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2007/03/10

「人国記」の時代と汁かけめし

きのうの話と関係ある。サヴァランさんの有名なオコトバ。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

このことについては、だいぶ以前2003/05/10「サヴァランの一言」に書いた。

サヴァランさんは、実際にそれをやってみせてはいないし、事例も示してはいないので、どういう仕組のものかはわからない。ところが、このことばを引用しているひとたちは、たいがい、それを食べ物そのものから、つまり牛か羊をくっている、あるいは小麦をたべているとか、そういうことから言いあてるという、思い込みや前提があるように見受けられる。ま、おれも、そのようにバクゼンとおもっていた。

しかし、これはおかしい。と、きのうの『人国記・新人国記』を、またパラパラ読んでおもった。

食べ物そのものからではなくて、どんなものを食べているかによって、またどう食べているかによって、そのひとが生活する地域や風土や階級などを判断し、それをもとに「どんな人であるか」を言いあてるのではないか。

サヴァランさんの人生は1755年~1826年だから、まだそれほど広域の物流は発達していない。「地産地消」が中心だった。

「人国記」は、本朝66国2島の「地勢とともに人情・風俗・気質を述べたもの」だが、国によっては、さらに東西や南北のちがいまである。飲食のことは、まったくふれてないが、そこに食べ物をあてはめていけば、サヴァランさんのようなことは不可能ではないとおもわれる。だけど、ただ食べ物からいきなりというのは、チトそもそも分類が複雑になるし、根拠薄弱におもわれる。

よく西洋人は肉食だから日本人は元来は草食だからと、性格のちがいがウンヌンされることがあるが、それだって根拠薄弱で、だいたい地球上の人類を2つのタイプでみようなんて乱暴すぎる。こういう話がアンガイ受け入れられやすいのは、AとB、2つの分類なら、確率は50%と高いからだろう。

「エセ科学」といわれる血液型性格判断なんてのも、たった四分類。しかもあの仕組は、よくあるテだが基本はニ分類だ。つまり比較的おおいAと反対のBの2つを基本に、AA型とBB型を対極におき、あいだにAでもBでもないAB型とBA型をもうける。血液型になおせば、AA型をA型に、BB型をO型に、AB型とBA型をそれぞれAB型かB型にする。4分類だから、確率は平均でも25パーセントと高い。しかもあらかじめ数のおおいことがわかっている、A型とO型を基本に分類の論理をつくれば、実際の確率は、もっと高い。「晴」か「雨」というような大雑把な分類のことばを用いれば、あとはそれを受け取る方の主観で、「曇」でも晴になるし、少々の「雨」で晴にも雨にもなる。なんとなくそうかなという気分にさせる話は、坊主の説教のようにつくりやすい。

日本を東西にわけてなにかを論じる仕組も話としてはオモシロイかもしれないが、あまり根拠のないことがおおい。だいたい、おれのような新潟県出身の流れ者からすれば、日本の東西の食文化のちがいをあげ、東西どっちが上だといったところで、それは京・大阪と東京の比較ぐらいで、ほかの地域はふくまれていない。そんなことで、人情まで一律に比較され判断されたらかなわない。

だけど、単純化したほうが、とくになにかとあわただしくジックリ考えることが不馴れになってしまった時代には、受けやすい。ただそれだけのことなのだ。いつまでも「下町人情」一本調子じゃなく、日本全国の多様な人情や気質を、もっとみるべきじゃないか。新潟の魚沼の人情や気質を知っているか。

おっと話がズレた。いやズレていないか。わからなくなったぞ。とにかく、「人国記」は本朝66国2島、それ以上の分類だ。著者は不明だが、解説によれば、「足利将軍家のすえの乱世のころ、いささか儒学をも心がけたもの」「唯一神道の支持者」と推定できるそうだが、読むとたしかにそうだろうとおもう。とくに善悪の評価の基準が、そのあたりにあるのは明白だ。

しかし、一つの型にはめていこうという意志より、いまのことばでいえば多様性多文化性を認める姿勢がつよい。そのへんは、後世の儒学家や神道家、あるいはなんでも「日本型」が優秀、「美しい日本」型にはめようという、最近のジャーナリストや学者や政治家とはかなりちがう印象だ。

たとえば、おなじ「強い」気質でも南と北ではちがう、つまり「強さ」は一様ではないことなど、人情の観察や洞察が緻密だ。これはトウゼン、政策的には、その分類の数だけ政策や対策を考えられるし、考えなくてはならないことになる。

そこんところだが、明治の近代以後はとくに、多様性多文化性を認識するより、国家権力による単一化が強圧的脅迫的にすすんできたせいか、かなり単純化されている。なんでもかんでも一本調子なのだ。

おっと、そのことを書こうというわけじゃなかった、この「人国記」が成立するのは、1467年に始まる応仁の乱以後、1500年代前半ぐらいの乱世のころだ。これは、『汁かけめし快食學』の第8章「かけめし風雲録」に書いたが、みそ汁やみそ汁ぶっかけめしが歴史に姿をあらわす時代なのだ。

そのことについて書こうとおもって、タイトルもそのようにしたのが、話がズレすぎて、もう書くのがイヤになったから、きょうはこれでオシマイ。

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