« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007/05/31

イノケンさんの「ハモニカ横丁」冊子に

Inoken忙しいのだろうか。忙しいようだ。とりあえず、とり急ぎこれだけ掲載。新宿へ行って用を半分ぐらい足し帰って来たら、ポストに封書。某編集者から。あけたら、この新聞切抜きが。

朝日新聞5月11日、東京版のようだ。おおっ、"「ハモニカ横丁」冊子に"の見出し。おおっ、顔写真は、イケメンイイ男、イノケンさんこと井上健一郎さん23歳ではないか。そうか、そういえば、あの話題の卒論レポートを冊子にするような話があったような気がするな。忘れていてすまん。それにしても、この編集者、よく気がついて、送ってくださった、どうもありがとう。持つべきはイイ友と、こういうときだけ言い。

"魅力にとりつかれ元法大生 卒論の吉祥寺部分を「要約」"の見出しにリード文は。

"戦後のヤミ市に端を発し、今も世代を超えたファンを引きつける吉祥寺の「ハモニカ横丁」(武蔵野市)。学生時代にその魅力にとりつかれ、通い詰めた若者が、歴史と変遷を調べて冊子にまとめた。市史などの文献と、数少なくなった横丁の「生き字引」の話をもとにした力作だ。"

みなさん、買って読んでください。応援、よろしくね。とくに年寄りたち、「いまの世の中は」「いまの若者は」と懐古詠嘆にひたっていないで、こういう若者を応援しよう。若者たち、自分が興味を持ったこと共感できることをガツンと追求してみよう。500円。

イノケンさんのブログ「ヤミ市横丁研究所ブログ」によると、「吉祥寺駅ビルLONLON 2Fの弘栄堂書店でも販売中です」とのこと。…クリック地獄
ハモニカ横丁の干物の店「なぎさや」さんでも販売しているとのことです。


大衆食と森林緑資源と街・横丁は、根本的なところで密接に関係すると思っているおれが、初めてイノケンさんと吉祥寺で会ったのは、一昨年のことだ。そのとき、イノケンさんは大学生で、卒論のためのハモニカ横丁研究をレポートにまとめていた。それをいただきいろいろ話をした。そのあと、卒業後、故郷の新潟へ戻ったイノケンさんと再会したのは去年の10月、赤羽でだった。そのあたりのことは、以下の当ブログに。おれは過激なことを書いているけど、イノケンさんは現代の若者の目から、現実的かつ未来的に考えている。おおいに期待したいね。ま、功名をあせらず、じっくり取り組んでほしい。これから一生かけても惜しくないテーマだもの。

2006/10/29「赤羽、王子で横丁路地街談義」…クリック地獄

2005/03/25「横丁路地そして東京や「下町」を考える」…クリック地獄

2005/04/03「「観光」で東京はナントカなるのか?」…クリック地獄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ささやかだけれど、役に立つこと」

今夜の意地酒酔いどれ深夜便のタイトルは、2007/05/28「二日酔いの朝にアル中小説を読み」に書いた、村上春樹訳の『CARVER'S DOZENカーヴァーズ・ダズン レイモンド・カーヴァー傑作選』(中公文庫)に収められた短編のタイトルだ。

おれは、酔っているからではなく、この小説の、あまりの素晴しさを、うまく書くことができない。とにかく、これから何度も読むことになるだろう。

村上春樹さんの解説によると、原題は『小さな、良きもの』つまり「A Small, Good Thing」。
これは、直接的には、食べること、焼きたてのパンのことを、さしている。

疲れきって、深い苦悩の中にいる夫妻に、パン屋は、こう言う。
"「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」"

"「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べてください。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」"

"「何かを食べるって、いいことなんです」"

この「何かを食べるって、いいことなんです」って、うまい訳だなあ。ほんと、村上春樹は、訳はうまい。

なぜ二人がパン屋にいるかは、読んでもらったほうがよい。「ささやかだけれど、役に立つこと」は、それ単独で存在するわけではない。「生きる」である。生きること食べることの根本が、そこにある。

生きることには、突然の不幸や、不安、不信、憎しみ、争い、さまざまなことがつきまとう。この小説の大部分は、どこにでも転がっているような、そんな話ですぎていき、最後のほうで、二人は疲れと深い苦悩を抱えて、パン屋にいる。だからこそ、「ささやかだけれど、役に立つこと」が生きてくる。このへんは、ストーリーテリングのうまさもあるだろう。

村上春樹さんの解説から……。"カーヴァーの小説には何かを食べる情景がよく出てくる。『でぶ』もそう、『大聖堂』もそうだ。そこでは人々は決しておいしそうなもの、上等なものを食べているわけではないのだが、それでも読んでいると自分も同じものを食べてみたいなという気持ちになってくるから不思議だ。僕は想像するのだけれど、カーヴァー自身食べることが大好きだったのではないか? それもたぶん日々の普通の食事を、普通に食べることが大好きだったのだろう。彼の小説はそのようないくつかの「スモール、グッド・シングズ」に励まされて成立しているように、僕には見える。"

おれなど、カーヴァーさんや村上春樹さんの足元の下の下の下の下の下…、はるかにおよばない谷底ドン底の男だが、当ブログやザ大衆食のサイトをごらんのかたはご存知と思う、ありふれたものをおいしく食べる、"日々の普通の食事を、普通に食べること"を大切にしたいと思ってきた。それを損なう、グルメ騒動や栄養健康食育騒動や下町昭和レトロ騒動に悪態をついてきた。

そして、今年のコンセプトは「好食」なのだ。おれも「スモール、グッド・シングズ」に励まされ、このブログやザ大衆食を続けよう。酔いどれは、やめられないが。カーヴァーさんは、アル中に陥りながらアルコールを断って再起した。ま、おれは、"日々の普通の食事を、普通に食べること"を損なうほどアルコールにやられてはいない。ちゃんと、日々「何かを食べるって、いいことなんです」を味わっている。つもり。

この話は、妻がパン屋に行って、息子の誕生日を祝うケーキを注文するところから始まる。ところがある事件から、それどころではなくなってしまう。ケーキは放っておかれる。パン屋は頭にきて、電話をする。ケーキのことは忘れられている。パン屋の電話はエスカレートし夜中の悪戯電話になる。夫妻は怒り心頭、パン屋へ出向く。パン屋は言う「あたしは奥さんが電話で言われたような邪悪な人間じゃありません」。パンを食べる、ささやかなことは、和解にも役に立つ。食べることが好きであれば、お互いの誤解をとき理解を深める助けにもなる。食べることって、そのようにいいことだ。とも読める。もっとも、会ってテーブルを共にできればのことで、電話で邪悪な人間と嫌われたままでは、どうにもならない。が、そんなこともあるなあ。

当ブログ関連。

2006/12/29「本気で考える「好食」」…クリック地獄

2007/01/12「飲食の楽しさの格別な意味」…クリック地獄

2007/01/14「ファンダメンタルな好食」…クリック地獄

2007/05/22「おれは生きている! お前も生きている!」…クリック地獄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/30

日本そば:中華そば:ラーメン

……身の程もわきまえず、人を裁くようなことばかりしているグルメは、食文化を貶めるだけ。
……やはり食べ物の話に興じる日本人はバカがおおいということさ。

けっきょく、かなしいかな、そういう結論になってしまった。ことわっておくが、そば屋で一緒に飲んだおれの連れは、なかなか食べ物にウルサイが、「グルメ」が大嫌いなのだ。「あなたはグルメですね」なんていわれようものなら、「おれをあんなバカドモと一緒にするな!」と血相を変えて怒る男だ。あんたもう65歳なんだから、あまりカッカするなよ。

眠くて中断した夜中の「女と日本そば」の話を続きを書こう。あまり愉快な話ではない。隣の席の、女にふられた話もあまり楽しいものじゃないが。

ようするにおれの連れが、顔見知りのラーメン屋へ行った。するとそこのオヤジがこんな話をしたというのだ。

このあいだ、冷しラーメンを注文した客がいて、つくって出したら、見るなり「これは冷し中華じゃないか」といわれたので、それなら食べなくてもいいよとスグひっこめた。客は帰って行ったが、ものには言いようがあるだろう。ウチはもう30年以上もこれを冷しラーメンでやっているし、知り合いの札幌のラーメン屋は、もっと前からこれが冷しラーメンだ。ああいうことをいう客がちかごろ増えたけど、どういうわけかね。思っていたのと違うといわれたら説明してやるけど、頭から「これは冷し中華じゃないかだよ」、そんな決まり、だれがつくったんだ、国語教育審議会かい。だいたい食べ物は食べてみて、うまいかうまくないかで判断してもらいたいね。

