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2007/06/30

1974年の暑い熱い夏

宮澤喜一さんが亡くなった。来月は参議院選挙だ。なので、1974年の夏の思い出だ。

えーと、おれは、30歳ってわけか。1974年の7月7日は「七夕選挙」といわれ、参議院選挙投票日だった。その投票日の一週間前ぐらいに、おれは自民党本部の幹事長の会議室にいた。1974年の6月30日か7月1日のことかもしれない。

おれを含め、たしか7つの選対事務所の責任者がいたはずだ。その選対を直接統括する、のちに建設大臣などをやり亡くなったS代議士、そしてこれも故人である「田中の金庫番」といわれていた橋本幹事長。

この顔ぶれの会議は、それが3回目で最後だったと記憶する。投票日を一週間後にひかえ、各候補の宣伝カーを、どこに配置するかが主要な議題だった。簡単に言ってしまえば、橋本幹事長が、自派の田中派の当落線上にいる候補者に有利に配置させるための会議だった。

おれは、会議のときは、いつも最上席だった。それはおれの「実力」ではなく、おれの担当する候補者が「大物タレント候補」だったからにすぎないが、おれのすぐ右隣は幹事長だった。ベッコウの太いふちの眼鏡だったと思う、いかにもロンドン仕立てですという黒に近い濃紺のスーツ、いかにも高そうなピカピカに磨き上げた黒い靴、そして手には高そうな葉巻。

その日、おれは幹事長に大きな目でギギギギギッと睨みすえられながら、おれの選対のボス責任者がおれに指示したように一歩も引かず、幹事長が指示する宣伝カーの配置に激しく抵抗し、最後まで受け入れないで会議は終わった。ほとんどは、幹事長とおれとの応酬だった。それが幹事長を見た最後。それ以来、自民党本部に入ったことはあるが、幹事長室に入ったことはない。

おれが、なぜそこでそんなことをしていたか。それは、以前に少し書いている。2006/09/10「いつだってテロル」…クリック地獄

その、参議院選挙は、もしかすると保革逆転かもしれない「保革伯仲選挙」といわれ、自民党と財界は二つの方法で、それをしのごうとした。一つは、集票力のあるタレント候補、一つは「企業選挙」といわれたが候補者ごとに応援する企業を割り当て全社を挙げての体制を組む、ということだった。

で、タレント候補は全部で7名だったと思う。みな全国区。そのなかでも「大物タレント候補」といわれ、トップ当選まちがいなし、200万票をこえる票がとれるかどうか注目された候補がいた。おれは、その選対を代表して(イチオウ選対の副責任者ということで)、その会議に出ていたのだ。

他の選対からの出席者は、みな責任者が出ていたから、50歳代60歳代の貫禄ある人たちばかりだった。そのなかでおれだけが痩せた貧相な30歳の若造だった。しかも上着だけは着ていくようにいわれていたのでそうしていたが、ノーネクタイにジーパン姿。

初めての顔合わせの会議のときには、おれの隣にすわった幹事長が、おれをチラッと見るや不審もあらわにS代議士を手招きし、おれにも聞こえる小声で「この男は」ときいた。S代議士は、声をあげて笑い、「大丈夫です、○○選対の××さんがまかせているひとですから」というようなことを言った。S代議士とおれは、すでに何度も会っていた。幹事長は、またおれを見て、貫禄をつけた低い声で「よろしく頼んだよ」といった。

当時の政権は田中角栄と大平正芳の、つまり田中派と大平派が主流派の政権だった。大平派は、宏池会という池田勇人がつくった派閥組織を大平正芳が継承したものだ。自民党のなかでは独特の、当時としては「政策通」の多い集団だったといえる。代議士や代議士に所属する秘書のほかにも、宏池会に直接所属する秘書がいて、自民党的ムラ社会ではあったが、それだけではなく理念や政策をともにする理想に燃えているところがあった。

チトひいきめの言い方になっているかもしれないが、いわゆるテクノクラート型の政治家のいない日本で、テクノクラート風をめざしている人たちが比較的おおい派閥組織だったいえるだろう。そんなわけで選挙も、カネや利権や後援会組織に頼るだけではなく、理念と政策を直接大衆に訴えることをしようという意気込みも強かった。

他の派閥と比べると、大衆ウケする政治家的なハッタリがチト弱い。ボス連中は、大平正芳もそうだし、そのあとの鈴木善幸、そのあとの宮澤喜一もそうだが、顔はイマイチでドンくさい。でも見かけによらず、紳士的でスマートな人たちが多かった。やたら強引に威張ったりすることなく、利権的などろくさい話はなくはないが、政策的な展望を持ち、よく議論したり会話を通して解決していこうという姿勢があった。

大平正芳さんと鈴木善幸さんには会ったことあるが、宮澤喜一さんは、会ったことがない。宮澤喜一は、まだ「ニューリーダー」という呼び方はなかったと思うし、のちに竹下登とならんでニューリーダーといわれるようになるが、すでに派閥の中では将来の総裁まちがいないといわれていた。おれは田中派の人たちとも付き合いがあったが、田中派にあっては、竹下登が、おなじようにいわれていた。

おれが、その大物タレント候補事務所に出向になったのは、投票日の3か月前ぐらい、たしか3月ごろだったように思う。公示がせまってくると、いわゆるウラ選対の仕事がふえ、一晩おきに事務所に泊まる体制になった。

モンダイは、その大物タレント候補が、田中派と大平派が激しい争奪戦の結果、大平派から立候補したことだった。しかも、企業選挙として割り当てられた企業が、こんにち巨大利益をあげている某自動車メーカーの販売会社組織で、ここは田中派の牙城だった。それがどんなにメンドウなモンダイをはらんでいたか。当面の参議院選挙の得票数は、次期の衆議院選挙とそれにからむ総理総裁争いにからんでいたのだ。

とにかく、そんなわけで、わが事務所のボス責任者のシモさんは、たしか58歳で、いわゆる選挙参謀としてはベテラン、頭のよい人だった。田中派がからむメンドウなところには、おれを副責任者として派遣して難を逃れていた。でも、この人は、たしかに頭はよく、おれをただその状況にほおりこむのではなく、状況や相手の出方、ゆずってはならない点やいくつかの対策を、よく説明してくれた。おかげで、おれは苦労したけど、いろいろなことを学んだ。

目標得票数を獲得して当選した。
暑い熱い夏だった。
ああ30歳、運命のわかれ道。おれが、カネでもなんでもいい、もっと何かに執着するところがあったら、もっとグレイトでアクドイ悪いスバラシイ、女にふられたぐらいで思い悩むことない、人生を送っていたであろうに。

あのあと、おれには秘書になる打診があった。おれはまるでその気はなく、知り合いの20歳ばかり上のウエさんが秘書になった。彼とは、よく飲んだが、すでに彼は糖尿病を持っていたし、秘書の激務が務まらなくなり、ある団体の役員に横滑りし、やがて亡くなった。大物タレント議員は、そのあとも出馬し当選したが、顔がパンダに似ていたことから「票集めパンダ」と陰口をたたかれながら亡くなった。彼の人生を考えれば、国会議員なんかにならないほうがよかったかも知れない。すでに、人気者というだけではなく、高い社会的地位にあったのだし、奥さんは、子供はいない家庭の二人だけの静かな幸せを願い、出馬には、ものすごく反対していたのだが。

あのときのタレント議員で、いまでも残っている議員がいる。山東昭子さん。やはり、女は強いのか。
イチオウ政治改革とやらで「政策秘書」なる制度もできたが、あいかわらず闇の利権政治がはびこり、そして、あいかわらずタレント議員で数合わせするようなことが続いているのだなあ。

さあ酒でも飲みに行きましょうか。

この仕事は、大手広告代理店のD通とのジョイントベンチャーだった。当時、D通では「販売促進本部」というような名前の部署が選挙を担当していた。D通からは、ヤタさんが出向で来て、主にアナウンス嬢の訓練をやっていた。

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2007/06/29

「癒し」って、どうするの?

