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2007/04/30

北九州市の『雲のうえ』3号が、またいいんだな

Kumonoue3さきほど、北九州市の『雲のうえ』編集委員会の牧野伊三夫さんから、『雲のうえ』3号が届いた。いつもすみません、どうもありがとうございます。

どうです、この表紙のすばらしさ。もちろん牧野さんの絵だ。もう興奮しましてね、ただちに、こうしてアップしているのですよ。今号の特集テーマは、「おとなの社会科見学 君は、工場を見たか」なのだ。パラパラ見た、内容もすばらしい! いいねえ。けっきょく、なんだね、このPR誌の主人公は、北九州市で働く人びと、生活する人びと、その空間なんだよね。それを、ただ見せるのではなく、牧野さんのことばを借りれば、「自分自身の原風景を、ただのノスタルジーとして片付けてしまわず、よみがえらせる」試みとして、未来への可能性をさぐりながら演出しているところが、「編集力」「表現力」なのだな。ああ、小倉へ行って、イッパイやりたい。

とにかく、だけど、きょうは、天気がよいので、朝からいろいろ「家事」をやっていて、一人で大奮闘。洗濯もちろん、冷蔵庫のなかまでも、片づけいろいろやっている最中で、それに、いま買い物に行って来て、これからビールとワインなんぞを飲みながら、昼食休憩をするところなので、詳しいことはあとで追記します。

……14時半すぎ、昼酒飲みながら、『雲のうえ』を見た。ほろ酔い気分で追記だが、おれのようなものがああだこうだ書くより、この読者の声のほうがいいだろう。たくさんある中から転載。……

『雲のうえ』1号に続き、2号も良いですね。題字が良い。脱力感のある雰囲気が良い。淡々とした力みのない文章と写真、絵が庶民の気品を感じさせて良い。結果として行政らしからぬ個人誌の透明感が行間からにじむ。こういうケレン味のない冊子は貴重ですので、継続されることを望みます。(糟屋郡・会社員)

ミニコミ誌が氾濫している昨今ですが、着眼点が面白く写真もきれいです。北九州市に住んで25年、最初は好感をもてなかったけれど、次々と良さを発見し、今では好きになりました。(門司区・61歳主婦)

(略)北九州が舞台なのに、こんなステキな雑誌になるなんて不思議(?)。遠く離れているのにそこにいるみたいに感じました。(神奈川県座間市・36歳主婦)

(略)よくあるガイド本よりよほど街の魅力が伝わってくる気がしました。鯨を食べてみたい!(東京都調布市・32歳会社員)

この本を読んで「本当は何も変わっていないかもしれない」と思いました。故郷を訪ねるたびに「変わってしまった」と嘆いている自分が、実はいちばん変わってしまったのかもしれませんね。(山口県山陽小野田市・32歳)

このような行政の出版物をこれまで目にしたことがなく、驚いております。市、ならびに制作に関わっておられる方々の並々ならぬ"誠意"を感じます。(略)貴誌を拝見し懐かしく、訪れたい思いに駆られました。(大阪市?49歳)

……もちろん、こういう投稿もあるわけで。……

(略)この冊子が全国区になることで市の大きなPRになることは必然。血税を使って冊子を発行するだけでは何にもならない。波及効果をしっかり見届けてほしい。辛口の意見も聞くこと。長く続くことを祈ります。(小倉南区・65歳)

……とりあえず、以上。


当ブログに書いた、創刊号と2号に関する記事のリンク。

2006/11/16「北九州市「雲のうえ」の素晴しさ」…クリック地獄
2006/11/18「情報を蹴散らして詩人の感性を取り戻せ」…クリック地獄
2006/11/30「「男」という場合の「男」は、男なのか?」…クリック地獄

2007/02/03「北九州市の「雲のうえ」2号 特集は「おーい、市場!」」…クッリク地獄

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2007/04/29

2004/04/29「貝になるぜ?」04/30「オワリだぜ」

おおっ、ああっ、きょうがおわる、おわらないうちにタイトルだけあげよう。

やれやれ、ここからは追記なのだが(30日になっている)、このブログを始めたのは、2004年の5月1日からだ。その前までは、ニフティが提供する「ノート」だか「メモ帳」とかいうの、それをつかって「発作なメシゴト日記」ってやつをやっていた。これは単純で、一日千字という制限のなかで書いてアップする。ほかの機能は、ない。

一日千字という拘束のなかで書くのは、それはそれでおもしろかった。しかし、リンクをはれないから本文中にURLを記載しておくしかない。やはりリンクをはれたほうがいいな、ていどの考えでブログに移行した。きょうのタイトルは、「発作なメシゴト日記」最後の2日のものだ。

そのうち、ニフティのほうでは「ノート」だか「メモ帳」のサービスをやめる、アップしたものはブログに移すことができるというので、そのようにした。右サイドバーのカテゴリーの「発作なメシゴト日記」か左サイドバーのバックナンバー2004年4月までが、それだ。

あきっぽいおれにしては、よく続いている。でれだら書くのは、けっこう好きなんだな。とくに酒が入ると指が勝手に動いてキーをたたく。酔って書いているのが、ずいぶんあるだろう。

比較的さいきん、アクセス解析なるツールが提供された。なんとなく見るのだが、アクセス数をあげて得しようというひとには役に立ちそうだが、そういう気のないおれには、あまり必要なものではない。どこの誰が見ているか、わかるわけではないし、そんなことは、わからないほうがよいし。アクセス解析はどうでもよいツールで、ほとんど意味のないデータを眺めるだけで利用してない。だが、左サイドバー下に、さいきん提供された、当ブログ内を検索できるツールがある(プルダウンメニューから「このブログ内で検索」を選ぶ)。これは便利で役に立っている。

ただアクセス解析だが、検索でたどりついた人は、どんなキーワードの検索で、ここに来ていただいたかというのがわかって、オモシロイ。このブログでは、けっこうエッチ系の表現があるから、それで来るひとがすくなくない。「女 立ちしょん」なんてのが、けっこうあって笑える。女の立ちしょん、見たことありますぜ。ま、おれがガキのころは、めずらしい景色ではなかったが。あと「ちょんの間」が、おおいね。スケベ、大好き。

もうきのうになってしまったが、「女にふられたとき」という検索で、2007/04/14「一瞬の光芒」に来たひとがいる。女にふられたひとが検索したのだろうか。身につまされ、同情し、一緒に女を逆恨みしてあげてもよいが、しかし、そんなことで検索するって、おもしろセツナイ。「女にふられたとき」は、あきらめるより、しようがないだろう。嫌われた我が身のいたらなさ、あるいは自分がふられほかの男が選ばれてしまう我が身のいたらなさと向かい合いながら、酒でも飲んで、ひたすら忘れるようにする。あとは時間が解決してくれるだろう。酒を飲んだぐらいでは忘れられない女かもしれないが、耐えるのだ。わかったか、「女にふられたとき」のやつ。若ければ、いくらでもチャンスはある。おれのようなトシでふられると、残酷な幕引きのまま人生を終えることになるがな。どのみち人生は「一瞬の光芒」だ。

上段のタイトルスペースにあるカウンターは、ザ大衆食と共用で、ザ大衆食のトップか当ブログのトップにアクセスがあると回転するようだ。ダブルことはなく、リロードでは回転しない。ま、この数字を見ても、なんの役にも立たないが、いつのまにか50万こえている。このカウンターを設置したのは2002年4月20日のことだから、ちょうど5年、多いのか少ないのか。たしかなことは、5歳としくったということだ。また5年後、おなじ調子でやれていることは、まず難しいだろう。毎日、ラストランを、ひたはしるというかんじか。

そういうことで、このブログになって、ちょうど三周年だ。
はて、いつまで続くかねえ。これは男と女の関係とちがって、ふられるということはないからね、自分しだいだ。

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2007/04/28

味の話は楽しくやりたい

味の話はむずかしい。直接おなじものを食べながら話しているときは、まだよいが、こういうブログなどのように話しの対象となる現物が目の前にないばあいは、むずかしさが増す。

たとえば「甘い」にしても「辛い」にしても、さまざまな「甘さ」があり「辛さ」がある。その種類は、どれぐらいあるだろうか。清酒を例にすれば、小さな酒蔵でも数銘柄もっているが、その「甘さ」や「辛さ」のちがいは、銘柄の数だけある。料理の甘さにしても、砂糖だけではなく、野菜の甘さや、だしの旨みなど、さまざまな「甘さ」がある。「辛さ」にいたっては、清酒の「辛さ」と料理の「辛さ」は、まったく異質のことのようにちがう。

ある菓子について、「あれはおれにとっては甘すぎる」と書いたとする。それを読んだ読者は、それとおなじ甘さを想像しうるかというと、たぶん不可能だろう。この例では「おれにとっては」という表現があるから、まあよい。あのひとにとってはそういうことなのだと理解すればよいのだ。むしろそうすべきだろう。

「おれにとっては」という断りがなくても、だいたい自分の「感想」なり「感じ」を述べているわけで、そのひとの感情や感覚のことなのだ。それにたいして君はまちがっているわかっていないなんていう話は、無粋だし、必要ない。むしろ、その「甘すぎる」甘さとは、どんな甘さだろうか、おれのイメージとおなじなのだろうかと考えてみることが、味の話のためになるし食べる楽しさをひろげるはずだ。

しかし、これが、とくに男同士のばあい、めんどうなことになりやすいようだ。男同士のばあいは、直接おなじものを食べ飲みしながらでもむずかしい。男は、なんてのかな、すぐ自分が優位にたとうとする。自慢が先になるというか、相手の言わんとする意を理解するまえに、すぐ、自分が知っていることをひけらかしたがる。

それは、男は外で闘い女は内を守る、といった歴史が長かったせいなのか、男は料理の味の話でも争うように違いを言いたてる。こんなことをしっているぜ、あんたこのことはしらないだろう、といった話になりやすい。だいたい男は、なんの話でも趣味や道楽のことでも、自分をひけらかしたり優劣を争うネタにしてしまうクセがあるのではないか。

しかし、食糧は争いのもとだったが、料理は和のもとであり、いろいろな戦争も食糧が原因であったとしても、料理を食べながら飲んで和して手打ちなのだ。そのときに、違いを言いたてたら和も壊れるというものだ。おお、おれと戦った相手は、このようなものをうまいとおもってたべているのかと理解することが肝要であり寛容なのだ。

前にも、ある男と味の話から、ややこしいことになって、おれはあまり言い張らないほうなので、こいつはツマラン男だなとおもいながら聞き役になっていた。かれは、ある天ぷらやの天丼のツユというかタレというかについてウンチクをかたむけたのだが。後日、かれがあそこのは、あまり甘味がしつこくなくてよいというその店の前を通ったので、ついでに食べてみた。すると、それは、どう考えてもアジノモトの旨みによる甘味なのだ。考えようによっては、砂糖やだしをけちっているだけ。「グルメ」のあいだでは、そういう店が行列のできる店になったりする。それは、ヒマのおおいみなさんのヒマつぶしのアソビとしてならよいだろうが、「グルメ」とはちがうのではないかとおもう。

ま、そういうこともあるのだが、味の話は楽しくやりたい。では、楽しくやるには、どうするかということがあるが、それ以前のモンダイとして、相手が言わんとしていることを理解する想像力が必要だし、その想像力さえあれば楽しくやれるようになるとおもう。

そして、やはり女のほうが、といっても最近は料理をしない女もいるからなんともいえないが、やはり料理をつくるかどうかで、想像力の膨らみかたもちがうだろう。よくつくっている人のほうが、一般的には、料理の味の話をしていても楽しい。イメージに膨らみがちがうのだ。

女をほめるのは、好きな女だけにしたほうがよいので、女に難癖をつければ、よく料理をする女にも「教科書どおり」というタイプがすくなからずいる。おれは、「頭のよい」つまり「勉強のできる」女には、このタイプが多いのではないかという偏見を持っている。先生のいうとおりに答えれば点がとれ「頭がよい」ということになる。だけど応用や機転がきかないというのかな、それはひとえに知識より想像力のモンダイのようだ。そういうタイプがけっこういる。このばあい、料理はつくっていても、話にイメージの膨らみがなく、タイクツする。あまり女のことはしらないのだが。

「料理が上手な女は頭がよい」なんていうコトバがあったような気がする。誰が言いだしたのか、頭の悪いやつが考え出したとしかおもえないが、料理や味の話をしていて楽しい女というのは、たしかにいる。そういう女は料理もうまいだろうなとおもう。

とにかく、料理のことで、知っている知識をひけらかし競うのは、バカさかげんを露呈するようなものだ。あそこにこんな店があります、あんな店がありますなんていう話は、それがうまい店のことであったとしても、食の話でも料理の話でもない。情報の話なのだ。何軒か食べ歩けば、どこの店がどうだかぐらいの判断がつくのはアタリマエで、その数がふえたところで、データベースの拡張、情報の増大だろう。それはそれでよいのだが、それを、なにかいかにも食や料理や味について「客観的」に詳しくしっているがごとく、もったいをつけて話すからおかしいのだ。

女だろうと男だろうと、料理は知識ではない、想像力なのだ。それに、まず、食べることを好きにならなくてはな。

しかし、きょうの天気は、ひどい荒れ模様だな。

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連休という制度、イベントという装置それとも日常性の回復

きのうの夜中に知ったのだが、世間は連休だそうだ。そういえば、イベントの案内がたくさん届いている。日本経済は、東京オリンピックの「成功」以来イベントによる経済効果に味をしめ、「イベント経済」といってよいぐらいの様相をしめしている。消費もイベント型にならざるを得ない。日本人は「祭り」好きという話もあったな。連休という休まなくてはならない制度のなかで、欲望を消費へ導く文化装置としてイベントが機能する。と、きのうの脈絡で考えればそうなるわけだ。

こんなときはなるべく人ごみを避けて、ノンビリすごすにかぎる。

そうだなあ、酒を飲みながら一日中ブログを書いているなんていう「イベント」はどうだろうか。おれにとってはいつもと変わらないのだが、世間が連休ときくと、なんだかヒマという感覚になるからフシギだ。ヒマにしていてはいけないのだがヒマなのだ。

とにかく非日常的な休みには非日常的なイベントより、日常性を体験するすごしかたが、いまでは貴重になっている。ってことかな。以前は連休というと山に入っていたし、山はコースを選べばひとが少なかったが、いまはひとのいないコースをみつけるのが困難になった。どこへ行っても信じられないぐらいひとがおおい。行けば嫌なものをみるだけだ。残雪がたっぷりある奥地の稜線までイベント型の消費主義におかされた。

興奮や感動を消費するイベントか、平静を育む日常性の体験か。まずはめしくって掃除でもするか。ぐふふふふ、今朝のめしは、ハムトーストにビール。ああ、至福のひととき。

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2007/04/27

消費主義と、どうつきあうか

酒を飲んで酔うとよいことがある。ふだんは脳の奥に忘れていたことが、にわかに表層に浮上し、ロレツのまわらない頭と口で、なにかをいう。さきほど書いた「健康と幸福と神」の関係がそれだ。これは、たぶん、この2、3ねん、おれが気になっていることなのだ。それは直接的には、いくつかのことが関係するが、それを書くと長くなるから後日ということにして。二日酔いの頭に浮上したこと、これは何かに書いてあった大事なことに関係すると思って気になりだし、気になると仕事は手につかないし酒も飲めなくなるし、だから探した。二日酔いのときは勘がはたらいて、見つかるのがはやい。

大事なところを、これは引用というより、自分のためのメモとして、ここに残しておく。このブログでは何度か『欲望と消費  トレンドはいかに形づくられるか』(スチュアート&エリザベス・イーウェン著、小沢瑞穂訳、晶文社)の本文から引用しているが、これは平野秀秋さんが解説で書いていることだ。タイトルは「「消費」の世界史的な意味」

この本は、イマを知るために、とてもよい一冊だと思うが、そのわけは、ここに集約されているようにもおもう。ようするに大事なことは、現代の消費主義と、どうつきあうかなのだ。そこを考えないと、ブログなどは、消費を煽りあうだけの文化装置になりかねない。消費主義と縁遠かった「昭和」「下町」や「立ち飲み屋」や「古本屋」などまでも消費ブームの舞台にしてしまった動きは、どこへ向かおうというのだろうか。