その話から、むかしは「中華そば」で、ラーメンとはいわなかったよな。そういえば、「そば」といえば中華そばで、いまフツウにそばと呼んでいるものは「日本そば」だったぞ、「そば屋」は「日本そば屋」と呼んでいたぞ。というような話になったのだった。

もともとゴチャマゼのものを分類しようなんて無理があるよ。だけど、そういうことをして偉そうにしたがるのがグルメというやつらでね。やつらは人様を採点し裁くことに夢中で、現実から学ぼうという姿勢がない。しかし「国語教育審議会」とは、うまい表現だな。偉そうなグルメは、方言や土着のもの、店や地域ごとの独自の歴史的発達を認めようとしない御用学者とおなじようなものではないか。そんなところに食文化が開花するだろうか。食文化こそ、それぞれの人びとの作り方しだいの自由なものでなければ。だけど、そういうココロザシのないものがグルメじゃないの。知ったふりして威張りたいだけの低脳の見本みたいな。

そんな話。

ちなみに、あてにならないWikipediaの「ラーメン」には、「呼称の変遷」という項があり、こう書いてある。引用……

昭和20年代までは「支那そば」という呼称が一般的で、「チャンそば」(チャンは中国の意)、「南京そば」(南京は「中国の」あるいは「外来の」程度のニュアンスで、都市としての南京を指すものではない)、あるいは単にそば、汁そばなどと呼ばれることもあった。

戦後、一般にも食べられるようになり支那そばや中華そばと呼ばれるようになった(ラーメンという言葉もあったが、中華そばの方が一般的だった)。この為、戦後の一時期、日本では「そば」「おそば」というとラーメンを指し、蕎麦は「日本そば」と呼称していた時代がある。現在も地方の高齢者の中にはこの呼び方をする人が多く、蕎麦屋を起源としているわけではないのにラーメン屋の店名に「そば」の字がある店も存在する。また、一部の中華料理店では長年「五目そば」とも呼ばれてきた。なお北海道では中華そば、支那そばという呼び方はほとんどされない。

1958年(昭和33年)に日清チキンラーメンが発売され爆発的ヒットして以降は「ラーメン」という呼称が標準的となったが、地域によっては中華そばのほうが通りが良い場合や、ラーメンと中華そばを区別して認識される場合もある。

近年ではラーメンの多様化を受けて、懐古的な意味合いから昔風のラーメンを支那そばと呼ぶ店も増加している

……引用おわり。

おれの体験は、ここに述べらていることに同意する。

また「冷し中華」については、「茹であげた麺を冷やし、酸味を利かせたタレをかけるのが一般的。夏限定で出される事が多く、風物詩ともなっている。なお北海道で「冷やしラーメン」と言うとこちらの方を指す。また、西日本で「冷麺」と言った場合も「盛岡冷麺」ではなく、こちらの方を指す。」とある。ラーメン屋のオヤジがいっていることは、これに即している。

冷しラーメンについては、「冷やし中華とは異なり通常のラーメンを冷たくしたもの」と解説しているが、しかし、冷し中華と冷しラーメンの区別も、かつてはこのように「厳密」ではなかった。

さらに気になるので、手近の本にあたってみた。

『B級グルメの基礎知識』(文藝春秋編、文春文庫ビジュアル版1989年)。「横浜中華街のツウになる基礎知識」「その五 午後の中華ソバがうまいというフシギ」では、「ところでこの街のラーメン事情はどうなっているのだろう」と書き出し、こう述べている。

「ただし、これらが厳密な意味では"ラーメン"と呼べないことを断っておく必要があろう。"ラーメン"といえば具のシナチク、チャーシューが必携品であり、時によってはナルト、ホウレン草、海苔などを伴う、いわば日本帰化食である」と言い切っている。著者は中島るみ子さん。

これに対しては、一例をあげておけば、こと足りるだろう。ごぞんじ、「中華そば」にこだわる荻窪の春木屋の「中華そば」は、そのラーメン必携のシナチク、チャーシュー、海苔入りなのだ。おれの記憶にあるほどんどの「中華そば」はこれであり、1962年に上京してのち、いつのまにか「ラーメン」というようになった。

「日本そば屋」の呼称は、70年代でも、そう呼んでいたような記憶がある。ということは「中華そば」が広く通用していたということか。

「厳密」という言葉を知っていても、「本質」ということを知らなくては意味ないだろう。細かく定義しても本質を欠いたら陳腐なだけだ。「厳密」とは「本質」に忠実になることではないかな。

とにかく、「そば屋」を、ワザワザ「日本そば屋」といわなくてすむようになったのはよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女と日本そば

そば屋で酒を飲みそばを食べていた。
「それで、その女とはここで酒を飲んだのが最後になったんだよ」男が言った。
もう一人の男は、黙って盃を傾けていた。
なんだか似たような話があるなと、おれは思った。
「だけど、どうもその理由がわからないんだ」男が言った。
すると、もう一人の男が、「嫌われたのだろ」と言った。
「だから、なぜ嫌われたのか、わからないんだよ」
「ほかに好きな男ができれば嫌われるさ」
どんな事情があってふられたのだろうか。
「納得いかないなあ。このままじゃ納得できないまま死ななくてはならないよ」
「そんなことないさ、忘れるよ。一年後に、おなじことを言っていたら酒をおごってやる」
おれは思わず笑って、酒を口にふくんだ。
おれのようなトシなら、もう死ぬまでひきずるだろうが、若いのだから、そのとおりだろう。男も女も、若ければすぐ忘れる。いくらでも楽しいことがあるし。おれは、そんな風に思った。
「おれの話を聞いてるのか、むかしはそば屋のことを日本そば屋といったよな」
おれの連れが、そういったので、おれは気がついた。
「そういえば、そうだ、なぜ、わざわざ日本そば屋といったのだろう」

午前2時半、眠いのでオシマイ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/29

「緑資源」をどうするのだろう、どうなるのだろう

Oganoosizu0705農林の大臣が自殺して世間は「政局」に関心が動いているようだ。だけど、このさい、「政局」より「緑資源」つまり山林資源は、どうなっているか、どうなるのか、とくに都会者は、そのことにどう関係していくかを考えてみる、いい機会ではないかなと思う。

マツオカさんというひとは、おれがちょうど熊本県の奥地でシゴトをしていたころ、そのへんを地盤に国会議員になったかたで、ちょっとだけ縁があった。そのころは宮崎県側の、のちにやはり農水大臣になったセンセイとも縁があり、このかたとは六本木でカラオケなんぞをやったりしたが、ようするに田舎で農林業に関係する何かをやろうとするなら、そういう付き合いが有効だった。

だから、自殺したからと同情し、すべてをチャラにしてあげるのはマチガイと思うが、そういうことではなく、マツオカさんの不幸に同情したいところはある。マツオカさんが、どんなに悪いことをしていたかは知らないが、たいがいのひとがやっているフツウのことをしていたのではないかなと思う。ましてやマツオカさんは「族」議員だ、ほかの「生き方」を知らなかったであろう。

なるほど「政治とカネ」のモンダイは大事だ。しかしだよ、そのモンダイが生まれる根源には、なんでも「政府頼り」という、とくに農林業の構造があるからではないか。なんでも「政府頼り」というのは、当事者は「政府頼り」であり、当事者以外の都会者は「政府まかせ」の無関心。「食育」だの「自然はすばらしい」だのと能書きたれていれば、食べていける。田舎では、キレイな水と空気だけでは生きていけないと利権にすがる。この構造があるかぎり、マツオカさんは生き続ける。ときにはマツオカさんのような犠牲をだしながら。

マツオカさんにかぎらず、「農村票」の地盤では黒いウワサはたえない。簡単にいってしまえば、それは議員だけではなく、選挙民自身が「利権」構造の末端を担いながら「生きている」からだ。

どの陣営につくかで実入りがちがってしまう、けっこうシビアな生活。うっかり反対陣営についてしまったら、オイシイ情報はあとまわしで、スカしか手にできない。没落を強める田舎で、それがどんなに恐ろしいことか、食料を与えられず、山の中に置き去りにされるようなものだ。