『厳選名古屋居酒屋+周辺80選』(平岡俊佑編、風媒社1997年)をパラパラ見ていた。新書サイズ1見開きに1店載っているガイドブックなのだが、いろいろな人が書いている。なかには、いわゆるガイドな文章からするとどうかなと思われるものがあって、おれとしては、それがかえってオモシロイ。

たとえば、ある店の紹介は、こんなふうに始まる……

「大変な時代になった」という言葉がよく聞かれる。「カオスエイジ」とも言われる。何かにつけ先行き不透明な時代だから、庶民の愚痴、ボヤキも半端じゃない。
 それで「はけ口」を求めて、男も女も酒に歌にと夜の街を徘徊するのが、お決まりのコースらしい。そんなことしたって何も癒されないことは、皆判っているのに。

……なーんて書いてあるのだ。スバラシイ!と祝杯をあげたくなる。

これだけじゃ誤解されちゃうだろうから注釈をすれば、この著者は、「心癒されるところでしみじみ飲む」ことを奨励したいのだ。それで紹介する店が「愚痴やボヤキもここでは品がいい」となる。おれのポリシーには沿わないが、主張は理解できるし、なるほどねえと思う。

しかし、一方で、これはべつのことだが、こんな「癒し」の主張もあるのだ。

ファックスの箱を整理していたら、あるテレビ番組の制作プロダクションから送られてきた企画書が出てきた。たまーに、こういう制作協力や出演の依頼があるのだが、エンターテイメント系やわけのわからないバラエティ番組については、テキトウに逃げるようにしている。でも根が親切だから、不親切に対応することはない、けっこうタダで面倒なことをしてあげたりすることもある。この場合は、どうしたか、もう忘れた。ファックスの日付は2003年4月某日。超有名なタレントの名前が冠のスペシャル番組だ。

「企画意図」に、このような言葉が陳列されている。……

「日本全国から「家庭の味」を発掘!
“究極の癒しメニュー”を作り上げ、将来的には実際に販売していくという今だかつてなかった新機軸の「食バラエティ」です」

「今、日本人の舌が求めている味は、イタリアンでもフレンチでもありません!
素朴で心温まる「おふくろの味」!世知辛いこの世の中で、
人々はぬくもりを求めているのです。
そこで!全国各地の家々を訪ね「家庭の味」を発掘!」

「一見すると何でもないけれども食べると自然と涙が頬を伝うような素朴な家庭料理メニューが次々と誕生!」

「田舎の原風景、おばあちゃんの笑顔が最高の隠し味となった
老若男女誰もが癒される
究極の“癒しメニュー”が誕生します!」

……といったぐあい。わかったわかった、どーぞ勝手にやってください。と、癒し酒を飲みたくなる。おれのような下品な文章を得意とする男ですら、その「!」の使い方、なんとかならんのか!下品すぎるぞ! と言いたくなるのですね!

だけど、こういうことを、けっこう高学歴高給取りの人たちが寄ってたかってマジメな顔してやっているのですな。

そりゃ、それゆけ「癒し!」だ。

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「中退」といふ人生

昨夜は「祝、祝、祝、内定」のことを思いながら飲んだ。おれは左サイドバーの「リンク」にある「大衆食と「普通にうまい」」の経歴にあるように「大学中退」だから、いわゆる「新卒」の就職活動の経験はない。職業について「夢」や「希望」を持ったこともない。めしがくえればいい。川で流されるように、とりあえず溺れ死なないように生きてきた。それだけだった。かといって、不幸だとも思っていないし、不服があるわけでもない。また成功だの不成功だのを考えたこともない。

以前ちょっと書いたが、転々として、まず学歴経験不問で就職できる営業職にたどりつき、それからまたより学歴の関係ない世界へと転々とした。

法律的にはどうかしらないが、社会通念的には「中退」は「学歴」としては通用しない。中卒、高卒、短大卒、専門学校卒、大卒……なんでもいい「卒」でなければならない。だから「大学中退」はなく高卒になる。それは、経理の仕事をやるようになって知ったのだが、給与体系というものに「中退」の位置づけがないのと関係するのかもしれない。オモイヤリのある会社では、大学で2学年以上の単位取得の証明があれば、短大卒に位置づけられる例はあった。

一般的には、自分の経歴に「中退」なんて書くのは、まったく意味がない。だけど、「書いてくださいよ」といわれることもある。一つには、高校卒業してスグはなにをやっていたのだ、ヤクザかドロボウでくっていたのか、というふうに怪しまれないためのようである。それから、なんだか、文章の分野では、ただの高卒よりイチオウ大学に入ったことがあるのですヨ、これこれを専攻しナントカという教授がいましてねというふうが、なんだか本をたくさん読んでいるような知的な文章の世界では「力」になるかんじである。ま、ようするに、この世は、「ドーダ」なのですね。

それから、やはり「学術的」なからみ「論文的」になると、中退でも「書いてくださいよ」になることがおおいようだ。それぞれの分野の「慣例」というものだろう。

「大衆食と「普通にうまい」」のときは、「法政大学を3年間で中退後、そこそこやってはやめ別のことをやる中退人生」といったぐあいに、「中退」をひきずって書くワガママをやり許してもらったが、『大衆食堂の研究』も『汁かけめし快食學』も著者略歴では学歴についてはふれてない。

「3年間で中退」といっても、そのあいだも「臨時雇い」を転々とし、たしか3年の前期まで学費をムダに納入したということであって、後期は払えなくてあきらめた。おれにとって「中退」が意味があるとしたら、なんに対しても執着のない「そこそこやってはやめ別のことをやる中退人生」なのだ。

しかし、なんだかんだいっても、この世は「学歴社会」であり「学閥社会」だ。出版や学界や官庁のように、古い業界ほど、そうだ。大方の当事者は、イヤそんなことはないと否定するだろう。それはタテマエ、自らの意思として、そのように「命令」したり「指示」したりした「事実」はないということにおいてそうかもしれないが、その人たちのまわりに群がり気に入られようとしたり、また尊敬から真似しようとしたり、そういうことを率先したり他に強要する関係が周囲に「自然」にできる。それらを否定できるほど、距離を置いたり無関係でいたかというとそうでもないことがほとんどだろう。

ま、だからといって、おれはウラミごとをいうつもりはない。そういう話をしているのではない。そんなことはどーでもよいのだ。それより、このことだ。

「卒」が尊重される背景には、「コレ一筋」や「首尾一貫」が尊重されることがあると思うのだ。あっちこっちフラフラするやつは信用ならない、ってことのようだ。しかし、「コレ一筋」や「首尾一貫」を美風にするのは、ようするに自分がアンシンしたいためではないかと、おれは思う。実績でしか人間を判断できない横着と悪癖にすぎない。グルメの世界だと、何軒食べた、本の世界だと、何冊読んだ、といったことがはびこるのも無関係ではないだろう。それも、ある種の「履歴」なのだ。

本来なら、生年月日すら必要ない。ことばをかわしながら、どう判断するかだけだろう。何軒食べても何冊読んでも、ダメなやつはダメなのだ。恋愛の場面では、そういうふうに「人間」を判断することがあるようだが、仕事や趣味になるとそうではないのが、オカシイ。結婚まで含めて「中退人生」のおれとしては、そう思う。なんでも、恋愛のように判断すればよいのだ。

もっとも恋愛でも、相手の学歴や職歴や資産を気にするひともいるし、オスの孔雀が羽をひろげるようにいろいろな実績を見せびらかしたがるひともいる。しかも、恥ずかしそうなふりをしながら。それは実際そういうものが尊重されたり話題になるのだから、それなりの見識というものだろう。こうやってものを書くのも、自分の頭の中を見せびらかしていることには違いない。

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2007/06/28

祝、祝、祝、内定。

このあいだも就職のめでたい知らせがあったばかりだが、またまた内定の知らせが。めでたいねえ、大難関を突破して、希望していたところに入れたんだもの。「長年の夢が叶い、とてもうれしいです」という文字が、ほんとうにうれしそうだ。その「夢」を聞いたのは、何年前、3年前だったかな?

