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2007/05/22

おれは生きている! お前も生きている!

 週刊誌「タイム」の編集長だったマシューズ氏に言わせると、ジャーナリズムで最も大切なのは、レポート(報告)することではなく、コミュニケート(伝達)することである。
「何を伝達するのですか?」と私は訊いた。
「最も大切なことは」と彼は言った。「リングの一方の男が言う言葉だ。『おれは生きている! おまえも生きている!』すると、その対戦相手もその気持を汲んで言う。『おまえの言うとおりだ! 二人とも生きている!』」
 これこそ「タイム」のようなニューズマガジンをつづける要諦であると私はいまだに思っているが、それはボクシングの試合を観に出かける立派な理由になる。テレビジョンは、放置しておくと、私たちを部族総会以前の状態に逆もどりさせてしまうかもしれない。すなわち、家族が最大の話し相手だった時代へ。

……『ザ・ニューヨーカー・セレクション』(アーウイン・ショー他、常盤新平訳、王国社1986年)のなかの「肉眼で見るボクシング」( A・J・リーブリング)から。

いまや、テレビジョンどころかパソコンもろもろのメディアは、家族すら話し相手でなくしてしまったようだ。かりに家族や友人知人との会話でも、メディアを仲介した、つまりメディアのネタをコミュニケーションのネタにしたコミュニケーションが、幅をきかせている。そして肉眼をつかうときにはすでに、その眼は、メディアから得たガラクタ情報で曇りきっている。空から明日の天気を読むのではなく、天気予報のつまった頭で空を見るように。

そもそも。「おれは生きている! おまえも生きている!」「おまえの言うとおりだ! 二人とも生きている!」に、おれは生々しい生活感をおもうが、コンニチの日本の商業メディアはとりわけ、こうした生活感を失っている。レポート(報告)もコミュニケート(伝達)もなく、煽動や脅迫と説教と自慢だけだ。

尊大な「評論家」や「作家」、おれのようなしがない「ライター」、そんな似非ツラをしてメディアを賑わす人たち、彼らの功名心によるお節介のおかげで、生活感のない話と情報が氾濫し、生活感のない空間が広がる。それを、ま、「情報化」というらしいのだが。

コンニチの活字文化、ブンガクなんてのは、そういう生活感を失った表現の頂点に立つものだろう。どんなブンガクの形式だろうが、生活感が失われてしまった。そしてその形式についてだけは、やたらうるさい。その場面に、飲食があり、人びとが生きる街はあってもだ。そこにあるのは生活から生活感をひいた飲食や街……。体裁も文も整っているが生活のニオイがしない。それが「美しい」といわれる。

「おれは生きている! お前も生きている!」というニオイすらなく。再開発されたビル街のようだ。そういや、ちかごろの落語や落語ファンもそうだな。そこへいくってえと、玉川奈々福の浪花節は、「おれは生きている! おまえも生きている!」と生活感満々で、いいねえ。とにかくいま、ブンガク的洗練とか、ゲージュツ的洗練とかいうと、そのように生活感を削り落としてしまったものなのだ。

ともすると、おれはこれを知っている、おれはこれを見つけた、すごいだろう、これはこういうものだ、こういうことだ、あるいは、ああもうだめ、助けてちょうだい、だめな人間なの、泣けるでしょ、笑えるでしょ、日本沈没だ~……そんなことを微にいり細にいり、針小棒大に述べる。ああ、わかったわかった、あんたは物知りだ正しい、そのうえ検索機能つき書庫みたいだ。ついでにいえば、身近な人が死んだりガンになってイノチの大切さに気づいたなんて、単に想像力がないだけのバカではないか。そのていどのものが、後世に残る創造的なことをやっている顔をしている。

汗が飛び散るほど殴り合うように、「おれは生きている! お前も生きている!」と言い合えなくなったムナシサよ。

が、しかし、せめて、飲食のときぐらいは、「おれは生きている! お前も生きている!」とやりたいものだ。おれが主張する、食事は「生命(いのち)をつなぐ祭事」とは、そういうことなのだ。そして「気どるな、力強くめしをくえ!」は、こうしてブログの路地裏で、しぶとく貧乏に生き続ける。

「大衆食 飲み人の会」が、「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」を掲げるのも、べつに「よい店よい酒よい料理」はどうでもよいということではない。もちろん、飲み人の会の会場となる飲み屋は、「よい店よい酒よい料理」と縁遠いということではない。強いて言えば「おれは生きている! お前も生きている!」というニオイのする店だ。いやべつに、そういうニオイがしない店でも、ワレワレがいることで、そういうニオイが店の空気になるようになりたいものだとおもう。

ようするに、「楽しく飲む人間をみがく」とは、つまり「おれは生きている! お前も生きている!」とコミュニケートする力を育むことなのだ。これだけ飲食について誰もが語るようになった時代に、いちばん欠けているのは、それだろう。

自分が、モンダイなのだ。いつだって。

なんだか演説のようだ。まもなく午前1時。

おれより若い男、ただのリーマンだが、5回も結婚しているやつがいて、ショックをうけ悪い酔いしてしまった。きっと、いつも金持ちの女を選んでいたにちがいない。でないと、たいがいおれのように離婚貧乏に落ちるはずだが。

そうそう、タロウさーん、会社辞めたんだってね、妻と子をかかえてプーだから、これがほんとのプータロウだってねえ。エルからのハガキには、おれが「目標」って書いてあったけど……。ってことは酒とバラとビンボーかい。

ま、いいじゃないの、後をふりむいてもゴミばかりだから前をむいて、「おれは生きている! お前も生きている!」と生き抜こう飲み抜こう。

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