そしてイイ情報の結節点にいれば、あらフシギ「口利き料」のようなものが、入ってきたりする。逆にいえば、そういう地域へ行って、うまくシゴトをすすめるには、要所に納めなくてはならないものがある。貰うにしても、納めるにしても、法を犯さないようにやる。しかし、長い「癒着」で習慣化された「取り引き」は、ついイイカゲンになり、複雑な利権環境のなかで政敵にあばかれたりする。

とにかく、大小のマツオカさんが、フツウの人たちのあいだに、ごろごろいることでコンニチの農林業は成り立ってきたといっても言い過ぎではないだろう。それは言い換えれば、それで食糧政策は成り立ってきたのだ。

日の丸ハチマキでノキョーに動員され、特定候補の演説に集まる絵は、最近は表立っては、あまり見かけないが、その構造は、いまもって生きている。政治家と高級官僚は談合や天下りや利権の構造つくり、その末端にぶらさがりながら生きなくてはならない農林業のナサケナイ状態。これは「食育」なんぞでは解決しない。

それ以外の「正しい生き方」が望ましいのは、誰もが何度かは考えるだろうし、そのように「自立」した人たちもいる。だけど容易ではない。まだまだ、たとえば今度の参議院選挙でも、農協の幹部が自○党から立候補する。当選するだろう。

「農林」とまとめて言うが、何度か当ブログで書いてきたように、「稲作農家」が特別に優遇されてきたのであって、林業は、ずっと以前から「没落」の一途たどっている。

一方で、森林は生命の源であり、林業は農業や近海漁業の源であることは、リクツでは知られてきている。しかし、こころもとない。一度ニンゲンの手が入った山は、もはや自然ではなく、それなりに管理をしていかないとダメになる。そのマイナスの影響すら、計算されてない。

2006/08/27「幡ヶ谷、森林再生機構に1億円を!」では、「大衆食堂より明日がない林業に再生の道はあるのか。ナイに決まっているだろう」と書き、だが当面1億円あればと書いたのは、冗談ではない。そのように、自分の見える範囲で希望を持つことが、これほど絶望的になった食糧環境である緑資源のために必要であり、不幸なマツオカさんを根絶するために必要だと、不肖エンテツは思うわけであります。

マツオカさんも、おなじ悪いことするなら、われらが森林再生機構に1億1千万円工面してくれたら、1千万円献金してあげたのに。そしてその1億円は、道路をつくるだけで林業はしない土建屋に流れることなく、緑資源に投入されたのに。

画像は、没落林業の里の、没落林業の家から見た、未来のない緑資源。前の道路を走るバスは、年々本数が減り、いまでは一日4往復ぐらい。人口もドンドン減って、小学校も中学校もなくなった。しかし道路だけは拡張されている。この奥の林道は、立派に舗装され延びている。おかげで、たまにの登山のときには、あまり歩かなくてすむようになったが。立派な道路はできるが、成長したまま放置される林。林業家は没落。マツオカさんの姿は、この日本の姿だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/28

二日酔いの朝にアル中小説を読み

Yomiuri0705_gyonikusoああ、ひどい二日酔い。二日酔いがひどいと、なぜマブタの裏が痛むのだろう。マブタの裏が痛むのか頭が痛んでいるのかワカラナイが。

昨夜は、大宮いづみやで飲み人の会。出かける前に、画像の読売新聞5月26日の夕刊が届いた。魚肉ソーセージの留め金が、「けが心配」「分別大変」などの消費者の声で消える。社会部の記事というところがオモシロイ。日常の何気ないところに、かえって本質的な、社会や人の変化がみられる。大事件だけじゃなく、こういうところに目配りのきく社会部っていいな。記事の最後に「大衆食に詳しいフリーライターの遠藤哲夫さん(63)は「開けるコツは、犬歯をうまく使うことだが、ヒヤッとした金属の苦みが口の中に残るのが印象的。野趣のあるものがだんだんなくなるのはさみしいですね」と話す。」と、おれのコメントがのっている。

飲み人の会は6時から。ちょい前にいづみやに着くと、シノさんがすでに飲んでいた。彼は中野からの参加だが、これで1月の最初から毎月「皆勤」。ほぼ時間通りに、地元のモンクさん、小岩のタノさん、川崎のクマさん、阿佐ヶ谷のオッタチトウフさん、かんぱーい。7時近くに地元のコンさんあらわれ、これで参加予定者すべてそろう。とにかく飲む飲む食べる食べるしゃべるしゃべる。いつものように大雑把にたのしく。おれは、予定どおり、ビール、ホッピー、梅割りと飲み継いで、最後によくきくアヤシゲ黒糖焼酎で、すっかりできあがり。10時閉店。もう一軒という声もあったが、もう飲めない、解散宣言。

朝、キツイ。午後イチまでにやることがあったので、ムリヤリ身体を動かす。片付け、横になって、村上春樹訳の『レイモンド・カーヴァー傑作選 CARVER'S DOZENカーヴァーズ・ダズン』(中公文庫)を読む。このあいだ2007/05/12「「古本暮らし」で「人生派」を考える」でカーヴァーの『ぼくが電話をかけている場所』を思い出し、読みたくなったのだ。いまは、この短編は、この傑作選に収録されている。二日酔いの頭で読むアル中小説。村上春樹も書いているが、「まったくもって明るい話ではないのだけれど」「読み終えるたびに「巧いなあ」とつくづく感服する」。まさに。

うげっ。吐き気をこらえて。ほんとあの黒糖焼酎は翌日の午後すぎまで、悪い酔いを残してくれるよい酒だ。これから、昨夜、オッタチトウフさんにコピーをもらった、田中小実昌編の『日本の名随筆66 酔』のなかの内田百閒「わが酒歴」を読むのだ。二日酔いで、アル中小説や酒歴話を読んでも、二日酔いがひどくなることもアル中になる心配もないだろう。読むだけならば。じつは、ビールを飲みながら読もうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/27

秩父は小鹿野町のわらじかつ丼

Ogano_warajikatu「粋だね!昭和の大衆食」だって。名前は「粋」とはいえないようだが、くってみねえ。ソースカツ丼だが、おもしろい名前をつけたものだ。昭和の初めごろの生まれらしい。小鹿野は、雑穀食の伝統が生きている。つつっこやえびし、キビ入りのおこわ。うまい蕎麦屋もあるよ。栗原製穀のそば粉も小麦粉もいいねえ。コンニャクもいいねえ。戸田牛乳、コクがあってうまい。ああ、酒は、隣の元吉田町になるが、小さな酒蔵、和久井酒造を、よろしく。その近くの七平豆腐、うまい!えーと、そうそう、わらじかつといえば、小鹿野町のクアパレスには、手づくりのわらじが売っている。「チエばあさんのわらじ」は、はくのがもったいない、飾りになる、なかなかよくできたわらじ。温泉に入って、わらじを買おう。ってな。ぐはっ。

ま、とにかく、きょうも忙しいから、この画像を掲載してオシマイ。
「前へ!」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/26

今日の読売新聞夕刊 ちょっとだけ

さきほど読売新聞の記者から電話があって、2007/05/14「たくましく やりたいねえ プロセス主義」に書いた魚肉ソーセージの話、ちょっとだけだがおれのコメントとして、今日の夕刊に載せたそうだ。東京地方版だとおもうが。記事全体は、留め金がなくなるという話題らしい。お手近にあったら、ごらんください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カレーライスの歴史 もうちょっと責任ある発言がほしい

ちかごろ、丼物の歴史については、汁かけめしや芳飯からの発生や流れを説明するものがふえた。おれも、2007/05/10「5月10日発売『旅の手帖』6月号」に告知した寄稿では、そのように書いているし、本文のほうにも、そのような解説が見受けられた。

このばあい、難点が一つあって、室町期の芳飯については説明があっても、汁かけめしについては欠落しやすいことだ。それは、芳飯は、天皇や高級貴族が食べたもので文献にも明快に書かれているし、なにより権威主義におかされている世間では、天皇や高級貴族が食べていたとなると、通りがよい。だから、「芳飯」は汁かけめしの一種である、みそ汁ぶっかけめしの仲間なのだ、といった説明はないまま、イメージのよい芳飯の話に偏りがちだ。