以下、メモ……

 周知のように、世俗内「禁欲」とは、唯一絶対の神の恩寵によって義とせられることをひたすら生の目標とするキリスト教徒が、宗教改革によって教会からも伝統的規範からも解放され独立した個人となった結果、神の恩寵を自分自身に確信させるよすがとして、激しい勤労と節約とを心の拠り所としたことから生じた。すなわち、絶対の神の眼差しをたえず感じずには生きられない人間が生み出したものである。「勤勉」と「工業」を同時に意味する「インダストリー」を生活倫理とした新教徒が私的資本蓄積の推進力となり、近代資本主義社会の形成に最適の社会階層となりえたのは、あくまでも結果論である。根源は、神の眼差しへの飢え、神の恩寵のさだかならざる事への不安にあった。
 私達の消費主義も、それと同様になにものかへの飢えと不安とを根源として成立している。もとより神へのではない。人間にとっては神よりもある意味でもっと対処しにくいもの、すなわち幸福への飢え、幸福の実体のさだかならざることへの不安である。それは神と寸分たがわぬほど観念的で捉えがたいものであると同時に、人間に強迫すること、神よりもさらに深刻なものがある。なぜなら、神は絶対であって人間が到達しがたいことをはじめから覚悟させてしまうのにたいして、幸福はつねに相対の論理の上にしか成り立ちえないからである。
 私達は幸福観を、他人にくらべてより幸福か、きのうにくらべてより幸福か、という比較級によって表現し判断する以外のみちを知らない。これは、神の恩寵に接した至福とも仏の境地にふれた不動心とも、載然と質を異にするものである。相対の上に成り立つ幸福は、私達だれにでも手が容易にとどくところにある。それを世俗化の勝利と呼ぶことは的外れではない。しかしまた相対の幸福はより大きな比較級を求めて慢性の飢餓のように休むことを知らなくなる。私達にはセルフヘルプの救いも助けにならない。
 欲望は、だから今日においても単に物質的なのではなく、すぐれて精神の問題としてあるのだ。そうであるからには、欲望はただちに消費に向かったわけではない。ある独特の文化装置が存在し、精神の飢えを物質の飢えに置きかえ、欲望と消費との無限循環のなかに時代を溶かし込んでゆく推進機となっている。その文化装置の秘密は、ひとことでいえば現代人の自我のもろい殻が、それなしでいられない世間、すなわち他人の平均像を提供することにある。私達は毎日自己をそれと引き比べることによって、自分が幸福だと感じたり、不足や努力目標を探したりしながら一生を終えることになっている。消費によって成り立つ現代の幸福は、為替相場のように毎日計ることができ、水の上の木の葉のように日々ささやかな浮き沈みをくりかえす。私達の消費主義が台頭するさいに、どんな事実の積み重ねでこのような文化装置が形成されたのか。またそれはなにによって回転しているのか。この問題を考えるには、直接この本にあたることこそ捷径である。マスマーケット、マスマーチャンダイジング、メディアパノラマの淵源と展開が遠くを見通す感性と粘り強い論理をもって歴史的展望のなかで呈示されている。私達は、意識の歴史は意識の中にではなく、制度と行為との遭遇する一見ありふれた事実の積み重ねの背景になにがあるのかを見通すことからはじめなければならないことを知ることができる。

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酒と健康と神

昨夜は中野でやどやPTの飲みーてぃんぐだった。いつものメンバー。一軒目、ジジババでやっている駒八、二軒目、中野店開店後はじめてのアボットチョイス。駒八で、すでに正体を失っていたので、アボチョイではなんの話をし、いつごろどうやって別れて帰ってきたか覚えてない。

ウチに帰ったら「そのへんに寝ないでよ」といわれたような記憶だけはある。ちかごろ、酔って帰り着くやいなや、そのままバタッと畳の上に寝てしまうクセがついてしまったのだ。そのうち畳の部屋までたどりつかず玄関で寝るようになるかもしれない。さらに玄関の前で寝るようになるかもしれない。さらにウチの前の道路で寝るようになるかもしれない。……このあいだは、上越線岩原スキー場前駅のホームで寝てしまったし、このままでは、泥酔のちどこでもかまわない寝るようになって、いつか凍死ということになるかもしれない。それもまたよいかな。ほんとうは、どこかで女と寝るのが、いちばん心配なくすむとおもうのだが、相手がいないからできない。さみしいなあ。

しかし飲みーてぃんぐのほうは、今回は、まったく雑談でおわり、課題らしいことについては話にならなかったような気がする。ま、それもまたよいかな。

とにかく、みなさん、「旅人文化」をよろしくね。そのうち、なんかやりますよ。ってこと。

旅人文化ブログなんでも版…クリック地獄

旅人文化のサイト…クリック地獄

それで、なんにも覚えていないもんだから、またきのうの「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」に書いたことを思い出した。『四月と十月』にのっていた、田口順二さんの「飲酒アレルギー」の話。もうすこし詳しく書くとこういうことだ。

『酒と健康』(高須俊明著、岩波文庫)から引用の久里浜式アルコール依存症スクリーニング・テスト、「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」。

1 酒が原因で、大切な人(家族や友人)との関係にひびがはいったことがある [ある 3.7 ない -1.1]
2 せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても、つい飲んでしまうことが多い [あてはまる 3.2 あてはまらない -1.1]
3 周囲の人(家族、友人、上役など)から大酒飲みと非難されたことがある [ある 2.3 ない -0.8]
4 適量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう [あてはまる 2.2 あてはまらない -0.7]
5 酒を飲んだ翌朝に、前夜のところどころ思い出せないことがしばしばある [あてはまる 2.1 あてはまらない -0.7]

田口さんの引用は、ここまで、そのあと、こう書いている。「というような質問が14まで続く。合計点が0点以上が問題飲酒者、2.0以上が重篤問題飲酒者らしい。ぼくの場合5番目の質問で既に高得点であり、かなり危険な数値を示している」

「ではどうしたら問題なく楽しくお酒とつきあうことができるのだろうか」と失敗におわった実践例をあげ、最後に、こう書く。「しかし最近はお酒を少しでも飲むとお腹の調子が悪くなりお腹の方がお酒との付き合いを拒否している。ぼくはそばアレルギーでそばが食べられない。お酒もアレルギーだったらどうしよう。バーにいってもウオッカ抜きのブラッディーメリーしか飲めない。」

なかなか洒落た〆なのだが。しかし、腹のほうで酒との付き合いを拒否しているって、依存症よりヤバイんじゃないの田口さん。

ま、それで、おれは、きのう書いたように、1については、ひびがはいっても修復できればよいではないか、でも、ねえ修復しましょうよと思っても、相手がおめえなんか嫌いだ寄るな近づくな声をかけるなということであれば、ひびはひびのままだ。つまり酒のモンダイではなく、とりえのない嫌われる自分がモンダイなのだ。2については、そもそも「せめて今日だけは酒を飲むまい」と思ったことがない。3については非難されたことがない。関心をもたれてないか、あきらめているのか。4は「適量でやめよう」と思ったことがない。モンダイは5なのだ。昨夜も。だが、そこで、これはアルコール依存の問題ではなく、トシのせいにすることにした。老化現象なのだ。よって、おれは依存症の心配はないという結論になるのだった。

そんなことを考えているうちに、こんなことを考えた。神に対する信仰がないか希薄な日本人にとって、「健康」というのは絶対神になっている。もうひとつ「幸福」もそうだ。「健康と幸福」こそ日本人の絶対神なのだ。これは、ほかの神々とちがって人間を貪欲にする。日本人がやたら、貪欲にグルメや健康にはしったり見栄をはったり、長い行列や徒党を組んでの食べ飲み歩きツアーなどを恥ともおもわず「ひとなみ」をするのは、そのように貪欲な神が宿っているからだ。とりわけ東京は、東京さ行って幸福をつかもうという連中が集まっているところだから、貪欲のるつぼなのだ。これが東京の街を内側から破壊していく源だろう。

と、そういえば、きのうは「幸福」について、そのような話をしていたような気がする。おお、記憶が少しよみがえったかな。ということで、まもなく13時、じゃあこれから飲んで、今夜の部へむかって調整するとしよう。

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2007/04/26

いま最高に刺激的な雑誌『四月と十月』最新号

0410さて、昨日から前置きが長かったが、やっと本題の、画家のノート『四月と十月』vol.16最新号のことだ。

その濃密な読みごたえは、2006/12/12「「四月と十月」の濃密」に、詳しく書いた。今号もまただ。

まず、袋からだしたら、アレッ表紙、真っ白じゃないか、裏を見ても真っ白。これ、この、しっとりした感触のアイボリーのはいった白い紙が作品なのかと思いながら、何回かひっくりかえし、何度目かに、やっと表紙の左下にある絵に気づいた。これが、パラパラ漫画なのだ。味なことやるねえ楽しいねえ。宇田敦子さんの作。デザインは内藤昇さん。

というぐあいに一つひとつ感想を書きたいが、きょうは忙しいので、省略。いつもの四月と十月の参加メンバーが書く「アトリエ」からも、ほかの記事・連載も、どれも読むと刺激になる内容ばかり。なんてのかな、さあ書きますぞ、どうだ書くというのはこういうことなんだぞ、こんな風に書くと受けるんだよな、という感じがみえみえの、視聴率稼ぎのような表現の、文術家系のひとたちが書いたものとちがって、美術家たちの日常、日常のなかで考えていることが、サラリと書かれていて、その視点や感情の働き表現などが、とても新鮮に興味深く読める。この雑誌は、いま最高なのだ。

今回の注目は、なんといっても、編集長の牧野伊三夫さん執筆の連載「仕事場訪問」だ。「福田尚代が現代の美術表現をはじめるまで」というタイトル。「彼女がある雑誌のインタビューで、何故わざわざ文章を墓石に彫るかときかれ、「私はあくまでも文章家ではなく、造形作家でありたいと思う」とこたえていたのを今でも覚えている」という牧野さん。「美術が「絵」という限られた空間からとび出して久しいが、僕たちは何を手がかりに表現を考えていけばよいのだろうか」と、なかなか重い出だしなのだが。

福田さんが、「回文」と福田さん自身が「転文」とよぶ文を、墓石に彫ったりといった美術表現にとりいれる、現在のような表現方法にいたるまで、なかなか重い人生があった。読んでいても痛々しいほど。おれなら、酒飲んで、さっさと表現稼業なんか、やめちゃうね。ま、実際、福田さんも一度は、おれのような俗人からみたらエリートな、東京芸大と芸大大学院を出ていながら、なんともったいない美術から離れ、郵便局で働く。しかし、それが、「郵便局が好きだったから」というのもオモシロイ。そして結婚、渡米、別居、帰国、離婚……。

牧野さんは、福田さんを訪問した結果を、このようにまとめる。「回文は彼女にとって遊ぶ道具、つまりおもちゃなのだ。回文をつくることによって、美術表現しなければならないという脅迫観念から解放されていくのではないだろうか。僕がギャラリーで感動したものの正体は、彼女がこうしてたどりついた自由な世界で、自分自身を素直にさらけ出していることだったかもしれない」「表現は「いかに自由な世界に遊ぶことができるか」にもかかわっていると思う」

ここでいう「表現」は、表現を稼業にするものたちだけのことではないだろう。あらゆるひとに関係することだと思う。

おれなどは、さしあたり、このブログが遊び道具なのだが、「書かなくてはならない」「なにかのために、書かなくてはならない」と思い出したら、とても続けられるものではない。ようするに、ここにこうして書くことで、さまざまな強迫観念から解放されていくこと、それが「自由な表現」「自由に生きる」への道なのだな。なーんて考えたりした。

しかし、おもちゃだと思っていたものが、いつのまにか稼業ってことになると、それはまたそれで切ないことであり、おもちゃはおもちゃのまま遊ぶのがよい。で、こうして遊んでいるわけだ。ここに書いたものを出版につなげたいといったスケベごころなんか持たないほうがよいのだ。気ままになりゆきまかせを遊ぶ。チョイと表現にからんだ仕事をしているからといって、自分を特別な人間のようにおもったり、芸術家や文化人を気どるなんて、サイテーなのだ。

ましてや、もっとも自由な楽しみでなければならないはずの飲食の場に、知ったかぶりの食べ飲み歩き情報屋や栄養学が強迫観念を押しつけてくるなんぞは許されることではない。もっと自由にやろう。すべての自由は飲食の自由からはじまる。って、わけわからんか。

と、話は、ずれたようだが、『四月と十月』の文の一つひとつが、そういうふうに自分のことを考えさせてくれるのだ。しかし、「回文」をつくるのって、どうも楽しそうだから、やってみよう。

はて、長くなってしまった。古墳部の旅のことは昨日ちょっとだけ、田口順二さんの文を引用しては今日の早朝深夜、ちょっとだけ遊ばせてもらったので、きょうは、ここまでよ。

四月と十月公式サイト…クリック地獄

こちらもご覧ください…2006/12/12「「四月と十月」の濃密」…クリック地獄

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最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか

1 酒が原因で、大切な人(家族や友人)との関係にひびがはいったことがある

……と、これは、きのう最後のほうでふれた、『四月と十月』の最新号(vol.16)をパラパラ見ていたら、いきなり目に飛び込んできた一行。ああ、あららら。

四月と十月に参加の北九州市の美術家、田口順二さんが書いている、タイトルも「飲酒アレルギー」。書き出しが、「まず、酒好きの人は久里浜式アルコール依存症スクリーニング・テストをやってみよう」ってことで、「最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか」の冒頭なのだ。

高須俊明著『酒と健康』(岩波文庫)からの引用で、まだ続くのだが。まるで、おれのために書いてくれたような。田口さん、このブログを見ているようだから。でも、田口さんも、かなり飲兵衛らしい。

そういうわけで、きょうも意地酒を飲んで、はや午前2時すぎ。『四月と十月』について、詳しい紹介を書こうとおもっていたが、この一行で、おれは腰がぬけ脳ミソが眼から噴出し酒を飲みすぎたので書けない。

しかしなんだね、「ひびがはいった」としても修復できるかどうかってことが、あるとおもうが。そういうチャンスがないばあいもあるからなあ。ま、このテストでは、とりあえずひびがはいったかどうかだけど。

でも、ひびがはいるかどうかは、相手にもよるよな。惚れているかどうかで大目に見られるかどうか左右されることもあるだろう。もともとたいして好きじゃなし、ほかに好きな人もいるってことならば、簡単に問答無用のハイそれまでよ完全絶交「もう逢いません」なーんていわれるだろう。おまえのことだぞ。あるいは人によっては、美人や紳士や、仕事をくれたりイイ思いさせてくれる人にはアマイ、とかね。おれのように、なんのとりえもない、ただの酒飲みは不利だから、ことさら用心が必要だが、それができねえってのは、やはりアル中一直線か。ふん。

ああ、なに書いているかわからねえよ。とにかく、眠い、寝よ。明日は、なんの日だったかな。

ちなみに、つぎの質問、
2 せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても、つい飲んでしまうことが多い。

これに対するおれの回答は、「せめて今日だけは酒を飲むまい」なんて思ったことはない、ってことだ。

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2007/04/25

意地酒その後と、はてこの画像は

Soyou意地酒はどうなった、もう意地酒は飲んでいないのか、とぬかすやつ。ふん、おおきなお世話だ、飲んでいるに決まっているだろう、いちいち書くのがめんどうなだけだ。毎日毎日どんどん意地酒だ。

ま、午前1時の酔いどれ便を期待しているやつもいるらしいから、たまには相手をしてやろう。

でも、なんだか書くのがめんどうだから、今夜は画像を一枚。これは、調べるといつごろの撮影かわかるのだが、めんどうだから調べない。たしか1990年ごろの晩秋の写真だ。

コレどこか、わかるひと、いたらうれしい。ここ見えるかぎり、画面におさまらないほど左右に広がっている大地、ほとんど、かつて平成の糞大合併前は、熊本県蘇陽町というところだ。いまは山都町の一部。

阿蘇山は、デカイ。北側が観光で有名だが、ここは外輪山の南東側。遠景右端の特徴のある山塊は根子岳だとおもう。とにかく雄大な景色。だいたい標高600mから800mぐらい。だから雪が降る。

写真を撮っている位置は、鏡山。と聞いて、ああ、あの西南戦争のとピンときたひとは、えらい。そうなのだ、チト判別つきにくいが、左手、写っていない位置に薩軍と官軍が戦った馬見原がある。蘇陽町の集落は、この大自然のなかにパラパラと散らばった感じであるなかで、馬見原は唯一商店街らしいカタチを成している。むかしから交通の要衝だった。

