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2007/04/12

「ロング・グッドバイ」 大衆食堂と街と「別れ」だって?

2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」に、ハジメ男さんから、このようなコメントをいただいている。

その「視点」の考察が、少し前にお語りになった「負のロマン」や、
藤沢作品の「伊之助」に絡んでくると、もう楽しみです。
遠藤様の最近のブログは、ことに味わい深く拝読しております。

それに対して、おれのコメントは、こう。

思いつきだらけの拙い言い草を、
ご覧いただき恐縮です。
それにしても、おもいがけず村上春樹の手引きで、
マーロウ探偵に辿りついてしまいましたが、
どういう展開になりますもやら、
チト自分でもおもしろくなってきました。
しかし、ナイ頭で考えすぎたので疲れました。
さらにアルコールをたっぷり飲んで、頭を休めないと。

たしかに、村上春樹の手引きでレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウにたどりついたのは、おもいがけないことだった。探偵なら、一休みしてもよい成果だろう。だけど、だれからも報酬をもらえない。

レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウといえば、やはり『長いお別れ』と『さらば愛しき女よ』ではないだろうか。そして『長いお別れ』は、おれが持っているのは清水俊二訳のハヤカワ文庫版で、『ロング・グッドバイ』という原題をまんまカタカナにした村上春樹訳が、この3月に出たばかりだ。

とにかく、「視点」の考察は、これからなのだが、とりあえずおれは「別れ」「グッドバイ」が一つのキーワードとして浮上してきていることに気づいた。関係ないが、太宰治に「グッドバイ」というのがあったような気がするな。

大衆食堂と街と「別れ」だって?

このひと月のあいだに、「別れ」とくに大都会の「別れ」についてもアレコレ書いた。いま、その反対の「出会い」を置いてみると鮮明になると思う。「出会い」が快活で明るい希望に燃えた「正のロマン」だとしたら、「別れ」は負のロマンというしかない。

なかでも大都会の街と大衆食堂を特徴づけるのは「別れ」だと、おれは考えているようだ。それは「負」にひかれる自分がいるからだろう。「負」といえば、2007/03/15「負の味覚」では、「人肌のぬくもり」をかんじる大衆食堂についてふれ、「屈託のないものが近寄るところではない」とまで言い切っている。2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」に引用の関川夏央の文にも「屈託」が出てくる。

だけど、「別れ」が特徴づけられるのは、東京のような大都会では、何度も書いたように「街」がないゆえに「出会い」が難しいからでもある。簡単なようでいて、難しい。別れたら偶然に再会する確率は少ないし、初めての出会いにしても、こんなに毎日たくさんの人と「接触」したり「交渉」したりしているのに、なかなか「出会い」と結びつかない。そこで「出会い」のための、さまざまな機関やイベントが仕組まれ、あるいは下町人情酒場や大衆食堂にはよい出会いがあるかのような幻想が信じられたりする。

とりあえず気づいたことをメモしておくと、こんなところだろうか。

ところで、ハジメ男さんのコメントにあった、「ことに味わい深く」というのは、意味深長だなと思った。おなじころ、某女からメールがあり、「ここしばらくのブログの内容が、いつもの遠藤さんとどこか違うような気がして心配しております」とあった。

「心配」って、もしかして「ことに味わい深く」と、根はおなじなのではないのか? 根はおなじだが、一方は「心配」という表現になり、一方は「ことに味わい深く」ということかも知れない。以前から読んでいるかたのなかには、なにか近頃チョイと違っていると思うひともいるだろう。いて、おかしくないはずだ。いなかったら、この数か月、おれがブログの文章で苦労していることは泡ワワワワワだ。といっても、ほとんど酔って書いているのだから、文句はいえないか。

おれが、ああ、おれはやっぱりトシなんだなあ、少なくとも若くはないと見られていると思ったのは、ここひと月ばかりのブログのようすで、コイツ失恋したんじゃないか、とか、女にふられたんじゃないか、と言ってくるやつが、だれ一人いなかったことだ。やはり、もうそういうトシじゃないと思われているにちがいない。ふん。

「書く」というのは、とくに読者に対する「かけひき」の楽しさ、「戦略」や「戦術」というものがあって、あれこれ考えてやるとゲームのようにオモシロイ。とくにこのブログのばあいは、おれは、それでアクセス数が減ろうが、自分のカネと時間をつかってやっていることだからよいのだと思っている。アクセスを稼ぎやすい内容や表現など考えたことがない。