しかし、それでも、丼物という料理を、ドンブリという器の始まりや言葉の始まりから説明していた、ついこのあいだまでの状況とくらべたら、かなりよくなったといえる。丼物とは、どんな料理か、あきらかになってきた。といえる。『汁かけめし快食學』の売れゆきは、イマイチだが、それなりに関心が高い、あるいはクロウト筋に読まれて、多少その影響もあるかな、と思われる。

モンダイは、カレーライスなのだ。これは、もうメチャクチャといってよいぐらい混迷を深め、あいかわらず根拠のない話が横行している。

そもそも「ライスカレー」の名付け親として、たいがいのカレーライスの話に登場していた北海道大学のクラーク博士さんは、いまやほとんど姿を消しつつある。Web上でも、かつては、そのように説明していたのに、いまでは削除されていて、あれまあ証拠として保存しておくべきだったと思ったりする。

その話は、もともと根拠がなかったのだ。そして、いまは、北海道大学のサイトの「よくある質問と回答」で、明快になっている。つまり「Q.クラーク博士について」の「3、クラーク博士とカレーライスについて 」で、このように説明している。さすが「学問の府」だ。
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/q/faq.html#9から……

 クラーク博士とカレーライスの係わりについて,「ライスカレーの名付け親はクラーク博士」,「日本のカレーライスの発祥は札幌農学校」,「生徒は米飯を食すべからず,但しライスカレーはこの限りにあらず。と農学校の寮規則に書かれていた」というのは本当のことか,事実なら資料を見せてほしい,という問い合わせを多くいただきます。
 しかし,札幌農学校当時の記録で[カレー]の記述があるものは,明治10年9月の取裁録(公文書を綴ったもの)の中の,買い上げの品として「カレー粉三ダース」,明治14年11月の取裁録の中の,「夕食<パン バタ 肉肴之類ニテ二品 湯 但隔日ニライスカレー外壱品>」,この2点の史料のみで,クラーク博士とカレーを結びつけるはっきりとした史料は残っていません。
 ただ,当時の状況としては,開拓史顧問のホーレス・ケプロンらによるパン,肉食の奨励に対して,農学校においてもこれを採用しており,恵迪寮史(昭和8年刊行)には,「札幌農学校・札幌女学校等はパン,洋食をもって常食と定め,東京より札幌移転の時も男女学生分小麦粉七万三千斤を用意し米はライスカレーの外には用いるを禁じた位である」と記述されています。また,「ライスカレー」の名称については,北海道立文書館報『赤れんが(昭和59年1月号)』の古文書紹介の中で,「開拓史の東京出張所では,明治5年に既に御雇い外国人の食事のために,コーヒーや紅茶,〈タ(ラ)イスカレー>を用意していたとの記録がある」と記述されています

……引用おわり。

このように明快になる一方で、まだ、「カレーライスの歴史は服部流割烹家元にあり!」と、こんなことをいっている人たちもいる。

「グルメ豆知識 日本初のカレーライス」
http://www.life-talk.net/other/saying/kako/07_hattori.htmlから

カレーライスの歴史は
服部流割烹家元にあり!

お題はこちら:「日本初のカレーライス」

視聴者の方から「カレーライスは、服部専門学校の校長(テレビによく出ている人)のおじいちゃんが作ったものらしいです。正確な情報を是非調べてください。」といったメールをいただきました!そこで、「学校法人服部学園 服部栄養専門学校」様に問い合わせたところ、服部幸應氏のお名前で正式にご回答をいただきました。

カレーライスの始まりは・・・
「服部流割烹家元」13代服部茂一氏が、明治18年から服部式料理講習会にて、カレーを教えたのが始まり。ここで注意したいのが「カレーオンザライス」と「ライス&カレー」の違い!服部式料理講習会にて広められたのが、ライスの上にカレーを乗せる「カレーオンザライス」で、ライスとカレーを別々に出す「ライス&カレー」は欧風式の出し方だそうです。

服部式:カレーオンザライス 欧風式:ライス&カレー

「服部流割烹家元」13代服部茂一氏は、カレーライス以外にもトマトを料理に取り入れたり、ハヤシライスなども日本で初めて料理のメニューに載せた人物だそうです。

情報提供:学校法人服部学園 服部栄養専門学校 様

……引用おわり。

それなら、いったい、いま引用したばかりの北大の資料とのくいちがい、あの横須賀海軍から始まったという説や、ほかにもいろいろ明治時代の初めてのカレーライスの話があったと思うが、それとの関係はどうなるのだろうか。それに対する説明責任は、必要ないのか。もし、この「服部式」なるものが、日本初だとすると、これまでのさまざまな説を否定するだけの、説明責任があると思う。

が、しかし、こうもいろいろな説が、しかもかつては耳にしたこともない説が「新発見」されるのは、どこか根本がイイカゲンで、よく調べもせずにその場その場でテキトウなことを言っているからだと思わざるを得ない。

それは、『汁かけめし快食學』にも書いたが、根本的な一つは、食べればなくなる料理の歴史を、どう考えたらよいかについてだ。そのことについて、考えられてない。本にのっている料理は、すべて作られ食べられていたとする根拠は、どこにあるのだろうか。

それから、「カレーライス」という言葉の歴史、その言葉が登場する出版の歴史、それらを含めたカレーライスの風俗の歴史と、料理の歴史をゴチャマゼにしていることだ。そのことも『汁かけめし快食學』にも書いたが、世の中には、おなじ名前でちがう料理、おなじ料理でちがう名前なんていくらでもある。それは、風俗のことであり、料理のことではない。

料理は手作業から生まれる。ある味覚を作りだす手わざやその習慣の歴史を考えなくては、料理としてのカレーライスの歴史にならない。

そこを考えれば、「伝来」したとされる「カレーライス」の何が伝来したのか、料理としてのカレーライスなのか、名前なのか、カレー粉なのか、そのすべてか一部か、そして、日本人の手わざや習慣はどう関係しているのか。など検討しなくてはならないだろう。

とにかく、自分が発表したことについては、ナニゴトにせよ、きちんと説明できる責任がある。まちがっていたら、説明し訂正が必要だろう。そういう責任を、ちっとはかんじているのだろうかと思わざるを得ない話が、カレーライスには多い。

そういう本が、おれの『汁かけめし快食學』より売れている。……って、なーんだ、そういう愚痴をいいたいのか。

いやいや、しかし、マジでよ、「国民食カレーライス」について、根拠薄弱な無責任な発言が許されているが、それでいいのか。これはワレワレの歴史なのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/25

大構想 小説料理物語

Konoememo_1忙しい。というか、図書館に通ったり、ウチの資料をひっくりかえしたり、調べものに没頭熱中夢中になっている。

ファイルから、これを見つけて、「わーお」と声をあげてしまった。そうなのだ、すっかり忘れていたが、以前に、「小説料理物語」ってなかんじのものを思いついたことがある。そのころおれはマーケティング・プランナーでくっていて、紙の上をウロウロしているような糞ライターなんてものには興味がなく、江原恵さんにその構想を話し、書いてもらおうとしたのだった。

そのおれの構想のメモ、それを見てその気になった江原さんが調べたメモ、などが出てきた。江原さんからの封筒は、1990年の年賀切手が貼ってあり、愛知県日進町の住所になっている。おれの住所は渋谷区千駄ヶ谷だ。消印は2月17日が読みとれるが、年はわからない。おそらく1990年のことだろう。

これは、『汁かけめし快食學』の254ページ「ルネッサンスなかけめし」にも書いた、1643年に本になった『料理物語』を近代料理思想の萌芽と見立て、それ以前100年ぐらいから始まる、日本近代料理物語を構想したものだ。おれはそれで、江原さんの『庖丁文化論』をおもしろい読物に展開することをもくろんでいた。中里介山の『大菩薩峠』のように、主人公以外のさまざまな人物が物語をつくり、いくつもの説話が連続する、厖大な構想だった。

江原さんは、すごい興味を示し、一人ではやれないから一緒に書こうといってきた。おれは、調べたり構想つめたりぐらいは付き合ってもいいからというような生返事で、たしか二度ばかり江原さんの自宅まで行き、また江原さんが講演などで上京したときには会い、そしてメモを郵便でやりとりしていたのだった。

