛や馬については、かなり古くから食べられていたような痕跡があるが。

そういうふうに歴史がゆがんでしまう根には「部落差別」があるからといわれることがおおい。たしかに、それが根深いモンダイとしてあるとおもうが、その歴史の積み重ねによって失われたものは何かということを考えないと、「差別用語」をつかわないようにすれば「差別」がなくなるかのような安直なことになりやすいようにもおもう。

おれが「屠殺場」ということばが「差別用語」だと知ったのは、比較的あたらしい。1999年の『ぶっかけめしの悦楽』でそのことばをつかい、編集者に「屠場」と直された。どうやら「殺」がモンダイでもあるらしい。ただ、直されたとき、「弾圧」にも似た不自然を覚えたのは、たしかだ。ことばは自分の歴史であり、おれの歴史ともいえる全体の文脈は無視された。こうも簡単に自分の歴史が否定されてよいものだろうか。やりきれなかった、こころが傷ついた。政治的圧力的に生まれたモンダイだから、政治的圧力的に対処されてよいということなのか。しかし、あんたが傷つくのなんかたいしたことではない、もっとひどく傷つくひとたちがいるのだといわれてしまえば……なあ。

たとえば、種村季弘さんの『食物漫遊記』などは、「屠殺場」も含めて、いわゆる「差別用語」がつかわれている。が、種村季弘さんの書は、「差別」をのりこえる、というか、なんというか、「差別」の余地がない圧倒的な見識に満ち溢れている。そういう見識が、文化の共通基盤にならないかぎり、「差別」はなくならない。という面もあるようにおもう。そういう努力は、どのようにあるのだろうか、あるべきなのだろうか。どうもイマイチみえてこないで、「単語」だけが取り沙汰されているようにみえる。

ま、これは、そう単純なモンダイではないので、ここで簡単に結論だしたり議論するようなことではないが。

そういうこともふくめ、この本を読んで考えたい。ということなのさ。

内澤旬子・空礫日記……クリック地獄

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戸越銀座「ゆたか食堂」と、無関係な株のこと

もう24時をすぎたので、きのうになったが、夕方から戸越銀座あたりをウロウロし、戸越銀座駅ちかくの「ゆたか食堂」でめしをくった。ヤマニは閉まっていたのだが、定休日だったのだろうか。

ゆたか食堂、なかなかよかった。いずれ書くとする。

出かける前に、ある女にメールをした。そのとき、ちかごろ稼ぎまくっているようだから、そのカネで株をやって儲けまくりましょう、と何の気なしに話の付けたしのように書いたら、ちょうど、ずいぶんひさしぶりの男からメールがあって、そういえばこの男に、むかし二度ばかり株で儲けさせてやったことがあったのだっと思い出した。じつによいタイミングだった。

たしか、あのとき、この男は、けっこう儲けたはずで、箱根で一晩芸者あげて遊びましょうといったのだが、そのままになっている。なにかの拍子に、こういうぐあいにヒョイと鮮明に浮かんでくるから、記憶ってオモシロイ。とにかくまた忘れないうちに書いておくのだ。うふふふふ、今日あたり、このブログを見るかも知れないからな。まさか忘れてないよな。ホラ、おれが、この株あがるよと、二度おしえてやって買っただろ。しかし、だいぶ昔のことだなあ、20数年前? もう請求権失効か。

いまでも、新聞はとってないが、よそで新聞を見る機会があると、惰性のように株価を見る。新聞で「捏造」の心配がないのは、株など市況関係の数字ぐらいなものだ。そのむかしは、プランナーという商売柄、毎日詳細に見て、頭の中にはキッチリ数字がつまっていた。

で、あるとき、その数字の変動と、ある情報の関連に気がついた。ある情報は、インサイダー情報ではないのだが(どのみち当時はインサイダー法はなかった)、イチオウ裏をとらないと信用できない情報ではあり、その裏を取る方法が、そのときのおれにはあった。で、一回目、これは必ず上がると判断したが、当時は、いまとちがって小口の株取引はできない。ようするに、まとまったカネがいるのだ。それにおれは、儲けを考えることは好きでも、カネを得ることそのものには、あまり興味はない。

そのころ一緒に仕事をしていたなかに、このおれより一回りぐらい年下の男がいて、よく飲んだりスキーや山へ行ったりしたのだが、若いくせに親の遺産で株をやっていた。それでコヤツに、その株の話をした。買った。やはり上がった。いくらで売ったかは知らないが、とにかく儲けたのだ。そしたら、まもなくして、また同じような株価の動きがあり、また、同じような情報が動いた。そして、また。で、ヤツは、うれしそうな顔をして、箱根で一晩芸者あげて遊びましょうといった。テナことだったが、ま、もういいや、時効で。愉快な記憶だけで十分。国を信じるよりカネを信じるほうがマシ。どちらも幻想だが。

ああ、眠い。

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2007/02/15

もう5年すると

ちかごろスーパーのレジにならんで、シミジミおもうことは、「年寄り」がふえたということだ。このおれも、その「年寄り」の1人なのだろうが。その「年寄り」が、おなじ「年寄り」を見て、イライラしためいきをつく事態だ。

そのふえた影響は、レジのところで顕著にあらわれる。「年寄り」は、ほんとうに遅い、グズだ。歩くのが遅いうえ、財布からカネをだすにしろ、釣をもらって財布におさめるにしてもグズだ。おまけに、まわりのこと、ひとのことに、まったく無関心のようだ。

そもそも、いまのレジは打っている最中に、打ち込み合計がつぎつぎ表示されるから、それを見ながら財布を出して支払う用意はできるはずだ。なのに、打ち終わってから、店員がイクラですというのを聞き、それをまた聞きなおし、それからバッグから大事そうに財布を出し、カネを取り出し、ツリを受け取り財布におさめてから、ともするとその前に、レシートをていねいに点検し、それからやっとレジを立ち去ってくれるのだ。その動作の一つ一つが、わざとほかの客に迷惑をかけて楽しんでいるかのように、ノロノロしている。

とにかく、ここ数年のあいだに、レジの風景は、まったく変わってしまった。そのことをおもい、つぎの5年を考えると、ゾッとするものがある。自分も、その風景のなかの一人であることを考えると、よけいゾッとする。

社会全体が、ノロノロゆっくりペースになるのなら大歓迎だが、いまの流れは、そうではない。たとえばレジ処理が遅くなって効率が落ちたぶんは、どこかで吸収されないと、べつの破綻につながる仕組みだ。だれかのグズノロは、だれかどこかにしわよせされる。

おもえば、人間には未来を想像し対策する能力があるはずだが、ここ10年ばかりの大勢は「懐古ブーム」というか、「過去形ブーム」だった。今日あったこと、きのうあったこと、古い評価を定めやすいことなど、そちらのほうに関心が集まり、つまり未来ではなく過去の画像を眺めながら喜怒哀楽し、脳天気にすごしてきた。ま、こういうブログ日記なんてのも、そういうものだったかもしれない。2007年モンダイといっても、赤信号みんなでわたればこわくない、というかんじだ。