そこでいったんは官軍に勝った薩軍だが敗退し、鏡山で戦いながら、この背後の宮崎県へ逃れたり、とにかくコツゼンと姿を消す。そして、コツゼンと鹿児島に姿をあらわすのだ。

鏡山から熊本県と宮崎県境の山づたいに鹿児島まで抜けたという話だが、現場に立ってみると、とても深い山で、そんなことできるかいという感じだ。椎葉村のほうまで、クルマで行ったこともあるが、クルマでも大変なところだ。しかし、地元の林業家に聞いた話では、不可能ではないらしい。

とにかく、この地は、いろいろオモシロイ。見えているところは、台地のようなアンバイだが、これが分水嶺なのだ。ふつう分水嶺というと、谷川連峰のように、キッパリと水脈をわけるように聳えていることがおおいが、ここはこのように台地で、宮崎県側に流れる水脈と熊本県側に流れる水脈がいりくんでいる。渓流がいりくみ、ところどころで地下水脈が露出し、水が地球の壁の割れ目から噴き出しているようなところが数か所ある。

そして、右側、杉林の上あたりの位置に、古事記・日本書紀に名前が出てくる五ヶ瀬川の上流、そこに蘇陽峡とよばれる景勝の地だが交通不便のため観光客が来ない、雄大な渓谷がある。蘇陽峡ときいて、ああ、あの三角寛『サンカの研究』に出てくるサンカの風呂跡があるというところか、とピンときたら、うれしい。『サンカの研究』は眉唾虚構といわれるけど、ウソでもよい人里を避け山に生きるサンカのロマンを信じたくなるところだ。

それからそれから、まだあるが、やめておこう。しかし、おれはどうでもよいことを、いつまでも忘れないで覚えているな。なにしろマーケティングプランナーってのは、関係なさそうなどうでもよいことでもよく調べるものなのだ。

こんな山奥でマーケティングプランナーが必要だったのか。さあね、必要だったから行ったのですよ。なんだかんだで8カ月ぐらい滞在したか。最後は移住するつもりだったが、その計画は頓挫した。

で、ここは、標高600mから800mぐらいだから、ふつうに農作物を栽培しても下界より害虫の発生がすくなく低農薬ですむ。無農薬栽培がやりやすい。それから、分水嶺の水源地だから、いい水が豊富。が、しかし、よいことばかりではない、阿蘇山の火山灰地なのだ。阿蘇が爆発すると灰が降る。生きていくには厳しい土地だ。

ああ、こうやって書いていると長くなる、やめた。

この画像をのせるのは、明日か明後日あたりに書くことに関係があるからだ。鏡山の真下に大きな道路が走っている。左下を注意深く見れば、ちょっとだけ一部がわかる。この道路は、熊本市から熊本県を東へ横断し、阿蘇山南側のカルデラのなかをとおり、写真の左上あたりにあるはずの高森峠から蘇陽に入る。そして台地を突っ切り、手前の杉林の下を左から右へまわりこむと宮崎県五ヶ瀬町。そこを抜けると高千穂へいたる。おれが写真を撮っている背中は、もう五ヶ瀬町だ。いまあげた地名の一帯は、神話伝説の宝庫だ。幣立神社をはじめ、すばらしい神社がたくさんある。

ここを、去る2月某日、『四月と十月』古墳部の一行が通ったのだ。おれは、故郷で雪まつり中学同級生と飲む会があって、残念ながら参加できなかったが、今回の古墳部活動は高千穂の夜神楽を見学することだった。おれは、この地にいたとき、4回ほどそれを観ているし、知っているひともいる土地なのでゼヒ行きたかったのだが。

で、その報告が載った、『四月と十月』の最新号がきのう届いたのだ。ってことで、やっと話が本題の結末になったところで、あとは続く。『四月と十月』、今回もオモシロイ、刺激的だ。

とにかく、一度このへんに行ってみることをオススメします。ああ、けっきょく長くなった。よく書くなあ。

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2007/04/24

5月10日発売予定の『旅の手帖』

第2特集「にっぽん“丼”旅」にエッセイを寄稿しています。校正も終った。
タイトルは「風土と人情を丸ごとほおばる」。
よろしく~。

『旅の手帖』は、『散歩の達人』とおなじ交通新聞社の発行です。

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食べる、そのときの気分

 私はフラワー街のコーン・ビーフを食わせる店へ行った。ちょうど、そのときの気分にぴったりした店だった。入口の上の無愛想な看板にこうしるしてあった。――〝男子にかぎる。女子と犬はお断り〝。店のなかのサーヴィスも同じように念が入っていた。食べものをほうり出して行く給仕はひげづらだったし、何もいわないのにチップを差し引いた。食わせるものは簡単なものだが、すこぶるうまく、マルティニのようにすばらしい褐色のスウェーデン・ビールを飲ませた。

……引用おわり。「ひげづら」には傍点がある。

「私」は、『長いお別れ』(レイモンド・チャンドラー、清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)の主人公、フィリップ・マーロウだ。

「そのときの気分」を、どう説明したらよいか。少々荒っぽい、やるせない気分、といったところか。やさしさなんか、いらないよ。

「男」には、こういう店に行って、ガツンと食べて飲みたくなることがある。いや「女」を「差別」しようというのではない。男には男の、女には女の、そういうことがあるでしょうってことだ。「女」のばあい、このような店があったとしたら、店の入口には何と書いてあるのだろうか。〝女子にかぎる。男子と熊はお断り〝とか? おれが店主なら〝女子にかぎる。男子と狐はお断り〝と書くな。ま、女のことは、ワカリマセンがね。

日常のめしには、このように気分が強く関わることがある。こうまで極端でなくても、その日の体調や気分は、ビミョウに味覚に関係するだろう。自分はイマ、なにを食べたいか、どんな味覚を欲しているか。食べることは、自分と向きあうことでもある。

「コーン・ビーフを食わせる店」というのが、いまいちイメージがわかない。コーン・ビーフの缶詰をあけ、丸ごとかじりつき、ビールをびんからラッパのみ、なーんてことだとワイルドで荒っぽいやっつけかたになるが、そんなことはないだろうな。

『長いお別れ』については何日か以前に書いたが、最近、村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』が出ている。彼は、ここのところを、どう訳しているか気になる。思い切りハードボイルドに気どっているんじゃないかという気がするが。

それはともかく、2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」に引用した、「人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬」とは、こういうことでもあるのか。気分にあった飲食をする場所がある街、日常に必要なのはそれだ。

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2007/04/23

下流と周辺

「下流社会」とかいっちゃって、「下流」というコトバがハヤリのようだ。その手のコトバや視点がうりの本は、立ち読みでパラパラとしか見たことないが、どうも違和感をおぼえる。

そういうことをネタにしているひとたちのあいだでは、「下流」と「周辺」がゴチャマゼというか、区別がついていないらしい。それは、彼らが、自分は仕事もスキルも「上流」という意識があるからではないかとおもわれる。

しかし、じつは「中央」と「周辺」があり、「上流」と「中央」は重なりやすいが「下流」と「周辺」は必ずしも一致しない。中央の権力や権威に近づこうとしない、あるいは距離をおこうとする「周辺」がある。結果的に「下流」「負け組」の生活になるかもしれないが、それはまさに中央東京一極集中の社会構造のモンダイであり、そのモンダイをはぐらかすためにも、「下流社会」論や「勝ち組・負け組」「格差社会」論などは有効であるようにもみえる。

もともと「勝ち組」「負け組」なんてのは中央の意識の産物にすぎない。そういう意味では、「下流」という観念もそうであり、本人たちは「下流」だなんておもっていないのに「下流」にされてしまう。そして「下流」というレッテルを貼られたところで未来がひらけるわけではない。「下流」という見世物ネタで中央や上流の誰かが稼ぐだけだ。

「周辺」での生活には、それなりのスキルが必要であり、ともすると「中央」や「上流」より高質のことがある。しかし、中央の意識は「上」ばかり志向し「下」のことはメシのタネぐらいでしかないから、それを理解できないのだろう。把握すらしていないかもしれない。

「ふつう」であってはいけないと、「ふつう」を志向するものが批判の対象になったりする。中央で、ふつうでおわらないよう目立ち突出することばかり考えている人たちにとっては、「ふつう」をよくするなんて想像外のことにちがいない。しかし周辺で、「ふつう」を大事に育てる暮らしもあるのだ。

「昭和レトロブーム」だ「下町ブーム」だといっても、みな「ふつう」の人たちが育てた「ふつう」の生活文化だろう。それをネタに一儲けの人たちや話題をとり突出しようという人たちがくいつぶしているだけじゃないか。

おっと、こんなこと書いているおれは、ますます周辺化下流化するのだった。

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2007/04/22

新宿ション横、泥酔第4回飲み人の会

きのう21日。いやあ、またやりました。よく飲んだ、ほんとに、あんたらよく飲む。としか言いようがない。あの店に4時間もいて、一人5000円近くも払うなんて。生ビール、清酒、焼酎はボトルでとって何本あけたのかな。最後の一本、約半分ぐらい残ったのが、おれのバッグにちゃんと入っていたよ。しぶとく持って帰ったのだな。

第4回飲み人の会は、新宿はション横。そもそも、この会は「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく。なんてね。」ということだから、名店だのなんだのは関係ない。大きな店で大人数で押しかけても、そこの日常は壊れないような、しかし、なんだか酒飲み大衆の風情のあるところを選ぶ。そこんとこが、なかなか難しいのだが。ってことで、ここは200人ぐらいは入れる、その2階の板の間が会場。入れ込み座敷や板の間の、壁に手書きの短冊メニューがひらひらと、雑然かつ猥雑な雰囲気。こういう飲み屋は、かつて浅草にたくさんあったのだが、すくなくなった。

集合は6時。その時間に、全員そろう。もうみんな張り切って来ましたね。おれのほかは、4回全参加のシノ男さん、2回目のテル男さん、オオク男さん、オッタチドウフ女さん、そして初参加のヤマシカ男さん、ヤマモ女さん。最年少25歳、最高齢おれ。50台はいない、30チョイと40チョイ、合計7名。職業業界バラバラ。千葉、川崎、大宮、都内から。

みな上手に楽しく飲みました。せどり趣味?のシノ男さんには、『犬を飼う』(谷口ジロー、小学館)をいただいてしまった。そして、ぐふふふ、おれのメモ帳には、「遠藤哲夫様 あなたを愛しています」というオコトバが書かれてある。これを書いたのは、もちろん女。顔色が悪いから、風邪でもひいているのに無理して来たのかと心配したおれだが、この日の朝6時まで飲んで、そして夕方6時には、ここに来たのだそうだ。いやはや。

とにかく飲んだということ以外、書くことがない。さっそく、参加者の一人から、こんなメールが届いている。……

良いお酒でした。
良いお酒過ぎて電車を乗り過ごしてしまいました。

お話した事はあまり覚えてないのですが(略)
集まった皆さん興味深い方ばかりで、またお会いしたいです。

……これが、きのうのすべてだろう。けっこう、けっこう。

この一週間、ぐずついた寒い日が多かったが、きのうはあたたかく、土曜日の新宿は、「新歓コンパ」なんて書いた紙を持って待ち合わせする姿があったり、上京したての田舎者の初々しさが目立つ若者で混んでいた。ション横、6時ごろは、まだガラガラだったが、8時ごろには、どこも満員状態だった。

おれたちの会場となった店は、店内にトイレがあるのだが、サンダルをつっかけて共同便所へ行った。そしたら、つるかめのバアサンが、便所から出てくるところだった。このバアサン、カウンターの中にいるときは気も張っているのだろう、そんなにバアサンとはおもえないのだが、すっかり腰がまがったバアサンなのでおどろいた。むりもない、もう80ぐらいなのだろうから。元気で続けてほしい。

とにかく、例によって、どのようにみなと別れて帰ってきたのかわからない。

ま、そういうこと。きょうは今日とて川端柳。

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2007/04/20

ワタシ、営業マンの味方です

大衆食堂というと、有力な客に営業マンがいる。それも「外交」や「セールス」といわれ、ほぼ肉体労働者とおなじように肉体を酷使する「外回り」の人たちだ。

しかし、なにごとにつけ優劣観をもってする小市民のあいだでは、営業マンには悪いレテッルがはられることが少なくないようだ。そもそもは、なにかを売りつけカネをふんだくるやつとして、財布をねらうドロボウ同然に警戒されているのだが。なにもとりえのない人間がゆきつく職業、総じて「体育会系」の「バカ」。「不誠実」「信用ならないやつ」「うそつき」「ずうずうしいやつ」「下品」「スケベ」……これまでさまざまなレッテルを耳にした。

おれの「職業人生」は、その営業マンから始まった。しかも街の飲食店と共に。いまだってそうだとおもうが、外回りの営業マンと飲食店は宿命的に密接で、男と女以上の男と男のような関係だろう。って、わけわからんか。

2007/03/22「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」に書いたなかの一つのタイトルは「ワタシ、営業マンの味方です」だったが、まだ書いてなかったから、チョイと始めることにする。これは長くなる話だ。きょうは途中までになるだろう。きょうのところは「おれが営業マンになったとき」というかんじかな。

その日、つるかめでは、おれの隣に、くたびれた濃紺のスーツを着た40歳ぐらいの、営業マンと見られる男がすわっていた。それで営業マンへのおもいがわいたのだ。

おれが東京の大学入学後、実家が競売にかけられる家業の倒産があって、いくつかの臨時雇用を転々としたすえに「正社員」で就職できたのが営業職だった。以前に書いたことがあるが、海外旅行専門の旅行代理店の、正確には団体旅行営業担当の営業マンだ。人間の大海原で魚群を追い釣をやるように見込み客をみつけては会いにゆくセールスだ。

あまり積極的に就こうというひとがいない職業。ほかにもある。ある女のことだ。いまは、いわゆるフリーで「クリエイティブ」関係の仕事をしている。以前、彼女が発したある言葉にふと、「飲み屋のねーちゃんのようなセリフだな」というようなことをいったことがある。もしかしたら、水商売をやっていたことがあるのでは、という勘もあったのだが。

そのとき、すでにフリーで活躍しているのだから、「飲み屋のねーちゃん」では不機嫌を買うかとおもった。たいして違いはないが、すこし用心して気をつかい「飲み屋のおねーさん」とか「酒場のおねーさん」とか、そんなふうにいったはずだ。それでも怒られるかとおもったが、すると彼女は、「どうせ、(いまの仕事も)飲み屋のねーちゃんのようなものです」というようなことをいった。おれは、ナルホドと感心した。

彼女は、家庭の事情で「飲み屋のねーちゃん」をやっていたことがあったのだった。彼女は、そのことをいったあと続けて「フーゾクはやりませんでしたけど」というふうなことを付け足した。おれにとってはどうでもよいことだった。すでにフリーで十分やりながら、それが「飲み屋のねーちゃん」のようなものだと、サラリいえるところが、おもしろいというか共感するところがあった。たいがい、アーチスト風に気どりたくなるものだが。

「飲み屋のねーちゃん」根性を忘れないなんて、いいことだろう。おれのばあいは、「営業マン」根性というか、それゆえフリーであり「作家」志向など、まったくない。「根性」といえばカッコイイかもしれないが、ニヒルといえばニヒル。そこにつきまとう、「生きる」ナマナマしさがいい。ほんと、飲み屋のねーちゃんも営業マンも、生々しい。

そんなことを考えながら、隣の営業マンをチラチラみる。ビールを飲む。彼はスポーツ新聞をみながら、サワーを飲んでいる。おかずの皿が3枚ほど空いて重ねてあった。こういうところでの飲み食いに手馴れている様子だ。

「飲み屋のねーちゃん」も「営業マン」もおなじようなものさ。女は、切羽詰ったカネが必要になったときは、「飲み屋のねーちゃん」が手っ取り早い。おれがカネが欲しくて就職しなくてはならなくなったとき、男にとっては、それが「営業マン」だった。

1960年代前半は大卒の「就職難」といわれたが、新聞の就職欄には営業職なら、いつでも求人があった。ほとんど「学歴経験不問、経験者優遇」というやつだ。このへんも「飲み屋のねーちゃん」とおなじか。