おれのメモの一つには、こんなことが書いてある。「室町末期から戦国時代そして江戸時代初期は、今日までつながる、生活思想とそのカタチ・文化の草創期である。「料理はつくりかたしだい」と『料理物語』でいいきった、あたらしい生活思想の持ち主である料理人たちの誕生と、その目をとおしてみた、近代日本の源泉をつくった「非政治家」のバイタリティを描く」

物語の引き回し役の一人に、実在の人物である、近衛前久(さきひさ)をあげている。1536年に生まれ1612年に没した彼をみつけたのは、近かったのでよく利用していた原宿の渋谷図書館で調べものをしていたときだったとおもう。たしか、その時代の茶人たちを調べていて、近衛前久にたどりついたのではなかったかな。どうも図書館で調べものをしていると、すぐ脇道に入ってしまう。それで、こういう人物に行き当たることもある。この人は、摂政関白家の血筋で、関白になった近衛家16代の当主だが、資料から想像すると、とんでもなく自由奔放な生き方をしていた。時代がとんでもなくでんぐりかえっていたこともあるが、おれは自由奔放が大好きだから、エエッこんな公家がいたのかよ、と激しく興味をもってしまった。

『料理物語』には、二つだけ、貴族のニオイが強い「餅」が登場する。「御所様餅」と「近衛様雪餅」だ。江原さんの『料理物語・考』でも、その考察にこだわっている。これが料理物語の成立と深い関係をしめしていると見立て、そこに近衛前久をからめていく。ま、ようするに近衛前久と女、近衛前久の妹や娘をめぐる男たち、その男たちのなかに料理人がいて、この名前の料理が残ることになった、というのが、おれのそもそもの思いつきの発端だった。それは、実在したが不明の『料理物語』の著者の輪郭をうきぼりにするはずだった。

メモをみると、江原さんは、おもに実在あるいは伝説上の人物のリストアップと諸事件、おれは料理にからむ架空の人物の構想といったぐあいで、おれはもっぱら想像というか妄想というかをたくましくしている。うーむ、なかなかオモシロイ。きのうの夜、あるところで見知った女が男といるところを見かけたことから、おもわぬ想像や妄想が働いたりする。きのうのことも、数百年前のことも、おなじなのだ。

……と、こうしちゃいられない。忙しいので、このへんで今日はオシマイ。

画像は、江原さんのメモ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/24

玉川奈々福さんの師匠、福太郎さん亡くなる

Hukutarou22007/05/22「おれは生きている! お前も生きている!」に「玉川奈々福の浪花節は、「おれは生きている! おまえも生きている!」と生活感満々で、いいねえ」と書いたばかりだが、その奈々福さんの師匠、玉川福太郎さんの死亡記事をみつけた。突然の事故死。61歳。

なんともいいようがない。

昨年末12月16日、奈々福さんの襲名披露で喉を聴き、そのあと打ち上げ飲み会で一緒だった。玉川一門の師匠であるだけでなく、浪曲界にとって、大事な人だった。

福太郎さんの口演というと、天保水滸伝をはじめとする、男は度胸よ愛嬌よ、義侠の二字を横抱き走るステキな男たちの世界が、なんといっても妙味があり高い評価を得ていたとおもうが、おれが忘れられないのは、何年前だろうか浅草の木馬亭で聴いた、明治の探偵ものだ。築地署の探偵が活躍するそれは、山田風太郎の「明治波濤歌」の世界を髣髴とさせた。例によって、いいかんじで盛り上がったところで、「ちょうど、時間と、なりました~」でおわった。もう「うまいっ!」としか、いいようがなかった。あの続きを聴きたいと思いながら、ついに聴けなかった。一見、鬼瓦のようなコワソウな顔、まさに「男は度胸よ愛嬌よ」というかんじで、舞台度胸はよく、そしてふだんの笑顔はカワイイぐらい愛嬌があった。

黙祷。

奈々福さんは頼りとする師匠が亡くなり、大ショックだろうが、のりこえてほしい。
(画像は、一昨年の連続独演会「玉川福太郎の浪曲英雄列伝」のチラシから。「天保水滸伝」といい名口演だった。福太郎さんが亡くなって、「天保水滸伝」はどうなるのだろうか。奈々福さんは最近、福太郎師匠にいわれ、稽古を始めたばかりだった。)


浪曲師の玉川福太郎さん死亡=田植え機の下敷きに-山形
5月24日1時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070524-00000003-jij-soci

 23日午前10時50分ごろ、山形県酒田市北俣の農道で、浪曲師の玉川福太郎(本名佐藤忠士)さん(61)=東京都足立区本木=が田植え機を運転中に田んぼに転落して田植え機の下敷きとなり、病院に運ばれた。県警酒田署によると、玉川さんは午後10時18分、低酸素脳症のため死亡した。
 同署によると、玉川さんは酒田市北俣にある妻の実家に農作業の手伝いに来ていた。田植え機をしまうために運転していたところ、農道の左カーブを曲がる際に左側の田んぼに転落し、田植え機の下敷きになった。同署が詳しい事故原因を調べている。
 玉川さんは山形県生まれ。1990年に文化庁芸術祭賞を受賞している。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/05/23

素敵なあなたの素敵な思い出

あなたの姿が目に入ったとき、あなたがいとしくなって光輝いて
この世界がまえと違って新しくなったように見えた
私はあなたが本当にステキだと認めなくてはならない

……と、このタイトルと書き出しで、アラッわたしのことを書く気なのかしらと胸をときめかせよろこんだアンタ。そんなアンタはきっとおれに惚れているにちがいないとおもうが、いっこないか。

なにかとバタバタと落ち着かないときは、ちょこちょこ調べては書きためていた軟派ネタをアップする。これは、それだ。

青春時代におれの頭に棲みついてしまった一曲。ジャズのスタンダードとして有名な「素敵なあなた」は、おれにとっては特別なのだ。いまでも気がつくと、そのメロディを鼻歌しているおれがいる。それにしては、自分の鼻毛について考えたことも調べたこともないように、よく考えたことも調べたこともなかった。アンドリュー・シスターズが歌って大ヒットしたぐらいの知識しかなかった。それをネットで調べたのだ。わかったことを書こう。

ラジオ関東(現・RFラジオ日本)が開局したのは、1958年12月24日。1943年生まれのおれは、15歳だから、中学3年の冬ということになるだろうか。その深夜放送の番組だった。番組名は正確にわからない。どうやら「ミッドナイトミュージック」らしい。オープニングミュージックのタイトルである「素敵なあなた」が番組名のように思っていた。とにかく、24時ごろから始まる、「洋楽」中心のデイスクジョッキーだったような気がする。

おれは、「素敵なあなた」以前から深夜放送を聴いていた。年表によれば、ラジオの深夜放送は、日本文化放送(現・文化放送)が1954年7月11日に最初に始めた。1954年というと、おれは11歳だから小学校5年生だろうか。だが、そのころおれは深夜放送を聴いてない。そもそもウチにはラジオがなかった。

はっきりしていることは、小学校6年生のときに、おれのウチはおれが小学校4年に倒産し離婚再婚4畳半間借暮らしのち、オヤジは再起し家を建て引っ越した。そこで初めて「自分の部屋」を持った。部屋にはラジオがあった。それで深夜放送を聴くことになった。

「素敵なあなた」のほかに記憶のある番組というと、23時ごろだったか24時ごろだったか、とにかく「素敵なあなた」が始まる前、10分ぐらい、大橋巨泉と前田武彦の「きのうの続きはまたあした」といったか「きょうの続きはまたあした」といった番組があって、これはほぼ毎日聴いていた。内容は覚えていない。どうってことないおもしろい話だった。

「素敵なあなた」は、毎日ではなく、週一ぐらいだったのではないかな。その夜が楽しみだった。モノを買うという習性があまりなかったせいもあってか、このシングル盤を買おうなどとはおもいつかず、ひたすら放送の日を待った。この曲を聴けば大満足で、番組の洋楽はおまけのようなものだった。

2階の6畳の間。廊下側は障子、反対側に一間の床の間と半間の押入れ。床の間は、カネがなくなって上塗りされないままの荒壁だった。そこに木箱を置き、その上にレコードプレーヤーを置き、その上にラジオを置いた。

ド田舎の深夜、静まりかえって、ラジオの音しかない。声変わりしニキビ面したおれは、それを待っていた。とりわけ、その声は、宇宙の彼方からやっと届いたかのようだった。古いレコードから出る音のように、かすれていた。そのかすれぐあいが、深夜の風情にピッタリだった。心もとなく、孤独な、そしてあとで知った言葉をつかえば、切なく色っぽかった。