未来を想像しないかぎり、その能力は退化し、過去にながされる。そして、いまのレジの風景があるのだ。もう5年すると、この風景は、どうなっているのだろうか。

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2007/02/14

カジカ酒

Kajika_sake

12日の夜、万盛庵で呑んだ、カジカ酒。
生きているときもグロテスクなカジカだが、
焼いてますますグロテスクなカジカ。
二杯のんでしまった。
一杯目は、チョイと塩味が強すぎるかんじがして、
二杯目がちょうどよかった。
カジカのダシがタップリきいた濃厚な味わい。

万盛庵のマンチャンのブログで、カジカの生きている姿と焼かれる姿がみられます。ああ、ありがとうカジカちゃん。…クリック地獄

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書評のメルマガvol.299 発行 とにかくコク

そういえば、「食の本つまみぐい」を隔月に連載中の「書評のメルマガ」vol.299が発行になったのだった。……クリック地獄

今回は、前に書いたように、伏木亨『コクと旨味の秘密』新潮新書2005年を取りあげた。この件に関しては、このブログで、まだまだ書くつもりだ。

とりあえず当ブログの関連、あわせてご覧いただきたい。

2007/02/06「伏木亨『コクと旨味の秘密』を読めば、おれの天才がワカル」……クリック地獄
2006/04/09「ようするにコクという日本人の証明」……クリック地獄

ま、おれはコクがありすぎてアクが強いぐらいの人間が好き、というか興味をひかれるのだが、でも、「コクがありすぎてアクが強いぐらいの人間」というイメージは、かなりひとによって違うようだ。おれのばあい。外見の言葉づかいや行動ではなく、内側からゴンゴンでてくるものだね。いわゆるクセが強い人間とはかぎらないし、おっとりやさしいように見えるがアクの強いやつもいる。ま、内側が何層にもなっているというか。味覚のコクも、そんなかんじのようだ。

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暖冬小雪の故郷

Sakadoyamaきのうの続き。

12日の午後4時過ぎに六日町のホテル宮又につき、80過ぎの女将にもらったカギの部屋は、すでに何度か泊まったことがある「魚の川」だった。2階の角部屋で、窓のすぐそばに魚野川が流れ、そのむこうに坂戸山がそびえる、いちばんよい部屋だ。前夜は団体もあって大賑わいだったらしいが、この日は祭りのあとで、おれ1人。つくとすぐ、古典的な湯治場のような風呂、もったいないぐらいお湯が流れっぱなしの温泉に入った。

画像クリック地獄拡大は、部屋から坂戸山を撮影。いつもなら、3メートルぐらいの積雪があるのだが、50センチもないと思う。大きな杉の木以外は雪の下になり、真っ白に美しいはずの坂戸山は、ちょっと無残な姿。

窓辺にたって、すぐ目の下の魚野川の土手を見て、約半世紀前を思い出した。おれが中学を卒業した年の冬も、このように雪がすくなかった。当時は、「暖冬異変」ということばで騒がれたが、高校受験の合格発表の日は、下駄ばきで六日町高校まで見に行き、帰り合格した数人で、この土手にきたとき、ホコリが舞うほど乾燥していた。そんなことは、生まれて初めてだった。中学3年間は、降雪がすくなかったように思う。

しかし高校の3年間は、例年どおり、あるいは例年以上に雪が降って、以前このブログにも書いたが、ドカ雪で上越線がとまり、おれは雪山にとじこめられヒドイ目にあったこともある。

雪が少ないと、山菜の成長がはやく、アクが強くなるといわれているようだが、はたしてどうだろうか。昨シーズンは、雪が「異常」といっていいほど多く、長いあいだ山菜を楽しめた。今年は短くなることは間違いない。みな山菜とりを楽しみにしているから、競って採り、むさぼり食べるのだろう。おれもあやかりたいものだ。

おれと坂戸山のことは、以前にザ大衆食「坂戸山」に書いた。高校三年卒業目前の登山。あのときは、3月初めでもタップリ雪があった。……クリック地獄

ホテル宮又は、朝食付4500円だった。朝一風呂浴びてから食堂で1人でめしを食べる。壁に、うたが、額入りでぶらさがっている。この、うたは、最初に泊まった数年前からあったように思うが、昨年ぐらいまでは短冊に書いたものをピンでとめていたと記憶している。なかなかよいうたなので、書きとめてきた。

人々と父母より受けし生命を
大地に立って
八十路を歩く

たぶん、女将の作だろう。建物も女将も、ややくたびれが増しているようだが、いかにも大地に立って生きている、飾り気のない底に力強さを秘めた「素」の風情がよい。

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2007/02/13

とりあえず、無事に帰った

故郷の南魚沼市六日町へ行き、万盛庵で中学の同期生たちとたらふく飲み、ホテル宮又に泊まりイイ温泉につかり、帰ってきた。

きのう、夕方、六日町駅を出ると、街は、まさに「死んだように」静まりかえっていた。おかしいなあ、雪まつりのはずだが。と思ったのは、おれのカンチガイで、雪まつりは10日と11日でおわり、11日は花火まであったのに、12日は何もないどころか、町中が祭りのあとで疲れはてているのだった。

万盛庵もホテリ宮又も、前夜の大忙しでくたびれ果てていた。

しか~し、元気な飲兵衛もいる。万盛庵で、クボシュン、コバ、そしておれは、八海山の一升瓶を、デンとテーブルの上において飲み始める。

まず書かなくてはならないのは、このことだ。今日は右の手とヒジのあいだの筋肉が、チョット痛む、というか痛だるい。なぜかなあ、と思ったら、たぶん一升瓶を片手で持って酒をつぐことをしたからに違いない。そんなことをしたのは、何十年ぶりだろうか。

コバが、最初に片手で持って、おれのぐい呑みについだ、それを見て、はて、おれはまだそのようなことができるだろうかと不安がよぎった。コップにつぐのとちがい、ぐい呑みに注ぐのは、瓶を傾げる加減が難しい。重い一升瓶の口にちかいところを、しっかり持って、ゆるゆると注ぎ、なみなみとなったところでさっと瓶をおこす。そうやって、さしつさされつ飲む、醍醐味。だが、このだらしなくなまった腕で、うまくやれるだろうか。手がふるえないだろうか。

思い切ってやってみたら、うまくいった。それが、昨夜のイチバンうれしかった記憶、とはね。

あとから、エッチャンと旦那の万盛庵のオヤジ、それから中学卒業後はじめてマジマジ顔を合わせるユリコが加わったが、八海山の一升瓶を飲むのは、クボシュンとコバとおれだけで、そのうえ八海山の原酒、さらにおれはカジカ酒をコップで二杯……。ま、ようするに、泥酔。おれはカメラを万盛庵に忘れ、クボシュンは老眼鏡を無くしたらしい。

飲み始める前にソルマックを飲んで備えたが、今日は身体がデレデレヨレヨレ。いつも、行ったついでに、あちこちフラフラしようとおもうのだが、身体がいうこときかず、そのまま帰ってきてしまう。もったいない。しかし、酒だけは、高千代巻機を、ちゃんと買って帰ってくる。