高校や中学の新卒なら、工場などの肉体労働の現場に就職できた。おれがそれまでやっていた臨時雇用は、ぜんぶ肉体労働で、安定性を考えなかったら、いくらでもあったが永久的に正社員になれない。昇給もない。しかもおれのように大学中退ということになると実際は高卒中途あつかいで、正社員の口は「営業マン」しかなかった。カネのために就く仕事、それ以外のなにかを求めてというかんじではなかった。「自己表現」だの「自己実現」だのというシャラクサイ言葉もなかった。

おれは、三か所の面接を受けた。いま思い出すと、みな丸の内と銀座の会社だ。なにかあのへんにコンプレックスがあったのだろうか? 一つは丸の内にあった紳士服屋。霞ヶ関の官庁や丸の内周辺の大会社を相手に、主に背広を職域販売している会社だった。一つは、銀座8丁目のはずれにあった下水道工事屋。そしてもう一つが入社した会社、銀座6丁目にあった。

どこも面接の結果は合格採用だった。なんとなく海外旅行専門というのが、イメージもよかったし、そのうち仕事で海外旅行へ行けるかも、というスケベ根性もあって選んだような気がする。営業が自分にむいているかどうか、やりたい仕事かどうかなんか、まったく考えなかった。

「営業マン」というのが、「飲み屋のねーちゃん」のように見下される嫌がれる難儀な仕事だというのを知ったのは、その会社を辞めてからあとのことだ。

とにかく、おれがやった営業マンは、ごく一般的な営業だったとおもう。まさに来る日も来る日も足を棒のようにして歩き、相手に会わなくてはならないときは早朝でも夜でも飯どきでも、勤務先ではなく自宅をたずね、迷惑そうな帰ってほしそうな顔をされてもそ知らぬ顔してそちらの役に立つことだからと話を続け、空を見て天気を占うように顔色や眼の動きを読み、上手でもないお世辞をいい愛想笑いをばらまき、日記文学のように事実と信じられる虚構を語り、相手に気分よいおもいをさせ…そういう日常の楽しみといえば、安い飲食店でめしくうこと酒をのむことだった。

とくに以前2007/03/01「たくあん数切れ5円の思い出に」書いたように、大阪で1年間すごしたときは、知人友人まったくナシの初めての土地で、100%外食の下宿生活だった。大阪、奈良、京都、神戸を歩きまわり、安い飲食店で一人でくつろぎ、めしくうこと酒をのむことだけが楽しみだった。

あれこれおもいをめぐらし、おれが勘定をしてもらっていると、隣の営業マンは、また一品たのんだ。おかずをたべおえサワーだけ飲んでいたから、それで引き上げるのかとおもっていたが、そうではなかった。一人で、ゆっくり過ごしている様子だが、生々しい日常のなかの自分だけの祝祭だろうか、それとも……。元「飲み屋のねーちゃん」はどうしているか、気になるのだった。

……ってことで、「ワタシ、営業マンの味方です」なのだが、今日は、ここらへんでオワリ。いつかまた続きを書く。

そうそう、「飲み屋のねーちゃん」と、この営業の大きなちがいといえば、あまりカネを稼げなかったこと。まだ未経験で歩合がつかなかったこともあったが。しかし目標だけは一人前にあたえられ、それを達成し身体をこわすとやめさせられた。

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横着しないで街に生きる

きのうの記述に関係するようなことは、ああだこうだ何度も書いているような気がして、調べてみたら、2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」に、けっこうキッチリ書いていた。…クリック地獄

つぎの2006/07/20「そういえば清水義範「時代食堂の特別料理」」も関係する。

自分では近代化の成果であるメディアを利用し「簡単」「便利」の情報屋をやりながら、「昭和」や「手づくり」を礼賛するのは場合によってはヨシとしても、近年の「簡単」「便利」を否定して正義顔するのはオカシイ。まず、そういう自分の横着をあらためることだろう。

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2007/04/19

「ないよりマシ」という横着

「食育基本法」のときにも、「ないよりマシ」ということがいわれた。現状が、あまりにもヒドイから、ないよりマシというのだ。ちかごろでは、たいがいのことが、ないよりマシで片付けられる。大きなことから小さな情報まで。

小さな情報でいえば、いわゆる「昭和30年代ブーム」「昭和レトロブーム」などに包括される、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲み屋などに関する情報だ。ないよりマシ、だというのだ。「昭和の古きよき時代」を知らない若い人たちに「昭和の正しい姿」を伝える。下町や庶民の「よい文化」を伝える。企業の儲け主義とはちがう「正しい食文化」を伝える。そして知りたいというニーズもある。そのためにも、ないよりマシだというのだ。

ほんとうに、そうだろうか。そういう言い方には、なにか思考をサボる横着があるようにおもう。そもそも「ないよりマシ」といったバクゼンとした考えから、なにかプラスになることが生まれるほど、現状は甘くはないだろう。ましてや「ブーム」というのは、どんなに「文化的な虚飾」をほどこしたところで、なにかを生むものではない。とりわけ昨今では、情報を消費してオワリだ。

情報は生贄になる子羊ちゃんを集めるエサにすぎない。集まった子羊ちゃんは残り少ない芝生をアッというまに踏み荒らす。そして集まった子羊は、大きな虎さんにパクッとくわれてしまう。「ラーメンブーム」が、そうだったでしょ。昭和下町レトロブームだって。

2007/04/14「生活と趣味のあいだ」に書いたことに関連するが、またまたその「情報公害」にあった酒場の話を聞いた。ちかごろ、そういう話を聞くたびに、ザ大衆食のサイトや、このブログの、大衆食堂の情報を消したほうがよいかも知れないと悩む。しかし、そんなことで解決することじゃなし。座して荒野を待つより仕方ないのか。

情報を発信したり書くという行為の「正」と「負」をシッカリ考えながらやらないと、「無責任不祥事企業」とたいして変わらないことを「正義」づらしてやっていることになる。

すくなくとも、「ないよりマシ」と安直に流れるのではなく、こういうことに悩みながら、つくったり書いたりする姿勢だけは失いたくない。

…と、横着このうえないおれですら、しみじみ思うのだった。ああ、こころがポキッと折れそう。

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2007/04/18

大雑把にだらしなく飲んだ結果そして予定

Takatiyo_syaoku15日、漆黒の闇の中の岩原スキー場駅で寝ているにいたる前、六日町での様子が、すこしあきらかになった。

その日は、2007/04/11「春だから、さあ高千代の蔵開きだ!」に書いたように、ひるごろ六日町に着いて路線バスを利用するつもりでいた。しかし、高千代酒造から届いた友の会だよりを見たら、越後湯沢駅東口の高橋屋商店(品揃え豊富な酒屋さん、高千代も売っている)前を12時50分に出る無料送迎バスがあることがわかった。これに乗れば、蔵開きが始まる1時半に現地に着く。

それに乗り込んだ。すると、去年あたり高千代で会ったことがあるような気がする男一人、名前は思い出せないが「おっ、どうもどうも」というかんじで、なんとなく挨拶する。彼は「おや、六日町からではなかったのですか」とおっしゃる。おれのブログを見ているのだ。

高千代に着いて、蔵で見学やきき酒などをやったあと、さあ飲むぞと案内された座敷へ行くと、このかたがすでに飲んでいた。おなじテーブルにすわる。もうそれからですね、このかたはおれより若いし、かなりヘビーな日本酒好き高千代好きだ。2人で楽しくおしゃべりをしながら、ガンガン飲む。純米吟醸の「巻機」や大吟醸秘酒などの高級酒を、めったにできることではない、豪快に湯水のごとく飲む。このかたがいなかったら、そんなに飲むことはなかったであろう。と、ひとのせいにする。

話しているうちに東京の拝島あたりから来たらしいことがわかる。昨年も来ている、友の会の会員である。どうやら六日町のホテル宮又にも泊まっているし万盛庵も知っている。以前に親しく飲んだ気もするのだが、そのときも酔っていたのだろう名前が思い出せない。でも、楽しく飲めればよいのだ。

では、帰りは一緒に六日町の万盛庵で飲もう。4時ごろ、六日町へ行く最終の送迎バスに乗る。

万盛庵に着く。このあいだもそうだが、万盛庵のカアチャンは「あの女しょは来ないが」と聞くのだ。「あの女しょ」とは、以前の12月に万盛庵で大酒くらったとき一緒だった若い女のことだ。あんなに飲む女は初めてだそうで、また会うのを楽しみにしているのか。はあ、ためいき、そりゃおれだって一緒に飲みたいが、そうは簡単にいかないんだよな、東京でもあえないんだからね。ま、いいじゃないか、男だけでガンガンやろう。とりあえず中学同級生のクボシュンに電話する。クボシュンのやつ、おれを誘っておきながら、高千代に姿をあらわさないし、何回も携帯に電話したがつながらない。もしかしたら飲みすぎで倒れて入院でもしたかとおもったら、只見の奥へスキーに行って、ちょうど帰って来たところ。ということで、あらわれる。このあたりまで、ほぼ覚えているようだ。

それからもう、ほんと、大雑把にだらしなく飲むで、たいがいは覚えていないが、話をしているうちに、このかたとは昨年、高千代友の会の帰り、この万盛庵で会って一緒に飲んでいたことがわかる、そういえばあのひとかとやっと思い出す。

あとで名前がわかるがケイさん。ケイさんは、六日町発20時ごろの電車に乗らないといけないようなことを何度かいっていた。とにかくもう酔って、なにがなんだかわからない。そして、きのうの夜、ケイさんからメールが届いた。引用……

本日、先生のブログを拝察いたしましたが、岩原スキー場前で、危ない目に
遭われたご様子、同席しておりながら、誠に申し訳なく思っております。
私は、六日町の待合室のベンチで横になっており、痛さで気がつきました。
居眠りの途中で、電車が来たと、先生に起こされたような記憶がありますが、
半分泊まってもよいつもりで行ってましたので、失礼ながら「先に行ってくれ」
とか申して、寝込んでいたものと思われます。
次の記憶は、宮又で名前を書いているシーンですが、携帯の通話記録を見ると
20時29分に宮又に電話をかけてから向かったようです。
(たぶん先生が、岩原から湯沢に向かう頃だと思います)

帰宅早々に、ご挨拶申し上げるべきところ、翌日、十日町、長野、松本と
車中飲みながら帰宅し、メーラーを立ち上げるに至りませんでした。

……ということは、おそらく六日町駅へ20時までに着くように万盛庵を出たのであろう。そしてケイさんは駅の待合室のベンチで寝てしまい、おれは電車に乗って寝てしまい越後湯沢を乗りこし、岩原スキー場駅で降りたがホームに寝てしまった。……ということだったと想像できる。広範囲に動き回りながら飲んだくれて、散らばって寝てしまったのだ。これじゃ泥酔行き倒れとおなじではないか。遠くまで出かけて、こんなことしている酔っぱらいって、ほんとオモシロイ。おれは岩原スキー場駅で湯沢にもどる電車に乗ったあたりから、また記憶がない。

さてそれで、こうやって飲んだくれているうちに、次は都内で、今週の土曜日21日に「飲み人の会」だ。会場は新宿の某所。またもや大雑把にだらしなく飲むのだ。

飲み人の会については、右→サイドバーのカテゴリー「飲み人の会」にあります。

ご参考…03年のザ大衆食「泥酔状態における高千代酒造五月まつり」…クリック地獄

画像は、高千代の酒蔵。看板建築のように前面は大きいイマ風だが、この背後は明治大正からの木造二階建ての酒蔵なのだ。前の田んぼは、あと一か月もすると水をたくわえ田植えが終っている。その画像は、クリック地獄をすると見られます。

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2007/04/17

ブログを書く気がしないうまさに酔って

Takatiyoうまい昼酒で、いい心地。

「高千代・万盛庵満足泥酔紀行」というタイトルで、03年5月に始まった高千代故郷泥酔紀行、今回は、定番コースになったかんじの高千代酒造から六日町の万盛庵本店へ行って泥酔できあがり。という話を書こうと思っていたのだが、高千代で買ってきた、「蔵びらき限定 純米吟醸 生酒」ってやつを飲みだしたら、もううまくてうまくてタマンナイ。ブログなんか書く気がしなくなった。

きのう書いたように、初めて上越線で電車をのりすごし、山間の駅のホームで寝たりしたのだけど、この酒はちゃんとバッグのなかで無事だったのだ。それに、バッグをあけたら、なかに青菜のおひたしが入っていた。いまの季節しかないコレ、万盛庵でたべたけど、うめえんだ。きっと万盛庵のカアチャンが土産にくれたんだろうな。ありがとね。

ああ、しかし、この「蔵びらき限定 純米吟醸 生酒」、なんてうめえんだろ。これワインのびんの大きさだけど、1000円なら安い。ワインだったら1万円以上してもおかしくない味。

酒税法がかわったおかげで、いろいろな小ロットの酒造りができるようになって、チトちかごろはいろいろありすぎというかんじがしないでもないが、こういうこれこそ清酒というかんじのものはいいね。ああ、しあわせ。うまいねえ。ホッピーなんか飲んでいるやつらの気がしれねえよ。なーんてね。

ほーんとに、うまいんだよ。一口のませてやりたい。おれ一人で、ぜんぶ飲んじゃお。

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2007/04/16

二日酔いの頭で原稿を書きます 追記

070415午後6時ちょいすぎ。さきほど原稿は書き上げて、メールで送った。そして、きのう持っていたデジカメのなかを見たら、なんと、↓下記の駅のホームの写真があるのだ。撮影した記憶はない。それにしても、おれはこんな暗い駅のホームに、酔って一人で寝ていたのだろうか。でも、そうなのだ。やれやれ。しかし、こういうところで泥酔のまま死ぬってのは、わりとよいかもな。きのうはチョイと死ぬわけにはいかなかったが。(追記以上)


きのうは、あやうく帰ってこれなくなるところだった。気がついたら、駅舎も見えない暗闇、ホームにポツンと電灯が見えた。そのホームでおれはゴロッと寝ていた。どこにいるかわからない。いや、ホームをさがせば駅名はわかるはずだが、そのように頭がまわらない。そのまま寝転がっていると、電車が入って、客が一人だけ降りてきた。

立ち上がって、そのオヤジに聞いた。「ここはどこですか」「岩原スキー場前だけど、どちらまで行くの」「えーと、どこへ行くんでしょうかね」おれはポケットを探って切符を取り出すと、その人に渡した。それを見て、ああそれなら向かい側のホームの電車に乗って一駅で湯沢だから、そこで新幹線に乗ってください、ちょうどあと10分ぐらいで電車が着ますし、まだ新幹線は動いていますよ。六日町から上越線に乗って寝てしまい、越後湯沢で降りなくてはならないのに乗り過ごしたのだ。

そして帰ってきた。きょう締め切りの原稿を書かなくてはならない。昼近くになっても、頭がしびれ、身体がふわふわしている。風呂に入った。すると、なんと、おとといの夕方おもいつき、スーパーのレタス売場で逆上して忘れた、原稿に書くべきこと、話の流れが、ぼわーっと浮かんできたのだ。うふふふふふ、ってことは、やはりアル中なのか。

とにかく、見通しはついた、あとは書くだけ時間との勝負だ。いま約1時ですね。でも、まだ頭がクラクラする。でも、大丈夫でしょう。

コメントやメールをいただいているけど、すみません、返事はあとで。。きのうの詳しいレポートも、あとで。

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2007/04/14

一瞬の光芒

来週月曜日は16日。一本、原稿の締め切りがある。しかし、明日は2007/04/11「春だから、さあ高千代の蔵開きだ!」に書いたように、故郷の酒蔵、高千代へ行って飲む。なにがなんでも飲まなくてはならない。どういう展開になるか考えたところで結論は一つ、泥酔しかない。はたして明日中に帰って来られるかどうかもわからない。いや、最近の傾向としては、泥酔すると記憶喪失のまま帰ってくる確率は高い。

では、月曜の朝から原稿を書けるような状態にあるかというと、ま、無理でしょう。ということは、今日中に原稿を仕上げなくてはならない。と、思うのだが、おれの肉体は、内容について考えておけば、泥酔して帰ってきても16日中に書きあがると自信を持っていうのだ。

そうか、そうかもしれないな。だけど、こんどの原稿は、初めての旅の雑誌で、しかも特集扉エッセイなのだ。旅だ、旅情だぜ、大丈夫か。そう問うと、やはりおれの肉体は、自信を持って大丈夫だというのだ。

