« 硬直した官僚主義の末路「正しい日本食」 | トップページ | 正しいみなさんへ »

2007/03/18

別れの季節か、きのうの付けたし

やれやれ、この2、3週間の展開だ。なにがって、男と女の別れだ。おれのことじゃない、おれが不仲になった女から電話やメールがあったのならよろこびもするが、そうではない。どいつもこいつも野暮で情けない男たち。(やははは、これ読んでいるやつもいるな、スマンスマン)。かなりながい電話にたびたびつきあわされ、自分のことは放り出したまま、相談にのるというか愚痴をきくというか。

そんなことぐらい自分で考えてやれ、おれだっていままでの2度の離婚ですら誰にも相談せずに自分で決めてやってきたのだ。とかいいながら、それにしても近頃は、男と女だけじゃなく、男同士も女同士も、諍い紆余曲折ありながら人間関係を築くということはなく、諍い即わかれ、もう逢いません、電話で話すこともできない絶交、となることがおおいようだ。とシミジミ切なくおもったり。

ま、それが、おれが不仲になった一人の女のようなら、わからなくもない。彼女の場合は「竹を割ったような性格」と言われていたが、おれはそれもあるかも知れないが、「生き急ぎタイプ」(「死に急ぎ」じゃない)だなあとおもっていた。男で、こいつとは不仲になってはいないが、やはり「生き急ぎタイプ」のやつがいる。セッカチとはちがう。たしかに「竹を割ったような性格」というかんじもあるが、かといって、割り切りよく冷淡なわけではなく情はあるしやさしい。でも、パッパッと、映画のコマおとしのように、空を飛ぶ雲のごとく、めまぐるしく反応がはやい。身のこなしも素早かったが、オイオイといっているまもなく、「もう逢いません」とプツン。ためいきつく間もない。ま、不仲になったが、おもしろいやつだった。でも今回の連中は、そういうタイプではない。どっちかといえばウジウジなのだ。それが。

一組の男女は、2007/02/08「そして切ない「愛情料理」」の熟年離婚で、きのうの電話で聞いたところでは、離婚決定。ほかは結婚するはずだった男と女、それから男同士。男同士はホモというわけじゃないが、ある種の確執で不仲絶縁だ。男同士の嫉妬というのは、とくに面子がからむと難しい。ま、それやこれ、おれに関係ないとはいえ、とくに結婚するはずの男と女の不仲は、胸が痛む。だいたい男と女なんて、どちらが悪いでもなく、悪いといえば両方が悪いといった類のことでこじれる。ついついなんとかしてあげたいとおもってしまったが。女は電話にでないどころか彼から逃げるように引っ越してしまい……ま、いいか。とにかく、せっかく出会いそれなりの仲になったのだから、そう簡単にポキッと折るようなことはせずに、諍いながらどうしてもガマンならなくなるまで、とかおもってみたり。ちょっと「制裁」を加えただけ、とかいってもどれないものか。でも引っ越しまでして逃げたのでは、もう無理か。

そうそう少し前、もう一つ、わけのわからんのがあったな。トツゼン久しぶりに男から電話があって、結婚するんで住むところを探している、いい不動産屋しらないかというから、紹介した。一週間ぐらいたって、「どうした」と電話したら、「あっ、もう別れちゃいました」と。どうなっているんだ!

とまあ、春は別れの季節なのか、そんなのに付き合って、時間がどんどんなくなる。おれは人生相談員じゃないのだぜ。あとで酒のませくれよな。

みなさん、諍いながらも我をはらないで、理解しあい愛し合えるようになりましょうね。

ってことで、きのうは、おもわぬ時間に追われ、しかも、もうなにもいう気がなく、まったくふれたことがなかった「認証制度」問題について、やっぱりねと「ためいき」が出たから書いたら、これまでになくコメントやトラックバックをいただき、うれしいかぎりだが、じゅうぶん応対していられない。ま、どうせお流れになったのだから、ゆっくり検討していこう。