よかった、よかった。よくがんばった。まずは、とりえあえず、ここで祝福! おめでとう。 

その職場、外見とちがい、すごい「男世界」だから負けないように。ま、大丈夫だろうけど。来年の春までに、酒の飲み方だけは、おれが仕込んであげる。

うーむ、おれも、こうしちゃいられない。という気になって……そうだ、まずは一人で祝杯をあげよう。

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電車でレタスクラブを見る女

このあいだ東京へ行くため、午前11時ごろの京浜東北線に乗った。車両はガラガラで、テキトウに座った。ほぼ斜め前の女が、真剣な顔で、雑誌を見ていた。その雑誌は、「レタスクラブ」だった。

ワタクシは電車のなかで真剣に「レタスクラブ」を見る女におどろいて興味を持った。20台後半といいたいところだが、30歳前後に見えた。若いようなのだが、生活の疲れがただよう。貧相というほどではないが、あまり肉のついてないからだ。とくに特徴のない地味な白いブラウスにスカート。アクセサリー、なし。これから、アルバイトかパートの勤めに行くような感じで。

なぜ、彼女は、そんなに真剣に「レタスクラブ」を見るのだろうか。ワタクシは赤羽で降りるまで、ずっと考えたが、なにも思い当たることはなかった。ただ、ふと、彼女には「レタスクラブ」がお似合い、か、「レタスクラブ」には彼女がお似合いという感じがした。普通の人、普通の生活。ジケンにでも巻き込まれないかぎりテレビや新聞や雑誌に登場することがない。

“われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである。”

……と藤沢周平さんは書いている。たしかにその通りだと思うのだけど、そういう「小さな生活の実感の間に潜んでいる」ものが見えない判らない、テレビや新聞で話題になるような美しさや醜さしか感じなくなったワタクシがいるのだった。

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2007/06/27

愚痴と悪態の限りを尽くしても、膝を払ってすっくと立ち上がる

新宿らんぶるの地下は、1962年春に初めて入ったときと、ほとんど変わってないと思う。いまどきのセチガライ東京の地価など無関係という感じで、ドバッと広い。地下2階の席は吹き抜けで、地下1階の席から見下ろせる。きょう知ったが200席あるのだ。

13時に、牧野伊三夫さんと、電話では話しているが初対面の大谷道子さん。打ち合わせ。じわじわイメージとやる気がわいてくる。

7月の日程も、かなり決まってきた。けっきょく、14日間のうち、2日間を除いて、牧野さんと一緒だなんて…。飲み過ぎないようにしなくては。そして、8月は。いや、まだ8月のことは考えないにしよう。

外に出ると暑い。うーむ、この暑さ、7月を乗り切れるか。なんとかなるだろう。お二人と別れて、ション横で、生ビール。うめえ、たまらん。飲みすぎた。

大谷道子さんは「クウネル ku:nel」でも活躍しているが、なんといっても印象に残っているのは「雲のうえ」3号の「街のうた」。

居酒屋で飲んで、愚痴と悪態の限りを尽くす女ともだち。アパレルメーカーに勤めている。多くのスタッフを抱えての仕事はストレスが大きい。「が、愚痴と悪態の限りを尽くしても、最後はひとりで膝を払ってすっくと立ち上がる人だということが、ここ数年の付き合いでわかってきた。」

いいねえ、この描写。「最後はひとりで膝を払ってすっくと立ち上がる」

毎日、職場へ行けば、愚痴や悪態をつきたいことだらけだ。でも、逃げるわけにはいかない。時間中は、ニコニコ過ごす。たいがい、そうだ。会社勤めじゃなくても、不条理と理不尽だらけの現実との格闘。それは「生きている」ということでもあるだろう。そして、今夜も、酒のんでめしくって、「最後はひとりで膝を払ってすっくと立ち上がる」のだ。「隠居の道楽」のような酒やめしとは、そこがちがう。

それゆけ。

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2007/06/26

日々の飲食という小さな祝祭を大切に楽しむ

なんとなくWebをウロウロしていたら、2007/06/11「文京区駒込のたぬき食堂が再開の朗報!」に紹介した、その朗報を教えてくださったyanchamonoさんのブログがあった。たぬき食堂が再開を告げるポスターの画像もあった。

ブログのタイトルは「酒場という磁場」。飲食店での飲み食いだけではなく、自分で料理をつくる「家呑み」もけっこうある。ひかえめの表現のなかに、日々の飲食という小さな祝祭を大切に楽しむ雰囲気があふれていて、好ましい印象を持った。

たとえば6月25日には、こんなことを述べている。

今日は嬉しい嬉しい給料日。
でも調子には乗らずに慎重に呑む。これが大事。大事。
肉じゃがの汁だけで、ホッピーを1杯いく。これが大事。大事。


・酒場という磁場…クリック地獄
・たぬき食堂@駒込の開店の告知ポスターは6月10日…クリック地獄

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氾濫するコギレイな雑誌、本。コキタナイ闇の中の食。

おれも、まだ若造というかバカというか、言っても仕方ないと判っていても、こういうジケンの片付けかたを目の前にすると、ついつい言ってしまう。こんなことを書いているより、女と酒飲みながらイチャイチャしていたほうがマシ。もちろん、そういう相手がいればだが。みな、そのように、自分の楽しみのなかにいる。だから、今回の件については、これで最後にしよう。

読売新聞をツルシたいわけではないが、きのうたまたま読売新聞を取り上げ、「農水省は、なんらかの責任をとるつもりなのか。そこのところをなぜ、マスコミは追及しないで、叩きやすい弱小企業だけを叩くのか。」と書いたので、「公平風味」のために、この読売新聞の記事を使わせてもらおう。

YOMIURI ONLINE
農水省と北海道、計8回の立ち入り検査でも不正見抜けず
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070626i301.htm?from=main3

 食肉偽装の告発をもとに、農林水産省と北海道が2002年から07年までに計8回、ミート社に立ち入り調査をしながら、不正を見抜けなかったことが25日、明らかになった。

 道は02年3月、同社員を名乗る男性から最初の告発を受け、立ち入り調査に入ったが、裏付ける証拠を得られなかった。

 告発は06年にもあり、苫小牧保健所が2、11月に調査。11月には「牛タンスモーク」から基準値を超す発色剤(亜硝酸ナトリウム)を検出した。食品衛生法違反で同社に出荷停止を指示したが、さらに「ウサギやカモの肉も使っている」などの情報が提供され、12月にも2回、追加調査した。しかし、この時も原料偽装を突き止められなかった。

 農水省の北海道農政事務所にも06年2月、偽装情報が寄せられたが、同事務所は「拠点が道内だけの業者なので日本農林規格(JAS)法の調査権限は道にある」として、3月23日付で道に対し、「具体的疑義が確定できませんでしたので参考までに回付します」との文書を作成したという。

 同事務所は昨年9月、ミート社に東京事務所があることを知ったが、直ちに調査に入らなかった。北海道農政事務所は、06年3月と今年3、5月に立ち入り調査をしたが、これは牛肉の個体識別の信頼性を確保するための調査だった。道の近藤光雄副知事は「情報を一元管理していればもっと早く不正が見つかっていたかもしれない」と話し、北海道農政事務所の小野哲士消費・安全部長も「連携が十分でなかった点は反省している」としている。

