ためいき小説『夢果つる街』と米(コメ)
きのうの関連。「ためいき」といえば、トレヴェニアンの『夢果つる街』(北村太郎訳、角川文庫)だろう。こころががらんどうになる虚しさ、存在のあやうさ。好きでたまらん小説だ。
訳者はあとがきに書く。この小説の主人公はラポワント警部補だが、「それにしてもラポワント警部補は、なんとしばしば、ため息をつくことだろう!なにかというと息を吐いて大きく胸を上下させるのだ。彼のため息は複雑である。あきらめの、悲しみの、怒りの、そしてむろん策略のためのため息でもある。ラポワントの人間観、人生観は、おびただしいため息で象徴されているかのようだ。ザ・メインの表も裏も知り尽くしている彼は、移住民の多いこの小地区を心から愛しているが、それも、ため息をつきながらなのだ。」
ザ・メインとは、カナダのモントリオール市の、移住民がおおい猥雑な地区だ。出世するには英語と、偽善に満ちた市民文化の模範イギリス流紳士のマナーを身につけなくてはならない。主に話に登場するのは、そういう出世とは無縁な人たち(フランス系で出世する気のないラポワント警部補もその一人)と、かれらが生きる街だ。それが、殺人事件の捜査という過程で、仔細に描かれる。
「ためいき小説」といえるだろう。そして別のいいかたをすれば「不条理小説」ともいえる。
「ためいき」が出るほど、この世は不条理にみちているのだ。「ためいき」が出るような不条理を呼吸しながら、力強く生きなくてはならない。ところが、紳士淑女な「中流」を呼吸したいひとたちは、ほんのちょっとした不条理も恐れ逃れ、はたまた官憲の手をかり取り締まり、「街の」平和と安全をタテマエに「自分の」平和と安全を守ろうとする。そのために、ほかの人を傷つけることは屁ともおもわない。街も「今風」に改造される。
警察は、そういう市民様によい顔をしなくてはならないのだが、そのために条理をもってする。それが「市民社会」というものだ。しかし、不条理は条理に支配されることによって、ますます不条理を深める。こうしてザ・メインの街を愛しているラポワント警部補の「ためいき」は、ますます深くなる。
不条理といえば、男と女。男と女のことが「結婚」という条理で説明がつくのは、ほんのわずかだ。愛し合うにしても、わかれるにしても、条理などない。大部分は不条理であり「ためいき」なのだねえ。わかれても逢いたくなり、逢うとわかれたくなるようなことがおきたり。ややこしい。ま、そういう不条理がめんどうで、恋愛だの結婚を「めんどう」がるひともいるし、おれのように60数歳でたった三回の結婚と、不条理をいとわないものもいる。この小説でも、さまざまな男と女のカタチが、そのほとんどは不条理なままに描かれる。
殺人事件が解決しようという最終段階で、この街の、この世の不条理を象徴するような女が登場する。ザ・メインの最底辺で生まれ育ち、そこから抜け出した、有能と美貌をそなえる女。そしてその女がじつは……。いや、女が犯人なのではない、だからこそ「ためいき」は深く深く、第4楽章フィナーレへむかう。
全編をただよう、モノトーンのニヒルな味わいは最高だが、この小説に、米のことが二回だけだったとおもうが、登場する。ほんのチラッとだけ。しかし日本人であるおれが読むと気になるのだな。
一回は、米は、ザ・メインの最下層を説明するために登場する。最下層の、なかでも貧乏人が、米を常食のようにたべるのだ。ザ・メインに日本人はいない。「人種」のことではなく、「階級」の話だ。これは意外だったが、需給の関係でいえば、米などふりむきもしないひとたちがフツウの地域のことだからうなずける。とにかく、「階級差」という不条理を説明するための米なのだ。
それからもう一回は、これはギリシャ料理だ。ギリシャ系移民とギリシャ料理レストランが比較的おおく登場する。そこに「米とラムをブドウの葉で包んだ料理」というのがある。料理の名前は出てない。おれのしらない料理。
文章のかんじでは、包んだブドウの葉ごとたべるものらしいから、米とラムをブドウの葉で包んで蒸すか煮るかしたものではないかとおもわれる。
日本にも、ブドウの葉ではないが、穀類などを葉に包んで蒸したり煮たりする料理があるし、他の国々にもある。こういう料理法はどうやら、米や穀類のたべかたとしては原初的かつ普遍的なものであるようだ。
とにかく、ここでは、この料理自体は直接不条理を説明するものではない。ただ、これをたべる娘が、不条理のカタマリのような存在で、もうほんとうに救いも慰めもないかんじなのだ。その娘が、これを「おいしそうに食べた」。きのうの話でいえば、「感心」な「ためいき」がきこえてくる。こういう場面は少ないが、この娘がたべるところはほかにもあって、「感心」な「ためいき」がきこえてきそうなのだ。
その食べる「彼女の屈託のない表情を見ているのは楽しかった。この子はまだ仮面をつけてはいない。うまくうそはつけるが、まあそらとぼけたりはできない。人を口車には乗せても、まだ二心ある行動をとる力はない。粗野で悪趣味だが、すれきってはいない。この子はまだ若く、傷つきやすいのだ。一方、おれは、年寄りで……タフだ。」と、またもや、ここでラポワントの「ためいき」がきこえる。娘は20歳そこそこ、ラポワントは53歳。ベッドで愛し合う関係だが、娘はわかれるように出て行き、そしてまたもどったりする。はかない不確かな関係だ。
こころは空っぽ。でも、か、だから、か、胃袋には酒とめしが必要だ。でも、ヤケぐいヤケ酒は、いけませんよ。不条理を空気のように呼吸し、めしをくい酒を飲むのだ。
こころのままに。我をはることはない。嫌われたならしようがない。空っぽは空っぽのままに「ためいき」をつきながら。
事件は底なしの虚無をみせて解決し、最後の最後に、ラポワントはおもう。「いや、何も望まず、何も求めないほうがいい」 とはいえ、めしはくわなくてはならない。
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