万盛庵のカレーうどん、うまかった。コバが昨年採って塩漬にしておいたウドを、油炒めたの、うまかった。初物、ふきのとう、チトえぐかったが、うまかった。ほかにも、うまかったのあったが、飲みだすと、ほとんど食べないから、あとで悔やまれる。

とりあえず、こんなところで。

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2007/02/12

「そして切ない「愛情料理」」に讃辞が

チトきょうは、ベロベロ泥酔デーなので、あわただしい朝。ブログはパスと思っていたのだが、メールをチェックすると、すごい、02/08の「そして切ない「愛情料理」」をご覧いただいての讃辞が届いていた。

コメント欄に書こうとしたが、マック機種のばあい、文字化けすることがあり、それだったようで、メールになったとのこと。

届くメールの多くは、おれのことを、面とむかってなら口にできないような言葉で、ミソカスボロクソにいうもので、讃辞はめったにない。だから、こういう讃辞をいただくと、恐縮しつつ、単純によろこんで舞い上がり、すぐ人に見せびらかしたくなる。

もともとコメント欄に書こうとしものだから転載は差し支えないだろう。

ときどきコメントをいただいているヤマザキクニノリさんからのメール。ヤマザキさんは、この正月公開の映画「こほろぎ嬢」の脚本を担当し称賛をあび、めったに人を褒めない口うるさい連中からも「日本のタルコフスキー」だの「福島のタルコフスキー」(ヤマザキさんは福島県出身)だのといわれているようだ。すみません、おれ、タルコフスキーを知りません。でも、「こほろぎ嬢」は、ほんと、見る価値ありますよ。

ってことで、とり急ぎ、ヤマザキさんからのメールを、ここに転載します。おれからの返信は、すでにヤマザキさんにはしてあるけど、ここに書くのは、ベロベロ泥酔が醒めてから。明日とか明後日とか。

エンテツさま

「そして切ない『愛情料理』」を拝読し、稀に見る名文だと心を打たれました。これは中学や高校の教科書に載せるべきではないか、人生の何であるかを、ガキどもに読ませたいものだと考えました。その旨コメントしようとしたら、目下ウィンドウズのノートパソコンを修理に出しており、これがすべてのデータが消えるという遣る瀬ないものなのですが、残った初期のiMacで書き込んだところ、どうやっても文字化けしてしまいます。一度は断念したのですが、読めば読むほど味わい深く、こうしてメールでお送りした次第です。
 確かにこの文には「コク」がありますが、押し付けがましさのない、いつでもこんな人生から消えてやるぞという、愉快な黄昏感が横溢しています。これは日本風の枯淡の境地とはまったく異なった、年喰った人間の真っ当な批評性を示しているのではないでしょうか。後続世代のわたしですが、一人の部屋で、ああでもない、こうでもないの堂々巡り。こんな風な、生活の真只中から立ち上がってきた見事な文章は書けません。わたしたち、いわゆる「団塊の世代」の男にも読ませたいものですが、まあ手遅れですね。おそらく「一緒に連れ戻しにいってくれ」と泣き言をいうような連中ばかりの気がします。
 とりあえず、敬服の念を表明したくメールしました。


ヤマザキ・クニノリ
http://www.7th-sense.gr.jp/
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/

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2007/02/11

熊谷真菜さんから、お知らせ~

なんだか今日は日曜日なのだが、忙しい。ブログ書いていられないかと思っていたら、うまいぐあいに、日本コナモン協会の会長にして『汁かけめし快食學』の解説を書いていただいた、『たこやき』の著者・熊谷真菜さんから、宣伝してちょうだいメールが届いたので、これをそのまま転載しちゃう。ぶっとんでいるひとなので、文章もぶっとんでいる。

「添付の記事」とあるのは、読売新聞の1月6日付けの記事。「王女のたこ焼店」の見出し。インドネシアの首都ジョクジャカルタでは、現地の王室(インドネシアは共和国だが地域によっては王室が存続している)の第一王女が「日本の庶民の味」として気に入り、日本コナモン協会が協力して実現した、「TAKOYAKI(たこ焼き)」店が人気を集めているとのこと。それで、熊谷さんはインドネシアを訪問することになったのだろう。

あと、うちにはテレビないので見られないがテレビ出演の案内。
ま、よろしく~見てくださぁ~い!


エンテツさま

たいへんごぶさたしております!

春のような毎日ですね。
近況報告です。
添付の記事の関係で
来週はインドネシアのジョグジャカルタの王女とコナモン交流してきます。

インドネシア語はおろか、英語さえだめなので、
ジェスチャー勝負でしょうね!

テレビのご案内・・エンテツネットで宣伝よろしくお願いします!
今回のNHKは、ひと月あまりの撮影でした。
ディレクターが熱心だったので、八十歳の方にインタビューしたりして
たこ焼き研究も一歩ふかまりました。
博多では、千利休の麩焼の古文書も確認してきましたよ~。
見てくださぁ~い!
NHK 熱中時間 (後半に出ると思います)
★BS ハイビジョン 2007年2月16日(金)夜7:00~7:59
★BS-2       2007年2月18日(日)夜9:00~9:59

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2007/02/10

金目鯛の頭をねぶる

シティの安っぽいスーパーの閉店間際に、「半額」のシールが貼られた金目鯛の頭を見つけたワタシは、大急ぎでそれをつかんだ。最後の一つ、160円!

これで今夜のメニューは決まり。もちろんフレンチだ。冷蔵庫には、カボチャとホウレンソウが入っている。ナチュラルチーズも、3種類ばかりあるはずだ。

金目鯛もカボチャも蒸そう。そして、金目鯛にはバスクドシャルルブウランジェを、カボチャにはヘドヘドラポアンテディフシルを、かけよう。ホウレンソウは、サッと茹でて、チーズとあえる。うーむ、想像しただけでもヨダレが出る。

バスクドシャルルブウランジェもヘドヘドラポアンテディフシルも、ワタシがフランスに滞在中、バスク人シェフに教わった秘伝のソースだ。かれは熱烈な、いわゆるバスク民族主義者で、三ツ星クラスの腕があるといわれながら、あるバスク人の地下アジトの賄いをしていた。そこへワタシが行って、かれの下で働くことになったのは、パリである男を救ったからなのだが、その話は、ま、いいだろう。

ワタシは、パリの風、バスクの空、そしてあのバスク人シェフを思い出しながら、金目鯛の入った袋をぶらさげて家に帰った。今年の冬は、ほんとうに暖かい。故郷の六日町は、今日から三連休のあいだ雪まつりだというのに、雪はあるのかと心配になる陽気だ。

冷蔵庫を、あけてみると、チーズはなかった。おかしい、酔っ払って食べてしまったのだろうか。それにソースをつくるには必須のスープのストックを冷凍しておいたはずなのに、ない。おかしい、泥酔のあげく溶かして飲んでしまったのだろうか。

