« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007/04/30

北九州市の『雲のうえ』3号が、またいいんだな

Kumonoue3さきほど、北九州市の『雲のうえ』編集委員会の牧野伊三夫さんから、『雲のうえ』3号が届いた。いつもすみません、どうもありがとうございます。

どうです、この表紙のすばらしさ。もちろん牧野さんの絵だ。もう興奮しましてね、ただちに、こうしてアップしているのですよ。今号の特集テーマは、「おとなの社会科見学 君は、工場を見たか」なのだ。パラパラ見た、内容もすばらしい! いいねえ。けっきょく、なんだね、このPR誌の主人公は、北九州市で働く人びと、生活する人びと、その空間なんだよね。それを、ただ見せるのではなく、牧野さんのことばを借りれば、「自分自身の原風景を、ただのノスタルジーとして片付けてしまわず、よみがえらせる」試みとして、未来への可能性をさぐりながら演出しているところが、「編集力」「表現力」なのだな。ああ、小倉へ行って、イッパイやりたい。

とにかく、だけど、きょうは、天気がよいので、朝からいろいろ「家事」をやっていて、一人で大奮闘。洗濯もちろん、冷蔵庫のなかまでも、片づけいろいろやっている最中で、それに、いま買い物に行って来て、これからビールとワインなんぞを飲みながら、昼食休憩をするところなので、詳しいことはあとで追記します。

……14時半すぎ、昼酒飲みながら、『雲のうえ』を見た。ほろ酔い気分で追記だが、おれのようなものがああだこうだ書くより、この読者の声のほうがいいだろう。たくさんある中から転載。……

『雲のうえ』1号に続き、2号も良いですね。題字が良い。脱力感のある雰囲気が良い。淡々とした力みのない文章と写真、絵が庶民の気品を感じさせて良い。結果として行政らしからぬ個人誌の透明感が行間からにじむ。こういうケレン味のない冊子は貴重ですので、継続されることを望みます。(糟屋郡・会社員)

ミニコミ誌が氾濫している昨今ですが、着眼点が面白く写真もきれいです。北九州市に住んで25年、最初は好感をもてなかったけれど、次々と良さを発見し、今では好きになりました。(門司区・61歳主婦)

(略)北九州が舞台なのに、こんなステキな雑誌になるなんて不思議(?)。遠く離れているのにそこにいるみたいに感じました。(神奈川県座間市・36歳主婦)

(略)よくあるガイド本よりよほど街の魅力が伝わってくる気がしました。鯨を食べてみたい!(東京都調布市・32歳会社員)

この本を読んで「本当は何も変わっていないかもしれない」と思いました。故郷を訪ねるたびに「変わってしまった」と嘆いている自分が、実はいちばん変わってしまったのかもしれませんね。(山口県山陽小野田市・32歳)

このような行政の出版物をこれまで目にしたことがなく、驚いております。市、ならびに制作に関わっておられる方々の並々ならぬ"誠意"を感じます。(略)貴誌を拝見し懐かしく、訪れたい思いに駆られました。(大阪市?49歳)

……もちろん、こういう投稿もあるわけで。……

(略)この冊子が全国区になることで市の大きなPRになることは必然。血税を使って冊子を発行するだけでは何にもならない。波及効果をしっかり見届けてほしい。辛口の意見も聞くこと。長く続くことを祈ります。(小倉南区・65歳)

……とりあえず、以上。


当ブログに書いた、創刊号と2号に関する記事のリンク。

2006/11/16「北九州市「雲のうえ」の素晴しさ」…クリック地獄
2006/11/18「情報を蹴散らして詩人の感性を取り戻せ」…クリック地獄
2006/11/30「「男」という場合の「男」は、男なのか?」…クリック地獄

2007/02/03「北九州市の「雲のうえ」2号 特集は「おーい、市場!」」…クッリク地獄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/29

2004/04/29「貝になるぜ?」04/30「オワリだぜ」

おおっ、ああっ、きょうがおわる、おわらないうちにタイトルだけあげよう。

やれやれ、ここからは追記なのだが(30日になっている)、このブログを始めたのは、2004年の5月1日からだ。その前までは、ニフティが提供する「ノート」だか「メモ帳」とかいうの、それをつかって「発作なメシゴト日記」ってやつをやっていた。これは単純で、一日千字という制限のなかで書いてアップする。ほかの機能は、ない。

一日千字という拘束のなかで書くのは、それはそれでおもしろかった。しかし、リンクをはれないから本文中にURLを記載しておくしかない。やはりリンクをはれたほうがいいな、ていどの考えでブログに移行した。きょうのタイトルは、「発作なメシゴト日記」最後の2日のものだ。

そのうち、ニフティのほうでは「ノート」だか「メモ帳」のサービスをやめる、アップしたものはブログに移すことができるというので、そのようにした。右サイドバーのカテゴリーの「発作なメシゴト日記」か左サイドバーのバックナンバー2004年4月までが、それだ。

あきっぽいおれにしては、よく続いている。でれだら書くのは、けっこう好きなんだな。とくに酒が入ると指が勝手に動いてキーをたたく。酔って書いているのが、ずいぶんあるだろう。

比較的さいきん、アクセス解析なるツールが提供された。なんとなく見るのだが、アクセス数をあげて得しようというひとには役に立ちそうだが、そういう気のないおれには、あまり必要なものではない。どこの誰が見ているか、わかるわけではないし、そんなことは、わからないほうがよいし。アクセス解析はどうでもよいツールで、ほとんど意味のないデータを眺めるだけで利用してない。だが、左サイドバー下に、さいきん提供された、当ブログ内を検索できるツールがある(プルダウンメニューから「このブログ内で検索」を選ぶ)。これは便利で役に立っている。

ただアクセス解析だが、検索でたどりついた人は、どんなキーワードの検索で、ここに来ていただいたかというのがわかって、オモシロイ。このブログでは、けっこうエッチ系の表現があるから、それで来るひとがすくなくない。「女 立ちしょん」なんてのが、けっこうあって笑える。女の立ちしょん、見たことありますぜ。ま、おれがガキのころは、めずらしい景色ではなかったが。あと「ちょんの間」が、おおいね。スケベ、大好き。

もうきのうになってしまったが、「女にふられたとき」という検索で、2007/04/14「一瞬の光芒」に来たひとがいる。女にふられたひとが検索したのだろうか。身につまされ、同情し、一緒に女を逆恨みしてあげてもよいが、しかし、そんなことで検索するって、おもしろセツナイ。「女にふられたとき」は、あきらめるより、しようがないだろう。嫌われた我が身のいたらなさ、あるいは自分がふられほかの男が選ばれてしまう我が身のいたらなさと向かい合いながら、酒でも飲んで、ひたすら忘れるようにする。あとは時間が解決してくれるだろう。酒を飲んだぐらいでは忘れられない女かもしれないが、耐えるのだ。わかったか、「女にふられたとき」のやつ。若ければ、いくらでもチャンスはある。おれのようなトシでふられると、残酷な幕引きのまま人生を終えることになるがな。どのみち人生は「一瞬の光芒」だ。

上段のタイトルスペースにあるカウンターは、ザ大衆食と共用で、ザ大衆食のトップか当ブログのトップにアクセスがあると回転するようだ。ダブルことはなく、リロードでは回転しない。ま、この数字を見ても、なんの役にも立たないが、いつのまにか50万こえている。このカウンターを設置したのは2002年4月20日のことだから、ちょうど5年、多いのか少ないのか。たしかなことは、5歳としくったということだ。また5年後、おなじ調子でやれていることは、まず難しいだろう。毎日、ラストランを、ひたはしるというかんじか。

そういうことで、このブログになって、ちょうど三周年だ。
はて、いつまで続くかねえ。これは男と女の関係とちがって、ふられるということはないからね、自分しだいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/28

味の話は楽しくやりたい

味の話はむずかしい。直接おなじものを食べながら話しているときは、まだよいが、こういうブログなどのように話しの対象となる現物が目の前にないばあいは、むずかしさが増す。