では散歩がてらの買い物の行き帰り内容を考えて、うまいものつくって酒を飲むか。夕暮れどきに出かけた。

ある女は、おれのことを「無神経」「鈍感」「ストレスなんかたまらないでしょう」と、ゴキブリやミミズかドブネズミのようにいう。そうかもしれない。でも、おれは原稿の締め切りもちろん、たいがいのことでアセルということはないが、かといって締め切りの約束をやぶるほどの「無神経」「鈍感」は持ち合わせていない。

夕方、空は、ややボンヤリした空色だったが、晴れわたっていた。道々考える。やはり旅情は織り込まないといけないだろうな。うーむ、旅情かあ、苦手だな、失恋の気分ならわかるから失恋の傷心を抱えて旅にでるというかんじか、そういえばアイツはいまごろどうしているのだろうなあ、しかし、おれのトシでそういう設定はチョイとまずいかな、それに失恋して旅というのは月並みだぜ、そうそう、きょうは何を食べようか、あれにしようかこれにしようか、やはり旅となると、あそことあそこはいれたいな、食べものは、書き出しはこのへんから入って、と……考えながら歩いているうちに、いくつかカギになる言葉や短い文章が浮かんだ、シメシメこれなら大丈夫だろう。

スーパーに入って、では、あれにしようこれにしよう、そうそうレタスがいるな、一個はいらない半分でいいとレタス売場の前に立った。見ると、レタス半分パックはおろか、一個売りですら、空白のおおい売場に数個あるだけだ。なんてことだ、この時間帯で、これはないだろう。手にとってみたら、とても買えるようなものじゃない。ここで、おれは一気に逆上した。クソッ、てめらの店の都合でロス管理を優先させやがって、なにがお客さまの満足のためにだ。クタバレ。

数年前のおれなら、売場主任をつかまえてガンガンいうところだが、最近はもう何があってもあきらめきっているから、そこまでしなくなった。深くためいきをつき、それならチト構成を変えてと思いながら売場を歩き、もうブツと真剣ににらめっこして、買い物に没頭する。

そしてレジに並んだところで、フト気がつく。さきほどの原稿についてだが、続きを考えたいと思ってガクゼンとした。シメシメこれなら大丈夫だろうと思った言葉や短い文章がスッカリ忘却なのだ。

ど、ど忘れ?思い出せない。うーむ、うーむ、レジにカネを払いながら、こころここにあらず。おれは、なんとか思い出そうと懸命になった。もうまわりの景色も目にはいらない。気がつけば、ウチへの道をたどっている。それがなんと、手にはスーパーの買い物かごが、そのまま握られているのだ。そのなかに買ったものや、レジでもらった袋が入ったままなのだ。おれは一瞬なんのことかよくわからなかった。えっ、なに、なぜ、こんなことになっているの。ぐへっ、なんだこれは、これじゃボケ老人じゃないか。レジを通過して、そのまま歩いてきたのだ。あわててスーパーにもどり、袋に買ったものをつめて、買い物かごをもどした。

しかし、そうしても、忘れた言葉や文章の記憶がもどったわけではなかった。あれは一瞬の光芒だったのか。だけど、やはり「無神経」「鈍感」なおれは、女にふられたときのようにはクヨクヨしない。また考えつくさ……。ことに、きょうは晴れて気分がいい。歩いていると、ゆるやかなアップダウンの道は、たえず目線の高さに空が広がって、おれは好きなのだ。まだ星は見えなかったけど、「空に星があるように」が鼻歌になった。おれの頭にあるのは、ビギンがカバーしたやつだ。

なにもかもすべては終ってしまったけれど
なにもかもまわりは消えてしまったけれど

忘れたいことは忘れられないで、必要な記憶はしゃぼん玉のように消えてしまう。しかし、きょうはもうこのまま書けそうにない。大丈夫だというおれの肉体を信じて、うまいものをつくり酒を飲むとしよう。おれは、ほんとうは、繊細なセンチメンタリストでロマンチストで、もう神経はボロボロなの、だからこんな失敗もあるのだが、そんなフリを見せないだけさ。苦労しても苦労は顔に出さない、貧乏は顔に出ているが。ふん。

原稿を書くのは自分一人でやることだ。なんとかなるだろう。

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生活と趣味のあいだ

読者からメールをいただいている。おもしろいモンダイ提起が含まれているように思われたので、ここに紹介しながら、返事を試みたい。

まずは。ザ大衆食のサイトに掲載の板橋区東武東上線大山駅ちかくの〔かどや食堂〕について、「ここ10日ほどかどや食堂のシャッターが閉まっております。かどや食堂のおじさんもおばさんもご高齢と思われるので心配です。表には「しばらく店を閉めます」との張り紙が張られています」との情報だ。

たしかに気になることだ。そういう例は、ほかにも幾度となくあったわけだけど、とにかく、期待して祈るよりほかない。待った結果、そのまま閉店「さよなら」になり、ああ、また「別れ」か、思いおこせばあのときが最後だったかと後悔が残ることにならなければよいのだが……。

それはともかく、メールには、こんなことが書かれていた。これが、きょうのテーマに関係する。……

大衆酒場がブームのようですが、「飲む」の前にある「食う」の大衆食堂について目
が向けられないのがすこし淋しい気がします。
街の「大衆酒場」「洋食屋」「中華料理屋」は人の生きる息吹において同類と思うの
ですが・・・。
「居酒屋礼賛」の濱田さんのように同じレベルでそれぞれを語れる人がいないのが淋
しいというのは生意気でしょうか。
かどや食堂でこんなことを考えてしまいました。

……引用おわり。

なかなか難しいモンダイだ。「「居酒屋礼賛」の濱田さんのように同じレベル」ということについて、おれは正確に理解していないかも知れないが、おっしゃっていることは、1980年代なかごろから始まる、文春ヴィジュアル文庫のB級グルメガイドあたりからの流れが想像される。

しかし、そのB級グルメブームには約10年間の長いあいだ、大衆食堂が大きく欠落していた。それは、なぜなのか。というモンダイは、依然として残っているような気がする。

そのことを考えなければ、今柊二さんの『定食バンザイ!』や田沢竜次さんの『B級グルメ大当りガイド』などは、この読者がおっしゃっているような範疇にはいるのではないかと思われる。あるいは、おれもイッチョかみした『東京定食屋ブック』とか。

ただ、この読者からみると、それらは濱田さんと同じレベルではないのかもしれない。それはそれぞれの読者の「読み方」のことになるから、おれがああだこうだいう筋合いではない。

しかし、「街の「大衆酒場」「洋食屋」「中華料理屋」は人の生きる息吹において同類と思うのですが・・・」ということになると、たしかに、おれも「生きる息吹において同類と思う」のだが、「飲む」と「食う」は、おなじ土俵にいるようでいて、じつは、力士と行司ほどのちがいがあるということを強調したい。どちらが力士で行事かということではなく、おなじ土俵の上にいながら、それほどちがいがあるということなのだ。

そのちがいを見据えながら、この読者がおっしゃるような「食う」を描いた傑作というと、久住昌之・原作、谷口ジロー・作画の『孤独のグルメ』になるだろう。そもそもこの漫画の主人公は下戸という設定なのだが、さらに「あとがきにそえて」の「釜石の石割り桜」を含めたところで、そこにはきわめて明快に、「飲む」と「食う」のちがいが表現されている。

しかも『孤独のグルメ』は、『酒場百選』(浜田さんの「居酒屋礼賛」を本にしたもの)や『定食バンザイ!』『B級グルメ大当りガイド』『東京定食屋ブック』などの流れとは、かなり趣きがちがう。ベクトルは正反対をむいてるといってもよい。

どうちがうかは、長くなるので、きょうはやめておこう。先日の、大宮いづみやでの飲み人の会では、シノさんが『孤独のグルメ』を持参していて話題になった。この『孤独のグルメ』の舞台となっている店は、本のなかで店名や所在が明確ではないのだが、シノさんの話によると、それを探しあてることをしている人たちがいるという。それは、まったくこの本の趣旨や主張と相容れないことではないか、わかっちゃいねえなあとワレワレは笑ったのだが。そういうモンダイもからむだろう。

減り続ける銭湯だが、銭湯を「趣味」としている人たちが毎日銭湯へ行けば経営が成り立つほど、「ファン」というか「同好の士」はいるという話を聞いたことがある。だが、銭湯の存在は銭湯が生活である人たちによって成り立っている。いくら銭湯趣味の人たちがいても減少を食い止めることはできない。そして、銭湯趣味は、銭湯が生活であるひとたちが銭湯を支えていることによって成り立っている。

というわけで、きょうのタイトルは「生活と趣味のあいだ」なのだ。

ともあれ、メールの最後には「いつかお会いできればと思うのを楽しみにしております」とあった。こちらこそ、よろしく。ゼヒいつか会って楽しくこういう話をしましょう。

みなさんも、酒のツマミにでも、こんなことを話題にしながら、考えてみてください。

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2007/04/13

中野45番街やどやで、ゲリラアートグループ展

とつぜんのお知らせ。すぐつぎの日曜日15日のこと。猛烈な地上げ攻勢で、見るも無残な姿に変わりつつある中野の45番街に「ゲストハウスやどや」が運営する一つの「やどや」がある。そこで、ゲリラアートグループ展を開催するそうです。夜6時から9時まで。おれは、この日は、酒蔵へ意地酒を飲みに行くので行けないのだが。

案内は、こちら(英語版のみ)…クリック地獄

ゲストハウスやどやのサイト…クリック地獄

ザ大衆食のサイトには、「中野区中野45番街<松露>のぶっかけめし定食」があります。…クリック地獄

この写真で、45番街の様子はだいたいわかるけど、いまやもうこの姿が懐かしく思えるぐらい破壊されている。<松露>は、週2日か3日の不定期営業で日曜日は休み。

まだ45番街に足を踏み入れたことがないかた、これを機会にゼヒどうぞ。そして、地上げ再開発の「破壊的暴力」の姿も、ご覧いただきたい。こういう破壊に慣れっこになりつつあるようだが、札束の暴力に鈍感になってはいけないと思う、怒りや悔しさを忘れてはいけないと思う。対応の仕方はいろいろあって、怒りや悔しさはグッと腹に抱えておくことがあるにせよ、鈍感になってはいけない。

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新橋でリーマンと飲み、そうか!そうか、だ。

酔ってよく見ると、きのうの酔っぱらいが書いた、「「ロング・グッドバイ」 大衆食堂と街と「別れ」だって?」はチトおかしいな。

そもそもだよ、2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」では、「でも、おれにとって必要なのは、ここで述べられるチャンドラーの小説の素晴しさではない。その素晴しさを説くために、村上春樹が述べている、いくつかの部分が必要なだけだ」と書いていながら、チャンドラーとマーロウの「ロング・グッドバイ」にひきずられるように「別れ」を持ち出している。

ちがうだろう、この酔っぱらいめ。注目したのは、村上春樹がマーロウについて語っている、その言葉ではないか。つまり、もう一度、酔ってまちがわないように引用を書いておこう。

「フィリップ・マーロウが都市に対して腹を立てている時、それは総体としての都市に腹を立てているのではなく、都市を構成する複数の仮説のひとつに向かって腹を立てているのである。さもなければマーロウは都市を脱出するしかないではないか?」
「マーロウの役割はこのような仮説の検証作業にある。彼はある仮説に対してはシニカルになり、ある仮説に対してはセンチメンタルになる、それがマーロウのノーでありイエスである」
「マーロウの憧憬とはどのようなものか? 人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬である」
「ここにおいてマーロウ的ラディカリズムは都市大衆の有するアナーキズムと直結する。いや、直結しなくてはならない」

これだ、忘れんなよ。「別れ」なんか一言も出てこないぞ。それなのに、そうか、やはり、そうか。「別れ」にセンチになっているのか。未練たらたらなのか。もう会えないのだからあきらめろ。

って、書くと、また心配するひとがいるかもしれないが、心配しなくていいのです。チョイとした狂言ですから。

さてそれで、「別れ」にセンチとは無縁のおれは、きょう、じゃない、もうきのうか。夕方、新橋烏森口でリーマンと待ち合わせ。もちろん飲むためだ。こいつがこのあいだから、会いたい会いたいと、シツコク電話やメールをしてくる。これがあの女ならよいのに、現実はそうではない。しかし、こうもシツコイとは、ナニゴトか。

濃紺のスーツでビシッと決めてあらわれたリーマン、かっこいいねえ。いよっ、ビジネス戦士。烏森口といえば、いろいろあるでしょう、リーマンが集う大衆酒場。だがやつは、「○○でいいですか」と全国的居酒屋チェーンの名をいう。「なぜ?」と聞くと、「株主で、優待券があるもので」だ。おお、さすが現代の先端産業リーマン、株をやるのはトウゼンだ。しかし、なんであそこの株なのだ。ま、いいや優待券で安く飲めるのならと、簡単に折れる。

そーゆわけで。生ビールでカンパーイとやったすぐから、まずは株の話だ。おおっ、おれ、テレビない新聞とってないの世捨て人のような生活だが、ちゃんと話についていけるどころかリードしたり。そして、株に続いて、やっぱり出ました不動産ファンドの動向。この動きの不気味については、最近一か月以内のブログのどこかでチョイとふれたはずだが、やはりアヤシイのだ。最近の都心ビルの空室率が2%だの3%だのという数字は、どういうことだ、なにがあるんだ。……うーむ。

と、もう生ビールがうまくて、いきなり中生3杯飲んだら酔って、じゃあ焼酎だと、湯割りをグイグイ。何杯飲んだのだろうか。ま、株主割引だ安く上がるだろうと意地になって飲む。

話は、一挙にビジネスな。もうそれだけ。そして、そうか、そうか、そうかなのだよ。帰って、よくよく考えたら、その株のモンダイ。うーむ、これは、知らないところで、ずいぶんいろいろな動きがあるのだなあ。

しかし、なんの相談をしたんだっけ?どうせ書けることではない。
リーマン、えらい! ビジネス、おもしろい!
もちろん大変だがな。無理をしないことだ。

ま、きょうは、そうか、につきる。そうか、酔ったのだ。約、午前0時半。

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2007/04/12

「ロング・グッドバイ」 大衆食堂と街と「別れ」だって?

2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」に、ハジメ男さんから、このようなコメントをいただいている。

その「視点」の考察が、少し前にお語りになった「負のロマン」や、
藤沢作品の「伊之助」に絡んでくると、もう楽しみです。
遠藤様の最近のブログは、ことに味わい深く拝読しております。

それに対して、おれのコメントは、こう。

思いつきだらけの拙い言い草を、
ご覧いただき恐縮です。
それにしても、おもいがけず村上春樹の手引きで、
マーロウ探偵に辿りついてしまいましたが、
どういう展開になりますもやら、
チト自分でもおもしろくなってきました。
しかし、ナイ頭で考えすぎたので疲れました。
さらにアルコールをたっぷり飲んで、頭を休めないと。

たしかに、村上春樹の手引きでレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウにたどりついたのは、おもいがけないことだった。探偵なら、一休みしてもよい成果だろう。だけど、だれからも報酬をもらえない。

レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウといえば、やはり『長いお別れ』と『さらば愛しき女よ』ではないだろうか。そして『長いお別れ』は、おれが持っているのは清水俊二訳のハヤカワ文庫版で、『ロング・グッドバイ』という原題をまんまカタカナにした村上春樹訳が、この3月に出たばかりだ。

とにかく、「視点」の考察は、これからなのだが、とりあえずおれは「別れ」「グッドバイ」が一つのキーワードとして浮上してきていることに気づいた。関係ないが、太宰治に「グッドバイ」というのがあったような気がするな。

大衆食堂と街と「別れ」だって?