ワタシは、しばし呆然としたのち、気をとりなおし、フレンチはあきらめ、あるものでうまくつくることにした。

ところが、いつも絶やさないようにしているはずの、カツオ節や雑節や昆布や乾燥シイタケや、はては即席ダシのたぐいまで、どれ一つとしてないのだ。なんという日だろう。おかしい、こんなことがあるだろうか、みな酔って食べてしまったのか。

しかし、料理の腕は、ここからなのだ。冷蔵庫には、ハクサイの葉が数枚、モヤシの使いかけが袋に半分のこっていた。ハクサイを細かく切り、モヤシと一緒に、土鍋の底におく。それらがひたひたになるぐらい水を入れる。醤油をテキトウに注ぐ。その上に、金目鯛の頭を置く。その頭にも、醤油を少しだけかける。土鍋のふたをして、中火。

こうすると、金目鯛から出るダシと、ハクサイとモヤシのダシが、水にとけだし混ざる。その汁を、金目鯛の頭を皿にもった上に、かける。もちろん、ダシ汁を、たっぷり吸ったハクサイとモヤシもそえて。

そしてワタシは、とうぜん清酒をともにし、フレンチなんかクソクラエと、それを食べた。

金目鯛の頭は、ばらしながら、骨をしゃぶる。小さな小骨まで口にふくみ、しゃぶる。いや、「しゃぶる」のではなく「ねぶる」のだ。言葉の意味としては、おなじだが、感触がちがう。

まさに「口の中では卑しく小骨をねぶる演技をする」のだ。そうしながら、この表現は、じつにうまいと、あらためて思う。

写真家の久家靖秀さんが、『四月と十月』の最新号15号に、「アラ」という短文を書いている。そのなかの一行だ。アラの小骨を口の中で食べるときは、「卑しく小骨をねぶる演技をする」。すると「食にまつわる「卑しさ」を枯れて演技的に自覚する快感がある」

写真家の文章は、いわゆる文章家の視点や感覚そして表現と、かなりちがうように思う。写真家は、肉体労働者なのだなと思う。文章家は、頭でっかち。

そしてワタシは、口の中で卑しく小骨をねぶる演技をしながら、この感じは、ほかにもあったようにかんじ、思い出そうとする。

そうだ、女の乳首だ。赤子は、あれを「しゃぶる」のだろうが、男は、あれを「ねぶる」のではないだろうか。卑しく乳首をねぶる演技をする。どうも、そうだ。ワタシの頭に、いや舌に、パリの女たちの乳首が、50個100個とよみがえる。

……と、イテッ、舌の先に痛みが走り、われにもどる。かたい小骨が舌先を切り、血が。ねぶりかたがいけなかったようだ。少し酔ったか。ねぶる演技には、集中が必要だ。

と、今日は、創作風に書いてみた。

ご参考……2006/12/12「「四月と十月」の濃密」…クリック地獄

そういや、「四月と十月」の古墳部の活動は、今日から宮崎県の高千穂夜神楽を訪問するのだが、おれは六日町雪まつりの飲み会へ行く予定が前から決まっていて、参加できない。残念。高千穂の夜神楽は、以前4回ほど観て、知り合いもいるのだが。

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2007/02/09

Abbot's Choice中野店

カメラマンの武井メグミさんに教えていただいたのだが。2006/10/02「よく飲んだ、ただそれだけ」に登場の六本木のAbbot's Choice(アボットチョイス)が、中野に出店した。六本木の店は、値段もリーズナブルで、なかなかよかったから、期待できる。中野で飲む機会は多いし、ぜひ寄ってみたいね。ワールドグループや旅人文化ほか、中野のみなさんも、ご利用よろしく~。

JR中野駅北口より徒歩約3分。東京都中野区中野5-56-11 B1F。
phone/fax 03-3385-1931

open 平日 17:00 p.m.~8:00 a.m.
open 日曜 18:00 p.m.~6:00 a.m.

2月7日(木)~12日(月)まで
19:00 p.m.~5:00 a.m.

無休

Abbot's Choiceのサイト…クリック地獄

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気になる「愛情料理」

きのうの「愛情料理」モンダイから、いろいろ考えてしまったが、「愛情弁当」という言い方もある。だけど、「愛情料理」だろうが「愛情弁当」だろうが、妻であり母である女がつくる料理だった。それは、2007/02/05「「社会科のための 食物文化誌」なんだが」に引用したように、「君子は厨房を遠ざく、という聖賢の言が、国民の生活倫理の根底理念となっていたのである」という歴史的事情が背景にある。

女は「子を産む機械」なだけじゃなく、愛情料理や愛情弁当をつくる機械でもあった。ま、なかば「義務」のように、愛情料理や愛情弁当をつくらされてきた、ともいえる。しかし、「義務」や「機械」では、身も蓋もなければ美しくもない。「愛」や「絆」なら。

男にとって女は「利用関係」であり、「人間関係」とはビミョウに違う。ということが可能だった。しかし、自分にとって都合のよいものに対して愛着や愛情がわくように、利用関係においても、つまり便利このうえない利用価値の高い妻に対して愛情は持てる。あるていど「家庭」のカタチができてしまえば、妻は、いろいろなことでなくてはならない存在になる。いなくなると困る。それを「愛」とか「絆」ということにして、男はすごす。女からすれば、そうではないかも知れないということについては、考えない。

そして、女だって、一緒に暮すうちに、よき妻よき母でやっていたほうが、ラクというか、いいじゃないの「子を産む機械」「料理をつくる機械」だって、これが女の幸せ平和というものよ。テナことに、なるようなかんじもある。かくして、男と女のあいだには、深くて暗い川があっても、家庭を軸に「利用関係」が成り立ち、「人間関係」などメンドウなことは二の次。ま、人間関係的「愛」「絆」など考えずに、利用関係的「愛」「絆」で、心地よくすごす。

「愛情料理」や「愛情弁当」は、その幻想のための、潤滑油というか装飾というか……。

知人だが。妻が、うつ病ひきこもりで、料理もしないし子供の弁当もつくらなくなり、夫である男が、それをするようになった。すると、男だって、料理に対する関心が高まる。このあいだ、あるところで一緒に飲み食いしたとき、うまい気になる料理があると、「これ、どうやってつくるの」とイチイチ聞く。ようするに、料理がうまくなるというのは、そういうことなのだ。愛情より好奇心だろう。では、その好奇心のモチベーションはなにか。妻や子に、うまいものを食べさせたいという愛情か? どうもそうではないようだ。よそで食べたうまいものを、自分もつくって食べてみたい、それだと思う。自分が、どうしたいか、なのだ。

ともあれ、料理というのは、男と女の関係まで考えさせるものなのだ。

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2007/02/08

そして切ない「愛情料理」

「熟年離婚」ってのは話には聞いていたが、「現物」にあったことがなかった。しかし、これが「熟年離婚」かというのが、ついに出現した。本人にはスマンが、なんだかウレシイ、よろこんでいる。