だからといって「捏造」はしない。そんなめんどうなことをしても、マスコミのように得るところはない。事実であり、事実にもとづいている。しかし、よく言われていることだが、事実と真実はちがう。

料理や味覚だってそうだが、あれは人間の想像力によるものだ。料理をつくるほうの想像力と食べるほうの想像力のあいだに、料理や味覚は存在する。文章もおなじようなものだ。いや、料理や味覚より、もっと想像力のことだろう。書くほうの想像力の関与も大きいし、読むほうは、ほとんど想像力で読んでいる。だから、おなじ文章が「心配」のタネになったり、「味わい深さ」になったりする。

ようするに、おれを含め正直なやつは、この世に一人もいない。みな自分の気持や何かを誤魔化しながら生きている。それは別に悪いことではないだろう。善悪で決めつけることではない。そこに文章はつけいるのだ。料理だって。

つまり真実に近づくために、事実に関する表現を工夫する。もしかするとアジノモトをつかい、アジノモトをつかっていませんというウソは言わないが、つかっていますともいわない「かけひき」ぐらいするかも知れない。

今回は、2007/03/12「「ためいき体」は、なんとかなるか」をはじめ、何度か書いたように、昨年秋ごろから、チョイといろいろ試みている。それはそもそも、大衆食堂について書くなら、以前の『大衆食堂の研究』のようではなく書きたいとバクゼンと思ったのがキッカケだった。

いま、フト思った。「別れ」は「負のロマン」と言ったが、嫌いでさよならしたほうにしてみれば気分晴々だろうから、「別れ」は「正のロマン」になるのではないだろうか。さよならを言われたほうは七転八倒していても、片方は爽やかな気分である。そのように、ものごとは単純ではない。

おそらく、これから「視点」について考えていくにしたがい、「正のロマン」「負のロマン」というわけかたは、物語のためには必要かもしれないが、現実はそのように単純にわけられない、だからそこにまた「正のロマン」「負のロマン」が生まれる。バクゼンとだが、そういうことになりはしないかという気がしている。

しかし、大衆食堂をどう書くかという思考が、このような展開になるとはなあ。こんなことを考えていたら、おれが大衆食堂について書く本などイラナイと出版社はもちろん読者も思うだろう。欲しいのは「情報」なのだ、てめえの酒で腐った脳みそのタワゴトなど聞きたくないと。

もし、ここひと月ほどのあいだに、おれに「さよなら」したという自覚がある女がいたら、といっても、そういう女は、このブログを見ていないと思うが、もしそうだとして、それでも爽やかな「正のロマン」の気分になれなかったら、「だから酒を飲みましょう」とのメールをおれにしたほうがよい。だとしても、おれは大衆食堂と街と「別れ」の関係を考えなくてはならないことにかわりはないが。

こういうアヤのある言いまわしは嫌いで苦手だ。モンダイは、即物的な、それゆえ人間的なぬくもりのある大衆食堂を、どのように書くかなのだ。文章のオベンキョウなどしてこなかったからとても難しい。

でも、「視点」の考察は、少しはできるだろう。視点を考え深め、そこから屁のように放たれる表現を追求するとしよう。

グッ、「屁のように放たれる表現」だって。いいなあ。これって「ハードボイルド」?腐った固ゆで卵の屁のニオイ。

だはははは、ただ酔っているだけ。おや、まだ「きょう」のうちだ。いや、もうすぐ0時をまわるから、アップするのはそれからにしよう。

2007/03/12「「ためいき体」は、なんとかなるか」…クリック地獄

2007/03/15「負の味覚」…クリック地獄

2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」…クリック地獄

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コメント

鎌田慧を除くと、
カワイイつむじ曲がり皮肉屋ってのが、
おもしろいですね。

投稿: エンテツ | 2007/04/13 00:35

そういえば、呉智英さんの「大衆食堂の人々」でも、
負の東方見聞録であり憎悪日記という表現だったような
ことを思い出しましたが。でも私が大衆食堂の研究の書き方
の匂いから感じ取ったのは、深沢七郎の「流浪の手記」で
特に<書かなければよかったのに日記>なんてところでした。
それからマーロウの「長いお別れ」からの連想では
関川夏央さんの「家はあれども帰るを得ず」や
鎌田慧さんの「死に絶えた風景」が浮かんできました。
まあタイトルからして暗いというか幸薄いものばかり、
ハードボイルドな生き方ならずとも、ため息ですねえ。

投稿: ボン 大塚 | 2007/04/12 07:32

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