(2007年6月26日3時7分 読売新聞)


ミートホープ社の田中社長に対する責任追及と比べたら、なんとまあ最初から腰が引けていることか。責任逃れのアリバイ証明を提供しているような記事ではないか。

ついでに、当ブログで、「ハンナン浅田」のジケンを思い出しておこう。
2004/04/19「もう一人の浅田」。2004/04/22「どうなるハンナン浅田」

ついでに、こんなことを書いている新聞もあった。神戸新聞2005年5月28日社説「ハンナン判決/農水省は責任をどう取る」

ハンナン浅田だけではなく、食肉ジケンは続いた。でも、狂牛病のアメリカの酷さを言い立てることで、日本の農水省と食肉業界に免罪符を与えてきたのだ。

破滅してもよいと思うが、世界は急速に破滅に向かっている。活字文化は虚栄心と功名心に乗っ取られ、こんなにみんなが食べ物の本を書いているのに、賄賂と汚職が流布し真相は解明されない。世も末だ。
……こだまひろしさんの「モグラゲリラひろしの「さよなら、ギャングたち」」の「世界は急速に破滅に向かっている。賄賂と汚職が流布しみんなが本を書きたがっている。世も末だ。」を勝手に改ざん。

氾濫するコギレイな雑誌、本。コキタナイ闇の中の食。不条理はスバラシイ。

「とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。」……キライな太宰治さんのお言葉(「斜陽」から)。

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2007/06/25

ウラがとれてない記事は、「偽装」かもしれない

yahoo!ニュースに載った記事だ。この記事は、元社員の名前もないし、書いた記者の名前もない。表示のない商品とおなじで、しかも、内容の裏づけが、まったくない。「毒入り」情報かもしれないのだ。せめて保険会社を取材してから載せるべきだろう。こんな記事を大読売新聞が載せるのだからねえ。たかだかパート従業員を含めて60名ぐらいの会社が生きていくために「偽装」するようになるのだろう。ま、こんなことを競って書いていると、農水省の責任モンダイが浮上しないようにする、必死が伝わるだけ。こんな「報道の自由」が許されるなら、お互い自由な表示と取引で、したがって食べた味のよしあしと価格で食品が売買されてもよいじゃないかと思ってしまう。じっさい、外食店の現状は、そうなのだ。指導管理できない表示義務を定めることは、できないことを公言するウソ無策とおなじではないか。それとも、農水省は、なんらかの責任をとるつもりなのか。そこのところをなぜ、マスコミは追及しないで、叩きやすい弱小企業だけを叩くのか。近年の食肉関係の「偽装」モンダイだけでも、どれだけあったか思い返してみろ。あっ、わかってます、「正義風味」を「正義」といつわる演出ですね。

ミートホープ社、クレーム商品は保険金で賠償・回収し転売
6月25日22時13分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070625-00000013-yom-soci

 北海道苫小牧市の食肉製造加工会社「ミートホープ」(田中稔社長)の牛肉ミンチ偽装事件で、納入先の商品にトラブルが起きた際、同社が、保険を使って納入先に賠償金を支払ったうえ、回収した商品をレストランなどに転売していた疑いのあることが25日、元社員の話で明らかになった。

 元社員によると、同社は偽装肉や粗悪材料を使っていたため、納入先からの苦情に備え、賠償保険に入っていた。保険は、納入した商品に起因するトラブルで取引先が商品回収などを迫られた場合に支払われるタイプ。苦情は度々あり、田中社長は「保険でやればいい」などとして保険金を請求し、納入先に賠償していたという。元社員は「(保険金は)何十回となく下りていた」と話している。同社は回収した商品の販路も確保しており、容易に売りさばいていたという。

最終更新:6月25日22時13分

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おれもバカだが、消費者もバカである

Suitaiけっきょく、きのうは夜の10時ごろになるまで、一滴も酒を飲めなかった。そして、飲んだビールのうまかったこと。

ところで、またもや、おれの酔態醜態をさらすような画像がメールで届いた。すでに書いたように、記憶はほとんどないのだが、タノさんの坊主頭を抱えてほおずりしキスをしたことは覚えていた。唇に、坊主頭のザラザラした感触が残っていた。その場面を、オッタチトウフさんが携帯で動画撮影していたのだ。はあ、やれやれ。

そのように、おれもバカだが、消費者もバカだ。といった社長がいるらしい。いや、「もちろん私が一番悪いんですけども…消費者自体も安いものばかり求めるから」と、消費者も悪いといったらしい。これは、本音だろう。そう思っている「生産者」や「食の専門家」は、けっこういるはずだ。そのように思っている消費者もいるだろう。

自分だけは正しいという顔をして、ひとを教育しようという「食育」は、そのように消費者をダラクモノ悪者よばわりして成り立っている。「地産地消」を錦の御旗にしながら、中国に米を売る全農。それもキット、国産のうまい高い米を買わない消費者が悪いと、消費者のせいにするのだろう。

日本の食糧自給率が低下するのは、安くて悪い輸入品を買う消費者がいるからだ、というようなことを言って、「食育」を主張する人たちもいる。みな、消費者を非難することで、自分は間違っていないような顔をして、ひとを「食育」しようというのだ。「私が一番悪いんですけども」と言っただけ、この社長は正直なほうかもしれない。自分では作らないが飲食店で「手づくり礼賛」の正義の連中よりは正直だろう。

そもそも農水産業や食品メーカーを指導監督する立場の農水省が、自分たちのやるべき指導監督責任をはたさないで「食育」に熱心というのはオカシイ。問題が起きるとメーカーの一つや二つ潰して自分たちの利権や地位を守ることに専念する。その繰り返しではないか。

とにかく、そのYahoo!ニュースの記事、こうだ。こういう社長の発言が問題なら、消費者を悪者に仕立て上げ「食育」を推進しようという連中は、もっと問題だろう。

おれは、そもそも、コロッケが、牛肉入りだとかなんだとかに価値を認めない。これからは「牛肉風味」を開発すべきだろう。それなら偽装にならないし、そういうものに価値を認めるひとを満足させることもできる。カニカマなどそうだが、もとのものが高価になっている一方で、生活経済は向上していない、しかしイメージだけは「中流」を維持したい、そういう中では、その種の「風味食品」を開発すればよいのだ。

この記事、「加ト吉や日本生活協同組合の鑑定で」と書くあたりに、いかにも、この事件をミートホープ社の田中社長イケニエ責任追及でオワリにしたい意図が露骨だね。ま、筋書きとしては、そういうことなのだろう。これを「正義風味」の記事という。

田中社長仰天発言「消費者にも問題」…ミンチ偽装で強制捜査
6月25日8時3分配信 スポーツ報知
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070625-00000007-sph-soci

北海道苫小牧市の食肉加工販売会社「ミートホープ」の「ミンチ偽装問題」について、北海道警は24日、同社と取引先の「北海道加ト吉」など十数か所を不正競争防止法違反容疑で家宅捜索した。道警は田中稔社長(68)の主導による会社ぐるみでの違法行為とみており、今後は田中社長の立件も視野に捜査する。捜査に先立ち、田中社長は事件の責任について「消費者にも問題がある」などと発言した。

 午後2時半、段ボールを持った道警の捜査員30人が続々とミートホープ社に入った。窓ガラスには青いビニールが張られた。

 ミート社は豚肉や鶏肉を混ぜて偽の牛ミンチ肉を製造。伝票などに「牛100%」と原料表示を偽って北海道加ト吉に販売した疑いが持たれている。加ト吉や日本生活協同組合の鑑定で、ミート社の原材料を使った「牛肉コロッケ」から豚肉や鶏肉が検出された。