たとえば「甘い」にしても「辛い」にしても、さまざまな「甘さ」があり「辛さ」がある。その種類は、どれぐらいあるだろうか。清酒を例にすれば、小さな酒蔵でも数銘柄もっているが、その「甘さ」や「辛さ」のちがいは、銘柄の数だけある。料理の甘さにしても、砂糖だけではなく、野菜の甘さや、だしの旨みなど、さまざまな「甘さ」がある。「辛さ」にいたっては、清酒の「辛さ」と料理の「辛さ」は、まったく異質のことのようにちがう。

ある菓子について、「あれはおれにとっては甘すぎる」と書いたとする。それを読んだ読者は、それとおなじ甘さを想像しうるかというと、たぶん不可能だろう。この例では「おれにとっては」という表現があるから、まあよい。あのひとにとってはそういうことなのだと理解すればよいのだ。むしろそうすべきだろう。

「おれにとっては」という断りがなくても、だいたい自分の「感想」なり「感じ」を述べているわけで、そのひとの感情や感覚のことなのだ。それにたいして君はまちがっているわかっていないなんていう話は、無粋だし、必要ない。むしろ、その「甘すぎる」甘さとは、どんな甘さだろうか、おれのイメージとおなじなのだろうかと考えてみることが、味の話のためになるし食べる楽しさをひろげるはずだ。

しかし、これが、とくに男同士のばあい、めんどうなことになりやすいようだ。男同士のばあいは、直接おなじものを食べ飲みしながらでもむずかしい。男は、なんてのかな、すぐ自分が優位にたとうとする。自慢が先になるというか、相手の言わんとする意を理解するまえに、すぐ、自分が知っていることをひけらかしたがる。

それは、男は外で闘い女は内を守る、といった歴史が長かったせいなのか、男は料理の味の話でも争うように違いを言いたてる。こんなことをしっているぜ、あんたこのことはしらないだろう、といった話になりやすい。だいたい男は、なんの話でも趣味や道楽のことでも、自分をひけらかしたり優劣を争うネタにしてしまうクセがあるのではないか。

しかし、食糧は争いのもとだったが、料理は和のもとであり、いろいろな戦争も食糧が原因であったとしても、料理を食べながら飲んで和して手打ちなのだ。そのときに、違いを言いたてたら和も壊れるというものだ。おお、おれと戦った相手は、このようなものをうまいとおもってたべているのかと理解することが肝要であり寛容なのだ。

前にも、ある男と味の話から、ややこしいことになって、おれはあまり言い張らないほうなので、こいつはツマラン男だなとおもいながら聞き役になっていた。かれは、ある天ぷらやの天丼のツユというかタレというかについてウンチクをかたむけたのだが。後日、かれがあそこのは、あまり甘味がしつこくなくてよいというその店の前を通ったので、ついでに食べてみた。すると、それは、どう考えてもアジノモトの旨みによる甘味なのだ。考えようによっては、砂糖やだしをけちっているだけ。「グルメ」のあいだでは、そういう店が行列のできる店になったりする。それは、ヒマのおおいみなさんのヒマつぶしのアソビとしてならよいだろうが、「グルメ」とはちがうのではないかとおもう。

ま、そういうこともあるのだが、味の話は楽しくやりたい。では、楽しくやるには、どうするかということがあるが、それ以前のモンダイとして、相手が言わんとしていることを理解する想像力が必要だし、その想像力さえあれば楽しくやれるようになるとおもう。

そして、やはり女のほうが、といっても最近は料理をしない女もいるからなんともいえないが、やはり料理をつくるかどうかで、想像力の膨らみかたもちがうだろう。よくつくっている人のほうが、一般的には、料理の味の話をしていても楽しい。イメージに膨らみがちがうのだ。

女をほめるのは、好きな女だけにしたほうがよいので、女に難癖をつければ、よく料理をする女にも「教科書どおり」というタイプがすくなからずいる。おれは、「頭のよい」つまり「勉強のできる」女には、このタイプが多いのではないかという偏見を持っている。先生のいうとおりに答えれば点がとれ「頭がよい」ということになる。だけど応用や機転がきかないというのかな、それはひとえに知識より想像力のモンダイのようだ。そういうタイプがけっこういる。このばあい、料理はつくっていても、話にイメージの膨らみがなく、タイクツする。あまり女のことはしらないのだが。

「料理が上手な女は頭がよい」なんていうコトバがあったような気がする。誰が言いだしたのか、頭の悪いやつが考え出したとしかおもえないが、料理や味の話をしていて楽しい女というのは、たしかにいる。そういう女は料理もうまいだろうなとおもう。

とにかく、料理のことで、知っている知識をひけらかし競うのは、バカさかげんを露呈するようなものだ。あそこにこんな店があります、あんな店がありますなんていう話は、それがうまい店のことであったとしても、食の話でも料理の話でもない。情報の話なのだ。何軒か食べ歩けば、どこの店がどうだかぐらいの判断がつくのはアタリマエで、その数がふえたところで、データベースの拡張、情報の増大だろう。それはそれでよいのだが、それを、なにかいかにも食や料理や味について「客観的」に詳しくしっているがごとく、もったいをつけて話すからおかしいのだ。

女だろうと男だろうと、料理は知識ではない、想像力なのだ。それに、まず、食べることを好きにならなくてはな。

しかし、きょうの天気は、ひどい荒れ模様だな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

連休という制度、イベントという装置それとも日常性の回復

きのうの夜中に知ったのだが、世間は連休だそうだ。そういえば、イベントの案内がたくさん届いている。日本経済は、東京オリンピックの「成功」以来イベントによる経済効果に味をしめ、「イベント経済」といってよいぐらいの様相をしめしている。消費もイベント型にならざるを得ない。日本人は「祭り」好きという話もあったな。連休という休まなくてはならない制度のなかで、欲望を消費へ導く文化装置としてイベントが機能する。と、きのうの脈絡で考えればそうなるわけだ。

こんなときはなるべく人ごみを避けて、ノンビリすごすにかぎる。

そうだなあ、酒を飲みながら一日中ブログを書いているなんていう「イベント」はどうだろうか。おれにとってはいつもと変わらないのだが、世間が連休ときくと、なんだかヒマという感覚になるからフシギだ。ヒマにしていてはいけないのだがヒマなのだ。

とにかく非日常的な休みには非日常的なイベントより、日常性を体験するすごしかたが、いまでは貴重になっている。ってことかな。以前は連休というと山に入っていたし、山はコースを選べばひとが少なかったが、いまはひとのいないコースをみつけるのが困難になった。どこへ行っても信じられないぐらいひとがおおい。行けば嫌なものをみるだけだ。残雪がたっぷりある奥地の稜線までイベント型の消費主義におかされた。

興奮や感動を消費するイベントか、平静を育む日常性の体験か。まずはめしくって掃除でもするか。ぐふふふふ、今朝のめしは、ハムトーストにビール。ああ、至福のひととき。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/27

消費主義と、どうつきあうか

酒を飲んで酔うとよいことがある。ふだんは脳の奥に忘れていたことが、にわかに表層に浮上し、ロレツのまわらない頭と口で、なにかをいう。さきほど書いた「健康と幸福と神」の関係がそれだ。これは、たぶん、この2、3ねん、おれが気になっていることなのだ。それは直接的には、いくつかのことが関係するが、それを書くと長くなるから後日ということにして。二日酔いの頭に浮上したこと、これは何かに書いてあった大事なことに関係すると思って気になりだし、気になると仕事は手につかないし酒も飲めなくなるし、だから探した。二日酔いのときは勘がはたらいて、見つかるのがはやい。

大事なところを、これは引用というより、自分のためのメモとして、ここに残しておく。このブログでは何度か『欲望と消費  トレンドはいかに形づくられるか』(スチュアート&エリザベス・イーウェン著、小沢瑞穂訳、晶文社)の本文から引用しているが、これは平野秀秋さんが解説で書いていることだ。タイトルは「「消費」の世界史的な意味」

この本は、イマを知るために、とてもよい一冊だと思うが、そのわけは、ここに集約されているようにもおもう。ようするに大事なことは、現代の消費主義と、どうつきあうかなのだ。そこを考えないと、ブログなどは、消費を煽りあうだけの文化装置になりかねない。消費主義と縁遠かった「昭和」「下町」や「立ち飲み屋」や「古本屋」などまでも消費ブームの舞台にしてしまった動きは、どこへ向かおうというのだろうか。