このひと月のあいだに、「別れ」とくに大都会の「別れ」についてもアレコレ書いた。いま、その反対の「出会い」を置いてみると鮮明になると思う。「出会い」が快活で明るい希望に燃えた「正のロマン」だとしたら、「別れ」は負のロマンというしかない。

なかでも大都会の街と大衆食堂を特徴づけるのは「別れ」だと、おれは考えているようだ。それは「負」にひかれる自分がいるからだろう。「負」といえば、2007/03/15「負の味覚」では、「人肌のぬくもり」をかんじる大衆食堂についてふれ、「屈託のないものが近寄るところではない」とまで言い切っている。2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」に引用の関川夏央の文にも「屈託」が出てくる。

だけど、「別れ」が特徴づけられるのは、東京のような大都会では、何度も書いたように「街」がないゆえに「出会い」が難しいからでもある。簡単なようでいて、難しい。別れたら偶然に再会する確率は少ないし、初めての出会いにしても、こんなに毎日たくさんの人と「接触」したり「交渉」したりしているのに、なかなか「出会い」と結びつかない。そこで「出会い」のための、さまざまな機関やイベントが仕組まれ、あるいは下町人情酒場や大衆食堂にはよい出会いがあるかのような幻想が信じられたりする。

とりあえず気づいたことをメモしておくと、こんなところだろうか。

ところで、ハジメ男さんのコメントにあった、「ことに味わい深く」というのは、意味深長だなと思った。おなじころ、某女からメールがあり、「ここしばらくのブログの内容が、いつもの遠藤さんとどこか違うような気がして心配しております」とあった。

「心配」って、もしかして「ことに味わい深く」と、根はおなじなのではないのか? 根はおなじだが、一方は「心配」という表現になり、一方は「ことに味わい深く」ということかも知れない。以前から読んでいるかたのなかには、なにか近頃チョイと違っていると思うひともいるだろう。いて、おかしくないはずだ。いなかったら、この数か月、おれがブログの文章で苦労していることは泡ワワワワワだ。といっても、ほとんど酔って書いているのだから、文句はいえないか。

おれが、ああ、おれはやっぱりトシなんだなあ、少なくとも若くはないと見られていると思ったのは、ここひと月ばかりのブログのようすで、コイツ失恋したんじゃないか、とか、女にふられたんじゃないか、と言ってくるやつが、だれ一人いなかったことだ。やはり、もうそういうトシじゃないと思われているにちがいない。ふん。

「書く」というのは、とくに読者に対する「かけひき」の楽しさ、「戦略」や「戦術」というものがあって、あれこれ考えてやるとゲームのようにオモシロイ。とくにこのブログのばあいは、おれは、それでアクセス数が減ろうが、自分のカネと時間をつかってやっていることだからよいのだと思っている。アクセスを稼ぎやすい内容や表現など考えたことがない。

だからといって「捏造」はしない。そんなめんどうなことをしても、マスコミのように得るところはない。事実であり、事実にもとづいている。しかし、よく言われていることだが、事実と真実はちがう。

料理や味覚だってそうだが、あれは人間の想像力によるものだ。料理をつくるほうの想像力と食べるほうの想像力のあいだに、料理や味覚は存在する。文章もおなじようなものだ。いや、料理や味覚より、もっと想像力のことだろう。書くほうの想像力の関与も大きいし、読むほうは、ほとんど想像力で読んでいる。だから、おなじ文章が「心配」のタネになったり、「味わい深さ」になったりする。

ようするに、おれを含め正直なやつは、この世に一人もいない。みな自分の気持や何かを誤魔化しながら生きている。それは別に悪いことではないだろう。善悪で決めつけることではない。そこに文章はつけいるのだ。料理だって。

つまり真実に近づくために、事実に関する表現を工夫する。もしかするとアジノモトをつかい、アジノモトをつかっていませんというウソは言わないが、つかっていますともいわない「かけひき」ぐらいするかも知れない。

今回は、2007/03/12「「ためいき体」は、なんとかなるか」をはじめ、何度か書いたように、昨年秋ごろから、チョイといろいろ試みている。それはそもそも、大衆食堂について書くなら、以前の『大衆食堂の研究』のようではなく書きたいとバクゼンと思ったのがキッカケだった。

いま、フト思った。「別れ」は「負のロマン」と言ったが、嫌いでさよならしたほうにしてみれば気分晴々だろうから、「別れ」は「正のロマン」になるのではないだろうか。さよならを言われたほうは七転八倒していても、片方は爽やかな気分である。そのように、ものごとは単純ではない。

おそらく、これから「視点」について考えていくにしたがい、「正のロマン」「負のロマン」というわけかたは、物語のためには必要かもしれないが、現実はそのように単純にわけられない、だからそこにまた「正のロマン」「負のロマン」が生まれる。バクゼンとだが、そういうことになりはしないかという気がしている。

しかし、大衆食堂をどう書くかという思考が、このような展開になるとはなあ。こんなことを考えていたら、おれが大衆食堂について書く本などイラナイと出版社はもちろん読者も思うだろう。欲しいのは「情報」なのだ、てめえの酒で腐った脳みそのタワゴトなど聞きたくないと。

もし、ここひと月ほどのあいだに、おれに「さよなら」したという自覚がある女がいたら、といっても、そういう女は、このブログを見ていないと思うが、もしそうだとして、それでも爽やかな「正のロマン」の気分になれなかったら、「だから酒を飲みましょう」とのメールをおれにしたほうがよい。だとしても、おれは大衆食堂と街と「別れ」の関係を考えなくてはならないことにかわりはないが。

こういうアヤのある言いまわしは嫌いで苦手だ。モンダイは、即物的な、それゆえ人間的なぬくもりのある大衆食堂を、どのように書くかなのだ。文章のオベンキョウなどしてこなかったからとても難しい。

でも、「視点」の考察は、少しはできるだろう。視点を考え深め、そこから屁のように放たれる表現を追求するとしよう。

グッ、「屁のように放たれる表現」だって。いいなあ。これって「ハードボイルド」?腐った固ゆで卵の屁のニオイ。

だはははは、ただ酔っているだけ。おや、まだ「きょう」のうちだ。いや、もうすぐ0時をまわるから、アップするのはそれからにしよう。

2007/03/12「「ためいき体」は、なんとかなるか」…クリック地獄

2007/03/15「負の味覚」…クリック地獄

2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」…クリック地獄

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2007/04/11

春だから、さあ高千代の蔵開きだ!

050417kurabiraki2高千代酒造、以前から、このブログやザ大衆食のサイトを見ておられるかたはご存知だろう。おれの故郷の酒蔵、有名で大きな八海山の陰になって目立たない、少量の生産をコツコツやっている。たった5人の蔵人、しかも杜氏をのぞけば、みな若い。いや、杜氏を年寄りあつかいしてすまん。杜氏だって、おれが若いように、じゅうぶん若い。

ここは、おれが中学2年の初登頂以来、愛して愛して愛しての巻機山の麓にあって、その山の伏流水をつかって、酒をつくっている。おれは、高千代友の会の会員なのだ。小さな、がんばっている蔵、応援したい。

4月6日付の「高千代友の会」たよりが届いた。最初の記事は、「今期の仕込みも あと数日で 無事、皆造(かいぞう)」の見出し。

「 今期は暖冬小雪、2月には春一番が吹き、3月はまた冬に逆戻りという具合で天候や気温の変化が例年とは全く違いました。しかし、高千代酒造の本蔵は土蔵づくりのおかげで蔵内の温度が一定に保たれるために、安定した酒造りを続けることができました。
 蔵人5人、阿部杜氏、平賀、一之谷、八木、関。一丸となって「巻機の自然感に満ちた旨い酒造り」を追求した今期の酒造りも、あと数日で無事に「皆造(かいぞう)」となることに、感謝です。」

そして来る15日日曜日は蔵開きだ。土蔵の蔵を見て、できたての酒をしゃくでくんで飲む。山菜やかじかの天ぷらを食べたり、新酒のきき酒を楽しんだり。土産もある。

1時半から4時まで。誰でも参加できます。入場料千円。たくさんのひとの参加は、小さな酒蔵、若い蔵人たちの励みにもなるでしょう。よろしく~。

高千代酒造の案内は、こちら…クリック地獄

050417kurabiraki1■無料送迎バスもあるが、利用の仕方によっては酒蔵での滞在時間が短くなるので、東京方面から行かれる方は、上越新幹線越後湯沢駅で乗り換えて六日町まで行くと開始時間の1時半ごろに現地に着けるバスがあるはず。バスの時刻などについては、南魚沼市六日町観光協会に問い合わせてください。TEL: 025-772-7171
■東京から日帰りが可能。高千代でタップリ飲んだあと、六日町の大衆食堂的老舗蕎麦屋[万盛庵]へ行けば、陽が沈まないうちから酒が飲める。そして越後湯沢での新幹線乗り換えに間に合う六日町発最終は夜9時50分ごろ(不確か、利用の際には調べること)なので、じゅうぶん日帰りできる。もっとも1時半から、この時間まで飲み続けたら、おれのばあい泥酔正体不明になるが。
■六日町には、よい温泉宿がある。おれがよく利用するのは、[万盛庵]のすぐ近くで、酔いつぶれても這ってたどりつける[ホテル宮又]か、もう少し離れたやはり歩いて5分ぐらいの[越前屋]。どちらも、六日町の温泉が始まったころからの古い宿。むかしの商人宿か民宿といったかんじで家族経営、こじんまりしている。風呂は小さいけど24時間かけながし。一泊朝食付で[ホテル宮又]は4500円か5000円ぐらい、[越前屋]は6000円ぐらいだったかな。

高千代のことは、たくさんブログに書いているけど、2005/12/14「巻機の水」に、いろいろリンクがある。……クリック地獄

右サイドバーのカテゴリー「故郷・南魚沼・六日町」に泥酔記録たくさんあり。 画像は2005年の蔵開き。

酒を、飲もう! 人生を、酒で苦しみながら? 楽しもう。

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2007/04/10

大衆食堂と街と、なぜか村上春樹

大衆食堂は街あるいは地域のイキモノだ、ということについて、何度も書いてきた。書いてきたが、じつは、それほど深く考えてきたわけではない。『大衆食堂の研究』を書いたときには、そこそこ考えたが、そのあとは思考サボリ状態だった。

だけど、ちかごろまた深く考えている。それは、ここ一か月ほどのブログを見ても、わかるだろう。考えている最中を思いつくままに書いているから、読んでいるほうにはわけのわからないことが多いと思う。でも、ボクチャンは、それなりに考え深く悩んでいたのだ。ああ、タメイキ。

しかーし、そろそろ、なにかを掴みそうなかんじになってきた。だけど、わいてきた霞のようなイメージを掴み文章にするには手がかりとなる言葉がいるのだ。残念ながら、能無しのおれの頭からは、それが湯水のごとくわいてこない。その言葉の手がかりが、以前に読んだ何かにあったような気がして、求めることになる。狭い部屋の少ない本や雑誌をパラパラめくって探していたが、ついに見つけたのだ。

そ、それが、なーんと意外や意外、村上春樹さんのオコトバなのだ。ケッ、村上春樹なんて、大衆食堂とは縁のなさそうな遠いイメージじゃないか。

1991年、文學界4月臨時増刊『村上春樹ブック』だ。そのなかに、「村上春樹とアメリカ作家たち」というコーナーがあって、レイモンド・チャンドラーに関する村上春樹の著述が載っている。それは、『海』82年5月号に掲載された、「「都市小説の成立と展開」 チャンドラーとチャンドラー以降」の要約なのだが。

こう述べている。……

 「チャンドラーのロス・アンジェルス」にあっては都市とモラルは対立関係にない。フィリップ・マーロウが都市に対して腹を立てている時、それは総体としての都市に腹を立てているのではなく、都市を構成する複数の仮説のひとつに向かって腹を立てているのである。さもなければマーロウは都市を脱出するしかないではないか?
 マーロウの役割はこのような仮説の検証作業にある。彼はある仮説に対してはシニカルになり、ある仮説に対してはセンチメンタルになる、それがマーロウのノーでありイエスである。その認定基準はマーロウのモラルという、これまた複雑な仮説である。チャンドラーの小説の素晴しさはこの仮説の交錯の見事さにある。(中略)

 チャンドラーは都市小説と呼ぶに十分ラディカルである。チャンドラーのラディカリズムはその「憧憬」のうちにある。彼の架空性をこの「憧憬」が一点で支えている。マーロウの憧憬とはどのようなものか? 人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬である。この感覚は初期マルクスの言う「自然さ」に一脈通じているのではないかという気がするのだ。
 マーロウが社会悪を非難する警官に向かって「君の言っていることはアカみたいだぜ」と冗談めかして言う時、マーロウは反動ではなく、ラディカルである。ここにおいてマーロウ的ラディカリズムは都市大衆の有するアナーキズムと直結する。いや、直結しなくてはならない。

……引用おわり。

いやあはははは、村上春樹さん、スバラシイ。あっちこっちで村上春樹をボロクソにけなしてきたことを撤回しなくてはならないか。いや、ま、さ、じつは、そんなに嫌いじゃないのだが、若い女どもが「村上春樹、だーいすき、すてき!」なんていうから、つい抗ってみただけなのさ。

でも、おれにとって必要なのは、ここで述べられるチャンドラーの小説の素晴しさではない。その素晴しさを説くために、村上春樹が述べている、いくつかの部分が必要なだけだ。

たとえば、
「フィリップ・マーロウが都市に対して腹を立てている時、それは総体としての都市に腹を立てているのではなく、都市を構成する複数の仮説のひとつに向かって腹を立てているのである。さもなければマーロウは都市を脱出するしかないではないか?」
「マーロウの役割はこのような仮説の検証作業にある。彼はある仮説に対してはシニカルになり、ある仮説に対してはセンチメンタルになる、それがマーロウのノーでありイエスである」
「マーロウの憧憬とはどのようなものか? 人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬である」
「ここにおいてマーロウ的ラディカリズムは都市大衆の有するアナーキズムと直結する。いや、直結しなくてはならない」

これらは、大衆食堂は街あるいは地域のイキモノだというときの大衆食堂や街を語るときの大事な手がかりになる。また、下町や昭和を礼賛し懐かしがり、いまの世の「乱れ」を嘆き、自分は正しい存在であるかのようにふるまうネタに、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲みなどを利用している連中を、よりキッチリ批判するためにも、よい手がかりになるのだ。そのことは、今後のこのブログを書くときに生かされるだろう。

とくに、「都市を構成する複数の仮説のひとつに向かって腹を立てているのである」「人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬」「都市大衆の有するアナーキズム」……あたりに絞られてくるか。まずはチョイと、マーロウさんの眼で、大衆食堂と街をみてみよう。その「視点」なのだな、大事なのは。

ま、きょうは、これを見つけてよかったよかった。祝杯をあげるとしよう。いま午後2時過ぎだけど、なんだか大仕事を終えた気分だ。

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一か月つぎの一か月

一か月がすぎた。一か月前から一か月がすぎた。その意味は人それぞれだろう。つぎの一か月についても、それはいえる。

最近届いた何枚かのハガキは、その人が会社を辞めたことを知らせるものだった。その中の一枚に、おれは、驚いた。何度か親しく飲んだことがあるし、一か月たたないうちにも飲んでいるのだが、そんな素振りはまったくなかった。と思う。もしかしたら、話を聞いたのに、泥酔して記憶に残らなかったのかも知れないが。

トツゼンのことで、明日あるいは時間さえあればいつでも会えると思っていた好きな女にトツゼンさよならされたように、うろたえた。というのも、そのハガキには、差出人の住所がないのだ。おれは彼の自宅の住所や電話を知らない。彼が在籍した会社の連絡先しか知らない。メールアドレスも会社のものだから、会社を辞めたら使えないだろう。

おれはまた、街のない大都会を思った。このまま彼から連絡がないなら、偶然出会わないかぎり二度と会えないかもしれない。そして東京という大都会は、そういう偶然が期待できる街ではない。

おれは、あわてて親しく何度か飲んだことがある人たちについて考えてみた。すると会社の連絡先しか知らないひとが何人かいるのだ。このばあい、ほとんどは編集者だ。

おれは一介のフリーライターだから、編集者から連絡があって仕事が始まる。あちらはこちらの自宅を知っている。こちらは、あちらの自宅の住所などを聞くことはない。その必要はないのだ。あちらが年賀状などで、自宅を知らせてくれないかぎり、かなり親しくなっても、会社の連絡先しか知らないで月日はすぎていく。そういうことに、いまさらながら思いを深くした。かといって、その人たちに、自宅を教えてくれませんかと言い難いものがあるのにも気づいた。

編集者や編集長というのは、ある種の小権力者なのだ。会社を背負っている小権力者であり、こちらは、そこに派生する仕事とつきあう。基本は、それなのだ。そして、その基本を、あまりはずさないほうがよい場合もすくなくないとおれは思った。