 道警はこれまでミート社などから資料の任意提出を受け分析し、幹部から任意で事情聴取。田中社長の指示で長期間にわたり大規模な偽装が行われたと見て、詐欺容疑の適用も検討している。

 午前10時、捜索に先立ち、同社前に茶色いチェックのシャツというラフなスタイルで現れた田中社長は「業界全体の体質も(警察に)説明しなきゃいかんと思うし、販売店も悪いし、半額セールで喜んで買う消費者にも問題がある」と神妙な面持ちで解説。

 さらに「もちろん私が一番悪いんですけども…消費者自体も安いものばかり求めるから」と“被害者”であるはずの一般消費者に責任の一端をなすりつけた。

 これまでも田中社長は発言を二転三転させてきた。問題発覚の20日、ミンチの偽装は工場長からの求めに応じたものだったと説明。同じ機械を使うことで牛肉と豚肉が混ざったとも話したが、同日中に翻し、故意に混ぜたことを「考えられない訳じゃない」と暗に認めた。

 翌21日「私がいちいち(肉の混入現場の)横にいたら大変ですよ」と笑顔で自身の関与を否定。しかし同じ会見中に長男の等取締役から「本当のことを言ってください」と責め立てられ「コストを下げるため牛肉に豚肉を混入するよう指示した」と偽装の主導を認めている。

 ミート社によると、牛ミンチの取扱量が増え始めた7、8年前から偽装が常態化。牛肉どころか豚肉すら検出されない「牛肉コロッケ」まであった。産地の偽装や賞味期限の改ざん、袋を偽造してブランド肉を装ったり、肉を赤く見せるための血による着色、果てには水を注射しての重量アップ疑惑など、同社は偽装のデパート状態となっている。

最終更新:6月25日8時3分

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2007/06/24

雲よ

Komoro先日、小諸なる古城で、雲の写真を撮った。
谷川雁の詩「雲よ」の、ここが好きなのだ。


雲がゆく
おれもゆく
(略)
雲よ
むろんおれは貧乏だが
いいじゃないか つれてゆけよ

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第6回飲み人の会酔態 ああ楽しかった

Nomibito070623gいつものように、たっぷり飲んで、楽しかったね~。ほとんど記憶にないけど、肉体が楽しかったと覚えている。

14時。まだ肉体がヨレヨレ脳がフニャフニャだが、やっとブログを書ける感じになった。それに、この酔態画像がメールで届いたからには、載せねばならぬ。

きのう、第6回飲み人の会。JR山手線大塚駅北口の会場の飲み屋に6時集合。時間前に、すぐそばの角海老宝石ジムの前を通ると、見物人たちのなかにコンさんとヤマさんが。ジムでは、ちょうどスパーリングらしきことをやっていた。窓を開け放っているので、リングサイドで見るのとおなじ。汗のにおいに、汗がとびちるのまでわかる。見ていてあきない。

さて飲むか。3人で生ビールを注文したところで、タノさんがあらわれる。しばらくしてからシノさん。彼は、1回も休まずの参加。そして9時過ぎか?オッタチトウフさん。もうそのころには、かなり酔っていた。

二軒目。どこかわからない、とにかく大塚。なんだかファミレスを居抜きで居酒屋にしたような妙な飲み屋。混んでいた。ここで、この画像を撮ったのだ。ほとんど覚えていない。タノさんの坊主頭をなでなでし、チュをしたのだけは覚えている。まだ、唇のまわりに、そのザラザラした感触が残っていて、気持ちわるいよう。

三軒目。ばかだねえ元気だねえ。もうみな泥酔状態で、電車の時間もなくなりそうなのに、たしか鶯谷の信濃路へ行ったような気がする。鶯谷の駅のホームで、みんなで、吸うさーーーん、と呼んだ……ウソ。

とにかく、それで、電車があるうちに無事に帰ってきたようだ。今朝気がついたら、服を着たまま畳の上に寝ていた。

7月8月は、おれが忙しくて開催できないので、彼らは勝手にやるようだ。勝手にやってくれ。

とりあえず、以上。

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2007/06/23

夕方のスーパーの男は光っていた

Tomatoまだ外は明るい19時ごろ、スーパーで買い物して、あらためて思った。男の客が多い、半分は男なのだ。しかも30代が多いようだ。ほとんどは見るからに勤め帰り、一人で買い物をしている。それが、そんなにわびしそうではない。

この北浦和で、その時間にスーパーにいられるなんて、どんな仕事の人だろうと想像する。わからない。公務員?そこそこの会社の管理部門? 24時間スーパーで23時ごろ買い物している男たちも多いが、彼らのばあいは、チトくたびれているのだろう、わびしさもただよう。しかし、この時間帯の男たちは、ヨシッ食べるぞというかんじがみなぎっている。

商品の品定めをする目つきも真剣だ。よく昼間のスーパーで主婦が、両手に同じものを持って、真剣に見比べている姿を見ると、なにをそんなに真剣に見ているのだろう、主婦ってのはヘンなことを気にするからなあ、ああやって見比べながら何を考えているのだろうと思うことがあるのだが、男でもおなじことをするのに気づいた。そうか、男も女もおなじなのだ。

とにかく、そんな男たちの姿を見ながら買い物するのは、なんだかとても気分がよい。楽しい生活だ。もちろん、買い物かごのなかは、とりのから揚げに弁当と缶ビールというひともいるが、みな楽しそうだ。19時ごろにスーパーで買い物できる時間に会社がおわるようになれば、こういう男たちはさらに増えるにちがいないと思った。

外でも飲み食いすることもあるだろう。そして、だから、ウチでも飲み食いしたくなる。一人でくつろいで食べるのも、よいものだ。簡単に何かをつくって。外食のよさ、自炊のよさ。いろいろまざっていろいろ食べて、生活は楽しくなるのだろう。仕事のことで頭がいっぱい趣味までガツガツガツ食べ歩き買い歩き情報あさり自慢ごっこの生活ではなく、ふらっとスーパーに寄るぶらぶらな気分が、もっとあっていい。

また「生活連鎖」を考えてしまった。「生活連鎖」といえば、少しずつザ大衆食のサイトを作り変えているのだが、岡崎武志さんと荻原魚雷さんのお言葉を、あらためて読み返して、これが生活の中の食事の姿だよなあと思った。

岡崎武志さんのお言葉…クリック地獄
荻原魚雷さんのお言葉…クリック地獄

スーパーの店頭では、地場の埼玉県のトマトが安く大量に売っていた。この色を見ると、気分もなごむ。地元のものが安くてうまければ、「地産地消」の説教なんか聞かなくたって買うのだ。夕方、スーパーで買い物できる時間に会社がおわれば、もっと料理をするひとも増えるだろう。しかし、そこんとこが、ビンボウでビンボウ性の日本じゃ、難しいのか。せかせかせかせかせかせかせか……。その埋め合わせのように食育食育食育食育食育……。

画像は、わざとソフトフォーカスのように撮りました。ウソ、ぼけ。

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2007/06/22

どんどん作って食べて夏を楽しく

右サイドバーにトラックバックがある、雅楽多blogさんの「タマネギとトマトのポン酢&タバスコ漬のホットサンドがバカ美味かった」は、おもしろい。…クリック地獄

当ブログの2007/06/13「暑くなったから、夏バテ時のためのサラダ」の「タマネギとトマトのレモン汁辛子漬け」をごらんになってやってみた話だが、さらに展開がある。こういうふうにいろいろに展開していくのって、ホント、おもしろいし楽しいねえ。