以下、メモ……

 周知のように、世俗内「禁欲」とは、唯一絶対の神の恩寵によって義とせられることをひたすら生の目標とするキリスト教徒が、宗教改革によって教会からも伝統的規範からも解放され独立した個人となった結果、神の恩寵を自分自身に確信させるよすがとして、激しい勤労と節約とを心の拠り所としたことから生じた。すなわち、絶対の神の眼差しをたえず感じずには生きられない人間が生み出したものである。「勤勉」と「工業」を同時に意味する「インダストリー」を生活倫理とした新教徒が私的資本蓄積の推進力となり、近代資本主義社会の形成に最適の社会階層となりえたのは、あくまでも結果論である。根源は、神の眼差しへの飢え、神の恩寵のさだかならざる事への不安にあった。
 私達の消費主義も、それと同様になにものかへの飢えと不安とを根源として成立している。もとより神へのではない。人間にとっては神よりもある意味でもっと対処しにくいもの、すなわち幸福への飢え、幸福の実体のさだかならざることへの不安である。それは神と寸分たがわぬほど観念的で捉えがたいものであると同時に、人間に強迫すること、神よりもさらに深刻なものがある。なぜなら、神は絶対であって人間が到達しがたいことをはじめから覚悟させてしまうのにたいして、幸福はつねに相対の論理の上にしか成り立ちえないからである。
 私達は幸福観を、他人にくらべてより幸福か、きのうにくらべてより幸福か、という比較級によって表現し判断する以外のみちを知らない。これは、神の恩寵に接した至福とも仏の境地にふれた不動心とも、載然と質を異にするものである。相対の上に成り立つ幸福は、私達だれにでも手が容易にとどくところにある。それを世俗化の勝利と呼ぶことは的外れではない。しかしまた相対の幸福はより大きな比較級を求めて慢性の飢餓のように休むことを知らなくなる。私達にはセルフヘルプの救いも助けにならない。
 欲望は、だから今日においても単に物質的なのではなく、すぐれて精神の問題としてあるのだ。そうであるからには、欲望はただちに消費に向かったわけではない。ある独特の文化装置が存在し、精神の飢えを物質の飢えに置きかえ、欲望と消費との無限循環のなかに時代を溶かし込んでゆく推進機となっている。その文化装置の秘密は、ひとことでいえば現代人の自我のもろい殻が、それなしでいられない世間、すなわち他人の平均像を提供することにある。私達は毎日自己をそれと引き比べることによって、自分が幸福だと感じたり、不足や努力目標を探したりしながら一生を終えることになっている。消費によって成り立つ現代の幸福は、為替相場のように毎日計ることができ、水の上の木の葉のように日々ささやかな浮き沈みをくりかえす。私達の消費主義が台頭するさいに、どんな事実の積み重ねでこのような文化装置が形成されたのか。またそれはなにによって回転しているのか。この問題を考えるには、直接この本にあたることこそ捷径である。マスマーケット、マスマーチャンダイジング、メディアパノラマの淵源と展開が遠くを見通す感性と粘り強い論理をもって歴史的展望のなかで呈示されている。私達は、意識の歴史は意識の中にではなく、制度と行為との遭遇する一見ありふれた事実の積み重ねの背景になにがあるのかを見通すことからはじめなければならないことを知ることができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

酒と健康と神

昨夜は中野でやどやPTの飲みーてぃんぐだった。いつものメンバー。一軒目、ジジババでやっている駒八、二軒目、中野店開店後はじめてのアボットチョイス。駒八で、すでに正体を失っていたので、アボチョイではなんの話をし、いつごろどうやって別れて帰ってきたか覚えてない。

ウチに帰ったら「そのへんに寝ないでよ」といわれたような記憶だけはある。ちかごろ、酔って帰り着くやいなや、そのままバタッと畳の上に寝てしまうクセがついてしまったのだ。そのうち畳の部屋までたどりつかず玄関で寝るようになるかもしれない。さらに玄関の前で寝るようになるかもしれない。さらにウチの前の道路で寝るようになるかもしれない。……このあいだは、上越線岩原スキー場前駅のホームで寝てしまったし、このままでは、泥酔のちどこでもかまわない寝るようになって、いつか凍死ということになるかもしれない。それもまたよいかな。ほんとうは、どこかで女と寝るのが、いちばん心配なくすむとおもうのだが、相手がいないからできない。さみしいなあ。

しかし飲みーてぃんぐのほうは、今回は、まったく雑談でおわり、課題らしいことについては話にならなかったような気がする。ま、それもまたよいかな。

とにかく、みなさん、「旅人文化」をよろしくね。そのうち、なんかやりますよ。ってこと。

旅人文化ブログなんでも版…クリック地獄

旅人文化のサイト…クリック地獄

それで、なんにも覚えていないもんだから、またきのうの「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」に書いたことを思い出した。『四月と十月』にのっていた、田口順二さんの「飲酒アレルギー」の話。もうすこし詳しく書くとこういうことだ。

『酒と健康』(高須俊明著、岩波文庫)から引用の久里浜式アルコール依存症スクリーニング・テスト、「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」。

1 酒が原因で、大切な人(家族や友人)との関係にひびがはいったことがある [ある 3.7 ない -1.1]
2 せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても、つい飲んでしまうことが多い [あてはまる 3.2 あてはまらない -1.1]
3 周囲の人(家族、友人、上役など)から大酒飲みと非難されたことがある [ある 2.3 ない -0.8]
4 適量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう [あてはまる 2.2 あてはまらない -0.7]
5 酒を飲んだ翌朝に、前夜のところどころ思い出せないことがしばしばある [あてはまる 2.1 あてはまらない -0.7]

田口さんの引用は、ここまで、そのあと、こう書いている。「というような質問が14まで続く。合計点が0点以上が問題飲酒者、2.0以上が重篤問題飲酒者らしい。ぼくの場合5番目の質問で既に高得点であり、かなり危険な数値を示している」

「ではどうしたら問題なく楽しくお酒とつきあうことができるのだろうか」と失敗におわった実践例をあげ、最後に、こう書く。「しかし最近はお酒を少しでも飲むとお腹の調子が悪くなりお腹の方がお酒との付き合いを拒否している。ぼくはそばアレルギーでそばが食べられない。お酒もアレルギーだったらどうしよう。バーにいってもウオッカ抜きのブラッディーメリーしか飲めない。」

なかなか洒落た〆なのだが。しかし、腹のほうで酒との付き合いを拒否しているって、依存症よりヤバイんじゃないの田口さん。

ま、それで、おれは、きのう書いたように、1については、ひびがはいっても修復できればよいではないか、でも、ねえ修復しましょうよと思っても、相手がおめえなんか嫌いだ寄るな近づくな声をかけるなということであれば、ひびはひびのままだ。つまり酒のモンダイではなく、とりえのない嫌われる自分がモンダイなのだ。2については、そもそも「せめて今日だけは酒を飲むまい」と思ったことがない。3については非難されたことがない。関心をもたれてないか、あきらめているのか。4は「適量でやめよう」と思ったことがない。モンダイは5なのだ。昨夜も。だが、そこで、これはアルコール依存の問題ではなく、トシのせいにすることにした。老化現象なのだ。よって、おれは依存症の心配はないという結論になるのだった。

そんなことを考えているうちに、こんなことを考えた。神に対する信仰がないか希薄な日本人にとって、「健康」というのは絶対神になっている。もうひとつ「幸福」もそうだ。「健康と幸福」こそ日本人の絶対神なのだ。これは、ほかの神々とちがって人間を貪欲にする。日本人がやたら、貪欲にグルメや健康にはしったり見栄をはったり、長い行列や徒党を組んでの食べ飲み歩きツアーなどを恥ともおもわず「ひとなみ」をするのは、そのように貪欲な神が宿っているからだ。とりわけ東京は、東京さ行って幸福をつかもうという連中が集まっているところだから、貪欲のるつぼなのだ。これが東京の街を内側から破壊していく源だろう。

と、そういえば、きのうは「幸福」について、そのような話をしていたような気がする。おお、記憶が少しよみがえったかな。ということで、まもなく13時、じゃあこれから飲んで、今夜の部へむかって調整するとしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/26

