新潟県人の「性悪さ」に関するアレコレ
きのうの午後は都心で昼酒やってのち大衆食堂をしらべウロウロしたりですぎた。初台周辺、『大衆食堂の研究』に掲載の店、4軒のうち残っていたのは1軒だけ。きょうは朝からアレコレじたばたしている。
きのうのコメント、kuninoriさん。「「新潟県人の性悪さ」といわれると、何となく首肯したくなりますが、安吾なんかは如何なんでしょうか?」と。
坂口安吾や、佐藤亜紀を、単独でみるとわかりにくいが、この二人に関口夏央あたりをくわえると、なんだか「性悪さ」の輪郭というか芯というかを、おれはかんじる。「性悪さ」は「性悪」とはちがう。ま、ほほえましいサガというか。ああここまでこう言っちゃう、やっちゃうって、なんだかやはり新潟県人なのかなあ、とかね。
「新潟県人」という近代的なよびかたより「越後人」「佐渡人」のほうがよいか。マーケティングの分野では、商圏特性や県民性とか、いろいろあって、そういう研究を遡ると、1500年代前半ぐらい戦国期に成立したと推定されているらしい「人国記」にいたる。
おれなどが実際に手にして見るのは、岩波文庫版の『人国記・新人国記』。これは江戸期の写本がもとになっている。もとはといえば、戦をして勝ちをおさめ支配するための、「軍政学書」だ。
1987年9月第一刷の岩波文庫版の「越後国」「佐渡国」を初めて見たときは、オドロイタ。立つ瀬がないぐらいミソクソに書かれている。以下引用……
当国の風俗は、勝つ事を好む気象多し。仮初(かりそめ)にも勇を励み、痛きと云ふ事をば痒(かゆ)きと云ふ。若し躓(つまず)き倒れ痛むを得ても、只意得(こころえ)た、餓鬼めなどと幼(いとけな)き者の育てにも、かく粗(あらら)かに強みを教ゆる風なり。臆(おく)する気は少なけれども、差しかかりの強きほどは、後度の締まりを考えざるなり。
主従者互ひに頼もしけれども、道理を弁(わきま)ふ事まれなり。それゆゑ何事にも、強ひて勝たんとして、理非の分別なき国なりとぞ。
……引用おわり。
佐渡にいたっては、「当国の風俗は、越後に似て気狭くして、伸びやかなる事なし。心愚痴にして、極めて頑ななリ。武勇は強しといへども、善としがたし。」で片付けられている。
が、しかし、これは戦をやって勝って支配しようという側の軍政の視点から見ている。しかも、全体的に、儒学思想が色濃く、「一和」をもって支配の理念としている。というところからすると、越後人というのは、どうにも御しがたい、負けず嫌いでやたらにかかってくる。簡単には調和しない、強がりで、言うこともきかない支配しにくい連中である。ということになるではないか。
たとえば、現在の大阪府北部と兵庫県南部にあたる「摂津国」については、「もっぱらおどしつけるような強い武力を示して」「一方には過分な金銀財宝類を贈ることによって、当方に従わせるのがよい」とあるのでは、だいぶちがう。
全体の調和に、なかなか従わず、強く勇ましくふるまおうとする。ま、従わせようとしても、一筋縄ではいかないというか。こういう気質が、その後の時代、近代をへて、どうなったか。おなじ気質でも、その土地にあるときと、東京のような都会にいるときではちがって出るだろうし、職業によっても表出の姿はちがうだろう。「性悪さ」というのは、そういうことなどバクゼンと考えてきたなかで、かんじていることなのですね。
ま、「性悪さ」を、他国の人たちにもオススメしたいわけです。「よい人間」になろうとすると、簡単に誰かに支配されやすい。……と、こういうふうに最後に書く、これも「性悪さ」かも。
って、チトまた用があるので、大急ぎはしょりまくりで、おわり。
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