原題は『Bei Mir Bist Du Schon』(バイ・ミア・ビスト・ドゥー・シェーン)。調べてわかったのだが、ラジオで使用され、おれが何回も聴いたのは、キーリースミスとルイ・プリマがカバーした盤だった。邦題は「美わしの君よ」とのことだが、そのタイトルの記憶はない。

YouTubeで聴けるアンドリュー・シスターズの『Bei Mir Bist Du Schon』には、当時の雰囲気がある。ま、カバーしたほうが、その雰囲気をまねたのかもしれないが。
http://www.youtube.com/watch?v=4Vvo3MaFcxw&mode=related&search=

このうたは、やはり深夜に聴くのがいい。

深夜に一人で聴いていると、ほんとにあれから半世紀もすぎたのだろうかとおもう。

最初の書き出しは、邦訳の一部をつかわせてもらった。こちらに詳しくある、クリック地獄。原題からしてそうだが、ユダヤ系の作詞だそうだ。世に出るまで、出てからも、ドラマがおおかったようだ。

あなたの姿が目に入ったとき、あなたがいとしくなって光輝いて
この世界がまえと違って新しくなったように見えたわ
私はあなたが本当にステキだと認めなくてはならないわ

歌詞は、女が男をおもってうたったものだ。こうまでいわれた男は、やっぱりうれしいのだろうな。が、ごちゃごちゃいわずに、いきなり抱きしめてキッス、ね、ベッドへいきましょうよだって、悪くはないのだ。ただ、それではうたにならないだけ。

深夜生活の一般化は、有史以来の生活の基本パターンを変える、決定的なデキゴトだったといえるだろう。それは古きよき時代といわれ、そこに正しい生活があるかのようにいわれる、昭和の戦後が生んだのだ。

田舎の片隅まで深夜生活が開発されていた時代。1958年8月、日清食品「チキンラーメン」発売。9月、タバコ自販機開発。朝日麦酒、缶ビール発売。12月23日、東京タワー完成。中学3年の冬、おれには素敵な女はいなかった。すくなくともいまでも覚えているような。

| | コメント (2)

2007/05/22

おれは生きている! お前も生きている!

 週刊誌「タイム」の編集長だったマシューズ氏に言わせると、ジャーナリズムで最も大切なのは、レポート(報告)することではなく、コミュニケート(伝達)することである。
「何を伝達するのですか?」と私は訊いた。
「最も大切なことは」と彼は言った。「リングの一方の男が言う言葉だ。『おれは生きている! おまえも生きている!』すると、その対戦相手もその気持を汲んで言う。『おまえの言うとおりだ! 二人とも生きている!』」
 これこそ「タイム」のようなニューズマガジンをつづける要諦であると私はいまだに思っているが、それはボクシングの試合を観に出かける立派な理由になる。テレビジョンは、放置しておくと、私たちを部族総会以前の状態に逆もどりさせてしまうかもしれない。すなわち、家族が最大の話し相手だった時代へ。

……『ザ・ニューヨーカー・セレクション』(アーウイン・ショー他、常盤新平訳、王国社1986年)のなかの「肉眼で見るボクシング」( A・J・リーブリング)から。

いまや、テレビジョンどころかパソコンもろもろのメディアは、家族すら話し相手でなくしてしまったようだ。かりに家族や友人知人との会話でも、メディアを仲介した、つまりメディアのネタをコミュニケーションのネタにしたコミュニケーションが、幅をきかせている。そして肉眼をつかうときにはすでに、その眼は、メディアから得たガラクタ情報で曇りきっている。空から明日の天気を読むのではなく、天気予報のつまった頭で空を見るように。

そもそも。「おれは生きている! おまえも生きている!」「おまえの言うとおりだ! 二人とも生きている!」に、おれは生々しい生活感をおもうが、コンニチの日本の商業メディアはとりわけ、こうした生活感を失っている。レポート(報告)もコミュニケート(伝達)もなく、煽動や脅迫と説教と自慢だけだ。

尊大な「評論家」や「作家」、おれのようなしがない「ライター」、そんな似非ツラをしてメディアを賑わす人たち、彼らの功名心によるお節介のおかげで、生活感のない話と情報が氾濫し、生活感のない空間が広がる。それを、ま、「情報化」というらしいのだが。

コンニチの活字文化、ブンガクなんてのは、そういう生活感を失った表現の頂点に立つものだろう。どんなブンガクの形式だろうが、生活感が失われてしまった。そしてその形式についてだけは、やたらうるさい。その場面に、飲食があり、人びとが生きる街はあってもだ。そこにあるのは生活から生活感をひいた飲食や街……。体裁も文も整っているが生活のニオイがしない。それが「美しい」といわれる。

「おれは生きている! お前も生きている!」というニオイすらなく。再開発されたビル街のようだ。そういや、ちかごろの落語や落語ファンもそうだな。そこへいくってえと、玉川奈々福の浪花節は、「おれは生きている! おまえも生きている!」と生活感満々で、いいねえ。とにかくいま、ブンガク的洗練とか、ゲージュツ的洗練とかいうと、そのように生活感を削り落としてしまったものなのだ。

ともすると、おれはこれを知っている、おれはこれを見つけた、すごいだろう、これはこういうものだ、こういうことだ、あるいは、ああもうだめ、助けてちょうだい、だめな人間なの、泣けるでしょ、笑えるでしょ、日本沈没だ~……そんなことを微にいり細にいり、針小棒大に述べる。ああ、わかったわかった、あんたは物知りだ正しい、そのうえ検索機能つき書庫みたいだ。ついでにいえば、身近な人が死んだりガンになってイノチの大切さに気づいたなんて、単に想像力がないだけのバカではないか。そのていどのものが、後世に残る創造的なことをやっている顔をしている。

汗が飛び散るほど殴り合うように、「おれは生きている! お前も生きている!」と言い合えなくなったムナシサよ。

が、しかし、せめて、飲食のときぐらいは、「おれは生きている! お前も生きている!」とやりたいものだ。おれが主張する、食事は「生命(いのち)をつなぐ祭事」とは、そういうことなのだ。そして「気どるな、力強くめしをくえ!」は、こうしてブログの路地裏で、しぶとく貧乏に生き続ける。

「大衆食 飲み人の会」が、「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」を掲げるのも、べつに「よい店よい酒よい料理」はどうでもよいということではない。もちろん、飲み人の会の会場となる飲み屋は、「よい店よい酒よい料理」と縁遠いということではない。強いて言えば「おれは生きている! お前も生きている!」というニオイのする店だ。いやべつに、そういうニオイがしない店でも、ワレワレがいることで、そういうニオイが店の空気になるようになりたいものだとおもう。

ようするに、「楽しく飲む人間をみがく」とは、つまり「おれは生きている! お前も生きている!」とコミュニケートする力を育むことなのだ。これだけ飲食について誰もが語るようになった時代に、いちばん欠けているのは、それだろう。

自分が、モンダイなのだ。いつだって。

なんだか演説のようだ。まもなく午前1時。

おれより若い男、ただのリーマンだが、5回も結婚しているやつがいて、ショックをうけ悪い酔いしてしまった。きっと、いつも金持ちの女を選んでいたにちがいない。でないと、たいがいおれのように離婚貧乏に落ちるはずだが。

そうそう、タロウさーん、会社辞めたんだってね、妻と子をかかえてプーだから、これがほんとのプータロウだってねえ。エルからのハガキには、おれが「目標」って書いてあったけど……。ってことは酒とバラとビンボーかい。

ま、いいじゃないの、後をふりむいてもゴミばかりだから前をむいて、「おれは生きている! お前も生きている!」と生き抜こう飲み抜こう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/19

京都市右京区 だるまや食堂

このようなメールが届いていた。10数名しか入れない小さな食堂のようだが、サイトをつくって、しかも英語版も携帯サイトもあって、積極的に宣伝しようということだろう。大衆食堂の生き方も、さまざまになるにちがいない。たくましく力強く生き抜こうじゃないですか。

こんど京都へ行ったときは入ってみたいものだ……といいつつ、いつも行くと飲みすぎて、いろいろ教えてもらった食堂に寄らずに帰って来ることがおおく、行かねばならない食堂がどんどんたまっていくのだが。だから、いつまでも、京都へ行きたい行かねばならない理由が存在するわけでもある。