いま最高に刺激的な雑誌『四月と十月』最新号

0410さて、昨日から前置きが長かったが、やっと本題の、画家のノート『四月と十月』vol.16最新号のことだ。

その濃密な読みごたえは、2006/12/12「「四月と十月」の濃密」に、詳しく書いた。今号もまただ。

まず、袋からだしたら、アレッ表紙、真っ白じゃないか、裏を見ても真っ白。これ、この、しっとりした感触のアイボリーのはいった白い紙が作品なのかと思いながら、何回かひっくりかえし、何度目かに、やっと表紙の左下にある絵に気づいた。これが、パラパラ漫画なのだ。味なことやるねえ楽しいねえ。宇田敦子さんの作。デザインは内藤昇さん。

というぐあいに一つひとつ感想を書きたいが、きょうは忙しいので、省略。いつもの四月と十月の参加メンバーが書く「アトリエ」からも、ほかの記事・連載も、どれも読むと刺激になる内容ばかり。なんてのかな、さあ書きますぞ、どうだ書くというのはこういうことなんだぞ、こんな風に書くと受けるんだよな、という感じがみえみえの、視聴率稼ぎのような表現の、文術家系のひとたちが書いたものとちがって、美術家たちの日常、日常のなかで考えていることが、サラリと書かれていて、その視点や感情の働き表現などが、とても新鮮に興味深く読める。この雑誌は、いま最高なのだ。

今回の注目は、なんといっても、編集長の牧野伊三夫さん執筆の連載「仕事場訪問」だ。「福田尚代が現代の美術表現をはじめるまで」というタイトル。「彼女がある雑誌のインタビューで、何故わざわざ文章を墓石に彫るかときかれ、「私はあくまでも文章家ではなく、造形作家でありたいと思う」とこたえていたのを今でも覚えている」という牧野さん。「美術が「絵」という限られた空間からとび出して久しいが、僕たちは何を手がかりに表現を考えていけばよいのだろうか」と、なかなか重い出だしなのだが。

福田さんが、「回文」と福田さん自身が「転文」とよぶ文を、墓石に彫ったりといった美術表現にとりいれる、現在のような表現方法にいたるまで、なかなか重い人生があった。読んでいても痛々しいほど。おれなら、酒飲んで、さっさと表現稼業なんか、やめちゃうね。ま、実際、福田さんも一度は、おれのような俗人からみたらエリートな、東京芸大と芸大大学院を出ていながら、なんともったいない美術から離れ、郵便局で働く。しかし、それが、「郵便局が好きだったから」というのもオモシロイ。そして結婚、渡米、別居、帰国、離婚……。

牧野さんは、福田さんを訪問した結果を、このようにまとめる。「回文は彼女にとって遊ぶ道具、つまりおもちゃなのだ。回文をつくることによって、美術表現しなければならないという脅迫観念から解放されていくのではないだろうか。僕がギャラリーで感動したものの正体は、彼女がこうしてたどりついた自由な世界で、自分自身を素直にさらけ出していることだったかもしれない」「表現は「いかに自由な世界に遊ぶことができるか」にもかかわっていると思う」

ここでいう「表現」は、表現を稼業にするものたちだけのことではないだろう。あらゆるひとに関係することだと思う。

おれなどは、さしあたり、このブログが遊び道具なのだが、「書かなくてはならない」「なにかのために、書かなくてはならない」と思い出したら、とても続けられるものではない。ようするに、ここにこうして書くことで、さまざまな強迫観念から解放されていくこと、それが「自由な表現」「自由に生きる」への道なのだな。なーんて考えたりした。

しかし、おもちゃだと思っていたものが、いつのまにか稼業ってことになると、それはまたそれで切ないことであり、おもちゃはおもちゃのまま遊ぶのがよい。で、こうして遊んでいるわけだ。ここに書いたものを出版につなげたいといったスケベごころなんか持たないほうがよいのだ。気ままになりゆきまかせを遊ぶ。チョイと表現にからんだ仕事をしているからといって、自分を特別な人間のようにおもったり、芸術家や文化人を気どるなんて、サイテーなのだ。

ましてや、もっとも自由な楽しみでなければならないはずの飲食の場に、知ったかぶりの食べ飲み歩き情報屋や栄養学が強迫観念を押しつけてくるなんぞは許されることではない。もっと自由にやろう。すべての自由は飲食の自由からはじまる。って、わけわからんか。

と、話は、ずれたようだが、『四月と十月』の文の一つひとつが、そういうふうに自分のことを考えさせてくれるのだ。しかし、「回文」をつくるのって、どうも楽しそうだから、やってみよう。

はて、長くなってしまった。古墳部の旅のことは昨日ちょっとだけ、田口順二さんの文を引用しては今日の早朝深夜、ちょっとだけ遊ばせてもらったので、きょうは、ここまでよ。

四月と十月公式サイト…クリック地獄

こちらもご覧ください…2006/12/12「「四月と十月」の濃密」…クリック地獄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか

1 酒が原因で、大切な人(家族や友人)との関係にひびがはいったことがある

……と、これは、きのう最後のほうでふれた、『四月と十月』の最新号(vol.16)をパラパラ見ていたら、いきなり目に飛び込んできた一行。ああ、あららら。

四月と十月に参加の北九州市の美術家、田口順二さんが書いている、タイトルも「飲酒アレルギー」。書き出しが、「まず、酒好きの人は久里浜式アルコール依存症スクリーニング・テストをやってみよう」ってことで、「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」の冒頭なのだ。

高須俊明著『酒と健康』(岩波文庫)からの引用で、まだ続くのだが。まるで、おれのために書いてくれたような。田口さん、このブログを見ているようだから。でも、田口さんも、かなり飲兵衛らしい。

そういうわけで、きょうも意地酒を飲んで、はや午前2時すぎ。『四月と十月』について、詳しい紹介を書こうとおもっていたが、この一行で、おれは腰がぬけ脳ミソが眼から噴出し酒を飲みすぎたので書けない。

しかしなんだね、「ひびがはいった」としても修復できるかどうかってことが、あるとおもうが。そういうチャンスがないばあいもあるからなあ。ま、このテストでは、とりあえずひびがはいったかどうかだけど。

でも、ひびがはいるかどうかは、相手にもよるよな。惚れているかどうかで大目に見られるかどうか左右されることもあるだろう。もともとたいして好きじゃなし、ほかに好きな人もいるってことならば、簡単に問答無用のハイそれまでよ完全絶交「もう逢いません」なーんていわれるだろう。おまえのことだぞ。あるいは人によっては、美人や紳士や、仕事をくれたりイイ思いさせてくれる人にはアマイ、とかね。おれのように、なんのとりえもない、ただの酒飲みは不利だから、ことさら用心が必要だが、それができねえってのは、やはりアル中一直線か。ふん。

ああ、なに書いているかわからねえよ。とにかく、眠い、寝よ。明日は、なんの日だったかな。

ちなみに、つぎの質問、
2 せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても、つい飲んでしまうことが多い。

これに対するおれの回答は、「せめて今日だけは酒を飲むまい」なんて思ったことはない、ってことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/25

意地酒その後と、はてこの画像は

Soyou意地酒はどうなった、もう意地酒は飲んでいないのか、とぬかすやつ。ふん、おおきなお世話だ、飲んでいるに決まっているだろう、いちいち書くのがめんどうなだけだ。毎日毎日どんどん意地酒だ。

ま、午前1時の酔いどれ便を期待しているやつもいるらしいから、たまには相手をしてやろう。

でも、なんだか書くのがめんどうだから、今夜は画像を一枚。これは、調べるといつごろの撮影かわかるのだが、めんどうだから調べない。たしか1990年ごろの晩秋の写真だ。

コレどこか、わかるひと、いたらうれしい。ここ見えるかぎり、画面におさまらないほど左右に広がっている大地、ほとんど、かつて平成の糞大合併前は、熊本県蘇陽町というところだ。いまは山都町の一部。

阿蘇山は、デカイ。北側が観光で有名だが、ここは外輪山の南東側。遠景右端の特徴のある山塊は根子岳だとおもう。とにかく雄大な景色。だいたい標高600mから800mぐらい。だから雪が降る。