おれより1年上の男、たしかカミサンは10歳ぐらい年下だったと思うが、離婚届を書いて家を出たという。ま、それで、おれに相談というか、ようするに連れ戻したいから一緒に来てくれという長い電話。

おれは、たしかに2回離婚し3回結婚しているが、だから、離婚のしかたなら知っているけど、連れもどしかたなんか知らないよ、カンベンしてくれよ。もうあきらめろ、おれならよろこんで、若い女をみつけるぞ。というと、「いや、いまさら、そんなメンドウはしたくない」

はあ、なんてやつだろう、「いまさら、そんなメンドウはしたくない」って、そういう根性で夫婦をやってきたからカミサンは家を出たのだろうし、そんな根性じゃ、ゼッタイもどりっこないよ。

そこそこの会社の幹部にまでなったやつだが、話をしていると、こっちが情けなくなる。カミサンの「愛情料理」が自慢だったやつで、そもそも「愛情料理」なんていう言い草が、自己中心的というか自己愛まみれで。

うちのカミサンは、うまい料理をつくる、「愛情料理」なんだよ。なーんて、20年前ぐらいに、よくそんな話を聞かされるたびに、おれは、そんなもの、夫婦を長くやっていて毎日料理をつくっていれば、自分がうまいもの食べたくて、うまい料理つくるようになるんだよ、愛情なんか関係ないよ、というと、いや、おまえは平気で離婚をするようなやつだから、女や女房の気持なんかわからないのだ。とか、しゃらくせえこといっていたが。

うまい料理をつくったり、夫婦で子供を育てるなんてのは、結婚していればアタリマエのことで、そんなもので「愛」だの「絆」だのって、本気にそう思っていたのか。おれだって子供の保育園の送り迎えから、掃除洗濯炊事、1人の子供は小さいとき入院手術もしたし1人は死んで葬式まで出した、それでも離婚だよ。そういうことで夫婦協力は、美しい「愛」だの「絆」だのと思いたいかも知れないが、フクザツな人間のココロを単純にしてみせるホームドラマやメロドラマの見すぎというものだ。

あんたは、ほんとうは、自分の好きなこと以外はめんどうだから、「愛」や「絆」ってことですまし、いい気になっていたのだろう。

とか電話でガンガン言いながら、そういや、どうもこやつ誠実で要領はよく仕事もできたが、コクのない男だったなと、フト伏木亨さんの『コクと旨味の秘密』を思い出したり。

ま、なんだか知らんが、あまりの自己愛の強さにオドロキながら、これからどうなるか楽しみになった。なにしろ、熟年離婚の「見本」は、初めてだから。

しかし、「愛情料理」なんてヘドが出るような言葉、ずいぶん罪つくりだと思う。料理は、愛情なんかなくたって、おもしろく楽しく、うまくできるのだ。

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2007/02/06

渡辺和博さん逝く

KinkonkanWebのニュースを見ていたら、渡辺和博さんの訃報があった。エッ、とおどろいたが、近しいものでない人の死は、なんの前ぶれもなく、トツゼン訃報に接しておどろくことになる。というワケだけではなく、その訃報の見出しに「「金魂巻」の渡辺和博氏死去」とあるのだが、その『金魂巻』は、いまでもいつでも手のとどくところにあって、ときどきパラパラ見ては、ウフフフフフとやっている本なのだ。

これは昭和59(1984)年7月第1刷の9月第5刷だ。画像クリック地獄で拡大。

当時は、渡辺和博さんと田中康夫さんが雑誌などに書くものを、よく読んでいて、これが出たときには買った。

ついでだが、田中康夫さんがアチコチに書いていたのは『ぼくたちの時代』というタイトルで、昭和61(1986)年太田出版から単行本になり、88年新潮文庫になった。それも持っていて、枕元において、ときどきパラパラ見ている。

どちらも、当時の「風俗評論」というか、軽薄な「風俗評論」のフリをして、上っ面でおわらないものがあった。いま読んでもおもしろく、当時ではなく、イマのことを考えさせるものがある。

ま、とにかく能書きはいいや。
渡辺和博さん、1950年広島市生まれ、享年56。こころから冥福をお祈り申し上げます。

肝臓がんだったらしい。なぜか、ヤハリね、というかんじがして、この本を立て、いま飲んでいる喜界島黒糖焼酎を、捧げ飲む。

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伏木亨『コクと旨味の秘密』を読めば、おれの天才がワカル

きょうが締め切りだと思っていた「書評のメルマガ」の原稿は、きのうだったとわかり、おおあわてで書いて送った。

今回は、伏木亨さんの『コクと旨味の秘密』(新潮新書、2005年)。タイトルの通り、拙著『汁かけめし快食學』や、そのもとになった『ぶっかけめしの悦楽』のキーワード、「コク」と「ウマミ」を科学的に解剖し解説している。簡単に読めて、内容は、日本人のアイデンティティに関わる味覚の話だ。

おれは、この本が出る前に、コクとウマミを手がかりに、汁かけめしの歴史を発見し、そこにカレーライスを位置づけた。これは体験にもとづく論理的な作業で、まだ、とくにコクについては科学的な根拠はなかったころのことだ。

ああ、おれって、なんて天才なんだろうと思ってしまいましたね。

なぜかというと、おれがその体験にもとづく論理的作業としてまとめた、コクと汁かけめしとカレーライスに関する結論と、伏木さんがネズミの実験なども含めて出した科学的な結果は、基本的なところで、ほとんど重なるのだ。

で、国民食といわれるほど普及したカレーライスは、伝来のものではない、汁かけめしの料理にカレー粉を生かした調理だという、科学的な根拠が得られたことになる。めでたし、めでたし。

ま、このことは「書評のメルマガ」が配信になってから、詳しく書きましょう。

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2007/02/05

「社会科のための 食物文化誌」なんだが

昭和23(1948)年発行の『社会科のための 食物文化誌』という本がある。著者は後藤興善さん、早大教授だ。東京火星社の刊行。

この本を見ると、戦後日本の、いわゆる「混乱」が、食文化においてはどうであったかということや、それをいまでも引きずっていることが見える。(以下、引用は、新漢字、新かなになおした)

まず、戦前のアカデミズムの慣例というか流れだ。「食物神話について」から始まる。そして、つぎが「民族の食」。まだ戦前そのままだね。そこでは、「今日都市の街々に横行している西洋料理、支那料理、印度料理、成吉思干料理等は、刺身や吸物の日本料理とは凡そ範疇を殊にしたものである。」と。

おれが5歳の昭和23年の話だよ。
「刺身や吸物の日本料理」に注意が必要だ。

拙著『汁かけめし快食學』では、そこまで書かなかったが、みそ汁ぶっかけめし下品論の背景には、吸物つまり「すまし汁」が「上」で、みそ汁は「下」という優劣観も、あったと思われる。たとえば、いまでも「正しい」板前がいる旅館の、伝統の和食とかいう夕食、いわゆる正餐は吸物で、みそ汁は正餐ではない朝食になる。(このカタチは現実的ではないからだろう、やや崩れつつあって、夕食の最初の配膳には吸物がつき、めしを食べるときに、めしと一緒にみそ汁が出るところもあるが)。おなじように、どんなに産地のうまいものだとしても干物が夕食の膳にのることはなく、夕食は刺身で干物は朝食だ。どちらも民宿ではありえないこと。

