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2007/04/20

ワタシ、営業マンの味方です

大衆食堂というと、有力な客に営業マンがいる。それも「外交」や「セールス」といわれ、ほぼ肉体労働者とおなじように肉体を酷使する「外回り」の人たちだ。

しかし、なにごとにつけ優劣観をもってする小市民のあいだでは、営業マンには悪いレテッルがはられることが少なくないようだ。そもそもは、なにかを売りつけカネをふんだくるやつとして、財布をねらうドロボウ同然に警戒されているのだが。なにもとりえのない人間がゆきつく職業、総じて「体育会系」の「バカ」。「不誠実」「信用ならないやつ」「うそつき」「ずうずうしいやつ」「下品」「スケベ」……これまでさまざまなレッテルを耳にした。

おれの「職業人生」は、その営業マンから始まった。しかも街の飲食店と共に。いまだってそうだとおもうが、外回りの営業マンと飲食店は宿命的に密接で、男と女以上の男と男のような関係だろう。って、わけわからんか。

2007/03/22「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」に書いたなかの一つのタイトルは「ワタシ、営業マンの味方です」だったが、まだ書いてなかったから、チョイと始めることにする。これは長くなる話だ。きょうは途中までになるだろう。きょうのところは「おれが営業マンになったとき」というかんじかな。

その日、つるかめでは、おれの隣に、くたびれた濃紺のスーツを着た40歳ぐらいの、営業マンと見られる男がすわっていた。それで営業マンへのおもいがわいたのだ。

おれが東京の大学入学後、実家が競売にかけられる家業の倒産があって、いくつかの臨時雇用を転々としたすえに「正社員」で就職できたのが営業職だった。以前に書いたことがあるが、海外旅行専門の旅行代理店の、正確には団体旅行営業担当の営業マンだ。人間の大海原で魚群を追い釣をやるように見込み客をみつけては会いにゆくセールスだ。

あまり積極的に就こうというひとがいない職業。ほかにもある。ある女のことだ。いまは、いわゆるフリーで「クリエイティブ」関係の仕事をしている。以前、彼女が発したある言葉にふと、「飲み屋のねーちゃんのようなセリフだな」というようなことをいったことがある。もしかしたら、水商売をやっていたことがあるのでは、という勘もあったのだが。

そのとき、すでにフリーで活躍しているのだから、「飲み屋のねーちゃん」では不機嫌を買うかとおもった。たいして違いはないが、すこし用心して気をつかい「飲み屋のおねーさん」とか「酒場のおねーさん」とか、そんなふうにいったはずだ。それでも怒られるかとおもったが、すると彼女は、「どうせ、(いまの仕事も)飲み屋のねーちゃんのようなものです」というようなことをいった。おれは、ナルホドと感心した。

彼女は、家庭の事情で「飲み屋のねーちゃん」をやっていたことがあったのだった。彼女は、そのことをいったあと続けて「フーゾクはやりませんでしたけど」というふうなことを付け足した。おれにとってはどうでもよいことだった。すでにフリーで十分やりながら、それが「飲み屋のねーちゃん」のようなものだと、サラリいえるところが、おもしろいというか共感するところがあった。たいがい、アーチスト風に気どりたくなるものだが。

「飲み屋のねーちゃん」根性を忘れないなんて、いいことだろう。おれのばあいは、「営業マン」根性というか、それゆえフリーであり「作家」志向など、まったくない。「根性」といえばカッコイイかもしれないが、ニヒルといえばニヒル。そこにつきまとう、「生きる」ナマナマしさがいい。ほんと、飲み屋のねーちゃんも営業マンも、生々しい。

そんなことを考えながら、隣の営業マンをチラチラみる。ビールを飲む。彼はスポーツ新聞をみながら、サワーを飲んでいる。おかずの皿が3枚ほど空いて重ねてあった。こういうところでの飲み食いに手馴れている様子だ。