思い出したのだが、食パンにとろけるチーズとこれをのせてオーブンで焼いて、タバスコかけて食べるのも、うまいんだよな。

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酒を飲みめしをくい不条理を空気のように呼吸する

おとといは20日水曜日。朝、目がさめたときはそのつもりではなかったが、どんどん日程が決まっていく7月8月の仕事のことを考えたら小諸の揚羽屋へ行く日にちがなくなっているのに気づく。なんと不条理な。では、いまから行こう。12時ごろ大宮発の新幹線に乗ったら、揚羽屋には13時半ごろついた。なんてこった、こんな不条理が許されていいのか。いいのだ。人間は存在そのものが不条理なのだ。ウンコは便所でするし。

アユは自然の条理に生きているから、まだチトはやくて食べられない。揚羽屋で食べるアユが棲息する川の釣りが解禁になるのは6月30日だそうだ。残念ながら、アユの背ごしはない。いいのだ。アレコレ食べて飲む。例によって、佐久の地酒「亀の海」、うめえぇぇぇ。おかわり、おかわり。2時間以上ひたすら飲んでいたら、酔った。

では風にあたろう。小諸なる古城のほとり、いまじゃ懐古園、カネを出して入るのは不条理、どうも気がすすまない。ケヤキなどの大木で、入り口の前が、よい感じの木陰になっている。ベンチにごろり。眠ってしまった。目が覚めたら、5時過ぎで人影がない。入場券売り場も閉まっている、誰もいない。つまり、タダで入れるのだ。うーむ、よい仕組みだ。カネは昼間の観光客からとればよい。酒を買ってこなかったのが残念だが、城の石垣のうえから暮れ行く千曲川を眺める。ああ、あの川が酒だったら、詩が浮かぶものを。ただの水だなんて、不条理だ。日が沈む城跡をあとに、帰宅。

そして帰ってからは、きのう、きょう、不条理つづき。いや、そうでもないか。いや、そうか。いろいろあったが、なんだか、日にちがたつと書くのがめんどうだな。そのうち小出しにしよう。パソコンのパーテーションのサイズを変更する作業の最中に、処理をまちがえて、メールと住所録ほか、すべて消えてしまった。めでたし。

小出しの1。幻堂出版のなかのしげるさんから、西野空男『四コマ 幸福番外地』が届いた。どうもありがとうございます。四コマ漫画詩、といったところか。ロンドンで強盗にあったという小野原教子さんと、そのロンドンで彼女が「家族に一番近い感情をもっていた存在」というアイルランド人?ロバート・ハーバートさんの英訳つき。カバーデザイン、いつものことながら、本人の見た目とはちがい、あっ、繊細なデザインの石井章さん。じつは、幸福は幸福番外地にある。不条理を呼吸しながら生きるのが人生なれば。あっ、いや。不条理は、愛より普遍、ということ。

こちら烏さんに告知あり。…クリック地獄

ま、とりあえず。

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2007/06/20

書評のメルマガ 食卓の歴史

2007/06/07「食卓の歴史」、2007/06/08「もっと自信をもってやったらどうかと思う」に書いた、書評のメルマガ連載の「食の本つまみぐい」は、すでに発行になっているのだった。こちら…クリック地獄

ヤハリ、まだイマイチ読みこなれていないなあという感じだが。ま、とりあえず、こんなところで。とにかく、この本は、グローバリゼーションなどで多様化が拡大する現代と未来のヴィジョンを考えるうえで、とても示唆に富んでいる。

今日は時間がないので、とりあえず、こんなところで。

「食の本つまみぐい」の掲載分もくじはこちら「ザ大衆食」のサイト…クリック地獄

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2007/06/19

ほんのアソビ 真似してみたい

Yahooのトップにページに、こんな広告があった。

…………………

真似してみたい東京ストリートの着こなし

何枚でも欲しいTシャツ
欠かせないスニーカー
探そう、ベストジーンズ
個性が光るコダワリのメガネ
極上ブランドのシルバーアクセ
サンダルも脱・ワンパターン
マストアウターはパーカで
夏までにスレンダーボディ

そして頭の中はカラッポ

…………………

「そして頭の中はカラッポ」はウソ、おれが付け足したの。そして、ある人を思い浮かべながら、下記のようにアレンジしてみた。うふふふ。ウソウソ。

…………………

真似してみたい東京○○生活

何枚あっても気にならない汚れたパンツ
欠かせない安酒場
探そう、ベスト古本屋
個性が光るコダワリの無精ひげ
極上ブランドがのったチラシを切ったメモ用紙
サンダルは3年前のもの
マストアウターは洗濯したことないTシャツ
夏になっても出っ腹

そして頭の中は?

…………………

あなたも、誰かを思い浮かべてやってみたら。

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2007/06/18

貧乏食通研究所

ザ大衆食のサイトに「貧乏食通研究所」というコーナーがあり、その下位に「食文化本のドッ研究」というコーナーがある。そういうつもりだった。

しかし、もともとカテゴライズやパターン化は興味ない上に、成り行きにまかせて泥縄連鎖をクリック地獄でつなげているうちに、自分でも連鎖泥沼にはまりわけがわからなくなってきた。そこで、少し整理をした。まだ整理している最中だが、デザインも変えた。

貧乏食通研究所…クリック地獄

「食文化本のドッ研究」のコーナーは、構成とデザインを変え、書評のメルマガに連載の「食文化本つまみぐい」の一覧もくじをつくった。

本を読んだときの感想などは、忘れないうちにと思って、このブログに書いて、そのまま忘れてしまう。それらを発掘して、改訂転載したり、リンクをはったり、したい。という、ツモリ。

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D級人生の生活連鎖

左サイドバーにあるように、おれは「それゆけ30~50点人生」を歩んでいる。100を5段階に分けると、80~100がA、60~80がB、40~60がC、20~40がD、0~20がEになるから、30~50は、CとDにまたがるアイマイ領域になる。それをねらったわけではないが、アイマイってのは、けっこう好きだ。いずれの型にもはまらない。C型のようでいてC型ではなく、D型のようでいてD型でもない。そのことによって、どの型にも属さない、型ナシ人生になる。というのは、いま思いついたロジックだ。

とにかく、アイマイなことをいいことに、それゆけD級人生である、ときにはC級かも知れない、というていどにしておこう。で、ようするにD級人生の生活は、どのように決まるかというと、おれはD級人間だから、D級にやろうなんてことで決まるわけじゃない。

食生活のことだが、きのうはアレを食べたから今日はコレを食べたい、昼はアレを食べたから夜はコレを食べたい、というぐあいに考える。そのとき、D級なりの考えは働くと思うが、そのように連鎖的に考える。あるいは、今日は、よく働いたからとか、天気がよかったからとか、時間がないからとか、身体の調子が悪いからとか。そういう何かのツナガリのなかで決まっていくのが、生活のなかの食事であり料理なのだ。と、考える。

今日はバレンタインだからとか父の日だから、結婚記念日だから、元旦だから、いろいろな行事やイベントが連鎖に関係することもある。だからこそ、そういうセールが盛んである。また、いまジャガイモが旬だからとか、今日は給料日だからという連鎖もある。

関係ないが、「連鎖店」という言葉は、最近ほとんど見ない。1970年代はじめのころは、チラホラ使われていた。直営連鎖店はレギュラー・チェーンのこと、協業だったかな協働だったかなの連鎖店はボランタリー・チェーン、そしてフランチャイズ・チェーンという言葉が普及しだしたころには、そのまんまで漢字はなかったように思う。フランチャイズ・チェーンにあてはまる漢字がなく、ということは発想もなかったのかも知れない。

とにかく、生活そして生活の中の食事や料理は、そのようにいろいろな連鎖のなかで成り立っている。

ところが、それを「ハレ」と「ケ」に分けてみようとしたのが民俗学で、これは一時はやった。いまでも、そのように分けるひともいるが、現実的でもなければ生活的でもない。そして、もう一つ、連鎖から切り離して食事や料理を舌の味覚的に語る「グルメ」というのが登場した。