みそ汁や干物に劣等意識はないまでも、あれでは正式の日本料理にはならないという意識は、広くあったと思われる。「正式の」という言い方は、おかしいが、正式とそうでないものが日本料理にはあった。そして、正式とそうでないものとのあいだには連続がなく断絶し、一方だけが「日本料理」とよばれてきた。この自己分裂の根は深い。

そして、戦後の食生活において、めしとみそ汁と漬物という、いわゆる「伝統」の「和食」が軽んじられる根にあったのは、この優劣観だったと思う。「糠みそ臭い女房」は、愛しい頼りになる女房だったかもしれないが、男も女も糠みそ臭くない「奥様」にあこがれ、カネのある男は、糠みそ臭くない女を求めた。そして、自らの内面は問うことなく、「戦争に負けたからね」「占領されたからね」で片付け、「外来モノ」に敵愾心だけ燃やしてきた。

そういえば、思い出したが、渡辺淳一の小説『化身』の女主人公里美は、はじめは、サバの味噌煮をくいにいきたがる女として描かれる。純朴な田舎者、美人だが垢抜けしてない女、都会暮らしを知らない女、都会の垢に染まっていない女……そんなイメージのためにサバの味噌煮がつかわれている。その女をカネのある男が仕込んで、サバの味噌煮などくわないイイ女に化けさせる。

それはともかく「食の文化」という章では、「「食」の文化性に就いて先ず考えよう」と、かなり先進的だ。このへんは戦後の気分か。しかし、歯切れが悪い。

「食がたゞ飢をしのぐ為のものでなく、生活を楽しむ材料であり、機会であることも、もとよりで、この意味では粗末に過ぎる常の食物より、いつでも神祭の日のような食が食膳にあることは望ましいことでないことはない。そして、珍味佳肴の多くを味わい、舶来の飲料や美酒も飲み、東西の美果を食することは正しく人生の逸楽事である。しかし、分を知り、限度を考えること、そして、食はもと生命の持続素であり、活動の源泉であることを考えることが肝要である。」

「食の倫理は、今日の如き食料の不足な時代に、一層強調すべきで、に尚よく考究しなければならない。しかし浪費してはならぬ、贅沢をするのが不道徳だというのは、ただ消極的な「すべからず教訓」である。もっと積極的に、食は人間活動の根源であり、食のうまさは生の喜びであることを考え、適正なる食によってより大なる人間活動をなすことを期すべきである。過食したり、或いはたゞ美味をのみ求めて食に対したりする場合、禍は小ではないのである。」

歯切れが悪い。だから、なにを言いたいんだヨ、というかんじ。そして、やっぱり出ました。

「昔の人の食ったものを食べれば丈夫になるといっても、今直ちにそうしろというのは無理である。しかしそういう心掛けだけは持つ必要がある。その精神で今日の日本の食糧問題は解決しなければならない。」

いまでも、こういう論調は、けっこう根強い。「食育」や「地産地消」の精神主義的背景は、このあたりなのだ。「昔の人の食ったものを食べれば丈夫になる」というのは、いったい、いつから何を根拠に言われるようになったのだろう。「昔の人」って、いつの人だろう。いつの人だって、昔の人のほうが、ズッと丈夫で長生きだったなんてことはないだろう。

そして、そして、やっぱり、こうなのですよ。

「食物についてとやかく物をいい、心を労することは前から「いやしいこと」として禁忌されている。君子は厨房を遠ざく、という聖賢の言が、国民の生活倫理の根底理念となっていたのである。然るに、今日は、有髯紳士も、猿眼で食料をあさり、見つけ次第要不要の考慮吟味もなく買い込もうとする状態である。浅ましい眼である。総力戦態制はこんなところにも整備の手がとどいて、心情のいやしさを恥じる伝統の精神美にあふれた日本人に立ちかえらしめる必要がある。武士は食わねど高楊枝。この諺は国民が、ややもするといやしくならんとする精神を高揚せしめるためにもつと口にしてよいものだと思う。」

いやはや。やっぱり、食べ物のことは「いやしい」のか。いまだって、食べ物や飲食店のことは、どこになにがあるかの「情報的」関心であって、文化的関心なんかじゃないものな。

かつて戦後は、モノに飢えていたがゆえに、食べ物のことは「いやしい」としながらも、武士でもなんでもない一市民の紳士諸君も競って食べ物にむらがり、そしていまは、情報に飢えて、食べ物にむらがる。

食べ物の情報にむらがるのは、毎日のことであり、どこにでもあって、群がりやすいからで、食べ物のことは「いやしい」とする自らの文化を克服したわけではない。だから、じつに、食べ物や飲食店のことで右往左往すること、先を競い浅ましいほどだ。それは「武士は食わねど高楊枝」の表裏なのだ。自ら食を楽しむ文化を育ててこなかった姿。

グルメとは、もっと悠々と生活を楽しむ態度ではなかったのか。ザ大衆食のトップページに書いてあるように、「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」ものだ。

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2007/02/04

旅人文化 旅の写真館

ことしは、旅人文化に力を入れようと思っているのだが、そのホームページやブログも、メンバーの手で少しずつ充実してきている。

いつのまにか「旅人文化 旅の写真館」なんていうブログもできたりして。……クリック地獄

「旅人文化なんでもブログ」には、ポルトガルへ逃亡中のNのブログ「ボンディアブログ」も紹介されている。……クリック地獄

おれは旅人文化を、情報の生簀のなかで型にはまり、わが世の春と脅迫観念のトリコになった生活の閉塞を蹴破る一つのアクションだと思っている。生簀を蹴破り、力強くめしをくって生きる、つまり大衆食と通じるものがあるわけですね。おそらく、街の創造へもつながるだろう。

街は、特定の嗜好の仲間や客の集合とはちがう。極端に異質なものがイヤイヤでも一緒に暮さなくてはならない。じつは、街の活力のもとはそこだと思う。大衆食堂も、そうなのだ。客をセグメントする思考がなかった、むかしながらの、なんでものみこんでしまう大衆食堂の力強さや魅力はそこにあるし、それゆえコンニチのセグメントされた市場や地域や店になれた人たちは、なじめない。

しかし、そのセグメントされた特定の嗜好の仲間や客の集合である「生簀」は情報的につくられるのであって、生活の現実から見れば幻想にすぎない。現実は、イイカゲンでワイザツでキケンで、そして、だから、奥が深く楽しい。

そして、たいがいの「大衆」の一人であるあなたも、イイカゲンでワイザツでキケンな存在のはずなのだ。ま、たとえば、安全を選びながら、じつはキケンをつくりだしているなんてのは、ザラだ。だけど、なぜか自分だけは普遍的に「正しい」ものであると主張したいのか、生簀のなかの少々の成功を自慢したり、他のイイカゲンやワイザツやキケンの欠陥をあげつらね、正義ヅラしている陳腐もみかける。