というのもふつうの会社とちがい、メディアに関わっているからだ。メディアの性質にもよるが、小権力者とフリーの馴れ合いは、メディアの「私物化」につながりかねない。お互い、そのへんを自覚した抑制のきいた付き合いということになると、それができれば別だが、あえて編集者の自宅の住所まで知らなくてもよいという結論になるかもしれない。

しかし、編集者たちと飲んだりすると、どうせ一緒に仕事をするなら美人のほうがいいよナ、なんてことをアンガイ平気でいう。じつは、この10年ばかり出版業界と付き合って、イチバン驚いたのが、わりと美人にヨワイ体質だということだ。これはメディアの制作に関わるものとしてどうかなと思うが、それは考えてみると、出版業界というのは古い歴史の古い体質の業界なのだ。前にも書いたが、ボス・コネ・ムラ社会。そしてカネになる有名作家などを自社につなぎとめるために美人編集者を担当にしたり、その編集者と作家がなさぬなかになって心中なんてこともありましたが、昔からそういうことなのだ。ちかごろ聞いたウワサでは、スゴイうるさがたの某評論家先生は、美人編集者じゃないと機嫌が悪いということだし、男の編集者がフリーの美人スタッフとできちゃうなんて、けっこうあるようだ。公平を装ったメディアの中枢に淫靡な関係が存在することはめずらしくない。ま、男と女のことは、どっちがどっちとは言えないだろうし、簡単に否定してはいけないが、とにかくメディアの一つの小権力をめぐることにはちがいない。そのことがどれぐらい自覚されているかだろう。

ようするに、やはり大権力―中権力―小権力のタテ軸が強く、ヨコの人間関係は弱くハカナイということだ。とくに、おれのような、なんの小権力もない一介のフリーライターというのは、そういうなかにいるということを、あらためて考えた。

どんなに親しくしていても、明日あるいは時間さえあればいつでも会えると思っていた好きな女にトツゼンさよならされたようにうろたえることがあったり、そしてそうなれば相手から連絡がないかぎり二度と会えないかも知れない関係がフツウなのだ。もちろん、気にいった美人がいたとしても相手が会いたくないといえば、編集者のような小権力はないから「仕事の打ち合わせ」を理由に会うこともできない。誰だろうと、こちらから連絡できなくなったら、街で偶然あうことも期待できない。この大都会においては、フリー、そういうことなのだ。これまで、もう20年以上か?フリーでやってきたわけだけど、この一か月、そういう思いを強くした。

「さよならだけが人生だ」なんていうセリフがあるが、それより「飲んでるときだけが人生よ」ってのはどうかね。ってことで、まもなく午前3時のよいどれ便でした。

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2007/04/09

辛抱料理

Tamanegi_duke21年365日の食事のことだから、料理をつくる気がしない日もある。ひと仕事かたづけて疲れきったときなどは、買い物に出るのもいやだ。そういうときは「しんぼう、辛抱」と自分に言い聞かせて台所に立つ。

そういう経験もないのに、料理は「手づくり」でなくてはニセモノ、なーんて言って、自分がさもさも毎日手づくりしている「正義」のひとのような顔をしているオヤジどもを殴りつけたくなる。ま、いつか殴ってやろう。

そう思いながら、とりあえずウチにあるもので簡単につくって夕飯にしようと思って台所に立つ。しかし、それがまた悩みのもとになる。「しんぼう、辛抱」「あるもので簡単に」と思って始めたのに、やり出すとしだいに熱くなって、どうせならこうしたいああしたいと思い、やっぱり買い物へ行って来るかという気になる。

「ほんとうの料理文化とは、ガイドブック片手に食べ歩くことではなくて、美味しいものを食べたいという欲求を、自分の生活の中に血肉化し、思想化することだ」

これは江原恵さんの『生活のなかの料理学』に出てくる言葉で、江原生活料理研究所をつくった1980年当時は、よくそういう議論をしていた。

で、おれは買い物へ行くかどうか、しばし迷う。どうやら、おれは、どうせなら美味しいものを食べたいという欲求を、自分の生活の中に血肉化し思想化してしまったのか、それはそれでやっかいなことだ。なーんて思いながら。

よく利用するCクラスのスーパーまで、おれのボロアパートから片道徒歩15分はかかるのだ。クルマはもちろん自転車もない。近所の5分ぐらいのところにあるボックスストアでは、品揃えが限られている。だから悩んだすえに、買い物はやめ、あるものでなんとか片付けることが少なくない。

それでも、まあ、そこそこうまくいけばよい。しかし、やはり食べてみて、チクショウやはり買い物へ行けばよかったかと思うこともある。食べ終わっても、まだ後悔が残ることも、たまーにある。

そういうときは、そういう思いをしたこともないオヤジどもの、立ち飲み屋あたりで、「手づくり」でなくてはニセモノ、やはり愛情料理がイチバンだよ、なーんて能書きたれているシタリ顔に、ツバをかけてやりたいと思いながら、意地酒を飲む。

ま、そんなときでも、おれはこれさえつくってあれば、とくに、これからの季節は、後悔をしないですむ。

「タマネギとトマトのレモン汁辛子漬け」つくりかたはザ大衆食のサイトに…クリック地獄

今回は、セロリーも一緒に漬け、ナンプラーをたらした。この100円ショップで買ったツメ付タッパーは、冷蔵庫の中で、そのままひっくり返しできるから、とても便利だ。

でも、大衆酒場あたりで、薄っぺらな「プラスチック文化」が現代人の「堕落」のもとだ、なーんて自分だけは「堕落」してないかのような偉そうな能書きをたれているオヤジどもは、こういうことを考えつかないでしょうな。それに、そういいながらつまんでいる漬物のほとんどは、プラスチック容器のなかで漬けられていること、ご存知なのだろうか。薄っぺらなのは、アナタがたの頭の毛と中味じゃないのかね。……チッ、また最後に書かでものことを書いてしまったか。だから嫌われるんだよな。ワカッチャイルケドヤメラレネ。

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2007/04/07

不機嫌な一日の機嫌なワタクシ 書評のメルマガ発行

心身ともに気分の悪い日だった。どんどん悪くなっていく。うれしいね。その割りには、よく動いて、いろいろやった。うまいものもつくって食べて、自分のイメージ通りのできだったし、もちろん飲んで、満足ご機嫌ちゃん。

なんだ、そんなに気分悪くないじゃないか。おかしいなあ、たしかに気分の悪いことが、ここ一か月ほど続いて、きょうもまたあったのだが。ま、いいや、きょうは、というか今夜は午前1時になるまえに酔った。

2007/04/06「なぜ『「こつ」の科学』なのか、そして押上のいこい食堂」に書いた、「書評のメルマガ」308号が発行になった。おれの「食の本つまみぐい」読んでもらえたらうれしい。(謙虚な言い方)…クリック地獄

この最初の★近事雑報「南陀楼綾繁のホンのメド」は、見ても見なくてもどーでもよいことが多いのだが、今回は、その中の「★パリのエスプリ 佐伯祐三と佐野繁次郎展」に注目!

佐伯祐三さん、おれの好きな画家。わがボロアパートに、ただ一つだけ額入りでぶらさがる絵、それは佐伯祐三さんの絵なのだ。これは、いつどこでだったか、たしか20年前ぐらいか、たしか横浜そごうの美術館だったか、佐伯祐三展があって五百円ぐらいで買った安物だが、いいのだ。

そこのところ、どうせ南陀楼綾繁さんだって「プレスシートより抜粋」だから、おれはまたそれを転載しちゃお。そしたら、みなさん、おれの「食の本つまみぐい」だけ見ればよいからね。こういうことです。だけど、ちょっとさあ、「佐伯祐三と佐野繁次郎展」が葉山じゃ気取りすぎじゃねえのか。木更津とか船橋でやってよ。ってな。それじゃ木更津や船橋に対して差別表現になるか。

………………………
★パリのエスプリ 佐伯祐三と佐野繁次郎展
佐伯祐三と佐野繁次郎の青年時代のつきあいを調査しながら、両者に見られる文字の絵画的な表現が彼らの芸術作品にどのような意味を持っていたかを考察。そして、日本近代洋画における文学や文字との親近性を垣間見ることにより、美術は美術、文学は文学と区別するのではなく、総合的な視野にたって芸術を生み出し、それらを享受しようとしていることを再確認し、さらに、昭和の絵画において、絵画作品のなかの文字の視覚効果について熟考できれば幸いです。(プレスシートより抜粋)

神奈川県立近代美術館葉山館
開催中~5月20日 
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/index.html
………………………

そうそう、2007/03/05「街、食べる飲む、語る。こだまひろしさんに拍手」に書いた「こだまひろし」さんだが、この「食べログ」をやめて、mixiに引っ越すのだそうだ。ここに書いてある。…クリック地獄

じつは、「食べログ」をやめる理由というか事情らしきものは、きょうの午前中に見た日記には書いてあったが、いまは削除されている。それは4月1日付けで、最後っ屁みたいな書き方だったが、mixiに引っ越すのなら、それを削除して書き換えたのは賢明だと思う。

ご本人が消したものを、おれが書き立てる必要はないだろう。「魔女狩り」という言葉をつかっていたが、ようするに、おれもブログにこうして書いてきて、たくさん砲火を浴びているが(先日も、おなじようなバカなメールを20通ぐらいもらったぞ。正義づらしたコソ泥みたいなやつらから)、こだまひろしさんのレヴューは、いまどきの想像力や創造力のかけらもない外食グルメからは支持を得られにくいだろうし、いろいろイチャモンつけられやすいと思う。

ブログ界なんてのは、しょせんマスコミ頂点の権威主義の現実を反映しているだけで、偽善者や卑怯者たち、予定調和主義者たちの巣窟なのだ。なーんて書くと、またやられそうだから、やめた。いまの発言は、ウソウソ。取り消さないけど。

おれはmixiは嫌いで近づかないようにしているけど、こだまひろしさんには活躍して欲しい。本音をいえば、こういうひとが、ブログ界からいなくなるのはさみしい。でも、うふふふふ、好きな女に去られるほどは、さみしくないけどね。

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2007/04/06

「関西極楽さぬきうどん 前編 ちく玉天ぶっかけなんたることだ」

コツコツ「本籍地のある本づくり」をしている関西の細々零細出版社、西日本出版社の内山正之さんからメールがあった。新刊のお知らせ。

冒頭に、「今年は、ひさしぶりに熊谷さんの本も出せそうです」とある。熊谷さんとは、日本こなもん協会の会長で、拙著『汁かけめし快食學』の解説を書いていただいた熊谷真菜さんのこと。たのしみだなあ。

で、新刊のお知らせは、チト酔ったんで、メールからまるごと転載する。しかし去年1月から作っていたとは、やりますねえ。がんばってください。みなさんも応援よろしく~。

西日本出版社のサイト…クリック地獄


3月末に、去年1月から作っていました、新刊「関西極楽さぬきうどん 前編 ちく玉天ぶっかけなんたることだ」を発行いたしました。

前作「麺通団のさぬきうどんのめぐり方」などの、超麺通団シリーズ、現在ではうちで発売してる「恐るべきさぬきうどん」シリーズ、これらの本のヒットが、さぬきうどんブームを呼び、テレビ、雑誌などの媒体でブームがさらに大きくなり、昨年は映画にまでなりました。

香川県外のさぬきうどんめぐりブームの核になったのは、地理的要因もあって関西人なのですが、そのおかげで、関西のさぬきうどんも劇的に進化し、おいしくなりました。

本書では、現地さぬきのうどん屋さんを公共交通だけでめぐり、廃業店も含めるとさぬき1200店のデータベースを持つ男として有名な、麺通団京都支部長別pさんこと、別府さんに案内をしてもらい、「ヌーヤルバーガーなんたることだ」(西日本出版社刊)で関西弁の女の子の掛け合いで沖縄案内をするという試みをおこなった浦谷さおりさんに、文章とイラストと写真でレポートしていただきました。

本書は、ガイドブックであると同時に、さぬきうどんが関西に来てどう進化していったかの読み物でもあります。どこかで見かけたら手にとって読んでみてください。

なお、発売を記念して、ジュンク堂書店梅田店(ヒルトンのほうです)と、高槻の平和堂内大垣書店さんで、4月10日からお買い上げのお客様先着20名様に、宮武うどんで作っている「麺通団のうどん」のプレゼントを行います。ここで買うとちょっとお得です。

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ハナダ・ロッソHANADA ROSSO 祐天寺に復活

青山にあった花田美奈子さんのナチュラルフードレストラン[ハナダ・ロッソ]は閉店してどうなってしまったかと思っていたら、4月10日祐天寺に復活オープンだそうだ。よかった、めでたし。

ハナダ・ロッソHANADA ROSSO公式ページ…クリック地獄

関連 2005/02/07「マキシム・ド・パリと花田美奈子さんとHANADA ROSSO」…クリック地獄

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なぜ『「こつ」の科学』なのか、そして押上のいこい食堂

ほんとうはきのう締め切りだった、「書評のメルマガ」連載の「食の本つまみぐい」の原稿を、なんとか昼までに仕上げて送った。今回は、「科学化される調理」というタイトルで、杉田浩一著『「コツ」の科学 調理の疑問に答える』(柴田書店、1971年)を取りあげた。

この本は昨年11月に新装版が出たのだが、「初版から30年、累計25万部」というロングセラーなのだ。なぜこの本がロングセラーになったのか、その背景や本質を中心に書いた。

いわゆる「外食産業」が注目浴びるというか世間的に成立するのは、この本が生まれた1970年前後。それと密接に関係する。バクゼンとなんとなく『「こつ」の科学』がロングセラーになったわけではない。「書評のメルマガ」今月中旬には発行になると思うから見てください。

そこには書かなかったが、80年代なかば、外食産業は成長期から成熟期に入る。とみてよいだろう。「成熟期」というのは、ほかのばあいもそうだが、本質を糊塗する呼び方で、供給過剰からくる成長の鈍化や停滞、サイクルとしては下降期へ向かうターニングポイント。

そこで、余分な必ずしも必要とされない付加価値サービスを対策しないと利益を生み出せないというわけで、ま、ようするにアンビテンデンツな過剰サービス時代が到来する。「癒し」だの「アメニティ」だの「ホスピタリティ」だのと騒がれるようになる。最初のころは、それでも、そのアンビテンデンツをアンビテンデンツとして感じ、そこまで必要なのかという疑問の声もあったが、いまでは、そういう声はほとんど聞かれない。つまり過剰なサービスに慣れっこになってしまった。たとえば、たかだか居酒屋チェーンで、しかもアルバイトの従業員が、テーブルの側に跪いて注文を受ける姿に苦痛や疑問を感じない。

外食という行為は、食欲と食欲の文化的充足を超えて、なにか得たいの知れない、自分でもよく確かめようのない、自己を失いかねない欲望や欲求の満足へ向かっている。ような気がする。

Osiage_ikoiそこで画像。

2007/04/02「押上よしかつ もんじゃで清酒が意外によい」に書いた、4月1日はよしかつへ行くために押上駅で降り、初めてのB1出口を出た。するとスグ目に入ったのが、「いこい食堂」という文字。オッと思ったが、日曜日は休みらしい。ガラス窓になにやら貼ってあるので近づいて見たら、「五百円定食」とあって「1番」から「12番」まで。人気の順番なのだろうか。とにかくオモシロイので写真に撮った。

1番、アジフライ。2番、串カツ。3番、エビフライ。4番、メンチカツ。5番、カニクリームコロッケ。6番、野菜コロッケ。7番、たらフライ。8番、キスフライ。9番、チキンカツ。10番、ヒレカツ。11番、目玉焼、ナットウ。12番、小ヤッコ、ナットウ、生玉子。

ここには自己を失いかねないアンビテンデンツは存在しない。そして上っ面調子のよい「癒し」だの「アメニティ」だの「ホスピタリティ」だのが失った「人肌のぬくもり」を確実にたくわえているような気がする。入ってみたい。

押上には、押上食堂もありますね。ここでは数回たべたが、素晴しい。…クリック地獄

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2007/04/05

1980年―81年の生活料理の幻

酔って悪戯半分で載せた写真だが、仕方ないから、ついでにそのころを思い出し備忘録として整理してみよう。

2007/04/03「「いいのか、それで」その男のそれからとこれから」の写真のことだ。運がよいのか悪いのか、たまたま見つかった。これは、おれが持っている自分の写真のなかで、いちばん若い、つまり古いもので、これ以前の写真は、卒業アルバムといった印刷のものも含め一枚もない。貴重といえば貴重、屑といえば屑。

