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2007/02/16

『世界屠畜紀行』内澤旬子

昨夜は、戸越からアチコチ寄りながら、酒を飲みながら帰りながら、西日暮里でも下車し、「古書ほうろう」へ行き、やっと気になっていた内澤旬子さん著の『世界屠畜紀行』(解放出版社)を入手した。しかも、初版のサイン入り。

まだ本は、これから読むのだが。

内澤旬子さんは、←左サイドバーにある「アステア・エンテツ犬」を描いた方で、「イラストルポライター」の肩書を持つ。そして本書も、イラストと文章によるルポなのだ。

本書に収録されているのは、全部かどうか知らないが、たしか解放出版社の『部落解放』という雑誌に連載していた。その取材で内澤さんが韓国に行って来たあと、それは主に犬肉の取材だったと話を聞いて記憶しているが、三河島の韓国料理屋へ犬鍋(ポシンタン)を食べに行き、犬食や肉食のことなどアレコレ楽しく話をした。そのことは、ザ大衆食のサイト「犬鍋」に掲載してある。……クリック地獄。ここに、「アヤシゲさんのヨメ」とあるのが内澤さんのことで、アヤシゲさんとは←サイドバーにある「アステア・エンテツ犬」の名づけ親である「ムコ殿」つまり南陀楼綾繁さんのことだ。

「屠畜」ということばは、おれにとっては不自然なことばで、「屠殺」で育っている。おれが育った新潟県の現在の南魚沼市の六日町の北のはずれには「屠殺場」があった。小学校3、4年生ごろからよくそこへ近所のガキどもと遊びに行った。町なかのおれの家あたりからだと、子供の足で20分ぐらいかかったように思うが、自転車に乗れるようになってからは簡単だった。そして、ようするに屠殺するところを見物するのだ。解体作業は、腹をさき内臓がボコッと飛び出すあたりぐらいまでしか、見たことがない。

屠殺場は、当時の感覚だと小学校の教室を2つあわせたような広さで、床は全面コンクリート、その片方のはしの廊下の広さぶんぐらいが柵で仕切られていた。その柵に身体をのせたり、ヒジをかけたりして、屠殺をみる。

何回も行っているので、たいがいの屠殺は見たと思うのだが、曜日によって家畜が決まっていて、たしか牛は一週間に一回しかなかったから、そのせいか、あまり記憶にない。イチバン記憶にあるのが、豚と馬、そして山羊だ。ちなみに鶏は、飼っている家の庭先で、首を絞められたから、これも何度も見ている。ウサギやキジなど、野山のものは、さばく手伝いをさせられたこともある。

豚が印象に残ったのは、あれはなんという道具だったか、ツルハシのような、だが先は重そうな四角な鉄のカタマリで一方だけが尖った、それを豚の正面に立ったひとがふりおろし、一撃のもとに豚を昇天させる。たしか眉間のあたりを撃つのだが、屠殺場のおじさんが、それを上手にやって一撃で豚を楽に死なせてやらなくてはならない、というような説明をしてくれたことがあった。とにかく、その一撃で豚は倒れ、ドバッと血潮が噴出する。山羊もおなじ方法だったと思う。

馬は、強烈な印象が残っている。右と左の奥歯のあたりに電線をつけ、電気を入れる。馬がショックで横倒しになる。すかさず、やはり例の道具で、眉間のあたりを一撃する。血の吹き出る量と勢いが、豚の非ではない。

屠殺場の床には、絶えず水がながれ、清潔な印象があった。

ま、そういうことなど思い出しながら、これからゆっくり読むのだ。日本の肉食の歴史については、汁かけめしの歴史とおなじように偏見に満ちていて、おれはまったく信用してない。たしか牛や馬については、かなり古くから食べられていたような痕跡があるが。

そういうふうに歴史がゆがんでしまう根には「部落差別」があるからといわれることがおおい。たしかに、それが根深いモンダイとしてあるとおもうが、その歴史の積み重ねによって失われたものは何かということを考えないと、「差別用語」をつかわないようにすれば「差別」がなくなるかのような安直なことになりやすいようにもおもう。