おれは、これまでも食育基本法に反対のときから、それでは農業の課題は解決しない、個別の政策をキチンとやるべきだという考えで、その点は、今回もおなじなのだ。それは、このブログで何度か書いたように、自分が90年ごろに農業法人組合づくりや農産品販売などに関わったときからの、現場体験によるもので、これはしばらく変わらないとおもう。

もう一つくわえるなら、おれは日本の農業の、統制・保護・補助という仕組はなくし、ほかの産業分野のように市場活動のなかにおき、そして、ほかの産業分野でも個別政策ごとの政府補助などがあるように、補助金の仕組を変えるべきだろうという立場なのだ。そのために農業の法人化をすすめるのは賛成の立場で、それはもうその90年ごろからやっていたことだ。この立場は、どうやら自民党の一部や周辺の学者あたりと似ているらしいが、チトちがうのは、おれは単なる消費者の立場で損得を考えているところだとおもう。

これとまったくちがう立場が、農業に対する補助金など、日本経済や政府予算からすれば、たいしたことはない金額だから、そんなものは日本企業の国際化でどんどん稼いで補うことでよいのだというような、チト大雑把な表現だが、そういう主張だ。

でも、どちらにせよ、なんとか日本の農産品を海外で売らなくてはならない。これは、産業政策の「商売」のことなのだ。

まえから、おれは政策レベルのことで話をしているのであって、ほかのことはどうでもよいとはおもわないし、今回の件については、日本人として日本文化としての期待があるのも知っている。だけど、政策というのは、システム開発だっておなじだが、フレームがしっかりしていないと、おかしなものになって、今回のように途中で立案がたちゆかなくなったり、政策が動き出しても効果がでない。農業の課題を、食育基本法や「認証制度」に埋没させるのではなく、個別政策で対応すべきだというのは、そういうことも関係する。

とにかく、現実的に、モノを売りたいのではないのか。商売をしたいはずだ。もしそうだったら、「正しい日本食」が問題になるような「認証制度」といった大上段に構えることなく、もっと損得勘定をしっかりやり、個別のPR政策なり販売政策で対応すべきなのだ。どの産業だって、そうやってきた。優秀な産品にはニセモノができる、それは産業政策レベル企業政策レベルで対応してきた。

だけど、ウルグアイランドから何年たつか。片方では自由化国際化つまり「開国開放」、片方では統制・保護・補助つまり「鎖国閉鎖」という矛盾する政策できた。過渡期としては仕方ないだろうが、基本システムにはなりえない。それをズルズル続けてきた。ようやっと最近になって、農業の法人化も、他産業からの参入ができるようになって加速されてはいるが、産業政策レベル企業政策レベルといっても、その核になる法人は未成熟だ。そして株式会社農水省が農業を行なっている。これは日本で最大の重厚長大産業になったのだ。ここに、その負がふきだまっているようだ。

農水省の役人の政策立案能力が低いのか、それとも統制・保護・補助という仕組が続き負のふきだまりの圧力が強いのか、政策のフレームがしっかりしていない。だから本来はモノを売る産業政策なのに、「正しい日本食」という文化政策が議論になってしまう。農水省が本当に株式会社なら違うだろうが、モノを売る金じゃなくて税金でたべているところだ。

おれが関わっている、海外との交流交易の小さな会社の、高卒の30歳そこそこの女だって、シミュレーション・モデルやビジネス・モデルをつくり、経営政策を立てる能力も技術もある。それが、いまさら官僚や有識者とやらが「日本食の定義付けは難しい」という結論を出す会議をしているのだ。これでは農業がジリ貧になるのはトウゼンではないか。負の方向へ負の方向へ動いている歯止もできない。ああ、しかたないねえ、なるようにしかならないね~。

農水省が「正しい日本食」を定義するなんて、国内だって、それを黙って見逃してくれない勢力はいくらでもいる。それから、食育基本法ですら、実行計画には数値目標がたてられている。日本の政策レベルは全体的には、まがりなりにも、「ないよりマシ」「やらないよりやったほうがよい」といったバクゼンとしたドンブリ勘定政策は許されないレベルにはなっている。しかし、この農水省のオソマツは、なんだろうか。