撮影場所は群馬県前橋市内の旅館の玄関広間。名前は忘れた。川原沿いの雑木林のなかの、木立のあいだに川の流れが見える旅館だった。近くに荻原朔太郎の資料館のようなものがあった。

撮影したのは、江原恵さん。なので、1980年の12月に間違いない。ということは、1943年生まれのおれは37歳。

10月、千代田区の市ヶ谷駅から数分の五番町交差点近くのビル1階に、江原生活料理研究所を開設したおれと江原さんは、続いて11月には渋谷区の東急デパート本店前のビルに実験店舗を開店する話をすすめていた。おれも江原さんも、すぐ店をつくることは考えていなかったが、出資したいというオーナーがあらわれたので、ついでに、というほど簡単ではなかったが、そういうチャンスはめったにない、大変でもやってみるか、ということになったのだった。

店は[しる一]という店名で開業する。その店長兼料理長に決まったのが、前橋のテル女さんだった。11月29日土曜日に渋谷の設計事務所で店舗設計の打ち合わせをし、おなじ事務所で12月4日木曜日、テル女さんと初めて会った。そのとき、なぜだか、前橋って行ったことないから、遊びに行って見ようということになった。それがこの写真になった。前夜遅くまで前橋市内を飲み歩き、二日酔いの朝だ。

前橋へ行ったのは12月であることは確かだが何日のことか、わからない。当時、江原さんは、写真に凝っていて、いつもカメラを持ち歩き撮影しては自分で現像焼付けをしていた。その写真をもらったおれが、もし当時の自宅へ持って帰っていたら、この写真は残らなかった。持ち歩いていたノートの一冊に挟まって生きのびた。ノートも、ほとんど無くなり、たまたま1980年9月から81年2月のあいだのものだけ残っていた。

江原さんは、中京女子大の講師をやっていて刈谷市に住んでいたが、この前橋行きのあと12月28日に東京は杉並区の地下鉄新高円寺駅か東高円寺駅の近くに引っ越した。授業のある日だけ、名古屋へ通うことにしたのだ。

渋谷の[しる一]は81年3月に開店した。

おれは当時すでに、なるべく足跡を残さない生き方を選択していた。食欲と性欲と睡眠欲以外の欲望や欲求、たとえば物欲所有欲、金銭欲、権勢欲、名誉欲、立身出世欲、自己顕示欲はたまた近年ハヤリの自己実現欲…などは、きれいに捨てようとしていた。「捨てようとしていた」というのは、あったからであって、そのカネと権力につながる道は、政権中枢と太いパイプを持った魅力あるもので、いまどきのビジネス志向の編集長やプロデューサーなどの小権力者がヨダレをたらすほどのものだったが、そういうものとオサラバするロマンを構想していた。それは、食欲と性欲と睡眠欲に支えられた素朴な生命力が大切なのだという、シンプルな生き方であり、これはいまの「気どるな力強くめしをくえ!」に通じるだろう。

渋谷の[しる一]は、プランニングの段階から、その懸念はあったが、できあがって動き出すと、そういうおれのイメージからは、かなり外れた感じだった。

それはたとえば、江原恵さんが1982年の『生活のなかの料理学  江原式新日本料理のすすめ』で、こう書いていることへの違和感でもあった。

愛知県刈谷市の街のはずれに
一膳飯屋”しる一”を出したのは四年前である。
そして一九八一年三月、東京の渋谷に
大衆割烹の店、食亭”しる一”を開いた。

おれは、刈谷の一膳飯屋”しる一”の「渋谷版」を構想していたのだが、どんどん違うものになっていった。とりわけおれは、「新しい権威」を感じさせる「江原式」については、まったく関心がなかった。それが、当時の「生活料理」の限界だったといえるだろう。

と、今日は、ここまでにしておこう。

この写真以前、おれは1975年に、三番目の男子を2歳で亡くした。その2年後、母が59歳で死んだ。2歳も60歳も80歳も、みなおなじ人生だ、長さで人生を量ることはできない。と悟った。このあと、おれが50歳になるのは1993年ということになるが、その間の写真は5枚ぐらいあるだけだ。

よく、本は残る、という。自分が死んでも本は残る。本を出すことは後世に名を残す名誉になると思っているひとがいるようだ。そして本を出したぐらいで、たいへんな偉業をなしたかのように思っているひとがいる。そういうひとは、夜空の星を見るとよい。もっとも都会では、全天を埋めるように見える星を見ることは、むつかしいだろうが。誰にも見られずに、あるいは、なんという名か知られずに終る星は、フツウなのだ。自分の本が読まれたり見られたりする確率を、その無数の星で計算してみよう。本を出したぐらいで、それが少々売れたぐらいで、その星より存在感があると思えたら、そりゃ妄想というものだろう。死んだあとに残す生きた証より、イマの食欲と性欲と睡眠欲だ。刹那ですね。死んだあとに残す足跡を考えることは、欲望や欲求の無用な肥大につながる。後世に名を残したいなんていう動機は、ろくなものを生んでこなかった。

ということを、この写真のころの頭は考えていた。だから、この写真は、運がよくか悪くか残った、貴重な屑の一枚なのだ。

着ているダウンパーカーのことについては、2007/02/27「ひさしぶりのアナログカメラ」に書いた。いつでも山へ行けるかっこうをしていた。この[しる一]開店目前の忙しい最中の1981年の2月に、2回も谷川連峰へ登っている。ああ、あのころはタフだったなあ。

関連…2005/11/19「日本料理の未来史に向って新しい試み」…クリック地獄

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2007/04/04

その男

更新がないからといって、誰も心配してないだろうけど。
地獄から生還中につき、たぶん、明日には正常化?

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2007/04/03

「いいのか、それで」その男のそれからとこれから

午前1時すぎのよいどれ便。ワタクシ最近やせました。あのおかげで。
1980a

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2007/04/02

押上よしかつ もんじゃで清酒が意外によい

昼近くになって、やっとものがたべられるようになった。なんとか午後の仕事は、やれるだろう。まったく、この調子じゃ「アル中一直線」だ。

きのうは押上まで行って飲んだ。2006/11/26「呑斉会、若い酒好き女に囲まれて」に登場の新倉ゴマさんが、押上にある[よしかつ]というもんじゃ屋さんと共同で主催する「酒もんじゃの会」。例によって、おなじ参加費で飲み放題とあらば、がんがん飲むにかぎると、意地汚く意地酒をやった。帰りは、まったく記憶がない。

メニューは。

食前酒 千代鶴ゆず酒
お通し 下町の味 きな粉棒

信州銘醸 醸献 純米酒38%
海草の鹿児島甕仕込み黒酢炒め
信州野沢菜ブルーチーズ和え

賀茂金秀 純米吟醸生雄町
ゴマ特製れんこんきんぴら

鶴齢 特別純米酒無濾過生原酒山田錦18BY
国産牛たたきカルパッチョ ふきのとうソース

阿部勘 純米吟醸発泡にごり生酒
明太子もちチーズもんじゃ

多満自慢 フレンチオーク1997
Monjya赤と黒

デザート バニラアイス
桑乃都秘蔵大古酒貴醸酒かけ

以上。

お通しの「下町の味 きな粉棒」は、南千住の宇佐見製菓のもの。「地元の味」ということになるか。

料理の最初から三品は、新倉さんの作。気どらない家庭のおかず風のつくりで、なかなかよかった。もんじゃと清酒は、あわないんじゃないの、やはりビールか炭酸系だろうとおもっていたが、これが意外によかった。よしかつさんのもんじゃが清酒にあうのかもしれない。

醸献は、アルコール度数38度の古酒だ。中華料理とあいそうな感じだった。賀茂金秀、初めての酒だが、おもわず顔がほころぶ芳醇な香りとコクだった。鶴齢は、おれの故郷南魚沼市の酒蔵だが、これを45度の燗で飲ませてもらった。生原酒を燗で飲むのは初めてだったが、日々の意地酒で疲れきっている肉体と精神には、やさしい味わいでうまかった。

よしかつさんと新倉さんは唎酒師で、唎酒コンクールで出会ったのだそうだ。[よしかつ]の店内は、なかば自分の趣味で集めたらしい、全国の清酒と焼酎が揃っている。案内に「もんじゃと刺身とおいしいお酒」とあるところを見ると、刺身もあるようだ。なかなかうまいよい店だ。

もんじゃも料理も、酒のセレクトもよかった。しかし、Monjya赤と黒で多満自慢を飲みだしたあたりから、しだいに記憶がなくなり、デザートは、まったく記憶がない。何時ごろどうやって店をでたかもわからない。でも、ちゃんと北浦和まで帰り、しかも今朝冷蔵庫を見たら、寿司弁当と缶ビールがある。どうやら遠回りして24時間スーパーに寄って買い物をしたらしい。まだ頭がクラクラするし辛いが、仕事をしなくてはならない。ああ。でもまた懲りずにやるだろう。

押上 よしかつの案内…クリック地獄
新倉ゴマさんのブログ「酒ごはん」…クリック地獄

■話はちがうが、「四月と十月」の古墳部で一緒したことがある北九州の美術家の方から、「ピンクとグレーについて」メールをいただいた。ありがとうございます。こういう内容……

ピンクとグレーについてのブログを興味をもって読ませていただきました。
時代や料理との兼ね合いがおもしろかったです。
私自身は、ピンクとグレーと聞いて女流画家のマリー・ローランサンをおもい浮かべました。
ピンクとグレーって意外にもよく合うんだ、とこの画家から学びました。

……以上。それで思い出したのだが。そういえば、マリー・ローランサンの人気が急上昇するのも、1980年代だったような気がする。日本航空が鶴のマークをやめて、赤と黒とグレーをコーポレートカラーにしたのも、1980年代じゃなかったかな?

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2007/04/01

ピンクとグレーそして料理のイメージ

みなさん、よい週末の夜をすごしているのでしょうねえ。おれ失意の意地酒妖怪エンテツです。午前1時、今夜のよいどれ便は、ちと難しい理論的なことを書くような気がするが、ま、酔っているから大丈夫だろう。

2007/03/27「ピンクとグレーまたは桃色と灰色」に書いたように、ブログのデザインを変えた。いまのデザインは、ピンクとグレーを使っての4回目の変更になる。短いあいだの変更だったから、たぶん全部を見ているひとはいないと思うが、ずいぶんイメージが変わる。いまのこれは、気に入っているわけではない。また設定を変えるのがメンドウなので、しばらく、このままにしておく。

デザインやカラーや写真の専門的な知識などないのだが、すでに書いたように、「ピンクとグレーまたは桃色と灰色の組み合わせのコントロールは、むかしから強い興味がある」。むかしからというのは、1970年代後半ぐらいからということだ。

おれの記憶の整理として書くのだが、(酔っぱらいに記憶はあるのか。うるせえ)、ピンクとグレーの組み合わせが注目されるようになったのが、そのころからだったと思う。

パステルカラー、パステル調というのが流行した。その中心にピンクがあった。ほぼそれと平行するように、モノトーンが流行する。つまりグレーをあいだにした白と黒だ。80年前後にピンクとグレーは重なったと思う。もともと、グレーについては、とくに印刷デザインの分野では、カラー印刷が高価だったことから、黒に網をしたグレーの使用法が、いろいろ工夫されてはいた。そこに流行のパステル調のピンクが重なったとみたほうがよいかもしれない。

これは、どう考えたらよいのか。パステル調のピンクは、当時流行の「ナチュラル」「フェミニン」な気分を表現していたと思う。のちに「かわいい」あたりとゴチャゴチャになる。一方のグレーだが、これはピンクとおなじ中間色系とはいえ、無彩色系であり、本来は、ナチュラルやフェミニンとは対極の、人工的なイメージだ。

これを組み合わせると、そのデザインにより、とんでもなくイメージが変わる。ものすごくシックにもなるし、ものすごく卑猥にもなる。27日書いたように、その表現の幅は広く、たいがいの人間のことは、このなかにおさまると思った。それでまあ、興味を持った。じつは、一時こって、イロイロなプランに強引につかったのだが、ま、そのことはまた別の日に。

ピンクとグレーというが、「赤―白―黒」の関係におさまる。ピンクは赤と白の中間であり、グレーは白と黒の中間だ。

これが料理のイメージと深い関係にある。とくにグレーのトーンの使い方なのだが。ちょうど、いい例がある。こちら「Soup.」3月号掲載「ストロベリーミルフィーユ」の写真。カメラマンは武井メグミさん、このブログにも登場していて、一緒に飲んだことがある武井さんだろう。関係ないが、いまごろどうしているのやら。

いちばん手前、グレーのふちどりに見える白い皿に、「ストロベリーミルフィーユ」がのっている。この写真の主な色調は、まさに「赤―白―黒」の関係におさまる、ピンクとグレーだ。ピンクは直接使用してないが、広い白っぽい面積に赤いストロベリーは、視覚的にはピンクのイメージにつながる。

ここで注意が必要なのは、ライティングだ。このライトのあてかたは、いまではフツウだが、料理写真の分野で、この方法が広く普及するのは1970年代後半からだったと思う。ま、おれが35歳になる前か、そのころからだ。つまり、ピンクとグレーが流行する時代に重なる。

これは、上方斜め後からのライトをきかせているのが特徴だ。料理の斜め上後方からあたるライトがメインで、すると前方に陰影ができる。この陰影は、視覚的にはグレーなのだ。白い皿も真っ白にしないで、陰影をつけている。

70年代前半は、こういうライティングで撮ると、ほぼクライアント側からダメが出た。ライトは前方からドヒャッとあてるってことでないと、前方に陰影が出るなんてトンデモナイ、料理が汚く見えるという見方が大勢だった。白い皿は、もっと直接ライトをあて、真っ白な部分が多くなくては、清潔感に欠けるといわれた。それは、印刷技術の問題もあって、中間調のコントロールが難しかったということもあるだろう。

で、とにかく70年代後半には、その陰影があったほうが、ナチュラルでフェミニンでよろしいということになる。それは料理の表面の微妙なデコボコが、この写真のように上手に出ればということなのだが。カメラマンの腕ですね。とにかく、流行のナチュラルでフェミニンな気分が、かつての写真より、こちらを選んだということになるか。それとも、なんらかの「文化装置」によって、そういう流れになったというか。昼下がりのアンニュイなひととき、お茶でもしましょうか。レースのカーテンごしに入る、さわやかな自然の光のなかに、太るかもしれないスイーツをおくと、バカ亭主は会社へ行っていないし、あららフェミニンな素敵な気分なのです。といった「中流意識的市民的」ストーリーが立ち上がってくる雰囲気ですね。

この写真のばあい、何種類かのグレーのトーンがあり、皿のふちの比較的濃いグレーは締まりを出し、その右背後にオレンジのカップを置くことで、グレーとピンクの色調を崩しカジュアルな雰囲気を出していると見ることができる。ともあれ、このように料理写真においても、人工的イメージと見られていた無彩色系のグレーのトーンが、意識的に演出されるようになる。

いやあ、そういえば、60年代などは、グレーなんていわずに「ネズミ色」だったもんね。「灰色」だって、日本の色の名称に多い花鳥風月から遠く、そんなによいイメージではないが。

しかし、どうして、このピンクとグレーの組み合わせが、ナチュラルでフェミ二ンということになっていったのか。やはり疑問は残る。

『欲望と消費  トレンドはいかに形づくられるか』(スチュアート&エリザベス・イーウエン著、小沢瑞穂訳、晶文社1988)には、興味ある記述がある。つまり「主流の文化が郊外のパステルカラーにグレーの産業カラーを投入するものだとしたら」と。たったこれだけでも、示唆的だ。

これはアメリカにおける50年代60年代の動向を述べているのだが、日本のばあい、郊外が成長するのは60年代70年代だ。この時代はまた、工業で高度経済成長をした時代でもある。人びとのこころのなかでは、いまではたいがいのひとは忘れているようだが、産業や工業は、誇りだったのだ。そうそう、アジノモトバンザーイでしたしね。

郊外生活への憧れはいうまでもない。ああ、郊外。それは、日本では、山の手の延長であるところの郊外であり、杉並や世田谷あたりから西域に、まず広がった。そのあたりが、ピンクとグレー、ナチュラルとフェミ二ンの震源地だとすれば、なにかわかるかもしれない。

しかし、だよ……あ、文章が浮かんでこない。ま、トツゼンだけど、今夜は、ここまで。

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