とにかく、みなさん、よろしく~

………

ザ大衆食 御中

初めまして。お世話になります。
だるまや食堂と申します。

当店このたびホームページを開設しまして、ぜひご覧いただきたくメール差し上げました。

380円定食約10種ほか、多数の定食・麺類・丼物を取りそろえております。遠方ではございますが、もし機会がありましたらお立ち寄りいただけると幸いに存じます。

なお、ホームページは英語版・携帯サイトもございます。
よろしくお願い申し上げます。

〒616-8016
京都市右京区龍安寺西ノ川町8番地
だるまや食堂

URL http://www.eonet.ne.jp/~darumaya-syokudo/

………

ところで「だるまや」といえば、ザ大衆食のサイトには西京区桂の串の店「だるま」を載せてある(クリック地獄)。この店と、この「だるまや食堂」は、なにか関係あるのだろうか。ないのだろうな。桂のだるまには、このあともいつだったかな?京都へ行ったときに寄って、べろんべろんに酔って正体をなくしてしまったのだが、ひげのマスターは元気にやっているだろうか。

ああ、こうやって書いていると、また京都へ行きたくなる。なにか仕事がないかね。でも、仕事だと、あまり酒飲めないしなあ。でも、ときには、あまり飲まずに、マジメに食堂めぐりをするのも悪くないか。でも、飲むのを自制した旅ってのもオモシロクナイし。ま、どうでもよい、とにかく、行きたい。


関係ないが、さきほど書いたことに関係。きのう入った、ション横の岐阜屋で、初めて気がついたが、あそこのシューマイは蒸すのではなく、麺をゆでるときのザルにいれて熱湯に入れて茹でるのだ。知らんかった。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

新宿ション横で、どうにもとまらない話

きのうのこと。夕方、新宿ション横〔鳥園〕で待ち合わせ。JR西口を出て、なんとなく地下道を選び、丸の内線自動券売機の広場を通りながら思い出したことがあってチトためいき。地下鉄ビル地下街に入るが、かなり以前に全面的にさくらやになってしまって、むかしよく飲んだ闇市なごりの店はあとかたもなく。ション横も来るたびに変わっている。思い出横丁のつるかめの隣、もりかわ食堂は、名前は「もりかわ」のままだが、イマ風ダイニングな居酒屋になり、明星食堂だったかな?そのあと穂波になったところは、ギョーザ屋のようなものになっていた。ほかもところどころ変わっている。

鳥園、まだ本格的に混む前。以前も、ここで昼間から飲みながら企画の打ち合わせなどをよくした。先に着いて飲んでいるとスーツ姿で決めたケイ男あらわれる。ビール飲みながら書類の束をめくり、ややこしいビジネスの話。うーむ、なんとかなるか。なんとかするよりしかたないだろう。難しい課題のないビジネスなんてありゃしないのだから。しかし日本はめんどうなことになってきた。戦争は平和なうちに準備され気がついたときには始まっているのさ。このあいだの戦争のときだって東京の大勢は、ナニゴトもない楽しい平和なうちにすすんだ。疲弊していたのは地方だけ。ファシズムや戦争はコワイ顔して近づいてくるわけじゃないよ。パリじゃドイツ侵攻直前までバカンスの旅行の話で浮かれていたというし。山口瞳も書いていたね、真珠湾前夜の銀座のお祭騒ぎ賑わいは、ふだんと変わらなかった。いまの日本には治安維持法なんていらないと誰かいってたな。頼りになる学会さん。有識者文化人ただのインテリという連中は骨抜き、ビジネスマン顔負けに上手、カネさえやればなんでもしてくれる。カネはいくらあってもよい、いくらあっても足りない。改憲から戦争の準備が始まるのではなく、戦争体制の仕上げだよ。もともと改憲を党是とする党を政権の座に選んできたのだから、いまさらどうのこうのじゃないだろう。いい湯加減の、いよいよ前夜というわけか。本気でやりたがっている連中がいるし。もう、どうにもとまらない。そんなうたがあったな。国民が選択していることだから仕方ないが、ビジネスが政治的要因に左右されてやりにくい。出店計画もころころ変わって。リーマンは、この状況から逃げられないからね。心臓に悪いよ。肝臓は丈夫そうじゃないか。どっちも一個だけだからなあ。どういうつかいかたをするかだな。そっちは若いが、こっちは先が見えてきた。そんなこといって逃げないでくださいよ。さあね、おれもトシだから、楽してカネほしい。ケイ男、社に戻る。飲んでも神経冴えたまま酔わず。岐阜屋でやきそば。

雑踏の中を、思い出をたどるように、地下道を東口へぬける。1962年上京してから、何度ここを歩いたか、天井の高さだけは変わっていない。何も変わっていないとおなじだ。これこそ「昭和」だよ。あのとき待ち合わせの約束をしたが会えずに終った東口駅交番前は大混雑、待ち合わせの人たちをかきわけなくては通れない、かきわけながら、アイツはどうしているかと思う。約束はむなしい、明日のことはわからない。なにがどう変わっていくのか。自分の楽しみだけで知らん顔していたほうが楽ではあるが。

北浦和に着き買い物して7時半ごろ帰宅。酒飲んで、届いていた古本セドローくんの目録「古書現世」をみていたら、前から欲しかったが高くて手が出なかった本、なんとか手が出せる値段でのっている。さっそくメールで注文。夜半すぎに返事あり「売り切れ」。やはりそうか、あの値段では、すぐ買い手がつくと思った。それにしても手の早いヤツがいる。なんでも競争、はやいもの勝ち、どうにもとまらない。

と、日記風に書いてみた。明日の高千代友の会の酒宴は都合つかず出席断念。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/18

「唐辛子」の味わい

チョイと古いネタだが、『彷書月刊』2003年5月号の特集は「まんぷく」だ。

書いている顔ぶれは、「幸福だった詩人」山本容朗、「浅草広小路の屋台」吉村平吉、「牛乳屋の子孫が語る牛乳物語」黒川鍾信、「料理学校の歴史とその周囲」真銅正宏、「滋養食と健康」串間努、「光太郎、スカッとさわやか――清涼飲料の時代」林哲夫、「まことしやかさの「向こう側」――食をめぐる「うわさ」から」重信幸彦、「ハチミツと食文化の一考察」清水美智子、「おいしい味噌の造り方」佐藤隆、「宇宙食、過去から未来へ」松本暁子。

吉村平吉さんが亡くなられた2005年の春から2年がすぎた。いまあらためて、ここに掲載の吉村さんの文章を読むと、味覚の表現にハッと思わせるものがある。そもそもあれほど浅草に通じていながら通ぶることのない人で、食に関してもそうだったが、やはり、なかなかの方なのだな。

「浅草広小路の屋台」というタイトルで、「日本一の盛り場といわれた頃の浅草(――いまは誰もいわない)の魅力は、観音様と六区の興行街、それと安くて旨くてしかもバラエティに富んだ食べもの屋にあった」と書き出し、とくにいまでは面影すらない、浅草ならではの屋台について書いている。

浅草の屋台といえば、近代の汁かけめし〔牛めし〕の屋台で、これはいまでも「浅草名物」らしい名残りがあるが。このように書いている。以下引用……

 "カメチャボ"と称えた牛めしの屋台は浅草名物みたいになっていた。何軒かあっても、あそこのが旨い、とそれぞれの常連があるらしかった。
 因みに、カメチャボのカメは洋犬のことで、横浜あたりのガイジンが犬を「カメーン!」と呼んだことからきているらしい。チャボはチャプスイの訛ったもので、つまり"犬のご飯"の謂れである。

……引用オワリ。
この文章は、ヒジョーに微妙な内容を含んでいる。カメチャボが"犬のご飯"だというのは、ウワサのように犬肉をつかっていたことに関係するのか、それとも「猫まんま」のことを「犬めし」と呼ぶように"犬のご飯"なのか。そこんとこが、どちらともとれるようで、気になる。「謂れ」とのことだから、後者のような気がしないでもないが。

それはともかく、おれが、ハッとしたのは、この記述だ。

「とくにカメチャボの屋台には感動した。初めて経験する味ということもあって、七味唐辛子をふりかけると脂濃いはずなのにさっぱりした食感だった。牛の筋肉をじっくりと柔らかくなるまで煮込んだものが主体だという。」