イイカゲンでワイザツでキケンきわまりない都会の街に群れながら、イイカゲンやワイザツやキケンを避け、嗜好のあう気心知れた安全や安心が保証された生簀を求める。「賞味期限」モンダイの根は、案外そういうことなのかもしれない。

ま、でも、そういうことはいいだろう、とにかく、旅人文化を、よろしく~。

ちかごろ大衆食の会は、あまりやってないけど、大衆食の会の希望は 「楽しい力強い食事と料理」 であり、大衆食の会の三大運営方針は「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」 なのですね。こちらザ大衆食「大衆食の会」のページに、かかげてあります。……クリック地獄

ことしは、先日の大宮のいずみやでの飲み会もそうだけど、なるべく、このセンの食い飲みもやっていこうと思っている。トツゼン発作的に開催日が決まり、ここに告知します。開催場所も神出鬼没ゲリラ的のつもり。たぶん、二月中に一回、都内であるでしょう。

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2007/02/03

北九州市の「雲のうえ」2号 特集は「おーい、市場!」

北九州市発行の「雲のうえ」2号が、編集委員会の牧野伊三夫さんから届いた。どうもすみません、ありがとうございます。

パラパラ見る。前号と、すこしデザインがちがう、構成もチトちがう。グングン写真で見せる。特集は「おーい、市場!」だ。いいぞ、いいぞ、しぶい、しぶい、渋い、イイッ! この渋さ。これまでのグルメな能書きだらけの市場探訪とはちがうぞ。そこで「生きる」人たちが発する熱をかんじる。

……と、書き続けたいのだが、後日ってことで。

とりあえず、書肆アクセス2月2日「北九州発『雲のうえ2号』が入荷しました。」を、ごらんくだせえ。詳しい案内があります。……クリック地獄

当ブログの、創刊号の案内と感想
2006/11/16「北九州市「雲のうえ」の素晴しさ」……クリック地獄
2006/11/18「情報を蹴散らして詩人の感性を取り戻せ」……クリック地獄

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2007/02/02

「現人類ナルシズム」っていうのね

今日2月2日の「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」はオモシロイ……クリック地獄

地球温暖化モンダイをめぐる状況をとりあげながらの話だが、やたら「脅迫観念」「危機感」がマンエンし右往左往するコンニチ的状況を、このように語る。

一部抜粋……

マスコミとかにとっては、なにかの「危機感」というのは、
大スター以上の「タレント」だから、
いつでもどんなときでも、
過剰に危機のキャンペーンをするものなのですけどね。

たいていの場合、危機を強く言い立てる人のほうが、
正義の味方っぽく見えるし、外れても「よかったです」と
まとめられるもんだから、
危機そのものに疑義を唱えるって、難しいんですけどね。
あ、もちろん、ぼくも人並みの危機感持ってますので、
お説教のメールとかよこさないでくださいね。

………

ついでに…当ブログ2007/01/13「正義なんかクソクラエ」…クリック地獄

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イナゴ、おかわり!

思い出したのでメモしておく。先日、チョイと赤羽駅前のオヤジ文化度の高い大衆酒場「まるよし」に寄った。入ってすぐのカウンターに座って飲んでいると、あとから中年の男女が、おれの隣にすわった。

男は、すぐにメニューも見ないで、瓶ビールとイナゴを注文した。まるよしの瓶ビールは、サッポロの赤ラベルだ。そして姿のまま煮込まれ黒々したバッタが、小鉢に山盛り出てきた。男は、それをむさぼるように食べ、ビールをあおり、「イナゴ、おかわり!」といった。そして女にいいわけするように、「おれ、これが好きなんだよ、だってうまいものな」といった。

おれは、しみじみ、ようするに好き好きなんだよな、と思ったのだった。

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朝酒の効用、日本の芸術文化業界深奥部の頽廃

夜飲む酒は、その日のデキゴトを引きずりやすいが、朝起きてスグぐらいに飲む酒は、アタマの中がカラで、飲んで気分よくなってくるうちに、おもわぬことを思い出したりする。

今朝は、7時ごろから焼酎の湯割りをやっていたら、トツゼンなんの脈絡もなく、「月刊浪曲」12月号の二葉百合子さんの旭日小綬賞受賞の記事を思い出した。

二葉百合子さんは、一般的には歌手として有名だと思うが、浪曲師でもあり、うたと浪曲を結び生かす「歌謡浪曲」をひろめた人だ。

で、その記事に、こうある。「歌謡浪曲を手がけた当時は浪曲通のラジオディレクターから放送を拒否されることもあったという。しかし今や歌手としても浪曲師としても第一人者」

この「浪曲通のラジオディレクターから放送を拒否されることもあった」というところだ。なんとまあヒドイ、たかが一人のディレクターの分際で、そのようなことをするのかできるのか。と、テレビ新聞ラジオや雑誌や本などのメディアを愛顧する、一般大衆は思われるかも知れないが、文化芸術業界やメディア業界じゃ日常茶飯事だった。じつに、たかがプロデューサーやディレクターや、はたまた、たかが評論家だの大学教授だのという分際で、そういうことをしていたし、いまでもけっこう同様のことがあるとウワサに聞く。

べつに「保守的」な分野だけじゃなく、「革新的」「民主的」といわれる分野でもあると聞く。ある著名なKさんは、ある著名な民主的といわれる評論家のTさんの引き立てがなかったら、一介の町人から庶民的といわれる「文化人」になれなかっただろうといわれている。実際、Kさんの書いているものには庶民を侮辱しているのではないかと思われるところがあるが、彼は「庶民的な文化人」として評価されている。ようするにメディアに影響力のある権威しだいなのだ。

ま、それで、思い出したのは、このことだ。

おれは、少しだけだが、能に関心を持っていたことがある。きっかけは、20歳ぐらいだったか、なんだかムヤミヤタラ惚れられてしまった2つばかり年上の女がいた。おれは強姦されそうになったりしたが拒み、彼女はそのときすでに親密な関係の男がいる一方おれはまだ強姦されずにいてそんなに親密な関係ではないのに、彼女はその男を連れてきておれを指さし「わたしはこの人が好きだから、あなたとは別れます」なんていうから、望んでもいない想像すらしてなかった「三角関係」がトツゼン虚構されたりして、とんでもない目にあった。この女が大学では能の勉強をして能が好きだった。んで、初めて能楽堂へ連れていかれたり、入場券をもらったり、彼女としては、おれを同様の趣味にしようということだったのかも知れないが、それがまあ、おれが能に興味をもつキッカケだった。

かといって、そんなに詳しくなったわけじゃなく年月はすぎ、たまに能は観ていた。80年ごろだったか、あることから能や歌舞伎を研究しているアメリカ人を紹介された。かれは若かったが、とくにニューヨークあたりでは、能や歌舞伎の紹介者として知る人ぞ知る存在だった。

この男Eが、日本に滞在する外国人の能の同好の士を集めて、能の練習を重ね発表会をやれるところまできた。公演のための協賛スポンサーを集めたい、どこか企業なり人なりを紹介してくれないかという話だった。

