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2007/06/18

D級人生の生活連鎖

左サイドバーにあるように、おれは「それゆけ30~50点人生」を歩んでいる。100を5段階に分けると、80~100がA、60~80がB、40~60がC、20~40がD、0~20がEになるから、30~50は、CとDにまたがるアイマイ領域になる。それをねらったわけではないが、アイマイってのは、けっこう好きだ。いずれの型にもはまらない。C型のようでいてC型ではなく、D型のようでいてD型でもない。そのことによって、どの型にも属さない、型ナシ人生になる。というのは、いま思いついたロジックだ。

とにかく、アイマイなことをいいことに、それゆけD級人生である、ときにはC級かも知れない、というていどにしておこう。で、ようするにD級人生の生活は、どのように決まるかというと、おれはD級人間だから、D級にやろうなんてことで決まるわけじゃない。

食生活のことだが、きのうはアレを食べたから今日はコレを食べたい、昼はアレを食べたから夜はコレを食べたい、というぐあいに考える。そのとき、D級なりの考えは働くと思うが、そのように連鎖的に考える。あるいは、今日は、よく働いたからとか、天気がよかったからとか、時間がないからとか、身体の調子が悪いからとか。そういう何かのツナガリのなかで決まっていくのが、生活のなかの食事であり料理なのだ。と、考える。

今日はバレンタインだからとか父の日だから、結婚記念日だから、元旦だから、いろいろな行事やイベントが連鎖に関係することもある。だからこそ、そういうセールが盛んである。また、いまジャガイモが旬だからとか、今日は給料日だからという連鎖もある。

関係ないが、「連鎖店」という言葉は、最近ほとんど見ない。1970年代はじめのころは、チラホラ使われていた。直営連鎖店はレギュラー・チェーンのこと、協業だったかな協働だったかなの連鎖店はボランタリー・チェーン、そしてフランチャイズ・チェーンという言葉が普及しだしたころには、そのまんまで漢字はなかったように思う。フランチャイズ・チェーンにあてはまる漢字がなく、ということは発想もなかったのかも知れない。

とにかく、生活そして生活の中の食事や料理は、そのようにいろいろな連鎖のなかで成り立っている。

ところが、それを「ハレ」と「ケ」に分けてみようとしたのが民俗学で、これは一時はやった。いまでも、そのように分けるひともいるが、現実的でもなければ生活的でもない。そして、もう一つ、連鎖から切り離して食事や料理を舌の味覚的に語る「グルメ」というのが登場した。

D級人生だって、A級はともかく、けっこうB級C級との付き合いはあるし、そのように食事をすることもある。一食300円と予算は決めていても実際は1000円になったり100円になったりする。それは連鎖の関係で決まる。経済的だけではなく、さきほど述べたように、いろいろな連鎖で決まる。

生活とは、いろいろな連鎖が絡んでいる。それは「生きる」ということが、いろいろな連鎖なのだからトウゼンだしフツウなのだ。

しかしそれなのに、アアそれなのに、その連鎖から切り離された話が、なぜそんなに好きなのよ。なぜにそんなに連鎖から離れ細分化されたグルメになるの。そういう疑問が、ズッとあったのだが、最近、あることをキッカケに、そのナゾが氷解しそうなのだ。

「好き」なんて言葉を信じちゃいけない。ひとはみな連鎖のなかの気まぐれなのさ。鎖は簡単に繋がり、そしてまた簡単に切れる。明日のAより今夜のBがよければBを選ぶ。

そして、明日、二日酔いなら水を飲んでしのぐのさ。

ああ、なんの話かわからない。どんな生活も、鎖の一つなのだ。いいじゃないのそれで。わからん。
午前1時半の酔いどれ深夜便、オワリ。

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