この「七味唐辛子をふりかけると脂濃いはずなのにさっぱりした食感だった」は、じつに簡潔にうまく書いている。近年の韓流ブームもあって「辛い」ものがはやったが、ばかに「辛い」ことを競うような話ばかりで、このように辛子の味わいを表現した例は記憶にない。

牛筋煮込みもそうだし、ヤキトンのカシラなども、一味唐辛子を真っ赤になるぐらいかけてたべると、さっぱりするだけでなく脂の旨みが引き立ってよい。ま、好き好きだが、唐辛子の効果はそういうことなのだと、あらためて思った。

当ブログ、吉村平吉さん関連
2005/03/07「吉村平吉さん逝去  追記」…クリック地獄
2005/03/20「望月桂の一膳飯屋「へちま」のあと」…クリック地獄

ザ大衆食「浅草と浪曲と牛すじ煮込み」…クリック地獄
「ふくちゃん」が登場するけど、ここが浅草でイチバン安くてうまいという話をしているわけじゃないからね、まちがわないよーに、こころ狭い通ぶるグルメたち。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/17

頑張れ日本の農業ビジネス はすみふぁーむのアスパラガス

以前にも紹介したことある、「長野県に移住してワイナリー&ブリュワリ-を造りたい。 頑張れ日本の農業ビジネス&田舎暮らしを楽しもう!」というニック蓮見さんのメルマガ「第59回 はすみふぁ~むより、はたけだより」が届いていた。一部を紹介すると、こんな内容。

<<<<< 雹(ひょう)の直撃 >>>>>

もう本当にショックでした。

先週の木曜日は全国的に荒れた天気で、
各地で雷雨がふきあれると天気予報で言って
いましたが、まさか雹が降ってくるとは。。。。

全国的でもここ東信濃地区がたくさん降ったようです。

おかげでぶどうの葉はビリビリ、アスパラもポキポキ。

自然災害ですから怒ってもしかたないのですが、
何かやるせないです。

不幸中の幸いはまだ葉が出はじめた頃だったので、
被害がそんなにひどくなく、これからまだまだ新しい葉が
出てくるという事。

これが2年前のように6月に降ってきたりすると、
かなり参ってしまいます。

まあおこってしまった事をクヨクヨしても仕方ないので、
今後の災害があまりないように祈りつつ、今季を乗り切りたいと
思います。 

何事も前向きに考えないと農業なんてやってられないですよ(笑)


<<<<< アスパラ発送しています  >>>>>

とういうわけで霜にも負けず、雹にもめげず、
はすみふぁーむの採りたてアスパラガス、現在
日本各地に好評発送中です。

生で食べられるくらいの新鮮なアスパラガス。
ニックはグリルして軽く塩をふったり、バターで
炒めたりして食べるのがお気に入りです。

パスタに入れても美味しい、すり潰してポタージュに
入れても美味ですね。

ベーコンで巻いてもいいし、ピザの上にのせても。。。。

こんな感じで妄想はとまらない(笑)

はすみふぁーむでは収穫したばかりのアスパラガスを
そのままクール宅急便にて発送しています。 
収穫日の次の日に到着するので新鮮そのものです。
(九州、北海道その他の地域は翌々日着になります)

この機会に是非お試しくださいね。


……がんばっているねえ。応援したいねえ。

はすみふぁーむからは、巨峰を買ったことがあるけど、うまかった。きっとアスパラもうまいだろう。ほんと、そもそも、スーパーで売っているアスパラは、とてもとれたてとはいえないわけで、あのみずみずしさがない。

大都会の大衆は、なかなか新鮮なうまい野菜を安く食べられる機会がないのだけど、こういう直販通販を利用し、職場や近所の方と一緒に割り勘で試みるのもいいのではないかとおもう。そして、うまい野菜をたべてみながら、これまでの「農協農業」は、いったい大衆のために農業をやっていたのか、考えてみるのもよいかも。

とにかく、ま、よろしく~。
メルマガの読者にもなろう。

はすみふぁーむのブログ。長いタイトル。「長野県に移住してワイナリー&ブリュワリ-を造りたい。 頑張れ日本の農業ビジネス&田舎暮らしを楽しもう!」…クリック地獄


当ブログ関連
2006/09/07
「はすみふぁーむ」を応援するのは「地産地消」の精神に反するか?…クリック地獄
2005/10/06
長野県に移住してワイナリー&ブリュワリーをつくりたい、頑張れ日本の農業ビジネス…クリック地獄

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「男と女」の話はね

2007/05/11「「孤独のグルメ」の食べ方で復活「男と女」」、おもしろいから、「男と女」を続けろという声が若干ありますが、あれはね、酔っ払っていては書けないのですよ。あれを酔っ払っても書けるようになったら、おれは小説家だ。って、小説家だって、酔っては書かないか。

ま、だから、女にふられた話やら、たいがいの思いついたことを書くだけなら、酔っていくらでも書けるけど、「男と女」のあれは、イチオウ構成というか、いろいろ考えないと書けない。意地酒飲んだあとに、ただ指がキーを叩くままに書いているのとはちがうわけですよ。また書くつもりだけど。酔ってないときに。そーいうことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ビンボーを背中にしょった不器用さ

ジワジワジワと、きますねえ。なにがって、酒じゃないよ、「ビンボーを背中にしょった不器用さ」ですよ。うまいこと書くねえ。

[書評]のメルマガ vol.313 2007.5.16発行、これ、きょうの発行か。えっ、きょうは16日か。でも、いま、24時をまわったから17日。はやいなあ、あれから何日がすぎたのでしょうか。ほんと、おれは不器用でねえ。田舎者の不器用といったら、都会で女にふられる役回り。もてないわけじゃないが、ふられる。そこなんだな、モンダイは。この場合、「女」=「世間」と見立てるとわかりやすい。なにをやっても、必ず、どこか不器用で、クソマジメといえばクソマジメなのだが、ワザワイのもとになる。本気で好かれることがないというか。チョイと不器用が出ると、みっともないドジをふんだり、ふられたり、敬遠されたり、受け入れてもらえない。

まったく、「ビンボーを背中にしょった不器用さ」とは、うまいねえ。コレ、入谷コピー文庫の堀内恭さんが書いている。「[書評]のメルマガ」での連載「入谷コピー文庫 しみじみ通信」だが、今回は「飯田橋ビンボー大学先~輩、遠藤哲夫!」というタイトルなのだ。そのなかにある。こんなぐあいね。

「遠藤さんと会うのは、だいたい安い居酒屋か大衆食堂なのですが、いつも奇妙な元気をもらっています。遠藤さんは新潟、私は高知というどちらもド田舎者という共通点のほかに、遠藤さんとは、飯田橋ビンボー大学の大先輩と後輩という間柄なので、どこかビンボーを背中にしょった不器用さがあるような気がします」

「飯田橋ビンボー大学の大先輩と後輩」といっても、トシも離れているし、おれは大学へ入学しても、食うのに忙しく仕事を転々としたままやめただけだから、あまり大学のことなど話したことはないのだが、たまたま堀内さんとは、その話になった。というのも、堀内さんの出身は高知で、おれは高知のスーパーマーケットの仕事を1年ぐらいやっていたことがあって、堀内さんの故郷に少しばかり土地勘があったりで、なんとなく昔話をしているうちに、大学のことやらいろいろな話になった。

おれも堀内さんも、紳士淑女小市民の東京に同化し切れない、田舎者くささ、貧乏くささを引きずって生きているなあとしみじみおもう。「ビンボーを背中にしょった不器用さ」は、そのかんじを、じつにうまく表現している。

ま、こちらをご覧ください。……クリック地獄

堀内恭さんはフリーの編集者で、倒産した四谷ラウンドから刊行の『ぶっかけめしの悦楽』は、彼がいなかったら世に出ていなくて、したがって『汁かけめし快食學』もなく、おれは、しかし、あいかわらず酒を飲んでいる日々だったにはちがいない。

ところで、はて、次の入谷コピー文庫に入る予定の現代日本料理考シリーズの「マカロニ」は、いつ書きあがるのだろうか。

今月は、日程がややこしくなってきて、例年の高千代酒造の友の会の酒宴へ行けるかどうかも危ぶまれる状態になっているというのに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)