写真を撮っている位置は、鏡山。と聞いて、ああ、あの西南戦争のとピンときたひとは、えらい。そうなのだ、チト判別つきにくいが、左手、写っていない位置に薩軍と官軍が戦った馬見原がある。蘇陽町の集落は、この大自然のなかにパラパラと散らばった感じであるなかで、馬見原は唯一商店街らしいカタチを成している。むかしから交通の要衝だった。

そこでいったんは官軍に勝った薩軍だが敗退し、鏡山で戦いながら、この背後の宮崎県へ逃れたり、とにかくコツゼンと姿を消す。そして、コツゼンと鹿児島に姿をあらわすのだ。

鏡山から熊本県と宮崎県境の山づたいに鹿児島まで抜けたという話だが、現場に立ってみると、とても深い山で、そんなことできるかいという感じだ。椎葉村のほうまで、クルマで行ったこともあるが、クルマでも大変なところだ。しかし、地元の林業家に聞いた話では、不可能ではないらしい。

とにかく、この地は、いろいろオモシロイ。見えているところは、台地のようなアンバイだが、これが分水嶺なのだ。ふつう分水嶺というと、谷川連峰のように、キッパリと水脈をわけるように聳えていることがおおいが、ここはこのように台地で、宮崎県側に流れる水脈と熊本県側に流れる水脈がいりくんでいる。渓流がいりくみ、ところどころで地下水脈が露出し、水が地球の壁の割れ目から噴き出しているようなところが数か所ある。

そして、右側、杉林の上あたりの位置に、古事記・日本書紀に名前が出てくる五ヶ瀬川の上流、そこに蘇陽峡とよばれる景勝の地だが交通不便のため観光客が来ない、雄大な渓谷がある。蘇陽峡ときいて、ああ、あの三角寛『サンカの研究』に出てくるサンカの風呂跡があるというところか、とピンときたら、うれしい。『サンカの研究』は眉唾虚構といわれるけど、ウソでもよい人里を避け山に生きるサンカのロマンを信じたくなるところだ。

それからそれから、まだあるが、やめておこう。しかし、おれはどうでもよいことを、いつまでも忘れないで覚えているな。なにしろマーケティングプランナーってのは、関係なさそうなどうでもよいことでもよく調べるものなのだ。

こんな山奥でマーケティングプランナーが必要だったのか。さあね、必要だったから行ったのですよ。なんだかんだで8カ月ぐらい滞在したか。最後は移住するつもりだったが、その計画は頓挫した。

で、ここは、標高600mから800mぐらいだから、ふつうに農作物を栽培しても下界より害虫の発生がすくなく低農薬ですむ。無農薬栽培がやりやすい。それから、分水嶺の水源地だから、いい水が豊富。が、しかし、よいことばかりではない、阿蘇山の火山灰地なのだ。阿蘇が爆発すると灰が降る。生きていくには厳しい土地だ。

ああ、こうやって書いていると長くなる、やめた。

この画像をのせるのは、明日か明後日あたりに書くことに関係があるからだ。鏡山の真下に大きな道路が走っている。左下を注意深く見れば、ちょっとだけ一部がわかる。この道路は、熊本市から熊本県を東へ横断し、阿蘇山南側のカルデラのなかをとおり、写真の左上あたりにあるはずの高森峠から蘇陽に入る。そして台地を突っ切り、手前の杉林の下を左から右へまわりこむと宮崎県五ヶ瀬町。そこを抜けると高千穂へいたる。おれが写真を撮っている背中は、もう五ヶ瀬町だ。いまあげた地名の一帯は、神話伝説の宝庫だ。幣立神社をはじめ、すばらしい神社がたくさんある。

ここを、去る2月某日、『四月と十月』古墳部の一行が通ったのだ。おれは、故郷で雪まつり中学同級生と飲む会があって、残念ながら参加できなかったが、今回の古墳部活動は高千穂の夜神楽を見学することだった。おれは、この地にいたとき、4回ほどそれを観ているし、知っているひともいる土地なのでゼヒ行きたかったのだが。

で、その報告が載った、『四月と十月』の最新号がきのう届いたのだ。ってことで、やっと話が本題の結末になったところで、あとは続く。『四月と十月』、今回もオモシロイ、刺激的だ。

とにかく、一度このへんに行ってみることをオススメします。ああ、けっきょく長くなった。よく書くなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/24

5月10日発売予定の『旅の手帖』

第2特集「にっぽん“丼”旅」にエッセイを寄稿しています。校正も終った。
タイトルは「風土と人情を丸ごとほおばる」。
よろしく~。

『旅の手帖』は、『散歩の達人』とおなじ交通新聞社の発行です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

食べる、そのときの気分

 私はフラワー街のコーン・ビーフを食わせる店へ行った。ちょうど、そのときの気分にぴったりした店だった。入口の上の無愛想な看板にこうしるしてあった。――〝男子にかぎる。女子と犬はお断り〝。店のなかのサーヴィスも同じように念が入っていた。食べものをほうり出して行く給仕はひげづらだったし、何もいわないのにチップを差し引いた。食わせるものは簡単なものだが、すこぶるうまく、マルティニのようにすばらしい褐色のスウェーデン・ビールを飲ませた。

……引用おわり。「ひげづら」には傍点がある。

「私」は、『長いお別れ』(レイモンド・チャンドラー、清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)の主人公、フィリップ・マーロウだ。

「そのときの気分」を、どう説明したらよいか。少々荒っぽい、やるせない気分、といったところか。やさしさなんか、いらないよ。

「男」には、こういう店に行って、ガツンと食べて飲みたくなることがある。いや「女」を「差別」しようというのではない。男には男の、女には女の、そういうことがあるでしょうってことだ。「女」のばあい、このような店があったとしたら、店の入口には何と書いてあるのだろうか。〝女子にかぎる。男子と熊はお断り〝とか? おれが店主なら〝女子にかぎる。男子と狐はお断り〝と書くな。ま、女のことは、ワカリマセンがね。

日常のめしには、このように気分が強く関わることがある。こうまで極端でなくても、その日の体調や気分は、ビミョウに味覚に関係するだろう。自分はイマ、なにを食べたいか、どんな味覚を欲しているか。食べることは、自分と向きあうことでもある。

「コーン・ビーフを食わせる店」というのが、いまいちイメージがわかない。コーン・ビーフの缶詰をあけ、丸ごとかじりつき、ビールをびんからラッパのみ、なーんてことだとワイルドで荒っぽいやっつけかたになるが、そんなことはないだろうな。

『長いお別れ』については何日か以前に書いたが、最近、村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』が出ている。彼は、ここのところを、どう訳しているか気になる。思い切りハードボイルドに気どっているんじゃないかという気がするが。

それはともかく、2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」に引用した、「人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬」とは、こういうことでもあるのか。気分にあった飲食をする場所がある街、日常に必要なのはそれだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/23

下流と周辺

「下流社会」とかいっちゃって、「下流」というコトバがハヤリのようだ。その手のコトバや視点がうりの本は、立ち読みでパラパラとしか見たことないが、どうも違和感をおぼえる。

そういうことをネタにしているひとたちのあいだでは、「下流」と「周辺」がゴチャマゼというか、区別がついていないらしい。それは、彼らが、自分は仕事もスキルも「上流」という意識があるからではないかとおもわれる。

しかし、じつは「中央」と「周辺」があり、「上流」と「中央」は重なりやすいが「下流」と「周辺」は必ずしも一致しない。中央の権力や権威に近づこうとしない、あるいは距離をおこうとする「周辺」がある。結果的に「下流」「負け組」の生活になるかもしれないが、それはまさに中央東京一極集中の社会構造のモンダイであり、そのモンダイをはぐらかすためにも、「下流社会」論や「勝ち組・負け組」「格差社会」論などは有効であるようにもみえる。

もともと「勝ち組」「負け組」なんてのは中央の意識の産物にすぎない。そういう意味では、「下流」という観念もそうであり、本人たちは「下流」だなんておもっていないのに「下流」にされてしまう。そして「下流」というレッテルを貼られたところで未来がひらけるわけではない。「下流」という見世物ネタで中央や上流の誰かが稼ぐだけだ。