そういう政策技術レベルの問題を、おれは「ためいき」ついて眺めている。

ま、おれは、今日の快楽に生きるだけのバカな男だけど、「もっと、おれのいうことに耳を傾けなさい」と悪いジョウーダンをいってみたくなるのさ。

きょうは、そんなところで。ま、このブログでは、もうそういうことは言い続けて、もう書く気がしなくなっているのだが。

そうそう、コメント常連のWein, Weib und Gesangさんが、コメントを書こうとしたが書けないと、ご自分のブログに書きトラックバックをいただいた。「絵に描いた牡丹餅」、ご覧ください。…クリック地獄

2006/10/31「ザ大衆食とエンテツ礼賛のこと」にも、 「欧州からみる和食認証制 」というトラックバックをいただいている。こちら。…クリック地獄


はあ、では、また、わかれ話につきあうとするか。
最後にもう一度。みなさん、諍いながらも我をはらないで、理解しあい愛し合えるようになりましょうね。

|

« 硬直した官僚主義の末路「正しい日本食」 | トップページ | 正しいみなさんへ »

コメント

>anonymousさま

どうもごていねいにありがとうございます。
思いついたまま、ヘタな文章で書いているので、チトわかりにくかったかなとおもいます。
ま、たいがいそんなものを書いているだけですが、よろしくお願い致します。

>近藤さま

まさにウンザリですね。おれが書いたことを、どれぐらい正確に読んでくれたかとおもいますが、ま、自分の書き方が悪かったということにしておきます。

ですが、近藤さんのいっていることは「泣き言」ですよ。すでに、半年近く有識者を集めてやった会議が、この有様になった。そのことを、おれは、なんどもいいますが「政策レベル」の問題として、問うているのですよ。でないと、こういうことが繰りえされるよ。これですでに半年がすぎているのだけど、そんな重厚長大なやりかたでは、事態の改善をはかれないよ。とか言っているのです。そんなの、読めばわかるでしょう。ま、その原因は、おれのような主張をするやつがいるからだとおっしゃりたくて、ここでこのような「泣き言」を述べているならわかります。

ですが、「海外の日本食店一軒一軒を日本の「スシ・ポリス」が抜き打ちで調査する、なんてのは、ヒステリックで非現実的、というかSFチックな報道ですよ」こんなことに関係することは一言もいっていませんよ。それぐらい、読んだだけで簡単にわかるでしょう。まったく、ここでこんなことをいまごろ持ち出すなんて筋違いです。

それから、近藤さんは、今回のような政府という機関がやる「認証制度」というものについて、まったく基本的な理解を欠いています。「ときどき肉屋で見かけるブロンズ風の和牛の置物みたいなもん」とは、まったく性質がちがう。むしろおれがいっているのは、だから、「認証制度」なんていうふうに大上段に振りかぶらずに、PR政策とか販売政策のフレームで、そういう置物式なりワッペン式でもよいけど、いろいろ個別の方法がある、そういう手をつけやすい方法でフットワークよくやらなくては、官僚的なやりかたでは、事態に追いついていけない。そういっているじゃないですか。

「認証制度」なんていったら、国内で政府と業界がなあなあでやっているような仕組のようにはいかないのですよ。そういうなあなあ体質は、もう通用しない。情報が公開され、誰からみても納得のいく評価基準などが必要で、それはあのアイマイな食育基本法ですら、まがりなりにもちゃんとしている。「例えば、コメが日本産で、キッコーマンUSAのテリヤキソースで味付けしてあるんなら、ハンバーグ&キムチ丼の店でも「ニッポンセイフのオススメ!」で良かったんじゃないですか。調理や衛生管理の巧拙みたいなことや、日本から見た「正統さ」なんて基準にせずに」…これを議論したら、どうなるか想像できますか?そのうえでの考えですか?