おれが「屠殺場」ということばが「差別用語」だと知ったのは、比較的あたらしい。1999年の『ぶっかけめしの悦楽』でそのことばをつかい、編集者に「屠場」と直された。どうやら「殺」がモンダイでもあるらしい。ただ、直されたとき、「弾圧」にも似た不自然を覚えたのは、たしかだ。ことばは自分の歴史であり、おれの歴史ともいえる全体の文脈は無視された。こうも簡単に自分の歴史が否定されてよいものだろうか。やりきれなかった、こころが傷ついた。政治的圧力的に生まれたモンダイだから、政治的圧力的に対処されてよいということなのか。しかし、あんたが傷つくのなんかたいしたことではない、もっとひどく傷つくひとたちがいるのだといわれてしまえば……なあ。

たとえば、種村季弘さんの『食物漫遊記』などは、「屠殺場」も含めて、いわゆる「差別用語」がつかわれている。が、種村季弘さんの書は、「差別」をのりこえる、というか、なんというか、「差別」の余地がない圧倒的な見識に満ち溢れている。そういう見識が、文化の共通基盤にならないかぎり、「差別」はなくならない。という面もあるようにおもう。そういう努力は、どのようにあるのだろうか、あるべきなのだろうか。どうもイマイチみえてこないで、「単語」だけが取り沙汰されているようにみえる。

ま、これは、そう単純なモンダイではないので、ここで簡単に結論だしたり議論するようなことではないが。

そういうこともふくめ、この本を読んで考えたい。ということなのさ。

内澤旬子・空礫日記……クリック地獄

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コメント

pfaelzerweinさま

詳しくはわからないのですが、けっきょく、神道的なあたりが関係しそうですし、しかも日本の場合、漢字と仏教が抱き合わせで輸入され普及し「日本語」まで生まれましたから、それと神道は、文字をつかうかぎりごちゃまぜになり、神仏混合は漢字のおかげというかんじもありますね。

そして「漢字」や「漢語」そのものが、宗教的な支配構造にしたがった「差別観」や「優劣観」をたぶんに含んでいたような気がします。あるいは神道的な日本で、そういう面が強化されたのか。すくなくとも食文化の歴史においては、そういえます。

だから「差別語」をつかわないようにするほど、差別の実態は隠れてしまう関係があるようにおもいます。

そういう「日本語」によって失われた歴史をとりもどさないと、いつまでもこの状態は続くような気がします。たとえば、「和食」がいいか「洋食」がいいかという議論の構造などにも、内在しているようにおもうのですが、「差別」を語るときには、そのことは問題にならない。

投稿: エンテツ | 2007/02/17 12:36

ぎりぎりさま、はじめまして。
「ぎりぎりあうと」というHN、おもしろいですね。
「土方」もそういうことだったのでしょうか。
おれは若いころ半年ばかり、
荒川区のほうの「土方の飯場」にいました。
みな自分たちのことを「土方」といっていました。
飯場は、少人数の「事務方」と大勢の「土方」でした。

「土方の歴史」「土方のほこり」とかいう本をつくると、
よいかもしれませんね。

投稿: エンテツ | 2007/02/17 12:13

屠殺は、ワープロでヒットしないので可笑しいなと思っておりました。既にこれを使って多くの記事を書いていますし、今後もこれに代わる言葉は無いと思っています。

差別に関せば、欧州においても、屠殺から皮のなめしなど歴史的に様々な職業があります。しかし、その差別と言葉の用法はあまり結びついていないように見受けられます。

例えば、肉を捌くヘブライ語の用語や習慣や宗教的行事が一般的に受け入れられているので、差別用語どころかそれらは宗教的用語になっております。謝肉祭などは最たるものですね。

これを考えて行きますと、神道的な不浄の教えが、そうした概念さえを忌み嫌う文化的な特質に気がつきます。つまり、特別な用語を禁止すると言うのは、平民社会に出来る限り、神的な支配構造やアウトサイダーを隠そうと言う文化構造が存在しているのでしょう。

今日においては動物保護の見地から安楽死が最優先されていて、上記のような思い切った方法は過去の話でしょうけど。

投稿: pfaelzerwein | 2007/02/16 23:23

エンテツさま、いつも楽しく拝見しております。
差別語の件、非常に考えさせられ、頷くことしきりです。
「土方」という言葉を書籍で用いて怒られました(当方編集者です)。
自分が土方であることに心から誇りを持っている親爺さんがいるんですけどね…ムズカシイです

投稿: ぎりぎり | 2007/02/16 16:33

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