「周辺」での生活には、それなりのスキルが必要であり、ともすると「中央」や「上流」より高質のことがある。しかし、中央の意識は「上」ばかり志向し「下」のことはメシのタネぐらいでしかないから、それを理解できないのだろう。把握すらしていないかもしれない。

「ふつう」であってはいけないと、「ふつう」を志向するものが批判の対象になったりする。中央で、ふつうでおわらないよう目立ち突出することばかり考えている人たちにとっては、「ふつう」をよくするなんて想像外のことにちがいない。しかし周辺で、「ふつう」を大事に育てる暮らしもあるのだ。

「昭和レトロブーム」だ「下町ブーム」だといっても、みな「ふつう」の人たちが育てた「ふつう」の生活文化だろう。それをネタに一儲けの人たちや話題をとり突出しようという人たちがくいつぶしているだけじゃないか。

おっと、こんなこと書いているおれは、ますます周辺化下流化するのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/22

新宿ション横、泥酔第4回飲み人の会

きのう21日。いやあ、またやりました。よく飲んだ、ほんとに、あんたらよく飲む。としか言いようがない。あの店に4時間もいて、一人5000円近くも払うなんて。生ビール、清酒、焼酎はボトルでとって何本あけたのかな。最後の一本、約半分ぐらい残ったのが、おれのバッグにちゃんと入っていたよ。しぶとく持って帰ったのだな。

第4回飲み人の会は、新宿はション横。そもそも、この会は「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく。なんてね。」ということだから、名店だのなんだのは関係ない。大きな店で大人数で押しかけても、そこの日常は壊れないような、しかし、なんだか酒飲み大衆の風情のあるところを選ぶ。そこんとこが、なかなか難しいのだが。ってことで、ここは200人ぐらいは入れる、その2階の板の間が会場。入れ込み座敷や板の間の、壁に手書きの短冊メニューがひらひらと、雑然かつ猥雑な雰囲気。こういう飲み屋は、かつて浅草にたくさんあったのだが、すくなくなった。

集合は6時。その時間に、全員そろう。もうみんな張り切って来ましたね。おれのほかは、4回全参加のシノ男さん、2回目のテル男さん、オオク男さん、オッタチドウフ女さん、そして初参加のヤマシカ男さん、ヤマモ女さん。最年少25歳、最高齢おれ。50台はいない、30チョイと40チョイ、合計7名。職業業界バラバラ。千葉、川崎、大宮、都内から。

みな上手に楽しく飲みました。せどり趣味?のシノ男さんには、『犬を飼う』(谷口ジロー、小学館)をいただいてしまった。そして、ぐふふふ、おれのメモ帳には、「遠藤哲夫様 あなたを愛しています」というオコトバが書かれてある。これを書いたのは、もちろん女。顔色が悪いから、風邪でもひいているのに無理して来たのかと心配したおれだが、この日の朝6時まで飲んで、そして夕方6時には、ここに来たのだそうだ。いやはや。

とにかく飲んだということ以外、書くことがない。さっそく、参加者の一人から、こんなメールが届いている。……

良いお酒でした。
良いお酒過ぎて電車を乗り過ごしてしまいました。

お話した事はあまり覚えてないのですが(略)
集まった皆さん興味深い方ばかりで、またお会いしたいです。

……これが、きのうのすべてだろう。けっこう、けっこう。

この一週間、ぐずついた寒い日が多かったが、きのうはあたたかく、土曜日の新宿は、「新歓コンパ」なんて書いた紙を持って待ち合わせする姿があったり、上京したての田舎者の初々しさが目立つ若者で混んでいた。ション横、6時ごろは、まだガラガラだったが、8時ごろには、どこも満員状態だった。

おれたちの会場となった店は、店内にトイレがあるのだが、サンダルをつっかけて共同便所へ行った。そしたら、つるかめのバアサンが、便所から出てくるところだった。このバアサン、カウンターの中にいるときは気も張っているのだろう、そんなにバアサンとはおもえないのだが、すっかり腰がまがったバアサンなのでおどろいた。むりもない、もう80ぐらいなのだろうから。元気で続けてほしい。

とにかく、例によって、どのようにみなと別れて帰ってきたのかわからない。

ま、そういうこと。きょうは今日とて川端柳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/20

ワタシ、営業マンの味方です

大衆食堂というと、有力な客に営業マンがいる。それも「外交」や「セールス」といわれ、ほぼ肉体労働者とおなじように肉体を酷使する「外回り」の人たちだ。

しかし、なにごとにつけ優劣観をもってする小市民のあいだでは、営業マンには悪いレテッルがはられることが少なくないようだ。そもそもは、なにかを売りつけカネをふんだくるやつとして、財布をねらうドロボウ同然に警戒されているのだが。なにもとりえのない人間がゆきつく職業、総じて「体育会系」の「バカ」。「不誠実」「信用ならないやつ」「うそつき」「ずうずうしいやつ」「下品」「スケベ」……これまでさまざまなレッテルを耳にした。

おれの「職業人生」は、その営業マンから始まった。しかも街の飲食店と共に。いまだってそうだとおもうが、外回りの営業マンと飲食店は宿命的に密接で、男と女以上の男と男のような関係だろう。って、わけわからんか。

2007/03/22「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」に書いたなかの一つのタイトルは「ワタシ、営業マンの味方です」だったが、まだ書いてなかったから、チョイと始めることにする。これは長くなる話だ。きょうは途中までになるだろう。きょうのところは「おれが営業マンになったとき」というかんじかな。

その日、つるかめでは、おれの隣に、くたびれた濃紺のスーツを着た40歳ぐらいの、営業マンと見られる男がすわっていた。それで営業マンへのおもいがわいたのだ。

おれが東京の大学入学後、実家が競売にかけられる家業の倒産があって、いくつかの臨時雇用を転々としたすえに「正社員」で就職できたのが営業職だった。以前に書いたことがあるが、海外旅行専門の旅行代理店の、正確には団体旅行営業担当の営業マンだ。人間の大海原で魚群を追い釣をやるように見込み客をみつけては会いにゆくセールスだ。

あまり積極的に就こうというひとがいない職業。ほかにもある。ある女のことだ。いまは、いわゆるフリーで「クリエイティブ」関係の仕事をしている。以前、彼女が発したある言葉にふと、「飲み屋のねーちゃんのようなセリフだな」というようなことをいったことがある。もしかしたら、水商売をやっていたことがあるのでは、という勘もあったのだが。

そのとき、すでにフリーで活躍しているのだから、「飲み屋のねーちゃん」では不機嫌を買うかとおもった。たいして違いはないが、すこし用心して気をつかい「飲み屋のおねーさん」とか「酒場のおねーさん」とか、そんなふうにいったはずだ。それでも怒られるかとおもったが、すると彼女は、「どうせ、(いまの仕事も)飲み屋のねーちゃんのようなものです」というようなことをいった。おれは、ナルホドと感心した。

彼女は、家庭の事情で「飲み屋のねーちゃん」をやっていたことがあったのだった。彼女は、そのことをいったあと続けて「フーゾクはやりませんでしたけど」というふうなことを付け足した。おれにとってはどうでもよいことだった。すでにフリーで十分やりながら、それが「飲み屋のねーちゃん」のようなものだと、サラリいえるところが、おもしろいというか共感するところがあった。たいがい、アーチスト風に気どりたくなるものだが。

「飲み屋のねーちゃん」根性を忘れないなんて、いいことだろう。おれのばあいは、「営業マン」根性というか、それゆえフリーであり「作家」志向など、まったくない。「根性」といえばカッコイイかもしれないが、ニヒルといえばニヒル。そこにつきまとう、「生きる」ナマナマしさがいい。ほんと、飲み屋のねーちゃんも営業マンも、生々しい。

そんなことを考えながら、隣の営業マンをチラチラみる。ビールを飲む。彼はスポーツ新聞をみながら、サワーを飲んでいる。おかずの皿が3枚ほど空いて重ねてあった。こういうところでの飲み食いに手馴れている様子だ。

「飲み屋のねーちゃん」も「営業マン」もおなじようなものさ。女は、切羽詰ったカネが必要になったときは、「飲み屋のねーちゃん」が手っ取り早い。おれがカネが欲しくて就職しなくてはならなくなったとき、男にとっては、それが「営業マン」だった。