D級人生だって、A級はともかく、けっこうB級C級との付き合いはあるし、そのように食事をすることもある。一食300円と予算は決めていても実際は1000円になったり100円になったりする。それは連鎖の関係で決まる。経済的だけではなく、さきほど述べたように、いろいろな連鎖で決まる。

生活とは、いろいろな連鎖が絡んでいる。それは「生きる」ということが、いろいろな連鎖なのだからトウゼンだしフツウなのだ。

しかしそれなのに、アアそれなのに、その連鎖から切り離された話が、なぜそんなに好きなのよ。なぜにそんなに連鎖から離れ細分化されたグルメになるの。そういう疑問が、ズッとあったのだが、最近、あることをキッカケに、そのナゾが氷解しそうなのだ。

「好き」なんて言葉を信じちゃいけない。ひとはみな連鎖のなかの気まぐれなのさ。鎖は簡単に繋がり、そしてまた簡単に切れる。明日のAより今夜のBがよければBを選ぶ。

そして、明日、二日酔いなら水を飲んでしのぐのさ。

ああ、なんの話かわからない。どんな生活も、鎖の一つなのだ。いいじゃないのそれで。わからん。
午前1時半の酔いどれ深夜便、オワリ。

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2007/06/17

みんなの感想

きょう気がついたのだが、Yahoo!ニュースを見ると、記事の下のほうに「みんなの感想」というアンケート集計がある。

ニュースというか記事を読んでの感想らしい。回答は、5項目5段階。

考えさせられる
役に立つ
興味深い
誰かに教えたい
びっくりした

「ほう」とか「はあ」とか「へえ」とか「ふん」とかいう項目は、ない。これじゃ、おれは答えられない。

しかし、「みんなの感想」だって、いやだねえ。「みんな」、ああ、いやだいやだ。これは、「みんなの感想」じゃなく、アンケートに答えたひとの結果だろう。しかも単純集計をレーダーチャートという表現法で、ワケありげにして。でも、「みんな」になってしまうんだよね。ああ、いやだいやだ、「みんな」はキライ。

このばあい、正確には、「ニュースの感想」と「記事の感想」とでは違うはずなのだけど、そのあたりをアイマイにしてアンケートし、結果に都合のよい解釈を加えるというのは、調査でよくつかうテだね。

数年前、一緒に仕事をやった、ある女。ま、プロデューサーってことになるのかな。おれの調査分析のレポートを見て、「あら、上手につくってくれて、ありがとう」。オレ「なんだよ、上手にとは、これがデータの結果なんだよ」。オンナ「わかってる、プランナーはそういうの。集計と解釈の仕方でどうとでもなるのでしょ。クライアントからおカネがでるように上手につくってくれて、ありがとう。感謝してるのよ」……こういうオンナ、仕事はできるのだが、やりにくい。美人で「好き」といわれても抱く気にならない。ふん。「ふん度 5」

そんなことは、どーでもよいのだ。アレコレやっているうちに夕方になってしまった。きのう、この夏の間じゅう、おれを可愛がってくれる編集さんから電話があって、先日べつのひとから打診があったときに聞いたアバウトな地獄と天国のスケジュールより、さらに正確なそれを聞いた。感想は、「ほう度 5」「はあ度 5」。来週から打ち合わせが始って、9月の上旬まで続く。なるべく片付けることを片付けておき、わが身をまかせるのみ。暑い熱い夏。ナニハトモアレ、生ビールだねえ。この暑いときに、燗酒もいいんだよな。「ふー度 5」

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2007/06/16

あたりまえフツウのことを当たり前ふつうに位置づける

五十嵐さんにメデタイことがあったようなのでブログを見たけど、そのことは書いてない。謙虚だねえ。そして「『現代思想』6月号」というタイトルで書いているなかに、こんなセリフがあった。

“外国人関係の問題を日本社会の中にすげー当たり前に位置づけるような話がわりと少ないと常々思っているので、これはこれでよかったと思っています。”

このへんが、五十嵐さんの謙虚な、というか、当たり前フツウを正確に位置づけていこうという姿勢のあらわれなのだろうなあ、と思った。

メディアは、とかく、突出、特別、特殊、新奇、めずらしい、変わっている、そんなことに偏って話題を求めたがる。普通、スタンダードを見失いがちだ。

かなりキチンとやるマーケティングリサーチや社会調査は、基礎調査とか基本調査というものをシッカリやる。それは、ごく当たり前フツウすぎて、そんなことワザワザやるこたあねえだろうということをやる。じつは、未来のカギは、そこにあるからだ。たとえば、国勢調査は、いろいろ問題が噴出しているようだが、そういう普通を示すデータがなくては、未来を構想することはできない。

だけど、人びとの関心は、メディアの影響もあって、なかなか普通へ向かない。ブームな、マニアックな、突出した、そういうことでないとコーフンできないのだろうか。コーフンしたいのだろうか。あるいは未来やビジョンなんかどうでもよいとか。

人生、フツウで終りたくないのかな。自分が、注目される特別な存在になりたいのかな。みる人間より、みられる人間を意識するほど、何かに偏執していく。細分化していくグルメもそのようにみえる。

おれは、「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」「普通の食事を大切に」「ありふれたものを美味しく食べる」とか、やっている。何度も述べているように、おれの関心は、現代日本食のスタンダードとは何か、だ。スタンダードのシッカリしない文化など、浮き草のようなものだと思っている。

やはり、堅気のサラリーマンやビジネスマンや労働者、呼び方はいろいろあるが、社会や生活の土台を支えている人たちの余剰を頼みに、おれのようなフリーライターがやっていられると思う。学者や研究者やエセ文化人やメディアが偉そうにしていられる。ま、いまや、実態のともなわない余剰のために、虚業家の群が「活躍」しているにしても。文化だの芸術だの科学だのは、普通の生活のなかにあるものだ。おれは、そう思っている。カンジンなことは、普通酒や普通のめしがうまくなることだ。そのことを考えなくなったら、人間としてオシマイと思っている。そのわりには、五十嵐さんほど謙虚でないと、反省。

とにかく、いろいろなことを「当たり前に位置づけるような話がわりと少ない」。そのことを、あらためて思った。ので、忘れないように書いておく。

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それぞれの「上京物語」

下記に掲載した、セドローくんこと向井透史さんの「古書現世店番日記」に、興味津々のトークショウの案内があった。…クリック地獄

拙著『大衆食堂の研究』は、山本容朗さんが週刊ポストで評したとおり、「読み方によれば、この著作は、型破りの東京同化ストオリーだろう」なのだ。それはまた、おれなりの「上京物語」でもある。

2005/03/19「悩ましい「田舎者」」でも書いているが、岡崎武志さんの上京者のココロも引用している。上京者には、それぞれの「上京物語」があるのではないだろうか。

さらに、このトークショウにおれが注目するワケは、荻原魚雷さんと浅生ハルミンさんは、三重県出身だからだ。お二人とは、たしか別々だったと思うが飲む機会があって、そのたびに酔った勢いで言ったと思う。おれは何人かの三重県出身者と親しく仕事をしたことがあるのだが、共通する「何か」がある。それは、「三重県人は過激だ」ということだ。おれが感じたことであるが、荻原さんも浅生さんも否定はしなかったように思う。「過激」なのだ。