これは、広報誌みたいなメディアの表現レベルの話ですよ。だから、また繰り返すけど、その程度のレベルのことを素早くやるのが、「商売」としては常識だろう、それをしかも海外に適用する「認証制度」を設けようなんていうフレームで立案しようとした。そこにある問題を、おれは問題にしているのです。

近藤さんの話は、まったくおれがこれだけ書いてきたことを無視した、まったく噛みあっていない、自分の一方的な、あるいは独善的な都合のよい話しだし、うんざりする話しだし、現に、結末が出ていることに対して、「たられば」の、だから「泣き言」だというのです。

なぜ、ここで、このごにおよんでそういうことに拘泥するか、おれには理解できません。近藤さんのような話を続けているかぎり、あの官僚たちも有識者たちも安泰で、いつまでもこういうことが税金をつかって行なわれるということです。

1年のうち半年近くもつかって、この結果では、なにもしないでカネをとっているとおなじじゃないですか。見通しのない立案作業は、なにもしないとおなじ結果になるのですよ。そのことの重みを、もっとシッカリ考えるべきだと思います。

投稿: エンテツ | 2007/03/19 01:19

 遠藤さんがいささかウンザリされておられるようなので、日本食の認証制度の話題でコメントを書き込むのはいささか申しわけないようなのですが。

 日本の生産者や日本資本の食品メーカーにメリットがあって、税金を投入する費用対効果があるのなら、わたしは認証制度でもお墨付きシールでも、なんでもやれば良かったと思います。
 制度さえ確立されてしまえば、現実的には、HACCPやISOのように、認証を受けたい飲食店が、自費で使用食材なりの証明することになったのでしょうから、税金をそれほど浪費するものでもなかったはずです。むしろ、有償の認証機関として、国が微々たる利潤を上げる可能性もあったのではないでしょうか。
 海外の日本食店一軒一軒を日本の「スシ・ポリス」が抜き打ちで調査する、なんてのは、ヒステリックで非現実的、というかSFチックな報道ですよ。

 例えば、コメが日本産で、キッコーマンUSAのテリヤキソースで味付けしてあるんなら、ハンバーグ&キムチ丼の店でも「ニッポンセイフのオススメ!」で良かったんじゃないですか。調理や衛生管理の巧拙みたいなことや、日本から見た「正統さ」なんて基準にせずに、あくまで実利的な意味でやってみる価値はあったのかな、と思っています。

 ときどき肉屋で見かけるブロンズ風の和牛の置物みたいなもんで「景気づけ、格式づけに置きたい店」「費用を掛けても置いてもらいたい生産地」双方の思惑やそろばん勘定が一致すれば、それで良かったんじゃないでしょうか。
 もちろん、和牛像なんて置かないで繁盛している肉屋もたくさんありますし、置いている店も銘柄和牛だけで商売をしているわけではないのです。同じことが飲食店にも言えるんだと思います。吸うさんが書いていたように、店の近所のお客が「値段の割りに旨いな」と思えばハヤルし、割高な日本の食材などを使おうが、不味かったり高かったりすれば客足は遠のくのでしょう。
 

投稿: 近藤昌 | 2007/03/18 23:52

昨日コメントを書いたanonymousです。

農水省じゃないですが、別の省庁とお付き合いがあるので、エンテツさんの言い分は良く分かります。
打ち合わせをする度に、現実の見えてなさや、明確なビジョンのなさには辟易しています。
尤も、同じく付き合いのある業界の、マスメディアよりはマシだと思っていますが。

今回の「認証制度」は食育基本法の流れだったのですね。
てっきり文化保護的な視点だとばかり思っていました。
(よくよく考えれば、文化保護だと農水省じゃなく文科省が主導になりますね)
それだと、昨日のコメントは的外れなものでした。
申し訳ないです。

また訪問させていただきます。

投稿: anonymous | 2007/03/18 16:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30930/14301614

この記事へのトラックバック一覧です: 別れの季節か、きのうの付けたし:

« 硬直した官僚主義の末路「正しい日本食」 | トップページ | 正しいみなさんへ »