1960年代前半は大卒の「就職難」といわれたが、新聞の就職欄には営業職なら、いつでも求人があった。ほとんど「学歴経験不問、経験者優遇」というやつだ。このへんも「飲み屋のねーちゃん」とおなじか。

高校や中学の新卒なら、工場などの肉体労働の現場に就職できた。おれがそれまでやっていた臨時雇用は、ぜんぶ肉体労働で、安定性を考えなかったら、いくらでもあったが永久的に正社員になれない。昇給もない。しかもおれのように大学中退ということになると実際は高卒中途あつかいで、正社員の口は「営業マン」しかなかった。カネのために就く仕事、それ以外のなにかを求めてというかんじではなかった。「自己表現」だの「自己実現」だのというシャラクサイ言葉もなかった。

おれは、三か所の面接を受けた。いま思い出すと、みな丸の内と銀座の会社だ。なにかあのへんにコンプレックスがあったのだろうか? 一つは丸の内にあった紳士服屋。霞ヶ関の官庁や丸の内周辺の大会社を相手に、主に背広を職域販売している会社だった。一つは、銀座8丁目のはずれにあった下水道工事屋。そしてもう一つが入社した会社、銀座6丁目にあった。

どこも面接の結果は合格採用だった。なんとなく海外旅行専門というのが、イメージもよかったし、そのうち仕事で海外旅行へ行けるかも、というスケベ根性もあって選んだような気がする。営業が自分にむいているかどうか、やりたい仕事かどうかなんか、まったく考えなかった。

「営業マン」というのが、「飲み屋のねーちゃん」のように見下される嫌がれる難儀な仕事だというのを知ったのは、その会社を辞めてからあとのことだ。

とにかく、おれがやった営業マンは、ごく一般的な営業だったとおもう。まさに来る日も来る日も足を棒のようにして歩き、相手に会わなくてはならないときは早朝でも夜でも飯どきでも、勤務先ではなく自宅をたずね、迷惑そうな帰ってほしそうな顔をされてもそ知らぬ顔してそちらの役に立つことだからと話を続け、空を見て天気を占うように顔色や眼の動きを読み、上手でもないお世辞をいい愛想笑いをばらまき、日記文学のように事実と信じられる虚構を語り、相手に気分よいおもいをさせ…そういう日常の楽しみといえば、安い飲食店でめしくうこと酒をのむことだった。

とくに以前2007/03/01「たくあん数切れ5円の思い出に」書いたように、大阪で1年間すごしたときは、知人友人まったくナシの初めての土地で、100%外食の下宿生活だった。大阪、奈良、京都、神戸を歩きまわり、安い飲食店で一人でくつろぎ、めしくうこと酒をのむことだけが楽しみだった。

あれこれおもいをめぐらし、おれが勘定をしてもらっていると、隣の営業マンは、また一品たのんだ。おかずをたべおえサワーだけ飲んでいたから、それで引き上げるのかとおもっていたが、そうではなかった。一人で、ゆっくり過ごしている様子だが、生々しい日常のなかの自分だけの祝祭だろうか、それとも……。元「飲み屋のねーちゃん」はどうしているか、気になるのだった。

……ってことで、「ワタシ、営業マンの味方です」なのだが、今日は、ここらへんでオワリ。いつかまた続きを書く。

そうそう、「飲み屋のねーちゃん」と、この営業の大きなちがいといえば、あまりカネを稼げなかったこと。まだ未経験で歩合がつかなかったこともあったが。しかし目標だけは一人前にあたえられ、それを達成し身体をこわすとやめさせられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

横着しないで街に生きる

きのうの記述に関係するようなことは、ああだこうだ何度も書いているような気がして、調べてみたら、2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」に、けっこうキッチリ書いていた。…クリック地獄

つぎの2006/07/20「そういえば清水義範「時代食堂の特別料理」」も関係する。

自分では近代化の成果であるメディアを利用し「簡単」「便利」の情報屋をやりながら、「昭和」や「手づくり」を礼賛するのは場合によってはヨシとしても、近年の「簡単」「便利」を否定して正義顔するのはオカシイ。まず、そういう自分の横着をあらためることだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/19

「ないよりマシ」という横着

「食育基本法」のときにも、「ないよりマシ」ということがいわれた。現状が、あまりにもヒドイから、ないよりマシというのだ。ちかごろでは、たいがいのことが、ないよりマシで片付けられる。大きなことから小さな情報まで。

小さな情報でいえば、いわゆる「昭和30年代ブーム」「昭和レトロブーム」などに包括される、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲み屋などに関する情報だ。ないよりマシ、だというのだ。「昭和の古きよき時代」を知らない若い人たちに「昭和の正しい姿」を伝える。下町や庶民の「よい文化」を伝える。企業の儲け主義とはちがう「正しい食文化」を伝える。そして知りたいというニーズもある。そのためにも、ないよりマシだというのだ。

ほんとうに、そうだろうか。そういう言い方には、なにか思考をサボる横着があるようにおもう。そもそも「ないよりマシ」といったバクゼンとした考えから、なにかプラスになることが生まれるほど、現状は甘くはないだろう。ましてや「ブーム」というのは、どんなに「文化的な虚飾」をほどこしたところで、なにかを生むものではない。とりわけ昨今では、情報を消費してオワリだ。

情報は生贄になる子羊ちゃんを集めるエサにすぎない。集まった子羊ちゃんは残り少ない芝生をアッというまに踏み荒らす。そして集まった子羊は、大きな虎さんにパクッとくわれてしまう。「ラーメンブーム」が、そうだったでしょ。昭和下町レトロブームだって。

2007/04/14「生活と趣味のあいだ」に書いたことに関連するが、またまたその「情報公害」にあった酒場の話を聞いた。ちかごろ、そういう話を聞くたびに、ザ大衆食のサイトや、このブログの、大衆食堂の情報を消したほうがよいかも知れないと悩む。しかし、そんなことで解決することじゃなし。座して荒野を待つより仕方ないのか。

情報を発信したり書くという行為の「正」と「負」をシッカリ考えながらやらないと、「無責任不祥事企業」とたいして変わらないことを「正義」づらしてやっていることになる。

すくなくとも、「ないよりマシ」と安直に流れるのではなく、こういうことに悩みながら、つくったり書いたりする姿勢だけは失いたくない。

…と、横着このうえないおれですら、しみじみ思うのだった。ああ、こころがポキッと折れそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/18

大雑把にだらしなく飲んだ結果そして予定

Takatiyo_syaoku15日、漆黒の闇の中の岩原スキー場駅で寝ているにいたる前、六日町での様子が、すこしあきらかになった。

その日は、2007/04/11「春だから、さあ高千代の蔵開きだ!」に書いたように、ひるごろ六日町に着いて路線バスを利用するつもりでいた。しかし、高千代酒造から届いた友の会だよりを見たら、越後湯沢駅東口の高橋屋商店(品揃え豊富な酒屋さん、高千代も売っている)前を12時50分に出る無料送迎バスがあることがわかった。これに乗れば、蔵開きが始まる1時半に現地に着く。

それに乗り込んだ。すると、去年あたり高千代で会ったことがあるような気がする男一人、名前は思い出せないが「おっ、どうもどうも」というかんじで、なんとなく挨拶する。彼は「おや、六日町からではなかったのですか」とおっしゃる。おれのブログを見ているのだ。

高千代に着いて、蔵で見学やきき酒などをやったあと、さあ飲むぞと案内された座敷へ行くと、このかたがすでに飲んでいた。おなじテーブルにすわる。もうそれからですね、このかたはおれより若いし、かなりヘビーな日本酒好き高千代好きだ。2人で楽しくおしゃべりをしながら、ガンガン飲む。純米吟醸の「巻機」や大吟醸秘酒などの高級酒を、めったにできることではない、豪快に湯水のごとく飲む。このかたがいなかったら、そんなに飲むことはなかったであろう。と、ひとのせいにする。

話しているうちに東京の拝島あたりから来たらしいことがわかる。昨年も来ている、友の会の会員である。どうやら六日町のホテル宮又にも泊まっているし万盛庵も知っている。以前に親しく飲んだ気もするのだが、そのときも酔っていたのだろう名前が思い出せない。でも、楽しく飲めればよいのだ。