そんなわけで、「三重県人!~わたしたちが東京に来るまで~」のタイトルが、とても気になる。でも、行けない。このあいだの荻原さんの出版記念会にも顔を出せなかった。スミマセン。おれ、この夏は、天国と地獄が一緒のようなスケジュールをこなさなくてはならない。いまから体力をつけ(もう遅いか)、備えているが。このタソガレの年齢で、失意と絶望を抱え、8月末まで、身体がもつか? もつだろう、酒があるもんね。酒は飲める仕事なのだ。それにスケジュールはキツイが、一緒のひとたちが、とてもハッピー。

みなさん、東京の田舎者たちよ、あなたにはあなたの「わたしたちが東京に来るまで」があるはずだ。このトークに耳を傾けながら、あなたは何を思う。クソッタレな東京で。

以下、セドローくんの案内。

■ワメトークvol.2 『古本暮らし』刊行記念

「三重県人!~わたしたちが東京に来るまで~」

荻原魚雷さんの『古本暮らし』(晶文社)の刊行を記念いたしまして、トークショーを開催します。お相手は人気イラストレーターの”猫ストーカー”浅生ハルミンさん。お二人の共通点、それは三重県出身! 三重とは?、不良との戦い、地方での古本体験から東京に出てくるまでのエピソードを交えて語っていただきます。

荻原魚雷(ライター)×浅生ハルミン(イラストレーター)
司会・向井透史(古書現世)

■日時
7月8日(日)
14:00~16:00(開場1:30)

■会場
上り屋敷会館 2階座敷
東京都豊島区西池袋2-2-15
地図はコチラです。→http://f.hatena.ne.jp/wamezo/20070413174217

■参加料 600円
■定員 40名
■予約方法
予約・問い合わせは古書往来座が受けます。
電話・メール・FAXのいずれかで、お名前、参加人数をご記入の上、お申し込みください。
◎古書往来座 営業時間11:00~22:00
TEL&FAX 03-5951-3939
ouraiza@kosho.ne.jp

※当日、参加希望の方は、外市会場で直接、もしくは往来座に電話にて座席の有無をご確認ください。事前に定員に達した場合は「わめぞブログ」にてお知らせいたします。 http://d.hatena.ne.jp/wamezo/

◎荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『借家と古本』(スムース文庫のちにコクテイル文庫)、編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(全四巻、ちくま文庫)。最新刊『古本暮らし』(晶文社)が好評発売中。

ブログ「文壇高円寺」http://gyorai.blogspot.com/

◎浅生ハルミン(あさお・はるみん)
三重生まれ。イラストレーター。数々の雑誌にイラストやコラムを寄稿。本の装丁も手がける。著書に『私は猫ストーカー』(洋泉社)がある。『彷書月刊』にて「ハルミン&ナリコの読書クラブ」、講談社サイト『moura』で『帰って来た猫ストーカー』を連載中。http://moura.jp/liter/harumin/

ブログ http://kikitodd.exblog.jp/

◎司会 向井透史(むかい・とうし)
1972年早稲田生まれ。早稲田の古本屋「古書現世」店主。「本の雑誌」「WiLL」で連載。著書に『早稲田古本屋日録』(右文書院)、『早稲田古本屋街』(未来社)。

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2007/06/15

タマネギとジャガイモ

Yasai書こうと思って書くのを忘れていたが、2007/05/17「頑張れ日本の農業ビジネス はすみふぁーむのアスパラガス」に紹介したアスパラガスを注文して、もう食べおわってしまった。

いつも庭のオオバなどをいただいている一階の大家さんにもあげようと、多めに頼んだのだが、着いたのをスグ食べたら、うまくてうまくてみな自分で食べちゃおうと気が変わり、ついにあげなかった。一週間ぐらい、毎日、そのアスパラを食べていた。すみません、大家さん、けっしていつもマズイ残りものをあげているわけじゃありません。

画像は、一昨日あたり届いたタマネギとジャガイモだ。これは田舎人からタダでもらった。たくさんとれた、おすそわけ。箱の底が見えないほど入っていたのだが、見えるようになってホッとしている。

タマネギは、2007/06/13「暑くなったから、夏バテ時のためのサラダ」にある「玉ねぎトマトレモン唐辛子漬け」をやるので、いくらあってもよいのだが、ジャガイモは、これ大きいし、一度に何個も食べられない。もちろんうまいにはうまいのだが、しだいに格闘している気分になる。おれの場合、ウチにいれば、毎日ではなく毎食、これを食べることになる。きのうの肉じゃがは、まだあまっていて、今朝は汁ごとめしにかけて食べた。サラダ、ポトフ、肉じゃがとやってきて、なんとか、ここまで減らした。ま、「格闘している」といっても、うれしい「格闘」だから、タダなら、いくら送ってもらってもよいのだが。

それそのものがうまいものであっても、毎日のことになると、それだけでは食べられない。やはり料理がものをいう。それが保存法も含めて農業社会で料理術が成長した一つの理由だろうと思う。とにかく、素材か料理かといったふうに、ニ項を対立的に考えるのは現実的でない。

ところが、マスコミや「言論人」「評論家」などは、ニ項対立をぶちあげ、「どちらがよいか」「女だから、男だから」といった話題づくりをよくやる。「サッカーか、野球か」なんて、まるで比較することすら無理なものを平気で比べる。すると人びとは、どちらか選んでしまう。

画像の箱のなかの野菜、タマネギかジャガイモ、どちらでも一つだけ好きなほうを選んでくださいと持ちかけられたら、たいがいの人が、イヤおれは別に好きな野菜があるからイラナイとはいわないだろう。どちらかを選ぶ。するとマスコミは、日本人のあいだではタマネギが支持されているとか、ジャガイモが支持されているとか報道する。そして、その報道をもとに例の循環論法が展開される。どんどん現実から思考が離れる。世の中、そういうカラクリだらけだ。

えーと、また話がそれたようだな。なんの話か。ま、いいや流れにまかせよう。

ニ項対立といえば、男と女。ある小説では、男は女を裏切るから信用ならないとあり、ある小説では、女は男を裏切るから信用ならないとある。そういう二つの傾向があったとしたら、これは、どちらが正しいかではなく、ようするにひとはひとを裏切るから信用ならないし、だからまた信用すべきだということにすぎない。小説は話をおもしろくするために、人間のことを男と女におきかえる。すると、そのニ項対立が実態として普遍的なことのように錯覚し、あるいは幻想し、そこで男と女の循環論法が成り立つ。しかし、そもそも世の中、男と女だけじゃない。

おお、そうそう思い出した、味覚のことだ。

味覚の仕組は、わかっていないことのほうが多い。それをどれぐらいわかって味覚について話しているか、カンジンではないかと思う。どうしても知っていることを話したい自慢したい、それは仕方ないとして、その一方で、その知っていることは、たいしたことではないと、どこかで自覚しているかどうかだ。そもそも世の中、男と女だけじゃないといったが、それをどれぐらいわかりながら、男と女について話しているか。そのことに似ている。男か女かの議論は、人間から議論がそれてしまう。野球かサッカーかの話が、スポーツからそれるように。

男と女、出生したとき、なにを根拠にわけるか、染色体検査をして決めるのか。おれが知っているのは、チンポがついていれば男だ。生まれつきの味覚、つまり生得的とか普遍的といわれる「差」は、そのていどのもので、あとは、ほとんど「学習」で決まる。「男らしさ」「女らしさ」は、ほぼ百パーセント「学習」であるらしい。そして「学習」は味覚のばあい、たいがい、自然的環境、それから社会的文化的環境が影響を及ぼすとみられている。

「自然的環境」と、アイマイな書き方をしたのは、おれは、人間のほうからそれを見るかぎり、「地理的環境」といったほうがよいように思うからだ。たとえば、農村的環境は、自然的環境に近いが、自然環境とはいえないし、農村は都市と密接に成り立っている、また都市は農村と疎遠であったとしても無縁で成り立っているわけじゃない。なにより農村でも都市でもない生活があ