「飲み屋のねーちゃん」も「営業マン」もおなじようなものさ。女は、切羽詰ったカネが必要になったときは、「飲み屋のねーちゃん」が手っ取り早い。おれがカネが欲しくて就職しなくてはならなくなったとき、男にとっては、それが「営業マン」だった。

1960年代前半は大卒の「就職難」といわれたが、新聞の就職欄には営業職なら、いつでも求人があった。ほとんど「学歴経験不問、経験者優遇」というやつだ。このへんも「飲み屋のねーちゃん」とおなじか。

高校や中学の新卒なら、工場などの肉体労働の現場に就職できた。おれがそれまでやっていた臨時雇用は、ぜんぶ肉体労働で、安定性を考えなかったら、いくらでもあったが永久的に正社員になれない。昇給もない。しかもおれのように大学中退ということになると実際は高卒中途あつかいで、正社員の口は「営業マン」しかなかった。カネのために就く仕事、それ以外のなにかを求めてというかんじではなかった。「自己表現」だの「自己実現」だのというシャラクサイ言葉もなかった。

おれは、三か所の面接を受けた。いま思い出すと、みな丸の内と銀座の会社だ。なにかあのへんにコンプレックスがあったのだろうか? 一つは丸の内にあった紳士服屋。霞ヶ関の官庁や丸の内周辺の大会社を相手に、主に背広を職域販売している会社だった。一つは、銀座8丁目のはずれにあった下水道工事屋。そしてもう一つが入社した会社、銀座6丁目にあった。

どこも面接の結果は合格採用だった。なんとなく海外旅行専門というのが、イメージもよかったし、そのうち仕事で海外旅行へ行けるかも、というスケベ根性もあって選んだような気がする。営業が自分にむいているかどうか、やりたい仕事かどうかなんか、まったく考えなかった。

「営業マン」というのが、「飲み屋のねーちゃん」のように見下される嫌がれる難儀な仕事だというのを知ったのは、その会社を辞めてからあとのことだ。

とにかく、おれがやった営業マンは、ごく一般的な営業だったとおもう。まさに来る日も来る日も足を棒のようにして歩き、相手に会わなくてはならないときは早朝でも夜でも飯どきでも、勤務先ではなく自宅をたずね、迷惑そうな帰ってほしそうな顔をされてもそ知らぬ顔してそちらの役に立つことだからと話を続け、空を見て天気を占うように顔色や眼の動きを読み、上手でもないお世辞をいい愛想笑いをばらまき、日記文学のように事実と信じられる虚構を語り、相手に気分よいおもいをさせ…そういう日常の楽しみといえば、安い飲食店でめしくうこと酒をのむことだった。

とくに以前2007/03/01「たくあん数切れ5円の思い出に」書いたように、大阪で1年間すごしたときは、知人友人まったくナシの初めての土地で、100%外食の下宿生活だった。大阪、奈良、京都、神戸を歩きまわり、安い飲食店で一人でくつろぎ、めしくうこと酒をのむことだけが楽しみだった。

あれこれおもいをめぐらし、おれが勘定をしてもらっていると、隣の営業マンは、また一品たのんだ。おかずをたべおえサワーだけ飲んでいたから、それで引き上げるのかとおもっていたが、そうではなかった。一人で、ゆっくり過ごしている様子だが、生々しい日常のなかの自分だけの祝祭だろうか、それとも……。元「飲み屋のねーちゃん」はどうしているか、気になるのだった。

……ってことで、「ワタシ、営業マンの味方です」なのだが、今日は、ここらへんでオワリ。いつかまた続きを書く。

そうそう、「飲み屋のねーちゃん」と、この営業の大きなちがいといえば、あまりカネを稼げなかったこと。まだ未経験で歩合がつかなかったこともあったが。しかし目標だけは一人前にあたえられ、それを達成し身体をこわすとやめさせられた。

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