では、帰りは一緒に六日町の万盛庵で飲もう。4時ごろ、六日町へ行く最終の送迎バスに乗る。

万盛庵に着く。このあいだもそうだが、万盛庵のカアチャンは「あの女しょは来ないが」と聞くのだ。「あの女しょ」とは、以前の12月に万盛庵で大酒くらったとき一緒だった若い女のことだ。あんなに飲む女は初めてだそうで、また会うのを楽しみにしているのか。はあ、ためいき、そりゃおれだって一緒に飲みたいが、そうは簡単にいかないんだよな、東京でもあえないんだからね。ま、いいじゃないか、男だけでガンガンやろう。とりあえず中学同級生のクボシュンに電話する。クボシュンのやつ、おれを誘っておきながら、高千代に姿をあらわさないし、何回も携帯に電話したがつながらない。もしかしたら飲みすぎで倒れて入院でもしたかとおもったら、只見の奥へスキーに行って、ちょうど帰って来たところ。ということで、あらわれる。このあたりまで、ほぼ覚えているようだ。

それからもう、ほんと、大雑把にだらしなく飲むで、たいがいは覚えていないが、話をしているうちに、このかたとは昨年、高千代友の会の帰り、この万盛庵で会って一緒に飲んでいたことがわかる、そういえばあのひとかとやっと思い出す。

あとで名前がわかるがケイさん。ケイさんは、六日町発20時ごろの電車に乗らないといけないようなことを何度かいっていた。とにかくもう酔って、なにがなんだかわからない。そして、きのうの夜、ケイさんからメールが届いた。引用……

本日、先生のブログを拝察いたしましたが、岩原スキー場前で、危ない目に
遭われたご様子、同席しておりながら、誠に申し訳なく思っております。
私は、六日町の待合室のベンチで横になっており、痛さで気がつきました。
居眠りの途中で、電車が来たと、先生に起こされたような記憶がありますが、
半分泊まってもよいつもりで行ってましたので、失礼ながら「先に行ってくれ」
とか申して、寝込んでいたものと思われます。
次の記憶は、宮又で名前を書いているシーンですが、携帯の通話記録を見ると
20時29分に宮又に電話をかけてから向かったようです。
(たぶん先生が、岩原から湯沢に向かう頃だと思います)

帰宅早々に、ご挨拶申し上げるべきところ、翌日、十日町、長野、松本と
車中飲みながら帰宅し、メーラーを立ち上げるに至りませんでした。

……ということは、おそらく六日町駅へ20時までに着くように万盛庵を出たのであろう。そしてケイさんは駅の待合室のベンチで寝てしまい、おれは電車に乗って寝てしまい越後湯沢を乗りこし、岩原スキー場駅で降りたがホームに寝てしまった。……ということだったと想像できる。広範囲に動き回りながら飲んだくれて、散らばって寝てしまったのだ。これじゃ泥酔行き倒れとおなじではないか。遠くまで出かけて、こんなことしている酔っぱらいって、ほんとオモシロイ。おれは岩原スキー場駅で湯沢にもどる電車に乗ったあたりから、また記憶がない。

さてそれで、こうやって飲んだくれているうちに、次は都内で、今週の土曜日21日に「飲み人の会」だ。会場は新宿の某所。またもや大雑把にだらしなく飲むのだ。

飲み人の会については、右→サイドバーのカテゴリー「飲み人の会」にあります。

ご参考…03年のザ大衆食「泥酔状態における高千代酒造五月まつり」…クリック地獄

画像は、高千代の酒蔵。看板建築のように前面は大きいイマ風だが、この背後は明治大正からの木造二階建ての酒蔵なのだ。前の田んぼは、あと一か月もすると水をたくわえ田植えが終っている。その画像は、クリック地獄をすると見られます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/17

ブログを書く気がしないうまさに酔って

Takatiyoうまい昼酒で、いい心地。

「高千代・万盛庵満足泥酔紀行」というタイトルで、03年5月に始まった高千代故郷泥酔紀行、今回は、定番コースになったかんじの高千代酒造から六日町の万盛庵本店へ行って泥酔できあがり。という話を書こうと思っていたのだが、高千代で買ってきた、「蔵びらき限定 純米吟醸 生酒」ってやつを飲みだしたら、もううまくてうまくてタマンナイ。ブログなんか書く気がしなくなった。

きのう書いたように、初めて上越線で電車をのりすごし、山間の駅のホームで寝たりしたのだけど、この酒はちゃんとバッグのなかで無事だったのだ。それに、バッグをあけたら、なかに青菜のおひたしが入っていた。いまの季節しかないコレ、万盛庵でたべたけど、うめえんだ。きっと万盛庵のカアチャンが土産にくれたんだろうな。ありがとね。

ああ、しかし、この「蔵びらき限定 純米吟醸 生酒」、なんてうめえんだろ。これワインのびんの大きさだけど、1000円なら安い。ワインだったら1万円以上してもおかしくない味。

酒税法がかわったおかげで、いろいろな小ロットの酒造りができるようになって、チトちかごろはいろいろありすぎというかんじがしないでもないが、こういうこれこそ清酒というかんじのものはいいね。ああ、しあわせ。うまいねえ。ホッピーなんか飲んでいるやつらの気がしれねえよ。なーんてね。

ほーんとに、うまいんだよ。一口のませてやりたい。おれ一人で、ぜんぶ飲んじゃお。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/16

二日酔いの頭で原稿を書きます 追記

070415午後6時ちょいすぎ。さきほど原稿は書き上げて、メールで送った。そして、きのう持っていたデジカメのなかを見たら、なんと、↓下記の駅のホームの写真があるのだ。撮影した記憶はない。それにしても、おれはこんな暗い駅のホームに、酔って一人で寝ていたのだろうか。でも、そうなのだ。やれやれ。しかし、こういうところで泥酔のまま死ぬってのは、わりとよいかもな。きのうはチョイと死ぬわけにはいかなかったが。(追記以上)


きのうは、あやうく帰ってこれなくなるところだった。気がついたら、駅舎も見えない暗闇、ホームにポツンと電灯が見えた。そのホームでおれはゴロッと寝ていた。どこにいるかわからない。いや、ホームをさがせば駅名はわかるはずだが、そのように頭がまわらない。そのまま寝転がっていると、電車が入って、客が一人だけ降りてきた。

立ち上がって、そのオヤジに聞いた。「ここはどこですか」「岩原スキー場前だけど、どちらまで行くの」「えーと、どこへ行くんでしょうかね」おれはポケットを探って切符を取り出すと、その人に渡した。それを見て、ああそれなら向かい側のホームの電車に乗って一駅で湯沢だから、そこで新幹線に乗ってください、ちょうどあと10分ぐらいで電車が着ますし、まだ新幹線は動いていますよ。六日町から上越線に乗って寝てしまい、越後湯沢で降りなくてはならないのに乗り過ごしたのだ。

そして帰ってきた。きょう締め切りの原稿を書かなくてはならない。昼近くになっても、頭がしびれ、身体がふわふわしている。風呂に入った。すると、なんと、おとといの夕方おもいつき、スーパーのレタス売場で逆上して忘れた、原稿に書くべきこと、話の流れが、ぼわーっと浮かんできたのだ。うふふふふふ、ってことは、やはりアル中なのか。

とにかく、見通しはついた、あとは書くだけ時間との勝負だ。いま約1時ですね。でも、まだ頭がクラクラする。でも、大丈夫でしょう。

コメントやメールをいただいているけど、すみません、返事はあとで。。きのうの詳しいレポートも、あとで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/14

一瞬の光芒

来週月曜日は16日。一本、原稿の締め切りがある。しかし、明日は2007/04/11「春だから、さあ高千代の蔵開きだ!」に書いたように、故郷の酒蔵、高千代へ行って飲む。なにがなんでも飲まなくてはならない。どういう展開になるか考えたところで結論は一つ、泥酔しかない。はたして明日中に帰って来られるかどうかもわからない。いや、最近の傾向としては、泥酔すると記憶喪失のまま帰ってくる確率は高い。

では、月曜の朝から原稿を書けるような状態にあるかというと、ま、無