それは簡単なことだった。当時、能を後援することで自社のイメージアップをはかろうという某大会社の広報とは懇意にシゴトをしていたし、その関係で、能なら、この人を通さなくてはというマスコミ界の権威も知っていた。

その権威は、すでに某新聞社を退職していたが、影響力は大きかった。というのも、彼が企画プロデュースした、ある能の出し物が、その新聞社の文化賞みたいなものを受賞したこともあったからだ。そして、これからの話は、そのことに関係する。

で、その権威さんのところへ、Eを連れて行った。連れて行くにあたって、Eがニューヨークでは能の紹介者として著名であることがスグわかる厚い本があったのだが、それはあえて持っていかなかった。話をしてみれば、スグわかることなのだ、常識的には。

もうそれはそれは思い出すだけでも、滑稽だった。たとえば、当時はまだ外国人はめずらしかったであろう。権威さんは自分の英会話力を誇示したいのか、彼にむかってはペラペラペラと英語をつかう、するとEはペラペラペラと流暢な日本語で応対する。もちろん、おれと彼は日本語だ。権威さんだけが、英語なのだ。

権威さんは、Eもおれも若造だし、貧乏くさいかっこうしていたから、なにかカンチガイしたのかもしれない。というか、金縁のメガネをして、金側の時計の権威さんは、もともとこちらを理解するつもりはなかったようだ。Eの説明を聞いてスグ彼がはじめた話は、どんなに自分が能についてスゴイ男なのかということだった。

その話は、ついに、彼の大自慢の、某新聞社の文化賞を受賞した出し物の話になった。おれは直接きくのは初めてだったが、その話が彼の自慢であることはウワサで聞いて知っていた。

それは、どういう出し物かというと、能の演技のなかに、演者が花を生ける場面を盛り込んだものなのだ。つまり、能の面は、かぶると視野が極端に狭くなる、その狭くなった視野で、たしか一輪だった思うが、一輪挿しにスッと挿す場面を入れた。それで、日本の伝統芸術である能と生花の融合だということにしたのだ。

能面をつけて花を生けることが、どんなに難しいか、権威さんが身振りを入れ繰り返し説明するので、そりゃ難しいかも知れないが、そんなことは芸術として自慢するようなことでもないだろう、針の穴に糸を通すぐらいのことが文化や芸術の賞に値するのかと思っていたおれは、思わず腹の中の苦笑を顔に出した。

ま、権威さんのまえで、その話を聞きながら苦笑するなんて、たしかに権威を敬わない無礼者かも知れないが、それで権威さんは、おれにむかって何をいったかというと、「きみのような貧相なものには、能はわからんだろう」

その部屋を出て、Eが、まずおれにいったことは、「エンドウさん、あんなヒドイことをいわれて平気なのですか、わたしなら殴っていますよ、とても能を理解している人には思えません」

が、しかし、Eはおれの横に座っていたから、おれの苦笑は知らないで、唐突に権威さんがおれにそういったと見えたかも知れない。ま、それにしても、だとは思うが。

そして、たしかに、いまでもおれはホームレスに間違えられるほど、貧相ではあるのだが。

けっきょく、この権威さんは、自分の自慢と威張っているだけで、まったく役に立たなかった。しかし、日本の伝統文化を真面目に研究する一外国人に対しては、その隠れた腐った深奥部を披露してくれたといえる。

Eと会った最後は、いつだったか、それから10年はたっていなかったと思う。そのころおれは渋谷区千駄ヶ谷の国立能楽堂の近くに住んでいて、能を観る機会が増えていた。ある日、新宿駅ホームの雑踏のなかで、呼ぶやつがいるので見ると彼だった。大きな荷物をかついで浮浪者のような身なり。インドから帰ったばかりで、数日でアメリカにもどるといっていた。

はて、なんの話を書いたのか?
朝酒は、いいね。仕事のひとにはスマンが。
あっ、そうそう、能+生花は、二葉百合子さんの歌謡+浪曲のように大衆の支持は受けたのだろうか。いや、そもそも能がね、あれですね。伝統的な日本料理もそうだけど、ナニゴトも権威の中枢から頽廃し衰退していくものですよ。

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2007/02/01

漁師料理=みそ+魚料理

2007/01/25「みそやみそ、「酒とつまみ」9号発売大絶賛」に書いたように、みそ健康づくり委員会で汁かけめしについてしゃべったとき、いただいた資料がある。そこに、「漁師料理の取材 35年」の野村祐三さんが登場し、みそと漁師料理の関係を話している。漁師料理には、みそをつかうものがおおい。

「なめろう」や「さんが焼き」ものっている。なめろうは遠太でよく食べるが、自分で作っても簡単だ。なめろうをホタテの殻(ウチにはアワビの殻なんかないからね)に盛って焼けばさんが焼き。これでイッパイやるって、いいねえ。

似たようで、チトちがう、宮城県石巻地方の「マアジのみそたたき湯かけ」ってのがあるぞ。アジやブリの幼魚のみそたたき。冬には、このみそたたきに熱湯をかけて食べるのだそうだ。みそ汁がわりにもなるのだな。「湯かけ」は野村さんが勝手につけた名前とのこと。うまそうだねえ。

むむっ、カキのみそ焼きは、このあいだやったばかりだが、おれのやりかたとはチトちがうな。ここにのっているのは、鉄板やフライパンに油をひいて、カキを炒め、カキのほぼ火がとおったら、切ったニラをくわえ、みそで味をととのえる。

おれのばあいは、テーブルの上に携帯コンロを置き、うえにアルミホイルを二つ折りか二枚重ねかにしておき、みそをのせ酒をかけ、まぜて、ゆっくりあたためる。ま、ほうばみその要領だ。テキトウなところで、きざんだネギとカキを少量ずつ入れ、はしでまぜひっくりかえしながら、火がとおったら食べる。って、これをやりながら、チビチビ飲むわけですよ。こげついたみそが、これまたうまいんだな。もう、なかなかやめられない。

おなじ材料をアルミホイルにくるんで、電気オーブンで蒸し焼きにすると、汁が多めにでる。まるごとめしにかけて食べる。これもウメエんだなあ。どちらも唐辛子を好みで加えるね。

エート、それから、いま発売中の「酒とつまみ」9号の「瀬尾幸子のつまみ塾」も、「今夜すぐに作れる味噌つまみ」なのだ。「味噌さえあればいくらでも飲める」という見出しだが、たしかにそうだ。ここにも、とうぜんアジのなめろうはのっているし、「イカの味噌マヨ炒め」や「味噌仕立てタレ」で食べるカツオ刺しなど、味噌+魚料理がのっている。野菜との組み合わせもあって、「みょうが味噌」なんて、つまみによさそう。

ああ、もうこうやって見て書いているうちにヨダレが出てきて、がまんできない。

ご参考=ザ大衆食「「さんが焼き」と「銚子いわしのハンバーグ」のあいだ」…クリック地獄

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